鉄の国エルファ
1月23日誤字修正
三国同盟崩壊後、アルドゥールの予言通り黒き太陽の王国の進撃を止められる国は既になかった。最南端から海岸沿いに北上する混成軍と、三国同盟の崩壊によって勢いを取り戻したギ・ギー・オルドの双頭獣と斧の軍。
また、北部未踏領域と南方の人間領域を隔てる大山脈を北限として山岳地帯を進むギ・ガー・ラークスの虎獣と槍の軍、大陸中央を蹂躙すべく進むギ・グー・ベルベナの斧と剣の軍。
西方と北部及び南部の未踏領域を除けば尽くをその掌中に収めながら進撃を続けるアルロデナは、その威を増しながらランセーグ地方の小国を押し潰していった。
混沌の子鬼の打ち建てたる国、アルロデナ。
未だ征服の牙を突き立てられない国々は戦々恐々とその動向を見守るしかなく、唯一大陸東部に厳としてある神聖王国アーティガンドのみが、彼らの侵攻に立ち向かえると思われていた。
王暦4年の厳冬期。
大陸東部においては、山々に薄い白化粧が成される季節である。
アルロデナ全軍の軍師プエル・シンフォルアが集めた情報によれば、飛竜騎士団はその数を500騎にまで増やしていた。一騎が歩兵500人に相当すると豪語する飛竜騎士団の発表を、民衆はそのまま鵜呑みにしているようだった。
酒場では仕事帰りの男達が寄ると触ると飛竜騎士団の頼もしさを語り合い、共同井戸では女達がゴブリンの建てたる国の恐怖を語り合う。
民の語り合う声は絶えず恐怖を伝えている。プエルの放った諜報の糸は、既にアーティガンド内部の情報を探り出していた。酒場で囁かれる噂、商品の流れや物価など、ありとあらゆる情報を集めてはプエルの元に送る。
その情報を整理し、統合する役目を負っていたのは軍師プエルではなく、自由への飛翔の生き残りの少女であるソフィアであった。
プエルの下で数々の諜報や謀略に関わる内、自然とその才能を伸ばしたソフィアは、今やプエルの情報戦を支える右腕となっていた。自身で敵国に潜入して扇動・擾乱・謀略などをこなすと同時に、組織を使っての情報戦をも担当するようになっていた。
孤児を拾って情報戦の駒に育て上げる彼女の働きは、エルクスという血盟の変質を意味していた。嘗て、盟主トゥーリが率いていた時は家族のように強固な団結を誇る少数精鋭の血盟であった。盟主亡き後、強固な団結はそのままに暗闘を戦い抜く術を身に付けざるを得ず、エルクスは情報を駆使して謀略を企て、敵対者を葬る非道な側面を持つ血盟へと姿を変えた。
また、一国単位の情報戦を担当する者達が他に居なかったという事情もある。
アルロデナの主力は、当然ながらゴブリンである。
ゴブリンの王の個人的な威徳と武力が中心にあるとはいえ、彼らが情報戦に向いているとは、お世辞にも言えなかった。自然、そういった方面は信頼出来る同盟者達が担わねばならなかったが、その中で最も秀でていたのがエルクスの生き残り達だったのである。
プエルがソフィアの成長と共に自身が担当していた役割を譲ったのは、彼女なりの必然であった。軍師として全軍を動かす立場にいる彼女は、自然とその主軸を政治へも向けなければならなくなっていた。
シュシュヌ教国との戦を通じて、後方の安定こそが軍の力を遺憾なく発揮させることが出来ると知った彼女は、文官の地位を引き上げると共にその拡充に努めていた。
彼女の立ち位置は軍師という役割から宰相に近いものとへ変質を余儀なくされていたのである。如何にゴブリンの王が有能で威徳に満ちていようとも、たった1人で国を支えることは出来ない。
であるならば、かの王の目となり耳となり、また手足となって働く者達が必要であるのは当然の帰結であった。嘗て、ゴブリンの王が人間を支配する手段を考えていた際に導き出した自身に従う家臣団という構想は、プエルの手を経て漸く現実味を帯び始めていたのだ。
宰相の地位にプエル・シンフォルア。
宰相を補佐する官僚集団に名前を連ねるのは、筆頭に西都総督ヨーシュ・ファガルミア、次席として“麗しき沈黙”ヘルエン・ミーア。
東征軍総監として、“失言多き天才”ガノン・ラトッシュ。
また、妖精族からも若く優秀な若者達がその名を連ねていた。英明のシューレの娘であるシュナリア姫、その助手という形でセレナなども存在していた。
人間族と妖精族を中心に集められた彼ら官僚集団は、大国を創造し作り出していく上で必要な異端の才能達だった。それらを纏め上げ、東征軍が十全に力を発揮出来るようにするのがプエルの役割である。
誠実な態度で政務に勤しむゴブリンの王ではあったが、肝心の事務処理能力が優れているのかと問われればそういう訳でもなく、残念ながら平凡の域を出ない程度であった。
無論、ゴブリンとしてはドルイド達を除けば異端と言って良い程の能力だったが、本物の天才達と比較すればどうしても二段は落ちる。
また、最前線で剣を振るうことを好む王としては十分過ぎる能力でもあった。
ゴブリンの王が構想し、宰相プエルが補佐し、官僚集団が具現化する政策は大国を動かしていく上で必要不可欠であり、新たな国を打ち建てるという巨大事業を推進する起爆剤であった。
文武の両輪が揃ったアルロデナの快進撃は留まるところを知らず、最前線で戦う兵士は百戦錬磨のゴブリン達である。暗黒の森の本拠地である深淵の砦から数ヶ月に一度補充される兵士の数は、一国の許容量を簡単に超える。
そうして、遂にアルロデナはランセーグ地方最後の砦たる鉄の国エルファと向き合うまでに歩を進めていた。
◆◆◇
大国ランセーグの後裔を名乗り、小国の中でも随一の存在感を示すその国はエルファといった。ランセーグ地方最大の鉱山地帯を抱える鉄の国エルファ。その産出量は小国の国庫を潤すのに十分であり、豊富な資金を元手に歴代の王は軍事に傾倒した政策を取ってきた。
この地方で産出される良質の鉱石からは二種類の鉄が作られる。水鉄と岩鉄である。
強度はそのままに非常に軽量な水鉄と、重量はそのままに魔法を弾く特性を持った岩鉄。鉄の国エルファが保有する重装騎士団が、この2つの鉄を使った装備に行き着くのは必然であった。
4つの重騎士団と、それに付随する従騎士団が4つ。
これ程の常備兵を抱える国は、小国の乱立するランセーグ地方ではまず見当たらず、対抗出来るのは大国のみであった。普通、ここまで軍事力を強化すれば嘗ての大国ランセーグのように周辺国を飲み込み、覇権国家への道を歩んでも良さそうなものだったが、エルファの立地条件がそれを許さなかった。
東に存在する王国アルサス。
衰えたとは言え、東の大国は虎視眈々とエルファが抱える鉱山資源を奪い取ろうと画策していた。それに同調するように南北にも敵対的な小国を抱えたエルファは、時にはアルサスと連携して自国を狙う小国と対峙せねばならず、ランセーグ地方の平定を為すだけの余力が残されていなかったのだ。
だが、鉄の国エルファはランセーグの復活を決して諦めた訳ではなかった。民の気性は、頑固にして勇猛。
いつか、必ず──。
その言葉がエルファの合言葉でもあり、農作物に恵まれない国土を改良し、国と民が一丸となって軍備を強化していった。だが、そんな体制など周辺国からすれば迷惑以外の何物でもない。
エルファが一途に軍備を強化すればする程、周辺国は警戒を強くして大国アルサスに擦り寄らざるを得なかった。
だが、半ば恒常化していたその情勢に波紋が生じたのは聖女戦役から始まる西のアルロデナの大侵攻である。破竹の勢いで西の国々を併呑し膨張していく軍事大国の勇躍は、人間同士の確執を一時とは言え忘れさせるのには十分であった。
鉄の国エルファ及び周辺国は癒しの女神の聖女を旗頭に仰ぐ象牙の塔に救援を送り、アルロデナと対峙することになったが、結果は無残な敗退である。1個の重騎士団を失ったエルファは、その再建に忙殺されることになる。
民は重税に耐え、王は粗食に耐え、軍は爪に火を灯すが如き倹約を強いられた。そして、鉱夫達は寝る間も惜しんで鉱山で働き続けた。
そうして再建された1個重騎士団であったが、備えるべき東の大国は不可能を成し遂げて神聖王国と名乗りを変え、更に強大になっていた。神聖王国アーティガンド。嘘か真か、勇者が降臨したというその国からエルファに同盟締結の使者がやって来たのは、三国同盟がゴブリン達の攻勢を受け止めている最中だった。
攻守同盟を持ちかける若い女の使者に、エルファ側は議論百出した。
その中で急速に同盟を固めるべきだと主張したのが、亡きラスモアの子たるラスディル。鉄牛将軍の異名を誇った父の名を辱めない筋骨隆々とした大男。そんな彼が、声を大にしてアーティガンドとの同盟締結を主張していたのだ。
「どうせ同盟するしか無いのだから、さっさとしてしまうに限る」
身の丈は2mに迫る巨躯である。平均身長が1m半ば程度しかない当時においては巨漢と言って良い。太い首と広い肩幅、そこから伸びる圧倒的な筋力を備えた腕と身体、それらを支える強靭な足。迸る存在感は見る者を圧倒させる。
「そうは言うが、あの国は信用できん!」
エルファの国策に関わる会議。王と軍の最高幹部たる4人の騎士団長、更には政治全般を引き受ける宰相の計6人は、互いに意見を闘わせていた。新設された重騎士団の新たな団長たるラスディルは、先達の団長に鋭い視線を向けると口を開いた。
「ならば、ゴブリン共と同盟を結ぶと?」
「それは……」
先程までアーティガンドとの同盟に反対を表明していた団長が言葉に詰まるのを見たラスディルは、溜息を付くように吐き出した。
「俺だって尊敬する諸先輩方の前でこういうことは言いたくないが、過去の遺恨は水に流すべきだ」
短く刈り揃えた髪を乱雑に掻くと、ラスディルは言い切る。
「……ラスディル団長の言う通り、隆盛する西の大国と勢いを盛り返した東の大国の最中にあって、我が国がどちらにも依らず独立を維持するのは難しいかもしれません」
現実を見据える宰相の言葉は、王と3人の団長に向けられる。
「ぐ、む……! だが、なぁ」
騎士団長達は歯噛みせざるを得ない。
無論、ラスディルの意見は正論である。ゴブリンと手を組むなど有り得ない。故に、アーティガンドと手を結ぶしか無いことも分かっている。
しかし、自分の父祖の代からの仇敵とそう簡単に手を結べるのかという心情的な問題が横たわっているのだ。それに団員達の反応も気掛かりである。最悪、気性の激しい者達の中からゴブリンの方が未だマシだと言い出す者が出かねない。
それ程に、鉄の国の東の大国に対する遺恨は深く激しい。
結局、その日の会議では結論を見出すことが出来ず、解散を迎えることになった。
新設された騎士団の長であるラスディルは、自室に引き籠っていた。どうすれば彼ら反アーティガンド勢力を説得出来るか、頭を悩ませていたのだ。
「失礼致します」
若い女の声に、ラスディルは思考の海から頭を切り替える。
「誰だ?」
扉を開けて入ってきたのはアーティガンドからの使者である。聞けば、飛竜騎士団で小隊長を務めているらしい。ラスディルからすれば、地位も低く実績も無い小娘だ。
「……使者殿か。このような夜分遅くに何の御用か?」
「ラスディル様におかれましては、随分お悩みのご様子。少しでも助けになればと思いまして」
したり顔でそう言う使者を、反射的に殴り飛ばしそうになったラスディルは寸でのところで動きを止めた。
「……であれば、速やかに自身のお部屋に戻られるが良かろう」
ラスディルとてエルファの民である。心情的にはアーティガンドなど好きになれる訳がない。状況が許せば、今すぐ東へと攻め込みたいとすら思っていた。
だが、西のゴブリンに膝を屈するなど人間としてあってはならない事である。
百年の遺恨を乗り越えてでも同盟を取り付け、祖国の独立を守らねばならないと考えていた。
「いいえ。貴方には、是非とも我が主の助けとなって頂かねばなりません」
ラスディルからすれば、立ち上がったとしても胸の辺りまでしか無い小柄な少女である。しかし、話す言葉に迷いも恐れも無い。
普通、ラスディルのような偉丈夫の前に立てば、本能的に恐怖の念が呼び起こされても不思議ではないというのに。
だが、その時のラスディルにはそのような機微に頭を悩ませている暇などなかった。そこに居るだけで苛立ちを催すアーティガンドの使者をさっさと追い払ってしまいたいとしか思っていない。
「だからこうして頭を悩ましているのだろうッ! 主の為を思うなら、さっさと出て行け!」
立ち上がって使者の少女を立ち退かせようとしたラスディルに、少女は口元を引き攣らせたような笑みを向けた。まるで深淵を覗くような瞳孔の開き切った目と、口元に浮かべる罅割れたような笑み。なまじ整っているだけに悲痛さを感じさせる笑みを向けられて、ラスディルの怒りは霧散した。
そこで漸く、ラスディルは使者の様子が尋常でないことに気が付いた。
「む!?」
「貴方は、私の主の為に、役に立ってもらわなければならない」
少女が手にしていたのは魔石だった。
砕かれた欠片が手を傷付けるのも構わず、少女がそれを握り締めると滴る血が床に落ちる。床に落ちた血液が、まるで意志を持つかの如く円を描いて魔法陣を形作る。
「我は御名を呼ぶ者!」
滴り落ちた血液が発光し、のたうつかのように脈動して、その円周が広がりを見せた。
一層強く脈動した魔法陣から姿を現したのは、年若い少年と言っても良い風貌の男だった。身に纏う鎧は何の素材を使っているのか分からないが、その強靭さは鉄の国に育ったラスディルには一目で分かった。
そして何より、彼が瞠目したのは目の前の少年を覆わんばかりの光輝である。
思わず膝を屈してしまいたくなるような、頭を垂れて忠誠を誓ってしまいたくなるような、絶対者の威風を身に纏った少年。
「君が、エルファの若き団長ラスディルか」
「はっ!」
声を掛けられる、思わず膝を突いて返事をしてからラスディルは我に返った。
自身は何をしているのかと。
名も知らぬ少年に頭を下げ……これではまるで、忠誠を誓う騎士か何かの構図ではないか。
そんなことがあって良い筈がないと自身に言い聞かせても、己の身体は容易に言うことを聞いてくれなかった。まるで夢の中で自分の心と体が切り離されているような不思議な感覚。
ともすれば、それさえ喜びに変換されてしまうのではないかという不思議な心持ちを味わいながら、ラスディルは若者から次の言葉が掛かるのを待った。
「僕には協力者が必要だ。西から来る魔王を打倒し、人間の世界を取り戻す為の協力者が」
魔王という言葉に、ラスディルは改めて戦慄した。
無意識に所詮ゴブリンと侮っていたが、軍の主力がゴブリンだとしても、その奥に何が潜んでいるのか分かったものではない。一部ではオークの兵士も確認されているのだ。或いはあのゴブリン達は先遣隊で、それ以上の敵が西に存在しているのではないだろうか?
それが魔王?
人間同士で争っている場合ではない。自身の考えを裏付ける言葉に、ラスディルは若者に膝を突いたまま考える。
「ラスディル」
「はっ!」
「僕と共に戦ってはくれないか。人間を救う為に」
「喜んで! ……ですが、貴方様は一体?」
「僕は、勇者」
若き団長の心を侵蝕する光輝は、その最後の抵抗を微塵に打ち砕く。
「人間を救う、勇者だ」
三日後、再び行われた会議で鉄の国エルファはアーティガンドとの攻守同盟を確約。
大国ランセーグの後裔を自称するエルファは、その刃を怒涛の勢いを持って迫るアルロデナへと向けることになった。
◆◇◆
──鉄の国エルファ、騎士団に出撃を命令。
旧三国同盟との国境付近を固く閉ざしたエルファの動きに、ソフィアは眉を顰めながらプエルへと報告を上げた。
「エルファの動きが異常に速いですね」
柳眉を潜めたプエルは、ソフィアからの報告を聞いて呟いた。まるで迷いが消えたように瞬く間に騎士団に出撃命令を下すと、国境を固めるその動き。
既に王都防備の為に新設された騎士団を除く、3つの重騎士団と軽騎士団が国境沿いに展開されている。この速度はプエルの予想外だった。
つい先日まで受けていた報告では、大国アーティガンドと同盟するのか、はたまた独立を守る為にゴブリン側に加わるのか、無理を承知で単独で戦うのか。何れの選択肢を取ろうと国を割る程に混乱を極めていた筈なのにである。
加えて遷都である。
アーティガンドとの国境近くの街に、王族が移動。
これを隠すでもなく公然と為したのだから、最早アーティガンドとエルファの同盟は確実であった。
「何でも、新たな騎士団長となったラスディルが他の団長達を説得しに回ったとか」
「それだけ……でしょうか?」
「はい。他に大きな動きはありませんでしたが……」
「ありがとう。引き続き情報を集めてください」
「分かりました」
ソフィアが引き下がった後、プエルは熟考する。
果たして、本当にそれだけか?
急速な飛竜騎士団の整備、海洋国家ヤーマの併合、難民の受け入れと群島諸国からの食糧援助。更に、ここに来て不倶戴天と言っても良い鉄の国がアーティガンドの盾となろうとしている。
まるで、誰かが川の流れを強引に変えるべく石を積み上げているかのような違和感。
アーティガンドに潜入させた密偵からの報告では、確実にアーティガンドの財政は悪化の一途を辿っている。
或いは難民を兵士に仕立て上げた?
自身の考えを、更に否定する。
人間を兵士とするには、訓練を施して食い扶持を与え、指揮官に従うように教導せねばならない。武具などの調達も含めて非常に金の掛かる代物だ。つい先頃まで難民だった者達に務まるとは思えない。
アルロデナのようにゴブリンを主力としているとつい忘れそうになるが、兵士とは一人一人が非常に高価なのだ。
急拵えの兵士で、歴戦を生き延びたアルロデナのゴブリン兵に敵う筈がない。
その筈なのだが、プエルの脳裏には聖女戦役の不吉な赤い空が焼き付いていた。
「……神々の力の一端を、人間達が扱い始めたのだとしたら?」
ヨーシュを通じて、象牙の塔でレシアを操ろうとしていた男の話は聞いた。
であれば、あれよりも更に影響力を及ぼす者が現れた可能性も捨てきれないのではないだろうか? 或いは、それが勇者?
「……」
だが、仮にそうだとして事実としてエルファはアルロデナの前に立ち塞がっているのである。手を拱いて彼らに隙を見せれば、それだけアーティガンドに準備の時間を与えることになる。
侵略の要は速度である。
この結論は変わらない。
であれば、鉄の国エルファに圧倒的な戦力を集中し、かの国を一挙に陥落させる以外にはない。彼女はそう結論付けた。
幸い、プエルの下に組織された官僚団は十全に力を発揮している。
踏み締める王城の床に、西日が差し込む。
体調を回復させたゴブリンの王は、政務を片付けたところだった。
「王よ、失礼します」
視線を上げるゴブリンの王の顔色に変化は見られない。隣に控える聖女レシアの姿もいつもと変わらない。そんな当然のことに安堵の息を吐き出し、それを隠すように頭を垂れた。
「本日は危急の要件があって参りました」
「戦か」
「御意。敵は大陸中央に広がる小国家群最後の一角、鉄の国エルファ」
黙って彼女の言葉を聞く王に、言葉を続ける。
「この国を併呑すると同時、東の大国アーティガンドを攻略いたします」
「いよいよか」
「はい。この大陸で最後の戦でございます」
大きく頷いたゴブリンの王は座っていた椅子から立ち上がると、プエルに命じた。
「触れを出せ。出陣する」
「御心のままに」
王暦5年新年の頃、ゴブリンの王、親征。
東では鉄の国エルファと東征軍の戦端が開かれようとする頃である。王都レヴェア・スーから発せられたその報は、四周を駆け巡った。




