表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
297/371

鳴り止まぬ剣戟

 王都陥落の報が聖騎士リィリィの治める北方に届いたのは、月も改まったホルスの月であった。短い夏の盛りを迎えた北方に南からの熱風と共にその情報が舞い込んだ時、彼女は思わず天を仰いだ。

 書状を握り潰し、彼女は唇を噛む。

「予想ですが、そう遠くない内にゴブリンの総攻撃があります」

 不安に顔を見合わせる部下達にそう告げると、彼女は命令を下す。

「防備を固めます。民をなるべく多く収容して下さい」

 常に敵と対峙することを想定した北方の都市は、防備を固めることに特化した作りになっている。それは村々にまで行き届いており、ガランドが治めていた時から村人は先ず防壁を作り、そこから家々を建て始めたと言われる程に徹底していた。

 そうは言っても、村々の防備の規模など大したものではない。石垣で村の周りを囲み、侵入者を知らせる呼子を設置し、川から水を引いて水堀を作っておく程度である。村人の自衛も推奨されており、剣と槍の扱いは北方の男の嗜みとされた。

 部下達が領内を走る姿を見て、リィリィは呟いた。

「……恐らく無駄になるだろうけど」

 王都陥落。

 それが事実ならゴブリン達に背後を取られたことになる。正面には雪鬼、背後にはゴブリン。防備を固めたところで援軍の当ては無く、北方の兵士だけで彼らの襲撃を凌ぎ切れるとは思えない。

 腰に差した魔剣空を切る者(ヴァシナンテ)の柄頭を握り締める。

 リィリィは降伏して許される可能性があるかどうかを考える。しかし、ここまで圧倒的な戦力差である。降伏など認めず、一気に蹂躙するのではないか?

 最後に見たゴブリンの王の姿を覚えている。聖女レシア・フェル・ジールを奪われ、怒りに燃えるあの瞳。滾る怒りを咆哮に込めて、天地を震わせたあの声を。

 怒りのままに王都を蹂躙したと言われても驚かない。

 如何に理性的でも魔物は魔物である。あの恐ろしい姿が瞼に焼き付いており、その印象がどうしても拭い切れない。或いは自分が森に留まっていたのなら違ったのかもしれないが……。

 だが、現実として自分はゴブリン達と袂を分かち、手の届く範囲で人々を守ろうと決意したのだ。ゴブリン達から見れば敵に回ったと言って良い。

 そのような者の降伏を、彼らが赦すだろうか?

「この首だけで済めば良いのだけれど」

 勝利の道筋を見い出せない戦いを前に、彼女は覚悟を決めなければならなかった。


◆◆◇


 王都を占領したゴブリンの軍勢は、間を置かず未だ彼らの支配下にない北と東に兵力を向ける。草原地域が広がる東部地域にはギ・ガー・ラークスを始めとした虎獣と槍の軍(アランサイン)を。北方地域には王自ら向かう旨を軍師プエルに諮る。

「あまり感心しませんね。人間の女に固執されるなど」

 苦言をそれだけに留めたプエルは、だが強く反対もしなかった。実際陥落したばかりで混乱の坩堝となっている王都に留まるよりは、数多の兵士に囲まれて北方制圧に動いてもらった方が危険が少ないと判断した為だった。

「悪いが、これだけは譲れぬ。何を言われようと、奪われた者は取り返す。その為に必要な手順だ」

 僅かに考えたプエルは、ギ・ヂーを一緒に連れて行くことを条件に王の親征に賛同した。

「北方の将が無能ではないのなら、恐らく降伏の道を選ぶでしょう。ギ・ヂー殿の軍は我が軍で最も装備が整っております。力の差を示すには最適かと」

「それで構わぬ」

「では、出発前に書類の決裁をお願い致します」

 プエルが指を鳴らすと、王の執務室の扉が開く。

「ぬぅ……」

 運び込まれる書類の山を前にして苦悶の声を上げるゴブリンの王に、プエルは冷笑をもって応えた。

「当然、やるべきことをやってからでございましょう?」

 膨大な書類の大半は広大となった領土の統治に関するものだったが、無視できない軍事上の情報も含まれていた。

 東部に隣接するシュシュヌ教国の動きである。

「ギ・ギー・オルドの魔獣軍による混乱か」

 王の側で自身も書類仕事をしていたプエルは、王の意図を察して答える。

「恐らくですが、シュシュヌ教国は同盟を盾に此方の戦に介入して来る筈です。事実として、我が国は隣国に持ちたい国家ではありませんから」

 片眉を上げるゴブリンの王に構わず、プエルは話を続ける。

「ですので、その動きを掣肘する為にギ・ギー殿を動かしました。周辺の魔獣を扇動し、シュシュヌ国内に混乱を齎すことを狙いとしたものです。そろそろ結果が出る頃だと思いますが」

 王は頷いて、その案件を是とする。こと戦略に関して、王はプエルを信頼している。他の誰よりも諸国の情勢に通じ、それに対応すべき方策を知っているからだ。

「……ほう? 仕官を申し出る者がいるのか」

「玉石混交ではありますが」

「ふむ。で、玉はどれだ?」

「元近衛兵のユザと申します者が、最も協力的とのことです」

 ゴブリンの王は、その任官を認める旨を書類に書き込む。

「行政を取り仕切れるものかな?」

「治安の維持を担っていた兵士とのことですので、そこまでは期待出来ないかと」

「成程」

 この時、王の頭を悩ませていたのは文官の不足であった。より正確に言及すれば行政を取り仕切れる上級文官の不足である。これまでゴブリンの王は、出来るだけその国の文官達を取り込む形で支配地を広げてきた。

 南方地域の例を見れば、辺境領域の領主達、エルレーン王国、果てはプエナに至るまで。武官には甚大な被害を与えはしても、文官を殺戮することはなかった。文字を読めることが特殊技能に分類されるこの世界において、文官とは即ち高度な教育を受けることの出来る貴族、或いはそれに近しい知識階級の者達や商人などに限られてくる。

 破壊の騎士ツェルコフの凶行により王城に詰めていた貴族達は殆ど全滅という憂き目に遭っている。権力争いに現を抜かしていた愚は責められるべきだが、実際問題として国を取り仕切っていた文官達が根こそぎ消えてしまったのだ。

 今度ばかりは、今までと同じでは統治し得ない。

 このゲルミオン王国は類稀なる難治の土地である。国自体が辺境領域を削り取ることで成長し、それを誇りとしてきた国柄だ。西方から来たゴブリンに征服されて、はいそうですかと従うような気質の国ではない。

 誰にこの国の統治を任せるか? ゴブリンの王が頭を悩ませるのはそのことであった。

「……使い潰せる者を探しますか?」

 考え込む王に、プエルが助言する。

 間接統治で憎しみを新たな統治者に向け、それが頂点に達したところで傀儡となっていた者を切る。矢面に立つのは人間同士で、ゴブリンや亜人や妖精族は後ろからその統治者を操ればいい。

 ゴブリンの王も少し前まではその方法を視野に入れていたが、ただでさえ文官の絶対数が不足している現状で人材の無駄遣いなど出来る筈もなかった。

「いや、他の方法を考えよう」

 下級文官は健在なのだから、取り込めそうな者達が敵に回ってしまう可能性も考慮しなければならない。

「……分割し、統治せよ、か」

 王は暫く考えた後、多数の資料を要求した。

「各地域の特色を記した資料と、後は下級官吏の数と街の数に関する資料を持って来てくれ」

「御意」

 王が提案した統治方法は、プエルをして驚愕に目を見開かせるものだった。ゲルミオン王国の分断統治案とでも言うべきそれは、ゲルミオン王国を4つの行政区と3つの自治都市に分断するというものだった。

 各支配地域ごとに格差をつけて結束を鈍らせると共に、下級官吏達でも統治可能なように規模を修正したものだった。旧ゲルミオン王国では中央集権化を進めており、王都が一括して国の行政を司っていた。それを粉々に破壊する案だと言って良い。

 故アシュタール王にとっては一国の統治だが、ゴブリンの王からすれば一地方の統治であるという立場と認識の違いがそれを可能にさせている。

 この時点で、ゴブリンの王は実に世界の5分の1の土地を支配する大王であった。

 それ故に、ゲルミオン王国を解体するという力技にも訴えることが出来たのだ。

 ゴブリンの王が案として出したものによれば、4つある行政区の北側はリィリィの統治する地域となっていて、彼らの占領地には入ってない。東側もシュシュヌ教国側との国境までを示している為、実質的に未だ支配下にはない。

 中央として王都周辺。更に南側を今回割り当てたに過ぎない。西方八砦と呼ばれた地域は西都を中心とした旧西域に組み込まれることになり、そこに住む旧西都の住民と合わせて、ヨーシュの支配下に入れることにしてあった。

 プエルは内心で、またあのヨーシュとかいう人間の心労が増えると思ったが、敢えて口には出さなかった。

 三つの自治都市の内、二つまでが南部の都市である。残る一つは北方の都市であったが、それを見咎めたプエルは僅かに眉を顰めた。

「北方の降伏をお許しになられるので?」

 行政区分の案を見ただけで、プエルは王の意図を読み取る。

 北方を守る聖騎士リィリィが降伏するなら、自治を許すつもりなのだろう。自治都市とは、言わば旧ゲルミオン王国民に与えられた甘い飴だ。他の地域では、実態がどうであれ支配者(ゴブリン)に搾取されるという構造が嫌でも目に見える。

 だが、自治都市があるのなら被支配階級の者達の鼻先に餌をぶら下げた状態にしておける。多少税に色を付けねばならないだろうが、ゲルミオン王国の後継を名乗れる体裁さえ整えてやれば、反抗的な民は自治都市を目指して集結するのではないだろうか?

 魔物に屈服することを良しとしない、武の国の民ならば。

「自治と引き換えに我が支配を受け入れるのなら、降伏という選択も有り得ると示すのは此処を置いて他にはない」

「随分、その人間を信頼しておいでで」

 まるで聖騎士リィリィが降伏し易い状態を整えてやっているような王の作為に、プエルは眉を顰めざるを得ない。それもこれも、面識があるが故に手っ取り早く自陣営に組み込みたい為だろう。

 如何にも王らしい甘い考えだと思うが、口には出さない。実際に王の示した案の利点は大いにあるのだから。問題は聖騎士リィリィがどのような人間であるか、だ。

 王都周辺の情報収集に力を注いでいた為、彼女は北方の聖騎士の情報をあまり集めていなかった。

「甘いと言いたげだな」

「……ギ・ザー殿であれば、そう言われるでしょうね」

「ほう? では、軍師プエル殿はどうお考えかな?」

 戯ける王に、プエルは口元に冷笑を浮かべた。

「お好きに為されませ。反乱を企てるなら、北方など容易く叩き潰して差し上げましょう」

「賢明な判断を期待したいものだな」

「ええ、全く」

 王都での政務を一通り片付けたゴブリンの王が北へ向かったのは、ホルスの月も半ばを過ぎた頃だった。


◆◆◇


「ふん、魔獣の大群か……。優雅ではないの」

 欠伸を噛み殺した戦姫ブランシェ・リリノイエは、迫り来る魔獣の群れを見据えていた。首尾良く王から南と西に宣戦布告をする機会を与えられた彼女はシュシュヌの影響力下にある小国に動員をかけると、その軍勢を率いてゲルミオン王国東部へと向かった。

「しかし、宜しかったのですか? このようなことを独断でなされて」

 優男の副官は平原に並べられた豪奢なティーセットを見て、溜息代わりに問い掛けた。

「何がじゃ? 戦乙女の短剣(ヴァルキュリア)を雇い入れたことか? それとも昼から葡萄酒を嗜んでおることかの? まさか縁談を蹴ったことではあるまい」

「それらを同列に並べるのが既に危険な気が致しますが……。私が言いたいのは同盟諸国に動員をかけたことでございます」

「些事であろう。力とは有る内に使わねば意味が無い。そもそも、その為の同盟であるしの」

「些か……反発が恐ろしくはございませんか?」

 声を潜める副官を、彼女は鼻で笑った。

「ふふん。連中がゴブリンと組むとでも? 交渉相手としては中々興があるが……小国の駄犬共にそれを断行する程の胆力は無いじゃろう」

「かもしれませんが」

 一息に東部に攻め入ろうとしたブランシェだったが、南方での魔獣の大量発生に対抗する為に軍を南に向けよと、王からの勅令が下されたのだ。

「ふん。お前の心配を払ってやるのは妾の役割ではないが……まぁ良かろう。今日は気分が良い」

 最高級の銀製の杯を傾けて、葡萄酒に口を付ける。

「大方、我が愛しき国王陛下は南部の大貴族共に泣きつかれたのじゃろう。犬共には、ここで魔獣を殲滅せねば故郷が危険に晒されると聞かせてある」

「それは……」

「勿論、本当のことじゃ。否、本当のことにしてみせる。この状況で働かぬ者に価値は無い。妾は怠け者は嫌いゆえな」

 魔獣による災厄か、人の手による懲罰か。その違いはあるがなと、彼女は声に出さず笑う。

「当然救ってやるのじゃから対価を貰わねばならん。世の中はそういう風に出来ておるし、そうでなくば摂理が保てぬ」

 彼女は注がれた赤い葡萄酒を飲み干す。僅かに頬に朱が差したようだった。

「その対価というのが……」

「私兵と資金の差し出しじゃの。無論、ただでとは言わぬ。東部で得た奴隷を買い取らせよう。尤も、兵士に成り得る者達はそのまま妾の手駒じゃがな」

 ゲルミオン王国東部の侵略の許可は、彼の地の住民を奴隷とする為である。シュシュヌ教国の国王は、その成り立ちから大貴族の合議の上に据えられていると言っても過言ではなかった。

 ブランシェが指摘した通り、仮に東部の住民達が流民としてシュシュヌ教国に流れ込んできた場合、最も負担を抱えるのは王家である。ファティナがシュシュヌの支配下にあるか、或いは友好的な関係であったなら、供給される食料で民を養うことも出来ただろう。

 だが、ファティナは敵の手に落ち、食料は不足している。このまま流民を受け入れれば王家の破綻は避けられない。だが、金というものは有るところには有るものだ。

 それは彼女を含む大貴族達の懐である。故に、彼女は東部侵略の許可を仰いだ。住民を奴隷に落として大貴族達に買い取らせれば、助けを求める民を生かしつつ、シュシュヌ王家の破綻を回避できる。

 尚且つ、彼女の政敵である他の大貴族達に足枷という形で奴隷を押し付けることが出来る。だからこそ、彼女は直に東部に向かわず、南部で一度魔獣の侵攻を食い止めてみせねばならない。

 南部の大貴族を救ってやらねばならないのだ。

「存外、お嬢様も人が悪い」

 鼻で笑ったブランシェは指示を出す。

「分かったのなら働け。怠け者は好かぬ」

「御意、我が主」

 立ち去ろうとした副官の男が思い出したように足を止め、ついでとばかりにブランシェに懸念を話す。

「象牙の塔がまた妙な真似をしているようです。各国に文を送っているようなのですが」

「ふむ?」

「人々は、神々の名の下に再び団結せねばならないと」

「ふむ……。確かに妙じゃのう」

 目を細めたブランシェは、じっと何かを考え込む。こういう時の主に話しかけてはならない。副官は、そのことを身を以って知っている。

「官吏の中で信頼出来そうな者に、それとなく当たっておく必要があるの」

「御意。手配しましょう」

「さあ、戦じゃ!」

 物憂げな表情から一転、彼女は笑いながら立ち上がって背伸びをした。

「精々楽しませておくれ」

 その日、シュシュヌの同盟国と戦乙女の短剣、更に大小様々な血盟を動員した防衛戦において、シュシュヌは5000にも及ぶ魔獣を討ち取ることに成功する。

 若き戦姫は、その雷名を鳴り響かせ始めた。


◆◇◆


 嵐の騎士ガランドは単身シュシュヌ教国からゲルミオン王国東部へと向かっていた。情報を集めながらの移動であった為に、その道程は中々進まなかった。しかし、だからといって何の情報も無いまま飛び込む訳にもいかない。それはあまりにも無謀過ぎる。

 焦れる内心を押し殺し、情報を集めながら只管に西へ向かう。

 その途上で、ガランドは王太子イシュタールと双剣の騎士ヴァルドーの死を知る。

 今まで絶望的な国の危機を知らなかったガランドだったが、西へ近付くにつれて不吉な話ばかりが耳に入るようになる。間もなく魔物の大群が押し寄せて来るのではないか、王都は既に陥落したのではないか、等々。

 今、ゲルミオンの東部を領地としているのはシーヴァラだという。確定的な情報が無いまま、ガランドは足を早めてゲルミオン王国へと向かった。

「シーヴァラなら滅多なことじゃあ、やられはしないだろうが」

 何とかゲルミオン王国へ辿り着いた時には、既にスネクの月の終わりに差し掛かっていた。

 東部の都に入って直ぐ。眼前に広がる惨状に、ガランドは暫し呆然となった。

 至る所に天幕が張られ、流民がそこかしこに満ち満ちている。炊事の煙が立ち昇る避難民の天幕群は、まるで西域を追われた民が王都へ押し寄せた時の再現のようだった。

 空腹で泣く幼子、蹲る老人、通り過ぎる人の袖を引く襤褸を着た若い女、そして飢えた獣の目で辺りを睨む若者達。ガランドは、知らず己が歯を噛み締めていることに気付いて我に返った。

「まただ。くそっ……!」

 また負けたのだ。

 あの魔物共に、あのゴブリンの王に、またしても敗北を喫したのだ。

 悔しさに握り締めた拳を睨みつけて、ガランドは足を進める。

 シーヴァラは無事だろうか? 自分を友と呼ぶ、あの陽気な男は健在なのだろうか。

 ガランドは早足に天幕群を擦り抜け、街へ入る。途中で衛兵に止められるが身分を証明すると、彼らは直立不動の姿勢となってガランドに現状を説明した。

 王は死んでいた。

 この世でただ一人、ガランドが忠誠を誓った相手は、既にこの世を去った。

 街で聞き知った情報ではシーヴァラは未だに東部へ逃れてくる民を受け入れる為、孤軍奮闘しているのだという。両断の騎士を支えた騎馬隊は既に形ばかりのものと為り、バンディエ家に仕えた騎士達もその多くが鬼籍に入った。

 それでも崩壊したゲルミオン王国からゴブリンの支配を嫌って逃げ出してくる民を保護すべく、シーヴァラは最前線で斧槍を振るい続けている。

 その話を聞いて、ガランドは己を心底恥じた。

 同時に、助けに行かねばならないと決意した。

 単身で助けに行っても良かったが、ガランドは流民達の前で一声吼えておかねばならなかった。

 ゴブリン達の支配下に入れば穏当な暮らしが約束されるかもしれない。事実、ゲルミオン王国の全ての民が逃げてきたにしては流民の数が明らかに少ない。

 だが、それは奴隷の安寧と何が違うというのだろうか。

 自由とは、自らの手で掴み取るものだ。

「俺は聖騎士ガランド・リフェニン!」

 嘗て忠誠を誓った王から与えられた、聖騎士の称号。

「この俺と共に戦う者はいないか!? お前達と、お前達の家族を守る為に戦っているシーヴァラを助ける為に、戦う覚悟の在る者はいないか!?」

 その重みは、尚一層彼の肩に伸し掛かるようだった。

 だが、ガランドの声に応える者はいない。誰も彼もが下を向き、自分達の敗北を認めていた。彼らが此処に居るのは恐怖故だ。得体の知れないゴブリンに支配される恐怖から逃げる為だ。

 ガランドの声に応える者は無く、それを見極めるとガランドは背を向けた。

 単身で向かわねばならない。

 背負った大剣の重みを確かめながら、ガランドは西へと向かった。


◇◆◆


 北の地では、2人の剣士が戦の雌雄を決する戦いを始めようとしていた。

 ゴブリンと人間。

 剣神の加護を受けし者と魔剣の遣い手。

 様々な違いはあれど、互いに引けぬものを背負っての戦いだった。

「……降るつもりはないのか?」

「……ご冗談を。貴方の剣気は戦いを欲するそれです」

 ゴブリン一の剣士は曲刀を抜き放ち、滅びた国の騎士は蛇腹剣の刀身を解放した。刀身がまるで鞭のように彼女の周囲に着地し、蛇が蟠を巻くように地面を這いずる。それは敵の攻撃から彼女を守護する流砂の壁のようであった。

 対するゴブリン一の剣士は静かな佇まいを崩さない。吐き出す息さえ細やかに、ゆっくりと曲刀を脇に構える。西方領主にして歴戦の騎士たるゴーウェン・ラニードを破った構え。

 彼女の後ろには守るべき民と兵士が、ゴブリンの後ろには彼を尊敬する異民族が、それぞれに戦いを見守っていた。

 間もなく南から王がやってくる。

 唯一無二の魔物達の王である。

 二人はその前に決着をつける必要があった。ギ・ゴーは忠誠故に。リィリィは民を守る為に。恐らく一度矛を交えてしまえば、あの王は自身を許さないだろうと、彼女は考えていた。

 提案されたのは、古式に則った決闘である。

 赤枝で四方を囲い、周囲には双方の見届け人。彼らの代表の戦いを見守る勇気と実力を試す決闘である。

 僅かにギ・ゴーが距離を詰める。

 応じてリィリィの“空を斬る者(ヴァシナンテ)”が、その剣先をギ・ゴーに向ける。まるで生きているように蛇腹剣は鎌首を擡げた。

「不思議な剣だ」

 ゴブリン一の剣士は、動じることなく笑う。

「ええ、本当に」

 肩を竦めて苦笑した魔剣の遣い手は、僅かに後退した。

 間合いの削り合いである。

 ギ・ゴーは間合いを詰めて相手の懐に入りたい。勿論、魔剣ヴァシナンテを見るのは初めてだったが、その有り様を見て凡その検討は付けていた。鞭のように柔軟に動く魔剣の射程は、一般的な刀剣の数倍にもなるだろう。

 先ずは相手の懐に入り込まねばならない。

 その窮地を想像して、剣士は目を細めてほんの僅かに笑った。

「参る」

 重々しい言葉を置き去りにするようなギ・ゴーの踏み込みは、土煙を上げて地面を割った。

「──っ!」

 その速度に驚愕したリィリィの反応が遅れる。

 だが、魔剣は即座に反応した。

 驚異の踏み込みからの烈火のような激しい一撃が彼女を襲う。土煙の上がる中で一瞬だけ交差し、再び両者は離れる。

「……そう言えば、ギ・ガー殿が自慢気に話していたな」

 土煙から離れたリィリィは、ユグラシルの山脈から吹き降ろす風のように冷たい目でギ・ゴーを見据える。

「人間の剣士の足は速い、と」

「音響足、と言います」

 リィリィはギ・ゴーの正面で構えたまま、手元を僅かに動かす。それに応じてギ・ゴーの背後から刺し貫くように魔剣の剣先が飛び出てくる。背後を見もせずにそれを避けたギ・ゴーは、剣を振って土煙を吹き飛ばした。

 数多の蛮族の戦士を葬った一撃を事も無げに躱し、ギ・ゴーは立っていた。

 剣士達の決闘は、未だ始まったばかりである。



次回更新は18日予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 魔剣....剣..?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ