閑話◇ユザの巡回日誌
「よぉ、ギーさん」
目に見えて狼狽えるゴブリンに、衛士長ユザはニンマリと笑みを浮かべる。
傷だらけのゴブリンである。
肌の色は緑色で、片腕である。その片腕に短槍を持って歩く姿は、そこいらの獄卒など屁でもないだろう。背丈はユザの肩程しかないのに、目付き顔付きは凶悪の一言であった。
「なぁに、そう慌てなさんなって。上司と名前が似てるからって、別に問題ねえだろう?」
ぶんぶんと首を横に振る傷だらけのゴブリン。少なくなってしまった元からの部下達は、呆れたようにユザを見守る。
「こマる。俺タち、なマエ、だイじ」
「そりゃあ知ってるけどよ。名前が無いと呼び難いじゃねえか」
首を傾げて黙り込む目の前のゴブリンの肩を叩くと、ユザは気にせず歩き出す。
「まぁ、取り敢えず巡察行こうや」
頷くゴブリンと共に、彼らは歩き出す。
◆◆◇
臨東と新たに名前が変わったこの街は、短い間だが空前の大国の首都であった。聖騎士の国と言われた西方最大の軍事国家ゲルミオン王国の旧首都である。
人間の国を標榜するゲルミオン王国は、西方から勃興してきたゴブリン達の国と争って敗れた。それはもう完膚なきまでに国王や王太子や国の要であった聖騎士の殆どは彼らとの戦いで死んでいる。
ユザは人間の醜さなど今更嘆くつもりはない。
衛士などという仕事をしていれば、胸糞悪くなる場面に出くわすことも一度や二度ではないのだ。落城に際して首都の住民が見せた混乱も、そのような物の一つだろう。
女子供を押し退けて逃げる大人。
守るべき住民を顧みもせず逃げ出した衛士。
普段威張っている割に、役に立たなかった貴族達。
死ねとせっつく近衛の上司。
全てに嫌気が差して落城の時に自宅に引き籠っていたユザに転機が訪れたのは、元副官の男が新しい仕事の話を持ってきたからだ。
内心、どうにでもなれと思っていたのは否定しない。
だが、こんな筈じゃないと思っていたのも確かなのだ。自身が守ってきたものはこんなものじゃなかった。相反する二つの思いに突き動かされたユザが登用の為の面接を受けに王城まで進むと、居たのは強面のゴブリンではなく穏やかな笑顔の妖精族の女だった。
「あー、その、なんだ。衛士を募集してるって聞いて来たんだが」
ゴブリンに逆らってやるとは思わなかったが、決して卑屈になるつもりはなかったユザは、肩透かしを食らったように言葉が出ない。
「それは素晴らしいですね! 前職はやはり?」
見目麗しい妖精族にそう言われて、年甲斐もなく照れたのはユザの人柄だろう。貴族御用達の高級娼館には妖精族の酌婦が付いたりするという仲間内での与太話が頭を過り、慌てて掻き消した。
「あ、ああ。近衛の上級兵士をやってた」
さらさらと羊紙に書き込む妖精族の女から他に幾つか質問をされた後、ちょっと待っててくださいねと軽く言われ、大人しく待っていたのは男の悲しい性だろう。
戻ってきた妖精族の女に、じゃあ明日から衛士長でと言われ、悲鳴じみた驚きの声を上げてしまったのはユザの一生の不覚である。
ぼんやりしたまま登用の門を出て、待っていた副官の男に明日から衛士の長になったと告げてふらふらと自宅に帰る。
身の回りのことを片付けた10日後、衛士の仕事に復帰したユザが詰め所で見たのは、整然と並ぶゴブリン達12匹と及び腰でそれを眺める新任の衛士達の姿だった。
それからは怒涛の日々だった。
最初こそゴブリン相手にどう接していいか分からなかったユザだったが、元々根は単純であり、何よりもゴブリン達はユザの命令に従順だった。
「我が王、言ッた。治安、守らネバ、ならナイと。デモ、俺、分かラナい」
迫力ある顔で迫るゴブリンに、ユザは戸惑いながらも頷いた。
「分からナイ、こト、聞く」
鼻息荒くユザを見つめるゴブリンの迫力に負けてか、ユザは渋々ながら彼らの採用を決める。
実際問題、人手は常に足りないのだ。
「ゴブリン共の王が治安を守れと命令した。んで、このゴブリン達は治安の守り方が分からないから俺達に聞きたいらしい」
そういうことだと捉えたユザは遠巻きにしていた新人達に声をかけると、副官に命じて編成を取らせた。
旧ゲルミオン王国では、衛士は近衛上級兵と呼ばれるベテラン一人と近衛下級兵複数によって巡視をする。盗賊団などの大掛かりな捕物となれば話は別だが、通常の編成では7人程度である。
ただ、問題はゴブリン達だった。
「こいつらをどうするんです?」
「ああ? 混ぜれば良いだろう。どうせ人手は足りねえんだからな」
相変わらずの上官の言葉に副官は苦笑して、編成を一緒くたにした。
無論、悲鳴を上げる他の衛士達を無視してである。
そんなこんなで、30日が経つ頃には何とか形になってきた。初日にユザに対して話しかけてきた傷だらけのゴブリンを、ユザは“ギーさん”と呼んでいる。
何でも他のゴブリンよりも年上らしく、実質的な長のような存在らしい。
仕事を覚えたゴブリン達を使う時はギーさんに頼むことにしている。勿論、荒事専門で。
臨東と名を変えたばかりのこの都市は、巨大な国の首都という一見華やかな幻想に惑わされて、日に日に人が増えつつある。一旗挙げようという商人。土地の無い農家の次男三男。腕に覚えのある冒険者。
真っ当な者が集まるのは良い。
だが、そうではない者もかなりの数が入ってきているのだ。
徒党を組み、所場代を寄越せと喚く冒険者崩れ。
夜の闇に潜んで商店を狙う盗賊団。
美味い汁を求めて集まる旧貴族など、数え上げればきりがない。
それらに対処するのが衛士と呼ばれる彼らの仕事である。必然、荒事は多い。冒険者と言えども、そこはやはり人間である。この国を治めるゴブリンが相手となれば、自然と及び腰になる。
何せ治安維持に回されるゴブリンは傷だらけの者が多かった。戦に勝ち抜き、生還した者は、見た目からして強者の威風を纏っているものだ。
破落戸のような底辺の冒険者などでは、とても太刀打ち出来ない。
衛士長としてガルム・スーの治安を預かるユザが頼りにするのも当然であった。
そんな時、事件が起きた。
ガルム・スーの近郊で燻っていた貴族の1人が反旗を翻し、ガルム・スーに向かって軍を進めたのだ。手勢は僅か200程。普段であればゴブリンの王や4将軍の何れかがすぐさま鎮圧する筈の反乱だった。
だが、その時は間が悪かった。
シュシュヌ教国を平定したゴブリンの軍勢の主力は、遠く王都リシューへとその軍を進めていたのだ。後方の治安を預かっていた弓と矢の軍のラ・ギルミ・フィシガなどはクシャイン教徒側へ出張っている。
戦力の空白地帯となっていたガルム・スーの直ぐ傍での反乱。その事態はすぐさまゴブリンの王に届けられたが、千里を超える距離を一息に飛び越えて来られる筈もない。
現有戦力で防げという命令が下されたのは、当然の帰結であった。
ガルム・スーに残っていた戦力はレア級ゴブリンのギ・アー。そして傷モノと呼ばれる歴戦のゴブリン100匹と、治安維持の為に置かれたノーマル級が僅か50匹程である。
普段は隊商の警護や街道に出現する魔獣の駆除などに当たっているギ・アーは、すぐさま150のゴブリン兵を揃えた。
怯えが出ると勝てるものも勝てないと判断したギ・アーは、城外での開戦を決意する。
ガルム・スーの住人は、ギ・アー率いるゴブリンの出陣を複雑な思いで見送らねばならなかった。攻め寄せる貴族に同情する気持ちは勿論ある。だが、やっと立て直した生活を壊されるのは真っ平御免だった。
王城から街道を通って出陣していくゴブリンらを、声援も罵声もなく見送るガルム・スーの住人達。その中にあって、ユザは不機嫌そうに住民達を見つめていた。
中にはゴブリン達に世話になった者も含まれているだろうその事実が、余計にユザの腹を煮立たせた。だが、ユザも大人である。口には出さず不機嫌に黙り込むと、いつもの任務に当たるべく巡察を続けようとしていた。
ギーさんと呼んでいたゴブリンを始めとして、治安維持に当たっていたゴブリン達は戦に行かねばならない為に引き上げている。その所為で、衛士の仕事はかなりの忙しさに見舞われていた。
不機嫌に巡察を続けるユザの目の前を、騒めく群衆の間を通り抜けるゴブリン達が隊列を組んで歩いている。その中に“ギーさん”を見つけると、ユザは抑え込んでいた不機嫌がどうにも我慢ならなくなってしまった。
「おい、ギーさん!」
その声に驚いたのは、声を掛けられたゴブリンも、周囲の住民達も、ついでに声をかけた本人も同様だった。一斉に振り向く住民の視線に傲慢不遜になって一人前と言われる衛士の見栄を総動員して声を荒らげ、住民を押し退ける。
戦々恐々と事態を見守る住民達を押し退けたユザは、進軍するゴブリンの列に近付くとギーさんに声をかける。
「ギーさん! 死ぬんじゃねえぜ! 衛士はいつでも人手不足なんだからな! さっさと戻って、仕事を手伝ってくれ!」
自分は出征前の兵士に何て言葉をかけているのかと若干反省しつつ、それを当然とおくびにも出さないユザ。ギーさんと呼ばれたゴブリンは仲間からの視線を気にしつつ頷くと、片方しか無い手で胸を叩いた。
「もちロんダ! 治安、守ル、我ラのやクめ」
「おう、その通りだ!」
いつの間にかユザの後ろに来ていた他の衛士達からも激励の言葉を貰い、ギーさんは再び列に並び直す。それを見ていた指揮官のギ・アーは、並び直したギーさんに声をかけた。
「ギーサンとイウのは、お前ノ名前か?」
「……申シ訳、アりま、セン」
「責めていルノデはナい。我が王は言われタ。王に従ウならば、皆平等デあル、と」
「ビョう、どウ」
「つまり、仲間ダ」
「なかマ」
大きく頷くギーさんに、ギ・アーも頷き返す。
「俺でハ、名前はヤれぬガ、渾名ならいいだろウ。ギーサン」
「アり、がタ、ク」
深く頭を下げるギーさんの肩を叩き、ギ・アーは150のゴブリン兵を率いて出陣する。
戦の行方は数で劣るゴブリンが終始攻め立て、貴族軍を敗走させて決着を見た。元々兵士をそれ程抱えられるような余裕は与えていない為、領地の農民を動員しての200だったのだ。
そのような貴族軍など、民は全て戦士とするゴブリン達の敵ではなかった。だが、その中でも被害は出る。少なくない被害を数えながら、ゴブリン達はそのままガルム・スーへと戻る。
裁定は王が為されるというギ・アーの判断は間違っていなかった。即座に軍を率いて戻った王は貴族の所領を没収し、反乱を起こした貴族当人は発見次第処刑せよとの命令が下る。
ギ・アー率いるゴブリン達は数に勝る貴族軍を敗走させ、見事ガルム・スーを守り切ることに成功したのだ。
◆◇◆
そうしてユザは、いつも通り巡察に出かける。
衛士長だからと言って、詰め所で椅子にふんぞり返っている訳にはいかない。何せ人手が足りないのだ。
「隊長! 大通りで冒険者同士の喧嘩です!」
「ちっ、またかよ……。何でこう、治安を乱す馬鹿共が多いのかね? これじゃあ、おちおち休みも取れねえぜ」
苛立ち紛れに吐き捨てると、後ろに控える副官に言い放つ。
「抜剣準備!」
「宜しいので?」
「構うか! 俺が長だからな!」
「そういえば、そうでしたね」
「ま、使うことにはならねえと思うがな。なぁ、ギーさん!」
「治安、守ル、我ラのやクめダ!」
ギーさんが吠えると、それに続くゴブリン達も咆哮を上げる。
「よし! それじゃあてめえら、ちょいとこの街を騒がす馬鹿共を懲らしめてやろうじゃねえか!」
ギーサンという渾名を貰ったゴブリンと共に、ユザは今日もガルム・スーの治安を守っている。
1月16日修正




