王と王
ゴブリンの王とブランディカが対峙したのを、プエルは確かに見えていた。
「……そう。人の王たるブランディカは、決して逃げられはしない。全て貴方の為に整えた舞台だもの」
口の端を歪めて笑うプエルは、遠目に見える彼らを見つめていた。
カーリオンの策による追撃の軍勢を見たプエルの脳裡を駆け巡ったのは、ブランディカを殺す為の策だった。ゴブリンの王の力を持ってすれば、如何に重厚な布陣を敷こうと正面からの突破は可能である。
有力な部下を殺され、全力を振り絞った遠征においての後退など許される筈がない。しかも盤石の布陣を正面から突破されるなど、言語道断である。
彼女にしてみれば、ゴブリンの王が唱える覇道も、ブランディカに率いられた5万の大軍も、全ては己の復讐の為の手駒に過ぎない。
誰がどれだけ死のうとも、ブランディカさえ殺せればこの策は成功なのだ。
彼女は静かに狂笑する。
正確には、彼女はブランディカが逃げるのを防止する為に5万もの兵士を人質に取り、ゴブリンに殺させたのだ。そして今、そのブランディカの喉元にゴブリンの王が刃を突き付けている
「トゥーリ……リュターニュ……私はッ」
見上げるばかりの青い空が、彼女の視界に広がっている。
彼女は自身の命すらも策の内に織り込んでいた。本来ならメルギオンの砦の前で追い付かれて敵に殺される筈だったのだ。突然の豪雨でそれどころではなくなってしまったが、復讐の女神の加護を受けたとはいえ壮絶な覚悟であった。
「いいえ、いいえ。未だよ……未だあいつらは生きている。息をして、武器を手にしている」
目の端に涙を浮かべ、狂気の笑みを浮かべた軍師は自身の感情を殺す。
「ふ、ふふ……! さぁ、ブランディカ。人の王たる者よ。貴方の矜持が貴方を殺す。いいえ、殺すのは私の意志……! ふふふ。貴方と貴方の軍勢に、死を与えましょう」
プエルは弓を手にすると、近くに置いてあった松明で鏃の先に油を塗った矢に火を灯す。
引き絞った弦から風を鳴らして矢を放つ。
その火矢は、戦場から遠く離れた場所からでも良く見えた。
「出陣、出陣!」
戦場と想定されていた地域から更に人の足で半日程離れた地点では、亜人達がその能力を遺憾なく発揮し、出撃の機会を窺っていた。
「合図かのう?」
長尾の一族を率いる双頭二尾のタニタが、忙しなく一匹の巨大な蟻と話し込むファンファンを見る。
「ファンファンの目に間違いはない」
「私も確認したわ」
翼在る者の一番翼ユーシカも、白い羽を優美に広げて同調する。
「ふむ。では、行くとするか」
彼の後ろに控えるのは、暗黒の森の水辺に住み暮らす長尾の眷属たるリザードマンの戦士300とラットマン200。それぞれに武装した彼らは、タニタを尊敬の眼差しで見つめる。
「人馬の野郎どもだけに良い格好はさせられねえぜ」
牙の一族を率いる暴虐のミドが軽口を叩く。
「お主は灰色狼の方が心配なのじゃろうが」
甲羅の一族を率いる苔生した甲羅のルージャーが、使役する魔獣達を立ち上がらせる。
「う、うるせえよ!」
「ファンファンは知っているぞ。ミドは王様にシンシアを取られて悔しいのだな」
円らな瞳で見上げてくるファンファンの言葉に、ミドがたじろぐ。
「んなわけねえだろうがっ! 俺は先に行くからなッ!」
肩を怒らせて歩むミドに、それぞれが苦笑して出発する。
プエルの放った第3の矢は、戦場の外から赤の王を狙い撃とうとしていた。
◇◆◇
幾千幾万の敵兵を越え、ゴブリンの王はそこに立っていた。
人の王と称するブランディカの眼前には近衛兵が王を守るべく槍を構え、幕僚達までもが手に手に武器を持って臨戦体勢を取っている。だがしかし、それは既にゴブリンの王の目には映っていない。
それはブランディカも同様だった。
雲海の如き兵馬の波を抜けて己の前に立ったゴブリン。
満身を返り血に濡らし、両腕の大剣は幾百の人馬を葬って来た重厚感を感じさせる。高熱でも纏っているのか、朝靄が晴れた空気の中で全身から白煙が立ち昇っていた。
いや、既にゴブリンと呼んで良いのかも躊躇われる。暴力と破壊の化身が、魔物の姿を借りて己の前に存在しているかのようだ。騎乗した魔獣が不機嫌そうに鼻を鳴らし、蹄で土を蹴る。
ただそれだけで、己の周囲の者達が動揺するのが手に取るように判る。
南方を制覇した筈の己の軍がである。怒りと共に、ブランディカはどこか清々しさも感じていた。
目の前に居るのは、本物の化け物である。
比喩ではない。その武威に人は震え上がり、恐れ戦く。その力は山を穿ち世を覆す。自身を守るべき兵馬は、その威風に圧され敗北に頭を垂れようとしている。
だが、だからこそ自身が試されていると思えるのだ。
目の前に存在する雄大な山の如き壁。
口元に浮かぶ笑みを抑えきれない。冒険者という命知らずは、どこか平和を祈念する者達とは一線を画してしまうものなのかもしれない。
ブランディカは安寧と平穏の内に玉座で死ぬ未来など求めていない。血沸き肉踊る戦でこそ、生の実感を得られる。
カーリオンの死に顔に後悔の影は見出だせなかった。カーリオンは己の生き方を全うしたのだ。ならばブランディカとて、己の生き方を曲げる訳にはいかない。
「退け。てめえら」
自身を守る兵士達に語りかけると、ブランディカは駒を進める。目の前の化け物は、間違いなく魔物達の王なのだろう。
死地にこそ真価を発揮する王の器。
同じく王を名乗る者の矜持に懸けて、ブランディカは負けるつもりなど無かった。
「俺は、王だ。アティベル国王ブランディカ」
驚きに目を見開く近衛達の間を抜けて歩みを進めたブランディカは、両刃の長柄斧の石突きを地面に突き立てて堂々と名乗りを上げる。
「名を名乗れ。魔物よ」
化け物の鮮血の如き赤い瞳が、ブランディカを見据える。
「我は、王。人ならざる者を束ねし王である」
両の大剣を仕舞うと、背中から巨人の守護剣を抜くゴブリンの王。
「ふん……。王と王との戦いである! 余計な手出しは無用!」
重厚なバルディッシュを一閃すると、戦場の露を払う。
両者の沸き立つ胸の内にあるのは歓喜か、それとも狂気か。
「グルゥウオオオォオアアァアアア──!!」
「ウオォオオォオオオオォオ──!!」
王達の戦いが幕を上げた。
◇◇◆
王の戦いを支える為、ゴブリン達は奮闘する。だが、それでも数の差は圧倒的である。倒しても倒しても、地面から湧き出してくるのではないかと錯覚する程の敵の数。それでも何とかゴブリン達が優位に戦いを進めていられるのは、狂気と冷徹の間で揺れながらも適切な指示を飛ばすプエルの手腕故である。
「ギ・ヂー殿の隊を後退! 弓隊、三斉射、我に続け!」
射撃された地点の敵兵達が足を止める。
「続いて、斉射!」
プエルの放つ矢の軌跡を追うように、妖精族とガンラの氏族達の矢が降り注ぐ。妖精族の矢は言うに及ばず、歴戦を重ねたガンラの弓兵の矢も鋭い。600もの弓兵が放つ矢の威力は敵の進軍を止めるのに充分な威力と精度を誇り、それが積み重なることによって大軍の動きに微妙な齟齬を生み出すことに成功していた。
当然のことだが、大軍の大軍たる所以は圧倒的な人員である。それが動くということは、誰がどこに動き、どこに攻撃するのかを指揮官が判断し、兵士が実行せねばならない。
だが、兵士とて死にたくはない。矢の雨が降り注ぐような死地に好んで入ろうとする者など居る筈がなかった。結果として、矢の雨が降り注いだ場所の兵士は矢を避けて隣へ隣へと移動する。
それが陣形としての歪みを生み、掛けるべき攻勢を掛けることが出来ない。そうなるように、プエルが誘導したのだ。
「ギ・グー殿の隊にも後退の指示を。投石機を使います」
本来なら攻城戦の為に使われる兵器を、射程を短くした上で雲霞の如き人間に向かって使う。南、東、南東、南西。プエルはほぼ全ての区域から攻め寄せる人間を相手に、対処をせねばならなかった。
「東より敵が接近!」
僅かに視線を転じたプエルは、城壁の間近まで迫る敵勢に眉を顰めた。
「ザウローシュ殿に伝令。東を任せます」
今、プエルは城壁の外に出た部隊に指示を出しながら敵の主力である南と南東から迫る軍を迎え撃っていた。如何に彼女の能力が高かろうとも、兵を無限に生み出すことは出来ないし、身を分けることもできない。
個人が瞬間的に考えられることには限界がある。
「心得た! 機会大弓を準備せよ!」
伝令を受け取ったザウローシュは、城壁の上で迫り来る大軍を見下ろす。
「しかし、奴らも必死ですね」
誇り高き血族に所属するフェースが、ザウローシュの横で弓を構えながら問いかける。
「軍師殿の策は成ったが、攻撃の為の軍を止めないのは赤の王の凄まじさだな。それだけ自身の盟主に信頼を置いているのだろう」
十字槍の切っ先を敵軍に向けると、ザウローシュは吠える。
「発射!」
薙ぎ倒される敵兵を見つめ、ザウローシュは気合を入れ直す。
「だが、我らとて負けるわけには行かぬ。守るべき者達の為に血を流すのが我らの仕事だ」
ザウローシュの視線の先では、後退したギ・グーの軍がバリスタの斉射で混乱した敵兵を討ち取っていくのが見える。
戦況は定かならず、未だどちらの陣営も勝利を信じて血を流し続けていた。
◆◇◇
神代の武器同士がぶつかり合う余波で、物理的な衝撃が周囲に走る。一匹と一人の矜持を懸けて振り切られる巨人の守護剣と長柄の両刃斧が、お互いを叩き潰そうと火花を散らしながら唸りを上げる。
馬上で得物を振るう王達に呼応するかのように、彼らの乗る騎獣達も一撃と共に一歩踏み込み、乗り手の一撃に更なる付加を与える。
ゴブリンの王の大剣に宿るのは黒き冥府の炎。死を誘う冥府の女神が授けし一つ目蛇の恩寵である。対するブランディカの得物は両刃の長柄斧。嘗て潜った魔窟から発掘された神代級の武器である。
持ち主の力量に応じて際限なく破壊力を上げていく魔斧であり、持ち主の身体能力を向上させる能力まで付いている。両手でそれを振るうブランディカの力は、ここまで幾多の兵士を切り伏せてきたゴブリンの王に匹敵していた。
「グルウゥオオオオアアアァアァ!」
「ヌウゥウオオオラアアァアァア!」
吠える声も勇ましく、既に二十合もの撃ち合いが続いている。互いに一歩も引かず得物を振るう両者の決闘は、まるで草原の覇者を決める巨象同士の対決に似ていた。いつしか近くで争っていたゴブリンと人間の双方が、その戦いに魅入っていた。
立場こそ違えども、互いに信じる王が全力を以って撃ち合っているのだ。気にならない方がどうかしている。戦場の只中にあって、二人の王の周囲は異様な静けさが支配していた。
その静寂の中、気魄の声と共にぶつかり合う鋼の音だけが響く。
ゴブリンの王が振るった巨人の守護剣が豪風を伴ってブランディカを袈裟懸けに斬ろうと振り降ろされれば、迎え撃つブランディカは逆袈裟に長柄の両刃斧を振り上げる。互いに弾けた切っ先が、そこから更に変化して一撃を加える。
横に弾かれた大剣を戻す勢いに乗って右に薙ぎ払う。ブランディカはそれを跳ね上がった魔斧を叩き降ろすようにして防御する。互いに譲らず、そのまま至近距離での鍔迫り合いに縺れ込む。
睨み付けるゴブリンの王に、ブランディカは獣の笑みでもって応える。
「どうした化け物!? この程度か!」
「ぐ、ぬ……!」
ほんの少し、だが確実に力の均衡が傾く。疲労か、或いは魔素を使用し過ぎた弊害か。ゴブリンの王よりもブランディカの方が僅かに優勢だった。
鍔迫り合いの中、お互いの得物を押し潰そうと神代の武器同士が悲鳴のような軋みを上げる。遣い手達が噛み締めた奥歯が砕けんばかりの力を込めて一挙に離れ、再び斬り結ぶ。互いに離れ際に放った一撃は空を切り、その余波だけで周囲の兵士達の身を仰け反らせた。
「死ねぇ!」
「舐めるな!」
互いに大上段。振り上げた大剣と戦斧が袈裟懸けに斬り下ろされる。軌道はほぼ同じ。ならば衝突は当然の帰結であった。まるで小規模な爆発でも起きたのかと思わせる程の衝撃と威力が、逃げ道を探して周囲に拡散する。
「ははっ! やりゃあ出来るじゃねえか!」
「ほざけ!」
自身の暴れ狂う内心を強靭な意志の力で押さえ付け、ゴブリンの王は大剣を振るう。神々の力を喰らい、自身の力へと変える反逆の戦士の力が王の大剣に宿る。
「我は刃に為り往く!」
三度目の詠唱と共に、黒き炎の魔素が急激に膨張していく。
「来い!」
ブランディカの戦斧に宿るものは無い。ただ、純粋なまでの腕力が彼の腕の筋肉から察せられる。その膨張の仕方は尋常ではなかった。盛り上がる筋肉に沿って浮き出る血管は、まるで山脈から流れ出る大河のように力強い。
世界最硬度を誇る神代の武器が、ブランディカの強化された腕力と相まってゴブリンの王の大剣と衝突する。それは宛ら、世界に鳴り響く破鐘の音色であった。凄まじい轟音が響き渡り、衝撃で乗馬していたヒッパリオンが暴れる。
それはゴブリンの王の乗る「推」も同様だった。王達は互いに距離を取り、己の足で大地に降り立つ。距離は僅かに10歩程。対峙する王達は、一瞬の静寂の後に互いの間合いに躊躇無く踏み込む。
「うらァ!」
「ぬぅ!」
激突する力と力が空気を震わせ、大気を薙ぐ。踏み込んだ足は地面を割り込み、振るわれた武器は尚も衝突を繰り返す。右に弾かれた衝撃を受け流し、ゴブリンの王が更に前に出る。まるで演舞のように軽やかな体重移動から回転する独楽のように一瞬だけ相手に背を向け、重心を移動するのと同時に左からの横薙ぎに変化させた。
だが、ブランディカも弾かれた武器と共に距離を測る。僅かに近いと判断し、ゴブリンの王の動きに応じて後退。同時に両腕で握った戦斧に満身の力を込め、襲い来る大剣を迎撃。
気迫の声と共に大剣を払い落とすと、地面を砕いたゴブリンの王の大剣と己の戦斧を確認。瞬時に踏み込み、ゴブリンの王の首目掛けて戦斧を振るう。ブランディカは動物的な直感で、目の前の化け物が驚異的な回復力を持っていると判断していた。
それは数々の魔物と対峙した経験による推測であったが、見事に正鵠を得ていた。半端な傷を与えれば、寧ろ相手を燃え立たせることになる。狙うのならば、それだけで相手を仕留められる程の強力な一撃を叩き込まねばならない。
叩き落とされた自身の大剣を確認したゴブリンの王は、即座の反撃を予想し武器を手放す。予想通り踏み込んで来たブランディカの間合いに此方から踏み込み、拳を振るう。如何に腕力に優れていようとも、所詮は人間の体である。ゴブリンの王に比べれば遥かに脆弱な肉体に相手の勢いを利用した拳を叩き込めば、顔は潰れ、骨は陥没し、命など消し飛ぶに違いない。
その判断の下、ゴブリンの王は迷い無く超接近戦を挑む。
だが、ブランディカの覚悟はその上を行った。力強く握られたゴブリンの王の拳。当たれば肉体ごと消し飛ぶその一撃に向かって、ブランディカは躊躇なく頭突きを喰らわせる。それと同時に振るう戦斧の速度を緩めない。
「かっ!?」
「ぐっ!?」
互いに僅かに蹌踉ける。
ゴブリンの王の振るった拳はブランディカの頭を直撃したが、予想外だったのは武器の力によって強化されたブランディカの身体だった。ゴブリンの王をして打ち砕けない程の肉体強度。だが、流石に無傷ではいられなかった。振り切られる拳に顔を持って行かれ、仰け反るブランディカの姿がゴブリンの王の視界に入る。
それに比してゴブリンの王の負傷は深刻であった。肩に食い込む魔戦斧が強靭な筋肉を食い破り、骨を砕いていた。鎖骨から肩甲骨にかけて重い傷を負ったゴブリンの王の右腕は、既に感覚を失っている。
だが、先に立ち直ったのはゴブリンの王だった。直接頭を揺らされたブランディカは、深刻な傷を負ったゴブリンの王よりも回復の時間を僅かに多く要したのだ。その隙に、ゴブリンの王はブランディカの体を渾身の力で蹴り飛ばす。
「がはっ!?」
吹き飛ぶブランディカ。ゴブリンの王は動かぬ右腕を確認すると、左腕で巨人の守護剣を拾う。血液の代わりに吹き出る黒い魔素が傷を修復しているのを感じて、改めてブランディカに向けて大剣を構える。
体中の空気を吐き出し、内臓の幾つかを損傷したのか口から血を流しながらも、不敵な笑みを浮かべてブランディカは立ち上がっていた。
右腕が徐々に動かせるようになってきたことを感じて、ゴブリンの王は敵に言葉を掛けようとし、思い留まる。
「……言葉は不要か」
降伏勧告をしようとしたゴブリンの王は、獰猛に笑うブランディカの矜持を感じた。人の王たる誇りを持つ男が、ここで降伏などするだろうかと考えて、否と答えを出す。
互いに王を名乗った時点から、死ぬまで名乗り続けねばならない呪縛に囚われているのだ。
未だ人と魔物の2つに別れているそれらを、自身の下で統べる。
王の民としてなら、人も亜人も魔物も憎み合わずにお互いを尊重して生きられるのではないか? 目の前の男との戦いを通じて、ゴブリンの王はそのような考えに至っていた。
その為にも、この男を降さねばならない。そう結論付けたゴブリンの王は、一歩踏み出す。
「我が剣は、貴様らを砕く!」
「……魔物風情に、俺が負けるものか、よッ!」
空気を薙ぎ払う戦斧。ブランディカは動かぬ足を前に出し、生涯最速の踏み込みを見せる。
「ヌウウォアアアアアァ!」
血管の中を流れる血液が筋肉の異常な膨張を作り出す。心臓から肝臓へ、そして筋肉の隅々にまで行き渡る血液とマナ。己の全てを使って、ブランディカは傷付いた肉体を動かす。
振りかぶられた戦斧の一撃は、文字通り大地を砕く破壊の鉄槌。
「グゥルルゥウウぅウアァァア゛ァぁあ゛アア──!!」
だが、その一撃をゴブリンの王の一撃が迎え撃つ。
踏み込む足が地面を砕き、動かぬ筈の右手は大剣を握り締め、身の内に潜む神々の眷属から力を奪い取った一撃は、ブランディカの全力を上回った。
互いの満身の力を篭めた一撃が衝突し、ブランディカの戦斧が弾き飛ばされる。人の王たるブランディカの身体に、神代に巨人が使ったとされる守護短剣が食い込む。厚き祝福の防壁を、鍛え上げた筋肉を、体を支える強靭な骨を。そして、最後に残ったその身の内に宿る矜持までをも断ち切らんと振るわれる巨人の守護剣。
肩口から鎖骨を砕き、心臓から内臓までを斬り裂いたゴブリンの王の一撃は、南方にて人の王と交わった覇道の行く末を決定づけた。
「……」
言葉もなく崩れ落ちるブランディカは、倒れ伏す時には既に事切れていた。
見下ろす王と倒れ伏す王。
僅かに口元を歪めたブランディカの死に顔は、どこか満足そうですらあった。
◆◆◆
「まさか、そんな……」
ゴブリンの王がブランディカを討ち取って呼吸を1回数えた頃だろうか。今まで息をするのも忘れて戦いに魅入っていた人間の中から声が漏れる。
ゴブリン達は、未だに目を見開いてゴブリンの王を注視している。まるで何かを待ち望むかのように、王から視線を外さない。
ゴブリンの王は人の王を葬った大剣を掲げると、周囲の全てに響き渡るように宣言した。
「勝鬨を上げよ! 我らの勝利を、世界に鳴り響かせよ!」
『王よ! 王よ! 王よ!』
ゴブリン達は熱狂のままに王の名を叫び、槍の石突きで地面を叩き、或いは盾を打ち鳴らす。そこでやっと我に返った人間の一人が、悲鳴を上げて背を見せる。
そこで漸く、ゴブリンと人間達は敵対していたことを思い出す。
「蹂躙し、殲滅せよ! 我らが覇道を遮る者は既に無いッ!」
再び「推」に跨ったゴブリンの王は号令を下すと、腰に下げた黒緋斑の大剣を引き抜く。
「続けッ!」
未だ苦戦を強いられる砦を救援する為、ゴブリンの王は進路を北西に取る。指揮に忙殺されながらも、ゴブリンの王の反転を視界の端に捉えたプエルは明確な指示を下す。
「城門を開いての追撃に移ります! ガイドガのラーシュカ殿とギ・ゴー・アマツキ殿を先頭に鋒矢陣!」
「待ちくたびれたぞ!」
棍棒を肩に担いだラーシュカが、猛る内心を抑え切れずに叫ぶ。城門が開くやいなや、突出して人間の歩兵を叩き潰していく。
ゴブリンの王の勝利は、すぐさま全軍に知れ渡ることとなる。何せブランディカの本陣がゴブリンの王の奇襲により壊滅状況に陥ったのだ。直接指示を出していた各軍の動きは乱れに乱れた。
中でも混成の度合いの強い雑軍が直ぐに撤退を開始した結果、ゴブリン側の戦力を一つ手空きにしてしまった。
「ギ・ズー殿の隊を城門前に!」
それを見たプエルは即座に戦術を練り直し、追撃を試みようとしたギ・ズーの軍にプエルの指示が飛ぶ。
「ぬ、仕方あるまい!」
追撃を断念したギ・ズー達は反転し、城門前で戦うギ・グーの援護に回る。
ギ・グー・ベルベナの軍と鬩ぎ合っていた人間の軍の横腹に、ギ・ズー率いる武闘派ゴブリン達の重い一撃が突き刺さる。まるで内蔵を撃ち抜かれて悶え苦しむように一挙に押し込まれる人間の軍勢。ギ・グーとギ・ズーの軍に揉み潰された赤の王は、潰走する他なかった。
撤退に移る人間の軍勢に追い打ちを掛けるべく、戦場の外から亜人の攻勢が始まる。ファンファンが導く蟻の大群が、人間達を生死の区別なく頑丈な顎で噛み千切る。川を渡って逃げようとした兵士に水中からリザードマン達が剣を突き刺し、川の水を赤く染めていく。
「ギ・ギー殿の魔獣軍に出撃を!」
駄目押しとばかりにギ・ギーの魔獣軍と亜人の率いる魔獣の群れを解き放ち、人間達を追撃する。砦の周囲から殆どの敵を追い払った時には、既に西日が戦場を染めていた。
大地を鮮血で染め、数多の屍を晒した戦場跡をプエルは歩いていた。
「……仇を、討ちましたよ」
生きとし生ける者のない草原の只中で、プエルは一人涙した。
南方の覇者を決める戦いは、ゴブリン側の勝利で終結を迎えた。ブランディカとカーリオン亡き後の赤の王は急速に求心力を失い、南方に出現した空前絶後の王国は跡形もなく消滅することとなる。
◆◆◆◆◆◆◆◆
【個体名】ブランディカ・ルァル・アティベル
【種族】人間
【レベル】98
【職業】国王・連合血盟盟主
【保有スキル】《斧技A-》《剛力無双》《闘争する魂》《炎の神の聖寵》《魔窟の踏破者》《運命に導かれし王》《カリスマ》《決闘者》《国生みの祖神の祝福》
【加護】運命の女神
【属性】なし
【アイテム】長柄の両刃斧
《剛力無双》──瞬間的な腕力の上昇に補正(大)
《闘争する魂》──敵が自身より階級が高い場合に戦意高揚(中)、周囲の味方の腕力・知力・敏捷性上昇(中)、敵からの威圧を緩和(中)
《炎の神の聖寵》──炎の属性を持つ者に対して魅了効果(大)、腕力上昇(中)、自然治癒力上昇(小)
《魔窟の踏破者》──魔物と対峙した際、腕力・体力・防御力上昇(中)、マナの総量が増大(中)
《運命に導かれし王》──王と認められると魅了効果発動。属性に関係無く魅了効果(中)
《決闘者》──敵との一騎打ちの際、体内でマナを消費することにより運動能力上昇(大)
《国生みの祖神の祝福》──王と認められることにより全能力上昇(中)、癒しの女神の加護を持つ者に対して魅了効果(中)
【アイテム】長柄の両刃斧 ──銘は無く、どういった由来を持つ物なのかは不明であるが、能力と硬度から神代の武器であると推定される。
◆◆◆◆◆◆◆◆
予定と違ったのですが、筆が乗ったので連続更新。
次回更新日は5月4日予定です。次回で南方争覇編終了予定。
おまけ
本編では、シリアス過ぎてかけなかったのですが、ファンファンさんは肩を怒らせ去りゆくミドさんに呟きました。
「寝取られとは、なかなかやるではないか。うむむ……」
次代の最先端を突っ走るファンファンさんの一発ネタでした。