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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
299/371

閑話◇ハイビスカスの恋

誤字脱字修正12月30日

 リシャン・ノイエン。

 エルレーン王国宰相エルバータの一人娘にして、齢14になろうという乙女である。母は亡く、男手一つで育て上げられた彼女は父親の愛を一身に受けて育った。

 学者肌の父親には似ず、いや、父親が学者肌で武術などからっきしだからという理由の方が相応しいかもしれないが、彼女は幼い頃から剣術にのめり込んでいった。

 大陸南方のエルレーン王国は砂漠から運ばれる交易品によって潤う巨大な市場であり、同時に良からぬことを企む者達が集まり易い場所だった。折悪く十数年前から国王の権威が徐々に弱まり、国を守る筈の貴族達は己の権勢を伸ばす事にのみ執心する始末であった為、無法者達にとっては尚更潜伏するのに都合の良い状態だった。

 それでも何とかエルレーン王国が立ち行くことが出来ていたのは、南方に広大な領土を抱える大国だったからという事実が大きかった。或いはこう言い換えてもいいかもしれない。地中に深く根を張って育った巨木は、虫に中身を喰い荒らされようとも立ち枯れるのに時間が掛かっていたのだと。

 徐々に亡国の兆しが現れ出しても蓄えた巨大な富と国を動かす仕組みは健在であり、それ故に何とか延命出来ていたというのが実態であった。

 だが、それも転機を迎える。

 彼女が12歳の時、エルレーン王国は巨大な力を持った一人の男と数多の種族を従える魔物の王の衝突の余波に晒され、滅亡の淵に追いやられることになる。

 東より怒涛の勢いで勢力を拡大した赤の王の盟主ブランディカ・ルァル・ファティナ。そして北より軍勢を率いて領土拡大を続けるゴブリンの王である。

 一人と一匹の覇道のぶつかり合いは南方の全てを巻き込んだ争乱の果てに、ゴブリンの王の手に南方の所有を許すことになる。そしてあろうことか、その中で彼女の父エルバータが国の表舞台に立たざるを得なくなってしまった。

 枯れ行く大木を見捨てることが出来ない己が父を、彼女は口では非難しつつも心の中では誇りに思っていた。

 魔物の王に助力すると聞いた時は心底驚いたが、それでも彼女は己が父を信じていた。彼女の容赦のない口撃に、苦笑と共に頭を掻く父でもだ。

「……全く、お父様は! どうして保身とかそういうことを考えないのですか!?」

「それが私の生き方だからね」

 優しげな口調で語る父親に、つい彼女は言い切ってしまう。

「それで苦労するのは私なんですよ!」

「返す言葉もないな」

 剛毅にして沈着冷静。

 それを地でいくようなエルバータが……仕事場での彼を知る者からすれば、今の彼の態度は目を疑うものであった。

「まぁ、でも良いです! 最近私の剣の腕も上達しました! お父様を守るくらい軽いものですから!」

「それは頼もしい。だが、無理をしてはいけないよ。お前より大切なものなど、私には無いのだから」

 挫折を知らない子供らしい素直な自信に、エルバータは頭を撫でることで答えた。

 そんな彼女の自信を打ち砕くことになる事件が起きたのは、それから直ぐのことだった。いつものように剣の修行を終えて帰る途中、彼女は悪漢に襲われたのだ。

 何れも大したことのない敵であった。が、初めて向けられる本気の悪意というものに、彼女は竦み上がってしまう。人一倍他人の感情に左右され易い年齢の彼女に、その悪意は強烈過ぎたのだ。

 だが、彼女の自信が打ち砕かれたのはその悪漢達に襲われたからではない。

 当然であろう。

 竦み上がったのは事実だったが、それだけなら自らの不甲斐無さに憤ることはあっても自信を打ち砕くまでには至らない。問題は、そこに助けに入った一人の妖精族の男の行動だった。

 いかにも楽しそうに悪漢を叩き斬った男の名前はフェルビー。ゴブリンの王の幕下でも剣の使い手で数えるなら五指に入る強者である。街裏の悪漢程度なら、百度戦っても遅れをとるような者ではない。

 彼女を背に庇いながら瞬く間に敵を叩き斬った彼に、彼女は当然の如く憧れた。まさに一瞬の出来事といっていい。振るわれる剣筋の確かさ、弱き者を助ける義心、そして何より顔が良かった。

 事実として、非常に遺憾ながらもこれがゴブリンなどであったなら、彼女は逆に悲鳴を上げただろう。が、しかし彼女を助けたのはその見た目を眉目秀麗で以って鳴る風の妖精族(シルフ)の戦士である。

 本人達に自覚がなかったとしても、その影響は大であった。彼女は一目で恋に落ちた。

 血塗れた長剣から血を払い落とすフェルビーに、彼女は声を掛けた。それはもう、目一杯の勇気を振り絞って。城壁の上から飛び降りる程の勇気を振り絞った彼女に対する褒章は、彼女自身を有頂天にする。

 勇気とは偉大である。

「あ、あの、貴方様は?」

「フェルビー。お前の護衛だ」

 ごくりと、彼女は唾を飲み込んだ。振り返ったフェルビーの横顔に、彼女は自身が魅力的だと信じて疑わない笑みを返す。

「わ、私はリシャンと申します! あの、あの、護衛というのは?」

 精一杯のお淑やかさを整えたリシャンの声音に、フェルビーは至極何でもないことのように答える。

弓の神(ザ・ルーガ)の愛娘プエルの頼みだ」

 ピシリと彼女の笑みが凍る。一部の人間や妖精族の間では、その道に秀でた天才のことを神の愛娘と呼ぶ風習がある。

「そ、そうですか……。その、プエル殿というのは?」

「戦友だ」

 どこか懐かしさと共に遠くを振り返るフェルビーの横顔に、リシャンは安堵と若干の嫉妬を覚えた。

「そ、そうですか……。あの、ところで、フェルビー殿は剣をどこで習われたのでしょう?」

 リシャン精一杯の背伸びである。

 戦友なら仕方ない。所詮自分は戦になど出たことのない小娘である……などとは欠片も思わなかったが、剣のことなら少しは分かる。共通の話題で自分に興味を持ってもらいたい。

 剣の道場では自然と彼女の周りに人が集まる。自分なら出来る筈だと、彼女は奮起した。

「我流だ」

「ガリュウという流派ですか」

 彼女は困った。奮起した途端にこの有様である。世の中とは往々にして上手くいかないものである。エルレーン王国の王都に剣術の道場は幾つかあるが、ガリュウというのは聞いたことがなかった。

 どうしよう、どうしようと悩んだ末に、彼女は適当に話を合わせるという選択肢を取る。

 ええ、もちろん知っています。

 あのガリュウですよね!

 王都にも道場があります!

 そんなことを、未だ膨らみ切らない胸を張って答えたのだ。

 フェルビーは内心で面白がりながら少女の話に頷いていた。虚勢を張る子供の口舌がどこまで破綻しないか聞いていたいという、実に趣味の悪い悪戯心である。

 丁度そんな所に現れたのがプエルだった。いつまでも裏路地から出てこないフェルビーを心配した彼女は、自ら姿を現すことにしたのだ。無論、リシャンとフェルビーの居る場所に辿り着くまでに彼女の耳は凡その事情を掴んでいた。

 掴んではいたが、フェルビーに任せていては進展しそうにない雰囲気に、自ら出て行く決心を固めたのだった。彼女は忙しい。いつまでも一つの案件に構ってはいられない。

「プエルか」

 必死で背伸びをして、序でに猫の皮を二・三枚程被ったリシャンの話は、フェルビーの視線の先に立つ彼女から見ても非の打ち所のない美貌のシルフの女性の存在に行き当たって止まった。

「先程から何をしているのですかフェルビー? 貴方に人間の子供を揶揄って楽しむ趣味があるとは知りませんでした。そもそも、貴方はいつ人間の道場になど通ったのです?」

 肩を竦めたフェルビーは、言葉少なに言い返す。

「何、この娘の話が面白くてつい、な」

 実に白々しい。プエルは胡乱な目でフェルビーを一瞥すると、リシャンに向き直る。

「お初にお目にかかります。リシャン・ノイエン。私はプエル・シンフォルア──」

 一方のリシャンは、プエルの話など全く耳に入っていなかった。

 彼女を打ちのめす敗北感と羞恥心は、既に彼女の許容量を超えていた。

 果たしてそれは、直ぐにやってきた。

「っ!?」

 プエルが懇切丁寧に事情を説明している間に、彼女の目には涙が溜まっていく。それは決壊寸前の堤防の如き様相を見せ始め、冷徹を己の信条とするプエルをして思わずたじろがせた。

「……っカ」

 俯き震えるリシャンの様子にプエルは危機を察知して一歩引くが、逆にフェルビーは何事かと踏み出した。両者の危機判断の確かさは戦場では折り紙つきだが、こと人間関係においては顕著に差が出た。

「バカァーーーッ!!!!」

 突如、裏路地に鳴り響く大絶叫。

 涙目で叫んだ彼女は耳を押さえるフェルビーを押し退け、裏路地を暴走気味に走り出す。

「ぐっ、バカ娘め」

 キンキンと鳴る耳を押さえつつフェルビーは忌々しそうに少女の走り去った方向を見るが、直後にプエルに向き直ると、彼女からは正に絶対零度に近い視線を向けられていた。

「な、何だ?」

「貴方が悪い」

「いや……だがな」

「貴方が悪い」

「しかし……」

「貴方が、悪い」

 口調は何時にも増して静かだが、その言葉に込められた強さは口調と反比例するように頑なである。反論も有無も言わせるつもりがないようだった。

「どうすればいいのだ?」

「追いなさい。説得して、連れ戻すのです」

「成程。分かり易い」

 やることを三つに纏められたフェルビーは、兎に角彼女を追った。


◇◆◇


 リシャンを追ったフェルビーは、その途上に立ち塞がる悪漢を都合4人程蹴散らし、その強さを証明すると同時に無事に彼女を家に送り届けた。

「まぁ、及第点でしょう」

 プエルの辛口の採点にげんなりとしながらも、以降の2年間無事に護衛の任務を務め上げた。

 エルレーン王国がゴブリンの王の支配下に入ってから、既にそれだけの時間が過ぎていた。

 それが今より2年前である。

 風そよぐ庭園に、テーブルと椅子が並べられている。

「ドルディアスおじ様!」

「おお、リシャンじゃないか!」

 一介の官吏であったエルバータは異例の出世を遂げ、宰相の位を射止めていた。これ程の昇進を果たした例は他になく、ゴブリンの王が彼の手腕にどれほど期待していたかが分かる。同時に彼の率いる官吏集団も、2年を掛けてエルレーン王国の中枢をほぼ完全に掌握することに成功していた。

 当然彼らに反対する勢力もあったのだが、今のエルレーンの軍事を司るのはゴブリン達である。王に絶対の忠誠を誓う彼らが居る限り、迂闊なことは出来なかった。

 そして、そのような反対勢力が大きくならない最大の理由こそがエルバータを中心とした家臣団の政策がエルレーンを着実に良い方向へと動かしている実績であった。路地裏を彷徨いていた悪漢達はゴブリンや衛士達の手で排除若しくは捕縛され、徐々にその姿を消していった。

 それに比例して家臣団の仕事は増えていく。

 そんな中でも相変わらず地方を回るドルディアスは、各地の情勢などを王都で政務を執るエルバータに報告してくれる貴重な人材だった。そればかりでなく、二人は個人的な親交をも結んでいる。

 エルバータの娘であるリシャンも同様であり、ドルディアスとは顔見知りだった。

「随分と大きくなった」

 感慨深げに頷くドルディアスに、リシャンは花が咲くような笑顔を見せる。

「剣術も上達しました!」

「ははは、そいつぁ全く頼もしい!」

 押し出しの利く大きな腹を叩いてドルディアスは笑う。一見すると山賊のような出立ちのこの男は、信じ難いことに武官ではなく文官である。

 力瘤を作ってみせるリシャンも2年の間で急速に女らしさが増していた。可憐なドレスを着こなすその日の彼女は、実に可愛らしかった。

 上品なドレスの下から伸びた手足は細かな生傷が絶えない。だが、それを補って余りある花が咲き誇るような可憐な表情を見せていた。

「実は、おじ様にご相談があるんです……」

「ほう、それは何だい? 俺で良ければ喜んで相談に乗ろう」

 手ずから淹れた茶を差し出しながら、彼女は悩みを打ち明ける。所謂思春期の乙女の悩みである。ドルディアスは中年といっていい年齢であり、しかも男である。当然、彼女の悩みに答えを出してやれる保障など何処にもない。

 いや、それどころか答えを出せない可能性の方が高いであろう。

 だが、彼は百戦錬磨の官吏である。例え答えを出せる可能性が僅かであろうと、微塵も揺るがぬ自信を持っていた。彼女は大人であるドルディアスを頼ってくれているのだ。

 大人として、若人の悩みには答えてやらねばなるまい。

 ドルディアスは出された茶を楽しみながら、リシャンが口を開くのを待った。

「殿方を押し倒すには、やっぱり寝室まで呼び込んだ方が効果が高いのでしょうか?」

 瞬間、ドルディアスは口に含んだ茶を噴き出し、盛大に咽せた。

 官吏として鍛えた揺るがぬ自信。大人としての余裕のある態度。そういうものを全て遥か地平の彼方まで吹き飛ばしてしまうだけの威力を持った質問だった。常識という名の地平線は既に無く、彼の冷静さは衝撃と驚愕の中に飲み込まれてしまっていた。

「お、押し倒す!?」

 声は裏返り、身を乗り出してドルディアスは聞き返した。彼にも娘がいる。未だ10を超えたばかりの可愛い娘だ。それと4つしか違わない娘の口から出た言葉のあまりの威力に、彼は全てを忘れて問い返してしまったのだ。

「はい!」

 胸の前で拳を握り締めるリシャンは紛うことなく可憐な乙女の様相だった。仮にもである。仮にも宰相にして自分の親友であり、常識が服を着て歩いているような真面目な男の愛娘の口から飛び出したのが、その常識を三枚破りで貫いた耳と頭の調子を疑いかねない言葉である。 

 父親のエルバータが聞けば即倒しそうな台詞をさらりと吐いて、彼女は頷いた。

 何時しかリシャンを凝視していたドルディアスは己が額に薄っすらと汗をかいていることに気が付いた。落ち着け、落ち着くんだ。自分にそう言い聞かせ、彼は努めて冷静になろうと腕を組む。

 彼は百戦錬磨の官吏である。地方に赴けば、無茶を当然の権利のように振りかざしてくる有力者や、汚職に精を出す代官などを相手に丁々発止のやり取りを繰り広げてきた。そんなドルディアスの優秀な筈の頭脳は、今やその役目を完全に放棄したかのようだった。

 押し倒す。娘が、男を。寝室で。

 まるで初めて異国の言葉を聞いたかのように、単語ばかりが頭の中を廻る。思考の迷宮の中にいるようだった。出口など、それこそ100年は彷徨わねばならないのではないかと思える程の混乱の中で、彼は必死で頭を回転させた。

「それは、またどうして?」

 長き沈黙を経た後、何とか重々しく威厳を保って問い掛けることが出来た。それは彼の忍耐力を根こそぎ奪う程に気力を消耗させた。

「実は……はっ!?」

 話を続けようとした彼女が何かに気付いたように鼻息荒く鼻をひくつかせると、手を耳にやって音を拾うように沈黙する。

「な、なぁ……リシャン?」

「しっ、静かに!」

 突然の奇行に、ドルディアスは口を噤むしかない。

 突如として目を見開いたリシャンは、ドレスの裾を捲り上げる。

「リ、リシャン!?」

 止める間もなく、露になる彼女の健康的な太もも。ドルディアスは思わず目を背けようとしたが、悲しき男の性により見事な曲線を描く脚線美に視線を吸い寄せられる。

 そこには革のベルトで吊るされた刺突剣がある。音もなくそれを抜き取ると、まるで猫のような俊敏さでもって、彼女は植え込みに隠れる。

「……む?」

 黙って事態の推移を見守ることしか出来ないドルディアスの視線の先に、妖精族の男の姿が目に入る。確かエルバータとリシャンの護衛だったか。

 その整った顔を変化させることなく庭を一望すると、ドルディアスに歩み寄った。

「済まない。リシャンを知らないか?」

「あ、ああ……リシャンは」

 視線を植え込みに向けようとした瞬間、その植え込みからとても少女の放ったとは思えない気合の入った怒声と共に、リシャンが護衛に向かって突っ込んで行くのが見えた。

「死ねえぇぇ!」

 しかも、怒声が死ねである。とても一国を支える宰相の娘の言動とは思えない。

 猫のような俊敏さと迷いのない動き。不意を突かれれば、或いは兵士ですら突き殺すのが可能だと思わせる動きであった。狙いも過たず、刺突剣の矛先は体の中心を狙って寸分違わず定められている。

「ほう」

 僅かに感心した様子で呟かれた言葉と同時に、妖精族の男は腰に吊るした剣に手を掛けた。顔には獰猛な笑顔が浮かぶ。整った顔立ちに浮かぶ肉食獣の笑み。釣り上がる口元を見たドルディアスは、この男が人を殺すことを何とも思っていない類の、最も危険な部類の存在なのだと直感的に理解した。

 妖精族の男の胸に突き出された剣先が空を切る。

 彼女が飛び出すのと同時に彼は足を後ろに引いて半身になる。最小限の動きで身体を剣の直線軌道から外したフェルビーは、その反動でもって剣を抜く。

 同時に突き出された刺突剣を握る彼女の腕を取ると、首元に長剣を当てがった

 挑むように睨むリシャンに対して、男は苦笑と共に剣を納めると言葉を掛ける。

「中々良い殺気だった。実力ある敵が相手なら、その不意を打つという発想も良い。問題なのは不意打ちであるのに怒声を発したことだな」

 至極冷静に彼女の動作を分析してみせる護衛の男の言葉に、彼女は鼻を鳴らして刺突剣を仕舞う。

「だって、声を上げないと気合が入らないもの」

 拗ねたような口調の彼女に、護衛の男は苦笑する。

「奇襲としては落第だが……。まぁ、大の男とてそうなのだ。人を殺すには胆力が要るからな。いきなりは無理だ」

 幾人も、それこそゴブリン人間問わずに殺してきた男は言った。

「……さて、客人も驚いて居られるようだから、俺は外に控えていよう」

 剣をしまうと、護衛の男は彼女の髪に付いた葉を丁寧に払って立ち去る。そうされている間、彼女の頬が朱に染まっていたのを、やっと動いてきた頭でドルディアスは理解していた。

「……お騒がせして申し訳ありません。おじ様」

「……あの男は?」

「2年前から護衛を引き受けてくれている、妖精族の戦士フェルビーです」

「……成程。で、押し倒したいのは彼なのか?」

 視線の先で既に見えない後ろ姿を追ったドルディアス。その言葉を受けて、彼女は先程の怒声が嘘のように小さく縮こまり、頷いた。彼の位置からは見えないが、俯いた顔は茹でたヤルドスのように真っ赤に染まっているだろう。

 そういえば最近焼いたヤルドスを食べていないなと、僅かに現実逃避するドルディアスだった。

「そ、その、2年前に悪漢に襲われた所を彼に助けてもらって、それで、その、私、剣の道場にも通っていたのですけれど、彼は凄く強くて……」

 要領を得ない説明だが、ドルディアスは何となく事情を察した。一通り彼女が落ち着くまで話させてやると、質問を口にする。

「それで、彼に君の想いを伝えたのかね?」

「そ、そんなことしていませんっ!」

 今度は彼女の声が裏返る番だった。

「さ、さささきほど押し倒すというのもですね。殿方はその、している時が最も油断するっと……」

「成程」

 ドルディアスは頷いた。

 これは重症だ。エルバータもそうだったが、変なところで真面目な性質なのは見事に娘にも受け継がれていたらしい。ドルディアスは彼と机を並べて勉学に勤しんだ日々を懐かしく思い出した。

「だが、彼のことを憎からず想っていると?」

「そ、それは……はい」

 まるで借りてきた猫のような彼女の態度に、ドルディアスは腕を組んで考える。

 どうしたものかと。

 俯いていた彼女はまるで怖いものを見上げるように弱々しく、赤く染めた頬でドルディアスを伺った。

 ゴブリンの王の勢力は、確かに今この地方を席巻している。だが、それがいつまで続くのか疑問が残るというのもエルバータとドルディアスの共通認識だった。

 凄まじい勢いのゴブリン達だったが、それに比して友好的な国は殆ど無い。

 急速な膨張を続ければ、どこかで躓いて呆気なく瓦解するのではないかという危機感。そうなった時、彼女に不幸が訪れまいか。

 一つ息を吐いて、ドルディアスはその考えを頭から追い出した。

「歳を取ると、どうも考えが後ろ向きになっていかんな」

 未来のことなど、誰にも分かりはしない

 先に待ち受けるかもしれない不幸よりも、今恋を覚えた少女を祝福すべきだろうとドルディアスは目を見開く。

 成功したとしても、彼女の行く先には様々な困難が待ち構えているかもしれない、まぁ、それも良いだろう。困難が必ず不幸を齎す訳ではない。

「解決策は一つだ」


◆◆◇


 当初、フェルビーは命じられた任務に不満であった。

 人間を守れというのもそうだし、最前線から外れるというのも不満だった。若いと言われる彼だが、年齢は既に48を刻んでいる。妖精族は凡そ人の2倍程の年月を生きる為に、人間に換算すれば20かそこらの若者だろう。

 だが、妖精族として屈指の剣の腕を持つ彼は、その振るいどころを奪われたように感じて不満を溜め込んでいた。彼が不承不承ながら従うのは、それがゴブリンの王の命令だからである。

 七度戦って七度の敗北を喫したフェルビーは、ゴブリンの王に従うと誓った。だからこの状況は自業自得なのだ。そうやって自分を納得させながら人間の親子の護衛をする日々を過ごす。

 だが日が経つにつれて、その不満も薄らいでいく。

 影に日向に襲ってくる人間の刺客は血と闘争に飢えた彼を多少なりとも慰め、護衛対象の筈の少女を少し揶揄ったなら、いつかお前を越えてやるとメキメキと剣の腕を上達させているのだ。

 彼は人を育てる楽しみというものを初めて知った。

 風の妖精族(シルフ)は多かれ少なかれ弓を得意とする。彼の出身のシンフォルアでは特にその影響が顕著であり、剣技は護身用か弓が不得意な者が習得するものという認識が強い。

 そんな中で剣技を真っ当に修行するなど、相当な変わり者のすることであった。

 シルフの中で並ぶ者の無いフェルビーの剣技は、そうした集落の雰囲気に反発するかのように培われたものだった。

 幾多の紆余屈曲を経て、彼は人間の世界との戦争に参加し、その剣技を遺憾なく発揮する機会を得た。しかし、今の妖精族の中から彼に続く者が出てくるとは思えない。同盟者であるゴブリンにも剣を使う者達は居るが、彼方にはギ・ゴー・アマツキという強大な剣の使い手がいる。

 そういう意味では、戯れに始めたとはいえ護衛すべき少女は彼の初めての弟子であった。

 日に日に鋭くなっていく彼女の剣気は、彼女自身の成長を伴ってフェルビーの目を楽しませる。

「日に一度、俺を殺せる機会をやろう。もし俺に“参った”と言わせることが出来れば、何でも言うことを聞いてやる」

 少女を揶揄う為に発破をかけたのが良かったのだろうと一人得意気になりながら、彼は夜の闇に紛れて彼女を襲おうとした男を斬り捨てた。

「ふむ。そろそろ時間か」

 今晩、彼はリシャンに寝室に来るよう招かれている。

 どんな趣向で彼の命を狙ってくるか。それを楽しみに、彼は剣に付いた血を拭うと屋敷へ戻った。

 彼女の部屋の扉をノックして、形式的に入室する旨を伝える。

「どうぞ」

 声を聞くと彼は寝室に入った。

 明かりは既に消してあるらしい。成程と彼は頷いた。暗闇での屋内戦……確かに少女の刺突剣に有利である。振り回すだけの余裕がないのなら、手加減出来るかも怪しい。

 旨い所を突いてくるじゃないかと、彼は嬉しくなった。

 だが、と考え込んで彼は部屋の主の気配を探った。

 いつもなら濃厚に漂ってくる筈の殺気がない。

 押さえ込めるようになったのかと暗闇に目を凝らした所で、背後に気配を感じる。

「常道だな」

 いつもの通り、剣を抜こうとしたフェルビーだったが僅かに遅れる。

 気配を殺して後ろから襲い掛かる。確かに常道だが、彼女はここまで殺気を消す術を持っていただろうか?

 疑問は剣筋を惑わせ、一瞬の隙を生む。

 振るった長剣の軌道は振り向くのと同時。

 だがそれよりも一瞬だけ早く、気配が彼の腰に抱きついた。

 舌打ち混じりに態勢を立て直そうとしたフェルビーは、そのまま倒れこむようにベッドの上に。暗闇の中で制限された視界に何者かの体温を感じて、フェルビーは剣を突き刺そうとして……。

「フェルビー」

 少女の声に、慌てて剣を止めた。

「ふむ……やるようになった」

 剣を手放し、肩の力を抜いたフェルビーだったが少女の声は弱々しい。

「フェルビー……あのね」

「どうした? 初めて俺の後ろを取ったのだ。まだまだ甘いが、上達したではないか」

 ベッドに倒れ込んだまま、馬乗りになった少女に問い掛ける。

「あのね、フェルビー……私、私ね」

 やっと暗闇に目が慣れてきたフェルビーは、突然泣き出した少女に慌てた。

「ど、どうした?」

「フェルビーのこと、好きになっちゃった」

 言われたフェルビーは絶句した。

「う、うむ……」

 ぽろぽろと溢れる涙が、フェルビーの服を濡らす。

「結婚して!」

「何!?」

 覚悟を決めた少女の猪突猛進は、百戦錬磨のフェルビーですらたじろがせる程だった。

「嫌なの!?」

「そ、そうではないが、だがな……」

 力なく振りかぶられた彼女の拳が、弱々しくフェルビーの胸を打つ。

「これは、参ったな……」

 数年後、フェルビーは年若い人間族の娘と結婚した。

 プエルや同郷の者達に散々揶揄われることになるのは、それから更に数年後のことである。

 因みに娘から事の次第を聞いたエルバータは、その頃にはすっかり平穏になったエルレーン王国の繁華街でドルディアスと共に焼いたヤルドスを肴にしながら、酒を浴びるように飲んで愚痴を言い合ったとか。


いけめんは爆発しr(ry

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