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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
遙かなる王国
357/371

神威乱舞

「へえ? やるね」

 楽しそうに笑う勇者の声音は、押されている戦況を見てのもの。

 プエルに指揮された黒き太陽の王国(アルロデナ)全軍は、眼前に広がる神聖帝国アーティガンドに攻撃を仕掛けていた。指を鳴らすだけで進軍を宣言した勇者を目指して、ギ・グー・ベルベナ率いる斧と剣の軍(フェルドゥーク)の投槍が迫る。

 だが、当然それが勇者にまで届く筈がない。

 全速力と言って良い速度で、アーティガンドの歩兵が勇者を守るように陣形を作る。ゴブリンの王と一騎打ちを継続する勇者を中心として、円状に広がる陣形だった。

 その一糸乱れぬ動きに、ギ・グー・ベルベナは未だ嘗て無い強敵の存在を知る。全軍の右翼から攻め上げるのは、ギ・ギー・オルドの双頭獣と斧の軍(ザイルドゥーク)である。

 魔獣を使役する獣士を中心として編成されたザイルドゥークの攻撃は、ただ只管に押すという単調なものであったが、数に物を言わせた波状攻撃は並み居る強敵を打ち倒すのに充分な筈だった。

 だが、その魔獣達の合間を縫うように、文字通り蹂躙する勢いでアーティガンド側から現れた獣の姿がある。白い毛並みに人間の2倍はあろうかという巨躯。視線を向けるだけで周囲の魔獣は勢いを無くし、唸り声を上げるだけで数に勝る魔獣達が怯えて進まない。

 白き銀の巨狼。

 雄々しく立ち塞がる銀狼が、襲い来る魔獣を食い千切り、吹き飛ばし、叩き伏せる。

 そして、それは一匹ではない。視認できるだけで30匹。最前線で暴れ回る白き銀狼相手に、ザイルドゥークの攻勢は殆ど止められてしまっていた。

 だが、一正面が膠着したからと言って、それで攻撃の手を緩めるプエルではなかったし、それは各将軍達も同様だった。

「ギ・ガー殿を最左翼から突撃させます! 合図を!」

 機動力を活かした一撃離脱で敵軍全体の注意を引き付ける。それと同時に、ギ・グー・ベルベナ率いるフェルドゥークが勇者を囲む槍列と会敵した。真正面からぶつかり合うフェルドゥークと勇者の軍勢だが、技巧においてはフェルドゥークが一枚上をいった。

 力だけなら互角。

 勇者の力によって強化された人間達は、並み居るゴブリンと同等かそれ以上の身体能力を獲得していた。ただ、戦場を経験している者の数が少なかったのだ。

「長槍は叩き合いにまで持ち込め! 剣兵は槍兵の隙間を縫え! 投石隊、準備はっ!?」

 直率の5000ものゴブリンを率いるギ・グーは声を荒げて命令を下す。彼自身、敬愛する王の危機であると肌で感じるからこそ、いつも以上に指揮をする声に力が入る。

 戦奴隷の人間達に運用させている投石機は、照準までもう少し時間が掛かりそうだった。そうしている間に最前列の長槍兵が敵の槍列とぶつかり、激しい叩き合いになる。彼ら最前線の直ぐ後ろでは、剣兵隊が装備していた投擲槍を構え、一斉射撃を放っていた。

「ッチ! 崩れんか!」

 常の敵ならば多少の動揺を誘える筈の攻撃も、勇者の軍勢相手では全く動揺を誘うことが出来ない。投槍で貫かれた者も平然と槍列に加わり続け、突然糸が切れた人形のように力尽きて倒れるのだ。

 そして、崩れ落ちた人間の隙間を他の兵士が直ぐに埋める。

 異常な統率力であった。しかも、指揮をする勇者はゴブリンの王と一対一の決闘の最中である。その状態でどうやって兵士達の動きを統制出来るのか。或いは別に指揮者が居るのだろうか?

 ギ・グーは訝しがりながらも、部下を叱咤激励して攻勢を強める。

 それと呼応して、ギ・ズー・ルオとギ・ヂー・ユーブも、それぞれギ・グーを補助する形で兵を動かす。

 西方から東方へ駆け抜ける嵐の如くに立ち塞がる国々を打倒してきたアルロデナの軍勢の攻勢は、ここから更に変化する。受け止められた右翼のザイルドゥーク、ぶつかり合う中央のフェルドゥークと(レギオル)、そして千鬼兵(サザンオルガ)。左翼の虎獣と槍の軍(アランサイン)は、迂回を試みつつ同盟軍を前線に誘い入れる。

「弓に火矢を! 投石に油を塗って炎石に!」

 簡単な指示だけ出すと、同盟軍随一の名将たる若きヴィラン・ド・ズールは戦況を注視した。敵の一部の隙もなく揃った槍先、掲げる盾の高さすらも同じ。その有様に瞠目すると同時に命令を下す。

「油……放て!」

 投石部隊が、油で満たした大壺を火矢を打ち込んだ地点目掛けて投擲する。瞬く間に燃え広がる炎の海。だが、全身を火達磨にされながらも勇者の軍勢は崩れない。

 最早、統制が取れているなどという話ではない。全身に火傷を負った者の隣で、兵士達が平然と槍を構えているのだ。

 呪いじみた強制力が掛かっているとしか思えなかった。

「遠距離からの攻撃に終始し、近付くなら防御を!」

 中央で攻防を交わすフェルドゥークと敵の槍兵達の戦いを横目で見ながら、ヴィランは消極的な戦法に切り替えざるを得なかった。普通の人間では、真っ当に戦って無事で済む筈がない。

 若き英雄をしてそれほどの判断を下さざるを得ない程、敵は異常であったのだ。

「怖気づいたか」

 同盟軍が無用の混乱を嫌って距離を取ったのに対し、積極的に前に出る集団もある。前に出ようとしない同盟軍を横目で睨みながら、ラーシュカは舌打ち混じりに前進を命じる。

 ギ・ゴー・アマツキ率いる剣士隊及びガイドガ氏族達は、少数を以って多大な戦果を上げることを目的に設置された特務部隊である。

 その中でも特に攻撃力に特化した彼らが前に出て来るということは、王を救う為の機は熟しつつあると判断されたからに他ならない。

 地上で激戦が繰り広げられる中、空中でもまた戦いが繰り広げられていた。

「おのれ、羽蜥蜴共めが!」

 怒りの咆哮を上げつつ火炎を吐き出すのは火炎龍ドゥーエ。主たるガウェインの意を受け、ゴブリン達に協力している。彼の周囲を飛び回るのは、飛竜騎士団である。

 号令すらなく一糸乱れぬ動きで編隊を組み、ドゥーエの火炎すらも易々と避けて飛翔と降下を繰り返す彼らの動きは、飛竜を完璧に操っているようだった。

 500騎からなる残存の飛竜騎士団だったが、戦場に出てドゥーエの相手をしているのは300騎に過ぎない。炎の槍を形成し、尾を振り乱すドゥーエに、数の利でもって当たる飛竜騎士団。10騎程の飛竜が編隊を組んでドゥーエの注意を引き付けると、尾の方から別の編隊が攻撃を仕掛けてくるのだ。

 力は圧倒的にドゥーエが上だが、組織的な飛竜騎士団の攻撃に完全に翻弄されていた。ドゥーエのそんな様子を地上から見上げながら、ギ・ザー・ザークエンドは眉を顰めるだけだった。

 戦況が動いたのは、特務部隊たるガイドガ氏族と剣王ギ・ゴーが率いる剣士隊が最前線に到着した頃だった。槍での叩き合いを演じるフェルドゥークの左翼方向。同盟軍が距離を取りつつ敵を牽制する中を騎虎の勢いで敵陣に向かって突進する。

 その衝撃力を以って、槍列を深く食い破ったのだ。

「雑兵が、我が前に立つな!」

 暴威の化身たるラーシュカの怒りの声と共に、冥府の女神の加護を受けた黒光が兵士達を薙ぎ倒す。

「首を狙え。刎ねれば敵は止まる」

 一撃で敵の首を刎ねたギ・ゴーが、次の敵を斬り倒しながら指示を出す。

 特務部隊による突破口を開いたアルロデナの軍勢は、それを起点として更なる攻勢を仕掛ける。右翼側のギ・ギーが担当するザイルドゥークと正面の膠着は仕方ない。そう割り切った上で、動いた戦況に最も早く反応したのはアランサイン率いるギ・ガーであった。

「突撃、用意!」

 掲げる槍の穂先が指し示すのは、特務部隊が楔を入れた部分の後方である。

「狩るぞ!」

 対歩兵ならば抜群の相性を誇る戦乙女の短剣(ヴァルキュリア)の盟主ファルが長剣を掲げて部下を鼓舞すれば、負けじと誇り高き血族(レオンハート)の副盟主たるザウローシュも鎌槍を掲げて並走する。

 土煙を巻き上げて疾駆するアランサインが、ギ・ガーを先頭にして両翼にファルとザウローシュの鋒矢陣を取る。距離が縮まった時点でファルの長剣が振り下ろされると、号令と共に後方から降り注ぐ火炎弾の雨。

「進め!」

 巻き上がる炎を突き抜けて疾走するアランサインが、敵陣に斬り込んでいく。ナイフでチーズを裂くような勢いのまま敵陣を切り裂いたアランサインは、中央で方向を転換。思いの外崩れぬ敵陣を崩壊させるべく両翼を別の方向に動かしながら、ギ・ガー自身は主力を率いて後方へと駆け抜ける。

 普通の敵ならこれで崩れる。

 騎兵の突撃を受け、内部を蹂躙された時点で勝負は着く筈だ。だが、それでも勇者の軍勢は崩れない。

 態勢を立て直すべく後方へ離脱したギ・ガーは方向転換して両翼のファルとザウローシュと合流を図ろうとし、視線を敵陣に向けた先で驚きの光景に目を開く。

「まさか」

 突撃し内部を充分に蹂躙した筈の敵陣から、ファルとザウローシュが追撃を受けているのだ。軍勢が、まるで一つの意思を持つ軟体動物のようにどこを斬っても崩れることがない。そして止めを刺さない限り攻撃力を失わず、戦を継続する。

 恐ろしく不気味な魔物を想像したギ・ガーは、即座に思考を切り替えると追撃を受ける両将を救うべく態勢を整えた自軍を動かした。

 それでも、一時的にせよ敵軍の中央付近を荒らし回ったアランサインのお陰で前方に対する圧力は大いに弱まった。倒れれば直ぐに補充兵がそこを埋める状態から多少マシになった程度だが、それでも機を見るに敏な各将軍級ゴブリン達には好機である。

「ガイドガ氏族にばかり、良い格好をさせるな!」

 自身も最前線に躍り出ながら長槍を振るったギ・ズーは、手下を鼓舞しながらアルロデナで三指に入るであろう突破力を遺憾なく発揮する。

「ギ・ズーの正面に火力を集中してやれ!」

 ギ・ザーの号令に従って、祭祀(ドルイド)で構成された魔法兵達が一点集中の風弾を撃ち放つ。降り注ぐ雨となった風弾は敵の防御を突き崩し、武器を圧し折り、ギ・ズーの突撃を援護する。

 そこまでの戦況を見たプエルは、傍らのギ・ベー・スレイに短く命じた。

「ギ・ベー・スレイ殿、王の奪還を!」

「承った!」

 黒き太陽の紋章旗を掲げるギ・ベーの後ろに従うのは、王の近衛達である。

「ははは! 流石にこれは拙いね」

 押されている自軍の様子を眺める勇者は、嬉しそうに笑う。

 ゴブリンの王の渾身の攻撃を受け止めて平然と笑う勇者は、その笑みの形を嘲笑に転じて指を鳴らした。

「さて、もう充分だろう。これからは僕の時間だ」

 空中に描かれる巨大な魔法陣。赤き線が空中を奔ると、それが形を変えて門となる。戦場を覆うその光景に、目撃した者達は唖然として見入るしかない。嘗てリュシスで顕現したものの数百倍の規模で展開される転移の門。

 竜の咆哮の如き音を立てて門から姿を現したのは、巨大な船であった。

 荒海に乗り出す造形はそのままに、上空の風を受けて帆を張る姿は勇壮である。漕ぎ出すのは遥かな海ではなく空という戦場。舷側に並ぶのは、砲門ではなく無数の槍。その槍一つごとに異なる種類の魔法弾が撃てるようになっている。

 艦橋に並ぶのは、魔力を多分に含んだ宝玉を中心に据えた砲撃装置。内部に竜眼を組み込んだその構造は、神代に存在したとされる神々の大戦の遺産である。それ自体が非常に有用な武器となり得る竜の身体。竜眼は、その中でも特に優れた素材であった。

 敵の陣地に切り込んでいた特務部隊とギ・ズー率いる千鬼兵も、その攻勢を止められる。

「──勇者様の敵は殲滅する」

 立ち塞がるのは少女の姿をした何かだった。百戦錬磨のギ・ゴーをして立ち止まらせる何かを内包する少女は、一振りの剣を構えると口元に歪んだ笑みを浮かべた。

 剣王たるギ・ゴーをして、その初太刀は見えなかった。反応出来たのは、不意の危険に身体が反応したからに過ぎない。刃を合わせた瞬間に弾き飛ばされる身体。何度か地面を転がり止まったギ・ゴーは、すぐさま身体を起こす。

「貴様、何者だ?」

「私は勇者様の剣。それだけ覚えて死んでゆけ」

 瞳に意志の力はなく、それだけに感情を読むことが出来ない。鮮やかな緑色の髪に、折れそうな程細い手足。どう控えめに見ても痩せた人間の娘だ。とても力ある剣士には見えない。

 だが、強い。

「──立ち塞がるのなら、斬って捨てるのみ」

 細い息を吐き出したギ・ゴーは最大限の集中力で現出した敵に向き直る。だが、それだけで彼らの進撃は止まらざるを得なかった。

 同じく暴れるラーシュカの前に姿を現したのは、鉄牛騎士団のラスディルであった。以前から人間にしては大柄だったが、その身体は一回り大きくなっている。纏う鎧も、対魔・対防刃に優れた青銀鉄(スリラナ)を組み込んだ逸品だ。

 握る武器は、精霊の加護を宿した短槍。

「貴様、あの時の人間か?」

 無造作に踏み込んだラーシュカの一撃を真正面から受け止め、ラスディルは笑った。

「見よ、魔物共! ふははは! 力だ! これが、これこそが、祖国を復興する為の、貴様らに復讐する為の力だ!」

 短槍に纏わり付く風の刃がラーシュカを切り刻む。吹き出す血潮に驚愕するラーシュカを更に押し込み、吹き飛ばす。

「くははは! 良かろう、相手をしてやる! 久々に血沸き肉踊るぞ!」

「死ね、魔物め! 死んで勇者様の力を思い知れ!」

 凶悪に笑うラーシュカと同じく凶猛に笑うラスディルは、互いの武器を打ち合わせた。

 アルロデナの中でも突出した力を持つ2匹と互角の力を持ち合わせる勇者の軍勢の投入は、戦線を一変させた。

 押し込んでいた筈の戦線は瞬く間に防戦一方となり、突出した戦力の蹂躙にただ耐えるしかないという状態にまで追い込まれる。それは戦術では動かし難い、兵器による戦略規模での奇襲であった。

 そして、それは空でも同様であった。

「飛翔艦だと!? おのれ、敵は貴様らかっ!」

 一瞬でそれを言い当てた火炎龍ドゥーエは、攻撃を転移の門から現出した飛翔艦に集中させる。嘗ての神々の大戦で一度ならず見た覚えの在る空飛ぶ船。400年前は遠目に見るだけだったが、敵であるという認識だけは変わらない。

 ドゥーエは空を染め、地を刳り、地形を一変させる威力を込めた炎の槍を形成する。

 その数12本。

 火炎龍と呼ばれる自身の魔素を惜しみなく注ぎ込んだ最大規模の攻撃である。もし地上に降り注げば、地上に集った全軍を焼き滅ぼせるであろう威力を込めた攻撃を飛翔艦に向かって放つ。

 だが、放った12本の炎の槍は飛翔艦に到達する前に掻き消える。

「対魔障壁!? だが──」

 驚愕すると共に追撃を放とうとしたドゥーエの目の前で、魔導砲がドゥーエに照準を合わせる。竜眼により蓄えられていたマナの力が宝玉に伝達し、それを砲撃装置として活用したのが魔導砲である。ドゥーエの二度目の炎の槍の斉射と魔導砲の砲撃は同時。

 ぶつかり合う龍と竜の力は拮抗し、雲を消し飛ばして大気を震わせ、地上に余波を齎す程だった。そして、目も眩むような爆発の後には傷付いたドゥーエの姿。

「おのれ……!」

 飛翔艦には傷一つ無く、後方の飛翔艦から飛び立つ飛竜200騎。

 彼らが手にするのは、竜槍と呼ばれる伝説級の武器である。竜の牙を素材とし、如何なる魔法障壁をも削り取ることを目的として開発された突撃槍。如何な龍鱗とて、この槍で削れぬ道理はない。

 姿勢を崩し、群がる飛竜騎士団からの攻撃で傷を増やすドゥーエ。

 戦況は完全に逆転した。


◆◇◆


 それは遥か過去の記憶である。

 冥府の女神(アルテーシア)を奉ずる軍勢と、国産みの祖神(アティブ)を奉ずる軍勢が、地上の覇権を賭けて争っていた時の記憶。

 冥府の女神の率いる軍勢は強かったが、少数であった。

 黒き炎を操る一つ目蛇。数多の戦場を駆け抜け、“戦の先触れ”、“戦火の運び手”と呼ばれた一匹の蛇は、常に戦陣の先にあった。空には“雷雲を統べる者”と呼ばれた翼なき空蛇が、空の支配権を賭けて竜達と対峙する。

 “腐敗の主”と呼ばれた双頭の水蛇は海中を無人の野を行くが如くに進み、“大地を割り進む者”たる土喰らう大蛇は山を潰し、地形を変えながら巨人族と争った。

 そして冥府の女神に従うのは、雑多な諸種族。

 一度目の神々の大戦において、冥府の軍勢対地上の軍勢という構図は、既に成り立たなくなっていた。冥府から流れ出た軍勢は地上で命を得て繁殖し、生存競争という新しい争いの中に巻き込まれていたからだ。

 初代冥府の女神(ディートナ)の時と違い、冥府の軍勢が極々少数であったのは、冥府に嘗て程の軍勢が居なかったからだ。アルテーシアに従ったのは、嘗ての勇気の女神(アルテーシア)と共に冥府に攻め入った軍勢の生き残りである。

 勇者と呼ばれた者も居た。賢者と呼ばれた者も居た。或いは英雄、或いは魔道士、或いは騎士。アルテーシアは数多の者達を率いて冥府に攻め入り、多くの犠牲を払いながら初代冥府の女神(ディートナ)を陥落させたのだ。

 そして、それ故に冥府の軍勢は極々少数でしかなかった。

 人間達の神話では嫉妬に身を焦がし、復讐の為に剣を取ったとされるアルテーシアだったが、二度目の冥府からの侵攻において主力を為したのが人間達であったのは、二度目の大戦の意味が妖精族や亜人達をも巻き込んだ生存競争の色合いを帯びていたからに他ならない。

 眷属神達を率いる冥府の女神に対抗する為、アティブを中心とした軍勢が投入したのは神獣と呼ばれる獣と、聖人と呼ばれる超人的な力を持つ人間達だった。

 アティブを中心とした神々が勇者を送り出さなかったのは、何もアルテーシアを見くびっていたからではない。そもそも勇者が出現しなかったからだ。勇気を統べるアルテーシアが反逆した為、彼女が認めない者は勇士ではあっても勇者ではなかった。

 勇者は特別な存在である。勇気の女神の加護を受け、人を導く。

 それ故に勇気の女神に反逆された祖神アティブを筆頭とする人間の神々の側に勇者は存在せず、アティブ率いる軍勢の苦戦の原因となっていた。そこで登場したのが神獣と聖人である。

 創り出したのは、武器と魔法の神グルディガ。

 様々な武器と魔法を作り上げたグルディガだったが、その当時、彼が心血を注いだのは生命ある武器の創造である。持ち手を選ばぬ究極の武器を作ろうとした彼が生み出したのが、神獣と聖人であった。

 戦場を蹂躙する神獣の群れ、人を超えた力を持ちながらも神々に絶対服従する聖人。

 肉の焦げる匂い、吹き出す血潮の味、そして何より高ぶる戦意を感じ取り、“戦の先触れ”たるヴェリドはゆっくりと瞼を開いた。

「……」

 目の前に見上げるは、常に彼らを見守る至高の女神。

「往くのか?」

「誓約の時は今、ここに」

 頷く女神。優しさを湛えた瞳で、常に付き従ってきた忠実なる神の一柱を見守る。

「では、命じよう」

 玉座から立ち上がる凛々しき女神の姿に、黒炎の化身たる一つ目蛇は深く頭を垂れた。

「その身を長き蛇の戒めから解き放たん。冥府の底に沈もうとも、その在り方は何一つとして損なわれることなし。我が忠実なる下僕にして先陣の矛先! 我が戦の先触れ!」

 朗々と響く女神の声に、頭を垂れていたヴェリドの姿が変化する。

 長い黒髪を腰まで伸ばした、片目に眼帯をした女だ。片膝を突き、真摯に祈りを捧げる彼女は、嘗ては勇者とも聖女とも呼ばれた人間。

 身に纏う鎧は必要最小限。腰に佩いた短剣は、女神の敵対者を数多葬り去った神具。閉じた瞼の上からでも分かる整った美貌。引き締まった身体には古き傷跡が刻まれ、歴戦の貫禄を醸し出す。

 その傷跡さえも彼女の美貌を損なうものではない。寧ろ、彼女をより気高き存在へと押し上げている。

「顔を上げよ。我が愛しき娘」

 ただ一つ残った黄金色の瞳を輝かせ、最愛の主を見上げる眷属神の姿には、揺るがぬ決意が宿っていた。

「我が名において命ずる! 地上に再び、我らの戦を告げるのだ!」

「古き誓約の下に我が誇り、我が──戦神(ヴァイシュラ)の名に懸けて、御身に勝利を!」

 最早戻らぬと知って、冥府の女神は出陣する眷属神の背中を見つめていた。

 戦神が告げる、神々の大戦の幕開けである。

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