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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
301/371

草原の覇者

12月30日誤字脱字修正

 シーヴァラ率いるゲルミオン王国軍の最後の抵抗を粉砕した4将軍の一匹、ギ・ガー・ラークスは麾下に集った虎獣と槍の軍(アランサイン)を率いて東部の制圧に向かっていた。

 彼の下に集うのは族長ティアノス率いる人馬族、大族長ハールー率いるパラドゥア氏族、誇り高き血族(レオンハート)のザウローシュ率いる人間の騎馬隊。更には王の騎馬隊から分け与えられたレア級のみで構成されたギ・ガー直属の騎馬隊である。

 その規模と構成は違えども、ギ・ガー率いるアランサインは王の近衛たる騎馬隊と軍事的な思想は同じである。

 速度と攻撃力の重視。

 国家間の戦においては、こう言い換えられるかもしれない。如何に早く敵の領土を浸食し、虚を突くか。

 王の騎馬隊が少数精鋭化を図り、攻撃力に比重を置いたのに対して、アランサインは規模と速度を重視した。純粋な攻撃力なら斧と剣の軍(フェルドゥーク)に一歩譲るが、その進軍速度に関してはゴブリンの軍勢の中で誰もが認めるところである。

 故にシーヴァラを破った後、そのまま東部へ軍を進めたギ・ガーの判断は間違いではない。

 戦では攻撃側が主導権を握る。どこを攻め侵すのかを決めるのは防御側では無い。

 先陣の栄誉を賜ったギ・ガーとしては、そのまま東部へ進出して諸都市を降伏せしめるか、或いは慈悲なき槍の一撃を加えるかを判断しようとしていた。

 だが、彼の目論見は斥候の報告と共に崩れ去り、障害となって自身の前に立ち塞がった。

 シュシュヌ教国の魔導騎兵(マナガード)達である。率いるのは戦姫ブランシェ・リリノイエ。

 大国の武の頂点に君臨する指揮官が直々に率いる軍の出現は、ギ・ガーの見通しを暗くするものでしかない。だが、斥候から報告を受けた時点ではギ・ガーはそこまで知り得ない。

 ゲルミオン王国の生き残りかと考えて、即座に軍を向ける判断を下す。

 ギ・ガーが槍を構えれば、歴戦と呼べるまでになった戦士達は自然と陣形を広げる。鋒矢陣──放たれる鏃の先に己等を見立てて彼らは陣を組んだ。

 ギ・ガーは後ろで陣を組む気配に、今回も勝利を確信して進む。


◇◆◆


 迫り来るゴブリンの軍勢を前にして、戦姫ブランシェはあくまで優雅に微笑む。

「いかな我が国とて、あれ程の騎馬兵は揃えておらぬの」

 至極当然のように敵の能力を褒めると、口元に隠し切れない笑みを浮かべて副官に命じた。

「じゃからこそ、潰し甲斐があるというものよ! 全軍、鋒矢陣!」

 敵との間には未だかなりの距離がある。加速を得るには充分な距離と判断した彼女は、ゴブリンの軍勢と同じ陣形を選択した。

「擦れ違う刃の間にこそ、快楽というものがあるのじゃ」

 目を細めた彼女は先陣を部下に任せると、軍の中央で剣を抜いた。

「辺境の蛮族に、マナガードの戦い方を叩き込んでやるとしよう」

 一塊となって駆け出すマナガード達は、手に手に細身の槍を構えていた。決して長くはない。比較するなら、アランサインの扱う槍の方が相当に長い。

 2つの鏃が互いに加速し、擦れ違おうとした瞬間、ゴブリンの軍勢から天を覆う矢の雨がマナガードに向けて放たれる。

「まんざらでもないのう……。巴陣じゃ!」

「防御!」

 笑うブランシェの声を受けて、副官が命令を下す。

 後列に位置していた風の魔法を使う者達が、頭上に向けて風を放つ。矢の軌道を逸らし、威力を殺す魔法の力。それを見届けたブランシェは片手を上げる。

「投擲用意! ……放て!」

 優男の副官の声に応じて、前方を奔る騎馬兵が細身の槍を持ち替え、ゴブリンに向かって放った。すぐさま反転すると、戦場から離脱する彼らの次にゴブリンに迫ったのは魔法を放つ騎兵達。

 敵の前での高速反転。

 言葉にするのは易しいが、難しいなどというものではない。一歩間違えば敵と正面衝突し、早過ぎれば敵に攻撃が届かない。熟練の技巧が必要なそれは、神業と言うべき騎馬の操作だった。

 天上から見下ろせば、2つの鏃がぶつかろうとする寸前、一つの鏃が急激に形を変えて歪んだ円を描いたように見えただろう。擦れ違い様に敵兵を叩き落すことに主眼を置いたギ・ガーの軍勢では、その急激な変化に対応出来なかった。 

 何せ目前で敵が武器を放って離れていくのだ。急激に進路を変える敵を追えば必然的に此方の速度は落ち、そこに敵の魔法弾が撃ち込まれてくる。

 己が槍先では敵の心臓に届かないと悟ったギ・ガーの行動は早かった。せめてもの鬱憤を晴らす為に僅かに擦れ違った敵を幾人か突き殺し、すぐさま撤退を決める。

 一度擦れ違っただけで逃げていくゴブリン達を見送って、ブランシェは笑う。

「去り際も中々堂に入っておるではないか」

「此方の被害は50騎に満たぬようです」

「ふむ……。満足すべき結果、と言うべきじゃのう」

 副官の報告に満足気に頷くと、既に息絶えた屍達を見下ろす。400を下らぬそれを見下ろして、彼女は口元を歪めて笑った。

 如何に草原第一の実力を誇るシュシュヌ教国と言えども、ゴブリンの操る魔獣に追い付くことは出来ない。それ程の能力を秘めた敵である。だが、それでも。

「草原に覇を唱えるのは我がシュシュヌ。妾が居る限り、奴らに勝利はない!」

 勝鬨を上げる部下に屍の首を刈らせると、国境付近に首を晒す。

 串刺し女公。

 嘗ては先代に冠された名を敵味方に響かせ、ブランシェは踵を返す。

「さても楽しき戦よのう」

 高らかに笑う彼女に畏怖と共に付き従うマナガードは、(しわぶ)き一つ挙げずに戦姫に続いた。

 その帰り道、ブランシェはガランドに出会うことになる。

「おお、ガランドか。無事で何よりじゃ」

「……ブランシェ・リリノイエか」

 ガランドの瞳を覗き込むようにして話しかけたブランシェだったが、ガランドはそんな彼女に表情一つ変えず応じる。

「戦か?」

「ゴブリン共と、な」

 一度顔を逸らし、ガランドは住民の少なくなった東部の街を見る。

「……お前が何を考えているのか、俺には分からねえ。だが、お前の所為で俺の友は死んだ」

「勘違いをしてもらっては困る。シーヴァラ殿が亡くなったのはゴブリン共の所為じゃ。もっと言えば力の足らぬお主の所為じゃし、元を辿れば愚かにも責任を投げ捨てたアシュタール王の所為じゃろう?」

 無論、妾の所為でもあるがなと笑うブランシェに、ガランドはそれでも表情を変えない。感情が抜け落ちてしまったかのような彼は、馬上のブランシェを睨む。

「俺は、行く」

「ふむ、残念じゃのう。妾としてもお主のことを気に入っておったのじゃが」

 東部から更に東へ向かうガランドを追い越し、彼女の率いる軍勢は一度シュシュヌ教国へ戻った。祖母譲りの鳶色の瞳には、西日に影を差す人の住まない都市は血で舗装された勝利への墓標に見えた。


◆◇◆


 ゴブリンの王はゲルミオン王国北部辺境を陥落せしめると、その支配を引き続き聖騎士リィリィに任せることとした。また北部陥落に功績大として、剣王ギ・ゴー・アマツキに褒美として領土を与えることにした。

 褒美とあらば受け取らねば不敬であるとして拝領したギ・ゴーだったが、養うべき配下も居ない彼では如何に好条件の土地を貰っても使い道に困る。彼は気前良く雪鬼(ユグシバ)の一族にその土地を分け与えると、自身は一夜の祝宴だけで満足した。

 ユースティア配下の雪鬼達は狂喜乱舞した。

 ゲルミオン王国の台頭と共に寒風吹き荒ぶ雪神の山脈(ユグラシル)へと追い詰められていった彼らにとって、温暖な土地は父祖の代からの宿願の土地である。それを気前良く分け与えられて、感謝しない訳がなかった。

 以前にギ・ゴーに従って王から下賜された土地と合わせて、その広さは彼ら少数民族を養うに充分なものであった。

 彼らの中でギ・ゴーの名前は王と並ぶ英雄として語られ、元々義理堅い彼らは、戦士となってギ・ゴーの為に戦うのが最高の誉れと宣言して憚らなかった。

 そんなこととは露知らぬギ・ゴーは、人間である彼らから向けられる熱い視線に戸惑いながら、平時には彼らの子供に剣を教えるなどして日々を過ごすことになる。

 一方、ゴブリンの王は聖騎士リィリィから聖女レシア・フェル・ジールの話を聞くことになった。

「象牙の塔?」

「北部の小国オルフェンにあります。賢者の住まう地だとか」

 地図を指差しながら話を進めるリィリィに、ゴブリンの王は頷く。最初はその容姿の変化に酷く驚いたリィリィだったが、今更かと納得するとレシアの情報を話した。

「シュシュヌを避けては通れぬか」

 地図を睨みながら目を細めるゴブリンの王に、リィリィは黙って肯定の意を示す。

「少数による奪還も考えぬではないが、現実的ではないだろうな」

 血のように赤い瞳でリィリィを一瞥する王だったが、再び考え込む。リィリィか、或いはザウローシュらを派遣してレシア奪還を試みてもいいが、象牙の塔がそう易々と彼女を諦めるとは思えない。諦めるぐらいならば、態々ゲルミオン王国に働きかけてまでレシアを連れ戻そうとはしない筈だ。

 指揮官たり得る者を失う危険を安易に冒せないと判断したのは王としては当然の判断だが、彼自身の体が人間の中に紛れ込めるのなら、今すぐにでも飛んでいきたい気分だった。胸の焦燥は、深くなる傷と共に彼の内心を焼き焦がしている。

「感謝する。これでやっとあの娘を解放する手掛かりが見えた」

 頷き、去っていくゴブリンの王にリィリィは無言で頭を下げた。入れ替わりように入ってきたプエルは、冷徹な無表情でリィリィに告げる。

「王は、引き続き貴女に北部辺境を任せるとのことです」

「今の地位を保証して下さると?」

「王の慈悲に感謝なさい」

 それだけ告げるとプエルは退出する。

 残されたリィリィは大きく息を吐き出すと、午後の日差しが差し込む窓の外に視線を向けた。好むと好まざるとに関わらず、これでゴブリンの王はレシアの所在を掴んだことになる。

 これからの戦は一層激しさを増すだろう。

 幸いにも北部は戦火を免れたが、この平穏がどこまで続くだろうか? 彼女は激動の時代の流れを感じていた。


◆◆◇


 シープの月になり、北部から戻ったゴブリンの王はゲルミオン王国の首都に入城することになった。そこで目にしたのは、嘗て西方で威を誇った王国の残滓である。

 ゲルミオン王国の首都を落としたゴブリンの王は、その蔵書の数々と象牙の塔から贈られた技術の一端を目にする。それは他のゴブリンも同様で、魔術師級ゴブリンのギ・ザー・ザークエンドなどは目を見開いて、王城の書庫に蓄えられた蔵書の山を呆然と見ている。

 一も二もなく書庫を見て回ると興味のある分野の本を掻っ攫い、暫くは誰とも会おうとすらしなかった。

 暫くして出てきたのが、回復水薬(ポーション)と呼ばれる回復薬の調合書だった。

「そんなことが本当に可能なのか?」

 疑問に首を傾げるゴブリンの王と共に、プエルは片方の柳眉だけを跳ね上げて調合書を読む。

「さて、可能なのだとは思いますが……」

 どちらも半信半疑。では実際に試してみようという段になって、誰にさせるのだという問題が出てくる。これまでゴブリンの治療担当はゴルドバのクザンであった。妖精族の里で習った薬草の知識と現場で培った経験でもって、傷ついたゴブリンを癒やしている。

 ゴブリンであればこそ充分な効果が期待できたが、これを人間に当てはめると効果は著しく限定的になる。そもそも種族としての自己治癒能力からして全く違うのだ。

 味方にした人間ならば期待出来そうではあったが、生憎とそれを試せるだけの信頼と実績を兼ね備えた人間が居ない。シュメアは文盲であるし、ザウローシュは戦場の人である。エルレーン王国の宰相エルバータは其方のことで手一杯だろうし、激務のヨーシュは……流石に無理だろう。

 結局目ぼしい人材が見当たらないので、ゴブリンの王はクシャイン教徒にこの調合書を送ることにした。

「……え、本物?」

 この決断にプエルも驚いたが、送られた女皇ミラ・ヴィ・バーネンも相応に驚いた。思わず本物かどうか問い糺そうとして、慌ててその口を閉じたものだった。

 果たしてゲルミオン王国はそんなものを使っていたのだろうか? ゴブリンの王は配下の4将軍ラ・ギルミ・フィシガとギ・グー・ベルベナに尋ねるが、彼らも首を捻るばかりであった。

 最早ゴブリン達には知り得ないことだが、ゲルミオン王国の首脳部は自国の権力強化の為にこの技術を秘匿していた。国王直轄の近衛隊の一部と魔法兵団のみに使用を許可していた為、他の軍では見られない希少なものとなっていたのだ。

 王太子を守る近衛兵ですらポーションを使っていなかったのは、単純に使う暇もなくゴブリンの攻撃力に圧殺されてしまったからだった。

 このポーション自体も魔法のように傷を癒やす類の薬品ではない。傷の治りを早くするものではあっても、一瞬で傷口を塞ぐようなものではなかった。唯一、近衛が使う機会があったのがラ・ギルミ・フィシガ率いる弓と矢の軍(ファンズエル)と戦った三ツ森(ラクシュト)の会戦である。

 あの戦いはゲルミオン側が攻めに攻めて最後に逆転されてしまった戦いである。長期戦に縺れ込むことなく一度の会戦で決着が付いてしまっては、ポーションの出る幕などない。

 しかも、このポーションという薬はかなり嵩張るものだった。追撃を受けそうな際に持って逃げるなど、考えられることではなかった。

 保存方法も随分と厳密なようで希少な硝子製の瓶に詰めねばならないなど、多くの点で扱い辛いものであったようだ。

「硝子を容易に作り出せる技術力と、安全に戦場に運べる輸送能力が必要か」

 今のゴブリンの王国ではかなりの難易度を要求される代物である。或いは砦などの防衛には効果を発揮するかもしれないと考えて、王は首を捻る。会戦は望むところである。砦に篭って戦う選択肢は、今のゴブリンには取る必要がないように感じられる。

 西方で自分達よりも強大な国は存在せず、生まれるゴブリンの殆どが戦士となるこの国よりも巨大な兵力を持った国もまた存在しないのだ。

 次なる獲物はシュシュヌ教国。大陸中央に覇を唱える大国と聞いているが、兵数はそこまで多くない。南方で戦った赤の王(レッドキング)の兵数が異常なのであって、常備軍として養える数には自ずと限界があるのだ。

 ならば、複製を取った上で使えそうな国に渡してしまっても問題はないとゴブリンの王は判断した。ゲルミオン王国も改良の必要を感じたのか、試行錯誤の記録もある。だが、それが実を結ぶよりも先にゴブリンの侵攻が彼らを滅ぼしてしまった。

「我が国にとっては中々扱いが難しい代物だな。クシャイン教徒なら上手く使うかもしれん」

「……確かに、クシャイン教徒達には暫く防御に徹してもらう可能性がありますね」

 プエルは目を細めて、細い顎に指先を当てる。

 気になるのは戦姫ブランシェの動向だった。彼女の思惑次第では、クシャイン教徒は再び戦火に巻き込まれることになるだろう。東部の民を連れ去ったとも聞く。何の思惑があって、どのような戦略思考に沿って彼女は動いているのだろうと、プエルは考えを巡らせる。

 場合によっては軍の態勢が整うまで戦は控えてもらわねばならない。先日、その戦姫と干戈を交えたギ・ガー・ラークスの敗北は、相手が容易ならざる実力の持ち主である証左だった。

 プエルとしては内情を探ってから攻め入りたいところだった。


◆◆◇


 戦姫ブランシェ・リリノイエは如何に強大な力を持ち得ようと、一国の王ではない。領内では自分の王国を作っていようと、彼女はシュシュヌ教国に仕える貴族の一人でしかない。

 故に定期的にシュシュヌの王都に戻り戦果を報告せねばならなかった。また、如何に彼女がシュシュヌの誇る大貴族だとは言っても、並び立つ者が皆無という訳ではない。都合して彼女の他に2人、彼女と並ぶ程の財力と広大な領土を持った大貴族が存在する。彼らとの政争も、大貴族としての彼女の足枷であると言って良い。

 戦の才だけでは、シュシュヌ最大の貴族など務まろう筈もなかった。

 軍部と冒険者ギルドの支持を背景とするリリノイエ。

 貿易と商業ギルドの支持を背景とするクシュノーア。

 農地と法務を基盤とするアガルムア。

 シュシュヌ教国内で最も強大な貴族家を三つ挙げるとするなら、彼らであろう。

 冒険者ギルドというものが出来た当初から、軍と冒険者ギルドは昵懇の仲である。考えて見れば当然で、軍では人手や費用の問題で動き辛い問題を冒険者ギルドに委託している為だ。代々の軍部の代表たる者達も、冒険者ギルドとは深い関係にある。

 それと対をなすようにしてクシュノーア家がある。

 冒険者ギルドとの争いに敗れたとは言え、まだまだ力を持つ商業ギルド。そして貿易で莫大な富を築いたクシュノーアが商業ギルドの後ろ楯となって、シュシュヌの経済を支える。

 寛容を旨とする国の政策に支えられ、シュシュヌではいかなる宗教も他者に危害を加えない限り迫害されない。その為、争いは必然的に法律の力で解決を図られることになる。それが為にシュシュヌ教国ではどこよりも発展した法律と、激しい法廷闘争がある。それら法務を支える者達の後ろ楯となっているのがアガルムア。

 最近は培われた法律の知識で広大な農地を支配する大地主達の権利を守るなどして、地主達からの支持も取り付けている。

 彼ら3家は互いに争いながらも国内外に後援者という形で多数の支持者を獲得し、シュシュヌ教国という大陸中央の強国を支える屋台骨だった。

 ブランシェは引き連れた奴隷をアガルムアに売りつけた。今代の当主の名はバラッド。齢65にして未だ矍鑠(かくしゃく)たる老人である。

 南部に多い地主達の保護者たるバラッド・アガルムアは、引き受けざるを得なかった。無論、ブランシェと国王の前では鉄面皮めいた笑みを絶やさなかったが、内心では渋り切った心情を罵声と共に吐き出していた。

 バラッドにしてみれば、奴隷など幾ら居ても地主達の小作農にするしかない余計なお荷物である。売り払えばいいとも思うが、それではクシュノーア家を富ますだけだ。

 しかも売り払われて来たのが労働力として役に立たない女子供ばかりと来ては、渋い顔になるのも仕方ない。

「あの糞婆の薫陶が行き届いておるようだな。リリノイエの小娘は」

 好々爺の仮面を脱ぎ捨てたバラッドは自室で一人になると、酒を臓腑に叩きこむようにして飲むことで高く付いた今回の救援依頼の溜飲を下げようと試みていた。

 丁寧に選り分けられたであろう奴隷の内訳は、働ける男の奴隷は綺麗に取り除かれている。

「全く、何故よりにもよって儂なのか!」

 とは言え、バラッドもブランシェの意図を概ね察していた。例えばクシュノーアなどに奴隷を売りつければ、即座に自前の貿易ルートで他国に売り払うだろう。降って湧いた金を懐に入れ、クシュノーアの当主は豚のような卑しい笑みを浮かべるに違いない。

 品性と金。どちらを取るかと聞かれれば、即座に金と応える俗物の極みのような男である。

 かと言って、シュシュヌの外で戦をするリリノイエに奴隷を養う余裕はない。敵は魔物だと聞く。となれば、勝利しても得られる奴隷は少なく、兵士達に与える報奨すら払えるかどうかも怪しい。

 つまり、リリノイエには選択肢がなかったのだ。

 戦の為の金が必要だが、持っているのはどちらも犬猿の仲の大貴族。

 ならば戦える男手は己が手元に置いて、女子供は金に換えつつ男達が必死に働く為の餌とする訳だ。

「ふん。要するに人質か」

 上手い手だと思う。

 シュシュヌは徴兵制を取っていない。先代の戦姫クラウディア・リリノイエが当主になって以降、大きな戦がなかったのだ。常備軍の規模は縮小し、治安の維持と小国を脅しつける程度にしか軍事力を使ってこなかった。

 リリノイエの当主は考えただろう。戦力が足りないと。

 内乱ともいうべき戦姫の後継者争いを切り抜けたばかりのシュシュヌでは望むべくもない。だが、魔物に膝を屈するなど許される筈もない。

「その誇り、嫌いではないがな」

 武門の頂点に立つリリノイエの家名が、彼女に降伏という選択肢を許さない。シュシュヌは豊かな国である。農耕地に恵まれた南部と貿易の富で発展する富の街道(ジュエルロード)は、東西からシュシュヌを貫いている。

 だが、草原に君臨するシュシュヌという国は大貴族の力が強過ぎる嫌いがある。力を結集するなら、その中心はやはり国王になるだろう。だが、国力を完全に結集するにはリリノイエを含めた貴族達の力が強過ぎて逆に障害になってしまう。

 そこまではバラッド・アガルムアにも分かる。仮にも権門を構える大貴族の当主である。

「だからと言って、儂が損をするのは許せんわ!」

 バラッドは一気に酒を飲み干し、再び杯に酒を注いだ。



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