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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
遙かなる王国
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閑話◇麗しき沈黙

 “麗しき沈黙”という2つ名を賜ることになる官僚がゲルミオン州区の北部自由都市を訪れたのは王暦3年の終わり、冬も厳しさを迎える頃だった。

 自由都市の総督にして緋色の乙女と称されるリィリィ・オルレーアが西都総督ヨーシュ・ファガルミアに願ってのことだ。元聖騎士の彼女からすれば、優秀で有能な文官は戦乱が遠のいた北部において喉から手が出る程欲しい人材である。

 慢性的な文官の不足に喘ぐアルロデナでは、一時的にとは言え彼女を貸し出すのは西都にとって大きな損失の筈である。それでもヨーシュが彼女を差し向けたのは、聖女奪還の功績に対して報いる為だった。

 密約によって公表されなかった4人の冒険者の活躍は、ヨーシュを通じて冒険者ギルドに管理される腕利き名簿(ハンターリスト)に名前を刻まれることとなる。莫大な報酬と引き換えに厄介な依頼が舞い込むこと請け合いなハンターリストは、極秘扱いになっていた。

 ヨーシュからギルド総支配人の地位を近々受け継ぐ予定の“麗しき沈黙(ミルフェット)”ヘルエン・ミーアも、当然の如くそのリストを目にすることが出来る。

 だからこそ、彼女は北部行きを承知したのだ。それとは別に、彼女の上司たるヨーシュからの助言も大いに働いてはいたが。

 将来的に自分の手駒となるべき有能な人材をその目で確かめる為、その手駒を自由に扱う為、領地の経営改善は急務である。

 というようなことをヨーシュから吹き込まれたヘルエン・ミーアは、仕立ての悪い馬車に揺られながら北部辺境にまでやってきた。凄まじい豪雪の為に吹雪いた日には道路が消えるという恐ろしい環境。南部の砂漠地域出身の彼女は、雪を見るのも初めてであった。

 幌馬車の荷台から首だけを出したヘルエン・ミーアは、天から降り注ぐ白い雪の結晶を舌を出して舐め取ろうとして、揺れる馬車の煽りを受けて舌を噛む。暫く悶絶しながら狭い馬車の中を転げ回ると、涙目になりながら何とか立ち直る。

 栞代わりにしているフローの押し花を拾い上げると、涙目になりながら仕舞い直した。

 我ながら馬鹿なことをと思わないでもなかったが、彼女は静かに興奮していた。少数民族出身で昔から極端な無口だった彼女は、あまり友人と呼べる者が居なかった。幼い頃から空を見て空想を膨らませ、流れる雲を見て想像の世界に心を遊ばせているような娘であった。

 少数民族の出身であるが故に勉学の才を発揮して官僚という仕事についてからも、やはり友人は少なかった。ただ少女の頃から内面が外に現れにくい性質だったのだろう。無表情に何でもこなす様子がエルバータの目に止まったことから彼女の境遇は一変し、流れ流れてこんな所にいる。

 内心の叫びが外に現れないので、ただボーっと空を見上げているようにしか見えないが、心の内では叫び倒しで興奮のしっぱなしである。

 暫く幌馬車の幌を上げて空を見上げていた彼女だったが、馬丁の声に我に返る。

「見えてきましたよ」

 後部の幌を下ろし、のろのろと前へと出て行くヘルエン・ミーアの目の前に、雪に埋もれたようにしか見えない集落が広がっていた。

 本当に人が住んでるの? という風に馬丁を振り向くが、馬丁は肩を竦めるだけだった。


◆◆◇


「ようこそ、おいで下さった」

 そう言って彼女を歓迎したのは男装の麗人だった。赤い髪を後ろで一つに纏めており、キリリと鋭い目元が凛々しい。女性にしては長身と言ってよく、腰に佩いているのはかの有名な魔剣だろうか。エルレーンで見たフェルビー隊が着ているような重厚な作りの軍服の上から緋色に染めた外套を羽織っている。

 旧ゲルミオン王国で聖騎士という武の頂点にまで上り詰めたにしては、武人特有の殺伐とした雰囲気がない。エルバータの下にいた時、眉目秀麗だが矢鱈と殺伐としたフェルビーという蛮人を見ていた彼女は、何となく武人とはあんな感じなのだろうと想像していたが、良い意味でそれを裏切られる。

「北部自由都市総督のリィリィ・オルレーアと申します。どうぞお見知り置きを」

 騎士様である。

 いや、王子様かもしれない。まさか実在するとはっ!

 ぽかん、とリィリィを見つめるミーア。片膝を突いて騎士の礼をする彼女に見惚れていたのだ。暫く経っても言葉を発さないミーアを疑問に思ったリィリィが視線を上げたことで、初めて彼女は狼狽えた。

 慌てて懐からペンと羊皮紙を出すと、さらさらと自分の名前を書いて自己紹介する。

 ──ヘルエン・ミーアです。ご高名は予々伺っています。本日はお出迎えありがとうございます。

 膝を突くリィリィに対して両膝を突き、まるで領民が悪い代官に貢物を差し出すようにリィリィの目の高さにまで羊皮紙を捧げ持つミーア。相当に混乱していたのだろう。だが、差し出されたリィリィも、まさかそのような対応を取られるとは思っていなかった為、きょとんとした表情となって首を傾げた。

 だが、流石に聖騎士となれる程の実力者である。状況判断もそこそこに微笑むと、土下座しそうなミーアに手を差し出す。

「丁寧なご挨拶、ありがとうございます。ですが、その恰好では寒いでしょう。どうぞ、館の中へ」

 何でもないことのように彼女の膝に付いた雪を払う動作が嫌味でない。

 紳士であった。

 本物である。戦うしか能のないゴブリンとは雲泥の差である。況してや、不機嫌になると血の雨を降らせるフェルビーのような輩とは比べるのも烏滸がましい。正しく雲泥の差である。

 愕然として手を取られるまま館に案内されたミーアだったが、リィリィの趣味であろう品の良い使い込まれた調度品は温かみを保って彼女を迎え入れる。暖炉に灯された火の明るさが部屋に温もりを与えるようだった。

 採光の為に大きめに取られた窓からは雪に埋もれる街が見渡せる。家々の窓に灯る明かりはそれ自体が雪原の中に灯されたキャンドルのような幻想的な雰囲気だった。

 夢の国はここにあったのだ!

 夢見がちな少女の頃から思い描いた理想郷。しかも紳士で美人な王子様付きである。完璧だっ!

 ヘルエン・ミーアは内心狂喜乱舞し、駆け回りたい衝動を堪えるのに必死だった。

 だが、生憎と彼女の外面は無表情を貼り付けたように内面を映しださない。黙って窓の外を眺める彼女の様子に、リィリィは気を利かせて椅子を勧めた。

「何もない所で驚かれたでしょう?」

 いいえ、ここには夢と理想と王子様が、と書きかけた彼女は既の所で思い留まり、代わりに美しい所ですと書く。

 それをお世辞と受け取ったリィリィは、苦笑に似た笑みを見せて悲しげに視線を揺らす。

 美人な王子様が伏し目がちに苦悩を語る。

 それはミーアの心の琴線に直撃した。実に絵になるのである。リィリィに見惚れて話の内容は半分程しか聞いていなかったが、そこはそれ、自分の派遣された理由を思い浮かべれば、話など半分も聞けば十分であった。

 厳しい気候に対し、振るわぬ経済。

 南に恐ろしい勢いで発展する西都という都市を目の当たりにしたリィリィからすれば、自身の無能を思い知らされる思いだろう。

 ヘルエン・ミーアは話を聞く内に次第にリィリィに同情していき、ヨーシュに敵意を覚えるようになった。

 勿論、ヨーシュにしてみれば全くの濡れ衣である。謂れ無き八つ当たりと言ってもいい。

 想像力豊かな彼女の頭の中では、既にヨーシュは悪魔であり、嬉々として王子様を苦しめる構図が出来上がっていた。

「長々と申し訳ありません。領主としての愚痴などお恥ずかしい限りなのですが、他に話せる人もなく……」

 肩を落とすリィリィにヘルエン・ミーアは頷くと、さらさらと文字を書く。

 ──大丈夫です。その為に私が派遣されてきたのですから。

「ありがとうございます。貴方を派遣してくださったヨーシュ殿に、何とお礼を言っていいか」

 いや、違うっ! 悪魔のヨーシュは関係ない筈だっ!

 思わず叫びそうになった彼女は、座っていたソファから落ちそうになって慌てて姿勢を正した。


◆◆◇


 ヘルエン・ミーアの奮闘を見よっ!

 そう内心で宣言して意気込んでも、今は未だ夜半である。

「西都の食事に比べれば拙いものですが」

 そう言ってリィリィが手を叩くと、侍女達が食事を運んでくる。暖炉を焚いた室内でも湯気が出る程の熱々の料理が彼女の前に並べられる。

 大きな鍋から小さな小皿に移し替えられ、ミーアの前に置かれたのは黄色いスープである。大きめに切られた野菜と芋が程良く煮崩れていた。

 木で作られた素朴なスプーンを受け取り、ふぅふぅと冷ましながら口に含むと甘みのあるスープが口の中に広がり、体の芯から暖まるようであった。

「北方の地の寒さは住人達ですら耐え難いものです。南方の方にはこの寒さは特に堪えると思いまして、体が温かくなるようなものを用意させました」

 リィリィの心遣いに、ミーアは感動すら覚えてスープを啜る。

 スープと一緒に山盛りにされたパンが食卓を彩る。丁度拳の大きさぐらいのパンだが、リィリィは千切ってスープに浸しながら食べていた。その様子を目敏く見つけたミーアは真似して食べてみた。すると熱いスープを冷ます効果に加えて、硬くなっていたパンがスープを吸って食べ易い柔らかさになる。

 当然と言えば当然の組み合わせだが、ミーアにはとても新鮮に思えた。

 切込みを入れたパンに鮮度の保たれた野菜と程良く炙った燻製肉を一緒に挟み込んだ、ウェッセンという料理もミーアの食欲を刺激する。柔らかいパンは噛み切り易く、ハーブと香辛料を使っている為か、さっぱりとした味わいであった。

「地元で飼育した野牛(ファロ)の肉を使っています。野菜は雪の中で保存すると長持ちするそうで、それを活用していますね」

 自身もウェッセンを頬張りながら説明するリィリィの言葉に、ミーアは頷く。このような雪深い土地では野菜を掘り起こすのすら大変だろう。雪の下で野菜が育つのかという疑問はあったが、彼女はそれを一先ず脇に退けた。

 あまり大食漢ではないミーアには十分な量である。

 とりあえずたくさん食べれることが正義である西都の料理や、羊と牛と豚の肉さえ出せばそれで通るエルレーン王国の料理と比べたら、ここの食事は非常に彼女の好みだった。

 食後に入れられた緑草茶も、体を温める効果は随分高いようだった。

「ご満足いただけたようで」

 つい食べ過ぎて腹を擦ってしまうミーアは、頬を赤らめながら頷くに止めた。

 彼女は緑草茶を啜りながら、本題を切り出すべく羊皮紙に文字を書く。

 ──経済の振興の具体案は二つあります。一つは単純に西都から援助をもらう方法。でも、これはあまりお勧め出来ません。

 差し出された羊皮紙の文字に、リィリィも頷く。

 既に一大経済圏となっている西都には、常設の市場や公共浴場など人が金を落とす為の施設と構造が出来上がりつつある。恒常的な収入を確保しつつある西都なら北部の援助ぐらいは訳もないだろう。

 だが、問題は経済の振興を外部からの資金に頼り切りになることだ。

 それは恒常的な手段ではない。継続して収入が見込めるような手法が求められているのだ。

 ──ですので、第二の方法を提案します。観光と貿易です。

 小国家群と境を接している旧シュシュヌ地域ならば話は違うが、最前線から遠くなりつつある国内では急速に治安が向上し、それに伴って交通が活発になってきている。

 以前は月に一度しか来なかった商人が十日に一度の割合で来るようになっている。それは西都の隆盛とも無関係ではない。

 ──西都に行けば飢えて死ぬことはない。

 そういった噂が駆け巡る程に、西都は総督ヨーシュの手によって成長の過程にあった。道路を拡張し、整備し、更に他の都市と繋げていく。アルロデナ王国主導とも言って良い経済振興対策である道路網の整備は、多くの人と資金を投入された大事業であった。

 冒険者ギルドは常に人を募集し、その為の宿泊施設や食料、そして彼らを相手にする商人らが集まってくる。行商人・貿易商・奴隷商人などの数え切れない程の人々が商品を供給し、整備された道路を使って補充し、また供給する。

 この大きな循環の中心に西都は存在している。

 当然の帰結として、金を多く循環させるなら金を多く持った者が生まれる。

 成金と呼ばれる者達相手に贅沢品が売れる。また経済的に余裕が生まれれば、どこか他所の土地に旅行してみたくもなる。普段は見ることの出来ない光景、食べることの出来ない食事、触れ合うことの出来ない人々と話をしてみたくなるものだ。

 それを利用して、雪深い北部に人を呼び込む。

 茫洋としているように見えて、ミーアは確実に北部自由都市の利点を見出していた。

 窓辺に歩いて行くと、無言の内に飾ってあったフローの花を鉢ごと持ち上げ、リィリィの前に持ってくる。実に魅力的に微笑んだミーアは、目の前の王子様に鉢植えの花を差し出したのだった。


◆◆◇


 後世、旅行会社の始祖とされるオルレーア商店が開業したのは王暦3年の冬頃であったと言われている。特に裕福な若い女子に人気があった北部自治都市への観光は、繁忙期でない限り総督であるリィリィ・オルレーアが直接エスコートをしてくれる豪華なものだった。

 その分、払う金額も相当なものになったそうだが、高額であるにも関わらず多くの顧客を獲得することに成功する。

 都会の喧騒の中で忘れていた温かく素朴な食事が提供され、雪に埋もれる季節には静かに雪の降る音を聞きながら、当地の英雄であり名高い剣士でもあるリィリィが持て成してくれる。彼女に憧れる若い子女達や名誉欲に駆られた金持ち、凛々しい男装の騎士にちやほやされたい貴婦人達には絶大な人気を誇った。

 四年程で打ち切られることになった企画だったが、その頃には北部への観光は上流階級の中でも一種の流行になっていた。

 夏場には涼を楽しむ観光客が訪れ、冬場には南では見られない雪景色を見に観光客達が訪れるようになった北部の経済は、リィリィが治める間に大きく下降することもなく、順調な発展を遂げていくことになったのだった。

 一方、“麗しき沈黙”と渾名された官僚の北部での活躍はあまり知られていない。

 自身の立案した企画の成功を見届けると無言の内に北部を去り、西都へ戻った。或いは、その企画のあまりの好調振りに閉口したのかもしれないが、本人の証言が残っていない為、真偽は不明である。

 ただ、リィリィ・オルレーアとの交流は続くことになる。

 二人は季節毎に花と手紙を贈り合う仲であり、それは長い年月の間続くこととなった。後年、ミーアが政敵と対立関係になった時、リィリィ・オルレーアは魔剣を引っ提げて彼女の元に馳せ参じたという。

 フローの花言葉を、ご存知だろうか?

 “友情” である。



4月26日誤字脱字修正

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