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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
302/371

放たれる闇手

12月30日誤字脱字修正

 ほんの3年前にシュシュヌ教国の首都リシューで有名な冒険者血盟(クラン)を尋ねたなら、幾多の答えが返って来ただろう。

 規模は小さいながらも世界を巡る強者が集まる飛燕(スワロー)血盟。戦争を主眼に活躍する大規模血盟(クラン)にして、亜人も平等に受け入れる誇り高き血族(レオンハート)。砂漠を中心に活動する赫月(レッドムーン)。幾多の血盟を傘下に加える連合血盟赤の王(レッドキング)

 更には暗殺に手を染めるウェブルスの短剣と影の逆月。規模は小さいながらも結束力の高い自由への飛翔(エルクス)

 そして戦乙女の短剣(ヴァルキュリア)

 3年という僅かな時間で、名のある血盟が次々と姿を消した。

 レオンハートは勢力の衰微と共に西へ移動し、レッドキングは盟主ブランディカ亡き後、連合血盟の体を保てず東部に撤退。エルクスは壊滅し、スワローは活動範囲を海洋国家ヤーマ近辺に絞っている。

 ウェブルスの短剣と影の逆月は論外であろう。ウェブルスの短剣は崩壊したエルクスの残党の手に掛かって殲滅され、影の逆月は南部で新たな雇い主を見つけて活動拠点を移した。悪名高いレッドムーンに至っては小規模の血盟を糾合して死に体のゲルミオン王国に戦を仕掛ける始末だ。

 華やかなりしシュシュヌ教国圏を賑わせた血盟の数々は、今や殆どがその姿を消した。

 変わらず活動を続けているのは、ヴァルキュリアのみである。

 構成員2000を数え、戦争への傭兵稼業を中心とした大規模血盟である。盟主を務めるのはファル・ラムファド。齢28を数える妙齢の美女であり、ヴァルキュリアの二代目の盟主である。白金色に輝く髪と鋭い目付きは、対峙した者の背筋を伸ばさせるような峻厳さがある。

 女性としても長身で、軽装の鎧を身に纏った姿は男の傭兵と遜色ない。一つの血盟を纏め上げるだけのカリスマと相応の実力を持つ彼女は、ギルドから届けられた手紙に戸惑いながらも封を開ける。

 ギルドからの手紙など八割方が碌でも無い内容だ。やれ血盟員が問題を起こしただの、何処ぞの盗賊が名前を騙っているから討伐しろだの、ギルドからの指名でランク6の依頼をこなせだの。 

 その手紙の封を見た瞬間、彼女は自身の頬が引き攣るのを自覚しない訳にはいかなかった。

「ランク6の依頼、か」

 はぁ、と深く息を吐き出す。

 幸い彼女は一人だった。普段は凛としている表情が多少歪んでも仕方ない。一瞬中身を見ずに破り捨ててしまおうかと逡巡したが、諦めて内容を読み進める。

「……」

 溜息しか出ない。溜息を付くと不幸になるそうだが、溜息を付かなくても不幸はやってくるのだから迷信だろう。

 部屋を出るときには凛とした姿と表情を取り戻して、彼女はギルドへ出頭した。

 部屋で待っていたのはギルド本部を纏める役員達だ。それも錚々たる顔ぶれ。副ギルド長から始まり、各支部の代表まで集まっている。これでギルド長さえ居れば、年に一度の定期総会が開けそうだとファルは内心で苦笑した。

 だが、表情だけは真剣そのもので、彼らが口を開くのを待った。

「急に呼び出して済まない。本日出向いてもらったのは君と君のクランに依頼を受けてもらいたいからだ」

「どのような?」

「敵の領域に赴き、敵の首魁を討ち取る。簡単に言えば、そのような仕事だ」

「お断りします」

 眉一つ動かさず、断る旨を伝えたファル。

「君!」

 怒りも露わに彼女に怒鳴ろうとした支部長を抑えたのは、副ギルド長である。

「これはさる高貴な方からの依頼だ。ギルドとしても是非とも成功させねばならん」

「……」

 黙って彼女なりに情報を分析する。ゴブリンとの戦いが始まったこの時期にギルドからの直接の指名依頼。敵の領域に赴き、敵の首を取ってくる任務。少し頭を使えば、馬鹿でも直ぐ分かる。

 ゴブリン共の領域に忍び込んで親玉を殺してこいと、つまりはそういうことだ。

 そんなことの為に自身の血盟を使いたくなかったファルは即座に断りを入れたのだが、ギルドが断れない筋となれば依頼主は決まっている。リリノイエ家だ。

「やってくれるな?」

 副ギルド長が脅すような縋るような声で念を押すが、彼女は決して首を縦に振ろうとはしなかった。

「嫌です」

 実質、死ねと言われているようなものだ。彼女の背中には守るべき血盟員2000名の命が積み重なっている。確かにギルドには仕事を紹介してもらってはいるが、だからといって納得の行かない理由で命は賭けられない。

 暫くファルを睨んでいた副ギルド長だったが、溜息を付くと一枚の紙を差し出す。

「その紙に好きな金額を書きたまえ。書き終わったら奥の部屋に行きなさい。依頼主が待っている」

「……報酬は前金で頂きます」

「分かった」

 諸々の諸経費と血盟を維持していく為に必要な金額を書き込むと、ファルは副ギルド長に紙を投げ渡す。用意された部屋に入ると途端に質の良い紅茶の香りを感じた。

 芳しい香りに一瞬だけ意識を奪われたファルは、視線を部屋の主に向ける。

「元気そうじゃのう。ファル」

「……盟主、ご無沙汰しております」

「よいよい、堅苦しい挨拶は抜きじゃ」

 黄金色の長い髪を腰まで伸ばし、優雅に紅茶を楽しむ戦姫ブランシェの姿にファルは片膝を付いて礼を返した。

「それに妾はもう盟主ではない。聞いておるぞ、ファル。中々の盟主ぶりじゃそうな」

「未だ私は盟主の影を追いかけている身でございます」

「もう盟主ではないというに」

 苦笑するブランシェに、ファルは主人に対する騎士のように礼儀正しく「では、ブランシェ様とお呼び致します」と断りを入れる。

「それで良い。それでこの度の件じゃがの」

「ブランシェ様の為なら、この生命投げ出す覚悟は……!」

「慌てるでない。まぁ、話を聞くが良い」

 語られたのは、戦姫ブランシェの仕掛ける大掛かりな戦の全容であった。

「此度の戦は、勝ち目が薄いとお考えなのですね」

「ふむ……そうよな。如何に妾が才能に満ち溢れ、若く美しいと言っても──」

「美しいことは関係ないかと」

「若くて美しいと言ってもじゃ!」

 断固として譲れぬ線らしいと感じたファルは引き下がる。僅かに頬に朱が差している為、こちらの緊張を和らげようとしてくれているのだろう。

「全方位から攻められては、流石にシュシュヌ全土を守りきれぬ。少なくとも、ゲルミオンはその手でやられたようじゃしのう」

「そういう事でしたら」

「やってくれるかの?」

 目を細めて笑うブランシェに、ファルは不敵な笑みで頷く。

「勿論です。私の忠誠は変わらず貴女に」

 その日からヴァルキュリアは方々に手を回して腕の良い冒険者達を集め始めた。ヴァルキュリアは傭兵稼業を中心とするクランである。敵の領域への潜入など本業ではない。敵対する者達を正面から叩き潰すことにかけては一日の長があるが、魔物の領域の探索に関してはノウハウが無い。

 その為、伝手を広げて小国家群や東の聖王国アルサス辺りからも冒険者を求めた。才あれば出自や経歴を問わないとした募集方法で、数多くの冒険者を集めることに成功する。

 彼ら全員に対して、ギルドからの依頼という形で一つの作戦が言い渡された。

 即ち、ゴブリン軍の後方の撹乱である。


◆◆◇


 戦姫ブランシェ・リリノイエ。類稀な戦の才能を持って生まれた彼女をして、ゴブリンの軍勢はまともに戦って勝利を得るには難しい相手である。その事自体はブランシェも認識している。彼女が武門の長の地位に就いた時点で、敵は既に手の付けられない状態にまでなっていた。

 それ自体は仕方ない。人間の手の長さには限界があるように、この世の物事全てを見通すことなど出来はしないのだ。限られた権限と情報の中で限られた手腕を発揮するしか無い。

 彼女が一国の女王であれば話は別であろうが、大貴族とは言え彼女は国王の臣でしかない。自ずと取れる手段は限られてくる。それに加えて他の大貴族との政争もある。宮廷貴族達に隙を見せれば、ゴブリンに勝利したとしても今後の政治生命が危ぶまれる。

 選択肢が狭められた状態で勝利を目指さねばならない彼女は、非情にならざるを得なかった。速やかに陣営を纏め上げる為に祖母の“串刺し女公”という二つ名を利用し、敵と味方に自身に逆らった者の末路を明確な形で示す。同時に先の戦姫就任の際に非協力的な姿勢を見せた小国に対して兵を出し、示威行為を行う。

 自身の影響力の大きく及ぶギルドに依頼して、冒険者を戦力として活用するのも手段の一つだった。

 国同士の戦いで真正面から大軍同士で決着をつけるなどというのは、彼女にしてみればかなりの危険と冒険を覚悟せねばならないことだった。

 ゴブリン軍の兵の補填能力は戦略を組み立てる上で最大の障害である。いくら勝利を収めても復活して襲い掛かってくる軍勢など、悪夢以外の何物でもない。

 先ずは兵の補充を遅らせねばならない。少なくとも人間の国と同等程度には。

 その上で、彼女はゴブリンの王率いる総勢3万余の軍勢を打ち破らねばならないのだ。南に控えるクシャイン教徒も掣肘を忘れれば攻めて来るだろう。

 しかし、そこで大貴族同士の政争が彼女の足を引っ張る。彼女の卓越した戦略眼からすれば、シュシュヌ教国は今回の領土侵犯に耐えられる程強い国ではない。国境が曖昧な南方の国や辺境を切り開いて興ったゲルミオンならば、国土を侵されても即座に徴兵を行って戦うことが出来るだろう。

 だが、シュシュヌ教国は長く大国であり過ぎた。

 国民は自国の領土が侵されるなどは夢にも思うまい。そして悪夢が現実となった時に起きる混乱は継戦の不可能を齎すだろう。自分の身を守ることに汲々とし、徴兵には応じず、国は傾く。大貴族としての彼女はそれを認められないし、そのような事態になった場合、彼女の政治的未来は潰える。

 先頃、南方に魔獣の大群が侵入した時など酷いものだった。

 率先して戦うべき貴族達が真っ先に混乱し、国王に救援を求めたのだ。そもそも貴族とは己の領土を己で守ってこそ貴族である筈なのに!

 だが、相手に弱点がない訳ではない。

 広範囲に広がったゴブリンの支配地域は防備が万全とは言えない。上手く治めている為に、前線に戦力を集中出来ているのだ。

 そして侵入する経路も確保してある。クシャイン教徒達である。ゴブリン達の集団を国と認める宣言を出して以来、関係は悪化しているが取引が無くなった訳ではない。

 取引の為の人員に此方の息が掛かった者を紛れ込ませれば、ゴブリン達の国に侵入出来る。

 ブランシェの語った内容は、ファルを驚愕させた。

 まさか己の敬愛する元盟主が、そこまで追い詰められていたとは露にも思わなかったのだ。

「敵の後方を乱すことにより、此方に向けてくる戦力を少なくするということですね」

「うむ。それと同時に妾がゴブリン共を打ち破る。それで手打ちとしたいがの」

 弱々しく笑う今のブランシェは、大貴族としての仮面を脱ぎ捨てた年相応の少女である。

 ゴブリンの殲滅など、シュシュヌ教国の総力を上げたとしても難しい。既に南方でブランディカと相対した時のゴブリンの軍勢ではないのだ。国境線を確定させての講和。それがブランシェの考える最も可能性の高い勝利である。

「しかし、その……」

「ん?」

「ゴブリン共が講和を守る確証はあるのでしょうか?」

「ふむ……その辺りは何とも言えぬのう。一応クシャイン教徒共と同盟を結んでおるからには相応に頭は回る筈じゃが、対等の相手と同盟を結ぶというのは難しいかもしれぬ。何せ妾の見るところ、あの同盟もゴブリンが主でクシャイン教徒が従じゃからの」

 だからこそと言い置いて、ブランシェは口を開く。

「力で叩く。それ以外にはなかろう。此方に手を出せば痛手を被ると分かれば、奴らも同盟を考えるのではないかのう……。少なくとも、ゲルミオン王国が西域を保っていた頃はそうであったと聞くが」

「まるでゴブリン達の国を認めているように聞こえますが」

「仕方あるまい。力ある者が国を築く。太古から続く慣わしじゃ。それが我ら人間か、亜人か、妖精族か、はたまたゴブリンかの違いはあろうともな」

「……はい」

 ふふん、と鼻で笑って、ブランシェは喉を潤す為に紅茶を口に含む。

「では、我らは後方撹乱の任務を遂行すれば良いのですね」

「いや、それなのじゃが……ヴァルキュリアは妾と共に戦場に在れ。後方撹乱は他に適当な人材を見繕う方が良いじゃろう」

「ですが、それですと……」

「分かっておる。混成を纏め上げる人材に心当たりがあるゆえな」

 その後、ファルがギルド本部を辞した時には既にロドゥの胴体は街並みの向こうに消えていこうとしていた。その夕焼けは、まるでこれから歩むことになる血塗れた戦場の景色のように見えた。


◆◆◇


 ゲルミオン王国を陥落せしめたゴブリンの王は時を無駄にせずそのまま東部、ひいてはシュシュヌ教国へ侵攻する構えを見せたが、戦姫ブランシェが先手を打って虎獣と槍(アランサイン)を撃退すると国境線は一先ず安定を見せた。

 だが、ゴブリンの王は執拗な程に東への経路を求め、虎視眈々とシュシュヌ教国へ狙いを定めていたのだった。王の傍にあって軍務と政務を司る軍師プエル・シンフォルアは、その王の態度に今までにない焦りを見出していた。 

 書類仕事が一段落ついた時、彼女は王に小声で呟いた。

「確かレシア・フェル・ジール、と言いましたか」

 窓の外を眺めていた王の肩が、僅かに動く。

「……何の話だ」

 嘘が下手だと内心溜息を付きながら、プエルは大胆に切り込んでいくことにした。

「王が執心なさっている人間の女のことです。確か、そのような名前だったかと」

「別に執心している訳ではないが……」

「……」

 両者が無言のまま、暫く居心地の悪い空気が流れる。その空気に耐えかねた王は、己の内心を自覚して肯定の言葉を捻り出す。

「まぁ、そうだな」

「今所在を探らせていますので、暫しお待ちください」

「何?」

「北方の小国オルフェンに居ることは掴んでおります。聖女レシア・フェル・ジール。その周囲ではかなり有名な方のようですね」

「……そうか」

 大陸を統べる。ゴブリンの王の下で、この言葉を真面目に捉えている者は少ない。ゴブリン達は王に従っていれば良いとばかりに戦略目標など考えもしない。王が望むとあらば、命を懸けて戦おう。そういった戦士の気質が彼らの美点であり欠点でもある。

 その道筋を具体的にどうするのか? この段階になってくると、プエルや一部の妖精族しか考えていないのが現状だった。

 ギ・ザー・ザークエンドなども王の為に戦うばかりではなく、どのような方法で敵を倒すかに傾倒し過ぎている嫌いがある。確かに、敵を倒し続ければ何れ倒すべき者が大陸から居なくなるかもしれない。だが、新たな敵というものは幾らでも湧いてくるものだ。

 土地を占領し、政を行い、支配する。

 これらを考えているのは、王とその側近でしかなかった。

 その王が、最近揺らいでいる。

 これは傍に居るプエルだから分かることだが、戦の理由が変わってきている気がするのだ。今まではゴブリンを始めとする人間以外の種族の生存圏の確保が王の戦の主目的だった。南方を制し、ゴブリン達にとって最大の敵であったゲルミオン王国を滅ぼした。

 対外的に見れば、人間の国々と対等な領土と勢力を得たと言って良い。

 暗黒の森を合わせれば世界の5分の1を支配する巨大国家である。人間の国でこれ程の国土を持つ国は他になく、この国よりも兵力を有する国もない。故に生きていくだけなら現状で充分な筈なのだ。

 ここが分岐点だとプエルは考えている。

「王よ。貴方は本当に大陸を統べるお考えをお持ちですか?」

 これから長く辛い戦いになるだろう。挑む為の戦いではない。力のままに敵を食い散らし、貪欲に領土を得る。正しく嘗ての人間の欲望をなぞる征服戦争である。

「無論、是非もない」

 王はプエルに向き直ると、血のような赤い瞳で彼女を見返す。

「最前線に立って頂かねばなりません。少なくとも諸族連合たる軍を率いる為には」

 ゴブリン達は未だいい。王が望まれていると知れば、彼らは率先して先陣を争い、戦に赴くだろう。だが、人間や亜人や妖精族はどうだろうか? 領土の征服よりも安穏とした暮らしを望むのではないか?

 そういう意味で、ゴブリン達にはこれから今以上に戦の矢面に立ってもらわねばならない。そして亜人や人間達を納得させるだけの理屈を、王が持っているのかどうかが問題だった。

「人間は未だに数が多く、我らの支配下の人間も同様です。そして、これからその傾向は益々顕著になっていくでしょう。彼らを従わせ、彼らを納得させ、戦に駆り出す理屈を貴方はお持ちですか?」

「奪われた者を取り返しに行く。それだけでは不足か?」

 冷淡な表情のプエルは、王の問いに答えた。

「いいえ、充分でしょう。その答えが聞けて安心しました」

 「それにしても」と言い置いて、プエルは冷淡な表情を崩さず言葉を継ぐ。

「王がそれ程惚れ込む相手に、私も少し興味が湧きました」

「……」

 無言のまま視線を逸らす王に、プエルは内心だけで微苦笑を浮かべる。だが、表に現れた表情は寸毫も緩まず、冷淡なままだ。

「全軍に触れを出しましょう。王は愛する者を奪い返す為に軍を東に進めるのだと」

「……揶揄っているのか?」

「いいえ、本気ですが?」

 暫し見つめ合った一匹と一人だったが、折れたのは王の方だった。

「何が望みだ」

「今少しお時間を。王が東に攻め入りたいのは重々承知しておりますが、態勢が整いません。ギ・ギー殿の時間稼ぎは計算の内でしたが、ギ・ガー殿まで敗れるのは計算外でした」

 至極真面目なまま頭を下げるプエルの態度に、王は溜息を吐きつつ許可を出すしかなかった。


◆◇◆


 闇手(あんしゅ)凶手(きょうしゅ)とは、暗殺者と言い換えれば分かり易いだろうか。クラン単位でそれを行っていたのが影の逆月とウェブルスの短剣である。これら2つのクランが抱えた闇手の総数は50とも100とも噂され、実数が知れない。

 探ることそれ自体が死へと直結する、危険な情報だったからだ。

 ヴァルキュリアの伝手を使って集められたそれら闇手をクシャイン教徒の領土経由で商人に化けさせ、少しずつ送り出す。それに混ざる形で本来の後方撹乱の任務を帯びた者達も出発させていった。

 行商に扮した彼らの動向は、一度放ってしまえば掴むのは困難だ。どこで誰が捕まるとも知れず、どのような事態になっても援軍は見込めない。

 それでも彼らが職務に忠実であるのは個人的な事情に起因する。

 親しい者の敵討ち。愛する者を借金の軛から救うため。名誉欲や金銭欲。それぞれが理由を抱えて旅立つ中、ファルは全員の出発に立ち会った。

 これから出発する者達は、殆どが二度と会うことのない者達だ。

 そこまで義理立てする必要はないのだが、寝覚めが悪いという理由で彼女は立ち会っていた。

 彼らが事を起こすまでに、ゴブリン側が戦を仕掛けて来ないとは限らない。なるべく厳しく情報の統制はしているものの、世の中に絶対などというものはないのだから。

 シープの月も終わりに近付き、緑がこれでもかと梢を伸ばしていた季節は過ぎ去ろうとしていた。未だに東から吹き寄せる風は熱気を持っているものの、それはどこか冬の到来を感じさせる儚いものであった。

 それから一ヶ月後、モルキの月に終わりになってゴブリン側に動きがあるとの情報が入る。ファル率いるヴァルキュリアに出動の命令が下ったのは、それから直ぐのことだった。



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