剣を持つ者の歌
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アシュタール王を討ち取ったとの報告と老ゴブリンの死去の報告がゴブリンの王の元へ届いたのは、ほぼ同時だった。王は短く了承を伝えて沈黙し、僅かな時間だけ目を閉じて黙祷する。その後、引き続き征服すべき王都を見つめた。
「王都の制圧は、概ね順調のようです」
横に侍る軍師プエルの言葉に、王は頷く。
「抵抗しない者達を悪戯に殺すような真似はするな。特に新兵達には徹底させよ」
「……改めて言う必要はないと思いますが、ラ・ギルミ・フィシガ殿に命令を出しておきましょう。かのゴブリンは優秀でありますから」
「任せる」
後は制圧するだけだと思考に浸るゴブリンの王の元に高位ゴブリン達の苦戦の報が齎されたのは、その直後であった。
◆◆◆
手に握る武器の、何と頼りないことか。
ギ・グー・ベルベナは、目の前に立ち塞がる聖騎士の脅威に珍しく焦りを感じていた。
「化け物め」
吐き捨てる言葉と共に、敵の背後からギ・ガー・ラークスが迫る。黒虎を完全に御しているギ・ガーの歩み寄る呼吸は、正に野生のものである。左からは狂神の加護を受けたギ・ズー・ルオ。更に右からはギ・グーが聖騎士ツェルコフに迫るのだが、呼吸を合わせた3匹一体ですら目の前の人間には通じない。
三方向からの同時攻撃。
殺気すらも押し殺し、ただ目の前の人間を切り刻むべく冷徹さと精確さを兼ね備えた3匹の必殺の一撃を、聖騎士ツェルコフは尽く躱してみせる。
吐き出す息すらも惜しむかのように、ギ・ガー・ラークスの槍が鎌首を擡げて追撃を放つ。更にギ・グーの無言の斧がツェルコフに振るわれる。
ギ・ガーの狙いは背中。
正中線に沿って背骨を狙った一撃と、ギ・グーの喉首を狙った一撃がツェルコフの身体を挟んで交差する。左右に逃げればギ・グーの一撃が首を薙ぎ、上下に逃げればギ・ガーの一撃が躱せない。そんな必殺の挟撃を身体を半歩後ろに逸らすことでツェルコフは避ける。
まるで全方位に目でも付いているかのような、驚くべき反射速度と度胸であった。一歩間違えば背中を刺し貫かれ、喉首を掻き斬られる中での動作。王が率いるゴブリンの中でも、最古参の2匹の振るう斧と槍の只中をである。
だが、3匹目のゴブリンの拳は更にそこからの追撃を可能にした。
歴戦の中で培われた勘だったのか、それとも計算によって導き出された結論だったのか。そんなことは怒れるギ・ズーの前には些細な問題である。咆哮すらも力に変えて、ギ・ズーは最古参の2匹の攻撃を躱したツェルコフに拳を振るう。
だが、顎を撃ち抜き、骨ごと敵の身体を砕く筈だったギ・ズーの拳は、あろうことか無造作に突き出されたツェルコフの手に受け止められた。
驚愕するギ・ズーは、更に目を見開くことになる。掴まれた拳を払って反撃しようとした際、全く腕が動かなかったのだ。今まで経験したことのない圧倒的な腕力の差に、ギ・ズーは屈辱と怒りを覚えた。
だが、これで動きは止まった。
そう判断したのは、4将軍である前に歴戦の勇士である2匹のゴブリンだ。
動いたのは、ほぼ同時。
ギ・ガーは、先程突き出した槍の穂先を引き戻して再度の刺突の態勢へと移行。ギ・グーは左手に持った長剣でツェルコフの胴を薙ごうとした。
突如視界に入ったギ・ズーに、ギ・グーは慌てて剣を止める。驚きに目を見開き、声すら発する間もなく剣を引いたギ・グーの視界を覆うように、ギ・ズーの身体が迫ってくる。ツェルコフはギ・ズーを投げ飛ばし、ギ・グーへの攻撃と自身の防御を同時に行ったのだ。
ツェルコフは瞬時に身体の向きを変えると、今まさに突きを入れようとしていたギ・ガーに向き直る。ギ・ガーの必殺の槍が繰り出されるのと、ツェルコフがギ・ガーの槍に横蹴りを放つのは同時だった。軌道を逸らされた槍は見当違いの方向に流され、ギ・ガーは虎獣から落ちないように態勢を保つのが精一杯だった。
「くっ!?」
僅か一息の間の攻防で、3匹のゴブリンの息が上がる。
口元を歪ませるツェルコフは、両腕を広げて掛かって来いと言わんばかりに膝を付くゴブリン達を見下ろす。
「くははははははははは!!」
まるで天を震わせるが如く高らかに笑うツェルコフは、その声量だけでゴブリン達を威圧する。
「っ!?」
だが、その笑い声を切り裂くように一陣の風が刃となってツェルコフに襲い掛かった。僅かに反応が遅れ、ツェルコフは擦り傷を負う。
「貴様ら、何をしている」
見下すような高圧的な言葉だったが、瞳は少しの驕りも油断もなく目の前の敵を見据えていた。
「王が聖騎士の首を所望されている。そんな所でへたばっている暇は無いぞ」
ギ・ザー・ザークエンドの彼なりの檄に、ギ・グーを始めとするゴブリン達は奮起した。
「言われずとも!」
吠えるように立ち上がるギ・ズーに頷くと、ギ・ザーは懐から魔石を取り出す。
「悪いが、時間を掛けるつもりはない」
冷笑したギ・ザーが魔石を砕くと、そこから吹き荒れる風が生まれ、ギ・ザーの周囲を囲むように旋回していく。
「御名は尊く我は呼ぶ! 風の神よ!!」
ギ・ザーの言葉に反応した風が竜の如く頭上で渦を巻くと、周囲の家々を破壊しながらツェルコフに襲い掛かった。狂った精霊の怨恨の歌がギ・ザーの鼓膜を揺らし、不機嫌さを伝える。
口の端を釣り上げて僅かに同意を示したギ・ザーの意志に沿って、ツェルコフに瀑布の如き風の塊が直撃し、空中に放り出すと同時に全身を切り刻む。両腕で頭を庇ったツェルコフだったが、脇腹と背中と足に巨大な切り傷が出来ていた。
しかし、地面に着地する頃には体勢を整えていたのは、流石に聖騎士と言ったところだろう。
怪我を負った両の足で地面に着地すると、傷口からの大量の出血で地面に血溜まりが出来る。或いはどこか致命的な器官に傷を負ったのか、口元からも血を吹き出し、凄惨な様相を呈するツェルコフ。
だが、それでも彼の口元には笑みが絶えない。
「我は……」
前に踏み出すツェルコフだったが、その動きは重傷者のそれである。そして、その隙を見逃す3匹ではない。
再び3匹一体で攻撃を仕掛けるギ・グー、ギ・ガー、ギ・ズー。
明らかに精彩を欠いたツェルコフの攻撃を掻い潜って傷口に長剣を突き入れ、背中に槍を突き立てる。激しい出血はツェルコフの死が近いことを知らせる。並の人間ならば、とっくに死んでいてもおかしくない致命傷である。
「我は……」
だが、ツェルコフは止まらない。驚きに目を見開くギ・グーとギ・ガーを引き摺りながら、その歩みは止まらない。
乱暴に腕を振るい、裏拳気味にギ・ガーを殴り飛ばすと、未だ身体に刺さっている長剣とそれを握るギ・グーに視線を向ける。
「ぐ、ぬ……! 馬鹿な」
剣を抜こうとしたギ・グーは、それが動きもしないことに焦りを覚える。
振りかぶられたツェルコフの拳は、ロード級となったギ・グーと言えども死を覚悟せねばならない威力である。ノーマルの頭を易々と握り潰す、手負いの獣の如き自らを省みない暴力。
刺さった剣を抜けば、今度こそ出血多量でツェルコフは死ぬだろう。いや、最早彼の死は遅いか早いかの違いでしかない。だからこそギ・グーは剣を抜こうとし、ツェルコフは己の身体から剣を抜かせまいとした。
ツェルコフの貫手がギ・グーに向かって放たれた瞬間、待ち受けていたように怒り狂うギ・ズーの拳がそれを迎え撃つ。
軌道を逸らすことしか出来なかったギ・ズーの右拳の上をツェルコフの貫手が疾る。拳から肩までを切り裂かれた皮膚から血が飛び散る。痛みを無視したギ・ズーは、腰だめに構えた左拳をツェルコフの脇腹に叩き込んだ。
その一撃で更に口から血を吹き出すツェルコフ。
ギ・グーは既に剣を抜き取るのは困難と判断して離脱し、ツェルコフの標的はギ・ズーに絞られる。
「我はっ!」
ここに来て、初めて意思を持ったようにツェルコフが叫び、打ち下ろしの右拳がギ・ズーに降ってくる。
「──グルウゥウォオアオアアア!!」
魂魄を絞り出すかのような気迫と共に、ギ・ズーの右拳がツェルコフの身体に刺さったままの長剣の柄頭を撃ち抜く。ツェルコフの右拳がギ・ズーの顔の直ぐ横を通過する。倒れるかと思われた聖騎士は、だがそこから尚も踏み留まる。
込められた威力は、人間なら即死して然るべきものだった。
にも関わらず、ツェルコフは一瞬だけ動きを止めてギ・ズーに拳を見舞うと、両の足で大地を踏み締めた。
「我は、騎士なり……」
見開かれた瞳は、まるで何かを追い求めるかのようにゴブリン達を越えて天を見据える。傷口から流れ出る血は既に地面に血溜まりを作っていた。
「陛下……」
最期の言葉と共にツェルコフは倒れ、二度と立ち上がることはなかった。
後に、何故ゲルミオン王国が強勢を誇ったのかに興味を抱いたギ・ドー・ブルガが調べた限りにおいて、破壊の騎士についての資料は殆ど見られなかった。
ゲルミオン王国の歴史に燦然と輝いた聖騎士達の系譜において破壊の騎士の記述は少なく、嘗て『流麗の騎士』と呼ばれた“ツェルコフ”という名の騎士が存在していた記録が有るのみであった。
◆◆◇
破壊の騎士ツェルコフ撃破と同時に、ゴブリンの王はゲルミオン王都の制圧完了の報を聞いた。
「王城に進む」
「御意」
未だ混乱の収まりきらぬ王都の中を王は進む。王城へと続く道の両側には王の側に侍るゴブリン達が武器を掲げ、周囲を警戒していた。
王城に辿り着き、人間の築き上げた城から眼下に集った者達を見下ろす王に、ゴブリンの内の誰かが声を浴びせた。
「偉大なる王、我らが王!」
その声はたちまちゴブリンの中に広がる。王城のテラスにいる王に向かって、ゴブリン達は声を上げた。
『偉大なる王、我らが王!』
ゴブリン達から上がる声に王は応え、勝利と戦の終結を宣言する。
「我が臣下よ! 同胞達よ! そして戦友達よ! 我らの勝利を、共に祝おうぞ!」
まるで爆発するかのようにゴブリン達が歓声を上げ、己の武器を打ち鳴らし、地面を踏み鳴らして地震のように王都を揺るがした。
遠く歓声を聞きながら、ギ・ザー・ザークエンドは貴族街の一角に足を向けていた。嘗て“人形遣い”と呼ばれた老魔術師の住む家である。最早焼け跡しか残らないその場所に、ギ・ザーは誰を伴う訳でもなく唯一人で向かった。
庭の石に背を預けるようにして、老魔術師の屍がある。
そして、その膝に凭れるようにして己が父と慕ったゴブリンの姿を認めると、無言の内に二人に近付いた。
「……ふん、満足そうな顔をしやがって」
暫く老ゴブリンの死に顔を見つめていたギ・ザーだったが、肉体労働は苦手だと呟きながら地面に穴を掘る。
丁度二人分の穴を掘ると、寄り添うように死んだ一人と一匹をその中に入れる。
土を被せて、その上に石を乗せた。
土で汚れた服を不機嫌そうに見下ろし、ギ・ザーは一度深く息を吐いた。
「さらばだ。親父殿」
その墓に銘はなく、またギ・ザーも刻もうとは考えなかった。
ただ、静かに眠ればいい。
歓声鳴り止まぬ王城に向けて、一匹のゴブリンが歩き出す。
愛など知らぬと宣うゴブリンは、僅かな感傷をその場に残して墓に背を向けた。
◆◆◇
「ギ・ゴー殿、歌を作ってみたのデす」
最近それなりに流暢に言葉を話せるようになったユースティアが、まるで尻尾を振る犬のような期待に満ちた視線でギ・ゴーに話しかけていた。
軍師プエルの期待通り、北方戦線は膠着している。
今頃ゴブリンの王がゲルミオン王国の王都を襲撃しているだろう。ギ・ゴーを始めとした雪鬼の一族は、ゲリラ戦法とも言うべき方法でゲルミオン王国北方の兵士達を足止めしていた。
だが、いつも襲撃をしている訳ではない。
流石に連日連夜は身が保たないし、流れてくる情報から推測するに、最早足止めの必要も無いと思われる為である。
初夏とは言え、天高く聳え立つ雪の神山脈の山頂付近には未だ雪が残る。雪上を主戦場とするユグシバの民は生まれた時から山脈を根城にしている為、平地で暮らす者達よりも機動力では圧倒的に有利であった。
一度山脈地域に逃れてしまえば、平地の民の足では追ってこれない。速度も、地理の熟知も、全てユグシバに分が在るのだ。これで圧倒的な兵数でもあれば勝負は分からないのだが、リィリィ率いる北方軍は未だガランドの率いた西方救援で受けた傷跡が癒えない。
徐々に軍備を増強してはいるが、住民に負担をかけない程度を心掛けたリィリィの方針でその規模は小さく、遅れがちだった。
そういった理由で、雪鬼達には意外と余裕と暇があったのだ。
無理に危険を冒す必要もないのなら、物資を奪う必要もない。
そこで彼らが何をしているかと言えば、ユースティアの最初の発言に戻るのである。
「歌か」
「はい。ぜひギ・ゴー殿に聞いテいただキたく」
雪鬼の若き族長ユースティアは、彼らの民が崇める美貌を隠そうともせず微笑む。その圧倒的な剣技と相まって、彼女は崇拝の念を以って雪鬼達の頂点に君臨しているのだ。
頷くギ・ゴーを確認して、ユースティアは彼の腕を引いて待ち構えていたユグシバの民の前に立つ。
「準備は?」
「万端でございます。姫!」
古語で会話する彼らの言葉にも、ギ・ゴーは大分慣れていた。
「始めよ」
「承知致しました」
居並ぶ者達は皆若く、まるで試練に立ち向かう戦士の如く緊張しているように見えた。勇壮な太鼓の音と共に低い声で歌い出す。時折流れる角笛の音で徐々に盛り上がる歌声が洞窟内に響く。
「剣を持つ者よ、剣を持つ者よ! 彼の誉れを語ろう!
永遠に語り継ぐべき、その誉れ
勝利の雄叫びは、敵を震え上がらせた! 禍の敵は、彼の前から逃げた!
剣を持つ者よ、剣を持つ者よ! 我々は、彼の勝利を祝おう!
さあ、耳を傾けよ。我らの民よ。いにしえの時代から、受け継がれし、その物語を!
その者は、勇気を持ち、誇りを知る! 王と並ぶほどの、力を持った!
預言者は言った。酷寒の大地に、暗き時代が来る!
王達の破滅の後、飢えた敵は、全てを飲み込もうとやってくる!
しかし、暗き時代は長く続かない!
暗き侵略者は打ち倒される!
美しい大地よ! 同胞達よ、我々は解放されるであろう!
剣を持つ者よ、剣を持つ者よ! 彼の誉れを語ろう!
永遠に語り継ぐべき、その誉れ
勝利の雄叫びは、敵を敗走させた! 恐ろしき敵は、彼の前に敗れた!
剣を持つ者よ、剣を持つ者よ! 我々は、彼の勝利を称えよう!」
聴き終わったギ・ゴーは、勇壮な歌だと感想を述べた。
その評価に少しばかり不満だったユースティアは、真夜中にゲリラ戦を行う前にこの歌を雪鬼達に謳わせながら進軍した。古語である為に内容は分からないが、勇壮なリズムは住民達に恐怖と共に刻み込まれ、また歌っていた雪鬼達は気分を高揚させて戦に臨むことが出来たのだった。
敵と味方から“剣を持つ者の歌”として認識された歌だったが、ユースティア本人としてはギ・ゴーの武勲を称えるつもりで作ったので、意図とは違う形で有名になっていく歌に内心複雑な感情を抱いたという。
ゲルミオンの王都陥落から約一月後。初夏から晩夏へと移り変わる頃、ギ・ゴー・アマツキと雪鬼達は歌と共に山を下り、北方軍との直接対決を決意することとなった。
次回更新は活動報告で……。