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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
307/371

英雄帰還

12月30日誤字脱字修正


 人馬・牙の亜人の集落に続き、ガンラ氏族の集落が襲撃されたとの報告に、ゴブリンの王を始めとする高位のゴブリン達は一様に激痛に耐えるような厳しい表情を浮かべた。

 ヨーシュの復帰により暗雲の中に一条の光が差した後方の情勢だったが、予断を許さないのは跳梁跋扈する冒険者達の行動だった。

 本拠地である深淵の砦の直ぐ側にまで敵の勢力が侵入したという事実は、ゴブリン達に深刻な不安感を齎していた。その不安の何割かは敵を未だに撃破出来ないギルミへの批難となり、ゴブリンの王の周辺で渦巻いた。

 ゴブリンの王は一刻も早く東へ向かいたい。

 それが分かっているだけに、ゴブリン達の批難の矛先は事態を鎮圧出来ないギルミへと一斉に向かった。一方のゴブリンの王は戦姫にしてやられている現状を打開しようと策を練っていたが、目の前に対峙している軍を退かせるのは容易ではなかった。

 そんな中、ギ・ザー・ザークエンドが調略の成功の報告を齎す。

「シュシュヌの三大貴族の一角、クシュノーア家だと?」

 告げられたギ・ザーの言葉に、ゴブリンの王とプエルは驚きの声を上げる。

「本当に? 確かに名前は上がってはいましたが……」

 未だ信じ切れないプエルはギ・ザーに質問するが、彼は機嫌を損ねたように鼻を鳴らした。

「嘘だと思うなら諜報網で調べてもらっても構わん」

 言い切るギ・ザーに、プエルは半信半疑ながらも諜報から上がってくる情報の精査に入る。数日後、確かにクシュノーア家に妙な動きがあるとの情報が届けられた。

 兵を集めているらしいクシュノーア家だが、それと平行して、もう一つの三大貴族アガルムア家も兵を集めているらしいのだ。軍事はリリノイエ家の管轄となっているので、私兵ということになるだろう。

「内乱の兆し……とでも言えば良いのでしょうか」

 未だ敵陣に混乱の色は見られない。

 兵を統率する戦姫の手腕か、若しくは情報が届いていないのか。戦姫ブランシェの陣営地からは、未だ濃厚に戦意が満ち満ちていた。

「……敵が内応に応じているなら好機ではありますが……」

 相手は戦姫を擁する大国である。その国の大貴族が此方に内応して何の得があるのか? 未だゴブリン達はシュシュヌ教国の領土を踏めてすらいないというのに。

 猛威を奮う戦姫の攻撃に、足踏みをしてしまっている状態だ。

 判断を下しきれないプエルは、視線をゴブリンの王に戻す。

「情報を固めたいと思います。暫しのご猶予を。ですが、何れにしても後方の安定を無視して進むのは愚策でしょう」

 プエルの進言に王は頷き、出撃の為の準備を進めると同時に後方の戦況を見守る形で軍議は終了した。


◆◆◇


 寒さも和らぐティガの月になってもギルミ率いるファンズエルの追撃は続く。少数の冒険者を追い詰めることは出来ても、本隊たるエスガレにまで至ることはなかった。ギルミにしてみれば冒険者の総数が不明な為、部隊を極端に分けることは出来ない。

 ガンラ氏族の根拠地アーノンフォレストが焼き討ちに遭い、怒りに燃えるギルミだったが、それを表面には出さず黙って耐えた。

 最前線ではギ・ザー・ザークエンドの調略が功を奏しつつあり、戦の機運が高まっている。その為、後方の安定こそが戦を仕掛ける好機であるという認識が広まりつつあった。

 各地で起きる暴動は統治者達の必死の努力によって減少傾向にあったが、未だに冒険者の居座る西域周辺は物流の混乱が見られる。大都市とは大量の消費を齎す場所だ。西都やエルレーン王国の首都など、周囲から物を購入して消費する場所であって、何かを生み出す場所ではない。

 物流の混乱は、彼ら消費者達に不安と閉塞感を与えていた。

 そして、その批難の声はやはりギルミに向かうことになる。ゴブリン達の目がある以上、公然と王を批難する訳にはいかない人間達は誰かの所為にして声高に不満を叫びたかったのだ。

 酷い所では、ラ・ギルミ・フィシガというゴブリンは無能なのではないか? と疑問に思う声まで挙がっていた。

 敏感にそれを察知したソフィアは、そのことをプエルに知らせる。彼女の上司は少し考えた後、そのまま放置せよと言葉を返した。

「……不満そうですね」

「いえ。ですが、不当な評価だと思います」

 西都から西域を抜け、ゲルミオン州区に入った村で彼女達は会談を持った。嘗て西方八砦があった場所には防御的な施設は築かれず、村があるだけだ。

「反乱軍の主力を撃破した時は喝采を送っておいて、舌の根も乾かぬ内に……!」

「それが人間……民というものでしょう。王は彼らを守る存在であると、幻想を抱いているようですが」

 守る筈だった妖精族の民に陥れられた経験のある彼女は、僅かに目を細めた。

「彼らはしぶとく、狡猾で、打算的です。ギルミ殿が敵を撃破してみせれば、また賞賛を送るでしょうね」

「それは……」

「ですが、それを率いねばならないのが王たる者の責務です。ソフィア。貴女は彼らの中に良からぬことを企む者が居ないかを探りなさい」

「はい」

「不満を口にする程度なら可愛いものです。ですが、進んでそれに火をつけるような輩が居るなら話は別でしょう」

 国内の引き締めを図るべく暗躍するエルクスは、未だ混乱の渦巻く西都を中心に諜報の網の目を再構築しようとしていた。


◆◇◆


 シュシュヌ教国の三大貴族たるクシュノーア家・アガルムア家・リリノイエ家。この内、軍事を司るのはリリノイエだが、クシュノーアとアガルムアも兵力が皆無という訳ではない。

 2つの家門は大きな権勢を保持する為、当然ながら時には暴力という手段に訴える輩と相対する必要があるからだ。私兵か衛士かという区別はあるにしても、国内において戦える力を持つという点では、やはりリリノイエ家と並んでこの2つの家は強大であった。

 プエルの調査により、確かにティガの月からクシュノーア家とアガルムア家が兵を集め出しているのを確認した。

 街に流れる噂では、新年の祝いの席で戦姫ブランシェがクシュノーア家とアガルムア家を挑発したとのことだった。隣国であったゲルミオン王国を滅ぼしたゴブリン達を、南方だけとはいえ2度も退けている厳然たる事実でもって。

 王より賞賛されたブランシェは、大貴族らしい傲慢さでクシュノーア家の当主に皮肉を言ったらしい。窘めるアガルムア家にも噛み付いた彼女の態度に、普段仲の悪いクシュノーアとアガルムアは手を組んで脅しを掛けるつもりのようだ。

 噂話を統合すると、そのようになっていた。

 如何にプエルの諜報網が優れているといっても、王宮の内部にまで入り込むには時間が足りなかった。引き続き情報を集めるつもりだったが、事態は彼女の予想よりも早く動き出す。

 またも後方の戦線で敵の情報を掴んだのは、西都の総督ヨーシュだった。

 ティガの月も終わりに近づく中、その報せは届く。

 敵の本体と思われる冒険者達が西から東へ移動中。

 南の捜索に出ていたギルミは、その報せを受けるやすぐさま軍を北上させた。冒険者の通る経路の特定は出来ないが、それでもギルミは全力で北へ軍を向ける。

 ファンズエルに集ったギルミ以下の者達は、ただ只管に無言のまま足を早めた。

 ガンラ氏族は本拠地を焼かれ、人間の集落だけでも10を超える略奪の被害。更には亜人の集落を2つまでも落とされた。中でもガンラ氏族は、ギルミ以下の全員が目を血走らせながら敵の姿を探し求めた。

 発見したのは7日後だった。

 ギルミは一隊をシュメアに任せ、もう一隊をギ・ズー・ルオに任せると、自らも一隊を率いて軍を3つに分割して捜索を行った。シュメアには辺境守備隊を丸ごと指揮させ人間を中心に部隊を組み、ギ・ズーにはオークなどの重装備の兵士を付ける。ギルミ自身はガンラ氏族と少数の人間達、更には集落を焼かれ復讐に燃える亜人を加えて、それぞれに少数のレオンハートの騎馬兵を付けていた。

 斥候として出していたレオンハートの騎馬兵から敵の総数を聞いたギルミは、他の2隊に伝令を出すと同時に敵を見下ろせる丘陵の上に移動する。

 場所は北部辺境から更に東に入った丘陵地帯。

 点在する森の切れ目から丘陵が続く一帯で、彼らは敵に追い付いた。

 眼下に見下ろす敵の総数は凡そ1500。

 後ろに控える手勢は1000に足りない。

 ギルミは一度だけ目を閉じて、深く息を吐き出した。

 同胞達からの批難の声にも、彼は耐えた。

 守るべき民から無能者と揶揄される声にも、彼は耐えた。

 略奪され、殺された死者達の怨嗟の声にも、彼は耐えた。焼き討たれた故郷、無念の表情で屍を晒す同胞達、目を閉じた一瞬の間に去来する全てを確かめて、ギルミは目を開ける。

「見つけたぞッ!」

 百万語の思いを込めて、ギルミは獰猛に笑った。

 そして、それは彼に続くガンラ氏族達にとっても同様であった。

 歓喜に似た憎悪を抱きながら亜人達に突撃を命じる。我慢出来ないとばかりに弓に手をかける同胞達を振り返りもせず、己の弓に矢を番えた。

「人間どもよ。受け取れェ!」

 天翔ける矢の群れが冒険者達に降り注いだ。ギルミが一々指示を出すまでもなく、氏族は彼らの英雄に続く。言葉など掛ける必要もなく、彼らはギルミに続いた。

 レオンハートの騎馬兵達は、戦場を迂回して敵の進路を塞ぐべく疾駆させる。

 一人たりとも逃がさないという断固たる意志の現れであったが、正面から戦う兵力は更に差が開くことになる。

 降り注ぐガンラの矢は、まるで彼らの意志が乗り移ったかのように急降下の威力を伴って冒険者達の鎧を貫き、肉に突き刺さる。集落を襲撃された牙と人馬の亜人達は、復讐の念に燃えて狂気にも似た突進を繰り返す。

 牙の一族は右腕を切り落とされたのなら左腕で、両腕を落とされたのなら己の牙で、一人でも多くの冒険者を冥府の底に叩き落とすべく獅子奮迅の戦いを繰り広げる。

 足を負傷した者は這ってでも敵に組み付き、地面に引き倒していく。己の血が枯れ果てるまで戦い続ける牙の一族の狂気じみた戦い振りは、人間側に少なくない動揺を与えた。

 人馬の一族は得意の騎射などは最初の一回だけで、後は槍を持っての突撃に切り替える。敵の血を浴びなければ、彼らの怒りを鎮めることは叶わない。彼らの憤激は、それ程までに強かった。

 冷静に戦う方が無理な状況だった。人馬族の戦士は怒りのままに敵を串刺しにし、浴びせられる魔法に身体の一部を吹き飛ばされる中で串刺しにした敵を盾にして更に突撃を繰り返す。

 射掛ける矢がそれらを援護する。敵を分断し、狙い撃ち、統一された動きを阻害するガンラの弓兵。

 ギルミはどこまでも冷静であった。

 憎悪に身を委ねる同胞と亜人達を尻目に己の激怒を飼い慣らし、冷徹な目で敵の勢力を分析していた。

 だが、敵も名だたる冒険者達である。

 個々の戦闘能力ならばゴブリンと亜人達に劣るものではない。局所的に数人で纏まり、亜人達の猛攻に抗う者達も出始めている。これが優秀な指揮者に率いられていれば話は違ったのだろうが、生憎冒険者側には優秀な指揮者は居なかった。

 エスガレもガエリクスも個人としては優秀でも、大軍の指揮では及第点すら与えられない。

 個々の能力が高く統一されている為、指揮官が不在でも亜人の集落を襲うことは出来た。

 しかし、本格的な戦となれば話は別である。 

 大を活かす為に小を切り捨てる決断力と、それを納得させるだけの権威。それを備えている者が冒険者達の中に居なかったのだ。

 血で血を洗う激闘の中で、奇跡のようにギルミの目は一点に集中する。矢を番えないで放たれる魔素の矢。

 奪われたガンラの至宝、流星の弓(ビューネイ・ボウ)だった。

「ガンラの戦士よ」

 静かに、だがはっきりと聞こえる声でギルミは言葉を発する。

 英雄の言葉に聞き入るように、氏族達は視線をその背中に集中させた。

 始めに射る者(ガディエータ)。ガンラの英雄。ゴブリン四将軍。様々な呼び名で讃えられる彼らの英雄は、戦場を見下ろして構えた弓の弦を引き絞った。

「突撃用意」

 その命令に、氏族達は吠えた。

 当然だが、弓兵とは接近戦を想定した兵種ではない。

 それにガンラ氏族は他の氏族に比して身体が小さく、身軽さを活かす為に全員が軽装であった。

 だが、ゴブリンである。

 ギルミの放った一矢が突撃の合図だった。

 丘陵地帯の利を捨てて、亜人と冒険者が戦う戦場にガンラの戦士達が突撃する。走りながら矢を射かけ、ギルミを先頭に全員が戦場を切り裂く一本の矢となって奪われた誇りを取り戻す為に疾駆する。

 命中精度を問わない速射で次々と矢を放つガンラの戦士の突撃は、勝利を呼び込む為の最後の一押しである。戦の帰趨は既に決したが、これまで生き残ってきた冒険者達はしぶとく抵抗を続ける。

 冒険者達とて、此処で壊滅すれば自分達の死が決定的なものになることは理解している。前衛でギルミ達の突進を食い止めながら後衛が援護に回る基本的な戦術に立ち返り、戦場からの離脱を試みていた。

 狂気じみた亜人達の戦い方にも不利な点はある。爆発的な攻撃力を発揮する代わりに持続時間は短いのだ。疲れの見え始めた亜人達では、未だ組織的に行動して後退していく冒険者達を壊滅させることは出来そうにない。

 更に厄介なのは前衛の援護として射られる矢だった。

 それがただの矢であれば、ギルミ達もそう気にすることはなかった。だが、猛禽のガエリクスの放つビューネイ・ボウの威力はナーサのそれを凌駕する力を秘めていた。一矢で三人が吹き飛ばされる強大な魔素の矢。

 それが着弾する毎に、ガンラ氏族の誇りが傷付けられていく。

「続け!」

 ギルミの放った矢が空に放たれる。曲線を描いて落下する矢の雨に、前衛の冒険者達の動きが一瞬だけ乱れた。

 その戦場の空白とも言える一瞬の間。確かにギルミとガエリクスは視線を交わし合った。

「──っ!」

 互いに引き絞る弦には、必殺の意思を込めた矢。

 構えてから放つまで瞬きにも満たぬ速度。前衛の隙間を縫って擦れ違う矢が触れ合い、僅かに軌道を変える。

 ギルミが頬を掠める魔素の矢を見切るのと、猛禽と渾名されるガエリクスの胸に矢が突き立つのは同時だった。

 呆然とした顔で自らの胸に刺さった矢を見つめるガエリクス。僅かな交差すら読み切って放たれたギルミの矢は、神の御技の如き正確さで猛禽の心の臓を貫いたのだ。

 一方のギルミは得物を仕留めた喜びもなく、直ぐに次の矢を番えていた。

 慌てて逃げようとしたエスガレの脳天に、またもや狙撃じみた精度で突き立つ矢。

「馬、鹿、な……」

 口から血を溢し、その場に倒れ伏すガエリクス。今際の際に呟いた驚愕が、彼の最期の言葉となった。

 援護の為の弓隊を狙撃で崩されては前衛達も踏ん張ることが出来なかった。知らせを聞いて駆け付けたギ・ズー・ルオとブイの別働隊も合流し、横合いから突撃を敢行する。

 最早彼らに逃げる場所はなく、後方を遮る為に送られたレオンハートの騎馬兵と共に、ギ・ズーは冒険者達に襲い掛かった。

 この戦いで、王国の後方を騒がせていた冒険者達は一人残らず討ち取られることになる。

 ラ・ギルミ・フィシガ。

 ガンラの英雄は、再びゴブリン達にその名を轟かせることになった。


◆◇◆


「簡単な事じゃ。無限の回復力があるのなら、それを止めてしまえば良い」

「はぁ?」

 唖然とするエスガレに、戦姫ブランシェは至極簡単なことのように言った。

「それが出来れば、怪物は恐れをなして逃げ出すかもしれぬ」

「そんなもんですかねぇ」

「そのようなものなのじゃ」

 戦姫ブランシェの妖艶な微笑みに、エスガレは困ったように頭を掻いた。

「では、頼むぞ」

「え、俺ですかい?」

「うむ。妾の見込んだ者じゃ。相応の働きを期待するぞよ」

「まぁ、やるだけはやってみますがね? 期待はしないでくださいよ。俺ぁ、臆病なんで」

「うむ、正直で良い。三ヶ月じゃ。三ヶ月奴らの後背を騒がせてくれたなら、我が策は成る。その時になったなら逃げ帰って来るが良い」

 戦姫ブランシェは、過去に交わした会話を思い出していた。

 ゴブリン達と対峙する西の戦線に報せが届いたのは、エスガレが彼らの後方を騒がせてから四ヶ月が経過した時だった。

「そうか。死んだのか」

「はい。冒険者は全滅した、とのことです」

 副官の言葉に頷いて、彼女は背もたれに体重を預けた。

「暫し一人になりたい。席を外せ」

「はっ」

 副官が退室する。一人となった彼女は、最高級の紅茶の香り漂う部屋で僅かに顔を歪めた。

「……馬鹿め」

 帰らぬ配下に黙祷を捧げ、それでも彼女は強大な怪物の如き国と対峙していた。

 そんな彼女の元に後方の政情不安の報告が伝わってきたのは、それから三日後のことだった。

「アガルムアとクシュノーアが兵を集めております」

「ふむ……」

 考える素振りを見せるブランシェは、僅かの間瞑目し、即断する。

「軍を退く。時間は充分に稼いだじゃろう」

「御意」

「奴らに隙を見せるのは優雅ではないの。妾が殿を務めよう。同盟国から先に下がらせよ」

 ブランシェの指示を受けて全軍が西側の戦線から引いていく。その様子を歯噛みしながら眺める配下のゴブリン達は、今にも飛び出してしまいそうだった。

 敵が退く。それならば追撃の好機である。

 このまま一気にシュシュヌ教国を落としてしまいたい。そう渇望する彼らの目に、それはあまりにも美味そうな餌に見えた。

「戦姫が殿ですか……。気をつけた方がよろしいかと」

「しかし……!」

 追撃を加えたい急先鋒のギ・グーはプエルに食って掛かるが、彼女は冷静に自軍の状況を説明する。

「幸い、後方を乱されていた間にギ・ギー殿のザイルドゥークの再編が叶いました。アランサインの方も、どうにか間に合います。全方位からの攻撃の有効性は、昨年のゲルミオン王国での攻防で実証済みです」

 唯一不安なのは西都の物流の停滞で新兵達の補充が間に合っていないことだが、これはそこまで大きな問題ではない。4将軍の再編を終えた今の兵力でも、シュシュヌを落とすのに不足はない。

「確かに、一理あるか」

 王の言葉に頷いたプエルは、シュシュヌ教国攻略の作戦を語る。

「結論から言えば、二方向からの同時攻撃です。南からはアランサインとザイルドゥーク。西からはフェルドゥークと王の近衛を以ってシュシュヌ教国に攻め入ります」

「ファンズエルはどうするのだ?」

 ギ・グーが質問の声を上げる。

「未だ後方には暴動の爪痕が色濃く残っていると愚考致します。西都総督ヨーシュらの負担を思えば、1個軍団は後方に残しておくべきかと」

 後方を乱されたことにより思いの外進撃が遅れてしまった。この失態に、プエルはヨーシュという人材の認識を改めていた。後方の安定を支える人物を過労で寝込ませるなど言語道断である。場合によっては、王の覇道に無視できない差し障りが生まれる可能性がある。

 そう考えればこそ、ギルミ率いるファンズエルを後方に残しておくことを進言していた。

「ふむ……。ギルミ殿には悪いが、そうなるか」

 ギ・グーが頷くのを確認して、プエルは話を進めた。

「恐らくですが、戦姫は王を目指して来る筈です。今までの敵がそうであったように、王の首さえ取れれば逆転の目があると考える筈。……故に」

 プエルの目が細められる。

「王と近衛の周囲を、ギ・ゴー殿・ガイドガ氏族・ギ・ザー殿のドルイド部隊などで固めさせます」

 王の眉が不満に跳ね上がるが、口を開くことはなかった。王自身、自分の状態を良く分かっている。不安定な状態で戦いに臨むよりは、着実な成果がある方を取るのはごくごく自然なことだ。

「この際、南から攻めるアランサインとザイルドゥークは最大速力を以ってシュシュヌの王都を攻めます。また調略が為っている三大貴族の一角クシュノーアに王位を約束し、此方に寝返らせましょう」

「それは……」

「無論、戦力と権力をクシュノーアに委ねるような真似はしません」

 指摘しようとしたギ・ザーの言葉を遮って、プエルは策を述べる。この世に敗者の言葉ほど弱いものはない。シュシュヌ教国を下してさえしまえば、如何に大貴族と言えども恐れることはない。

 それに加えて、共通認識として戦姫以上に軍事に秀でた人材がシュシュヌ教国に居るとは思えない。そのような人材が居るなら、兵権はその者の手に渡っていて然るべきだろう。

「場合によっては、ギ・グー殿のフェルドゥークを反転させて包囲するという図式になるかもしれません」

 地図上に置かれた駒が、プエルの細い指に沿って半包囲の陣形を取る。

 頷くギ・グーを確認すると、プエルは王に視線を向けた。

「ご決断を」

「分かった。調略の進捗もあろう。会戦は20日後とする」

 プエルを始め、高位のゴブリン達が頭を下げる。

 戦姫戦役の開戦であった。



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