リュシス平原の戦いⅢ
【種族】ゴブリン
【レベル】92
【階級】インペリアル・大帝
【保有スキル】《混沌の子鬼達の覇者》《叛逆の魂》《天地を喰らう咆哮》《剣技A−》《覇王の征く道》《王者の魂》《王者の心得Ⅲ》《神々の眷属》《覇王の誓約》《一つ目蛇の魔眼》《魔流操作》《猛る覇者の魂》《三度の詠唱》《戦人の直感》《導かれし者》《混沌を呼ぶ王》《封印された戦神の恩寵》《冥府の女神の聖寵》《睥睨せしは復讐の女神》《世界を敵に回す者》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ルーク・コボルト(ハス)(Lv56)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv89)オーク・グレートキング(ブイ)(Lv29)
【状態】《一つ目蛇の祝福》《双頭の蛇の守護》《土喰らう大蛇の祝福》《翼なき空蛇の守護》
一瞬、意識が遠ざかる。
濃厚に漂う血の香り。勝利に沸き立つゴブリン達の声が急に遠くなり、力が抜け出るような錯覚に陥って、慌てて推の手綱を握り直した。
「王? どうかなさいましたか?」
プエルの問いかけに曖昧に頷くと、俺は視線をリュシスに向けた。
「いや、何でもない……」
捕虜にした人間達の抵抗は微弱だった。敵将のグレンダルは最後まで抵抗したが、結局は捕縛することに成功。他の者からの証言と、プエルの築いた情報網から彼が敵国の指揮官であることは割れている。
敵の主力は壊滅した。であれば、グレンダルから降伏を説かせてみるのも一つの手段だろう。如何に敵が高慢と言っても、最早抗う術がないと知れば降伏を受け入れる余地はある筈だ。
何度戦っても、紙一重の攻防になる飛竜騎士。墜落死したそれを見下ろして、俺は舌を巻かざるを得なかった。
まさかこの世界に、航空戦力を活用するという考えを持つ奴が居るとは。
遥か遠くになってしまった感があるが、確かに俺の記憶では空という戦場で数多の命が散っていた。地上から海上、空という立体的な戦場へと変化を遂げるのは、もう少し技術が進歩してからだと思っていた。
だからこそ、ユーシカ率いる翼在る者達には優位があったのだが、それが簡単に覆されるとは。つくづく油断ならない世界だ。
「ドゥーエが居なければ、危なかったな」
未だ頭上に留まる火炎龍を見上げれば、勝利の立役者は遥かに北東を睨んでいるようだった。
勝利の凱歌を上げるゴブリン達の声を聞きながら、何とはなしにドゥーエの睨む方向に視線を向ける。遥か遠くに見える都市リュシスの城壁と……。
「あれは何だ?」
思わず口をついて出た疑問の声に、プエルも眉を顰めて俺と同じものを目撃する。
「──門、か?」
赤く血塗られたような門が、城壁の近くに聳え立っている。
「……」
不穏なものを感じ取って押し黙るプエル。
だが、俺自身はもっと明確に悪寒を感じていた。
何かが、引っかかる。
心の奥底で、硝子を引っ掻くような不快感が声なき声を上げているような、この胸騒ぎ。絶望的な何かを、狂わんばかりに大切な何かを忘れているような焦燥感。
出口の見えない穴蔵に落とされたような気分を味わいながら、それでも俺はその門から目を離せなかった。
◇◆◆
眼前に広がる光景に、敗残の将軍達は呆然とした表情で目の前に立つ勇者を見上げるしか無い。綺羅びやかな武具武装に身を包んだ彼らは、明らかに少年少女だ。年端も行かぬ子供達を率いて、勇者は死したる竜の門を潜り、この地に来た。
「勇者殿……」
声を上げたのはアリエノールが最初だった。
「やぁ、アリエノール。助けに来たよ」
その言葉を皮切りに、アリエノールは崩れ落ちるように膝を突いて両手を胸の前で握り締めて泣き崩れた。先程まで敗残の兵を率いて先頭に立っていた果敢な少女がである。
そして、ラスディルも勇者の前に膝を突く。
「やぁ、ラスディル。無事で何よりだよ」
「面目次第も御座いません」
まるで忠実な臣下であるかのように、誇り高き騎士団長は膝が汚れるのも構わず、勇者の前に頭を垂れた。黒髪の勇者を中心として輪が出来上がる。まるで勇者という一縷の藁に縋るように、彼らは膝を屈し、頭を垂れ、彼を敬う。
生き残った聖騎士達も、それは例外ではなかった。
だが、ただ一人だけ、その光景を気味の悪いものでも見るような表情で眺めている男が居た。
人間の英雄、ガランド・リフェニン。
彼の率いる辺境伯軍ですら、誰も彼も勇者の前に膝を突いて許しと救いを求める中、英雄は傲然と胸を反らし、大剣を地面に突き立てて、勇者に相対していた。
勇者の周りには、まるで大輪の花束のような美しさの少女達が侍る。中には戦にはまるで不向きな村娘のような者まで混じり、周りの状況など一切構わずに競い合うように痴話喧嘩をしている。
ガランドの心中で、猛烈な勢いで膨れ上がる違和感。
ガランドは、言葉で言い表せない違和感に無性に腹が立っていた。いや、それは寧ろ嫌悪に近かった。魔獣共に向けるのは憎悪であるが、この勇者一行にはそれすらも生温いように感じた。
「何なんだ、こいつらは……」
思わず口をついて出た言葉は、ガランドの心からの本音であった。今まさに敗戦から生き延びた男からすれば、当然抱いてしかるべき疑問だった。
「……おや? 君は……」
黒髪の勇者がガランドに目を向ける。ただそれだけで、ガランドですら膝を突きたくなる誘惑に駆られるが、敢えて彼は唾を吐き捨てた。
「……虫唾が走るぜ」
地面に突き立てていた大剣を肩に担ぐと、大股で勇者に近寄る。
勇者に頭を垂れ、膝を突く者達を蹴り飛ばし、大剣の間合いまで近寄ると、柔らかな笑みを浮かべる勇者に向かって大剣を振り下ろす。
袈裟懸けに走る大剣が風を切り、勇者の頬に浅く傷を付ける。
「へぇ……」
その瞬間、ガランドは勇者の目に獰猛な光が過ったのを見逃さなかった。
「おい、てめえ……何者だ?」
大剣を喉元に突き付けながら問い掛けるガランド。だが、勇者は余裕を崩さない。
「僕は勇者。人間を救う勇者だよ」
「巫山戯んな! 気色わりぃ気配垂れ流しやがって、寝言抜かしてんじゃねえよ!」
ガランドがそこまでやっても、まるで操り人形の如く、膝を付く者達は動かない。跳ね上げるように身体を捻ると、勇者の首を叩き落とすつもりで巻き込むように大剣を振り下ろし──。
その間合いの内側に飛び込む影を認めて、ガランドは寸での所で大剣を止めた。
「──やめて」
緑色の長く伸ばした髪を一つに束ね、凛とした瞳で少女はガランドを睨む。
「……リーザ」
他の者達とは違い、少女は明確に意志を宿した強い瞳でガランドを見上げていた。己の罪過の在り処に、英雄は剣を止めざるを得なかったのだ。
両腕を広げて勇者を背に庇う少女の姿に、ガランドの大剣は止まる。勇者は嘲笑と共に、感情の揺らぎすらも見えない硝子玉のような目で少女の背後から手を回し、少女の細い顎を掴む。
「ああ、ありがとう。リーザ」
それだけで少女の明確な意志は消え、蚊の鳴くような声で少女は頷いた。
「はい。勇者さま」
少女は、頬すら赤く染めて見せたのだ。
にやりと邪悪に歪む勇者の口元。そして、それを見逃すガランドではなかった。
「てめえッ!!」
血を吹き出さんばかりに奥歯を噛み締めたガランドだが、明確な反撃が取れない。勇者と名乗る目の前の男が少女の影に隠れている限り、手が出せなかった。
その高潔さがあったればこそ彼は英雄と呼ばれ、遥か西の国で最高戦力とまで讃えられた聖騎士と呼ばれるに至ったのだ。そして、その高潔さが英雄を縛る鎖になる。
どういう方法なのかは知らない。だが、目の前の何者かは人の感情を操っている。
ガランドがそう結論を下すには充分であった。
「──ああ、そうか。君がガランド・リフェニン……成程ね」
目を細めた勇者がガランドの瞳の奥を覗き込む。何かに納得したかのように頷くと、口元を釣り上げて笑った。
「君は英雄と呼ばれているようだね? 英雄、英雄か。くくっくはははは!!」
まるで感情の箍が外れたように笑う勇者。だが、その目は全く笑っていなかった。作り物めいた瞳が、ガランドを推し量る。
「……ねえ、英雄ガランド。敵の首魁を討ち取って来てよ。英雄なら出来る筈だ」
勇者はリーザの顎を掴んでいた指を動かし、僅かに彼女の首筋に当てた。それだけで、リーザは肩で息をし出す。
「やめろっ!」
「逃げちゃ駄目だよ? 敵から逃げるなんて英雄じゃない。そうだろう? ガランド」
粘りつくような悪意を乗せて、勇者の言葉が英雄を追い込む。
「っか、くっは……」
まるで魚のように口を開閉し、涙すら流すリーザ。だが、それでも彼女は勇者の腕の中から逃れることは出来そうになかった。
「……俺がゴブリン共の親玉を殺せば、その娘を解放しろ」
「ああ、勿論だとも」
まるで愛しい者を愛でるように少女に頬ずりすると、勇者はガランドに向けて邪悪極まりない笑みを浮かべた。
背を向けるガランドは、燃えるような目を遥か前方に見えるゴブリン達に向けた。
「さあ、皆、反撃を開始しよう! 英雄ガランドが先陣を切ってくれる! 彼に続けば、勝利はきっと我らのものだ!」
両手を広げて膝を付く者達に呼びかける勇者。それに従うように、今まで従順に頭を垂れていた者達が立ち上がる。瞳は戦意に燃え、手にした武器を掲げ、気勢を上げる。
「さあ、勇者の祝福を受け取ってくれ! 皆に、勝利の祝福があらんことを!」
歓声が上がるが、ガランドは既に振り返ることすらしなかった。
上がる歓声を聞きくともなしに聞きながら、ガランドは全ての音を耳から追いやり、ただ真っ直ぐに目の前だけを見つめた。
己の宿敵たる、混沌の子鬼の王の姿を探し求めて。
◆◆◆
人間達の住み暮らす領域を遥かに北に超えた北稜山脈では、大地を揺るがし、空すら割れんばかりに怒声を響かせる一柱の神がいた。
「何故だ!? 一体、何者が!」
妖精族の古老から雷雲の中に棲む者と呼ばれる翼なき空蛇である。怒髪天を衝くが如き龍の心情を反映し、雷雲は重き黒色に空を染め、鳴り響く雷鳴と共に雷槌が大地を叩く。
500もの配下を引き連れ、宿敵と相見えようと自らの棲家を出てみれば、宿敵の棲家に残るのは無残に殺された小さな竜の亡骸、ただ一匹。ばら撒かれた大量の血と崩れ落ちた宿敵の牙城の姿に、何が起こったのか想像することは容易い。だからこそ、ガウェインは怒り狂っていた。
400年の間、いつか決着を着けるべく互いに魔素と寿命を擦り減らしながら戦い続けてきた者が、忽然と現れた誰かに倒されてしまったのだ。
好敵手と呼べる存在の消失に、怒りに身を焦がすガウェイン。
「許さぬ、許さぬぞ!」
だが、ガウェインをして竜を殺し尽くした者の正体は分からない。
分からないが故に、彼の怒りは遥か南に広がる大地の先へと向けられた。人間や妖精族、亜人に魔物。その須くを叩き伏せてしまえば、何れ答えに辿り着く。
あまりにも暴力的な解決策だったが、それが最も敵の正体を知るのに都合が良い。大きな力を持つ者は、いつか必ずその力を使うからだ。
「我が宿敵、我が好敵手よ! 貴様を殺した者を、我は許さん!」
遠き星々の神々と幻想の神に誓うように、ガウェインは天空を見上げる。最早空の支配者は亡く、この限り無い空は彼独りの物となった。
何と味気ないことか。何と虚しいことか。
「我は、こんなものを望んでおらぬ! このようなものを、勝利とは呼べぬ!」
気高き神の一柱は、慚愧の思いと共に咆哮した。
◆◇◆
リュシス平原の戦いは、一旦退却した筈の人間側が体制を立て直し、英雄ガランドを先頭に立てて再び攻勢を掛けるところから始まる。敵将を捕縛し、リュシス平原を後にしようとしていた黒き太陽の王国側は、リュシスの街を目の前にして再びたなびく太陽に王冠の旗を目撃することとなったのだ。
「敵の第2陣、ということか」
偵察の報告から敵の接近を知り、すぐさま陣形を整えたゴブリンの王は、軍の中央で太い顎を摩りながら考え込む。
「情報では、彼らに真面な戦力が残っている筈はないのですが……」
傍らに控えるプエルも、どこか自信なさげだった。
「それに、あの門の消失も気になります」
遠目に見えたリュシス近郊に出現した門は、今はもう確認出来ない。
「かと言って、退却する必要はない筈だ。俺達は勝利したのだからな!」
斧と剣の軍を率いるギ・グー・ベルベナは、当然の如くそう主張した。常識的に考えれば、当然ギ・グーの反応が正しい。
「敵の総数に間違いはないのか?」
ギ・ガー・ラークスの問い掛けに、斥候兵を纏めるギ・ジー・アルシルは鋭い視線を向けると、頷きを返す。
「間違いない。凡そ三万の大軍だ。援軍が到着したと考えられる」
この際、どこからどうやって来たのかという問い掛けは無意味と考えたゴブリンの王は、プエルに視線を向ける。
「現に、敵は我らの前に立ちはだかっているのだ。これを撃破せねばならん」
「御意」
「連戦の疲れもあろうが、皆の奮起を期待する」
一斉に頭を垂れる臣下達に頷くと、ゴブリンの王の視線は敵陣へ向くのを避けられなかった。敵に近付くに連れ、魂が叫びを上げているような感覚が強くなっていく。
だが、その声が何を意味するのかまでは思い出せない。
「……先陣は我が切る」
宣言するゴブリンの王に、将軍達の肩が一瞬だけ震える。
「勝利と栄光の女神の歌を、再び我らの頭上に響き渡らせるのだ!」
「御意!」
力強く頷く将軍達は、それぞれの軍に戻る。
「士気は高まったようだな」
「疲労がないとは言えません。同盟軍にも頼ることになるでしょう」
2人きりとなったゴブリンの王とプエルは、敵陣を見据えながら言葉を交わす。
「敵の策は読めませんが、決して油断なされませぬよう」
「無論だ。この先に何が待っていようともな」
幸い、アルロデナの構築した補給線は万全の状態で機能している。後方でバンディガムとヤークシャ、バークエルを抑えた弓と矢の軍から補給が届いていた。
武器と防具、糧食に、補充兵が500程。負傷兵を下がらせ、捕虜も同様に後方へ送る。捕虜を同行させてリュシスに開城を迫る筈だったが、大幅に予定が変わってしまった。
少なくとも、もう一戦して奴らに降伏を迫らねばならない。
中央にゴブリンの王率いる王の騎馬隊を配置し、右翼に虎獣と槍の軍、左翼にフェルドゥーク、最右翼に同盟軍を置くと共に、フェルドゥークの隣には特務部隊が並ぶ。ギ・ヂー・ユーブの軍、ギ・ズー・ルオの千鬼兵、ガイドガ氏族、ギ・ドー・ブルガのドルイド部隊。そして、最左翼にはギ・ギー・オルドの双頭獣と斧の軍。
王を中心とした、左翼に長い翼を広げたアルロデナの陣形。
対するアーティガンドは、鋒矢陣形を取る。明らかに中央突破を狙った形で、その先頭に立つのはガランドと辺境軍だった。
曇天の空の下、両軍は歩みを進める。
両軍は共に距離を詰め、その距離が僅かに400程となった時、アーティガンド側の進軍が止まり、ガランド一人だけが前に進み出る。
途端に捲き起こる騒めきに、ゴブリンの王は目を細めて1人の偉丈夫の姿を認めた。
「……軍使のつもりでしょうか?」
「──いや」
疑問に首を傾げるプエルだったが、自身の弓は手放さない。いつでも狙撃できるよう準備をしながら、相手の出方を見る。
両軍の見守る中で、ガランドは青雷の大剣を天に翳した。
垂れ込める重い雲から一筋の雷槌が大剣目掛けて落ち、そのまま刀身に絡み付く。それを確認すると、ガランドはそれを一気に地上へと振り抜いた。
ガランドを中心に七条の雷鞭が地面を奔る。走り抜ける光と衝撃に、両軍から響めきが上がった。焦げ目を作る大地から大剣の切っ先をゴブリン達に向けると、英雄は猛虎の如く吼えた。
「──誘っているのだ。この俺を」
ゴブリンの王の口元に獰猛な笑みが刻まれる。
「敢えて申し上げますが……あれが誘いとして、それに乗る必要がお有りで?」
「プエルよ。暗黒の森で奴らの襲撃を受け、俺は人間との戦を始めた。ゲルミオン王国で二度、南方砂漠で一度、俺は奴と直接剣を交えている。謂わば、宿敵と言って良い間柄だ」
王の戦意の高まりに呼応して、肉喰らう恐馬も低く唸る。
「その宿敵が、俺を手招いている。王として、戦士として、これを受けぬ道理はない」
「或いは、それが敵の策やもしれません」
「だとしてもだ! 俺は、俺に挑戦する者と戦わねばならん」
プエルは軽く溜息を吐き、頷く。
「仕方がありませんね。ですが、万が一の時は、一騎討ちと言えど割って入らせて頂きます」
王は血のような赤い瞳でプエルを睨むが、プエルも負けじと睨み返す。
「……好きにせよ。軍の指揮を一時的にお前に任せる」
「御意」
ゴブリンの王は手綱を緩め、駒を進めた。
待ち受ける宿敵の元へと。




