幕間◇天空の支配者
羽ばたく音が聞こえる。最も幼い眷属が、空へ舞い上がる時を迎えていた。
その音を洞窟の中で聞くのは、古より生きたる竜。雪の消えぬ山岳の頂上にして、神々の争い以前に隆起した北稜山脈の更に北側。雲海の上に浮かぶその領域には、人はおろか空を棲家とする有翼種ですらも立ち入らない。
幻想の神ファミルと夢の神ジェジェの名を冠した山脈の頂。その懐に抱かれるようにして、彼は居た。
神話の時代から語り継がれし、空の王。
黄金竜グリムモア。
妖精族よりも遥かに長い寿命を誇り、番いを為さず眷属を生み出す。その生き様は、生物というよりは神に近しい存在である。空のマナを食らって成長し、数多の眷属を従える姿は、正に空の王。彼がその気になりさえすれば、大陸全土を焦土とすることなど赤子の手を捻るよりも簡単である。
黄金色に輝く龍鱗は、竜達の中でも最も力強き者の証。翼を広げれば、全長30メートルにも迫ろうかという巨躯。長く伸びた首筋から背中にかけて黄金色の鶏冠が並ぶ。
眼光は鋭く、空を閉じ込めた宝玉の如き蒼を湛える。星渡りの神々ティアの作りし巨人族の硬い身体であろうと噛み破る強靱な牙。喉の奥には火を吹く為の火焔袋と呼ばれる器官が存在し、一度吐き出せばその炎を以って天地に存在する一切を焼却する威力を発揮する。
強靱な四肢の先に在るのは、妖精族の玉鋼鉄オレイカルコスすら易々と切り裂く鉤爪。その硬さ故に、青銀鉄スリラナ製の武具を用いても傷を付けることさえ叶わない。
それだけでも強靱な武器であるが、竜の最大の武器はその身に蓄えられた膨大なマナである。数多の魔法を同時発動出来るだけのマナを絶えず体内に蓄積し、それを操る術も心得ている。
一旦怒りに我を忘れれば、全ての生きとし生ける者達はその獣性の凄まじさを思い知ることになるだろう。知性の反面、恐ろしい獣性をも持ち合わせた存在であるのだから。
“幻想に夢を重ねて生み出された”と評されるに不足なく、ありとあらゆる強者の理を詰め込んだ脅威の生物が竜である。そして彼の眷属は人間に北部未踏領域と評される地域に、広くその数を分布させている。その数は凡そ500。一匹一匹が人間の兵士1万にも匹敵する強靱な生命体であると同時に、歴代最高の魔法使いですらも及ばぬマナを持ち合わせている。
正しく空の支配者の名に相応しい彼は、青く燃え上がるような視線を空に向けた。
「来たか」
蒼穹宝玉色の眼光を空に向け、口元に獰猛な笑みを浮かべる。誕生からこの方、彼には敵対者がいる。幼き頃は兎も角、成長し、空の支配者となって以降、神々すら滅ぼせると驕り昂っていた彼に対抗せしめたのは、冥府の女神の眷属神が一柱。
妖精族最古の伝承に曰く、その者は黒き暗雲とともに来たり。翼無く空を這い進む者。
その伝承そのままに蒼き空を覆い尽くす暗雲の相間から顔を覗かせたのは、天に反逆するが如き2本の角を怒らせた龍である。
その手に宝玉を握る乱雲の主にして、雷槌を統べる者。
翼なき空蛇ガウェイン。
此方も500の眷属を従え、鳴り響く雷鳴を背に暗黒の雲を従えた威容は圧倒的である。
「約束の時、来たれり」
天から響くガウェインの声に、グリムモアも応じて吠える。
「立てよ、我が眷属達! 黄金竜グリムモアの名を知る者よ!」
山岳地域の全てに響き渡るグリムモアの怒声に、彼の眷属が応じる。風を支配下に収めて空に舞い上がる風竜。山脈に伏せていた岩竜は、周囲に投擲する為の岩石を無数に浮遊させて威を示す。湖畔に住まう水竜が湖の水を巻き上げてグリムモアの声に応じ、火山帯に住まう火竜が噴き上がる火炎を従えてグリムモアの下に馳せ参じる。
黄金竜グリムモアをドラゴンとするなら、翼なき空蛇ガウェインはリュウである。
翼無く空を飛び、天変地異を操り、森羅万象をその下に統べる。
戦意を滾らせて集ったグリムモアの眷属を見下ろしたガウェインは、獰猛な笑みを浮かべると天から開戦を告げた。
「いざ、戦わん! 名乗れ、我が宿敵よ!」
ガウェインの声に、グリムモアが応じる。
「いざ、戦わん! 我こそは神々の代行者にして空を統べし、竜王グリムモア! さあ、貴様も名を名乗れ、宿敵よ!」
「我が名はガウェイン! 冥府の女神の眷属にして、天を統べる者!」
神代の昔から続く空の支配者達の戦いが、遠く北部未踏領域で始まった。
◆◇◆
古の戦の作法により、グリムモアが眷属を従えて前に出る。ガウェインは眷属を留め置き、中空で2匹の巨大生き物が向き合った。
咆哮は同時。ただそれだけで、2匹の周囲には神威が吹き荒れる。
竜王は炎・水・風を超高圧縮した塊を2つずつ、自身の前に出現させる。解き放たれれば膨大な破壊を巻き起こすそれは、撃球と呼ばれる原初の魔法の一つである。
それらの組成式を瞬時に組み上げ、出現させ得る膨大な知識と魔素の貯蔵量。どれをとっても矮小な人間には及びも付かない代物である。例え魔素を操る素養に優れた妖精族であっても、竜王のそれを行使するのは不可能だろう。
撃球の後ろには魔法陣。
撃球の力を操作する為の、グリムモアの意志そのものである。
咆哮と同時にそれらを呼び出したグリムモアは、間髪入れずに解き放つ。圧縮した力を僅かな隙間から勢い良く噴射するように、それぞれの撃球から放たれた光線は鏃よりも鋭く速く、万物を貫く穂先となってガウェインに襲いかかる。
だが、ガウェインも神代の昔から生きる神の一柱である。
万物を貫く槍の穂先といえども、同質の力をぶつけてやれば防げぬ道理はない。
天の支配者が召喚したのは、万を越える雷槌の群れである。それを束ね束ねて巨大な一個の雷槌とし、迫り来る六つの光線を薙ぎ払う。
炎と雷槌、水と雷槌、風と雷槌が衝突し、衝撃波となって周囲に木霊する。雷槌とぶつかり合った水が蒸気となって周囲に拡散し、視界を塞ぐが、どちらも神代の時代から生き残る超生物である。己の振るった力の行き先が分からない筈がない。即座に、第二・第三の魔法を発動。
撃球から次々に万余を数える槍型の魔法を召喚し、槍列として敵を討ち滅ぼすべく進ませる。空に浮かぶは炎の槍列。炎と水と風に彩られた幾万もの刃の海を出現させ、グリムモアはガウェインに対抗する。ガウェインの振るう雷槌の一振りは確かに強力ではあるが、それ故に小回りが利かない。
波状攻撃の如く発射されるグリムモアの魔法に、ガウェインは更なる手を打たねば対抗出来ない。
数には数で対抗するのが道理である。万余の雷槌を束ねていたものを解除し、迫り来る津波のような波状攻撃に対抗する。
水蒸気の煙を割って殺到する刃の群れを、天上から降り注ぐ雷撃が叩き落とす。
だが、それも全てグリムモアの計算の内。
相手に対応させつつ、既にその口内には次なる破壊の魔法が紡ぎ出されている。火焔袋と呼ばれる竜独特の器官に炎を溜め込み、当然のように重ねられた魔法陣を通して吐き出されるのは、超高温の灼熱の吐息である。
自身の生み出した刃の群れを飲み込み、炎の刃は更に勢いを増して降り注ぐ雷斧の雨の中を突き進む。吹き付ける吐息に水と風の刃は霧散するが、加速を得た炎の刃の群れは雷雨を抜け、ガウェインに殺到するかに見えた。
しかし、その刃が天の支配者に届く寸前。ぐにゃり、と視界を歪ませて黒き撃球が発生する。重力そのものを歪ませて作られたその撃球は、迫り来る炎の刃を飲み込み、更に膨張と縮小を繰り返す。さながら生きて鼓動を繰り返すかのような撃球が、絶対防壁の如くガウェインの前に立ち塞がっていた。
「心地良き風よ」
天の支配者ガウェインが笑う。
「くははは! そうでなくてはな!」
空の支配者グリムモアもまた、余裕を残して笑っていた。
この程度の魔法など、二匹にとっては挨拶にも等しいものである。その気になりさえすれば、世界を支配する人間など殺し尽くしてしまえるだけの力を持った二匹は、飽くことなく闘争を続ける。
彼らを生み出した神々がそうだったように、彼らは闘争の中でこそ生きることが出来るのだ。争いのない怠惰と堕落の中で力を腐らせるなど、彼らには思いもよらぬこと。呼吸をするようにマナを消費し合い、鳴り止まぬ鼓動のように敵を葬る魔法を撃ち合うことを至上の喜びとするのだ。
人間の欲する打算も利益も彼らには無縁であった。対抗者が居る。ただそれだけで闘争の理由になり得るし、それ以外の戦う理由など欲しもしなかった。
2匹の強大な支配者同士が挨拶代わりの魔法を撃ち合った後、彼らの眷属達が合い見える。水竜と水龍が、風竜と風龍が、火竜と火龍が、己の主の為にいつ果てるともない闘争に身を捧げる。
絡れ合って落下する水竜と水龍。風の魔法の撃ち合いの果てに、その生命力の源たるマナを枯渇させつつある風竜と風龍。火竜と火龍は互いに牙を剥き、互いの灼熱の体に牙を食い込ませる。
相争う竜と龍達を横目に、天と空の支配者は魔法を交互に撃ち合う。一撃一撃が人間の都市など跡形もなく消し飛ばせるほどの威力を持つその交差は、神代の昔から決着の付かない争いの一端だった。人間が大陸を席巻して主人のように振る舞う中、彼らは幾度と無く争い、引き分け、そして再び争いを繰り返す。
グリムモアの支配する6つの撃球が鳴動する。先程まで都市を一撃で破壊するが如き一撃を交差していたガウェインとグリムモアだが、その中で彼らは次なる極大魔法の詠唱を開始していた。
撃球の一つ一つがグリムモアの前から離れ、ガウェインの上下左右へと飛び去る。距離を離しても撃球を操れるのは竜王の深い魔法知識故だが、彼は更に独自の魔法を紡ぎながらその操作を行っていた。
飛び去った撃球が所定の位置に着いたことを確認すると、グリムモアは即座に奸計の如き魔法を発動させる。撃球に蓄えられた魔法が、ガウェインの上下左右から爆発するような勢いで一斉に迫る。
逃げ場のない位置から殺到する魔法の嵐に、ガウェインは重力を操る撃球でその身を覆い、対抗する。絶対防壁と言える重力の壁が攻撃を全て受け流し、上下左右から迫る攻撃を相殺する。だが、グリムモアもそこまでは想定内である。
彼は魔法の撃ち合いに使っていたマナを、より高い次元で詠唱する為の時間を欲していた。
複数の都市を破壊出来る程に威力を高めた魔法の一撃。重力の結界を張る為に身動きの出来ないガウェインの上を取ると、攻撃を撃球に任せながら火焔袋を使って炎を呼び出す。まるで火神の胴体のようなその火炎球は、グリムモアの魔法陣を幾重にも重ねて生成されたものだった。
「堕ちよ。灼熱の星」
ガウェインの重力操作を打ち破るべく、それ以上のマナを込めた一撃を放つ。ガウェインの目に映ったのは、落下してくる太陽そのもの。小さいと言えども、複数の都市を破壊出来る規模の魔法である。ガウェインの身体を飲み込む程の巨大な火炎球。それが地上に激突したならば、山の一つ二つは平気で消し飛ぶだろう。
だが、それを見たガウェインは恐れるどころか笑みすら浮かべ、猛々しく吠えた。
龍と竜が放つ巨大な魔法には、それ自体に成立を補助する組成式がある。魔法の組成式よりも巨大なそれは、組成式の中心を貫かれるなどの攻撃を受ければ簡単に消滅させられてしまう。制約は多いものの、それ自体が一個の独立した魔法として機能する為の仕掛けであった。
グリムモアの撃球が、その手を離れても自動的にガウェインを追撃するのは、その最たる例である。
頭上の煩わしい撃球は、既にグリムモアの放った灼熱星の魔法により消滅している。重力の撃球で左右と下側から降り注ぐ魔法の攻撃を防ぎながら、頭上の結界を解除。龍玉に溜め込んだ魔素を自身の前に展開させると、瞬時にして巨大な火炎球を上回る魔法を導き出す。
グリムモアは火炎球を制御し、増幅する為に魔法陣を幾重にも重ねたが、ガウェインに関しては龍玉がそれを担う。故に、ガウェインが導くのは元となる魔法の形だけである。
「貫くは、御神槌」
炎の尾を引いて地上に落下する巨大な火炎球を迎え撃つべく、生み出されたのは雷槌。放たれる前から空気に触れて漏れ出す力が四周へその腕を伸ばし、重力結界はおろか攻撃してくる撃球の幾つかも絡め取られてしまう。
絡め取られた傍から、あまりの高質力で撃球を消滅させる威力を持つ雷条。ガウェインはそれを崩壊する直前まで制御し、放った。
炎の尾にすら絡みつく腕を伸ばした雷が火炎球全体を包み込む。中心では放たれた雷槍が火炎球を貫き、組成式を食い破ろうと激しく暴れている。だが、それでも巨大質量を持った火炎球はガウェインに迫っていた。
如何に高威力・高質力の魔法であろうと、その中心の組成式まで到達するには幾ばくかの時間がかかる。ガウェインの放った魔法が火炎球の組成式を食い破る前に、その身に火炎球が到達するとグリムモアは読んだ。
グリムモアの予想通り、灼熱業火の巨大火炎球がガウェインの身に到達しようとした時、火炎球の中心から雷槍の先が見えた。ガウェインの放った雷槍が、グリムモアの火炎球の組成式を貫いた証拠である。瞬時に消滅する火炎球は光の粒となって霧散し、火炎球という巨大な質量を貫いた雷槍もその力を使い果たし、消滅した。
互いに睨み合うグリムモアとガウェイン。その2匹の耳に彼らの眷属の断末魔の声が響く。視線をその方向に向ければ、互いに牙を突き立てていた風龍と風竜が息絶える所だった。
「此度は終いだ」
「良かろう」
言い出したのは、ガウェインが先だった。
約定など無い。しかし暗黙の了解として眷属が一匹死んだならば、その時点で彼らの戦いは終わりを迎える。竜と龍の主が吠えると、それまで激しい戦いを繰り返していた眷属達は三々五々引き上げていく。
そもそもニ匹が互いの消滅を期して戦いを始めたならば、世界は焦土と化す。それ故か、彼らの戦いは眷属が死した後は一旦引き上げとなるのが通例だった。彼らの眷属を生み出す力は、彼らのマナを貯蔵する力が元である。それが尽きるまでという、何とも気の長い話ではあるが、彼らの戦いとはそのような規模と年月をかけて行われるものだった。
暗雲を呼び寄せ、眷属達をその中に匿いながら、最後までグリムモアと向き合うガウェイン。それを見送るべく対峙するグリムモア。
「貴様の主は、戻ってくるのか?」
その問いかけはグリムモアのもの。
「無論。我が主は復讐の女神なれば」
当然の如く、答えるガウェイン。
「ならば、次の戦は世界を焼き尽くすものとなるか」
そう呟いたグリムモアは、僅かに悲しげだった。
自分達の戦いに変化を齎す者が来る。グリムモアを生み出した幻想の神と夢の神は、遠く星々の彼方に去ってより、彼の前に立ち現れることをしない。微睡みの中ですらジェジェに会うことはなく、ファミルは神々の大戦どころか、星々の彼方のどこにいるのかも不明だ。
父と母の不在による空虚を戦いで埋めるグリムモアにとって、再び現界しようとするアルテーシアの存在は羨望の的である。
「……だとしても、貴様の前に立つは我のみよ」
何も変わりはしない。天と空の支配者の地位を奪い合うこの争いは、自分達ニ匹だけのものだと宣言するガウェイン。
「……おお、そうよな。その通りよ」
口元に獰猛な笑みを乗せて、二匹は笑い合う。
「さらばだ。空の支配者グリムモア」
「さらばだ。天の支配者ガウェイン」
眷属の撤収を終えた龍と竜の主達は、再びの戦を約して別れた。
ただ、ド派手な戦いが書きたかったのは否定しない。
4月26日誤字脱字修正




