燃えるバンディガム
冷涼たる北部から吹き晒す風も、大陸中央部へ来るとその勢いを随分と弱める。神聖帝国アーティガンドは、その主力ともいうべき国王直轄軍をバンディガムへ向けて王都から進発させた。
敵国の動向に目を光らせていた黒き太陽の王国宰相プエル・シンフォルアの元に、その情報がもたらされたのは遅れて二日後のことだった。
「いよいよ、か」
ゴブリンの王が頷くのに合わせて、プエルは更に情報を開示する。
「はい。アーティガンド主力の兵約1万。王都を出発いたしました」
歩兵を中心として6000。騎馬兵2500と、魔法兵として1000。そして飛竜騎士団を500騎も引き連れるという豪勢な顔ぶれだった。
「速度は歩兵の足に合わせますから、此方に到着するのは一ヶ月程度」
「船、という手段は取らぬか」
「今のところ、そのような情報はありません」
バンディガムに駐留する軍勢をギ・グー・ベルベナ率いる斧と剣の軍とガイドガ氏族により撃破してから、アルロデナの勢力はバンディガム要塞を覆うまでになっていた。
既に聖騎士団及び要塞守備部隊では、直ぐに逃げ戻れる距離にしか軍を進めることが出来ない。対して、アルロデナはバンディガム要塞を横目に見ながら、周辺の村々の制圧と偵察を繰り返していた。
バンディガム要塞にも未だ飛竜の騎士団の援軍が存在する為、その任務は専らギ・ガー・ラークス率いる虎獣と槍の軍に任され、ギ・ガー麾下の諸将達は思う存分その健脚を発揮していた。
同時に、ギ・グー・ベルベナの戦奴隷部隊によって、次々と攻城兵器が作られていた。
分解された攻城兵器は直前で組み立てられる予定である。攻城櫓・破壊鎚・投石機など山脈に築いた砦の周囲では目立ち過ぎる物は、ゴブリンの王の提案により各部品ごとに保管されていた。
「地下道の進捗はどうなっている?」
「要塞の地下にまでは到達しているようですが、可能な限り掘削音を排除する為、そこまで捗ってはおりません」
「成程。攻城戦と絡めて使うのが良いか」
「御意。賢明なるご判断かと」
ゴブリンの王を始めとするアルロデナは、着々と侵攻の準備を整えている。既にプエルはバンディガムを抜いた後、辺境一の都市バークエルとヤークシャーへの侵攻の手を考えていた。
「王よ、バンディガムを陥落せしめた後は、城内の者は全て逃がすようお願い致します」
「差し障りがあるか」
「御意。彼らアーティガンドは高慢なる民。我らに膝を屈するのを良しとはしますまい」
ゴブリンの王は暫くプエルの言葉に考え込むが、最終的にはそれを是とする。
「まぁ、良かろう。我が支配下に入らぬというのなら、相応の結果が待っている」
「はい。幾度も叩きのめす必要がございます。彼らの高慢さを徹底的に圧し折ってから組み敷くのが上策かと」
一方、バンディガム側は聖騎士同士の確執が表面化。特に1番隊と2番隊の間で公然と相手を非難する事態となり、要塞内は不穏な空気に包まれていた。
「……私が悪かったのだろうか? 勝手に殿など買って出たから」
「いいえ、それは違います。少なくとも指揮官たる貴女にそう思われては、死んだ者達が浮かばれません」
先程まで言い争いを演じるジェラルドとユーディットに臨席していたアリエノールは、営舎に戻ってくるなりユアンに相談した。
「そう、だな。済まない」
「いえ、言い過ぎました。お許しを」
バンディガムでは、3番隊は飛竜騎士団と共に全軍を救った英雄として扱われている。ジェラルドも、ユーディットも、それに関しては異論はない。ジェラルドは敗北を隠す為、ユーディットは己と共に戦った妹分が英雄たるのが誇らしいという意識故にである。
問題は、敗北の責任は誰にあるのかということだ。
「万全の策を練った。その上で敗れたのは各々の力不足であろう」
「万全? 仲間を置いて逃げ出しておいて、その言い訳が万全だと!? どの口で物を言っている!」
ジェラルドの主張が些か苦しいのは分かっていたが、彼は巧妙にバンディガムの主流派を味方に付けていた。そもそも指揮系統的には2つの騎士団に上下は無く、ジェラルドはあくまで進言しただけである。それ故に敗戦の責を全て押し付けるのは酷である、と。
「共同で戦を仕掛け、敗れたから責任は全て此方にあると言われては、立つ瀬がない」
ジェラルドの主張は一見筋が通っているように見えるが、ユーディットからすれば、最前線に立ったのは2番隊と3番隊。後方から魔法を撃ち込んでいただけであり、責任すら取ろうとしないなど言語道断である。
人間は自分に都合の良い真実しか見えないものだ。
長らく外征もせず、物事が自国内で完結してきた者達の宿痾である。指揮系統が一本化されておらず、責任の所在が不明確。敗北に対して誰が責任を取るのか、それすらも決められない。
援軍として来た筈の主要な聖騎士団同士での確執は、当然鉄牛騎士団や辺境伯軍、義勇軍にも聞こえている。
「……」
ラスディルはその様子を黙って見守り。
「ふん、やってられるか」
ガランドはそう言ったきり、辺境伯軍に休暇を与えてしまった。
「勝手な真似を」
「いつから俺達は部下と上司になったんだ? 今、テメェらがやってることと何が違う?」
ガランドの行為を非難する聖騎士に対して、ガランドは痛烈に返す。
「どうにも察しが悪いようだから言っといてやるが、こんな体たらくなら、この国も直ぐにゴブリン共の支配下に甘んじることになるだろうぜ。女子供や老人に至るまで塗炭の苦しみを背負わせてな」
「何を根拠に!」
「なァに、ちょっとした実体験だよ」
猛獣のように笑うガランド。気圧された聖騎士に対して背を向け、その足で娼館へ向かった。
「っけ、バカらしい」
機嫌悪く上質なソファに腰掛けると、出された酒を煽るように飲む。
「……失礼します」
直ぐに以前酌をした陰気な娘がやって来て、ガランドは顔を顰めた。まるで猛獣に対する生贄のようだった。
「ふん、化け物扱いか」
小さく呟いた為に、聞き取れなかった娘はガランドを見上げる。
「何でもない。お前、親は居るのか?」
強かに酔っていたガランドは、やや強引に話題を振った。
「……はい。西に、出稼ぎに出ています」
薄暗い部屋の中でも緑色の髪に艶がないのが分かる。相変わらず、真面な暮らしではないようだ。だが、それをどうにかしてやろうという気持ちはガランドにはない。
這い上がるのは、自分の力でなければならない。
例え一時的でも、成功を掴み取ったことがあるガランドは、そう考えていた。
「成程な」
父親が出稼ぎに行っている間にゴブリン共が国を占領。国同士で出稼ぎの制度などないから、この娘の父親は商人か冒険者だろう。安い労働なら、アーティガンドになる以前のアルサスにもあった。
アルサスは古い国だ。伝統と格式を何よりも重んじる。
であれば、新興の商人よりも冒険者の方が可能性が高い。
「冒険者か」
少女は驚いたように目を見開くと、ガランドの方を見つめ頷く。
「ベルタザル……父の名前は、冒険者ベルタザル」
「……リーザ」
再び驚きに目を見開く少女。
かつての英雄はその日、己の罪と出会った。
◆◆◇
飛竜騎士団を封じるには、その機動力を削ぎ、地上へ墜落させるのが手っ取り早い。
「俺に一任するだと?」
「出来ませんか?」
「誰に物を言っている。当然出来る!」
「ならば結構」
ギ・ザーの答えに満足し、プエルは怜悧な表情のまま頷いた。
「私は地上の戦いに専念しましょう。空は貴方にお任せします」
「当然だ。任せてもらおう」
「ええ。期待していますよ」
踵を返すギ・ザーを見送って、プエルは今後の進路を考えた。ヤークシャー或いはバークエル。バンディガム要塞を陥落せしめた後、どちらへ主力を進めるべきか。
穀倉地帯を抑えるバークエルに進むなら、一挙に敵の喉元に刃を突きつける形になる。バンディガム要塞が陥落したならば、要塞に居る軍民は全て逃がすようゴブリンの王に進言している。
魔物ながら殺戮を好まぬ王ならば、きっとプエルの進言は叶うだろう。そして彼らはどこへ逃げるだろうか? 魔物に追われ、住む住居を失い、寄る辺なき民は……当然同胞に助けを求める。
それをアーティガンドが見捨てることは有り得ない。
心情の面からも、そして軍事・政治的な見地からも、見捨てる道理はないのだ。
同時に、助けを求める民の足は遅い。
「家財の持ち出しも許可しますか」
彼らが縋るのは、先ず第一に辺境第一の都市バークエル。そこには食糧がある。
或いは、港湾都市ヤークシャー。
王都に頼るべき者が居るならヤークシャーを目指す。ヤークシャーは、北回りの船がアーティガンドの首都や旧海洋国家ヤーマへと通じている。
ゴブリンの王が敵が船を使うという選択肢を取らないのかと尋ねたのは、強ち心配のし過ぎではない。大兵力を一度に、しかも迅速に運ぶ手段として船という選択肢は悪くない。
だが、集めた情報によればアーティガンドは陸路を進んでいるという。船に乗ってしまえば港湾都市に到着するのが当然の帰結として分かってしまうから、それを嫌っての判断かもしれない。
「魔物に追われた民、か」
真面な将軍なら、何としても民を助けたいと思うだろう。
故に、そこに付け入る隙が生じる。
「飛竜も、騎馬も、歩兵も、魔法兵も。全て平らげてもらいましょう」
アーティガンドという国が持つ兵力を、全てゴブリンの王に切り捨てて貰わねばならない。アルロデナという国は、全てそこに結実するのだ。ゴブリンも、人間も、亜人も、そして妖精族も。全ての民の中心に王がいる。
「最後の仕上げは……」
プエルは薄く微笑んだ。
◆◇◆
天の支配者たる翼なき空蛇の使徒たる火炎龍ドゥーエを相手に、ギ・ザー・ザークエンドは交渉をしていた。
「我が背に乗り、敵と戦いたいだと?」
「その通りだ。奴らの空中戦力を削ぐ為には、此方も空を飛ばねばならん」
「道理ではあるが、何故我がそこまでせねばならぬのだ」
ゴブリン達なら王の為である。人間達なら生き延びる為。妖精族にも、亜人にも、ゴブリンの王に関わった者達は皆、戦う理由がある。
だが、ドゥーエは違う。
元々レシア・フェル・ジールにその命を助けられ、恩義を返す為に客として居座っているだけなのだ。故にゴブリンの王に対して恩や義理、況してや忠義など感じる筋合いなどないのだ。
「ここで我らの王が負けることがあれば、レシア・フェル・ジールは再び不幸になる。そうならない為に、貴様は居るのだろう?」
「成程、そうかもしれん。だが、それはあの信徒が我に嘆願する筋合いのものだ。貴様如き卑小なる者が横からその嘴を挟む問題ではない!」
その後も平行線を辿るギ・ザーとドゥーエの問答は進捗を見せず、結局ギ・ザーはレシアに頼み込む羽目になってしまった。
「ドゥーエさんの背中に、ですか?」
「そうだ。飛竜騎士団を倒す為には、あの龍の力が必要だ」
「それで私に助力を頼むと?」
「是非、頼む」
「私は争いを好みません」
「分かっている」
「それでも、ですか?」
「ああ、我が王の為だ」
「そういう言い方は卑怯ですよ」
「卑怯でも卑小でも構わん。何とでも言え。俺は、王の為ならば何度でも頭を下げる。頼む、この通りだ」
深く溜息を付いたレシアは、ギ・ザーと共にドゥーエの元に行く。
「……ドゥーエさん、お願いします」
「随分、やる気の感じられない請願だな?」
「……別にそういう訳ではありません。ちょっと拗ねてるだけです」
「人間とは不思議なものよ!」
呵々と大笑いするドゥーエはギ・ザーに向き直ると、鉄すら容易に噛み砕く牙を剥き出しにして笑う。「さて、卑小なる者よ。どう戦う?」
「当然、策はある」
遂に火炎龍ドゥーエの協力を取り付けることに成功したギ・ザーは、ギ・ドー・ブルガを呼び寄せるとドルイド部隊の指揮を任せ、1人ドゥーエの背に乗り込む。
着々と準備を進めるアルロデナは、王歴5年の晩春にバンディガム要塞を包囲した。
山脈地帯に少数の部隊を分けて配置していたアルロデナは、闇の女神の翼が広がると、すぐさま行動を開始する。飛竜とて万能ではなく、夜は活動を控えると知っていたからだ。
闇を苦にしないゴブリンを中心に、一挙に進軍する。流れる雲が姉妹赤月の顔を隠し、創り出されるのは夜の神と闇の女神の領域。
その中を進むゴブリン達は篝火すら必要とせず、要塞までの距離を詰めると、号令すらかけずに要塞を包囲し始めた。投入されたのは、ゴブリンの王麾下の4将軍にあって最大派閥のギ・グー・ベルベナの斧と剣の軍。
戦という戦に参戦した歴戦の兵士達が、僅かな音すら立てずに要塞を取り囲む。
「包囲、完了してございます」
「流石はギ・グー・ベルベナ。そしてフェルドゥークだな」
「お褒めに預かり、光栄の至り」
王の騎馬隊の中心にあって、眼前に聳え立つ巨大な城壁を見上げたゴブリンの王は、報告に訪れたギ・グーの練度を褒め称えた。
戦奴隷を中心とするグー・タフ率いる2000は、未だ山脈地帯である。それどころか、先の戦で大功を打ち建てたガイドガ氏族なども後方に置き去りにしてある。
要塞包囲に随行を許されたのは、何れも練度が高く規律確かなゴブリンの兵士達だ。
主力を既にアーティガンドへ侵入させているギ・ガー・ラークスの虎獣と槍の軍は、その槍先を北に向けていた。ギ・ギー・オルドの双頭獣と斧の軍などは、南の方向へとその大群を向かわせる。
ギ・ヂー・ユーブの軍。ギ・ズー・ルオの千鬼兵。ギ・ドー・ブルガが指揮を執るドルイド部隊なども、王の周囲にあって闇に聳える要塞を見上げていた。
夜明けと共に要塞の中に居た兵士達が目撃したのは、既に陣を構えるアルロデナの大軍と、続々と山脈地域からやって来る兵士の列だった。
「敵、敵だあああ!」
敵襲を知らせる鐘を連打し、非常事態を知らせる。
寝床から起き出してきた者達は、すぐさま城壁の上や見張り塔に昇り、眼下で気勢を挙げる“魔王軍”を恐怖と共に見下ろした。
魔王軍は後続の部隊が到着すると、すぐさま攻城兵器の組み立てに掛かる。その迅速さは、見ているバンディガム要塞側が舌を巻く程だった。
40近くにもなる攻城塔。30以上もの投石機。エルファ産の鉄で表面を覆った破壊鎚。後続の部隊が運んできた投射用の石が、山のように積まれていく。
兵士や市民達が城壁の上から固唾を呑んで見守る中、魔王軍から一匹のゴブリンが姿を現す。いや、既にゴブリンという範疇に入るのかも怪しい。それ程の威容。それ程の威風を備えた黒いゴブリンである。
従えるのは遥か西方に生息する凶悪な肉喰らう恐馬。その黒いゴブリンを中心として、古傷だらけの赤いゴブリン達が、旗を持って周囲を取り囲む。黒き太陽を模した不吉極まりない紋章旗。
斧槍の穂先に取り付けた紋章旗が風にそよぐ。
黒いゴブリンが口を開く。バンディガム要塞の高い城壁の上からその大音声を聞いた者達は、一斉に腰を抜かしてしまった。
「降伏せよ! 皆殺しにするぞ!!」
手にするのは、大人の身長程もある大剣である。
その切先を向けられ、その大喝を聞いただけで心が折れる。まるで物理的に空気が重くなったかのような錯覚。
「ひ、ひぃ」
誰かの悲鳴が静寂の中に響くと、城壁の上から覗き込んでいた者達は、まるで泡を食ったように逃げ出した。
「ば、化け物だ! 殺されるぞ!」
「魔王軍だ! 魔王軍が来たぞー!」
慌てて逃げ出す市民達と違って、少なくとも兵士達は表面上は冷静だった。
「来るべきものが来ただけだ! 恐れるな! 我らにはこのバンディガムの城壁と、王都からの援軍が来るのだから!」
隊長格の兵士が周囲を落ち着かせる為に声を張り上げる。
「機械大弓用意っ!」
「準備よし!」
「奴らに目にもの見せてやれ! 発射!」
引き絞られた大弓に槍の如き矢が装填され、一気に発射される。あのゴブリンの近くにでも当たれば幸いと発射されたバリスタの矢は、あろうことか黒いゴブリンに向かって一直線に宙を奔った。
人間なら、上半身が木っ端微塵に吹き飛ぶだろう巨大な矢。
その一撃を、黒いゴブリンは埃でも払うかのように手にした大剣で打ち払い、平然としていた。
「ば、バケモノだ……! バリスタを斬り払いやがった……!」
「グルゥゥウオオォォアアア!!」
吠える黒いゴブリンに呼応するように、今まで静かに包囲しているだけだったゴブリン達が溶岩の如き怒りの咆哮を挙げる。
「我が王に危害を加えるとは………万死に値するぞ、人間共め!」
「死を! 死を! 死を!」
ギ・グー・ベルベナが吼え、歴戦のゴブリンから新兵のゴブリンに至るまで、凄まじい咆哮がバンディガムを包囲する。槍の石突きで地面を打ち、手にした長剣で自身の盾を叩きながらゴブリン達は吠えた。
「死を! 死を! 我らの敵に死を!」
尚も最前線に悠然と立ち続ける黒きゴブリンが大剣を頭上に掲げる。
それだけで、今まであれ程怒りの咆哮を上げていたゴブリン達が静まる。
「攻めよ! 我らに歯向かう人間共に、我らの敵に、鉄槌を!」
大剣が振り下ろされると同時、今や遅しと待ち構えていた投石機が山なりの機動を描いて石を発射する。後ろに控えていた攻城塔が、戦奴隷の人間達に押されて前進を開始する。
王歴5年の晩春、バンディガム要塞攻略戦が開始された。




