リュシス平原の戦いⅡ
黒き太陽の王国の攻勢は、干戈を交えてから急速にその陣形を変化させていた。縦横陣を取るアルロデナだったが、その攻勢は右翼方面が押し込む形になっている。
対するアーティガンドは三叉型の陣形を編成し、速やかに予備兵力の投入を行えるようにしていた。敵の右翼側の攻撃が予想外に強いのを確認すると、総指揮官グレンダルはすぐさま辺境伯軍を投入。義勇兵を救う為に手札を切る。
「ガランド殿、英雄の出番だ」
後方にあって全軍を見渡す位置に陣営地を構えたグレンダルは、ガランドに出撃命令を伝える。伝令からグレンダルの言葉を受け取ると、ガランドは鼻を鳴らして青雷の大剣を肩に担いだ。
「へっ、よく言うぜ」
辺境軍2000の先頭に立ったガランドは、その軍を3つに分けた。
「敵は大群で、しかも魔獣共だ。全軍で当たってたら、身体が幾つあっても足りねえ」
攻勢を仕掛ける第1陣。防御の第2陣。予備兵力として待機する第3陣。それを順番に回すようにして、押し寄せる双頭獣と斧の軍の波状攻撃を防ぎ止める。
第1陣の先頭に立つのは、七条の稲光を奔らせた英雄ガランド。圧倒的な敵の侵攻に抗い、負けて尚、抵抗を止めぬ英雄が防衛戦の先頭に立つ。
それだけで辺境軍の士気は上がるが、同時に義勇軍の士気も上がる。義勇軍でもガランドの人気は高いのだ。圧倒的な個人の力量で戦局をひっくり返す一騎当千の働き。故国を守るとして立ち上がった男達なら、その後ろ姿の凛々しさに憧れを抱かぬ筈がない。
誰しもが子供の頃に憧れる英雄譚の一節、それがそのままの姿で抜け出してきたような獅子奮迅の働きであった。手にするのは雷槌を呼ぶ大剣。天に翳した大剣の刀身に宿るのは、雷の精霊の恩寵。
「雷と嵐の支配者!」
大地に降り注ぎ、そのまま走り抜ける七条の雷鞭が魔獣を焼き尽くす。
上がる歓声に大剣を掲げることで応えると、すぐさま陣形の内側に戻る。ガランドをして長く陣形の外に留まるのは危険と判断させる程、ザイルドゥークの攻勢は衰えを見せなかった。
「切りがねえな」
吐き捨てて、ガランドは本陣を睨む。
手は残されているんだろうな、と内心だけで呟くと、次はどこから出撃したものかと機を伺う。
ガランドがアーティガンドの左翼を支えている間に、戦況は次の推移を見せていた。アーティガンドの右翼に動きがあったのだ。今までは虎獣と槍の軍と騎馬兵が睨み合いを続けていたが、その大外を回って、血気盛んなギ・ズー・ルオ率いる千鬼兵が迂回を試みていた。
騎馬兵からの連絡を受けたグレンダルは、直ぐにそれに対応する。
「鉄牛騎士団を前に!」
故郷を失ったラスディルは、残された者達を率いて傭兵の真似事をするしかなかった。だが、故国を奪った者達に復讐する機会を見逃す程、擦れてもいなかった。
「大盾を前に! 投槍用意!」
“魔王軍”との二度の交戦経験を経たラスディルも、旧エルファの生き残りで組織された騎士団の装備と編成を変更していた。投槍の導入と隊編成の見直しである。
ゴブリン達と真面に接近戦をすることの愚を悟ったラスディルは、なるべく遠距離からの攻撃でゴブリン達の数を減らし、その後に自軍に有利な状態で迎え撃つ戦法を取らざるを得なかった。
近隣に鳴り響く重装騎士団としての誇りを傷付けられはしたが、彼は現実から目を背ける程、頑迷ではなかった。
「第1陣、放て!」
新たな戦法を確立すると、ラスディルはそれを短時間で騎士団に浸透させる。軽騎士団を重装騎士団に組み込むことで数の不利を補い、柔軟な攻撃が出来るよう改革を施す。
遠距離から降り注ぐ投槍の一斉射撃に僅かながら怯んだサザンオルガだったが、そこで立ち止まる程士気は低くない。降り注ぐ投槍を掻い潜り、ギ・ズーを先頭にして距離を詰める。更に、その後方から巨躯を誇るガイドガ氏族が迫っていた。
「右翼に衝撃を受け流せ!」
僅かにアルロデナとの交戦は2回のみとは言っても、元々が四周を敵に囲まれたエルファの騎士団である。その練度は高く、危機に対する対応も素早かった。
アルロデナの中でも屈指の衝撃力を持つサザンオルガの突撃を、盾を連ねて左翼方向へと逸らす。
「第2波、来ます!」
だが、サザンオルガを回避したと思った直後、ラスディルの耳に聞こえた報告は悲鳴に近かった。
「正面、盾を地面に突き立てろ!」
鉄牛騎士団の中でも特に大柄な者達で構成されるラスディルの直率兵が、大盾を構えてガイドガ氏族の突進に対抗する。先頭を走るのは族長ラーシュカ。血に飢えた冥府の悪鬼を思わせる形相に、鉄牛騎士団は喚声を上げて己を鼓舞する。
「また奴か! 長槍隊──」
ラスディルの指示に従って、盾の合間に隠れる長槍隊。
「盾に隠れるしか能のない臆病者共が! 我と戦う猛者はおらんのか!?」
青銀鉄製の棍棒を振り回して怒声を挙げるラーシュカの姿を確認し、ラスディルは冷静に距離を測る。その距離が僅か数歩まで迫った時、ラスディルは怒声と共に攻撃に切り替える。
「──突き出せぇ!」
ガイドガ氏族の突進を真っ向から迎え撃つ鉄牛騎士団。
盾の後ろに隠れながら長槍兵と共に前に出る突進は、近隣諸国に恐れられたエルファの重装騎士団の最も得意とした戦術だった。
「──ガっ!?」
悲鳴とも呼べない声がラスディルの耳に届く。見れば、確かに前線は押し上げている。ゴブリンが誇る最優の巨躯を誇るガイドガ氏族を、エルファの重装騎士団が突進で打ち崩したかに見えた。
ただ一点、冥府の悪鬼を思わせる巨躯のゴブリンの前を除けば、だ。
振り上げた棍棒の先を視線で追えば、空中に吹き飛ばされた完全装備の騎士の姿。吐く息は熱を帯びて白く後方へ流れる。
突き出した筈の長槍は地面に縫い付けられ、盾を持っていた騎士が空中に吹き飛ばされている現実。それは、正に化物の所業と言う他ない。
だが、それで思考を止めては一軍を率いる器ではない。ラスディルは直ぐに我を取り戻すと、槍と盾を持って自身が前に出る。
「化物め! 俺が相手だ!」
「名を名乗れ! 人間の小童!」
「魔物に名乗る名など無い!」
繰り出す槍と共に踏み込む。人間の中では長身を誇るラスディルだったが、それでもガイドガ氏族のゴブリンと比すれば横の肉の厚さは比べ物にならない。
突き出される槍を首を傾けただけで避けると、ラーシュカは獰猛に笑った。
「ならば、我が名だけを刻んで死んでゆけ!」
振り下ろされる一撃を飛び退くようにして避ける。
「我が名はラーシュカ! ガイドガ氏族を率いる族長だ! 死に行く貴様の脳裏に、確と刻め!」
地面を砕いた棍棒が風を切って礫を撒き散らす。思わず顔を背けたくなる風圧を顔に受けて、ラスディルは顔を歪めた。
「団長!」
「俺に構わず、前線を押し上げろ! ここで止めねば、戦線が崩壊するぞ!」
思わず助けに入ろうとする部下を抑え、ラスディルは独り、強大な敵と向かい合った。
「さあ、来い! 化物! 俺が貴様を止めてやる!」
奥歯を噛み締めて、戦意に燃える目をラーシュカに向ける。吠えるラスディルに、ラーシュカも咆哮を返した。
「よくぞ抜かした! 気に入ったぞ、人間よ!」
最左翼は、鉄牛騎士団の必死の粘りで膠着を取り戻す。
中央では聖騎士団が斧と剣の軍を止め、右翼では辺境伯軍がザイルドゥークを止める。左翼は対峙する騎馬兵と鉄牛騎士団の必死の粘りで、膠着状態を作り出す事が出来た。
魔法兵達は魔王軍の部隊と撃ち合いを演じ、一進一退の攻防が続く。
「信号を上げよ」
アーティガンドの指揮官であるグレンダルの待ち望んだ膠着状態。敗戦を生き延び、結集した人間最後の戦力が拮抗する状態を作り出す。
上げられる狼煙は、飛竜騎士団の出撃を促すもの。
群青の空に一条の赤煙が上がる。
遠くリュシスに待機していた飛竜騎士団500は、立ち昇る赤煙を見て、時が来たのを悟る。
「出撃! 今、我らの国の行く末を同胞達が血を流して守っている! 我々の手で、天秤を傾けよ!」
飛竜騎士団を率いるのは、グレンダルと同じ士官学校を出たばかりの青年である。
「わが祖国に未来を!」
「未来を!」
アーティガンドの切り札たる飛竜騎士団が出撃する。
戦況を逆転させる、その一縷の望みに懸けて。
◆◇◆
変転する戦況を見つめていたプエルは、意外の念を禁じ得なかった。
「思いの外、よく粘る」
傍らで騎乗の人となったゴブリンの王もまた、戦場を睨むように見ていた。
「敵の陣営から狼煙。恐らく飛竜騎士団の出撃を促すものでしょう。こちらもドゥーエ殿に出撃の合図を送ります」
「そうだな。ギ・ザーの手腕に期待するか」
「御意……ドゥーエ殿の出撃と前後しまして、王には最前線に前進して頂きます」
「ほう? 良いのか?」
「……立ちたいのでしょう? 最前線に。恐らく、これが世界の覇権を決める最後の戦となります」
僅かに口元を笑みの形にしたプエルに、ゴブリンの王も苦笑を返す。
「我ながら救い難い欲求だ。だが、その通り。俺は奴らの前に立たねばならん」
真紅の瞳がプエルの翡翠色の目を覗き込む。
「貴方は、本当に仕方がない御方ですね」
プエルはそれ以上何も言わず、弓を手に取った。
「敵の飛竜騎士団を無力化した後、我が王の道を開け!」
弓による信号では、そこまで細部は伝わらない。だが、彼女の意図は確実にアルロデナ全軍に伝わった。王の騎馬隊を前に、と言う意図はすぐさまゴブリン達の士気を上げることになる。
前後して、飛竜騎士団の無力化という突撃の時期も示される。
ゴブリンの王を先頭に立てた全面攻勢。
その指示を受け取った将軍達は、身震いして意気を上げた。
遥か西方の暗黒の森で生まれ、東征に従事してからは長らく故郷へ戻っていない。将軍級のゴブリン達は忘れていない。熱狂も、勝利の味も、全ては王の背を追うことから始まったのだと。
彼らの知り得る大地の終焉はもう間近である。
最後に立ち塞がりし敵を前に、彼らの偉大なる王は変わらず自分達の前に背を晒し、敵に立ち向かう。これを歓喜以外の何を以って表現すればいいのか。
「槍先を揃えよ」
ギ・ガー・ラークスの命じる声に、常にはない熱情が篭もる。静かに命じたにも関わらず、熱く滾る思いを他に変えられようもなかった。
「では?」
早くから共に戦場を駆けて来た誇り高き血族のザウローシュは、ギ・ガーのただならぬ思いを感じ取って声を掛ける。
「我らが王が先頭に立たれる。それに合わせて全面攻勢だ」
人間であるザウローシュですら胸に湧き上がる思いを感じて、ヘルムを深く被り直した。
「柄にもなく、胸が湧き立ちますな」
己の得物を握る手に力を込めて、ギ・ガーは頷く。
「偉大なりし我が王よ」
口元に笑みを刻むと、忠誠の騎士は敵陣を睨んだ。
一方、最右翼に配置された同盟国からの援軍は、ザイルドゥークに隣接して大きな動きを見せていない。最大の規模を誇るブラディニア教皇国の軍師ヴィラン・ド・ズールは、派遣されてきた妖精族の青年から弓矢による信号を聞いても、軍を動かそうとしなかった。
「軍を動かさないので?」
問いかけられ、未だ青年と言って良い歳のヴィランは、頬を掻いて苦笑した。
「どうも、僕らが行くのは野暮なようなので」
「は?」
「いえ、不測の事態に備えるのも立派な役割ですよ」
同盟軍を最右翼でそのまま待機させると、ヴィランは視線を空に上げる。
「まぁ、全ては空の戦い次第ですが」
リュシスの空に見えるのは、未だ豆粒以下の大きさでしか無いが、確かに飛竜騎士団である。
「さて、どう対処しましょうかね?」
ヴィランの問いかけを無視するように、飛竜騎士団は徐々に戦場に近付いてきていた。
◆◇◆
飛竜騎士団は徐々に速度を上げて、空を駆ける。
眼下に広がる緑の大地。青き空の色。手を伸ばせば届くのではないかと錯覚させる雲の近さ。肌を刺す空気の冷たさ、耳を劈く風の音。それらを目一杯感じて尚、彼らの戦意は上がる。
「見えたぞ、右下!」
先駆けとして飛翔していた一騎の言葉に、編隊を組んでいた全騎が一斉に動き出す。
「槍先に栄光を!」
飛竜騎士団の突撃は、急降下からの一撃離脱。
それを敢行するべく高度を落とす飛竜騎士団だったが、突如として飛竜達が悲鳴を上げて言うことを聞かなくなる。
「何だ、どうした!?」
まるでこの空域から逃げたがっているような飛竜の行動に、彼らは目を剥いて制御の為の手綱を握り直す。
その時、一陣の風に吹かれて大きな影が差す。
その瞬間、飛竜騎士団全員の背筋に冷たいものが疾った。空を覆う影に視線を向ければ、そこには火の神の胴体を横切る蛇の姿。
「……まさか、そんな」
呆然と見上げる彼らの驚愕を他所に、その影はまるで空を泳ぐかのような滑らかな動きで飛竜騎士団に狙いを定めていた。
「──散開! 来るぞ、天頂方向!」
隊長の一声に、悲鳴を上げつつも四方へ旋回する飛竜騎士達。間一髪で開けた空間に、まるで自身こそ天空の王だと言わんばかりに降りてきた龍が居座る。
「我らが領域を侵す卑しい羽蜥蜴共! 我こそは、火炎龍ドゥーエなるぞ! 今すぐに大地に這い蹲り、その分不相応な翼を折り畳まぬか!」
荒げる声が空間を歪ませ、振動を以って四方へ鳴り響く。その雷声を聞いた飛竜達は混乱し、必死に遠ざかろうと四方八方へ逃げ出そうとして、騎士達の制御を受け付けなくなっていった。
「全く、気に食わん!」
「作戦は成功だ。何の問題もない」
声を荒げるドゥーエの背で、ギ・ザーは満足そうに頷く。
「これ以上の手引はせぬぞ」
「うむ、問題ない」
龍とのやり取りを見て、ギ・ザーは周囲を睨む。見れば四方へ散った飛竜達だったが、何とか統制を取り戻しているようだった。
「お前の声も、大した効果は無かったな」
「何!? 貴様、我が力を愚弄するか!」
ドゥーエの大喝を受けたギ・ザーだったが、平気な顔をして飛竜騎士団を睨む。
「だが、アレを見ろ」
「小癪な真似を……」
ドゥーエの声に苦々しいものが交じるのを感じて、ギ・ザーは問いかけるが、龍は鼻を鳴らして忌々しげに呟く。
「奴ら、隷属の首輪を使っているな。人間が作り出した、他者を強制的に従える道具だ。それで飛竜共を制御しているようだな」
しかも、かなり強力な物だと付け加えると、ギ・ザーは嫌悪感を剥き出しにして編隊を組もうとする飛竜達を睨んだ。
「ふん。ならば、撃ち落とせばいいのだろう?」
ギ・ザーの言葉にドゥーエは頷く。
上空という足場さえあるのなら、遠距離からの魔法で撃ち落とせぬ道理はない。
「出来るのか? 矮小な貴様如きに」
「見ていろ」
ギ・ザーは杖を翳すと、目を細める。
ドゥーエの威に逃げ惑う一匹に狙いを定めると魔法弾を放ち、騎乗する騎士を叩き落とした。
「一時的で良い! 首輪の効果を最大限に上げろ!」
飛竜騎士団の隊長の声に、団員達は編隊を組み直そうと悪戦苦闘する。首輪の効果を一時的に引き上げ、火炎龍ドゥーエの創り出した恐慌状態から抜け出させようとした。
強烈な負荷に隷属の首輪が軋むが、構わず全員が効果を上げる。
「よし……! 第1小隊で龍の陽動! 第2小隊以下は作戦を続行せよ! 続け!」
眼下では、魔王軍の陣形が変化している。
中央を明けるように、奥に隠れていた少数の軍勢が前に進出してきているのだ。それに比して、アーティガンドの軍勢は聖騎士団の作り上げた火網が弱くなってきている。
命を賭けて創り出した天秤の均衡が、今にも崩れ去ろうとしているのだ。
「グレンダル、もう少し、もう少しだ! 待っていろ!」
飛竜を旋回させると、編隊を組んで突撃態勢に入る。ドゥーエの腹の下を潜っての突撃になるが、それを恐れていては、守るべき祖国は滅びることになる。
「隊長!」
突入態勢を取った彼の耳に悲鳴が響き、衝撃が飛竜を揺らす。
「攻撃だと!?」
「火炎龍から風弾です!」
飛竜の翼に命中した風弾は飛膜を突き破り、制御を著しく困難にしていた。
──墜落死。
木から落ちた果実のように潰れる自身を想像し、背筋に悪寒が疾る。だが、歯を食い縛ってそれを耐えると、飛竜の頭を敵に向けた。
「奴を殺せば!」
狙うは、威風堂々と海を割るようにして、大群の先頭に出ようとする巨躯の魔物。
「人間を、舐めるんじゃねえ!」
目を見開いて飛竜ごと突入。魔物と目が合った瞬間、彼の意識は暗転した。
空中からの飛竜騎士の捨て身の突撃に、先頭を進む魔物は一切動じなかった。手にした大剣に冥府の炎を宿らせると一閃し、これを切り払う。
瞬間、アルロデナ側から万雷の喚声が上がる。
既に聖騎士団の構成する火網は限界を迎え、鉄牛騎士団も徐々にだが後退を始めている。
「……ここまで、か」
グレンダルの言葉に、ユーディットは振り返り睨み付ける。
「全軍撤退する。これ以上の犠牲は無用だ」
「殿を引き受けよう」
「残念だが、それは出来ない。栄えあるアーティガンド正規軍を差し置いて、他の部隊にその任務を任せる訳にはいかないな」
「……分かった。武運を」
踵を返すユーディットを見送り、狼煙を上げる。
義勇、辺境伯軍、聖騎士団、鉄牛騎士団の順番で徐々に戦場を離脱する。その代わりに最前線に出張るのは、アーティガンド正規軍だ。
「伝令、味方の撤退を援護する。陣形を組みつつ後退せよ」
各部隊へ伝えるよう命令すると、グレンダルは僅かに苦笑した。
「……敵が許せば、だがな」
上空を見上げれば、飛竜騎士団は火炎龍ドゥーエから放たれる風弾に翻弄され、突撃出来ないでいる。天秤を傾けることは出来なかった。
だが、それでも共に戦った味方を逃がすことぐらいは出来る筈だ。
「鉄牛騎士団に追い縋る敵に横逆を加えよ! 弓隊!」
悲観とは裏腹に、彼の目は確実に戦況を読み解く。
「騎馬隊は一部を左翼に向けよ! 魔獣共を足止めするのだ!」
元々不利な騎馬兵の一部を割いて、左翼を救援させる。戦況全体を見渡せば、敵軍が一個の生き物であるかのように、先頭に立つ巨大な魔物を中心として攻めようとしているのが分かる。
「歩兵、頭上に盾を! 魔法兵、先頭の敵に攻撃を集中!」
次々に指示を出し、僅かなりとも敵を足止めしようとする。
「さあ、敵を食い止めるぞ!」
指揮官の弱気は部下を弱気にする。言葉の上だけでも強気に振る舞うグレンダルは、それをよく知っていた。
だが、そんな彼の奮戦を馬蹄に掛けるように降り注ぐ魔法弾の雨の中から、黒き紋章旗を掲げた軍勢が姿を現す。地上の赤き炎を飲み込む冥府の黒き炎を纏い、凶悪な魔獣を乗りこなす黒いゴブリンが、天地を喰らい尽くすような咆哮を上げる。
「さあ、血みどろの撤退戦だ」
口元を無理矢理歪め、グレンダルは笑った。
◆◆◇
ギ・グー・ベルベナのフェルドゥークが、降り注ぐ魔法弾の雨の中で陣形を押し開く。両断の騎士も顔負けの中央突破の陣形を、歩兵の力で強引に作り上げる。
後方から進み出るのは、彼らが敬愛するゴブリンの王。近衛に囲まれ、王の近くには黒き太陽の紋章旗を掲げたギ・ベー・スレイ。
ゴブリン達は、ただ一言を待っていた。彼らの王が、高らかに進撃を告げる声を。
「吶喊! 全軍、我に続け!」
待ちに待ったそれが、彼らを熱狂させる。
降り注ぐ魔法弾の雨をものともせず、冥府の炎を従えたゴブリンの王は戦場を疾駆し、それと同時に近衛が続く。戦列槍を並べる歩兵を木端のように吹き飛ばしながら戦列を食い破る。
「王に勝利を! 突撃!」
西の果てから東の果てまで、変わらぬ王の背を追って、彼らは走り出す。
フェルドゥークの突撃に呼応して、アランサインも槍先を揃えた突撃態勢に移る。ザイルドゥークも突撃専用の大型魔獣を投入する。ガイドガ氏族・サザンオルガ・レギオル。果ては同盟軍ですらも一斉に突撃を開始する。
黒き太陽が、太陽に王冠の並び立つ戦場を蹂躙する。
だが、それでもアーティガンドの正規軍は驚異的な粘りを見せる。並の軍勢なら瞬く間に敗走するだろう突撃を受けて、尚も持ち堪えた。
指揮官グレンダルの必死の防戦と、兵士1人1人までが後ろに守るべき者達を抱えていたからだ。
だが、それでも尚、アルロデナの軍勢は強かった。
陣形を貫く一本の槍となって、ゴブリンの王は突撃を三度繰り返す。
味方を逃がす為に時間を稼いだグレンダルだったが、ついに力尽きてアルロデナの軍勢に膝を屈することとなった。
天にロドゥの胴体が輝き、空中で火炎龍とギ・ザーが戦況を俯瞰する中、ゴブリン達はアーティガンド正規軍を撃破した。
撤退するガランド達は、リュシスを目指す。
兎にも角にも城壁がある都市に辿り着き、部隊を再編せねば戦いにならない。最後尾で追撃してくる魔獣を蹴散らすガランドと、先頭となって義勇兵達を導くアリエノールは、リュシスの城壁付近に人影を見つける。
「あれは、ラーファ?」
少女は血のように赤い宝石を地面に配置して、口を開く。嘗てエルファに使者として派遣された少女だ。アリエノールも面識がある。
「我は、御姿の影を追う」
地面にばら撒かれた宝石から赤い光が迸る。棘々しい光が空中で線を結び、巨大な門を形成する。竜の首を模った不気味な意匠の門。
軋みを上げながらそれが開くと、輝くばかりの鎧と武器、見たこともない大きな騎馬に乗った兵士達が、流れ出るように現れる。
「これは……」
唖然とするアリエノールを尻目に、未だ少年少女と言うべき幼さを残した兵士達が一糸乱れぬ整列をする。
そして、その奥から現れたのは、黒髪の青年。
口元に柔らかな笑みを浮かべ、目指す戦場へと歩み出す。
そこに有るべきものが当然の如く有るように、青年は少年兵達の中央を進み、彼らを率いる。人間を率いるのは彼を置いて他に無く、人類を導くのは自分の役割と主張して揺るがない、その圧倒的な存在感。
その場に居合わせた誰しもが言葉を忘れ、動きを止めて彼を見守る。
そして、彼は宣言した。
「──さあ、反撃の時間だ」
その日、その場所に、勇者が降臨した。




