表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
271/371

幕間◇狂刃乱舞

 ゴブリン達が赤の王を撃破し、クシャイン教徒と改めて同盟を結んだ頃、東部でも血で血を洗う抗争に決着が着こうとしていた。

 赫月の盟主たる狂刃のヴィネ率いる反赤の王勢力が、赤の王の残党を追い詰めていたのだ。

「回り込みな」

 時刻は深夜を回る頃。黒いローブに身を包んだヴィネ率いる反赤の王勢力は、選りすぐりの精鋭で赤の王の拠点へ奇襲を掛けようとしていた。頭上に流れる雲の速さから、今夜は雨になりそうだった

 総勢40人。各血盟から選りすぐった人員は月光さえ差し込まぬ路地裏を歩き、影さえ踏まぬようにして赤の王の拠点へ迫った。一等地とは呼べなくとも、昼となれば市場を形成する商店の密集する二等区域。平民が多く暮らし、普段は平和な住宅地に赤の王の拠点である酒場がある。

「包囲、良し」

 酒場から漏れる喧騒と明かりに目を細めると、フードで隠されたその奥で彼女は笑う。それは凶悪な肉食獣が獲物に狙いを定めた時の笑みだった。

 ヴィネは宿の扉を開ける。

「邪魔するよ!」

 酒場に併設しているのだろうか、彼女の入った酒場の二階は安宿のようだった。店内を見渡せば、先程までの喧騒から打って変わって静まり返る店内。その中にはゴロツキ紛いの冒険者や、かなりの遣い手と思しき女剣士、仕事を終えたばかりの狩人などが見える。

 決してヴィネの声が大きい訳ではなかったが、彼女が入ってきた瞬間、その場の空気が一変したのだ。命を懸けた仕事をしている冒険者達は、張り詰めた空気を敏感に感じ取って誰ともなく無言になり、それに釣られて酌婦達も何事かと辺りを見渡す。

「ちょいと探しものをしてるんだ……」

 ヴィネは静まり返った店内に聞こえるように声を上げ、店内の全員を見渡せるように、ゆっくりとフードを取る。

「てめえ、狂刃の──」

「──シャアァ!!」

 間近にいたゴロツキ風の冒険者が声を上げると同時にヴィネのローブの前が開かれ、腰に差した曲刀が鞘走る。フードに隠れていた長い黒髪が舞い、抜かれた曲刀がゴロツキの首を刎ね飛ばして血飛沫を上げさせる。

「みぃつけたぁ!」

 返り血を浴びながら壮絶に笑うヴィネ。次いで店内に悲鳴が響き渡る。

 逃げようとする客と、ヴィネを狙い討とうとする赤の王の血盟員達との喧騒が一気に店内に広がる。

「死ね、狂刃!」

「あっはっはっははは!」

 罵声と共に向かってくる冒険者。ヴィネは笑いながら抜き打ちの一太刀で両腕を飛ばし、返す刀で首を刎ねる。

「どいつもこいつも、さっさと死ね!」

 向かってくる敵にも逃げる者にも一切の容赦も慈悲も与えず、己の曲刀の間合いに入る者全てを殺していくヴィネ。スリットの入ったスカートから覗く蜂蜜色の足に、返り血が緋牡丹の紋様を描く。美しさと凶悪さが際立つ顔には、嗜虐の笑みが浮かぶ。

 全身を血に濡らし、凶刃が死を運ぶ。

 熟練の冒険者も、何も知らぬ娼婦も、駆け出しの若者も、暗殺者も、狩人も。一切の区別無く凶刃が彼らの命を奪い去っていく。

 屍の数が20を超えた頃に、手練の女剣士が立ち塞がる。

「事情は知らぬが、これ以上の悪行は見るに耐えぬ」

「あァ? 事情を知らねえならケツまくって逃げな。邪魔する奴は皆殺しだ」

 顔にかかった返り血を赤い舌で舐め取ると、腰だめに構えて細い曲刀を鞘に納める。対して、女剣士は肉厚の長剣を青眼に構える。

「……正義の為に、その悪行、止めさせていただく!」

「吠えんなよ、犬っころ! てめえの正義を語るなら、剣で語んな!」

 対峙は一瞬、肉厚の長剣でもって抜き打ちのヴィネの細い曲刀を止めに動いた女剣士は、流れるように抜き放たれた曲刀が己の長剣とぶつかるのを見て、勝利を確信した。

 お互いの剣の速度はほぼ同じ。ならば細身の剣が折れるのは道理と判断した女剣士の思考は、直後に裏切られることになる。

 しかし、彼女も手練の剣士である。曲刀をへし折った手応えが無いことに気付くや、即座に身を捩る。

 ヴィネの細い曲刀が女剣士の長剣を斬り裂き、抜き打たれたのだ。

「くっ!」

 間一髪、女剣士の肩に恐ろしく鋭い切り傷が一閃。そのまま地面に体を投げ出し、椅子やテーブルを巻き込んで倒れ込む。

 ヴィネは舌打ちをしつつ後ろを振り返ると、隙を突こうと狙っていた暗殺者に向き直る。

「っ!?」

「甘ェ!」

 袈裟に振り抜いた曲刀が驚愕の表情を浮かべた暗殺者を斬り裂く。屍を蹴り飛ばし、腰を抜かしていた赤の王の血盟員に陶然とした表情で言葉を掛けた。

「良いのか〜い? 逃げなくてェ……。あたしの間合いに入る奴は、誰であろうと殺しちまうぜェ?」

 そう言ってゆっくりと一歩ずつ歩む彼女は、突如舞い降りた美しき死神に違いなかった。

「ひ、ひっやぁああああ!?」

 悲鳴を上げて逃げる冒険者を見送ると、二階を睨む。外に出た瞬間、周囲を取り囲んだ冒険者に嬲り殺しにされるのだ。ここで一太刀に彼女に殺されるのと、どちらが幸福なのか? 比べるべくもない。

「さぁて、本命はどこかなァ?」

 悪魔すら裸足で逃げ出す笑みを浮かべ、ヴィネは軋む階段を上がっていく。部屋は3つ。一番手前の扉の前に立つと、ヴィネは益々笑みを深くして腰だめに構える。

 抜き放たれた曲刀の煌きが、銀の線となって扉を切り刻む。

「かっ、く、そ」

 その扉の後ろで息を潜めていた冒険者ごとだ。血飛沫を上げて彼女の目の前に倒れ込む冒険者を邪魔だとばかりに蹴り飛ばし、彼女は部屋の中を伺う。既に曲刀は鞘に納められ、いつでも抜き打てる状態だった。

「ひ、や、やめて……! 殺さないで!」

 部屋の中に居たのは、シーツで体を隠した裸の少女だった。

「なぁんだ……。ハズレかぁ」

 少女の目の前に来たヴィネが、見下ろしながら質問する。

「おい、ここにいる奴はこれで全部か?」

「知らない、知らないの……! お願い、殺さないで……!」

 目に涙を滲ませて震える少女の姿に舌打ちして、ヴィネは少女に背を向ける。

「ちっ……失せな」

 ヴィネが背中を見せた瞬間、音もなく少女が立ち上がり、シーツの裏側に隠していたナイフで彼女を突き刺す。

「油断し過ぎよ! ヴィネ!」

 否。突き刺そうとして、少女は突き出したナイフの先にヴィネの背中が無いことに気付いた。

「油断? 違う違う。これはねェ、余裕って言うんだよ」

 その声は少女の真下から聞こえた。膝を折り曲げ、しゃがんだ状態からヴィネは腰の凶刃に手を添える。口元が嗜虐に歪み、一瞬後には少女の首が宙を飛んでいた。

 部屋から出ると、残り2つの部屋を伺う。

 ぎしり、と彼女が歩む音が2階に響く。それはまるで、処刑の時間を正確に測る時計の音に似ていた。軋む床の音が、2つ目の部屋の扉の前で立ち止まる。

「うわああああ!」

 一瞬の間の後、2つ目の部屋から飛び出してきたのは若い男。

「こいつ、だったかなぁ?」

 曲刀がナイフを握っていた手を斬り飛ばし、若者は激痛にのたうちながら地面を転がる。それを見下ろすヴィネは、一度頭を蹴り飛ばしてから踏みつける。

「が、うぅ……」

 鼻の潰れる感触を無視しながら、ヴィネは人相を改める。

「てめえ、会計士のリュスタだな?」

「ひ、ひぃ、ばび」

「抵抗したら殺す、許可無く口を開いても殺す、あたしの癇に障ったら殺す。いいな?」

 無言で何度も頷くリュスタを立たせると、ヴィネは二階を後にする。

 1階で待っていた他の反赤の王勢力の冒険者にリュスタを引き渡すと、宿に油を撒いていく。

「ま、まて」

 見ると、先程仕留め損ねた手練の女剣士が傷口を抑えながら立ち上がっていた。

「何故こんな真似を? お前には人の心が無いのか?」

「何故だってぇ? く、ふふっ、くひひはっははは!!」

 酷く面白い冗談を聞いたように、ヴィネは腹を捩らせて笑う。

「そりゃあ、あんた。正義だよ。正義の為さ」

 ヴィネの瞳に映るのは妄執の暗い炎。

「正義、だと? 馬鹿な、こんなものが……」

正義は苛烈なるべしフィス・ディアード・ヘル。生温い正義なんてのはなァ、それを行えない弱者の汚濁に塗れたもんでしかねえのさ」

「誰がこんな正義を赦すというのだ、こんな……」

 剣士の視線の先には屍の山がある。無念の表情から、彼らの怨念すら感じられる。だが、ヴィネはそんな屍達を見下ろし、胸を張って答えた。

「あたしさ! 誰でもない、このあたしが赦す! あたしが気に喰わない奴が息をしていることが悪だ!」

「ヴィネ、衛士がこっちに向かってる! 引き上げるぞ!」

 撤退を報せる冒険者の声に、ヴィネは悪魔の顔で剣士に微笑んだ。

「あんたは正義ってもんを知らねえのさ」

「っ、私が知らないだけだと……?」

「そう、なぁんにも知らない。ねえ、お嬢ちゃん。本当の正義の在処、知りたくはないかい?」

 ヴィネは、あれだけの殺戮をしたとは思えない妖艶な微笑みを浮かべる。女剣士は、まるでその微笑みに魅入られたかのように虚ろな瞳で屍達の間を抜ける。

 彼女の様子は夢遊病患者のようであった。

「私は……」

「さあ、おいで。あんたが正義を知りたいと望むなら、このあたしが見せてあげようじゃないか?」

 呆然と呟く声を残し、彼女達は再び闇の向こうへ歩き出す。

 轟々と燃え盛る赤の王の拠点を残して。


◇◆◆


 降りしきる雨。少国家群の中程に位置する鉄の国エルファにある、東部での赤の王の最後の拠点ハリアンセ。そこは古い砦をまるまる一つ改修して作られていた。

 収容人数は400人程と決して大きくはない砦だが、赤の王が戦争を続けていく中で必要な資材を貯蓄するにはもってこいの場所だった。今、砦の中にはシュンライを含む200人程が詰めている。

 普段は敵を求めて街を徘徊しているシュンライだったが、攫われていた会計士リュスタが戻ったとの報告を受けてハリアンセに戻って来ていた。

「で、あの女はどこにいる?」

 戻ったリュスタは瀕死だった。碌に手当もされなかったらしく、斬られた腕は化膿している。高熱に魘されながらも、何とかこの砦に辿り着いたのだ。

 そのリュスタに向かって、シュンライは常と変わらぬ様子で問いかける。

「……ぁ、あ」

「そうだ。狂刃のヴィネだ」

「あ、あぁ、ひぃいやぃいぃやあああ!!」

 ヴィネの名前を聞いた途端、悲鳴を上げて転げ回るリュスタを他の血盟員達が取り押さえる。暫く錯乱していたリュスタは、突然虚ろな瞳で宙を見たかと思うと白目を剥いて痙攣し、静かになる。心の臓が止まっていた。

「……死にました」

 部下の声を尻目に、シュンライは外を見た。

 曇天は火の神(ロドゥ)の胴体を退け、雷鳴が辺りに響く。襲撃には絶好の天気だ。僅かに聞こえた悲鳴が、シュンライに襲撃を教えた。

「来るぞ。配置に着け!」

「はっ!」

 素早く部屋を出て湾曲刀を掴み取り、未だ雨の降り止まぬ外へと駆け出す。果たしてそこには、雨除けのローブを着込み、フードで顔を隠した襲撃者の姿。

 姿など見なくとも、放たれる殺気の凄まじさで、シュンライにはそれが誰だか分かる。

「ヴィネェエェ!」

 一気に駆け出すシュンライの視界を覆うように、ヴィネがローブを投げ付ける。同時に腰だめの構えから抜き放たれる斬撃。投げつけられたローブを避けようともせず、シュンライはそのまま突進。抜き放たれる曲刀の軌道など、何度も剣を交えている内に既に織り込み済みだった。

「シャアァア!!」

 気迫の声と共に、鞘走る曲刀が雨粒さえも切り裂いてシュンライに迫る。踏み出す一歩とほぼ同時、抜き打たれる剣は更なる加速を産んで鋼と鋼が衝突する。初撃で詰まった距離から踏み込んで、更に追撃の一撃。互いに弾かれた白刃同士が、相手の生命を奪い去ろうと凶暴に牙を剥く。

 得物が衝突。散る火花に、体は離れる。

 溜まった雨水を跳ね飛ばして地面に足を付くと同時、先程斬り裂かれたローブが地面につくよりも早く、二人は三撃目を繰り出す。

「りゃああぁあ!!」

「クソがぁァ!!」

 シュンライの気迫とヴィネの気迫がぶつかり合う。互いの全身全霊を一撃に込める斬り合いは、当たれば一撃で勝負が決するであろうことを容易に想像させる。

 二撃目の衝突で下段に下がった剣に逆らわず、そのまま逆袈裟にヴィネの凶刃が奔る。片腕で振り抜かれたその剣を、態勢を崩しながらも仰け反るように避けるシュンライ。彼は崩れた態勢から背を向けるように回転。

 凶悪な腕力に任せて繰り出される一撃は、ヴィネの剣の更に下から彼女の右腕を狙う。剣を持ったままでは避けきれないと判断したヴィネは咄嗟の判断で得物を離し、曲刀と手の間を湾曲刀が通り抜ける。すぐさま僅かに腕を伸ばして曲刀の柄を指先で掴み直し、未だ振り切った姿勢のままのシュンライ目掛けて、逆手で持ち直した曲刀で叩き落とすように刺突。

「ぐっ!?」

「かっ!?」

 下がれば反撃を喰らうと判断したシュンライが、即座に防御を捨てて体ごとヴィネにぶつかる。背中を浅く斬られたが、命を失うよりは余程良い。脇に入り込まれたヴィネは仕損じたのを悟るや、迅速にその距離からの離脱を図る。

 自身の腕に隠れて相手が見えないヴィネに対して、シュンライは斬りつければどこにでも当たる。即座に飛び退くヴィネとの距離を測るように跳躍。シュンライの重い斬撃がヴィネの大腿部を切り裂く。

 散った血飛沫が雨粒に叩き落とされ、彼女の蜂蜜色の肌を伝う。

 致命傷に至らなかったのは、ヴィネの振るった曲刀がシュンライの首筋を掠めた為だ。一歩踏み込めなかった分だけ斬撃が浅くなった。

 雨の中僅かに距離を取った二人が、浅く息を吐き出す。普通、これだけ全力で動けば体温は上がり、吐き出す息は白くなるものだが、二人の吐く息に白は混じらない。吐く息の深さで相手に仕掛ける機会を悟らせない為の工夫である。

 どん、と衝撃音が砦から鳴り響く。

 それを合図に、二人が再び動く。納刀する暇を与えられなかったヴィネの曲刀が、最速の軌道を通ってシュンライの首を薙ぎに往く。シュンライも狙いは同じ。二人の動き出しは同時だったが、僅かにヴィネが劣る。足を傷付けられたヴィネでは、最速の軌道を描く剣速といえども、先程より明らかに威力が落ちていた。

 それを一瞬にして見抜いたシュンライは、曲刀を受け止めるやそのまま刃を滑らせて接近戦へと持ち込む。その距離を嫌うのはヴィネだ。男と女には歴然とした筋肉量の差が存在する。鍔迫り合いに持ち込まれては勝ち目は薄い。更に足の怪我が踏ん張る力を削ぐ。

「ッチ!」

 舌打ちをして体を逃がす。横に飛びざま、振るわれたシュンライの剣から逃れるように曲刀を振るうが、虚しく雨粒を斬るだけ。着地と同時に身構えるが、シュンライの追撃は止まらない。態勢を立て直す暇を与えず、湾曲刀を最大限に活かす縦一文字の豪快な一撃がヴィネを襲う。

 肩に担ぐような構えから、背、肩、腕と、あらゆる筋肉を総動員した必殺の一撃は振り下ろされる雷槌のようであった。落ちてくる雨粒を追い越して跳ね飛ばし、ヴィネに向かって振り下ろされる一撃。

 対抗策を講ずる暇も与えられず、ヴィネは後ろに飛び退くことしか出来ない。シュンライの放った一撃は地面を割り、その下にあった岩をも砕いた。破片が降り注ぎ、あまりの衝撃に軽く態勢を崩したヴィネは後ろに転がると同時に、四肢を地面に付き獣のような体勢で相手の出方を伺う。

 だがそれも一瞬、黒く長い髪が雨に濡れて地面へと付くのも構わず、彼女は即座に反撃の為に前に出る。降り注ぐ雨を跳ね除け、地面すれすれに曲刀を引き摺るように走る。

「しぃねぇぇぇ!」

「はっ!」

 激怒と共に獣の如く走るヴィネに、シュンライは冷静に対処した。元々膂力では彼に分がある。あの奇妙な抜刀の技さえ使わせなければ、十分に勝機はあると彼は踏んだ。水飛沫を巻き上げて下段から斬り上げられる曲刀を冷静に防ぐ。

 力任せに近い攻撃は、当然隙も大きくなる。シュンライがそれを見逃す筈がない。防いだ刃をそのままに、押し切るようにヴィネの首を刎ねるべく湾曲刀を振るう。

 咄嗟に屈んだヴィネの頭上を湾曲刀が通り過ぎる。跳ねたヴィネの長い黒髪ごと断ち切った湾曲刀が、目にも留まらぬ速さで避けたヴィネに襲い掛かる。何とか曲刀を盾にして防ぐが、衝撃までは殺しきれずヴィネは吹き飛ばされる。

 吹き飛ばされた空中で態勢を立て直し、地面に着地しようとした彼女の目の前に追撃の湾曲刀が迫っていた。罵声を浴びせる暇もなく更に曲刀で防御。振り下ろされる湾曲刀の力を逸らすように、片手だけで擦り上げる。

 だが、その攻防でシュンライは更に上をいった。軌道を逸らされることまで計算ずくで打ち下ろした湾曲刀を手放し、驚愕に目を見開くヴィネに向かって蹴りを放つ。空中で逃げ場のない彼女は、その一撃を真面に喰らう。肋骨の幾つかが嫌な音を立てて折れるのを聞きながら、ヴィネはそのまま泥中を転がった。

 吐瀉物を吐き出し口元を乱暴に拭うと、顔に張り付いた黒髪も払い除けずに、ヴィネはシュンライを睨んだ。

「……野郎!」

「往くぞ」

 手放した湾曲刀を担ぎ直し、シュンライが構えを取る。

 一瞬の対峙の後、再び間合いを詰める。肋を蹴り抜かれたヴィネの吐き出す息には白いものが交じる。対して、シュンライは平然としたままだった。僅かに距離を詰めた先で、ヴィネは自らの得物を納刀し、姿勢を低くして走り出す。

「その技は、最早通じぬ!」

 最初こそ見慣れぬ剣技に驚愕したシュンライだったが、幾度も剣を交える内に、ヴィネの抜刀の軌道は殆ど見切っていた。更にヴィネの曲刀の寸法までも、ほぼ把握していると言って良い。

 抜いた剣を弾いて、致死の一撃を叩き込むと決断する。瞬き1つ分の時間すらいらなかった。

 鞘走るヴィネの曲刀が、シュンライの湾曲刀とぶつかる。右から左、振り抜かれる曲刀の軌道上に合わせるように湾曲刀を振り抜いたが、シュンライは合わせた手応えに、即座に己の失敗を悟った。

 ヴィネの細い曲刀がシュンライの白刃に食い込む。

「貴様、これが目的か!?」

 半ばまで食い込んだ曲刀が湾曲刀を断ち切る。だが、シュンライも並外れた剣士である。断ち切られつつあった剣を捨てると、詰まった間合いを更に縮めてヴィネの脇腹に蹴りを繰り出す。

 くの字に折れ曲がるヴィネの体の上から、更に背骨に向けて肘を落とす。膝が落ちるヴィネに再び強烈な蹴りを叩き込み、腕の骨を粉砕すると同時に剣を弾き飛ばす。ヴィネが最後の力を振り絞って間合いから脱出するが、その手には既に曲刀は無く、右腕はだらりと垂れ下がっている。

 立っているのが不思議な程の重傷を負い、荒い息を吐きながらも、ヴィネは飛んだ先にあったシュンライの湾曲刀を拾う。

「己の得物でないのは不本意だが……。貴様の死が貴様自身の剣によって齎されるとは、狂刃の名に相応しい最後であろう」

「……死ぬのは、てめえだ!」

 痛みと疲労を憤怒で押し潰し、ヴィネは吠える。互いの得物を持ち替えて、剣に狂える二人は再び前に出た。今までで最高速の踏み込み。降り頻る雨粒さえ止まって見える程の集中力で振るわれた刃は、射程が短い分ヴィネの方が僅かに速い。

 それを見て取ったシュンライが、曲刀の軌道を僅かに修正する。

 雨粒を弾く衝撃を以って二つの得物が再びぶつかり、円を描いて離れる。常ならば退く筈のヴィネは、そのままその場に踏み留まる。半ばまでしかない湾曲刀を強引に担ぐと、片腕でその重量を無理矢理振るう。

 その様を見たシュンライは勝利を確信した。剣術の勝負とは理詰めの部分が多い。一撃で決着が付くなら兎も角、シュンライとヴィネのように実力が拮抗し連撃を繰り出さねばならない相手に対して、自らの態勢を崩すような強引な一撃は命取りである。

 この一撃を防いでしまえば、次の一撃を直ぐに繰り出せない。そのような攻撃は余裕が無い証拠である。この一撃で勝負を決めなければ次が無いと自ら宣言しているようなものだった。

 極限の集中力を要する剣術勝負において、人は時折、その極限状態に耐え切れずに無謀な攻撃を行うことがある。

 そしてシュンライは、そのツケを常に命という形で相手に支払わせてきた。

 況して相手の持つ剣は、半ばまでしか無いとはいえ自身が両手で扱う重量級の刃である。ヴィネの細腕では振るうことすら難しい筈だ。

 一撃を防げば勝負が決まる。追撃でヴィネの命は終わる。

 シュンライの判断は妥当なものだったし、剣士として当然の帰結だった。

 ヴィネの振り下ろす刃を、曲刀の腹で受ける。

 シュンライの口元が歪む。目の前の女は、今まで死合った中で紛れも無く一、二を争う程の極上の相手だった。ブランディカ亡き今、彼の心を埋めるのは闘争しかない。そういう意味で、目の前の女は最高の相手だった。だが、それもこれで終わる。その生命を摘み取る快感を予想し、刃と刃がぶつかる瞬間を見つめる。だが次の瞬間、硬質な音と共に自身が握る曲刀が砕け、唐突にその想像は終わりを告げた。

「……馬鹿な」

 肩から胸にかけて食い込んだ自身の湾曲刀の刃を見つめながら、崩れ落ちるように膝を付く。勝負に偶然など無いと考えるシュンライは、死に行く間際の刹那さえ剣の道の探求に思考を割いていた。

 何故、敗れたのか?

 いや、もっと言えば何故ヴィネの曲刀が破壊されたのか? 強度が限界だったのか? いや、それにしては刀身に大きな傷は無かった筈だ。自身が見逃していた? そう考えて即座に否定する。敵の得物とはいえ、仮にも己の命を預ける武器だ。そんなことは有り得ない。

 僅かな間さえ、見極めは完璧だった。そもそも強度の問題であったなら湾曲刀に食い込ませることすら出来ない筈である。

 では、技量か?

 ヴィネとシュンライの間に、それ程技量の差があったとは思えない。彼は目の前に立つ女を見る。その惨状だけ見れば、シュンライよりもヴィネの方が余程重傷である。

 これも否だ。技量に差があるのなら、ここまで傷を負う筈がない。

「何故だ?」

 それは心からの疑問。剣に生き、剣に狂った男の、死に行く前の最後の問いだった。

「冥府の女神様への土産だ。教えといてやるよ。あたしは剣士じゃねえ」

 一瞬、血を流し過ぎたシュンライにはヴィネの言葉が理解できなかった。その顔があまりにも面白かったのか、ヴィネが口元を邪悪に歪ませながら半ばから破壊された自らの曲刀を手にする。

 切れ味などある筈のない曲刀を腰だめに構えると、肋を折られているとは思えない見事な踏み込みから振るわれる曲刀が、シュンライの首を刎ねる。

「あたしは付与術師だ。魔女なんだよ、バァ〜カ」 

 胴から離れた首でヴィネの言葉を聞いたシュンライは、最後に僅かに笑った。

 成程、騙されたと。



◆◆◆◆◆◆◆◆


【個体名】ヴィネ・アーシュレイ

【種族】人間

【レベル】90

【職業】凄腕冒険者・盟主・剣閃の魔女

【保有スキル】《剣技A+》《格闘B+》《血狂い》《魔流操作》《毒蛇の魔眼》《剣舞刃》《千鬼殺し》《人斬り》《斬鉄》《付与魔術・剣》《魔女の舌》

【加護】剣神・冥府の女神

【属性】闇・死


《毒蛇の魔眼》──弱っている相手を的確に見極める。弱点の発見率上昇(中)

《剣舞刃》──感情に左右されず、剣筋が乱れることがない。

《魔女の舌》──弱っている相手の心に付け込んで誘惑することで魅了発動。加護・属性・種族に関係無く魅了効果(中〜大) 魅了成功時、対象者を自身の支配下に置くことが可能。成功率(低〜中)

《付与魔術・剣》──剣にのみ作用。斬撃強化(大)、強度向上(大)


【個体名】シュンライ

【種族】人間

【レベル】91

【職業】凄腕冒険者

【保有スキル】《剣技A+》《格闘A-》《血狂い》《千鬼殺し》《剣魔無刃》《人斬り》《先見》《剛剣》《武錬の結界》

【加護】剣神

【属性】なし


《剣魔無刃》──剣術と格闘術を並行して使うことにより、それぞれの補正効果が一段階上昇。

《先見》──相手の行動を先読みする。成功率(低)

《剛剣》──振るう剣の威力に補正(中)


◆◆◆◆◆◆◆◆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ