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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
遙かなる王国
333/371

旅立ち

 ころん、と腹を見せてガストラが転がる。

 母親に甘えるように無防備な姿を見せて、ガストラはレシアの膝の上で寛いでいた。灰色狼の毛並みは前足から背中にかけて灰色の毛が覆い、腹から後ろ足に関しては白く柔らかである。

 白い毛並みにレシアが指を這わせる度に、ガストラは微睡みに誘われているようだった。

 レシアは与えられた部屋の寝台に腰掛け、物憂げな視線をガストラに向けていたが、彼女の視界には気持ち良く撫でられているガストラは映っていない。彼女の思考を染めるのは、ゴブリンの王のことだった。

 嘗て森で出会った時、ゴブリンの王は何にも負けないような圧倒的な力を持ち、ゴブリン達の上に君臨していた。だが、今のゴブリンの王は深い傷を負い、それを癒せぬまま、それでも自分に課せられた使命を果たそうとしている。

 何故そこまで彼が強いのか、彼女には分からない。

 彼女は嘗てゴブリンの王に言ったことがある。何故、そこまで強くあるのだと。誰だって悲しければ泣き、苦しければ逃げ出すものだ。それを責める権利は誰にもありはしないのだと。

 それに対して、ゴブリンの王は力強く言い切った。

 ──俺が許さぬ。化け物たる俺が、弱くあることを許さないのだと。

「化け物、か……」

 その化け物は、身を挺して自分を助けてくれた。

 もしあのままだったなら、自分だけでなく加護を与えているゼノビアですらも、世界に災厄を撒き散らすだけの存在に成り果てていただろう。

 それこそ化け物と言うべきだ。

 あの妖精族のプエルは、ゴブリンの王が自分に執着していると言っていた。事実そうなのだろう。でなければ、命を賭けて神に立ち向かったりなどしない。

 だが、そうだとすればその理由は何なのだろう?

「愛している、とか?」

 口に出してみて、彼女は眉根を寄せる。それにしては手も触れようとしないが。

「ぅ~」

 微睡みの中にいたガストラが、欠伸をして立ち上がる。

「むっ……お前は気楽でいいわね」

 首根っこを捕まえて目の前にまで引き上げると、ガストラは再び低く鳴いた。

 とんとん、と扉を叩く音がする。レシアが返事をすると、扉の向こうで声が聞こえた。

「ははうえ、ははうえ」

 幼い子供のような拙い言葉だが、人違いだろうか? 誰かに母上などと呼ばれる記憶はない。少なくとも、自分は未だ親にはなってはいない筈だ。

 ガストラを寝台の上に放り投げると、立ち上がって扉を開く。

 そこでレシアは形の良い瞼を見開いた。

「ははうえ、ははうえ!」

 見れば自分の胸程の大きさの灰色狼が嬉しそうに言葉を喋り、彼女に頭を擦り付けてきているのだ。

「う、うん?」

「しんしあ、ははうえ、あえて、うれしい」

「え!?」

 驚愕に固まるレシアの手を舐めると、体を擦り付けてくる大人の灰色狼。

「……シンシアなの?」

 思わず寝台の上に投げ捨てたガストラと目の前の巨大な灰色狼を見比べて、尋ね返す。

「ははうえ、しんしあ、わすれた?」

「……こ、言葉を喋ってる?」

 あまりの驚愕に状況を飲み込めないレシアだったが、悲しげに鳴くシンシアに気が付くとレシアは大きくなったシンシアに言葉を掛ける。

「忘れる訳ないでしょう? 会えて嬉しいわ、シンシア」

「ははうえ! ははうえ!」

 身を屈めてシンシアの頭を抱き締めると、シンシアは嬉しそうに尻尾を振る。暫く再会の抱擁を堪能すると、レシアはシンシアとガストラを見比べる。

「……何故、こうも差があるのかしらね?」

 毛を逆立てて威嚇するガストラだったが、シンシアは全く意に介せず前足を出すとガストラの頭を抑え付ける。暴れるガストラだが、シンシアは全く問題とせず勝ち誇った笑みすら浮かべていそうな雰囲気だ。レシアには判断が付かなかったが、声音は確かに嬉しそうだ。

「がすとら、ちび」

「ガウ、ガウ!」

 吠えるガストラだったが、残念ながらレシアには何を言っているのか分からない。

「しんしあ、つよい。しんしあ、おねえさん」

「ガウ、ガウウ!」

 頭を抑えられたガストラはシンシアの肉球から脱出しようと試みるが、その抵抗は圧倒的な身体能力の差の前に全て徒労に終わる。最後にシンシアはレシアの足元に寝転がると向かってきたガストラを尻尾で払い退け、勝利を宣言する。

「がすとら、よわい。しんしあ、つよい。ははうえ、ちちうえ、しんしあ、まもる」

 片手間で払い退けられ、完全敗北を喫したガストラは悲痛な声で鳴くと、部屋を飛び出し駆け抜けていった。

「あら……シンシア、姉弟喧嘩は駄目よ? 仲良くね」

 寝転がったシンシアの頭を撫でながらレシアは諭す。

「がすとら、あまえる。よくない」

 僅かに不満そうに言うシンシアに、レシアは考え込まねばならなかった。シンシアがここまで立派に成長しているのは、ゴブリンの王の元で戦っていたのが原因なのだろう。

「うう~ん、育て方を間違ったかしらね……?」

 確かに甘やかしていた自覚はある。シンシアとガストラの歴然たる差を見せつけられると、ガストラを甘やかしてはいけないというシンシアの言葉が尚一層、重みを感じる。

 レシアは、ガストラを追えないでいた。


◆◇◆


 ガストラは駆けた。

 同じ生まれの筈のシンシアの急成長。それに比べて、自分はどうしてこのような子供の姿なのか。彼の胸に蟠るのは、悔しさと悲しさが綯い交ぜになった感情だった。

 普段は慰めて安らぎをくれる他の雌達の言葉も、今の彼には雑音と変わらない。夢中で石造りの廊下を駆け抜け、角を曲がったところで視界が急に塞がれる。

「ん?」

 訝しげな視線を向けてきたのは、魔術師級ゴブリンのギ・ザー・ザークエンド。本を片手に抱えたまま、ガストラの首根っこを掴み上げる。

「……どこかで見たような?」

 吠えるガストラを暫く眺めていたギ・ザーだったが、愁眉を開いて悪巧みをしているとしか思えない笑みで幼生の灰色狼に笑いかける。

「貴様は、確か王の灰色狼だったな?」

 怜悧にして底冷えのする笑みを向けられたガストラは、恐れ慄いた。

 ──このゴブリン、もしかしてボクを食べるつもりなんじゃ!?

 暴れる手にも力が入ろうというものだ。

 一緒に暮らしたことがあるからこそ分かる。ゴブリンは何でも食う。ガストラが食べようとすら思わない木の枝にぶら下がった赤いものまで食べているのだ。

 もしかして自分もと考えたガストラの思考は的外れではあったが、勘違いに因る誤解を解くには互いの意思疎通がままならなかった。

「何だ、迷子か? それにしては、暴れているようだが……」

「ガウ、ガウガウウウ!」

「元気があるのは良い事だ。ふむ、お前の元気を我が王に少し分けてやれ」

 ぶら下げられたまま運ばれるガストラは必死に暴れたが、そこには如何ともし難い力の差がある。抵抗出来ないガストラは、ただ唸るしかなかった。

 暫く廊下を歩いて扉を開けると、王の寝室である。

「王よ。編成が取れたぞ」

「ああ、済まぬな。……で、その手に持っている者は何だ?」

 訝しげな視線を向けるゴブリンの王に、ガストラは助けを求めるべく吠え声を上げる。

「何だとは何だ。王の財だろう? 余りに元気が有り余っているので連れてきてみたが」

「ああ、ガストラだが……。まぁ良い。こっちに来い」

 ギ・ザーが放り投げるようにガストラを離すと、ガストラは脱兎の勢いでギ・ザーの傍を離れ、ゴブリンの王の懐に潜り込むと威嚇するように唸る。

「随分と嫌われたな?」

 苦笑する王に、ギ・ザーは鼻を鳴らして応じた。

「まぁ、そんなことより、これが旅に同行する者の一覧だ」

「ほう」

 丸められた羊皮紙を受け取ると、開いて名簿を確認する。

 レシア・フェル・ジールの名前を筆頭に、ギ・ゴー・アマツキやユースティアなどの名前が見られた。軍を統括するものを極力省いたその編成は、ゴブリンの王が暫しの間、王としての政務を離れる為に必要な条件だった。

「本当ならお前も残していきたいのだがな」

「それでは約束が違う。悪いが付いて行かせてもらうからな。それに、祭祀(ドルイド)達はギ・ドー・ブルガに任せれば良い。最近妖精族の姫にかまけて弛んでいるからな。良い薬になる」

「プエルにも苦労をかけるが」

「あの性悪女なら、多少のことでは動じたりはしない。問題あるまい」

 悪事を企むような怜悧な笑みを浮かべるギ・ザーに、ゴブリンの王も迫力ある笑みを返す。懐に隠れて頭だけを出すガストラの頭を撫でると、暫しゴブリンの王は名簿を見て思考の海へ意識を泳がす。

「……良かろう。何れ俺も死ぬ。その時にお前達だけで国を維持してもらわねばならないのだ。良い機会だと思おう」

「縁起でもないことを言うな。俺が生きている限り、そんなことは有り得ない事態だ」

 踵を返すギ・ザーは部屋を出ると、此方に向って歩いて来るプエルと鉢合わせする。

「王のご様態は?」

「問題なかろう」

 ギ・ザーの答えを聞いて一つ頷くと、プエルはゴブリンの王の部屋に入る。

「王よ、東部の戦況の報告が入りました」


◆◇◆


 ゴブリンの王が君臨する黒き太陽の王国(アルロデナ)の放った東征軍は、その進路を大きく4つに分けていた。属国シーラド王国を北回りで東征するギ・ガー・ラークス率いる虎獣と槍の軍(アランサイン)、ギ・グー・ベルベナ率いる斧と剣の軍(フェルドゥーク)

 属国シーラド王国を南回りで東征するギ・ギー・オルドの双頭獣と斧の軍(ザイルドゥーク)。更には南部、南方蛮夷の地を経由して東へ向かう混成軍である。

 混成軍はギ・ズー・ルオの千鬼軍(サザンオルガ)と、ギ・ヂー・ユーブの(レギオル)を中心に同盟者たるクシャイン教徒から赤備えの軍が参加。その他に属国となった国々からも少数の兵士を動員している。

 聖女戦役において北方の小国オルフェンは壊滅的な打撃を受け、アランサインの一撃の元に降伏を余儀なくされていた。そのまま東に向かったアランサインは山岳地帯を踏破しつつ、北部の国々にその槍を突き付けていった。

 ゴブリンの軍勢の中で最速を誇る機動力は平原でこそ最大限発揮されるが、森林や山岳地域を苦にするものではない。元々暗黒の森を棲家としていたパラドゥア氏族の黒虎などは、森の中でこそ真価を発揮するのだ。

 だが、届いた報告は思いの外苦戦の様相を呈しているようだった。

 小国家が乱立しているということは、それだけ敵との距離が近いということだ。5日と掛けずに他国に行けるような距離に敵が住んでいる場合、国を守る為にはどうしても砦の存在が必要になってくる。

 しかも、乱立する小国家群は歴史的に仲が悪い。国境線を守る為に幾つもの砦が作られていることが多いのだ。ギ・ガー・ラークス率いるアランサインは、機動力をこそ最大の武器とする。それ故に機動を阻害するような攻城兵器などは持っていない。

 かと言って、無闇に攻めかかる程ギ・ガー・ラークスは愚将ではない。何とか砦を落とし、国を攻略しようと試行錯誤の最中であった。

 報告を聞いた王は、頷くに留める。

「ギ・ガーならば問題あるまい。成果に期待しよう」

 報告するプエルによって、王の言葉は直ちにギ・ガーに届けられることになる。それが最前線の各将軍には何よりの褒美と考えて、プエルはそのように手続きをしていた。

 ギ・ガー・ラークスのアランサインが苦戦を続ける中、順調に攻略を続けているのがギ・グー・ベルベナのフェルドゥークだった。

 ゴブリンの統治に反抗的な地域で猛威を振るう“血塗られた剣斧”。敵対する人間達に恐怖と共に刻み込まれるゴブリンの残虐さと暴力の嵐。それを具現化したようなフェルドゥークは、一方で早々に降伏した者達に対しては比較的寛容な姿勢で東部への道を切り開いていた。

 以前にクシャイン教徒の若き英雄から教えられた攻城兵器を用いて、立ち塞がる砦を難なく破壊。捕虜とした人間達を戦奴隷にしつつ、東部への進撃を続けている。既に一つの国を滅ぼし、更に次なる国に向けて攻略を開始しているという具合だった。

「ギ・グー殿から、統治に関して文官を派遣してもらいたい旨の報告が来ております。同時に東征軍の補給を担当するガノン・ラトッシュ殿から悲鳴のような苦情が来ています」

 片眉だけを上げてプエルから手渡された苦情の羊皮紙を開くと、泣き言半分で苦情半分の文章が目に入った。

「つまり、際限なく戦奴隷など増やしては補給が保たない。何とかしてくれと?」

「まぁ、そのような所かと。叱責なさいますか?」

「必要ないだろう。ガノンの下に派遣出来る文官は居るか?」

 ギ・グーの戦は効率的ではあるが、統治の面からすれば課題を残していると言わざるを得ない。大陸の半ばまでを征服したアルロデナと言えども、無限に補給を続けられる訳ではないのだ。

 かと言って、ギ・グーに戦奴隷を増やし過ぎるなと命令すれば、虐殺に走りかねない。その辺りを勘案すれば、文官側で対処するのが妥当だろうとゴブリンの王は判断する。

「2名程ならば可能かと」

「良し。ガノンには増援を送る旨を伝えて善処させよ。それと、ヨーシュに命じて傘下の商会に作物の買い付けをさせろ」

「敵国側から買い取るのですね?」

「そうだ。小国家群の後ろに控える聖王国アルサスか、海洋国家ヤーマ辺りを狙え」

 アルサス及びヤーマからすれば、怒涛の勢いで版図を広げるアルロデナは小国家群で消耗してくれた方が望ましい。戦とは国同士が矛を交える前に既に始まっているのだ。下手に援軍を出して手酷い反撃を喰らうよりは、小国家群に食料や武具を流して少しでも粘ってもらいたい筈だ。

 その食料を買い叩き、フェルドゥークが養う戦奴隷に用いる。同時に増える食料の計算をガノンを中心とした東征の補給を担当する文官に任せる。

「一つ、私から提案が。シュシュヌ教国のクシュノーア家か、或いは交易国家プエナの商人に買い付けを任せてみてはいかがでしょう?」

「……どちらも我らに敵対した者達だな」

「御意。和解の切っ掛けにはなるかと。無論、クシュノーア家の負担分に関しては多少軽減することを条件として、プエナの商人には領内の自由通行権を認めれば、協力するものと思われます」

「傘下の商会は彼らと張り合えるだけの力を付けつつある、ということだな?」

「御意。何事にも限度というものがありますし、後々禍根も生まれましょう。それに、政商などと驕られても面倒です」

「良かろう。ヨーシュと協議して実行せよ」

 頷くプエルは、更に他の戦域の報告をする。

 ギ・ギー・オルド率いるザイルドゥークの担当するのは、属国シーラド王国より南回りである。ギ・ジー・アルシル率いる暗殺部隊も、その多くがこの地域に投入されている。

「やはり苦戦しているようです」

 プエルの報告によれば、大陸中央には人に害をなす巨大な魔獣が殆ど存在しないそうだ。戦や砦の攻略に西方から連れてきた魔獣が大いに役立つのは当然だが、戦をすれば消耗するのは人も魔獣も同じである。

 如何に数多くの魔獣を率いようと、戦に出る度に損耗していては魔獣の出産が追いつかなくなる。

「ギ・ギー殿も魔獣に鎧を着せるなどの対策を講じているようですが、結果は芳しくないようです」

「そこまで際立った成果は見えないか」

 プエルの言葉を引き継ぎ、王は考え込む。

 補給を担当するギ・ブー・ラクタらに命じて、西方に生息する魔獣をそのまま移住させるという計画は既に頓挫している。土が合わないのか水が合わないのか、西方の巨大な魔獣は急激な移動に耐えられず、死ぬものが多い。

 馬系の魔獣は比較的衰弱が軽いのだが、攻城兵器並みの働きを期待するには少し頼りないだろう。

「南方蛮夷の地には魔獣が居ないのか?」

「いえ、他の地域に比べれば魔獣の数自体は多いようです。ですが、ギ・ギー殿の望まれる巨大な魔獣はあまり生息していないようですね」

「成程。ギ・ギーには焦りは禁物だと伝えよ。魔獣の数を一定に保ちつつ、勝利を重ねるようにとな」

「御意」

 東征軍の報告の最後は、混成軍である。

 ギ・ズー・ルオのサザンオルガとギ・ヂー・ユーブのレギオルを中心とした総数6000の軍。比較的人間の比率が多い構成を取るその軍は、進軍速度は他の軍勢に比して遅くはあったが、その分着実に攻略を進めていった。

 南方蛮夷の地は、元々土の妖精族(ノーム)の住み暮らす土地である。彼らに案内を頼みつつ、東へ抜けた混成軍は既に一つの国を降伏に追い込んでいる。

 彼らの中心となっているのは、クシャイン教徒の若き英雄ヴィラン・ド・ズール。自身の率いる赤備えの軍と共にギ・ズーとギ・ヂーに引けを取らない働きぶりを示している。

「恐ろしく冷静な指揮を執る軍師だそうです」

 ギ・ヂーからの報告を纏めたプエルは、ヴィランをそのように評した。

「味方ならば頼もしい限りだな。女皇ミラには、何か贈らねばなるまいな」

「良きご判断かと。他の国々も後に続こうとするのではないでしょうか」

「攻略した土地の一部をクシャイン教徒達に与えようではないか。シーラドなどは奮い立つだろう」

「御意」

 東征軍に関する報告を終えようとした彼女は、思い出したように王に報告した。

「そういえば、女皇ミラ殿から便りが来ていました。この度、正式に国号を定めることになったとのことです」

「ほう」

 ミラと愉快な仲間達などと失礼な想像をしていたゴブリンの王の予想を裏切り、聖女ミラは真っ当な名前をつけていた。

「ブラディニア……“楽園へと続く”という意味だそうです」

「成程、そうか。では、今後はブラディニアと公式の文書に載せねばな」

「国家元首は女皇ミラ殿となるので、ブラディニア教皇国となるのでしょうか」

「まあ、それで良かろう」

「はい。大した問題ではありませんね」

 苦笑したゴブリンの王に、プエルは引き続いて報告をする。

 ヨーシュの冒険者ギルド総支配人の引退届けである。代わりにヘルエン・ミーアを総支配人に推すとの書状が届けられていた。

「ヨーシュ殿は西都の総督に留まるとのことですが、総支配人の地位は返上し、改革と総督の政務に専念したいとのことです」

「ヨーシュが推すのだから、余程信頼の置ける人物なのだろうな」

「そのヘルエン・ミーア殿からも書状が届いております。南方未踏領域の開拓事業に関しての提言になります。御覧になられますか?」

「見よう」

 一読して、ゴブリンの王は唸った。よく出来ているのである。成功した場合の利益から、失敗した場合の不利益。或いは必要な人員と、それを捻出する為の方法。必要な年月までも試算したその提言は、今直ぐに計画を任せても即座に動き出せる程の緻密さを誇っていた。

 何枚かに分けられた羊皮紙を読むと、ゴブリンの王は頷いた。

「この提言書に目を通したか?」

「はい。実に良く出来ていると思います」

「実現可能だと思うか?」

「……7割程は」

「残りの3割は?」

「不測の事態は、常に起こりえるものです。東部戦線での我が軍の敗北なども有り得ます故に」

「ふむ。だが、それを差し引いても、この立案書は見事だ」

「開始させますか?」

「良いだろう。ヨーシュの負担は増えそうだが、改革の一環として進めさせよ」

「御意」

「或いは未踏領域ならギ・ギーの求める魔獣が存在するかも知れぬ。混成軍の制覇経路を経由して、クルーア達の基地を作らせよ」

「凡そ、一ヶ月程の時間を頂きますれば」

 ゴブリンの王の裁可を得て、プエルは踵を返す。

 王国の基本方針はこれで決まった。後はゴブリンの王が無事に戻ってくるだけだ。


◆◇◆

挿絵(By みてみん)

◆◇◆


 王に随行する者達は80名を数える。残りの20名はプエルの指示を受けて先行し、宿泊する場所の調整や、首都王の座す都(レヴェア・スー)との連絡員として働かせる。

 当初渋ったゴブリンの王だったが、王の行動はそれだけで政治的な意味を持つとのプエルの説得に、仕方なく首を縦に振った。

「気ままな旅とは行かぬようだな」

 傍らのレシアに問いかけるゴブリンの王は、どこか期待外れで肩を落としているように見えた。

「気ままな旅行は、また今度にしましょう。一緒に村々を巡る旅も良いかもしれませんね」

 ゴブリンの王の跨る“推”の背には、ガストラがきょろきょろと辺りを見渡しながら乗っている。

「その通りです。大陸を統一なさった後に、ご存分にどうぞ」

 シンシアの背に乗ったレシアは、その背を撫でながらゴブリンの王に答える。対して、見送るプエルは冷静そのものと言った風にゴブリンの王に話しかけた。

「統一後に、か」

「ええ、もう間もなくでしょう。それまではどうかご無事で」

「……無論だ」

 暫し考えた後、プエルは少し寂しげに笑った。

「……こういう時、風の妖精族には気の利いた言葉がありません。武運長久(ベラドゥルナ)でもないでしょうし、それが少し残念です」

「では、私がお教えしましょう」

 ゴブリンの王とプエルの視線がレシアに向かう。彼女は胸を張ってにこりと笑うと、プエルに耳打ちする。プエルは臣下の礼を取りながら、教えられた言葉を口にした。

貴方の旅先に、幸運を(ゲルンスト、リーアス)

「ああ、行って来る」

「王様も味気ないですね」

「うむ、そうか?」

「ええ、このような場合はですね」

 レシアがゴブリンの王に体を寄せて囁く言葉を、王はこそばゆく聞いた。

「ふむ……成程な」

 片膝を突くプエルに、ゴブリンの王は視線を合わせた。

其方の行き先に(バロスルシャータ)祝福を(ラディアス)

 推と名付けられた肉喰らう恐馬(アンドリューアルクス)の背に揺られるゴブリンの王の姿がレシアと並んで遥か遠くに消えて行くまで、プエルはその光景を確と見届けていた。

 

4月26日誤字脱字修正

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― 新着の感想 ―
ちゃっかり一緒に旅する約束しとるやんけ! 尊すぎ…
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