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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
314/371

戦姫ブランシェ・リリノイエ

 ゴブリンとの交渉が決裂してから2ヶ月。ブランシェ・リリノイエは最前線で彼らと対峙していた。とは言っても、未だゴブリン側は姿を現す様子はない。いつでも動けるように軍備を整えているとのことだ。

 伏せられた手札は4枚。

 背後の王都リシュー、西方戦線、クシャイン教徒、南方戦線。

「さて、どれが鬼札かのう?」

 敵の軍師の動きからすれば王都リシューが最有力である。態々激しく撃ち合いをさせた西方戦線、或いは落とせるのに落さなかった南方戦線。どちらも警戒を引き上げるしかない。

 クシャイン教徒達は軍事に関しては二流である。聖戦を発動すれば怖いが、未だそこまで追い込まれている訳ではない。女皇ミラは随分ヴィラン・ド・ズールにご執心のようだが、今のところ堅実さ以外はさして恐れるような軍師ではない。

 とすれば、残るは王都リシュー。

 頻発する奴隷商への強盗事件と合わせて考えれば、王都で反乱を起こさせて戦姫ブランシェを引き付けている間に国境線を突破。恐らくクシャイン教徒側から迂回して突破してくる。それならば対処が可能だ。

 ゴブリンの全軍を相手にするなら厳しいであろうが、短期間に兵力を集中して突出してくる敵を撃破する。先のギルギメル平原の決戦の焼き直しである。

 その間、戦線を維持するのは奴隷兵に任せればいい。

 手札としては消耗し切るだろうが、彼らには必死で戦わねばならない理由がある。弓騎兵と魔導騎兵の一部を随伴させる形にすれば、クシャイン教徒側から突出してくる戦力を打ち破る間ぐらいは持つだろう。

 並べられたカードを弄びながら、彼女は自身の対処を決めかねていた。

 最前線に自身の身を晒すのはやぶさかではない。

 彼女が最前線にいるからこそ、敵の軍師は攻勢を控えているのだろう。それはクシャイン教徒も同様だ。現に彼女が小国から戻ってきた後、敵の軍師は一度も攻勢に出ていない。

 彼女が居ると、確信を得ているようだ。

 敵の諜報組織は優秀であると認めざるを得ない。赤の王の遺産である諜報組織は徐々に削り取られ、立て直しを図らねばならない状況に陥っている。

 しかし、それと引き換えに彼女は勝利を重ねた。

 南の戦線では2回。西の戦線でも1回。大規模な勝利を重ね、小競り合いでも1度勝利を得ている。その勝利を糧に国内の反抗勢力を一気に己の傘下に押し込んだ。

 特に三大貴族の筆頭として振る舞うことを許されたのは、彼女に大きな行動の自由を得ることに繋がっている。南側に基盤を持つアガルムアと貿易航路を潰されて苦しいクシュノーア。ゴブリンの進撃に震え上がったこの二家を操るのは、さして難しいことではなかった。

「思い出すだけで腹が立つのう」

 それを外交で台無しにされたのだ。

 ゴブリンとの再戦に構えねばならなくなった今、彼女の手札は以前よりも弱体化していると言って間違いない。彼女が王都リシューで頻発する奴隷商の襲撃をゴブリン側と関連付けて考えたのは、何も理由がない訳ではない。

 人と物を運び、商売の種にするのはクシュノーアの得意分野だからだ。ゴブリン達を騙したクシュノーア。その事実を教えてやった時の当主シャルネイの顔を思い出し、彼女は僅かに口元を緩めた。アガルムア家のバラッドならば、こうはいかない。

「国軍に厳戒態勢を敷かせるべきかのう」

 が、老い先短いバラッドなど彼女の敵ではない。次世代の養育に失敗し、放蕩息子を抱えるバラッドの弱みはそこだった。故に彼らは彼女に協力するしか無い。

 擬似的ではあるものの、国力を発揮出来る所までブランシェはシュシュヌ教国を纏めていた。

「となると、邪魔なのは閨の中か」

 少しばかり脅しをかけねばならないかもしれない。

 鋭くなる視線に笑みを湛えて、ブランシェは南方戦線を押し出すことを決意。築いた塹壕陣地を後背に、弓騎兵と槍騎兵、更に魔導騎兵の一部を以って突出した。

 南方にて彼女と相対するのはギ・ガー・ラークスの虎獣と槍の軍(アランサイン)とギ・ギー・オルドの双頭獣と斧の軍(ザイルドゥーク)だが、リリノイエの旗が見えると一戦もせずにすぐさま撤退。その戦線を後退させる。

「少し、脆過ぎる」

 ということは、やはり狙いは後方か。

 勝利を餌にブランシェを前線に留め、後背で反乱を起こすことで王都リシューを混乱に陥れる。更にブランシェが南方戦線を押し込むようなことがあれば西方戦線からゴブリン達が突出し、戦況を膠着に持ち込む策であると思われる。

「塹壕陣地を固めて戦線を維持せよ。妾は国軍の出動を願う」

 後宮に送り込む有力な手駒が居ない以上、彼女が直接掛け合った方が早い。

 そう判断したブランシェは、急ぎ馬を駆ると王都リシューへ戻った。


◆◇◆


「随分、気前良くばら撒くんだね」

「……取らないでくださいね」

「バッカだねぇ。アタシがそんなケチなことすると思うかい?」

「じゃあ、その金貨を返してください」

「おやぁ?」

 狂刃のヴィネとソフィアの間でそんなやりとりがされている間、王都リシューの闇の中では後宮と繋がる商人に金をばらまく作業が続けられていた。

 奴隷商に押し入り、商品と金品とついでに奴隷商の命を奪うという、よく言っても強盗家業に精を出すヴィネは、ソフィアからみて実に楽しそうに見えた。

「ヴィネ殿。奴隷達の食事が終わったぞ」

 身なりを整えればそれなりに見栄えのする女剣士の言葉に、ヴィネはソフィアを揶揄うのをやめて顔を向ける。

「あいよ。元奴隷に食事を配り終えたンだね」

「……ああ、すまぬ。そうだ」

 一瞬ぎょっとした女剣士は、傍目から見ても落ち込んだようだった。

「ったく、そんなことで落ち込むなよ。剣士様の名が泣くぜ? サリィ」

「子供のような名前で呼ぶな!」

 サリィと呼ばれた女剣士の肩に腕をかけ、まるで獲物に巻きつく蛇のようにその細い腰に手を回す。吐息が掛かりそうな程に近寄ったヴィネの唇に、サリィは震えた。

 サリィの肩に回した指先が彼女の切り揃えられた髪先を撫で、首筋を這うようにゆっくりと動き、ヴィネは震えそうになるサリィの耳元で囁いた。

「お前の大好きな正義の味方さ。弱い者虐めは良くないよなァ」

「そ、それは……んッ!」

 耳元に吹きかかるヴィネの吐息が、サリィの動きを縛る。早鐘を打つ心臓の音が遠い。

「奴隷商なんて、その最たるもンさ。奴らは弱い者を縛り、売りつけ、てめえらの私腹を肥やす。そうだろう?」

「それは、そうかもしれない、けれど……ッ!」

 徐々に力を無くす言葉に、切ない吐息が混じる。

正義は苛烈なるべしフィス・ディアード・ヘル。悪人には、天誅を加えなきゃなァ……サリーネイア」

「……そう、だな」

 囁く声は蜜で、言葉は毒だった。

 頬を赤く染めて自身の体に手を回し、ふらふらと歩くサリィに、ヴィネは肩を竦める。

「何でもいいですけど、お金は返してくださいね」

 冷たいソフィアの声に、再びヴィネは肩をすくめたのだった。金貨を指で弾きながら笑う。

「奴隷の数も多くなってきたし、そろそろ限界かね」

 事実彼女の集めた戦えそうな奴隷は300人を超える。それなりの大所帯となっていた。

「特に指示は来ていません。今のところは、未だ」

「じゃ、続行で良いのかね。アタシは楽しくていいんだが、こんなことで国をひっくり返せるのかねぇ?」

「プエルさんは、きっと考えていると思います」

「だと良いんだけどね」

「……どういうことですか?」

「あのお嬢ちゃんとシュシュヌのお姫様、どっちが格上だと思う?」

「プエルさんに決まって……」

「それは希望的観測ってやつだね。一度覗き見したけど、ここのお姫様も結構やるよ?」

 ヴィネの嗅覚は強者を確実に嗅ぎ分ける。そうでなければ、今日まで生き残ってこれなかっただろう。

「そんなっ──!」

 強く反論しようとしたソフィアの視界に伝書鳩が過り、言葉を途切れさせる。ソフィアの肩に乗る鳩の足元には書簡。括りつけられたそれを取り出して、ソフィアは読み進める。

「で、何だって?」

「ヴィネさん……」

 若干青ざめた表情のソフィアに、ヴィネは片目を瞑って手を差し出した。手紙を受け取ると、まるで幼い妹にするようにソフィアの頭をグリグリと撫でる。

「ん~? く、はっはははは! 随分とご機嫌な命令だねェ!」

「……ヴィネさん」

「誰が指示を出してるか知らないが、アタシは大好きだよ、こういう命令」

 哄笑するヴィネは天を仰いで目元を手で覆う。

 彼女の手から溢れ落ちた書簡には、簡潔に命令が書いてあった。

 ──クシュノーアの旗を血で染めろ。

 闇夜で笑う狂刃のヴィネに、その命令が下った。


◆◇◆


「──策は成りました。出陣し、戦姫の首を挙げます」

 冷然と告げるプエルに、集まった諸将は顔を見合わせる。薄い笑みすら浮かべる彼女の視線は、広げられた地図に落とされていた。

「国境線を突破し、シュシュヌ教国王都を落とせば、彼女の首は我らの手の内」

「再編されたフェルドゥークを以って、西方の戦線を。ギ・ギー・オルド殿には南方の戦線を突破してもらいます」

「王の騎馬隊及びアランサインは、全力を以ってクシャイン教徒と合流。軍をシュシュヌへと進めます」

「戦姫は戦を仕掛けてくるか?」

 ゴブリンの王の問いかけに、彼女は頷く。

「恐らくは……。ですが、彼女の手元に戦力が残されているとは限りません」

 プエルは罠を仕掛けた。

 見せ付けるように威力を発揮した、ゴブリンの王率いる騎馬隊の活躍。

 国境線に戦姫が居ない時に限って出陣する此方の意図。

 王都で蠢動するヴィネ。

 そして、彼女が天才であるが故に見落としている盲点である。

 彼女は政戦と戦略の天才である。神に愛されているかのような恐るべき天賦の才。それに加えて精強な騎馬隊とそれを活用出来る大国の首座の地位。

 恐怖と利によって他者を操るブランシェの手腕は、プエルをして一敗地に塗れさせる程のものだ。

 だからこそ、プエルは敗北を利用する。

 勝利によって国内を纏め上げ、自国を戦時体制へと切り替えたブランシェとは対照的に、自負心の強い彼女の心理を利用して彼女を殺す。

「敵は塹壕戦というフェルドゥークを真似た防御陣地を敷いています。これは騎馬兵に対してとてつもない威力を発揮する動く要塞です」

 戦姫が居ない間にプエルが副官メランと対峙した際、その威力は確認済みである。騎馬の足を殺す仕掛けが山程仕掛けてあるのだ。しかも穴を掘ることによって、平面の戦いが凹凸のあるものへと変化している。

 如何に騎馬兵が長い槍を持とうとも、塹壕に籠る魔法兵相手には分が悪い。

 だが、この塹壕陣地は歩兵に寄る圧倒的な物量の前にはあまり意味を成さないのだ。

 これがプエルの仕掛けた一つ目の罠。ゴブリンの王による圧倒的な騎馬戦力は自負心の強い彼女の意識にさぞ強烈な印象を残したであろう。確かにゴブリンは先の戦で敗北した。ブランシェの率いる騎馬戦力に蹂躙されてフェルドゥークは半壊し、唯一一矢報いたのはゴブリンの王の騎馬兵だけである。

 だからこそ、ブランシェの脳裏には強烈に焼きついた筈なのだ。

 敵の騎馬兵力を阻止せねば、再びの勝利は無いと。

 そして二つ目の罠。

 戦姫が居ない時に限ってプエルが戦線を動かしたのは、彼女の思考に罠を仕掛ける為である。

 戦姫ブランシェは政戦と戦略の天才である。或いは少ない情報からプエルの意図を読み取ってしまうかもしれない。だからこそ、無意味に戦線を動かした。

 まるで、それに意味があるかのように。

 南方の戦線で落とせる筈の街を落とさず、西方でも副官メランと塹壕陣地の有用性を確認させるような戦をした。

 そうなれば、戦姫は考えるだろう。

 西方戦線では優秀な副官と塹壕陣地の有用性が証明された。残るは南方。不審な動きは何の為か? 軍を動かすからには何らかの意図がある筈。その思考を逆手に取った罠である。

 だからブランシェは南方を攻撃したのだ。

 苦もなく撤退する南方戦線のゴブリン達に、やはり彼女は本命は王都リシューであると考えた。

 そして三つ目。

 無意味に揺り動かした戦線と、後方に蠢くヴィネの存在。

 これが二つ目の罠と連動してブランシェの思考を縛る。継戦能力が在るとはいえ、勝利を重ねたブランシェに敵は真面にぶつかっては来ないだろうという驕りである。

 敵の本命は後ろだとブランシェに確信を抱かせる為に奴隷商を襲撃させ、あたかも戦力を着々と整えているように見せかける。

 劇薬じみた効果を持つ狂刃のヴィネは、ここで活きてくる。王都リシューを恐怖に陥れることによって、国軍の出動を要請せねばならなくなる。

 最後に四つ目。

 彼女は己に並ぶ者のない程の天賦の才を与えられている。それ自体への罠。

 彼女にとって、他人とは根本的に自らの足を引っ張る存在でしか無いのだ。後宮の勢力も三大貴族も、己の為に動く手駒であって協力して何かを成し遂げる仲間ではない。

 故に、最後の最後で人を信じられない。

 勝利を重ねる毎にシュシュヌ教国での立場を確固たるものとしていくブランシェ。今では軍事・外交・内政全てに彼女の意志が反映されているだろう。

 即ち、この戦場で彼女の意志以外が入り込む余地はない。

 それがプエルにブランシェ1人を狙い撃ちさせる最後の動機となった。

 全てに手を回そうとする故に疲労は膨らみ、策は精彩を欠いていく。

 勝利を完全なものと信じ、己の目の確かさを疑うことをしないから、自分の策が相手によって誘導されたものだと思えないのだ。

 ブランシェは徐々に導かれていた。プエルの用意した罠は狡猾で、ブランシェの心理を読み切っていた。

 プエルは、そこまで読んで戦姫を殺しにかかる。戦姫を殺す為にはその力の源泉を絶たねばならない。

 では、彼女の力の源泉とは何か?

「彼女は天才です。故に彼女の力を封じねばならなかった」

 ゴブリンの王すら退ける騎馬戦術と、それに裏打ちされた魔導騎兵達だ。塹壕陣地で戦う限り、馬になど乗る意味が無い。地面に穴を掘り、隠れるからこその塹壕陣地である。

「馬から降りた魔導騎兵など、ただの魔法兵と同じです」

 魔法兵に対抗する為の手段は圧倒的に此方が有利である。ノーム・ウェンディ・サラマンドルらの各妖精族からは支援の為の戦士達がガルム・スーに到着していた。

 後は戦姫が戦線を離れるのを待てばいい。

 その引き金も、プエルが握っている。

 怒りに燃え、クシュノーアに報復を誓うギ・ザーに謀略の指示を出させたプエルは、ブランシェが戦線を離れる情報さえ得れば良かった。苛烈な報復を取ることは彼の性格上当然のことである。

 プエルの口元が笑みに歪む。

 それはまるで復讐の女神のように、或いは運命の女神のように、彼女は地図を見下ろし微笑んだ。

 ──さあ、戦姫ブランシェ・リリノイエ。敗北の時間です。

 プエルの仕掛けた四つの罠が毒となって戦姫を絡め取っていた。ゴブリン達の動きを包み隠したのは、ギ・ジー・アルシル率いるゴブリン暗殺部隊である。この4か月間、態と活動を停止していた彼らは、ブランシェが戦線を離れるとの報を受けて猛威を振るったのだ。

 その結果、ゴブリンの動きを見張る為に各戦線から出ていた斥候は彼らの刃に掛かり、赤の王の遺産である諜報組織も少なくない損害を出すことになる。

 だが、それも情報の隠蔽という戦果の前には小さなものでしかない。ゴブリンの動きを殆ど包み隠した彼らの働きにより、西と南の戦線はゴブリン達が突如現れたかのような幻想を見ることになる。

 敗北から僅か4ヶ月で対ゴブリンで構成していた西方と南方の両戦線はゴブリン側の攻勢により瓦解。クシャイン教徒側から侵入したゴブリンの王とアランサインの攻撃によって戦乙女の短剣(ヴァルキュリア)は手痛い敗北を喫し、撤退を余儀なくされる。

 シュシュヌ教国は、国内にゴブリン軍の侵入を許すことになった。


◆◆◇


 戦姫ブランシェが報告を受けたのは、王都リシューまで後1日の距離であった。

 ゴブリンが西方と南方の両戦線を突破し、クシャイン教徒側に配置していた戦乙女の短剣も敗北したとの報は、彼女から全ての表情を一瞬奪った。

「……」

 一刻程瞑目し熟考した彼女は、伝令に問いかける。

「その報告に訂正の余地はあるのかのう?」

「……第2・第3の報告を待てば被害の程度は分かりますが、恐らく……」

「そうか」

 意外の落ち着きを見せ、彼女は伝令に言う。

「済まぬが王都へ向かう。今一度伝令の任を与える故、走ってもらうぞ」

「御意!」

 伝令を走らせ王都リシューへと向かった彼女は、落ち延びてくる筈の兵士の迎え入れの準備をすると共に、王に謁見を申し込む。副官のメランとヴァルキュリアのファルらが戻ったのは彼女が王都に戻ってから4日後のことだった。

 彼女の母譲りの鳶色の瞳が見た王都リシューは、落城寸前の混乱に見舞われていた。

 逃げ出す民は後を絶たず、平民や商人や貴族までもが続々と王都リシューから脱出を図っている。無言のままにそれを眺めた彼女は王都に与えられている屋敷へ戻ると謁見用の衣装に着替え、王に謁見を願い出た。

「おお、麗しき我が戦姫!」

 縋りつかんばかりに彼女を迎える王に、彼女は完璧な礼節を持って挨拶を返す。

「国境付近での戦の顛末は聞いたぞ。さぞ、無念であったろう」

「陛下の信頼を裏切ることに成ってしまい、大変申し訳ありませぬ」

 見れば、国王たる彼の傍に居る筈の大貴族達の姿はない。

 閑散とした王宮に居残るのは逃げる場所がない者か、体面を気にして逃げられない者か、誠に忠義を誓う者しか居なかった。目端の効く者達は既に王都から逃げ去っている。

「我が麗しき戦姫よ。其方には負担ばかり掛けた。若き身空で、よくぞここまで戦ってくれたと思っている」

「勿体なきお言葉。リリノイエの家名を汚す振る舞い、恥じ入るばかりにございます」

 未だ20歳にも満たぬ少女の肩に大国の運命を委ねねばならぬ無能を王は恥じ、謝罪した。彼女は王にだけはこの戦の展望を語っていた。

 国境を突破されたなら、勝利は覚束ない。

 ──国庫を傾け、国土を焦土と化し、女子供や老人に至るまで兵として戦うのなら僅かばかりの勝機はあるが、如何かと。

 外交にてゴブリンとの講和が結べなかった際に、王に問いかけた記憶を彼女は呼び起こしていた。

 そして、王は困ったように笑いながら首を横に振ったのだ。

 ──それは寛容(シュシュヌ)の教えにあらず。民を苦しめて、何の為の国か、と。

 故に、彼女は無能と呼ばれる王に心からの忠誠と共に頭を垂れる。

「さて、我が麗しき戦姫。この細首で和平を買えるだろうか?」

「……残念ですが、それは叶いますまい」

 今まで従順に頭を垂れていた彼女は、突如として無表情を装い王に向き合う。

「貴様、無礼であろう!」

 怒りに叫ぶ王の傍に控える侍従を一睨みして黙らせ、指を鳴らす。

 謁見の間に続く扉が開かれ、彼女の子飼いたる魔導騎兵達が武器を手に謁見の間を占領する。

「……これは、何事か!?」

 悲鳴を上げる侍従達を取り押さえ、王の玉体に副官のメランが手を伸ばす。

「我が麗しき戦姫よ。これは一体……」

「我が愛しき王よ。この戦は我が為の物。王には本日只今を以ってご退位願いたい。……構いませぬでしょう? 実権は殆ど妾のものでしたのじゃから」

 妖艶に笑うブランシェが宣言するのと副官メランが表情を消して王を拘束するのは同時だった。

「お連れしろ。決して玉体に傷を付けることは許さぬ」

 凛として命じるブランシェに従って、魔導騎兵達が拘束した者達を後宮へと連れて行く。

「宜しいのですか? 姫」

「くどい。お主も男ならば腹を括るのじゃ」

「我が身のことなら、このように進言などいたしませぬ」

 メランの進言を鼻で笑うと、彼女は玉座に腰掛ける。

「さて、ゴブリン共と交渉せねばな」

 まるで在るべくしてそこに在るように玉座を占めるブランシェ・リリノイエ。驚異的な自制心で憤怒を押し殺し、メランは跪いた。

 メランが見上げた彼女は、例えようのない程に美しかった。


◆◇◆


 国境を突破したゴブリンの軍勢だったが、先を急ぎたい各軍に対してプエルは決して急がぬようにと指示していた。フェルドゥーク・ザイルドゥーク・アランサイン。それぞれの将軍級ゴブリンからの抗議にも全く動じず、彼女はゆっくりと王都リシューへと近付いていくことを指示。

 彼らが王都リシューへと到着する頃には、戦姫ブランシェが王を拘束してから三日が経っていた。残る最後の手勢を王都リシューの前に集結させて陣地を構える戦姫は、ゴブリンの軍勢を見て苦笑した。

「遅くも早くもない。絶妙な頃合いよのう」

 対するゴブリン側も陣を構える。

「もう一戦、という訳か」

 敵の陣を見て目を細めるゴブリンの王に、プエルは首を振った。

「いえ、王次第ではありますが……」

「敵陣に白旗!」

 プエルの近くにいたシルフの声に、彼女は瞼を伏せた。

「交渉の使者です。どうぞ、お受けになって下さい」

「良かろう」

 シュシュヌ側から出てきたのは三騎。黄金の髪を靡かせた長身の少女に、頬に傷を負った優男、そして峻厳な氷を思わせる目をした女の武人である。

 ゴブリン側から駒を進めたのはゴブリンの王と軍師プエル。そして王の護衛としてギ・ゴー・アマツキとユースティアだった。ガイドガ氏族のラーシュカなどは交渉事は退屈だとばかりに不参加を決め込む。

「お初にお目にかかるのう。シュシュヌ教国を代表してご挨拶申し上げる。ブランシェ・リリノイエじゃ」

 黄金の髪に鳶色の瞳。豪奢なドレスを纏った彼女は、何の衒いもなく微笑んだ。魅力的なそれを頷きで受けると、ゴブリンの王も挨拶を返した。

「我は王。まつろわぬ者達を率いる王である」

「……成程のう。その威風、確かに王であるようじゃ」

 どこか納得したように頷くブランシェを、血のように赤い瞳でゴブリンの王は見つめた。

「私はプエル・シンフォルアと申します。この度の交渉……」

「ああ、気を使わぬでも良い。我がシュシュヌ教国は、貴国に降伏を申し出る」

 くすりと笑うブランシェは、真っ直ぐにゴブリンの王を見上げた。

「受けよう」

「有り難い。条件は、元国王及びそれに連なる者達の助命と我が民への狼藉の禁止。……それを認めて頂く対価は我が命じゃ」

 一瞬だけ目を細めるゴブリンの王に、プエルは物悲し気に瞼を伏せる。

「宜しいかのう?」

 ブランシェはゴブリンの王とプエルに確認を取る。

「……良かろう」

 頷くゴブリンの王に、ブランシェは微笑んで礼を言う。

「感謝する。では、誓約の通り妾は自決する。然と見届けられよ」

 そう言うと、ブランシェは短刀を抜いて自らの胸に突き立てた。ドレスを濡らす血潮が地面に届かぬ内に彼女は倒れ伏す。ゴブリンの王は彼女を抱き起こすと、苦しげに顔を顰めるブランシェに宣言する。

「安心せよ。我が名に懸けて、誓約を裏切らぬ」

 血のように赤い瞳を見返し僅かに頷くと、ブランシェは安らかな表情で目を閉じた。

「誓約は成された。遺骸を持ち帰られよ」

 唇を噛み締め、握り締めた拳から血を滴らせながら主の死を見届けた二人の武官は、無言のままゴブリンの王に礼をするとブランシェの遺骸を引き取る。

 戦姫戦役と呼ばれた戦は、ブランシェ・リリノイエの死により終焉を告げた。

 シュシュヌ教国は戦姫ブランシェの死を以って、ゴブリン側に全面降伏。

 大陸中央に覇を唱えた大国の陥落の報は、それ以東の小国に動揺と混乱を齎しながら彼らの間を駆け巡る。草原の大国亡き後、最早ゴブリン達の勢いを遮るものは無いように思われた、が……。



戦姫編終了。

次回より第3章群雄時代最終編、聖女編開始

閑話・幕間有り

2月4日修正

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