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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
遙かなる王国
346/371

渦巻く運命

1月23日誤字修正

 エルファの敗報は、ゴブリンの王の攻勢に陥落した王都から脱出した兵士の報告により、すぐさま北方で虎獣と槍の軍(アランサイン)と対峙する若き団長ラスディルの元へ届いた。

 同時に、ガランド率いる義勇兵達がエルファの民を守って北上しているとの報告も受けていた。

「……拙いな」

 土煙を上げて山脈を疾走するアランサインを視界に収めながら、エルファ最後の兵力を率いることになったラスディルは呟いた。

 アランサインの戦い方は、実に巧妙だった。決戦を挑まず、時間を稼ぐことに徹している。重騎士団が近付けば遠退き、下がろうとすれば肉薄するのだ。何より、昼夜を問わぬその足の速さは人間の軍隊では決して持ち得ない驚異である。

 足止めを食うラスディルを横目に、王都は既に魔王の軍勢に飲み込まれた。

 この後、抗戦するとしても補給も無く戦い続けることは出来ない。だとすれば、ラスディルは撤退を考えねばならなかっった。

 だが、どこへ帰るというのだろう? 故郷は既に落ち、西方の国々は黒き太陽の王国(アルロデナ)に飲み込まれている。

 更に、重騎士団だけでなくガランド率いる足の遅い民衆まで守らねばならない。

「いよいよ進退窮まったか」

 幸いなことに南方から迫ってきた魔王軍の本隊は追撃の構えを見せていない。

 最善は、民を守りつつアーティガンドへ退却することだ。

「隙を見せるな。退くぞ!」

 常にアランサインの動向を捉えながら、少しずつ後退する。大盾を構えながら徐々に下がる鉄牛騎士団。軍そのものが獲物を狙う肉食獣の動きで、徐々に鉄牛騎士団を包囲しようとするアランサイン。

「団長! 南から伝令が一騎!」

「まだ振り切れていないぞ!」

 舌打ちすると視線を巡らせ、ラスディルは森林内へ逃げ込むよう指示する。同時に、自身は殿となって残る部隊と共にアランサインに睨みを効かせる。

「森林内で義勇兵と合流だ。急げ! ガノーシュ隊、マッシュ隊! 俺と共に敵を牽制するぞ!」

 軍を二つに分ける鉄牛騎士団を見たギ・ガー・ラークスは、槍先を森に向ける。

「追撃だ! パラドゥア騎獣兵、前に!」

「応!」

 気勢を上げて別行動を取るパラドゥアゴブリンの大族長ハールー。それに続く黒虎300騎が森の中へと消えていく。

「敵も無能ではないか」

 鎌槍を携えた誇り高き血族(レオンハート)の副盟主ザウローシュが、別働隊の動きに反応を見せない正面の重騎士達を見て呟く。

「突撃はお預けだな」

 戦乙女の短剣(ヴァルキュリア)の盟主ファルも、鋭い視線を敵に送る。

 ハールーの別働隊に呼応して動くようなら、歩兵殺しのファルを先頭として重騎士団に襲い掛かるつもりであった。

「何だ? 取り止めか」

「敵の出方次第というのは歯痒いな」

 亜人の中でも足の速い牙の族長ミドと、人馬の族長ティアノスが言葉を交わす。

 他の亜人達に比して、彼ら2人の積み上げてきた武功は比類ない。最前線で戦い続ける彼らのお陰で、亜人達はアルロデナの中でも発言権を維持出来ているのだ。

「確かに混乱はしていないようだが……ハールー殿の突撃に敵が混乱を来せば再度機会はあろう」

 一定の距離を保ちつつ、ギ・ガー・ラークスは相手の出方を見守る。

 縦横無尽に森林内を駆け巡るパラドゥアの騎獣兵と、一塊になって被害を減らそうとする重騎士団との戦いが繰り広げられていた。曲がりくねった木を足場にして、空中へ跳躍する黒虎。或いは、生い茂る頭上の梢の間から突如として黒虎が降ってくる。騎乗するのは精強無比なパラドゥアゴブリンである。

 ゴブリンの王が暗黒の森を纏め上げてから、一途に付き従ってきた歴戦の強者達である。

 繰り出される槍の穂先が全身鎧の隙間を突いて身体に突き刺さる。苦悶の声を上げて倒れ伏す重騎士。組織立った反撃の前に黒虎は唸りを上げて再び跳躍し、木々の上へと逃れるのだ。僅か300と言えども、その脅威は計り知れない。

 そして、それが数々の戦を経て大族長へと至ったハールーの指揮に従っているのだ。

 既に森は人間達の領域ではなく、パラドゥアゴブリン達の狩場と化していた。

 如何に精強な重騎士達と言っても、反撃すら出来ずに次々と仲間が討ち取られていく現状は悲鳴を挙げさせるのには充分だった。彼らとて人間である。このまま獣のように狩り取られるを待つぐらいなら、一か八かの賭けに出ようという者がいても不思議ではなかった。

「このままではジリ貧だ! 打って出て活路を開かねば!」

 時間が経つに連れ、その声が大きくなっていったのは仕方ないことである。

 そして必死に動揺を抑えていた古参の騎士団員が倒れると、騎士団は狂騒と共にバラバラに動き出した。

「この戦、もらった! 人間共に狩りの仕方を教えてやれ!」

 ハールーが口の端を歪めて宣言すると、周りのパラドゥアゴブリン達も槍を掲げて同意を示す。

 ゴブリンと決戦する為にその姿を探し求める100騎あまりの騎士は、300騎あまりのパラドゥアゴブリンの攻撃の前に呆気無く全滅した。小部隊に別れた騎士達に、次々とゴブリン達が襲い掛かる。

 北へ東へ、西へ南へ。それぞれ動いた小部隊の騎士達は、その骸をパラドゥアゴブリンの前に晒すことになったのである。

 味方が敵を引き付けている隙に義勇兵と合流を図ろうとした騎士達もいたが、たちまちの内にパラドゥアゴブリンに追い付かれると、足止めを食らう。

「くそっ! このままでは!?」

 背中を寄せ合い周囲を警戒する騎士達だったが、パラドゥアゴブリンの猛攻は止まらない。

 木々の間を擦り抜けるように疾駆し、茂みを飛び越えて襲い掛かっててくるのである。黒虎を操るパラドゥアゴブリンだけでなく、黒虎自身も鋭い牙と爪を持つ危険な魔獣である。油断すれば喉首を食い千切られ、爪で鎧を引き裂かれる。

 100から居た騎士達は既に半数を切っている。悲鳴を上げて逃げられればどれ程良かっただろう。

 騎士であるという最後の一線で踏み留まるからこそ、彼らの死は確定しているのだ。

 頭上から飛び降りてくる黒虎が近くの騎士の喉首を爪で引き裂き、その背に乗ったゴブリンが槍を振りかぶった瞬間、重騎士は死を覚悟した。

雷と嵐の支配者(アシュトレト)!」

 雷撃が空気を切り裂いて疾走する。三条に別たれた稲光が、雷の鞭となってパラドゥアゴブリンに襲い掛かった。

 視界を染める閃光と共に放たれたのは雷撃の鞭。

 その一撃を食らったパラドゥアゴブリンは、既に物言わぬ屍と成り果てていた。

 雷撃の鞭が奔り、森に刻まれた破壊の跡をなぞるようにガランドが疾走する。

 大剣に纏うは、嵐と雷。

「退け、ゴブリン共が! 蹂躙する嵐(バルバトス)!」

 水平に薙ぎ払われる切っ先から、渦を巻く大気が風の刃となって横一文字に木々を両断する。

 黒虎の背に乗ったパラドゥアゴブリンを苦もなく両断すると、更に襲い掛かってくる黒虎をその大剣の錆にすべく、重騎士達の前に立つ。

 正面から襲い掛かってくる黒虎の爪を掻い潜り、喉首に突き入れるように大剣を突き刺す。吹き出る魔獣の血潮を避けるように足を前に出すと、残る一匹に向かって疾走。唸り声を上げる魔獣の頭を大剣の一撃で叩き割ると、こびり付いた血肉を払い落とす。

 瞬く間にパラドゥアゴブリン3匹を血祭りに上げたガランドが、大剣に再び力を込める。

雷と嵐の支配者(アシュトレト)!」

 大剣が纏う雷は、先程とは込めた威力が桁違いである。

 振り上げた大剣から放たれた七条の稲光が、森を焼く。

 如何に勇猛果敢なパラドゥアゴブリンも、これ程の力を見せつけられては容易に襲い掛かれない。唸り声を挙げる黒虎を宥め、一時撤退を余儀なくされた。

「よお、無事か?」

 今まで死の淵にあった従騎士達にとって、その姿は正に英雄だった。


◇◆◆


 森という狩場を駆け巡りながら部下を一度糾合していたハールーは、戻ってくる部下の少なさに気が付く。

 森で予想外の事態が起こったのかもしれない。そう判断を下すと、直ぐに離脱に移る。

 ハールーらパラドゥアゴブリンにとって最も得意な森での戦いは、常に狩りの延長である。予想外・予定外は当たり前であるし、それが起きた時、自分達の身がどれ程危険に晒されるか。慢心とは無縁の心持ちですぐさま撤退を開始した。

「……やはり、討ち取られているな」

 戻った部下の数は270程。30もの歴戦の騎獣兵を失い、ハールーは歯噛みする。

「一旦戻る!」

 ハールーの号令の下、森の中を整然と駆けるパラドゥアの騎獣兵達。彼らがアランサインへと合流し、暫くすると敵軍にも動きがある。

「好機……かと思ったが」

 睨み付けるように敵陣を伺うヴァルキュリアのファルは、舌打ちして視線を指揮官たるギ・ガーへ向ける。

「援軍のようだ」

 一度動揺が広がり、突撃の好機かと思ったのも束の間、すぐさま混乱が収まり気炎を上げる敵を見やる。

「……虚勢、という可能性もありますが」

 ギ・ガーはザウローシュの見方にも一応頷くが、結論を変えることはなかった。

「だとしても、それが出来るのは並みの統率ではない。今、突撃するのは危険だろう」

「……確かに、そうですな」

 納得したザウローシュは、部下に命令を発する。

「このまま距離を保ちつつ、待機せよ」

 アランサインの判断は正しく、その後合流したハールーの話からも、敵の援軍が到着したのは間違いないようだった。だが、敵の行動に変化は見られない。一軍を以ってアランサインを牽制し、援軍はそのまま森の中を移動するらしい。

「南の援軍に赴くつもりなら、何としてでも止める所だが……」

「どうやら東へ向かうようですね」

 言外に追撃するのかと問われたギ・ガーは、首を振ってそれを否定した。

「我らの力は充分過ぎる程知った筈だ。無駄な血が流れるのはお前達の望む所ではないだろう?」

「それはそうですね」

 アランサインを構成する半数は人間の部隊である。

 故に、ギ・ガーとしてもその心情を無視する訳には行かなかった。未だ敵と対峙を続けるアランサインに伝令が駆けて来る。

 エルファの王都陥落と占領の報を齎した伝令に頷くと、ギ・ガーは敵陣に使者を一騎走らせた。

「宜しいのですか? 敵に逃げる機会を与えるなど……」

「やるからには徹底せねばな」

 ハールーの問いかけには王から処罰を受けるのではないかという不安が見え隠れしていたが、ギ・ガーは口元に貼り付けた笑みと共にそれを否定した。

 充分に戦果は出していると判断したギ・ガーは無駄な対峙を避け、軍を撤収させる。

 エルファにおける戦いはここに終結し、ゴブリン最速の槍先は東へ向くことになる。


挿絵(By みてみん)


◆◇◆


 東征を開始してから久々に、ゴブリンの王の下に4将軍が勢揃いしていた。

 場所はエルファの王都である。城外で戦が行われていた為に王都自体には殆ど被害が無かった。住民が逃げ出した都市を占領するなど、今のゴブリン達にしてみれば慣れたものだった。すぐさま主要機関を占拠すると、王の座す都(レヴェア・スー)へと報せを走らせる。

 宰相としてアルロデナを切り盛りするプエルもやって来た為、軍の主要な者達が集結することになっていた。

 ラスディル率いる鉄牛騎士団を、命令に忠実に被害らしい被害もなく足止めしたギ・ガー・ラークス。

 エルファの重騎士団を正面から打ち破り、東征の主役と言っても良い活躍をしたギ・グー・ベルベナ。

 周辺国の占領と的確な援軍の要請で味方の被害を減らしたギ・ギー・オルド。

 治安の維持と占領地域の復興を同時にやり遂げているラ・ギルミ・フィシガ。

 そして将軍格には及ばないながらも、同盟国の軍師と協力し数々の国を落としたギ・ヂー・ユーブとギ・ズー・ルオ。

 エルファの攻略だけでもこれだけの戦果を挙げている彼らだったが、残す国は東の大国アーティガンドのみである。

 東征の行われた約二年の間に、彼らが上げた戦果はそれこそ本が一冊書ける程であった。

 彼らが一同に会したのは、小国家群との戦いを終えて改めて巨大なアーティガンドへの対策を協議する為である。

「アーティガンドは、北を北海、南を大海に囲まれた半島に存在する国です」

 口火を切るのは、宰相プエル。

 彼女の説明により、攻略すべき国の地理・風土・兵力・主要人物に至るまで王の前で詳らかにされていく。

 エルファとの境に存在する山脈地帯は南の海岸沿いまで続いており、大軍を展開するのは困難であること。北側の街道には飛竜の渓谷があり、恐らくはそこから飛竜騎士団が結成されているであろうこと。住民は誇り高く傲慢で、人間至上主義が罷り通っていること。また、それを背景に教会の影響力が強いこと。

 兵力は貴族の私兵と国王直轄の軍があり、最近ヤーマを併合したことにより海軍を備えたこと。常備軍の数は少なく、広い国土に比して主力は2万程度であろうこと。

 そして、アルロデナにとって不吉の象徴でしかない勇者の存在。

「海軍を封じる手として、魚人族(マーマン)と連絡を取っています。彼らを扇動し、後背地域を襲われるのを防ぎます」

 エルファ攻略に際して、補給物資の搬入などで活躍したヤーマの海軍。それを後背地域を荒らすことに使われては面倒なことになる。

挿絵(By みてみん)

 補給物資が前線に届かず、軍事行動に支障が出るかもしれない。

「飛竜騎士団への対処は?」

「地下道の建設を進めています」

 ギ・ギー・オルドの質問に、プエルは当然のように応える。

「地下道!?」

 蟻人(キラーアント)の新たな女王が巣を作るのを利用して、エルファからアーティガンドに跨る地域に地下道を構築している。特に襲われると厄介なエルファとアーティガンドの国境付近では、地下道を利用しようとプエルは考えていた。

 王を囮に使うような作戦をプエルは好まなかったし、そこにいた主要な者達もそれは同様だった。

「前回の作戦では駄目か?」

 ゴブリンの王だけが眉を顰めるが、プエルは氷のような微笑と共に王の視線を受け止め、弾き返す。

「何故採用しないのか、懇切丁寧にご説明いたしましょうか?」

「……いや、良い。続けてくれ」

 若干気不味い空気が流れたが、プエルは咳払いをして仕切り直す。

「北側の飛竜渓谷には飛竜が多数生息していると思われます。彼らがどのような手法で飛竜を手懐けているのかは分かりませんが、敢えて危険を犯す必要はありません」

 キラーアントの女王蟻は、既に巣の構築を始めているとのこと。

 一部のゴブリンもその作業に加わっている為、進捗状況は良い。

「地下道は良いとして、敵はどこに配置されているのだ?」

「先ず、第一の攻略目標として旧アルサス領の要塞バンディガム。次に北方の要ヤークシャー。そして辺境伯領バークエルです」

「目標は三つか」

 地図に示される地点に視線を落とすと、地下道の先にバンディガム。飛竜の渓谷と王都の間にヤークシャー。そしてアーティガンドの南西側に辺境伯領バークエル。

 西側から徐々に攻め落とすという手堅い布陣に、ゴブリンの王を始めとして他の高位のゴブリン達も頷く。

「地下道を通った後、バンディガムを包囲。続いてヤークシャーとバークエルへと進軍」

 駒を動かすプエルの指先に、全員の視線が集まる。

「バンディガムを橋頭堡として、アーティガンドの攻略を具申致します」

「今までのように一気呵成に、という訳にはいかないのか?」

 ギ・ギー・オルドは首を傾げながらプエルに問いかける。

「残念ながら人心が収まりません」

「いっそ根絶やしにしても良いのだが」

 太い顎に手をやり、思案するギ・グー。

「それでは時間が掛かり過ぎるのでは?」

 ラ・ギルミ・フィシガは治安を回復させるという難事に携わっているからこそ、ギ・グーに疑問を呈する。

 アーティガンドは人間族勃興の地であり、その誇りがゴブリンらの統治の邪魔をする。小国家群のように一気呵成に飲み込める訳でも、新興国家だったアティベルのように民がその存在を漠然と認識しているという訳でもない。

 比較対象として見るなら、ゲルミオン王国だろう。

 だが、ゲルミオン王国とて西域と呼ばれた土地の開拓は始まったばかりだった。現に、王都から東の地は治安を回復させる為にかなりの大鉈を振るわねばならなかった地域である。

 後背地の治安を維持せねばならないのは絶対条件として、安心出来る根拠地を持って攻略を進めねばならないとプエルは進言していた。

 手堅いとすら言える戦略に、ゴブリンの王は大きく頷く。

「良かろう。バンディガムを陥落させた後、ヤークシャーとバークエルへ向かう」

 それぞれに頭を下げる将軍達に満足し、ゴブリンの王は地図に視線を落とした。


挿絵(By みてみん)


 が、突如として鳴り響く轟音に、思わず全員が外を見る。

 天空から舞い降りる一匹の龍の姿。見覚えのあるその姿に、ゴブリンの王は目を疑う。

「ドゥーエか!」

 ゴブリン達全員が目を丸くする中、火炎龍ドゥーエは地上へ降り立つと、背から二人の人影を降ろした。

 僅かに視線を逸らすプエルは、ゴブリン達がドゥーエに注目している間に地図と書類をしまう。

「全く、よく揺れたな!」

「……気持ち、悪い、です……」

 平然と不平を言うギ・ザー・ザークエンドと死にそうな顔をしているレシアの姿に、ゴブリンの王は目を剥く。

「何故、あの者達が此処に居るのだ!?」

 自然とプエルに視線が集まるが、プエルは書類を片付けると素っ気なく言い返す。

「ご本人方に確認されては?」

「む、それはそうだが……」

 そそくさと退出するプエルに釈然としないものを感じながら、ゴブリンの王はドゥーエの元へ急ぐ。

 へたり込みそうなレシアと傲然と胸を張るギ・ザーは何やらドゥーエと話しをしていたが、ゴブリンの王が到着すると向き直る。

「これは、どういうことだ?」

「援軍だ」

 簡潔過ぎるギ・ザー・ザークエンドの答えに、視線をレシアに向けるが、彼女は乙女にあるまじき苦鳴を漏らしながら嘔吐くばかりであった。

 再度ギ・ザーに視線を向けるゴブリンの王だが、それ以上説明するつもりはないらしく、腕を組んでいるだけだった。

「……我が主。恐れながら、援軍を頼んだのは俺なのです」

 若干肩を落としたギ・ギー・オルドが告白する。

「飛竜騎士団に対する切り札、か」

 独白するゴブリンの王は、火炎龍ドゥーエの前に進み出る。

「ドゥーエよ、そういうことで良いのか?」

「……我の生命は、そこな信徒に救われ、得たものだ。口惜しいことだが、受けた恩義を返さぬのは我らの信条に反する」

 ゴブリンの王は視線をレシアに注ぐが、彼女は暫く口を利けそうになかった。

「飛竜共など我が気配だけで怯えるだろう。その程度の介入ならば、貴様らの戦に加担したことにはなるまいよ」

「そうか……感謝を」

 ゴブリンの王の言葉に鼻を鳴らすと、ドゥーエはその場に寝そべる。

「うぅ……、胃の中が踊って、いるような」

 若干呆れ気味にレシアを見下ろすゴブリンの王だったが、他の者達に勝利の宴の用意をさせると、彼女に声を掛ける。

「まぁ……その、なんだ。落ち着いたら城に部屋を用意させよう」

 こくこくと頷く彼女は未だに喋れそうになかった。


◆◇◆


 騎士団長ラスディルは義勇兵を率いるガランドと合流を果たすと、その進路を一路アーティガンドへと取った。

 大軍が展開するには不向きとされている山脈地帯でも、避難民を誘導する程度ならば問題はない。飛竜騎士団の活躍もあって魔獣は殆ど鳴りを潜め、比較的安全な行程である。

 一足先に戻った飛竜騎士団のミーシャ中隊からの報告もあり、彼らがバンディガム要塞に到着する頃には迎えの兵士が待機していた。

「……ガランド殿、お久しぶりです」

「お前……ユアンか?」

 泥と疲労に塗れた避難民達を引き連れたガランドの前に現れたのは、嘗て西域の民を率いて東部に逃れた筈のユアンであった。

 その装いは一般の兵士のものではない。将軍とまではいかないが、それに準ずる扱いを受けているのは見て取れた。

「無事で何よりだ」

「ええ、貴方も」

 気不味そうに視線を逸らすユアンに、ガランドは妙な違和感を覚える。

「……失礼、貴公が責任者と見受けるが」

 顔見知りと知って遠慮していたラスディルだったが、どうにも微妙な雰囲気を嗅ぎ取って話に入る。

「ええ、間違いありません。聖騎士ユアン・エル・ファーランと申します」

「聖騎士? それは一体……?」

 ガランドの身の上を知っているラスディルは、ガランドとユアンの間に行き来する視線をどうすることも出来なかった。

「“教会”により選任された騎士の呼称です。私は3番隊の副長を任されております」

 瞠目するガランドに、ユアンは勇を振るって視線を合わせた。

「成程な」

「はい」

「避難民は任せる」

「この名に懸けまして」

 頭を下げるユアンに、ガランドは何も言わず背を向ける。

 難しい顔をして黙り込むラスディルだったが、解決の糸口は見い出せそうにない。兎に角避難民を託さねばならない彼としては、ユアンを窓口にするしかないのだ。

 いつまでもガランドの背中に頭を下げ続けそうなユアンに、ラスディルは声を掛ける。

「……私が口を挟める事情ではないのは察するが、避難民の手続きを頼みたい」

「はい」

 一通りの手続きを済ませると、避難民をエルファの難民として受け入れる支度にかかる。滞りのない手際の良さにラスディルは感心するが、ユアンは苦笑を浮かべて首を振った。

「一昨年から避難民の数は増える一方です。勇者殿のお陰で飢えさせることこそありませんが、こんな事務手続きばかりが上手くなって……」

 自嘲気味に笑うユアンは、僅か数日で避難民の処置を完了していた。

「……エルファの旧騎士団の方々と辺境伯軍の方々には、追って勇者殿から指示があることでしょう」

 望む望まないに関わらず、戦力は勇者の下に統合されつつある。エルファは陥落し、アーティガンドに従っていた小国も落ちた。どうしてこの国だけが、ゴブリン達の侵略の餌食にならないと言い切れるだろう?

 ラスディルは、このユアンという実直そうな青年に興味を覚えていた。

 一通りの仕事を終えた後に酒場に誘うと、ユアンは仕事を理由に固辞する。

「ならば、終わるまで待っていよう」

 やれやれと苦笑するユアンは、ラスディルの押しの強さに根負けして誘いを受けるのだった。

「随分強引に誘ってしまった。許されよ」

「いいえ。貴方方のお立場は理解しているつもりです」

 ラスディルは今、旧エルファの代表という立場に立たされている。王太子は未だ幼く、王妃は政治に疎い。実力と地位の両方を持った彼しか適任者が居なかったのだ。

 ラスディルも、亡命したアーティガンドに知己と言える程の知り合いは居ない。勇者と面識はあるが、それだけである。如何に勇者が同志と呼んでくれても、それはあくまで個人的な付き合いだ。

 亡国エルファの代表として、様々な方面に伝手を作らねばならない。それを察してくれているユアンという青年は、やはり実直で能力もあるのだろう。

「……見破られていたか」

 戯けるラスディルだったが、その視線は厳しい。

「出来るだけのことはさせて頂くつもりです」

「……それはやはり、ガランド殿の?」

「それもありますが、私自身も難民としてアーティガンドへ入りました。3年前のことになります」

 酒に口をつけるユアンの視線は、過去を追っているような気がした。

「だが、エル・ファーランといえば東方13武家の1つでは?」

「ええ、婿養子として迎えられました」

「成程、貴方の実力の賜物ですな」

「どうでしょう? 私は運だと思ってますよ」

 ユアンの立場を聞くと共に、ラスディルはアーティガンドの国内に大きな動きが在ることを知った。

 軍備の増強が恐ろしい速度で進んでいるのだ。彼の知っている聖王国アルサスとは、最早別の国である。分かってはいたことだが、それにしてもその速度に驚かされる。

 東方最大の宗教“教会”が独自に専任する聖騎士。

 彼らを筆頭とする聖騎士団は5つ。ここ2年程で急速に整えられた組織である為に急造感は拭えないものの、団員達の装備の良さには眼を見張るものがあった。

「副長、こんな所に居たのか!」

 ユアンとラスディルの視線が一人の少女を捉える。

「アリエノール様」

 席から立ち上がるユアンは、優雅な礼をして少女を迎える。酒場には似つかわしくない美しい少女だったが、ユアンと同じ鎧姿である。

「探したぞ! そちらの仕事が終わったら剣の稽古をつけてくれると約束したではないか!」

「失礼致しました」

「あ、いや。怒っている訳ではない。怒っている訳ではないのだが……こちらの方は?」

 忙しなく視線を動かす少女の視線が、助けを求めるようにラスディルに向かう。

「これは、ご挨拶もせず……エルファのラスディルと申します。ユアン殿には避難民の受け入れから、お世話になっております」

「鉄牛の、だな?」

 慎重に視線をユアンに向ける少女に、ユアンは頷く。

「……成程。それならば仕方ない。私はアリエノール・デド・ガーディナ。聖騎士3番隊の隊長を務めている」

 驚きに目を見開くラスディルに、アリエノールは自嘲気味に笑った。

「まぁ、名前だけのお飾り隊長だ。ユアン副長を取られるのは腹立たしいが、事情もあろう。今日は諦めるとしよう」

 踵を返す少女の背中を見やって、ラスディルは微妙な表情を作る。

「この国では少女が戦に出るのか……確かに聡明ではあるのだろうが」

「槍の腕なら私よりも上です。剣の腕は未だ未熟ですが……彼女も東部十三武家の出身ですので」

「だが、子供だ」

「ええ、その通りです。全くもって」

 不可解なものを見るような目で、ラスディルは消えた少女の影を追っていた。



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