フェルドゥークの暴風
プエナ方面へ向かった南方の支配者ギ・グー・ベルベナの軍は、その構成をゴブリンのみで成していた。斧と剣を掲げるギ・グーはゴブリンの王の配下の中で最大の勢力を誇り、暗黒の森の南方を所有している。広大な領土と豊かな食生活に支えられ繁殖したゴブリン達は、その全てが南方ゴブリンとしてギ・グーの元へと集っている。
総勢2300匹。その内レア級は300匹を数える。またその種類も豊富であり、獣士や祭祀なども部隊の中に内包する多様さは、一回り小さな王の軍勢と言えないこともない。
熱砂の神同盟最後の生き残りであり、衰えたとはいえ未だに命脈を保つ交易国家プエナ。この巨大な敵を倒す為、ゴブリンの王は自身の配下の中で最大の戦力を投入したと言って良い。
ギ・グー・ベルベナ自身も王の期待を感じており、巨大な敵を任された喜びに張り切って攻略を進めていた。だが、他の将軍達に比べればその速度は非常に遅いと言わざるを得ない。
原因の一つは、彼の部隊がゴブリンのみで構成されていることだった。
付け加えるなら、アシュナサン同盟の盟主たるプエナが力を減んじながらも健在であったことが挙げられるだろう。ギ・グーも当初、迷宮都市を落としたギ・ガーと同じく寛容を旨とする政策を進めていた。
しかし、ギ・グーの軍には協力者たる人間が居なかった。この違いは大きく響き、降伏した都市の運営の際、様々な遅滞を発生させる原因を作ってしまう。
遅々として進まぬ攻略に、ゴブリンの王は慰問の使者としてギ・ザー・ザークエンドを派遣する。ギ・グーの様子を確認することが最優先だが、必要そうなら一時的にギ・グーの補佐役をせよとの命を受けたギ・ザーが到着した時、攻略した筈の都市で反乱が起きたことを知ったギ・グーは、その対処の仕方に頭を悩ませている最中だった。
頼るべき盟主が健在であるのにゴブリンに膝を屈する訳にはいかない! そう血気に早った若者達が降伏した街の有力者達を追い出し、街を乗っ取ってしまったのだ。
各地の3将軍の戦果を伝えるギ・ザー・ザークエンドに、ギ・グーは自嘲気味に口の端を歪ませた。
「どうも俺には、他の奴らのような器用な真似は出来んようだ」
意気消沈するギ・グーに、ギ・ザーは眉を顰める。
「……王を真似れば万事が上手くいくなど幻想に過ぎん。お前の忠誠と憧憬を否定する気はないが、自身で考え、行動することも大事なのではないか?」
ギ・グーは、目の前の人間に近い容姿のゴブリンの言葉に瞑目した。
「確かに、そうなのかもしれん」
ギ・グーは、嘗て王に挑んだ目の前のゴブリンに畏敬の念を抱いていた。ラーシュカやギ・ゴー・アマツキにも同じ感情を覚える。それは自身には出来なかったことだからだ。
ギ・グーが初めて王と相対した時、恐怖のあまり戦う前に膝を屈した。ギ・ザーの言葉は王の下で名誉を競う戦友であるだけでなく、尊敬に値する強者の言葉でもあった。それがギ・グーの中で不退転の覚悟を固める一押しとなる。
ギ・グーが最も対抗意識を燃やすのは、同じ4将軍のギ・ガー・ラークスである。嘗て自分が率いていた群れから離反した逸れ者達の中から出現した、王の信奉者。
その生き様を羨望し、尊敬もするが、だからといって対抗意識が消えることはない。
「俊敏なる槍は、寛容を以って人を手懐ける……か」
長き瞑目から目を開いたギ・グーからは、先程までの意気消沈した気配など微塵も感じられなかった。
「ならば、俺は恐怖の剣斧となって人間共を震え上がらせてくれる」
決断したギ・グーは早速軍議を開くと、今までの方針を転換すると宣言した。
「俺は間違っていた! 王の真似事をしても、所詮俺は王ではないのだ! 我らはゴブリンである! 奴らが魔物と呼ぶ我々の蛮夷を、思う存分発揮してやろうではないか!」
その檄に、今まで王の下で凶暴性を抑え込まれていた南方ゴブリン達が雄叫びを挙げる。ギ・グー直属のグー・ナガ、グー・ビグ、グー・タフら三兄弟も、熱気に押されるようにギ・グーの方針に賛成した。
「大兄の為に!」
「やってやる、やってやるぞぉ!」
「大兄に勝利を!」
その後、プエナ方面の戦局は一気に動き始める。
そんなギ・グー達の様子を、ギ・ザーは冷たい視線で見守っていた。
◇◆◆
反乱を起こした都市の名はヒルドア。人口2000人程度の小規模な都市だが、南方では珍しい堅固な外壁に囲まれ、外敵から身を守る兵器などが備え付けられている。冒険者などを雇い入れており、兵士の数は400程。
ギ・グーは、その都市に対して夜襲を仕掛けた。
南方特有の巨大な魔獣を使役する獣士を先頭に立て、城門を攻めると同時に夜の闇に紛れて全ての方向の壁を登り侵入を試みる。その数の多さは400人程度の冒険者では対応出来るものではなく、ヒルドアは僅か一晩で陥落することとなった。
「悪かった! 頼む、助けてくれ!」
ギ・グーは、慈悲を乞う人間達を冷たく見下ろす。
「降伏する者達を全員広場に集めよ」
ギ・グーの言葉に、代表者達は生き残った冒険者と住人全てを指定された場所へと集める。
「さあ、言われたとおりにしたぞ! これで儂等の命は……ぐぁ!?」
その先を言わせず、ギ・グーは代表者を殴りつけた。
これがゴブリンの王なら寛容を以って彼らに接し、裏切りの罪を赦す機会を与えられたかもしれない。だが、プエナ攻略を命じられたのはギ・グーであり、彼の意志に逆らってまで人間を助けようとするゴブリンは存在しなかった。
大きく息を吸い込んだギ・グーは、全てのゴブリンに対して命令する。
「殺せ! 皆殺しだ! 我らの王を裏切る人間など、生かしておく価値はない!」
ゴブリンの喚声と人間の悲鳴が交差する。
縋り付いてくる人間の脳天に戦斧を叩き込み、力を失った屍を蹴り飛ばす。女も子供も老人も、老若男女一切の容赦なくゴブリン達は住人を虐殺する。乳飲み子を抱いた母親をその乳飲み子ごと槍で串刺しにし、逃げ惑う者達の背に夥しい数の剣が突き入れられる。
動く者が居なくなったのを確認したギ・グーは、町の外へ全軍を出すと更に部下達に命じる。
「街を焼き払え! 我らを裏切った者達の末路を、人間共に見せつけるのだ!」
街を取り囲むようにゴブリンを配置し、文字通り全てを燃やし尽くす勢いで街に火をかければ、炎に撒かれて隠れていた者達が逃げ出してくる。それらを捕まえたゴブリン達はギ・グーの判断を仰ぐが、ギ・グーは更に苛烈な命令を下した。
「首を切り落とせ。但し、一人だけ生かしておけよ」
街から逃げ出した者達は100人は居た筈だった。その殆どを処刑すると、一人だけ生かしておいた男を使って馬車に首を積み込ませて走らせる。
「良いか? 街に着いたなら貴様は代表共に伝えろ。我が前に立つのなら、この街と同じ運命を辿ることになる。何人たりとも生かしてはおかぬ。貴様らが生き残る唯一の方法は我が王の威光に平伏し、許しを請うことだと。さあ、行け!」
壊れた人形のように首を振る男を送り出すと、ギ・グーは馬車を追うように次の街へ向かう。
効果は覿面であった。
プエナ周辺の諸都市は、明確にゴブリンに降伏する者と反抗する者に分かれた。ヒルドアを皮切りに周辺の3村落を殲滅すると、ゴブリンの恐怖は分かり易い形となってプエナ周辺諸都市に伝わった。
ゴブリンの軍来るとなれば、都市や村落は嫌が応でも選択を迫られる。
降伏か死か。
一方で、ギ・グーは降伏した都市や村落には寛容を貫いた。従順である限り自治権すら許し、配下のゴブリン達にも決して手出しをさせることはなかった。但し、降伏した都市村落には近隣の共同体に使いを走らせることが義務付けられた。
選択せよと。
降伏を受け入れて生きるか。それとも死ぬか。殆どは降伏を受け入れた。大抵の小都市や村落は2000ものゴブリンを撃退出来るような備えなどある筈もなく、近隣から来た使者の話を聞くに及んで命は取られないと判断しての結果であった。
ギ・グーは南方の戦場を自身の色に塗り替えていく。占領地域は瞬く間に広がり、プエナ周辺の諸都市では比較的大きなゲルレンドにまで辿り着く。
人口1万人を誇り、堅固な街壁を備えたゲルレンドはギ・グーの要求を公然と跳ね退けた。強気の理由として、ゲルレンドはプエナの長老衆を形成する有力者の出身都市であり、プエナの援軍を期待出来る立場にあったこと。更にはゴブリンの襲撃に怯えた各村落の難民が街に流れ込み、兵士に不足していなかったことなどが挙げられる。
一般的なゴブリンの背丈の3倍近くもある街壁は侵攻を阻み、その上を警備する兵士の数と蓄えた武器に物を言わせて攻め寄せるゴブリンの軍勢を二度退けることに成功する。
夜陰に紛れて攻め寄せるゴブリンを撃退したことからも、街の抵抗が必死なものだったことは確かだ。負ければ死あるのみである。ギ・グーの示した苛烈なやり方は降伏する者達を大量に生み出す一方で、一度抵抗を示せば決して許されないことも明白に物語っていた。
故に敵の必死の抵抗を呼ぶことになる。
連日連夜の戦いによって二度ゴブリンの大軍を退けたゲルレンドだったが、三度目の攻撃は熾烈を極めた。2000以上のゴブリンを無駄なく有機的に攻めさせるギ・グーの手腕は他の3将軍よりも確かであり、長らく大軍を指揮してきたギ・グーの本領を存分に発揮させた。
例えばゴブリンの王が戦巧者と褒め讃えたギルミに、単独で2000のゴブリンを手足の如く操れるかと問えば否と答えるだろう。確かにギルミは2000近い混成軍を率いたが、それは各種族の中心となる者達が協力したからこそ可能なことだった。
だが、ギ・グーは違う。2000を越えるゴブリン達を、己の意志一つで冷徹な虐殺者にも勇敢な戦士にも変えて見せる。その抜きん出た統率力は王に次ぐものであった。
3度目の攻撃で、ギ・グーはゲルレンドを陥落させることに成功する。
住人を皆殺しにしようとしたギ・グーを止めたのは、意外にもギ・ザー・ザークエンドだった。
「何故止める? ギ・ザー殿、まさかとは思うが人間に情けを掛けるつもりか?」
ギ・グーの疑問に、ギ・ザーは目を細めて人間の捕虜達に冷たい視線を注ぐ。
「我が忠誠は、常に王に捧げられる。王の不得意な要素を補ってこそ臣下というものだ」
「それは……勿論だが」
「我が王には非情さが足りぬ。尤も、だからこそ他種族を惹きつけるのかもしれんがな。王が寛容と甘さを持ち合わせるのなら、非情と厳しさを補って仕えるのが我が務めだ」
「……成程。それで、この人間共を殺さぬ理由を聞かせてもらっても?」
「先ず敵の数が多い。捕虜を一々殺していたのでは時間を取られる。プエナから援軍が来るのだろう?」
「だからと言って、放置は出来ぬ」
「その通りだ。故に人間の情を利用し、奴らを我らの為の駒に仕立て上げよう」
瞳に冷酷な光を湛えるギ・ザーは、ギ・グーに非情の策を提案する。
「……面白い。流石はギ・ザー殿だ」
広場に集められた人間達の内、家族が居る男は奴隷兵とされ、家族が居ない者達は首を撥ねられた。更に奴隷兵となった者達には槍が一振り与えられ、街壁の外に出されることとなった。
「喜べ。貴様らに機会を与えてやろう」
ギ・グーの出した条件は、過酷極まるものだった。
壁の外に出された男達は、家族を人質に取られプエナからの援軍と戦わされる。二度の戦で生き延びることが出来たなら家族を解放するというギ・グーの宣言に、人間達は従うことしか出来なかった。
翌々日、ゲルレンドの救援の為にプエナから派遣された援軍に襲い掛かったのは、家族を人質に取られたゲルレンドの男達だった。
「な、なにをするんだ!? 俺達は援軍だぞ!?」
混乱するプエナの援軍だったが、訓練を受けた兵士と真面に訓練を受けたこともない民が戦うのだから、当然プエナ側が勝利を収める。だが、それを待っていたかのようにゲルレンドの街からギ・グー率いる斧と剣の旗を掲げたゴブリン軍が出撃した。
「くそっ! ここに来てゴブリン共だと!?」
既にプエナの援軍は陣形も何もあったものではなかった。戦奴隷達を討ち破る為に混戦状態に陥っていたのだ。そこに敵も味方も殺し尽くす勢いでギ・グー・ベルベナの軍勢が殺到したのだから、たまったものではない。
プエナの援軍は半壊しながらも撤退。生き残ったゲルレンドの男達は引き続き戦奴隷として最前線で戦わされる。この勝利は、周辺の情勢に決定的な影響を及ぼした。
プエナの援軍がゴブリンの軍に完膚なきまでに敗れたという情報は凄まじい速度で周辺地域へ伝播し、雪崩を打つようにギ・グーの支配地域は増加していく。プエナの衛星都市すら降伏させたギ・グーの率いる軍は戦奴隷を含めて3000にまでその数を増やし、進軍を続ける。
「例え外道と罵られようと我が忠誠が揺らぐことはない! 我らが王よ! プエナを血祭りに上げ、その尽くを御身の足元に平伏させてみせましょうぞ!」
ギ・グーの猛進は続くことになる。残すは交易国家プエナのみ。
こうしてプエナの住人達の目に、恐怖の代名詞として斧と剣の戦旗が否が応でも映ることになる。
降伏か、死か。
非情な選択を迫る血濡られたフェルドゥークの戦旗は、砂漠を渡る風に不気味にたなびいていた。