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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
遙かなる王国
361/371

ガイドガのラーシュカ

 撤退に必要な物資を揃え、士気を保ったまま順調に撤退をしていた黒き太陽の王国(アルロデナ)の軍勢だったが、バンディガム要塞を目前にして敵に追いつかれてしまう。

 勇者(アティブ)の軍勢は疲れを知らず、昼夜を分たず追撃に全力を上げていたからである。主力となるのは、鉄牛騎士団を中心に聖騎士団3番隊のアリエノール隊。更には勇者が直接率いてきた騎馬兵団などの姿も見えた。

 更に悪いことに、勇者の尖兵たる聖人化した少女の一人に異界の門を開く者が居た事が、彼らの追撃を容易ならざる速度に押し上げていた原因であろう。

 対するアルロデナの軍勢は、士気は高くとも編成は既に半壊している。敵の騎馬兵に対処すべきギ・ガー・ラークスの虎獣と槍の軍(アランサイン)や近衛兵たる王の騎馬隊は言うまでもなく、ギ・グー・ベルベナの斧と剣の軍(フェルドゥーク)も、その例に漏れない。

 また、撤退支援の為に人員を割り振ったラ・ギルミ・フィシガの弓と矢の軍(ファンズエル)に至っては、その半ばを補給に回している為に戦闘力という点で見れば半壊しているフェルドゥークにも劣る。魔獣を戦力として扱う双頭獣と斧の軍(ザイルドゥーク)は神獣に食い荒らされたのと撤退の契機作りの為に魔獣達を酷使したのとで、4将軍の中では最も損耗が激しかった。

 そんな中でも、宰相にして軍師であるプエル・シンフォルアはゴブリンの王に代わり指揮権を握ることが出来た。ゴブリンの王が未だ昏睡から目覚めないというのもあったが、敵の追撃から全軍を守れるのは彼女を置いて他には無いと4将軍らが認めていたというのが大きい。

 ゴブリン至上主義であるギ・グー・ベルベナですら、ゴブリンを率いての戦いでは互角でも、異種族の混じった軍勢同士の戦いでは彼女に劣ると自覚していた。

 だが、プエルとて万能ではない。

 異界の門を開き、逃げる場所に先回りしてくる敵に対しては場当たり的な対処を取るしかなかった。尤も、甚大な被害も出さずに一応の撃退が為されているのだから、彼女が無能とは程遠い存在であったのは疑いない。

 敵がどこから出現するか分からない状況の中、襲撃してくる地域を予測し、可能な限り罠を張り巡らせ、損耗を減らして勝利を得るという至難の業を何度となく成功させた。

 だが、そこまでしても撤退の速度はどうしても落ちてしまう。

 敵の排除を行うファンズエルの奮戦虚しく、後方に大規模な砂塵を確認したギ・グー・ベルベナは左右の遊撃隊たるギ・ゴー・アマツキとガイドガ氏族に報せを送る。

 同時に最後尾を守るグー・ナガ・フェルンの剣兵隊に戦闘態勢の維持を任せると、主力を撤退させる。グー・ナガ・フェルンはギ・グー・ベルベナが最も信頼する南方ゴブリンの三兄弟の内の一匹である。グー・タフ・ドゥエンとグー・ビグ・ルゥーエも、それぞれがノーブル級にまで至った高位のゴブリンであり、歴戦の戦士であり、指揮官でもある。

 プエルが示し、ギ・グーが了承した殿の役割は敵の追撃を受け止めることである。つまりグー・ナガが敵の攻勢を受け止め、その間に遊撃部隊たるガイドガ氏族及び剣士隊によって敵を左右から切り刻む。そこで足止めをしている間に、本隊及び殿部隊は撤退をするという算段だった。

 王の近衛を除けば、少数で最も攻撃力の高い二つの部隊を最後尾に残し、粘り強い指揮と幾度と無く死線を潜り抜けてきたフェルドゥークの実力を加味した作戦である。

 自身が殿に立つと豪語するギ・グーの意見を、プエルは強引に抑え込んだ。

「実力で言えば、俺が立つのが当然だ!」

 そう主張して止まないギ・グーに対して、プエルは断固としてそれを認めない。

「貴方が居なくて、どうしてフェルドゥーク全軍を統率出来ますか!」

 万一、ギ・グー・ベルベナが手傷でも負おうものなら戦線復帰は困難となる。それどころか、南方ゴブリンを率いて再び勇者の軍勢と対決する際、フェルドゥークの力を十全に発揮出来なくなる可能性すらある。その危険がある以上、プエルはギ・グーが殿に立つのは断固として反対だった。

 結局、ギ・グー配下の三兄弟が間に入って意見の対立を調整し、グー・ナガ・フェルンが殿を務めるという形で落ち着いた。

 王不在のアルロデナで最高の布陣と言える体制を整えたプエルだったが、迫り来る勇者の軍勢の圧力は並大抵のものではない。勇者の力により聖人化したのは少女達ばかりではない。勇者と合流したアーティガンド敗残兵の内の幾人かは、長い修練と血の滲むような努力の果てに到達するであろう力を、既にその身に宿していた。

 勇者の尖兵と成り果てる代償を鑑みれば同情の余地が無い訳ではないが、超人的な力でアルロデナに襲い掛かってくる敵であることに変わりはない。

 鉄牛騎士団長ラスディルや、聖騎士団を率いるアリエノールと副長ユアン・エル・ファーランらに見られた聖人化であったが、それらは個人差が大きかった。ユアンやアリエノールは湧き出す力と侵食される意志に戸惑いを覚えていたが、ラスディルは既に勇者の意志に身を任せていた。

 ラーシュカとギ・ザーの奇襲により、彼の率いた鉄牛騎士団は大きな損害を蒙った。そもそも先の戦で既に半壊していたと言って良い。祖国復興を掲げるラスディルには力が必要だったのだ。それこそ、勇者のような絶対的な力がである。

「見えたぞ! 騎馬兵共は奴らの足を止めろ! 重装歩兵は槍を構え、俺に続け!」

 騎士団長として戦い続けてきた知識と経験はそのままに、溢れ出る力に自意識を侵蝕された彼は非常に好戦的となり、自軍の損耗を考えず、ただ只管に敵を殲滅する為の前進を命じる。

 鉄牛騎士団が突出する形になるが、それはラスディルが足を止める要素には成り得なかった。まるで軍が己の身体の一部であるような感覚に引き摺られ、ラスディルは疲れを知らない己の騎士団を猛進させる。

 対するグー・ナガ・フェルンの戦術は単純明快だった。

 血気に逸って先頭で駆けて来るラスディルへ向かっての集中攻撃。更には横陣を何枚を重ね、攻撃を受け止めるように陣を敷く。

 戦の被害は追撃戦で多大となる。それは統制の難しさと、背を向ける敵を討ち取ろうとすることによる被害の拡大がそうさせるのだ。だが、ここに来てプエルが決断し、ラ・ギルミ・フィシガが整えた撤退の為の準備が大きくモノを言った。

 ゴブリン達の士気は未だに高く、撤退戦の最中にあるとは思えない整然さで陣を組み直す。

「奮え、兄弟達よ! 捲土重来の機は、今此処にあるぞ!」

 今やギ・グー・ベルベナ率いるフェルドゥークの主力となった南方ゴブリンの中で、グー・ナガらの三兄弟は出世頭と言うべき者達だった。並のゴブリンと比べて手が長く背が低い南方ゴブリン達は、つい最近まで強敵が現れれば木の上に逃げてやり過ごすような生活を送っていた。

 だが、今ではゴブリンの中でも最有力のフェルドゥークの主力となって武器を振るっている。何よりもギ・グーの登場以来、食料で困ることが無くなった。

 その事実が、彼らの高い忠誠心を引き出している。

 ギ・グー・ベルベナは南方ゴブリン達にとって“偉大な指導者”であり、ギ・グー自身も配下たる彼らに熱心に教育を施している。

 “我らこそが大陸を統べるに相応しい強者である! 故に、如何なる犠牲も恐るるに足らん! 我が王がある限り、我らは必ず大陸を制覇出来る!”

 その言葉が、彼らの心中に素朴な誇りを齎した。自身が倒れても、後に続く者達が必ず大陸を制覇し、今以上の暮らしを約束してくれる。それはアルロデナ軍全体に見られる傾向だが、特にフェルドゥークと千鬼兵(サザンオルガ)では顕著であった。

 故にアルロデナの軍勢では撤退戦とは思えない程兵達の士気が高く、統制の取れた戦術行動が可能だった。

「来るぞ! 剣兵隊……進めェ!!」

「グルウォオオオオオアア!」

 グー・ナガの号令と共に、最前列のゴブリン達が盾と剣を振りかざして追撃者達に襲い掛かる。

「──貫け!!」

 だが、相手は聖人化を果たしたラスディルを先頭に、死すら恐れぬ勇者の軍勢である。聖人化無しでも、勇者の影響により往時の三倍程に引き上げられた膂力を備えた兵達を率い、指揮官であるラスディルは最前線で槍を振るいつつ指揮を執る。

 土煙を上げて全身を隠すような大盾を構えて突進してくる鉄牛騎士団の突撃は、殿部隊の決意を容易に吹き飛ばした。

 剣兵達の第一陣は大型の魔獣の突進を受けたかのように弾き飛ばされ、或いは踏み潰される。だが、非情なようだが、グー・ナガもそこまでは計算済みであった。

「二陣!」

 相手は全身を鎧で覆った重装騎士である。それに突っ込んでいけばどうなるか、先の戦では嫌というほど思い知らされた。それでもグー・ナガには他に策はない。

 第一陣を吹き飛ばした鉄牛騎士団は僅かばかり勢いを弱めるも、尚突進してくる。

「……っ掛かれ!!」

 踏み潰され、吹き飛ばされていく兄弟達を歯軋りしながら見送ったグー・ナガは再び号令を下す。

「進め、進めェ! 魔物共を駆逐し、我らの国を取り戻すのだッ!!」

 文字通り体を盾として進撃を阻もうとする南方ゴブリンらだったが、大盾を構えて短槍を握ったラスディルの猛進が止まらない。

 第二陣までを突破され、全体的な勢いは落としたものの、祖国奪還に燃える若き騎士団長は短槍を縦横無尽に振るってゴブリン達を薙ぎ払う。

 ここで、遂にグー・ナガの我慢も限界を迎えた。元々最前線で戦うのを好む性格なのだ。そんな彼が兄弟と親しむ配下の兵を蹴散らされ、平静でいられる筈がなかった。噛み締めた歯が鳴り、怒声と共に剣を引き抜く。

「人間、俺が相手だ! 第三陣、行くぞァ!」

 配下のゴブリンの喚声が上がる。

 グー・ナガの第三陣がラスディルの鉄牛騎士団とぶつかる寸前、プエルの企図した左右の刃が鉄牛騎士団の後尾に切り込んだ。

「──駆け抜けよ!」

 剣聖ギ・ゴー・アマツキ率いる剣士隊は、アルロデナの軍勢で部隊の規模が同数なら最も攻撃力が高いと評される部隊である。

「突撃だ! 蹴散らせ!」

 咆哮と共に巨躯を誇るガイドガ氏族を率いて分け入ってきたのは、隻眼の悪鬼にしてガイドガ氏族の族長ラーシュカ。先の辺境の戦いでは散々に鉄牛騎士団を打ち破ったガイドガ氏族を率いて、猛然と突撃を開始した。

 三方向からの同時突撃。それだけでも普通の軍勢なら崩れるだろう。だが、勇者の出現によって能力を大幅に引き上げられているラスディル率いる鉄牛騎士団は、ゴブリン達の予想を大きく上回った。

「見えているぞ、魔物共! カズン隊、左へ! ガノーシュ隊は右へ!」

 それだけの指示で部下達が声を揃えて動いていく。重厚であるが故に動きが鈍くなりがちな重装歩兵が、まるで騎兵のように軽やかに動く。

「マッシュ隊、続け!」

「止めるぞ! 剣兵隊!」

 指揮を執るグー・ナガにラスディルの槍先が迫る。盾を器用に使い、槍先を受け流すグー・ナガだったが、反撃すら許されずラスディルの突進に跳ね飛ばされてしまう。

「突破せよ! 雑魚に構うな!」

 左右の後尾から切り込んだにも関わらず、ギ・ゴー・アマツキの剣士隊とガイドガ氏族も対応されてしまう。

「舐めるな!」

 だが、そこでラーシュカが本領を発揮し始める。ゴブリンの王さえ居なければ、或いはゴブリンの頂点に立ったかもしれない実力は健在である。

 立ち塞がる重装歩兵を強引に叩き潰すと、個々の部隊での突破は困難とみて突撃方向を調整。ギ・ゴー率いる剣士隊と呼吸を合わせるようにフェルドゥークを突破したラスディルを追う。

「逃げるのか、臆病な人間の小童! 俺と打ち合う猛者は居らんのか!?」

 怒声を上げて鉄牛騎士団を蹂躙しに掛かるガイドガ氏族。そして、突撃後の呼吸を合わせた動きにラーシュカの意図を感じ取ったギ・ゴーも、無言のままに剣先で進む方向を指し示す。

「ギ・ゴー殿の背を追え!」

 雪鬼(ユグシバ)を率いる美貌の族長ユースティアは、自身の剣に付いた血糊を振り払いながら配下を鼓舞する。

 背後から食い付かれた鉄牛騎士団だったが、そのまま反転しては徒に被害を大きくするだけだ。故に、ラスディルは前に進むしか無い。

「またあいつか!」

 三度己の前に立ちはだかるラーシュカの姿に、ラスディルは烈火のごとく怒るが、だからといって他に取れる手段もない。背後に罵声を聞きながら進軍の足を速める。

「アズデ隊、マッシュ隊!」

 僅かに距離が開いたところで、徐々に二つの小隊が後ろに下がる。最後尾を守るように二つの小隊が下がるのを確認すると、グー・ナガの殿部隊を相手にせず、アルロデナの本隊に対して動きを見せた。

「……拙いな」

 表情を歪めるギ・ゴーの視線は、徐々に離されつつある鉄牛騎士団との距離を見ていた。

我は、吠え猛る(スラッシュ)!」

 黒光が地面を削り、最後尾を守る鉄牛騎士団に突き刺さる。ラーシュカの狙いは、本隊に迫る鉄牛騎士団の足止めである。ギ・ゴーと図って突撃を成功させ、敵を乱れさせるつもりだったが、それが上手く行かず次善の策に切り換えたのだ。

 後ろから針で突かれるように徐々に力を削られる。ラスディルにしてみれば、この上なく鬱陶しい。だが、彼らの目的はアルロデナの本隊の追撃である。余計な手間を掛けてまでガイドガ氏族と剣士隊を殲滅する必要はない。

 通常の精神状態なら、ラスディルもそう考えただろう。

 重装歩兵とは言え、速度は鉄牛騎士団の方が速いのだ。ラーシュカの魔法が何度か当たるだろうが、それも射程外へ出てしまえば脅威ではない。

 あくまで、ラスディルが勇者の洗礼を受ける前ならば、である。

「反転せよ! 奴らを皆殺しにしろ!」

 二発目の魔法を受けた時点で、ラスディルは突如として全軍を反転。最後尾に下がったアズデ隊とマッシュ隊を先鋒とし、追尾してきたガイドガ氏族と剣士隊に突撃を開始した。

「くははは! 愚かな小童が! 掛かりおったな!」

 大口を開けて笑うラーシュカに憤怒に赤く染まる視線を向け、ラスディルは怒声を上げる。

「奴らを殺せ! 同胞の仇だ!」

 マッシュ隊を剣士隊に当て、その他全軍を以ってガイドガ氏族を狙ったのだ。喚声を上げてラスディルの命令に従う鉄牛騎士団の重装歩兵の戦列が、雪崩を打ってガイドガ氏族に襲い掛かる。

 ここまでは、ラーシュカの予想を超えるものではない。

 次善の策と考えたように、敵が此方に向かってくることも充分に考えられたからだ。であるなら、当然対策も立てられる。

「よし、引き上げるぞ!」

 散々に敵中を掻き回し、自分達の役割は充分に果たしたと判断したラーシュカは氏族の者達に告げると、すぐさま戦場を離脱に掛かる。鉄牛騎士団の一個小隊を引き受けていたギ・ゴーも、それを見て僅かに口元を歪ませて笑った。

「切り抜ける! 続け!」

 自らに向かってくる正面の敵を中央突破すると、そのまま本体に合流すべく前進を開始する。その頃になると、態勢を立て直したフェルドゥークの殿部隊は本隊に追いつくべく撤退を開始し、ギ・ガー・ラークス率いるアランサインが編成し終えた少数の兵を率いて、遊撃部隊として残っていたガイドガ氏族や剣士隊を援護する為に最後尾に移動してきていた。

 彼らの援護の下、悠々とは行かないまでも無事に本隊に合流出来る手筈であった。

 だがしかし、彼らも戦場の全てを見通せる訳ではない。追撃戦から、混戦、更に撤退戦へと、目紛しく移り変わる鉄牛騎士団とアルロデナの遊撃隊で交わされた戦闘から僅かに距離を離して、彼らを猛追する一団がある。

 勇者の力の侵食に悩む聖騎士団3番隊であった。

 自身の中から湧き出る力と、気を抜くと意識を持って行かれそうな違和感。それらを持て余すアリエノールは追撃に力を入れるしかなかった。勇者の軍勢の統一された意志は、自身の軍勢を越えて別の戦場で戦っている者の視覚さえ僅かに共鳴させていた。

 つまり、今のアリエノールにはどの位置で鉄牛騎士団が戦い、どの程度の相手が居るのか、手に取るように分かってしまうのだ。異能異端の力ではあるが、指揮官にとってこれ程望ましい力もない。

 故に彼女らは最短距離で戦場に向かい、未だ撤退の援護中であったアランサインとガイドガ氏族を狙い撃ったのだ。

「投げろ!」

 100メートルもの遥か彼方から打ち出される投槍は至近から投げられたかの如く、威力を保ったままアランサインとガイドガ氏族に降り注ぐ。

 アリエノールの号令に従った聖騎士団の投槍は間断なく降り注ぎ、接近戦を挑む前に戦力を擦り減らされてしまうのは容易に想像される。

 急遽再編されて少数だったアランサインを率いるギ・ガーは、北東から砂煙を上げる迫る聖騎士団と義勇兵の姿を見た瞬間、真面にぶつかるのは不可能だと悟る。

 それでもガイドガ氏族の撤退を支援する為に奮戦するが、指揮官級の人材を失わなかったのがせめてもの救いであろう。再編されたアランサインも数少ない人員を討ち減らされ、撤退せざるを得なかった。

 結局、ゴブリンの王不在の中で組み立てた殿部隊だったが、勇者の軍勢の追撃を食い止めることは出来ず、散り散りになりながらも各々が逃げ延びるしかなかった。


◇◆◆


「くそっ! 何たる醜態!」

 悪態をつきながらも、ラーシュカは手勢を纏めてゴブリンの王が居る本隊を追う。一足先に離脱を開始していたとは言え、アランサインの奮戦がなければ全滅させられていてもおかしくはなかった。

 夜目の効くゴブリンには、地平線の彼方に煙る本隊の影が見えていた。

 だが、同時に夜戦になっても追い立てられるアランサインも目撃する。追いすがるように半壊状態のアランサインに追撃を加えるのは、アリエノールの3番隊。既に数百騎にまで減らされていたアランサインには、反撃する力すらないように見受けられた。

「ふん、借りを返す必要があるな!」

 彼我の力量差は歴然としているが、傲岸不遜に言ってのけるのは戦場の悪鬼たるラーシュカの度量の広さ故だ。ガイドガ氏族の者達も、自信満々に振る舞うラーシュカに感化され不敵な笑みを浮かべる。

「奴らの脇腹を食い破り、王の後を追う!」

 声もなく気勢を挙げるガイドガ氏族が、夜の闇の中を走り出す。

 逃走の途中にも関わらず、アランサインの危急を見るや、すぐさまその方向に反転し、アリエノール隊へ向かって猛然と突っ込んでいく。アランサインを追い立てることに夢中になっていたアリエノール隊は、その突撃を受けてアランサインの追撃を中止せねばならなかった。

 だが、それでも数の差は如何ともし難い。

 思ってもみない方向からの襲撃と、少数ながらも突進力の在るガイドガ氏族の突撃は、アリエノール隊を大いに混乱に陥れた。だが、アリエノールの補助に徹し、常に一歩引いた立場で指揮に携わる副長の存在により、ラーシュカの思惑通りとはいかなかった。

「奴らは必ず南西へ抜ける! そこを狙い撃てばいい!」

 副長ユアン・エル・ファーランらの冷静な指揮により、ガイドガ氏族は本隊とは反対方向へと追いやられる。

「ちぃ、小癪な!」

 ユアンの組んだ陣形から、合流しようとすれば全滅させられる危険をラーシュカが感じ取った為だ。態と一か所だけ隙を見せた包囲陣。そこに向かって逃げろと、誘うような配置。先陣に立ちながら瞬時にそれを見て取ったラーシュカの勘の冴えは流石の一言であったが、かと言って逆転の手段が即座に思い浮かぶことはなかった。

 包囲の固い部分を力技で抉じ開け、脱出を図るしかなかった。少なくない犠牲を払いながらも脱出に成功する。

「ラーシュカ殿、ご無事か!」

「おう、ギ・ガー!」

「申し訳ない。助かりました」

 アランサインを本隊へと走り抜けさせたギ・ガー・ラークスは、単騎で群がるような聖騎士団の間を擦り抜け、ラーシュカと並走する。

「いや、それよりも……貴様もさっさと行け。此処は我らの戦場だ。折角、宿敵も居ることだしな」

 隻眼の悪鬼が猛々しく笑う視線の先には、復讐を誓う鉄牛騎士団の姿。

「ですが、このままでは……!」

「小僧! 貴様、誰に物を言っている!?」

 勇猛果敢にして如何なる敵にも物怖じしないギ・ガーをして、ラーシュカの気迫は瞠目に値する。僅かに気を呑まれたギ・ガーの隙を突いてラーシュカの手が動く。

「行け!」

 ギ・ガーの騎獣の尻を叩くと、悲鳴を上げる騎獣はギ・ガーの意志に反してラーシュカから離れていく。ギ・ガーの視線の先でガイドガ氏族は鉄牛騎士団の鼻先を掠めると、本隊とは反対方向へと進路を取る。その先に見えるのは小高い丘と切り立つヘルムズ渓谷。

 嘗てクザンの語った、始祖たるガイドガの終焉の地が見下ろせる小高い丘の上にラーシュカは向かったのだ。

「くっ……」

 ラーシュカを追おうとしたギ・ガーに迫る聖騎士団アリエノール隊。自身の無力を感じながら、ギ・ガーは騎首を返す。

「済まぬ! ラーシュカ殿、必ず援軍を連れて戻る!」

 早まった真似はしてくれるなと心中で念じながら、ギ・ガーは本隊へと駆けた。


◇◇◇


 小高い丘の上に陣取ったガイドガ氏族は、攻め寄せる鉄牛騎士団と聖騎士団アリエノール隊の攻撃を、それでも1日耐え忍んだ。驚異的な戦闘能力であるが、追撃の兵士は増える一方であった。後続の部隊が到着する度にラーシュカの陣取る丘を包囲する陣は厚くなり、文字通り蟻の這い出る隙間もない程となっていった。

 ラーシュカを始めとするアルロデナの者達には思いもつかないことだったが、勇者の出現によって辺境都市バークエルらの民が義勇兵と化した。老人も、子供も、女も関係なく、無尽蔵と思しき勇者の齎した武器を手に、戦線に加わっていたのだ。

 そして赤き姉妹月が天に輝く時刻になり、ラーシュカは敵の血で全身を赤黒く濡らして手頃な岩に腰掛けていた。眼下には鎧を着た敵の群れ。篝火に反射する鈍い光から、その総数は凡そ三万に近いであろうか。

 僅か300にまで減ったガイドガ氏族に人間側がそれだけの兵を差し向けて来たと思えば、我ながら大したものだと思わないでもない。

 後ろを振り返れば、己が率いた氏族の戦士達の姿。無傷な者など皆無だが、それでも彼らは一言も発さずラーシュカに従う。

 痛みに軋む身体を見下ろせば、昼間の戦いで脇腹に受けた傷から未だに血が流れ続けている。全身に浴びた敵の血で目立ちはしないが、聖女の加護にでも縋らねば助かる見込みはないだろう。

 そこまで考えて、口元に自虐の笑みが浮かぶ。

 ここまでか。喉元まで出かかった言葉を飲み込む。己が弱気でどうすると心に叱咤激励を送っても、応える気力が湧いてこない。

 まるで、受けた傷から命と共に戦意が溢れ落ちてしまったかのようだ。そう考えると、激痛に顔を歪めるのを取り繕うことさえ億劫になってくる。

 人間は強い。

 あれ程叩いてやったにも関わらず、尚もこれだけの兵力で対抗してくるのだ。このアーティガンドなる国に入ってからというもの、戦っても戦っても、まるで無尽蔵のように兵士の濁流が押し寄せてくる。

 終わりの見えない戦いに疲労困憊したラーシュカは、強靭な筈の心に魔が指していた。

 ──我らでは勝てないのか?

 ラーシュカの心に諦観が忍び寄り、その逞しい顎骨に支えられた口から苦悶の声が漏れる。

「ぬぅ……」

 激戦に次ぐ激戦。そのあまりの疲労に、流石のラーシュカも僅かな微睡みに瞼を閉じる。痛みよりも疲労が勝っているのが、救いといえば救いだった。

 ──よくぞ、ここまで戦った。

 不意に、ラーシュカの耳に声が聞こえた気がした。

 聞くことも叶わぬ筈の雄々しくも偉大な声。それは懐かしさと共に古き憧憬を思い出せる声だった。思わず目を開き、後方に広がる渓谷へと振り返る。

 そこには、嘗て物語に聞いた始祖ガイドガの勇姿があった。幾多のゴブリンを従え、手にした棍棒を振り上げて鼓舞するガイドガ。その光景が、確かにラーシュカの眼前に広がっていたのだ。

 ──我こそはゴブリン最強のガイドガ! 我に続きし戦士達よ! 滅び行く者の意地を、遍く天地に響き渡らせようぞ! いつか必ず、我らの子孫はこの地に戻ってくる! 我らの仰ぐ冥府の女神と共に、いつか必ず、我らの名と共に!

 浅い眠りから醒めたラーシュカは、もう一度後方に広がる渓谷に視線をやったが、そこには闇の女神の翼に覆われた暗闇があるばかり。

「……夢、か」

 言葉に出してみたラーシュカは、そこで初めて濛々たる戦意が己が胸の内から湧き上がってくるのを感じた。

「否……夢などであろう筈がない」

 戦意を滾らせた猛々しい笑みが、ラーシュカの口元に浮かぶ。

 始祖たるガイドガが、己の不甲斐なさを叱咤激励してくれたのだ。

「そうとも、夢などであろう筈がないではないか!!」

 立ち上がったラーシュカの身体に満ち満ちるのは、生涯最高の溢れんばかりの気力であった。座っていた岩に青銀鉄製の棍棒を突き立てると、ラーシュカはこれまで付き従って来た氏族達に向かって声を張り上げた。

「同胞達よ! 戦友達よ! 見よ、我らが先祖の眠る地ぞ!」

 指差す先には、ガイドガ氏族の由来となった始祖の眠る地、ヘルムズ渓谷の深い闇が広がっている。

「嘗て我らが始祖たるガイドガは言った! 我らは必ずこの地に戻ってくる! 我らの冥府の女神と共に、と! そして我らは、今その先祖の言葉を実現した!」

 咳き一つなくラーシュカの声に聞き入るガイドガ氏族達。ラーシュカが演説することなど滅多にない。ただ、己の背を追えとばかりに猛然と先頭を走るのが族長であり、ラーシュカであった。

「数多の人間達の攻勢を防ぎ止め、我らを深淵の砦へと導いた誇りある先祖の前で、我らは無様な最期を遂げるのか? 否だ! 我が身に宿るのは冥府の女神の加護! 死して尚、冥府の門は我らを誇り高き戦士として迎え入れるだろう! 故に──」

 ラーシュカの視線の端に地平の彼方から土煙が見える。僅かに数百騎。手勢を掻き集めたギ・ガーであろう。己の命を賭してラーシュカ救援に駆け集った者達の姿に一瞬だけ頬を緩め、瞬時に引き締める。眼下に見下ろす紋章旗は、鉄に四連盾のエルファ重騎士団。

 手ぐすね引いて待ち構える鉄牛騎士団を棍棒の先に指し示す。

「──故に、我と思わん者は我が背に続け! 冥府の女神の加護ぞある!!!」

「グルウゥゥォオオアアオオオオオオオ!!」

 吠え猛るガイドガ氏族の猛者達は、小高い丘の上の陣地を捨てて一団となって逆落しに駆け下る。傷付いた者も、疲労した者も、狂ったように咆哮を挙げて先頭を走るラーシュカを追う。

 ラーシュカの放った黒光が大地を砕き、鉄牛騎士団の先頭に突き刺さる。

「来るぞォ! 迎え撃て!!」

 即座に反応してみせるのは、勇者の意志に呑まれながらも自らの権能を使いこなすラスディル。鉄牛騎士団はガイドガ氏族が迫ってくると同時に徐々に後退を始め、左右から挟むように義勇兵を前進。囲み込むように部隊を展開させると同時、聖騎士団3番隊の魔法攻撃で進路を塞ぐべく弾幕を降らせる。

「温いわ!!」

 弾雨の中を一片の躊躇もなく駆け抜けるガイドガ氏族。数は減っても、その勢いは衰えることを知らない。

「圧殺せよ!」

 ラスディルの号令と共に義勇兵が動き、走るガイドガ氏族の横腹に喰らい付く。

「擦り潰せ!」

 ユアンの号令で、走るガイドガ氏族の頭上に更なる魔法弾と投槍が降り注ぐ。

「ラーシュカ殿! 間に合わなかったか……っ!」

 駆けるギ・ガーの視界の先で槍と魔法弾が降り注ぎ、ガイドガ氏族達の姿を見失う。だが次の瞬間、高々と空中に吹き飛ぶ完全武装の人間の姿を見て、ギ・ガーはラーシュカの健在を知る。

「グルウオオオオオオ!!」

 まるで鉄の海を割るように、吠えるラーシュカに率いられたガイドガ氏族の突進は止まらない。片手に青銀鉄製の棍棒を振り回し、もう片方の手で敵の頭をヘルムごと握り潰す。最後尾に構える敵の総大将(ラスディル)を目指して、その猛進は続く。

 進む度にラーシュカに付き従う氏族は減っていく。

 弾雨を越えて200。義勇兵の挟撃を越えて更に100。鉄牛騎士団の構える鉄の海の中を突き進む中で、その数は既に50程になっていた。

 ラーシュカ自身も、既に致命傷を幾度も負っている。大腿部に突き刺さった槍の穂先。横腹に差し込まれた長剣は飽くこと無く血を流し続け、肩口に斬り付けられた傷によって片腕は死んでいる。だが、それでも隻眼の悪鬼は止まらない。

「グルオオオオオオオオオオオアァ!」

 鉄牛騎士団の半ばに到達した時点で、その残存兵力50も既に残り20を切っていた。

 突き刺さる槍が、振り下ろされる剣が、ガイドガ氏族を削っていく。呼吸の苦しさに、傷の痛みに足を止めてしまえば、そこに待っているのは死しかない。だが、前に進むのもまた傷を増やすことに変わりはないのだ。

 繰り出される槍列を振り払い、盾を翳す敵を叩き潰す。

 だが、流した血はあまりに多い。それは類稀な巨躯と溢れる気力を持ち合わせたラーシュカとて同じであった。踏み締めた地面が血糊で滑る。僅かに姿勢を崩したラーシュカへ、幾本とも知れぬ槍が突き入れられる。

「グルオオオオオオオアオオアアアアァァア!」

 ラーシュカを庇って、更に氏族達は減る。

 全身を敵の返り血と己の血で濡らしながら、尚もラーシュカは前進を止めない。どころか、前以上の速度で走り始める。既にラーシュカに従うガイドガ氏族は5匹。

 吠える度に傷口から血が噴き出る。

 だが、叫ばずにはいられない。誇り高き始祖の誓いを胸に、ガイドガの名を継ぐ者は戦場の鬼となって駆ける。そうしてようやく見えたラスディルを前に、横合いから降り注ぐ魔法弾の雨。

 既に握力のない腕を盾にし、更に進む。

 千切れ飛ぶ片腕を無視し、棍棒を振り上げる。

「掛かったな!」

 歓喜の声を上げるラスディル。その言葉と共に背中に衝撃が疾る。片方しか無い目で見下ろせば、頑強な己の身体を貫く飛槍。十字砲火の只中へ踏み込んだラーシュカに投槍と魔法弾が降り注いだ。ラーシュカは、周到に組まれた必殺の間合いの中へと、知らず突入してしまったのだ。

 僅かに振り返った視線の先に、背中を守る氏族は最早誰も居なかった。

 遂に精根尽き果てたのか、ラーシュカは膝を突く。

「魔物には思いもつかぬ方法であろう」

 哄笑を挙げるラスディルが、膝を突いたラーシュカの心臓に短槍を突き入れる。

「これで終わりだ! 我が同胞の無念、思い知れ!」

 心臓を貫き、背中まで深く貫通した手応えに、ラスディルは会心の笑みを浮かべる。だが、直後にそれは驚愕に変わった。

「──やっと、間合いに入ったな」

 冥府の底から響くような声で、ラーシュカの残った腕が棍棒を振り上げる。

「バカな……! 貴様、不死身か!?」

「我はラーシュカ! ミーシュカが一子にして、最強のガイドガを継ぐ者!」

 一息に棍棒を振り下ろし、呆然と見上げるラスディルの頭を叩き潰す。

 棍棒を杖にして立ち上がると、声も無く静まり返る戦場を見下ろし、ラーシュカは最後の力を振り絞って棍棒を掲げた。

「……我ら、の、勝利……だ!」

 死にゆくラーシュカの隻眼には付き従った者達が咆哮を挙げる姿。耳には彼らの歓声が確かに聞こえていた。

 王暦5年、初夏の頃。ガイドガ氏族の族長ラーシュカは、その氏族の戦士達と共に偉大なる戦死を遂げた。


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