覇軍
黒き太陽の王国の影響下にある商館の一つから、その情報が齎されたのはゴブリンの軍勢が周辺諸国との国境線を確定し、軍備を再び北に向けようとしていた頃だった。
王暦3年の初夏。
レシア奪還を試みるべく北に向かった冒険者達は、未だ冷涼たる気候を保つオルフェン近郊で野営の天幕を張っていた。北部の大動脈となる道を歩いていた彼らは道中で行商人と行き違い、その際に手にいれた食料で一晩の野営をしていた。
ハマ商会の行商人は南方から北方へと広く展開し、小さな村々へとその情報網を広げている。
特に北方には、ハマ商会が急成長を見せると同時に行商人の数を増大させ、周辺の村々を網羅していた。商会が巨大になると同時に諜報という裏の目的を知らない行商人の数も増えていく。
彼らは純粋に北方の情報を金に変える為に首都レヴェア・スー近くにある商館に出入りし、北方の噂話や商品の値上がりなどの情報を商館が求めていることを知れば、どんな小さな情報でも金に換えようと商館へと足繁く通う事になるのだ。
無論、それに見合う金額を提供するからこそ商人達が集まってくるのだが。
北方自治都市の領主にして、冒険者リィリィ・オルレーア。
妖精族と人間の混血にして、世界に名だたる飛燕の元血盟員ミール・ドラ。
冒険者の中ではベテランの域にあるフリーランス、鷹目のフィック・バーバード。
そして、誇り高き血族の盟主レオニス・ヴェルディオ。
彼ら四人をしてレシア・フェル・ジールを奪還する旅に向かわせたのは、西都の総督ヨーシュ・ファミルガム。亜人に護衛され始めたこの頃から、彼は名前の後ろに謙虚な人を付けて呼ばれるようになる。
そう呼ばれることに戸惑いを覚えはするが、かと言って亜人達相手なら通りが良いのだから仕方がない。今や巨大なアルロデナの支柱とも言うべき政務の中心人物が見込んだ4人は、情報を集めながら北部の主要な道路を進んでいた。
姉妹月が夜神の時間を照らす頃、彼らは焚き火を囲んで先の予定を話し合っていた。
「商人の話によれば、今オルフェンは各国から集まった兵士でごった返してるって話だ」
鷹目のフィックは焚き火に薪を焚べながら、商人から仕入れた情報を話す。
「傭兵志願の冒険者として、上手く潜り込めないものかな」
魔剣ヴァシナンテを操るリィリィは眠くて船を漕ぎ始めているレオニスに視線を向けながら、フィックの話に耳を傾ける。
「……難しいんじゃねえかな。小国の方は常備兵が基本だからなぁ」
維持するのに金が掛かる常備兵は資金に余裕のある大国が揃えているのが普通だったが、一騎当千の猛者が存在する中では大国である程傭兵を雇い入れる余地が生まれているのも事実だった。小国同士の争いは、それが即ち国の滅亡に直結する。況してや長く争っている国同士では言わずもがなだった。
自然、小国は有能な兵を囲い込むようになり、兵士達の忠誠心に期待せねばならない立場となる。それが出来ない国は早々に消えていった。この地域に100年も続く小国乱立の影にはシュシュヌ教国の影があったのだが、それは一要素でしかない。
英邁で野心豊かな君主が多数存在し、有能な官吏や強靱な将軍がこの乱立を招いていたのだ。嘗ての大国ランセーグがシュシュヌとの対立の中で崩壊した後、まるで驟雨の後の晴れ渡る星空のように綺羅星のごとくに乱立した小国。
彼らは民心を安定させ、工業を興し、軍備を整えた。
一騎当千の猛者が偶然国に生まれることを期待するよりも、国に存在するものでやっていかねばならないとした彼らは現実的であった。多数の優秀な君主に率いられるように、他の国々も軍備の拡張を推進していった結果が小国が常備兵を多数揃えることに繋がっている。
100年もの間争い続けていれば、自然と組織の硬直と人材の枯渇を迎えることになる。それが排他的な空気となって小国間に流れていたのだ。
だからこそ、傭兵は信頼出来ないとする風潮が小国家群にはあった。
寧ろ大国の方が臨時の戦力として冒険者を傭兵として雇い入れることが多々あり、二代に渡る戦姫などは冒険者を戦力として十分に活用して自軍の強化に努めていた。
それを踏まえたフィックの発言だったが、東方で活動したことのないミールなどは首を傾げても、特に反対意見を言うことはなかった。彼女にとって大事なのはレシアをどうやって救い出すかであり、その興味は専ら実力行使に向けられていた。
近付く為の策はフィックやリィリィなどの頭の良い者に任せればいいという判断だった。
「下手に見つかると、聖女様に近付くどころじゃなくなるからな」
「潜入が無理なら、戦に飛び込むか」
リィリィが思案顔で炎を見つめるが、その発言に度肝を抜かれたのはフィックだった。
「冗談だろ? 命が幾つあっても足りねえぜ」
青い顔をして視線をミールに向けたフィックが同意を求めるが、ミールはそれもありかと思案を始めてしまった。
「ゴブリンの王は、近々オルフェンに向けて兵を出すだろう。必ずな」
「……二つの勢力がぶつかっている隙を突くってか? 西都総督殿から俺達のことが伝えられてなけりゃあ、ゴブリン共に殺されちまうぞ」
フィックは、手に持った枝をへし折って焚き火に投げ捨てながら尚も言い募る。
「それにだ。小国の奴らだって、はいそうですかと聖女様を返してくれる訳じゃねえ。下手打ったら挟み撃ちで周りは敵だらけだ。袋叩きにされるだけだぞ」
黙り込む一同に、船を漕いでいたレオニスが不思議そうな顔を向ける。
「ねえ、行商人のおじさんに連れて行ってもらえばいいんじゃない?」
聖女レシアの奪還という依頼に、どうしても荒事になるという前提で考えていた3人の年長者達は、少年の言葉に互いに視線を交わす。
確かにオルフェンに入るだけなら態々彼らだけでの潜入を試みる必要はない。行商人を利用して象牙の塔に進入するのも一つの手段だ。
「……だが、行商人がそんなに都合良く俺達に協力してくれるか?」
フィックは尚も疑わし気であったが、レオニスは平然と言い切る。
「大丈夫だよ! この前の行商人のおじさんが、ヨーシュのおじさんのこと知ってるって言ってたし」
西方総督ヨーシュの名前に、三人は尚も視線を交わし合う。
「……まぁ、使えるものは最大限使うのが正解だろうな」
フィックの言葉に他の二人も同意する。にこにこと笑うレオニスは冒険を心から楽しんでいるようだった。
◆◆◇
小国の属国化に成功した軍師プエル・シンフォルアは、再編された部隊を北方の国境へと移動させている。商館を通じて齎される北方の動静。更には東の境を接する小国の動きを鑑みるに、北方のオルフェンが軍事行動を起こすのは間近であると思われた。
北に兵を送り出した小国を攻めるのは魅力的ではあるが、此方の存在を考慮すれば中々取れる手ではない。
4将軍から一つの軍を東に向ければ、小国の1つや2つを蹂躙するのに苦労はないだろう。だが、その隙に肥大化する聖女の軍勢が南下を開始すれば、それだけレヴェア・スーが危険に晒される。アルロデナの中枢として政治的な中心であるばかりでなく、種族協和の象徴として存在しなければならないこの都市が落とされるようなことになれば、その衝撃は計り知れない。
戦姫ブランシェが仕掛けた後方擾乱の策はプエルに苦い経験を積ませると共に、その視野を広げることになった。
大国となったアルロデナは、今や他を圧する程の軍事力を兼ね備えている。経済面からも既に各国に根を張りつつある。戦略の観点からでも、政略の観点からでも、更に戦術面からでも、何事も無くぶつかり合えば当然の如く勝利を収めることが出来るだろう。
故に彼女が気を配らねばならないのは、当然のように戦闘を開始することである。
周辺諸国を北方の軍勢に吸収させて正面切っての対決に付け入る余力を残させないことは当然だが、人間側のギルドの発した賞金首の宣言すら利用して、支配下地域の動静にも目を配る。
動揺の生まれた地域はないか。ギルドの宣言で揺らいだ指導者は居ないか。或いは小国に不穏な動きはないか? それらを監視するのは彼女の自由への飛翔であり、網の目のように張り巡らせた行商人達の齎す情報であり、周辺各国に配置した商館での情報だった。
商館を活用できるようになり、エルクスを自国内に張り巡らせることが出来るようになり、彼女に集まる情報の精度はより高くなった。更にヨーシュの設立したギルドを使って都市以外の情報も逐次集めている。
それを確認して、彼女は軍備の再編成を終えた部隊を北上させているのだ。
既に4将軍の内、ラ・ギルミ・フィシガが率いる弓と矢の軍以外の軍は北部国境に到達し、そこで訓練を積んでいる。
露骨な挑発を繰り返し、プエルは敵の戦力を北部に集めようとしていた。
「敵が集まるよりも、その軍を各個撃破した方が良いのではないか?」
彼女の策を王に話した時、王が当然上げる疑問の声に、彼女は澱みなく答えた。
「敵を各個撃破する為には小国を蹂躙しつつ進まねばなりません。それでは本末転倒です。一刻も早く聖女様を取り戻すという観点から言えば、彼らに兵を集めさせ、暴発させることで一挙に刈り取ることこそ最上です」
北部に集まる戦力は小国の中を通行して集まっている。それを討つ為には小国を蹂躙するしかないが、それでは北部の軍勢に行動の自由を許してしまう。
だが、ゴブリン側が北部に戦力を集め、決戦を思考しているように見せれば、北部の軍勢は行動を自ずと縛られる。彼らにとって聖女という偶像こそ守らねばならないからだ。
小国が全て連合してもアルロデナの方が戦力が上であるとの確信を得るからこそ、プエルはこの策に踏み切れる。歴戦の指揮官、優秀な兵士、豊富な戦力、何よりも王の為なら命を懸けることを厭わないゴブリン達の旺盛な士気を見れば、寄せ集めでしか無い連合を撃破するのは難しくないだろう。
例え敵が数倍の戦力を持っていたとしてもだ。
彼らの行動を縛りながら、プエルは打てる手を打っていく。徐々に相手を戦略的に追い詰め、それ以外の行動が取れないように誘導していくのだ。
そして、それが相手に兵力を集めさせて決戦を思考させるというもの。
この一度の戦いで反ゴブリン色の強い小国家群の兵力を半減させる。その後に軍を東に向け、バターをナイフで切り取るように領土を併合していけば、残る国は東の聖王国アルサスと海洋国家ヤーマだけとなる。
両国共に古い国ではあっても、豊富な戦力を保持しているとは聞いていない。どちらも歴史と伝統を誇る老大国に過ぎない。実質、この一戦が大陸制覇への王手だと彼女は考えていた。
「北部に三将軍を集め、不測事態に備えてファンズエルには後軍を」
地図上で展開される布陣にゴブリンの王は頷く。
「敵は我らをオルフェン内に誘い込むでしょう。オルフェンの西部からギ・ガー・ラークス殿、南西部からギ・グー・ベルベナ殿、南部からギ・ギー・オルド殿」
オルフェンを囲い込むように展開される軍の後部に、左右にギ・ヂー・ユーブとギ・ズー・ルオを従えた王の駒が置かれる。
シュシュヌ教国側へ突出してしまえば周囲は草原である。如何に彼らが大軍でもゴブリン側の機動力には対応出来ない筈だ。となれば、敵は当然勝手知ったる己が領地の中でゴブリン達を迎え撃ちたい筈である。
機動力を発揮させること無く、数対数の勝負に持ち込める場所を。
「本陣として、王には南西方向から軍を進めて頂きます」
「戦姫のように、奴らが突出してくる可能性はないのか?」
「オルフェンに集まっている軍の主力は歩兵になります。大規模な騎馬戦力は確認されておりませんので、あまり考慮に入れずとも宜しいかと」
成程と頷いた王は先を促す。
「防御を志向し集まっている敵に対して、機動力に勝る我が軍は敵の撹乱の後集結し、正面から堂々と彼らを撃破いたします」
王の駒を中心として、左翼にギ・グー・ベルベナとギ・ガー・ラークス。右翼にギ・ギー・オルドとギ・ズー・ルオ、ギ・ヂー・ユーブ。
翼を広げた鳥のように鶴翼の陣形を取る布陣に、ゴブリンの王は意外なものを見るようにプエルに確かめた。
「我が騎馬隊が敵の正面だが、構わぬのか?」
「取り戻したいのでしょう? 己が手で愛する者を」
プエルの言葉に、王は僅かに沈黙して答えた。
「……ふん、言ってくれるな」
照れ隠しに口元を歪めた王に、プエルは微笑みを向けた。
「勝って大陸を手に入れて下さい。そして、愛する者を取り戻されますよう」
深く一礼するプエルに頷き、王は立ち上がる。
胸に熱いものが滾るのを感じていた。
王の近衛たる騎馬隊の練度を確認する為退出する王を見送り、プエルはギ・ザー・ザークエンドを呼び寄せた。地図を見下ろしたギ・ザーは不快げに呟く。
「お前は王の安否をもっと気遣っていると思っていたがな」
「戦が始まれば、王の御心は聖女の所に飛んでいってしまうでしょう。下手に動かれるよりは最前線で剣を振るってもらった方が行動が読み易い」
「だが!」
「ええ、危険であることには変わりありません。王の後方に特務として武に優れた者を集めます」
ガイドガ氏族のラーシュカ、剣王ギ・ゴー・アマツキ、雪鬼の族長ユースティア。
「そして、ドルイド部隊はここです」
指し示す場所は、王の軍勢の直ぐ横だった。
「貴方が王を守りなさい。その忠誠の赴く限り、敵の剣を弾く盾となり、敵を葬る刃となりなさい」
「言われずとも、そうするつもりだ!」
鋭い視線をプエルに向けたギ・ザーは踵を返す。ギ・ザーを見送って、彼女は再び地図に視線を落とした。
「当然……レシア・フェル・ジールは軍の中枢にある。ならば、そこを突破するのは強力無比な一撃でなければならない。ですが、敵もそこを強固に固めてくる筈」
彼女の脳裏に浮かぶのは、生きる伝説と讃えられる北国の最高戦力オーローン。
「王をこの男とぶつける訳にはいかない」
故に彼女はあからさまな配置にしたのだ。
敵の行動を縛り、敵の主力の位置を特定する。
オーローンを無効化する為にギ・ザーを始めとした個人の武に優れたものを集め、かの敵を討ち取る。彼女は王を最前線に晒しつつも慎重にその身を守ろうとしていた。
戦場に安全な場所など無い。
ならば、計算できる危険を考慮した上で王の安全を図る。
神算鬼謀の軍師の掌の上で、戦場はその姿を現し始めていた。
◆◇◆
王暦3年の夏の盛りを過ぎ、ゴブリンの王率いる軍勢がレヴェア・スーを出発した。
王の騎馬隊600を先頭にギ・ヂー・ユーブのレギオルとギ・ズー・ルオの千鬼兵。更にはラーシュカを始めとしたガイドガ氏族、ギ・ゴー・アマツキの剣兵隊、ユースティア率いる雪鬼達。ドルイド部隊を率いるギ・ザー・ザークエンドとギ・ドー・ブルガの魔法兵、軍師プエルが直接指揮を執る妖精族の戦士達。
少数ながらも戦場で重要な働きを期待される特務部隊を率いて、ゴブリンの王は一路北に進路を取った。ゴブリン達の動きに対して、象牙の塔の首脳陣はプエルの予想の範疇を出ること無くオルフェンの南部に連合軍の陣を張り、迎え撃つ構えを見せる。
西方には沼地が広がり、東方には森林地帯が広がる荒れ地の中、合計24カ国からなる連合軍4万8千は魚鱗の陣形を敷いた。
ゴブリン側の足を封じ込める為に木の柵を大量に作成して荒れ地に迷宮のような馬防柵を建てると共に、陣営地を作って決戦に備える。
南方から進出してきた敵を有利な態勢で待ち受け、疲労させた状態で討ち果たす。基本に忠実で、かつ隙のない戦略だった。
ゴブリンの王は傍にプエルを従え、小高い丘の上に登ると眼下に整然と整列する己が配下を見下ろした。ゴブリンの王の後ろには近衛たる“傷モノ”達が付き従い、巨大な黒き太陽の紋章旗を掲げている。
「プエル」
「はい」
「敵は巨大だが、我が美しき混沌の軍勢の雄姿は、それを忘れさせる」
中核を為すゴブリン達は階級の別なく身じろぎもせず、巨躯を誇る肉喰らう恐馬に跨る王の姿を注視していた。
ゴブリンの始祖たる4氏族。暗黒の森南部に勢力を張る南方ゴブリン。深淵の砦から出てきたばかりの新兵に、歴戦を勝ち抜いてきた上位のゴブリン達。
盟約に従って参戦する亜人と妖精族の人ならざる者達。
草原を取り返した者。更なる領土を得ようと励む者。己が力を証明する為に参加する者。
そこに加わるのは人間達だ。
人間同士の争いに敗れた者。迫害された者。ゴブリンに従うことを誓った者。己の矜恃の為に此方側に与した者。世界に最大の人口を誇る人間達は、既にゴブリン達の世界に組み込まれている。
人と魔物の区別なく、王の前に整然と居並ぶその光景は確かに王の目指した国の形である。
──美しき混沌。
正と邪が入り混じり、混然一体となって王の力となっている。
故に混沌。
混沌を統べる王の名の下に、彼らは集まるべくして集まったのだ。
既にこれは人間対魔物の争いではない。
世界を統べる覇王の戦い。世界に挑む王の戦いだった。
「我が臣よ!」
小高い丘の上から呼びかける王の声に魂を震わせ、ゴブリン達が歓声を上げる。
「我が同盟者達よ!」
少数ながらも、ゴブリンと共に歩むことを選択した人ならざる者達が声を上げる。
「我が民よ!」
最後に人間達が喚声を上げた。
「世界を手に入れる戦いの始まりだ!」
大剣を引き抜いたゴブリンの王は、その切っ先を敵陣に向けて指し示す。
「我に続け!」
世界を震わせる喚声の声と共に、ゴブリンの軍勢は前進を開始した。
聖女戦役の始まりである。
4月26日誤字脱字修正




