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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
283/371

守護者たち

 現在、ゲルミオン王国は6人の聖騎士を抱えている。

 北方を守護する緋色の乙女リィリィ。

 南方を守護する両断の騎士シーヴァラと隻眼の騎士ジゼ。更に預かりの身分ではあるが嵐の騎士ガランド。

 東方を守護する双剣の騎士ヴァルドー。

 最後の一人は中央に幽閉されている破壊の騎士ツェルコフ。この6人がゲルミオン王国を支える当代の聖騎士である。

 尊厳王アシュタール・ド・ゲルミオンは広く武勇ある人材を求め、その門戸を開放している。シーヴァラ、ヴァルドー、ツェルコフはゲルミオン王国の貴族であるが、ジゼは東方から流れてきた武芸者。ガランドとリィリィは元冒険者である。

 南方守護の任務を与えられたシーヴァラは、ジゼと協同で領地の経営に当たっていた。今ではガランドも加わり、3人となった会議でシーヴァラはガランドに提案を持ちかけていた。

「シュシュヌ教国に援軍?」

「そう」

 眉を顰めるガランドは、昼間だというのに酒の匂いを漂わせて顔を顰めていた。

「拙者もシーヴァラ殿に賛成である」

「ハッ、厄介払いかよ」

 ジゼを睨むガランドだったが、睨まれたジゼは少しも意に介さず尚も言い募る。

「正直見ておれんというのが本音だ。つい数年前まで英雄などと持て囃されておったお主が、今はまるで場末の酒場でくだを巻くゴロツキ同然ではないか」

「ふん。シーヴァラ、てめえもそう思ってやがるのか?」

「ま、上からの命令って奴さ」

 肩を竦めたシーヴァラは、いつもの飄々とした態度を崩さず答えた。

「本当は僕に来たんだけどね。面倒だから、ガランドに頼むよ」

「……」

 ジゼが白けた表情でシーヴァラを盗み見るが、彼は全く悪びれる様子はなかった。

「……分かった」

「うんうん。食べた分は働かないとね」

「で、誰を殺すんだ?」

「いきなり話が物騒であるな」

「俺に依頼される仕事なんて、何時もそんなもんだ」

「正解とも言えるし、間違いとも言えるね」

「あぁん?」

「援軍って言ったでしょ? 戦姫の後継者争いに手を出すつもりなんだよ、うちの王様は」

「誰に付くんだ?」

「ブランシェ・リリノイエ。弱冠18歳のお嬢様さ」

「……貸しを作っておいて、高く売りつけようって腹か」

「ま、相手がそう思ってくれるかは別だけどさ」

「……まぁ、いいさ。丁度退屈してたところだしな」

 ガランドがふらつく足取りで部屋から出て行ったのを確認したジゼは、シーヴァラを問い糺す。

「あの男、嫌に素直に命令を聞いたようであるが」

「う~ん……。まぁ、彼に限って裏切るってことは無いでしょ。王様に忠誠を誓ってるし」

「お主の目が確かなのは知っておるが、アレはそんな輩ではあるまい」

 王に忠誠を誓う騎士などという言葉が、これ程似合わない男もそうは居ないだろうとジゼは顔を顰めた。

「いやいや、ガランド・リフェニンはアシュタール王に忠誠を誓っているさ。意外と義理堅いしね」

 シーヴァラは、ジゼの困惑を面白そうに笑って断言する。

「……そう、であるか」

 尚も考え込むジゼ。傍若無人なガランドが忠誠心に篤い騎士だと言われても、彼にはどうしてもその二つが結び付かなかった。

「家族を魔物に殺されて王様に拾われているからね。それから死に物狂いで努力して聖騎士になったけど、不運が重なって今の有様さ。多少お酒に逃げるのも仕方ないよ」

「傲岸不遜を絵に描いたような男だと思っていたが……。ふむ」

 顎を摩りながら再び考え込むジゼ。

「しかし、良いのか? 西域の奪回には王太子がご出陣なさる。我らにも声が掛かると思うが」

 僅かに眉根を寄せてジゼは問う。今、ガランドはシーヴァラの預かりである。それはつまり再び西域で戦が起きた際、ガランドが立てた功績の少なからずをシーヴァラの功績として認められることになるということだ。

「僕は参加しないつもりだよ。南方にはクシャイン教徒と魔物が居るしね。流石に二人とも南方を離れるのは拙い」

 既に軍の内部では王太子の親征が現実味を帯びて語られるようになっていた。冒険者や血盟などを抱き込み、総勢4000に昇るとも言われている。更にアシュタール王も決して反対はしていないという。

「確かにそうかもしれん。拙者は王の命令次第であるな」

 内々にシーヴァラとジゼにも参加の要請が来ているのだが、シーヴァラは南方の危険を理由に不参加を伝えていた。

「まぁ、面倒臭いって理由もあるんだけどね……」

「そう言えば、お主はヴァルドー殿が苦手であったな」

 苦笑するジゼに、シーヴァラは苦虫を噛み潰したような表情で身を震わせた。

「謹厳実直を絵に描いたような好漢ではないか」

「まさか!? 石頭が人の姿をして歩いているだけだよ。最近聖騎士になったリィリィって娘は分からないけど、僕以外の聖騎士は全員性格が悪いからね。ジェネなんて最低最悪の部類だったし。僕も苦労が絶えないなぁ」

「なるほど、なるほど……。拙者以外の聖騎士全員が性格に難ありというのは納得である」

 瞬時に引き抜かれたジゼの曲刀が、シーヴァラが先程まで脳天気な顔を晒していた場所を通り抜ける。

「っ、おまけに手癖の悪い人までいるし!」

「拙者の故郷の古き至言を教えて進ぜよう。“口は災いの元”となっ!」

 楽しげな悲鳴を上げながら逃げるシーヴァラを悪鬼の表情で追うジゼの姿は、南方を守る者達にとっていつもの光景に過ぎず、虎同士が戯れ合っている程度にしか思われていない。

 またか、というような生暖かい視線を浴びながら、彼ら二人は暫し命懸けの追いかけっこを楽しんだ。


◇◆◆


「防衛の強化?」

「王からの指示で、そのようにしろと」

 シュメアの疑問に答えたのは、弓と矢の軍(ファンズエル)を率いるラ・ギルミ・フィシガだった。

「一応は私が総司令官だけども、そういうのは任せるってば」

「そうもいかん。何せ亜人は当てにならんし、ブイ殿は一時帰還中だ」

 シュメアは微妙な顔をして考え込むが、直ぐに溜息を吐いて頷いた。ブイは集落の維持管理の為に定期的に暗黒の森へ帰還している。ゴブリンとオークの摩擦を最小限に保つ為の処置とはいえ、亜人の牙と人馬の族長が戦闘に特化していて、あまり物を考えない性質なのは正直痛かった。

「まぁ、仕方ないか。で、具体的な指示とかは来てるの?」

「いや、何も。ただ、国境に固執する必要は無いと伝えてきているな」

「うん?」

 国境に拘る必要はないとの指示に、シュメアは更に首を傾げた。

「じゃあ、国境守備隊の仕事じゃないね。後は……ぐぇっぐ!?」

 後ろを向いて立ち去ろうとするシュメアの襟首をギルミが掴む。シュメアは思わず蛙の潰れたような声を上げた。

「待て。そうはいかんと言っただろう」

「じょ、冗談だってば!」

 喉を摩りながら応えるシュメアの様子にギルミは軽く溜息をつくと、どうするかを相談せねばならなかった。

「国境に拘る必要がないということは、西域に引き込んで戦うことも可能だということだ」

「そうとも読めるけど、別に撤退しても構わないよって話じゃないのかね?」

「ふむ……」

 ゴブリンの軍勢は、攻勢では只管に強い。王に率いられて幾多の戦場を駆けたギルミにしてみても、明らかな敗戦というのはあまり経験していなかった。逃げても良いというシュメアの言葉に思考を巡らすべく、腕を組んで首を傾げる。

「あたしも聞いた話だけど、ギ・グーさんだっけ? そっちの軍が敵を掴まえられなくて大分苦労したって話じゃないか」

「確かに。見方を変えれば立場は同じか」

「けどまぁ、その前に辺境の村落から人を避難させなきゃねえ」

「出来るのか?」

「実は、それが結構難しいんだよね。今刈り入れ前だからさ」

 麦と呼ばれている作物の収穫期が近いことを、ギルミは人間の兵士と話をするようになって初めて知った。人間の食べるパンは麦を粉にしたものを捏ねて作るのだそうだ。ギ・ズーなどは肉なら一年中取れるのに不便なものだと言っていたが、事はそう簡単ではない。

 ギルミもパンとやらを食べてみたことがあるが、決して食えないものではない。人間はそれを主食にしているのだ。一年の内に2回程収穫期間があると聞いたが、その2回で1年の全ての食料を補うとすれば相当な労力を払わねばならない。

 現に農耕に従事させているゴブリンからも話を聞いているが、中々苦労しているそうだ。

「成程。とすれば、敵を誘導せねばならないか?」

「北部は駄目だよ。南部の方だね」

「……弱った獲物を目の前にちらつかせてみるか」

「乗ってくるかねぇ?」

「分からん。だが、西域の民を守らねばならんのだろう。やるしかない」

 シュメアはギルミの言葉に深く溜息をつく。

「毎度思うんだけどさ。何であんた達ゴブリンってそう前向きなのかね? 悩みが無いっていうか」

「おまえが言うな。我らは戦士だ。戦士ならば為すべきことは戦うこと。それに悩んでどうする?」

 恐らく敵の目的は西域の奪回の筈である。

 その為にはゴブリンの軍勢をどうしても駆逐せねばならない。更に西都を制圧するのが西域奪回の要である。ゴブリンを生かしておけば補給線を狙われる。少数を大軍で殲滅すれば損耗は軽微になる筈だ。であるなら、ゲルミオン王国側が目の前の敵に食らいつく可能性は大いにある。

「ちょっと、それどういう意味さ?」

「言葉通りの意味だ」

 暫し互いを威嚇していた一人と一匹だったが、どちらともなく溜息をつくと議論を修正する。

「まぁ、取り敢えずやってみよう。プエルのお嬢ちゃんは来てくれるのかね? あの子が居れば少しは違うと思うけど」

「何も伝えていなかったが、伝令を出して頼んでおこう。斥候も暗殺部隊の他に多少必要かもしれん」

 ギ・ジー・アルシル率いる暗殺部隊は、その手勢を2つに分けている。その一つが西域方面に配置されていた。それに加えて、ギルミ率いるガンラ氏族からも目の良い者を選んで斥候に出す。

「ブイ殿とオーク達にも戻って来てもらわねばな」

「堀を作るのに便利だったよねぇ。陣営地の強化もしなきゃ」

「さて、問題の亜人達だが……」

「う~ん、どうしたもんかね? 戦力としては申し分ないんだけど。まぁ、食料の調達を頼もうか。保存食は必要だしね」

「それが良いだろう」

 摘み食い程度なら許す方針でギルミとシュメアは意見の統一を見た。

「兵数はどうなのだ? 故郷を守る為と言えば、増やせるのではないか?」

「そうは言っても刈り入れ前だからねぇ……。人手は幾らあっても足りないだろうし」

「亜人の方は牙と人馬以外なら可能だろうが……牛人辺りなら戦力になるだろうか」

「翼在る者とかは結構便利だったんだけど、天敵が多いからねぇ」

 頭を悩ませつつ、兵数の増加に目処をつけて陣営地の強化の話題に移る。

「やっぱり複数の砦から救援出来るようなやつを作るべきなんじゃないのかなぁ」

「だが、兵を分けてしまっては連絡も面倒になる。ただでさえ異種族が集まっているのだ」

 一人と一匹は防衛に関する策定を一通り決めてしまい、それに従って西域の防備に乗り出す。国境線を維持せずともよいという王からの指示通り、西域内部に敵を引き込む形で検討を進めるのは非常に面倒であった。

 彼らはゲルミオン王国侵攻の報に接するまで独自の防衛網を張り巡らせ、敵を待ち構えていた。


◆◆◇


 ゲルミオン王国の北部雪神(ユグラシル)の山脈を抱える地域には短い夏が訪れていた。冬の間は山頂から吹き付ける風が身を凍えさせる大地も、春から夏にかけての短い間だけは清涼な風の吹き込む過ごしやすい場所になっていた。

 聖騎士となったリィリィは、昨年からガランドの跡を継いだ形で統治を行っている。粗暴だが強猛な兵士達はガランドが全て連れ出してしまったので、彼女の手元に残された兵士は大人しい者達が多かった。

 彼らは実直であり、領主として経験の浅い彼女を良く補佐してくれている。そのお陰でリィリィでも何とか統治を行えていた。未だ年若い彼女だったが、領民からの信頼は厚い。何よりも蛮族を撃退したことが彼女の信望を高めていた。ガランドが治めていた時代は執拗に襲撃を仕掛けてきた雪鬼(ユグシバ)が、彼女が統治をし始めてから全く姿を現さない。

 何も知らない領民達は、これを彼女が蛮族征伐に成功したからだと噂し合った。

 短い夏の間に精一杯陽の光を浴びようと、木々は緑の梢を伸ばし日差しはそれに煌めきを与える。頬に当たる風は柔らかであり、窓から入ってくる心地良い風を感じながら彼女は執務に励んでいた。

 領主たるもの、剣の稽古ばかりでなく政務も必要であった。殆どの雑務は官吏が代行してくれるのだが、必要最低限のものはやはり彼女がせねばならなかった。

 魔剣空を切るもの(ヴァシナンテ)を置いた彼女は、普段なら纏めてある緋色の髪を降ろして男物の服に身を包み、挙げられる書類に署名する。

「……山脈警邏の方は異常なし、か。蛮族は本当に去ったと考えていいのだろうか」

 彼女は過去の資料から、蛮族の襲撃が春と秋に集中していることを知っていた。これは恐らく冬を越す為の食料を求めてのことだと思われる。夏の間は比較的安全なのだが、それでも警戒を緩めることは出来なかった。

 麓まで降りて来られては村々に被害が出る。その為に山脈を警邏する部隊を新設し、蛮族の迅速な発見に努めていた。

 ベルンとノイマンらの旧知の者達を登用すると共に、伝手を頼って王都のツヴァイル流剣術の道場からも何人かの腕利きを派遣してもらっている。それらを中心として編成した新たな部隊の内訳は、巡察の兵士が500程。山脈警邏の兵が100程である。

 王国北部の全体を警備するには少ない人数であったが、何せ貧しい地域である。税収を考えれば、これ以上の増員は見込めなかった。

 また、領主の権限を以って行商人に対する税をなるべく安くし、特産品の食肉の輸出なども積極的に行っている。酪農を中心とした産業を安全の確認されている麓から中腹までの牧草地で行い、季節ごとに放牧する場所を変えるやり方は、蛮族の害さえなければ農耕に適さない北部で唯一と言って良い収入源であった。

 領主として成功を収めつつある彼女の下にも、王都の噂は聞こえてくる。それは行商人からの情報であったり、若く未婚の聖騎士という彼女に目をつけた貴族からのものであったが、一様に同じ内容だった。

 即ち、王太子イシュタールが西域へと攻め込むというものだ。

 国王軍の精鋭と東部の兵力を以って、ゲルミオン王国が西域奪還に本腰を入れる。彼女には招集はかけられていないが、どのような形であれ影響を受ける可能性はある。政治とは、それだけ他者を巻き込まずにはいられないものなのだ。

 あの強大なゴブリンの王が支配する西域へと攻め入る。

「止められるなら、止めた方が良いのだろうけど」

 彼女はそれを無謀だと考えている。少ない情報からでも、ゴブリンの王が以前よりも更に力をつけて南方で暴れ回っていると推測出来た。確かに聖騎士は強い。自分は未だ若輩の身だが、他の聖騎士との実力差は相当に開いていると思って間違いない。

 だが、それでも西域は危険だと思う。

 リィリィは一度、王太子イシュタールに謁見する機会を得たことがある。若く溌剌としていて期待の持てる王族であり、冒険者出身の彼女を差別せず、実力のみを評価する偏見の無さと思考の柔軟さも王族としては稀有なものであるだろう。

 尊厳王アシュタールの後を継ぐに相応しい王太子である。

 だが、それでも。

 彼女は思わず身を震わせる。ゴブリンの王と刃を交えた時に感じた、あの凄まじい気迫を体が覚えている。

 優秀で将来性に期待できる。言い換えればただそれだけ(・・・・・・)の王太子では、あのゴブリンの王は倒せないのではないか? 全身から滲み出るような威風。対峙しただけで竦み上がってしまうような圧倒的な強者の佇まい。

 何よりもレシアを失って怒り狂っているとしたら、これ程に恐ろしい存在は他に居ないのではないだろうか?

 千軍万馬の大軍を擁して尚、あのゴブリンの王の首に手が届くかは疑問であった。かと言って、彼女は今の王都で流行っている主張にも一定の理解を示している。

 それはゴブリンの繁殖力について。

 豊かな地域をゴブリンが持っているとすれば、その数は爆発的に増えているのではないか? 早い内に駆逐せねば、雪崩を打って西域から王都に攻め込んで来るという意見だった。西域の情報が殆ど齎されないゲルミオン王国では様々な憶測が飛び交い、西域の脅威が言い立てられているという。

 実際に集落で生活していた彼女は、ゴブリンの繁殖速度と成長速度が人間と比べて異常な程に速いことは、この目で見て良く知っている。

 今は何千何万になっているのか? 想像すら出来ない。

 なればこそ早期の討伐が必要であるという意見も分かる。

 結局のところ、ゲルミオン王国がゴブリン達に勝利するには、一気に敵の数を減らす大合戦に持ち込むしかないのだ。そして、それは早期であればある程に有利である。

 先日、西域にて貴族の率いる軍が返り討ちにあったという噂も聞こえる。

「だが、もし負けてしまえば……」

 敗戦すればゲルミオン王国は防衛能力の要である聖騎士と兵士達を一気に失うことになる。どれ程の戦力を投入するのかは分からないが、果たしてそれが本当に正しい解決方法なのか、リィリィは判断出来ないでいた。


◇◆◆


 ゲルミオン王国の王都には貴族達の邸宅が立ち並ぶ一角がある。その中でも一等広い敷地を与えられているのは、軍務卿のベードルという男だった。国の四方を守る聖騎士とは別に、国王直属の巡察兵と近衛兵の長を兼ねる国王軍の頂点である。

 夜も更けた頃、その屋敷に訪れた者がいる。

「こちらが今月分の納金でございます。軍務卿閣下」

「うむ」

 大仰に頷いて商人から差し出された金を懐に収める彼は、上機嫌な様子で何度も頷く。

「いつも悪いな」

「いえいえ、とんでもございません。軍務卿閣下にはお世話になっておりますから。はい」

「近々ガランドも東方へ遠征するというし、お主も安心だな」

 悪どく笑うベードルに、商人は壊れた人形のように首を縦に振る。

「ええ、そりゃあもう。あの男の所為で私ら商人がどんな目にあったか。なまじ力があるもんだから、逆らえなくて……。その点、軍務卿閣下は私らに良くして下さって、感謝しきりでございます」

「ははは! 何、市民の平穏を守るのは当然の義務だ」

「ええ、ご尤もです。それにしても、聖騎士という奴らの横暴は留まる所を知りませんね」

「ほぅ?」

「隻眼のジゼなんかは人を斬り殺すのを趣味にしているって、専らの噂ですよ。何でも南方から流れてきた難民を暇を持て余しては斬るんだそうです」

「それは……流石に噂の域を出ぬだろう?」

「そうですか? 私はどうも聖騎士の方々が苦手ですよ。国を守ってくれてるのは有り難いですがね、だからって傍若無人に振る舞って良い訳ないでしょうに。国を守ってくれてるのは、軍務卿閣下や巡察の兵士達だって同じですよ」

 やれやれと溜息をつくと、商人は今気付いたかのようにベードルに向き直る。

「やや、これは失礼しました! 何故か軍務卿閣下には口が軽くなってしまう。どうぞこのことはご内密に」

 へこへこと頭を下げる商人に、ベードルも満更でもないという風に首を縦に振る。

「全くだな。西域を守っていたゴーウェン卿しかり、ガランドしかり、あの女誑しのシーヴァラまでゴブリン程度に遅れを取っている。一体どういうことなのだろうな? 我が軍の面汚し共め」

「いっその事、軍務卿閣下が全軍の頂点に立って欲しいものです。私達はご支援を惜しみませんぞ」

「嬉しい事だが、聖騎士の中にも見どころのある者は居るぞ。お主も双剣のヴァルドーの名は知っているだろう?」

「え、ええ」

「儂の親戚筋に当たるが、実直を絵に描いたような男だ。今度お主にも紹介しよう。お主の聖騎士への苦手意識も大分薄れるだろうて」

「そ、そりゃあ、ありがたいことですが……ああ、あんまり長居し過ぎました。私はそろそろお暇致します」

「そうか。それは残念だ」

 退出していった商人は、夜の街を馬車を走らせ店に戻る。

 部屋に戻ると、慌ただしく寝室に入る。そこには椅子に腰掛けた少女がいた。

「ハァ……ハァ……、や、約束通り大臣に金を渡して、聖騎士達の悪評を吹き込んでいるぞ。娘は無事なのだろうな!?」

「勿論だ」

 短く髪を切り揃えた少女は、まるで虫か何かを見るような目で商人を見ると書状を投げ渡す。煌々と灯された蝋燭の火に照らされた書状を慌てて広げると、娘の辿々しい文字が無事を知らせていた。

「では、報告を聞こうか」

「あ、あぁ……」

 一通りの話を聞き終えると少女は頷き、金貨の詰まった革袋を投げる。

「損失はこれで補え。必要な時にまた繋ぎを入れる」

「ま、まってくれ! 一目で良いから娘に……」

 足に縋りつく商人を、彼女は容赦せずに蹴り飛ばした。

「奴隷商にも真っ当な人間の感情があるんだな。だが運が無かったと思って諦めろ。全て終わった後に娘と会わせてやる」

「そんな!」

「裏切りの代償は娘の死だ」

 窓から夜の闇に消える少女を見送った商人は、頭を抱えた。

「ガランドの次は誘拐犯……! 何故こんなことになってしまったんだ? やっぱり聖女なんかに関わったのが間違いの元だったのか?」

 闇の奥に消えた少女は、裏通りから王都の貧民達が住む区画を通り抜けて小さな宿屋に入る。自由への飛翔(エルクス)が情報収集の為に各地に設けた拠点の一つだった。宿を運営するのはエルクスとは無関係の人物であるだけに、足が付き難い。

 素早く部屋に入ると、少女は先程の内容を小さな羊皮紙に記入して箱に入れ、鳥の足に括り付ける。

「西域まで、お願いね」

 伝書用の鳥に呪いの篭った口付けをすると、明けぬ空に向かって解き放つ。そこまでしてやっと彼女は一息つき、ベッドに寝転がった。

 エルクスの生き残りのソフィアは、着実にゲルミオン王国内に諜報の網を張り巡らせていた。


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