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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
264/371

メルギオンの鬼神

ちょっと長いです。

「……すまんな。追撃に参加できなくて」

 濡れそぼって帰ってきたグレイブに詫びの言葉を口にしたブランディカは、明かりもつけず棺から視線を動かそうとすらしなかった。

 敗走するプエルを追う指示を出した直後、ブランディカの元に伝令が走ってきた。

 ──カーリオン、病死。

 それを聞いた瞬間、腹を括っていた筈のブランディカは、自身の覚悟がいとも容易く崩れるのを感じた。

「カーリオンが……」

 天候が急変したのも追撃を断念する理由であった。ほんの数刻で、まるで天がその死を悲しむように激しい風雨が吹き荒れていた。

「長く生きれば生きる程、未来ある若者に先立たれるのは辛いものじゃ……。だがな、王ならば立たねばならぬ。それは──」

「ああ、分かっちゃいるさ。だがよ、王様ってのはダチの死を悲しむことすら許されねえのか?」

 棺の中にいるカーリオンの顔を見て、ブランディカは内心を吐き出す。

「見ろよ。こんなに痩せちまいやがって……。何もかもを俺の為に捧げてくれたんだ。友の死を、少しだけ……一晩だけでいいんだ。頼む、グレイブ」

 グレイブは、ブランディカの初めて見せる態度に驚き、悲しみの吐息を漏らした。自分はブランディカを超人か何かのように勘違いしていたのではないだろうか?

 目の前の男の背中は天下を狙う野心家の背中かもしれない。だが同時に、大切な友の死を受け入れられない弱々しい人間の背中であるようにも思えた。嘆き悲しむのは人の性である。王には、ただ強くあることが求められる。だが、それの何と難しいことか。老人は思わず嘆息した。

「誰もお主を責めはせぬ」

 他人の死と自らと親しい者の死では、自ずと重さは違ってくる。誰しもが、等しく死を悲しめる訳ではないのだ。不平等こそが、人間を人間たらしめる証明ですらあるのだから。

 悲しむブランディカを残して、グレイブは背を向けた。冒険者達が認めた王ならば、必ず立ち上がると信じて。

 グレイブが出て行った後、ブランディカは一人呟いた。

「……見ていろ。カーリオン」

 涙を流そうとする自分自身を噛み砕くかのように、犬歯を剥き出しにしたその表情は人よりも獣に近い。

「今一度、俺はお前に誓う。魔物を打ち倒し、有象無象を平伏させ、俺は王になる」

 運命の女神(リューリュナ)が、彼に更なる覚醒を強いていた。

 翌日、ブランディカは援軍に来たゲルミオン王国の聖騎士ガランドと面会をしていた。

「遠路はるばる、よく来てくれた」

「……いや、駆け付けるのが遅れた。申し訳ない」

 アシュタール王以外には頭すら下げないこともある傲岸不遜なガランドでさえ、その時見えたブランディカは、空気を歪ませているのかと錯覚する程の威厳に満ちていた。床几に腰掛けて見下ろしてくる視線だけで背に冷や汗が浮かぶ。

 まるで人以外の何かが、人の姿をして座っているような圧迫感。己の王たるアシュタールと比べそうになって、ガランドは慌ててその想像を打ち消す。比べてしまえば優劣をつけねばならない。それは己が忠誠を誓う王に対しての背信と侮辱である。

「これより全軍を以ってゴブリン共を駆逐する。協力してくれるな?」

「元よりそのつもりだ」

 ブランディカの眼光の鋭さに、内心の反発を抑え込んだガランドは淡々と言葉を発する。

 シュシュヌ教国と和議を結び、反転してきた老付与術師グレイブ。ゲルミオン王国からの援軍ガランド。エルレーン王国の将軍カナッシュ。客将ワイアード。騎馬隊長サーディン。それら全軍を率いて、ブランディカは軍を北に向ける。

 全軍合わせて5万の大軍勢を以って、一挙に勝負を決めようと目論んでいた。

 だが、その中に本来あるべき者の名が一つ欠けていた。剣舞士セーレは、カーリオンの棺を守って彼の故郷へと出発していた。それはブランディカの意志であり、セーレの望んだことであった。

 

◆◇◆


 霧原野の砦(メルギオン)は増築と拡張を重ね、今や西域を窺う為には決して避けては通れない要衝にまでなっていた。8000程の大軍を収容できる規模であり、後背に豊富な水源を持ち、魔獣を飼う空間まで備えている。正に魔物の砦と言って間違いはない。

 朝には辺り一帯が霧に包まれ、草茂る原野を朝露に濡らす。その草原を描き分けるようにして、泥に塗れた部隊がメルギオンへと戻ってきていた。

「……戻ったか」

 既に入城を果たしていたゴブリンの王は、ザウローシュ率いる先遣隊を受け入れた。

 ──プエル・シンフォルア、帰還。

 先日の暴風雨に紛れて全軍の8割を生還させた彼女は、美しく整った(かんばせ)を泥と疲労に汚しながらも、凛としてゴブリンの王を見上げた。

「敵が来ます。迎撃態勢を取らねばなりません」

 大きく頷くゴブリンの王は、プエルの軍師としての才覚を信頼し始めていた。泥に塗れ、殆ど不眠不休で帰還したであろう彼女は、撤退してきた軍の最後尾を守っていたのだ。

 敵を討ちたいが為だとしても、無駄に兵を死なせない態度を王は賞賛した。

「一通りの指示を出したならば、先ず眠れ。倒れられては敵わぬ」

「仰せのままに」

 プエルは素直にゴブリンの王の言葉に従う。彼女の策には、どうしてもこの強大な魔物の力が必要であり、それは先の戦で嫌という程に思い知らされた。また、一兵も欠けることなく騎馬隊をこの場に集結させたカリスマは、張り詰めていた彼女の心の弦を僅かに緩ませるに足るものだった。

 プエルが指示を出し終え、入城した全軍が防御態勢を固めた頃、地平を埋め尽くす雲霞の如き人の群れが姿を表した。

 僅かな休憩だけを取ったプエルが、城壁の上で敵を見据える王の横に立つ。

「敵は多いな」

「はい。臆しましたか?」

 プエルの問いかけに、ゴブリンの王は口元を歪めた。

「俺は部下を失うのが恐ろしいし、自身の死が恐ろしい。友と呼べる者達を失うのも恐ろしい。だが……敵の過多などに恐怖を感じることはない。我が傍には鍛えに鍛えた部下と、全幅の信頼を寄せるに足る軍師がいる」

「……敵は恐らく包囲陣を敷き、こちらを圧迫してくる筈です。シラークを落とした余勢を駆る敵の士気は高く、攻城兵器と共にこの砦を落としにかかるでしょう」

 ゴブリンの王の視線に耐えかねたプエルは、話を逸らす。

「彼らは大軍です。その利を最大限活かす戦術を取ってくるでしょう。彼らの目的はこちらの包囲殲滅。だとすれば、取りうる陣形は鶴翼の包囲陣」

 プエルの指先が指し示すのは、これから始まる戦の展望。

「我が軍は、貴方の武をもって全てを覆します」

 そこで初めてプエルはゴブリンの王を見上げる。

「敵は王です。堂々たる布陣を敷いて、こちらを攻めるでしょう。また、そうでなくては諸将が王と認めません」

 ゴブリンの王は不敵に笑う。

「最前線で剣を振るうは、王のすべき事ではないと?」

 頷くプエルは、再び視線を地平線に移す。

「勝負を仕掛けるのは翌朝です」

 腕を組んだゴブリンの王は一つ頷くと、部下を纏める為に城壁を降りた。

 中天に火の神(ロドゥ)の胴体が輝く頃、砦の北を除く三方から赤の王が攻め寄せる。弓矢と重装兵の前進。仕掛けた罠の半ばまで食い破られながらも、メルギオンの防衛線は未だに破られてはいなかった。

 夜半に成れば魔物の時間である。赤の王は攻撃を控え、篝火を焚いて1日の攻撃を終える。夜も深まった頃、砦の中ではゴブリンの王が精鋭たる配下を集めて檄を飛ばしていた。

「敵は5万の大軍にして、南方の諸戦を勝ち抜いた猛者共である! 相手にとって不足はない!」

 レア級ゴブリン以上の者達が、物音すらも立てずにゴブリンの王の檄に聞き入る。

「この世の春を謳歌する人間共に鉄槌を下し、我らが覇道の為に死んだ同胞達に報いる時が来た!」

 ゴブリンの王の気迫が乗り移ったかのように、控えるゴブリン達が目を見開き、それぞれの得物を持って立ち上がる。

「我は常に、皆の先頭に立つ!」

 無言の内に気炎を上げるゴブリン達が、(まなじり)を裂いてゴブリンの王を見上げていた。

「我に続け!」

 沈黙を是として、掲げられた全ての武器が南方の戦いに終止符を打たんと輝いた。


◆◇◆


 乳白色の霧の中で静かに城門が開く。

 先頭に立つゴブリンの王は戦装束も物々しく、騎乗するのは「推」(スイ)と名付けた肉喰らう恐馬(アンドリューアルクス)。緋斑大熊の外套を纏った背中には巨人の守護剣(ティタンダガー)を背負い、腰に差すのは黒炎揺らめく大剣(フランベルジュ)、抜き放って肩に担ぐのは黒緋斑の大剣(ツヴァイハンダー)である。

 動き易さを重視した革鎧には歴戦の傷が刻まれ、「推」にも鎧が取り付けられる。

 彼の後に続くのは、ナイト級ゴブリンにして王の第一の忠臣ギ・ガー・ラークス。黒虎に騎乗した隻腕のゴブリンは、歴戦の猛者の威風で敵陣を睨む。

 王直属の騎馬隊に選ばれたノーブル級ゴブリンのギ・ベー・スレイ。片腕で肉喰らう恐馬を操る手腕は、卓越したものがある。更にパラドゥア氏族から、ハールー率いる鉄脚の黒虎を駆るゴブリン達が続く。

 彼らの後ろにはレア級となり、三つ目の悍馬(ヒッパリオン)を駆るゴブリンの騎兵達。猛々しい内心を白い息として吐き出しながら、続々と門を潜っていった。灰色狼達がヒッパリオンとアンドリューアルクスの間をすり抜けるようにして共に往く。

 総勢にして、僅か800騎。

 ゴブリン軍の最精鋭で固めたその軍は、霧の中を進む。草を踏み分ける音さえ消して、ゴブリン達の先頭を進む王が徐々に速度を上げ始める。朝靄の中、地平の彼方に昇る火の神の胴体が夜の神(ヤ・ジャンス)を駆逐しようとしていた。

 隻腕のギ・ベー・スレイは王に続いて馬を進める中で、何度も己の騎獣の手綱を握り直して周りの速度に遅れないよう進んでいた。

「どうした。猛っているのか?」

 声を掛けてきたのはギ・ガー・ラークス。歴戦の傷を刻む体と、ノーブル級よりも一回り大きな威容は他のゴブリンを圧倒する。また、ギ・ベーにとっては人間に襲われた際に助けてもらった恩もある。

「これが猛らずにいられるでしょうか。この内心に渦巻くものを、直ぐにでも吐き出してしまいたい!」

 鋭い犬歯を噛み合わせるギ・ベーに、ギ・ガーは目を細めた。

「心を落ち着け、王の指示を待て。燃え猛る内心は、技にのみ篭めるのだ」

 叱咤されているのだと感じたギ・ベーは、頷いて頭を下げる。彼にとって、ギ・ガーは集落の第二の指導者である。武技も、連携も、全てはギ・ガーから教わったのだ。偉大な王は常に彼らを率いてくれる。そしてギ・ガーは生きる為の術を彼らに教えてくれた。

 ゆっくりと息を吐きだすギ・ベーの姿を見て、ギ・ガーは頷く。

「それでいい。気炎を練り上げ、敵へと叩き付ける。何よりも、決して王の姿を見失うな」

「はっ」

 ギ・ベーから離れたギ・ガーは、今度はハールーに声を掛けていた。

 励まされたのだと気付いたギ・ベーは、若い己を僅かに恥じた。今は未だ、ギ・ガーどころか族長ハールーにすら遠く及ばない。だが、いつかは。そう考えて、ふと肌に感じる風が強まった気がした。いつの間にか辺りは静寂が支配し、加速していく景色だけが戦が近いことを予感させる。

 ──王を見失うな。

 ギ・ガーの助言を思い出し、ギ・ベーは必死でゴブリンの王の背中を探す。

 ──王は常に先頭に。

 戦の前の宣言通り、その背は常に軍の先頭を駆けていた。そのあまりにも雄大な背から伸びた太い腕が、大剣を掲げている。

 ──近い。

 感じた瞬間、ギ・ベーは手綱を口に加えて鞍にしまっていた槍を引き抜いた。

 胸の奥底から沸き立つ感情を、腹の底に沈める。代わりに眦に力を込めて、王の背中を追う。白い霧が肌を濡らす。吸い込む空気に水が混じっていなければ、きっと喉はあっという間に乾いていただろう。その頃には、ほぼ全力で騎馬が駆け出していた。

 霧を抜け、視界が開ける。

 目の前には、呆然とこちらを見る敵の姿──。

「グルウゥゥオオオァァアァオオ──!!」

 全身が湧き立つような錯覚に襲われた。先頭を行く王の声が聞こえる。王の咆哮に応えるように声を振り絞り、全軍が猛り狂った。


◆◇◆


「来たか」

 ブランディカは、ゴブリン側の奇襲を読んでいた。前方の陣地の混乱を見て取り、すぐさま指示を出す。

「囲い込んで退路を断て! 殲滅せよ!」

 分かり易過ぎる選択だった。こちらは5万の大軍。守って勝てる道理は無い。だとすれば、敵は逃げるか、打って出てくるしか無い。

 奇襲である。

 カーリオンは、先の戦でここまでの道筋を読んでいたのだ。追撃の際、こちらの援軍の膨大さを見せつけたのは、この状況を創り出す為の策だったのだ。

 敵がぶつけてくるのは最高戦力。それさえ討てば、この戦は終わる。

「1000程度か」

 上がる土煙の度合いから大まかな敵の総数の目星をつけると、即座に迎撃態勢を取らせる。砦を囲い込むように配置していた部隊を、敵の奇襲部隊に全て向ける。網にかかった魚を絡め取るようにして包み込んでやれば、敵は苦も無く落ちる筈だ。

「敵の勢いが盛んなところは避けて、後方から襲い掛かれ」

 果たしてカーリオンの残した策とブランディカの思惑は見事に的中し、敵は奇襲を仕掛けてきた。正確には見抜かれている時点で、それは奇襲ではなく強襲の類いであった。予め決められていた通りに動き、赤の王の多頭の獣の如き軍が、その牙をゴブリンの王率いる騎馬隊に向ける。肉食花が香りに誘われてきた虫を捕食するかのように、彼らはゴブリンの王に襲い掛かった。

「……」

 城壁の上からその様子を見ていたプエルは、国王ブランディカは彼女の予想よりも優秀なのだと評価を上方修正する。

「このままでは王が包囲されるのではないか?」

 プエルに鋭い視線を向けるのは、魔術師級ゴブリンのギ・ザー・ザークエンド。足の遅いドルイドを率いる彼は今回の攻撃に加わらず、砦の防衛に回っていた。

「敵の軍の動きが予想以上に良い。或いは見抜かれていたのかもしれません」

「貴様っ……! 王の信頼を踏み躙ったのか!?」

 プエルの首筋に杖を突き付け、憎悪と共に睨むギ・ザー。常の冷静さなど、既に吹き飛んでいる。何か切っ掛けさえあえば、プエルを殺してしまいそうな強い眼光だった。

「例えそうでも……我が策に二度の敗北は有り得ません」

 戦場から視線を動かすことすらしないプエル。先の戦の早過ぎる敗北も、犠牲を覚悟で大軍を誘引するように撤退してきたのも。全てはこの時、この瞬間の為である。

 彼女の視線の先では、敵の歩兵が文字通り木っ端のように吹き飛ばされていた。


◆◇◆


「グルウゥォオオオォアァァア──!!」

 振るう刃が鉄の盾を切り裂き、掬い上げるような一撃が兵士の体を宙に舞わせる。爆発的な力で兵士を吹き飛ばすと、勢いを全く緩めずに肉喰らう恐馬が間隙に突き進む。真っ赤な口は既に何人もの兵士の血で染まっており、更に命を貪り喰らおうと、前に居た兵士の頭を噛み千切る。

 ヘルムごと人間の頭を噛み砕いた「推」だったが、鉄の味がお気に召さないのかすぐさま吐き捨てると、荒れ狂いながら兵士の壁に頭から突っ込んだ。巨大な質量が高速で突撃し、その馬蹄にかけられて死ぬ者は後を絶たず、赤い体毛に覆われた蹄は既に人間の血で赤黒く彩られていた。

 そして、その馬上で大剣を振るうのがゴブリンの王である。

 腰から引き抜いた二本の大剣を両手で操り、咆哮を上げれば敵は凍りつき、動きが鈍る。その度に、兵士の列がまるで鋏で紙を切るように引き裂かれていくのだ。両腕が握る大剣には黒き魔素の炎が宿り、人間達を焼き滅ぼすかのように冥府へと叩き落とす。

 それは既に、一つの厄災であった。

 荒ぶるゴブリンの王が腕を振るう度、命が消え去る。まるで無人の野を行くが如くに、城門を出てから一直線に敵の王を目指して黒い颶風(ぐふう)が突き進む。王の突進を支えるのは、後続の800騎。

『グルゥウオオオアアァァ!』

 王に続けとばかりに、一塊となって彼らは付き従う。咆哮を上げる獣の群れより尚早く、彼らの声は地を震わせ天を揺らした。ギ・ガー・ラークスの繰り出す槍が兵士の喉首を貫き、灰色狼のシンシアが敵の腕を噛み切って戦闘力を奪う。ギ・ベー・スレイが片腕で槍を器用に操り、戦士の胸板を穿けば、負けじとハールーも敵の首を刎ねる。

 ゴブリンの王は予めプエルから言い含められた。

 敵は大陸最高峰の軍師である。或いは彼女の策も見破られているかもしれない。

 だが、しかし──。

 その速度と威力まで予想出来る者は存在し得ない。

 ──即ち。

「例え策を見抜かれていようとも、その武威を以って全ての戦況を覆します」

 罠が張られているなら、それを食い破って敵の首を取る。ギ・ザーに杖を突き付けられながらプエルが語ったのは、凡そ戦術などと呼べるものではなかった。

 一つの武。

 たった一つの武によって、敗北を覆す。

 プエルは敵が己よりも上と自覚して尚、それを越える為に敢えてこの策を選んだ。

「……策としては、下策中の下策です」

 だが、だからこそカーリオンの策に乗ったブランディカではそれを見抜けなかった。自身が無能でないが故にプエルの策に嵌まってしまったのだ。

 疾風怒濤の勢いを以ってゴブリンの王は人の波を突き破る。歴戦を勝ち抜いた兵にも、豪炎を繰り出す魔術師にも、今の王を止める術はなかった。


◆◇◆


「……止まらんのか。たかが千騎程度が」

 万全の罠の中に敵を誘導したにも関わらず、敵の勢いは一向に衰えず、それどころか味方の前線が崩れ始めている。その光景に、ブランディカの周囲にいた幕僚達が狼狽え出した。

「馬鹿な。何故だ!?」

 理解し難い事実。包囲しようとしている軍よりも、包囲されようとしている軍が圧倒的に強いという逆転現象。そしてその勢いは留まること無く、一直線にブランディカへ近付いて来ている。離れていても感じる武威と圧力。

 地を蹴る魔獣の足音が、その騎上で大剣を振るう化け物の咆哮が近付いてくる。そして、それに続いてやってくる悪鬼羅刹の群れが地響きを立てて迫ってくる。未だ歴戦を勝ち抜いた猛将達と勇敢な兵士達は健在だが、幕僚達は全く安心できなかった。

 串刺しにされた兵士の姿が見える。刈り飛ばされた首が宙を舞うのが見える。自身の心臓が恐怖に悲鳴を上げているのが聞こえる。化け物の王によって、兵士が何人も巻き添えとなって陣形ごと吹き飛ばされるのが見える。吐く呼吸の音さえも早鐘のように早くなっている。まるで兵士という名の海を割るように、その群れは駆けていた。

「……仕掛けたな」

 ブランディカの一言で幕僚達が目を凝らせば、サーディンの旗とゲルミオン王国の旗が動いていた。

「おお、彼らなら!」

 止めてくれるだろうと、僅かな希望に縋るように彼らは目を細めた。

「くそっ! このままじゃ戦線がズタズタにされちまう!」

 同じ騎馬兵を率いる者として、サーディンは目の前で繰り広げられている光景に羨望を禁じ得なかった。それは正に蹂躙と呼ぶに相応しい戦である。しかも逃げている敵に対してではなく、真正面からぶつかった敵同士で発生しているのだ。

 その光景こそ、騎馬兵の理想系。

 圧倒的な衝撃力と、何者にも遮ることの出来ない突破力。人の操る騎馬隊では実現出来ないであろうその威力は、サーディンの怒りと畏怖を呼び起こした。これが味方であれば嫉妬と羨望を向けているだけで良かっただろう。

 しかし、その理想形を体現したのは敵であり、人間ですら無い魔物だ。

「人間の時代を、俺達の時代を作り上げるっ! そうだよな、カーリオン!」

 握り締めた長剣を引き抜くと、真正面から敵の騎馬隊に向けて軍を進める。

「俺も混ぜてもらおうかッ!」

 大剣を担ぐように並走するのは、ゲルミオン王国からの援軍。

「聖騎士様が、騎馬隊なんぞ率いれるのか!?」

「はっ、威勢がいいな若造! だが心配はいらねえ! こいつは俺の兵じゃなくて、預かりもんだからなッ!」

 馬の腹を蹴ると、嵐の騎士は加速してサーディンの前に出ようとする。ガランドが率いた騎馬隊は盟友シーヴァラのものだった。彼は攻城戦の最中にあり、騎馬兵を使う必要がないからと300騎程を貸し出してくれたのだ。

「負けるかボケが!」

 それを許さず並走するサーディンが、目の前の両手に大剣を握るゴブリンの王に正面から立ち向かっていった。

 二刀流で兵士を薙ぎ払うゴブリンの王に、左右から一撃を加えるべく彼ら二人が先頭となってすれ違いざまにゴブリンの王を挟撃する。言葉に出さずとも、幾多の戦場を越えて来た二人ならその程度の連携は可能だった。

「一つ貸しだ! 受け取れッ! 雷と嵐の支配者(アシュトレト)!」

 ゴブリンの王目掛けて放たれる雷撃が、僅かに注意をガランドに向けさせる。だが、ゴブリンの王に向かった雷撃は冥府の炎を纏った大剣の一振りで掻き消されてしまう。たったの一振り、横薙ぎに振り払った大剣の刃風はガランドの雷撃を打ち破り、返す刀で近くにいた兵士の体を両断する。

 剣の一振りで滲み出る力の差。

 だが、元々陽動の意味合いが強い攻撃である。殆ど同時に仕掛ける二人にとって、その一撃はガランドが危険を引き受けるという合図に他ならない。

「余計なことをッ! だが、もらった!」

 すり抜けざまにゴブリンの王の脇腹目掛けて長剣を振り抜くサーディンだったが、手には防ぎに回った大剣を叩いた硬質な手応えが残る。

「ッチ!」

 舌打ちと共に振り返ったサーディンは、ガランドの両手で振るう大剣を片手で受け止めるゴブリンの王の姿を見た。一国を代表する武の象徴たる聖騎士の一撃を、敵は軽々と受け止めている。戦慄が彼の背を走り抜けた。

 僅かに数合撃ち合っただけのガランドは、無数の傷を負いながらも、すり抜けることに成功する。

「化け物め!」

 吐き捨てると同時に再び反転。すり抜けざまに騎馬ごと両断される部下の悲鳴を背に聞き、サーディンは再びの突撃を決意した。

 このままではブランディカの居る陣営地に到達してしまう。凄まじい勢いの敵騎馬隊に向けて再度突撃を敢行する。とは言え、先頭のゴブリンの王には追いつけない。ならばと、サーディンは声を張り上げる。

「横腹を突くぞ!」

 自らに続く騎兵に命じると、反時計周りに旋回。ゴブリンの王率いる騎馬兵の脇への突撃を企てる。

「続けッ……何!?」

 長剣を翳して突撃しようとしたサーディンの目の前に、黒い虎に騎乗したゴブリンが並走するように駒を進める。

「勝負だ、人間! 我が名は、パラドゥアのハールー!」

 叫ぶゴブリンの繰り出す槍が、サーディンの頬を掠める。ゴブリンの王率いる騎馬隊から、黒虎を駆る者達が別れてサーディンの騎馬隊の前に立ち塞がる。並走する形で槍を合わせられては、迂闊に突撃など出来ない。

「野郎、ゴブリン風情が!」

 槍先を潜り抜けて長剣で斬り付けるが、ハールーの槍の引き戻しも速い。厄介な敵に当たったと忸怩たるものを覚えながら、サーディンは斬り合いを演じねばならなかった。

 一方のガランドも、ゴブリンの王の脇をすり抜けて再度の突撃を試みようとした。しかし、そこに黒虎に乗る痩躯に長腕のゴブリンが立ちはだかる

「雑魚は退いてろ!」

「王の覇道を阻む者よ、我が槍の錆となれ!」

 ナイト級ゴブリンたるギ・ガー・ラークスの槍撃は、間合いの外からガランドを吹き飛ばす勢いで繰り出される。長腕を最大限に活かした一撃は重く、ガランドに大技を使わせる隙を与えない。

「くそっ!」

 視線の先には土煙を上げて疾駆するゴブリンの王の姿。その速度差に、ヒッパリオンでは追いつけないと悟る。人の壁が全く障害になっていない。それどころか、脇見をすれば目の前のゴブリンの槍に貫かれる危険すらあった。

「殺すぞ貴様!」

「来い、人間!」

 厄介な敵は殺すに限ると認識を改めたガランドと、王の忠臣たるギ・ガーとの間で激烈な撃ち合いが始まった。

 2匹の献身に支えられ、更にゴブリンの王の騎馬隊は敵陣地の奥深くへと突き進む。遮るもののないその突撃は、人間達を震撼させるのには充分だった。


◆◇◆


「このままでは……」

 プエルの策を聞き、杖を下ろしたギ・ザーだったが、目に見える戦況は決して好転しているとは言いがたい。確かにゴブリンの王率いる騎馬隊の突撃は、人間の陣営地を切り裂いて彼らに混乱を齎している。

 だが、逆に言えば、被害が『混乱を齎している』程度に収まっているとも捉えられる。混乱が収まってしまえば、再び包囲の危機に見舞われるのではないか?

「確かに、このままでは王の騎馬隊は力尽きるかもしれません」

「分かっているのなら!」

「手は打ってあります。抜かりはありません……しかし」

「何だっ!?」

「防衛の負担が増えるのは覚悟してください」

「言われずとも!」

 踵を返すギ・ザーはドルイド達に檄を飛ばして防衛に着かせる。そんなギ・ザーを横目に、南方の支配者たるギ・グー・ベルベナ、戦鬼ギ・ヂー・ユーブ、武闘派集団を率いるギ・ズー・ルオらが出撃する。

「二の矢は、耐えられますか?」

 目を細めたプエルは、出陣するゴブリン達を見送った。

 ギ・ズーは回り込もうとしている敵を抑える為に南西に向かい、ギ・ヂーとギ・グーは南東方面で戦うゴブリンの王を援護するべく、その力を奮う。

「王の援護だ! 槍を構えろ!」

 戦鬼ギ・ヂー・ユーブの率いる(レギオル)は大盾を体の正面に翳し、隣同士の距離を極減まで縮めて密集体型を作る。横からの打撃には弱いが、正面への防御力と突進力に優れる針鼠(トリスタ)陣形。

 600匹からなる彼の部隊の役割は、王の騎馬隊の後方援護。今は突き抜けた速度でもって敵の陣地を切り裂き、そのまま背後を取らせないようにしている王の騎馬隊だったが、一時でも王の突進が止まれば、忽ち包囲殲滅の危機に陥るということでもある。

 それを防ぐ為の第二の矢として指名された彼らの役割は、混乱している人間を一挙に恐慌状態に叩き落とすことだった。

「進め、進め!!」

 ノーマル級ゴブリンが主体とはいえ、その突撃は人間のそれよりも数倍強烈である。長槍を標準装備した彼らは、王の後方へ回り込もうとしていた部隊に呼吸を揃えて槍を突き立てた。密集している相手だからこそ、長い槍の穂先から逃れる場所は無い。

 背を向けて逃げようとする者、避けようとして失敗する者、盾ごと貫かれてしまった者。彼らの上げる断末魔と流す血を吸うように、針鼠陣形を取ったレギオルは更に前進を繰り返す。

 王の騎馬隊を囲い込もうとしていた彼らは、砦から突出してきたゴブリン達に一方的に押し込まれる。プエルが投入した戦力は、連携に優れた2匹の将とゴブリン軍の主力と言っても良い戦力だった。

 ギ・ヂーが陣形を組み人間に出血を強いると、その隙を見逃さずにギ・グー・ベルベナ率いる南方ゴブリン達が襲い掛かる。暗黒の森で開発された投石器(スリング)を片手にしたゴブリン達が拳程の石を人間達に向かって放つと、その威力に陣形が僅かに乱れる。

 ただでさえギ・ヂーのレギオルによって歪ませられていた人間側の陣形である。南方の雄であるギ・グー・ベルベナがその隙を見逃す筈がなかった。

「魔獣を出せ! 続いて突撃だ!」

 吠えるギ・グーの傍からレア級ゴブリン達が伝令となって全軍に突撃態勢を取らせる。ギ・グーを中心に鋒矢陣が敷かれ、鏃の形に密集したゴブリン達がギ・グーの合図で一斉に雄叫びを上げる。

 鏃の最先端に配置された魔獣牙象(デイノ)が地響きを上げながら人間達に襲い掛かる。その巨体に踏み潰される者、逃げ惑う者、更には迎撃する者達で入り乱れ、人間側の陣形は既に形を成していなかった。

 そこにギ・グー率いる南方軍が衝突する。衝撃力はそのままに人間達にぶつかったゴブリン軍の猛攻は凄まじく、前線を崩すことに成功する。だが、如何せん人間の数はゴブリン達の約10倍である。

 ギ・グー達がぶつかった前線でさえ、幾多の頭を持つ強大な魔獣の頭の一つに過ぎない。

 ゴブリン達の勝機は、敵の王たるブランディカを討ち取る以外に無かった。


◆◇◆


 ガランドとサーディンが抜かれた後も、ゴブリンの王率いる騎馬隊は人間の作る防波堤をいとも容易く破壊して進む。

 騎虎の勢いで進むゴブリンの王率いる騎馬隊は冥府の軍勢の侵攻を連想させ、不吉な想像と共に人間達の目に焼き付いていた。

 その様子を本陣から注視していたグレイブは、ブランディカに向き直ると進言する。

「ワイアード殿とカナッシュ殿を動かしましょうぞ」

「それでは陣形が崩れてしまいます!」

 幕僚の一人が反対意見を唱えると、グレイブは目を剥いて怒りを露わにした。

「今この時になって、何を見ているのだ! 貴様の目は節穴か!? この戦場に、ブランディカ王以上に重要なものなど無い!」

 そこで一息付くと、グレイブは顔に刻まれた皺を歪めながら頭を下げた。

「敵の狙いは明らかです。カーリオンの策を生かす為にも、御決断を!」

「許す」

 頷くブランディカに、グレイブは深く頭を垂れると自身の部隊を率いて、ゴブリンの王の前に立ち塞がる。

「例え鬼神といえども、ここを通す訳にはゆかぬ!」

 グレイブは自身が手塩にかけて育てた部隊を生贄にしてでも、ゴブリンの王を討ち取るつもりであった。そうでなければ、全てを捨てて今の地位を勝ち取ったカーリオンに顔向け出来ない。

 彼は率いる軍を2つに分けると、ゴブリンの王の騎馬隊を挟み込むように迎撃する。両側から攻撃を受けた騎馬隊は僅かに勢いを弛めた。

 だが、それは更なる悪夢を彼ら人間に見せつけることになる。

 先頭を駆けるゴブリンの王にぶつかった騎兵が両断され、血飛沫が舞う。ゴブリンの王が振り上げる両腕の大剣が騎兵を馬ごと叩き潰していく光景は、正しく悪夢という以外にはない。

 彼らの最大の誤算は、王の騎馬隊の速度が想像の遥か上を往くものであったことだ。

 グレイブが率いるのは魔導騎兵である。本場のシュシュヌ教国には及ばぬまでも、決して脆弱ではない。彼らは遠距離攻撃からの一撃離脱を基本戦法とし、精強を以って赤の王を支えていた。その特性故に接近戦は苦手と言わざるをえないが、被害の甚大さは彼らの予想しえないものであった。

 ゴブリンの王に集中した炎弾が大剣の一振りで消し飛ばされ、そのまま接近されてすれ違いざまに薙ぎ払われる。精強を謳われた赤の王直轄軍が殆ど何も出来ずに蹂躙されていく光景に、覚悟を決めた筈のグレイブの口から低い呻き声が漏れた。

 王の騎馬隊の速度が速過ぎる為に離脱する時間が全く無く、反転する間にゴブリンの王率いる騎馬隊が襲い掛かるという結果になってしまっていた。当たる傍から血飛沫を上げて肉塊に変えられてしまう赤の王直轄軍。

 だが、その多大な犠牲がエルレーン王国の重鎮たるカナッシュと、飛燕の血盟からの客将ワイアードが到着する時間を稼ぎ出す。

「済まぬ、遅れた」

 エルレーン王国の将軍であるカナッシュの声に、呆然と地獄絵図を眺めるしかなかったグレイブは我に返る。

「頼む……」

 言葉少なに頭を下げるグレイブに、カナッシュは強く頷く。

 彼が率いるのは、赤の王に所属する中で最もバランスの良い軍である。基本に忠実に歩兵と弓兵を組み合わせた定石通りの攻めを得意とする。

「慌てる必要はないぞ! 弓兵の射撃に続いて、歩兵で押し潰す! 斉射用意!」

 定石通りということは、それだけ勝率が高いということでもある。

 降り注ぐ矢の雨がゴブリンの王率いる騎馬隊を襲う。味方すら巻き込みかねないその攻撃に、ゴブリンの王は大剣を頭上に翳して、無言で右に振り切った。その瞬間、まるで獲物を見つけた獰猛な肉食獣の如き素早さで、騎馬隊全軍が王が大剣を掲げた先に進路を切る。

 その先には、カナッシュ率いる歩兵隊。

 騎馬に乗るのは将軍であるカナッシュ一人である。それを目指して肉喰らう恐馬を走らせたゴブリンの王は、往く手に立ち塞がる歩兵を撫で斬りにする。

 息を吸うように大剣を振るい、息を吐くように突き穿つ。乗り手と騎獣が一心同体となった突撃は歩兵達を易々と引き裂き、将軍であるカナッシュに迫る。

「判断は悪くない。だが、甘いぞ魔物よ!」

 盾を構えるカナッシュの声に、王の直感が敵を捉える。僅かに視線を左に動かせば、猛然たる勢いで迫るワイアードの姿があった。歴戦の猛将が手にするのは、右手に青銀鉄の斧槍(コンゴウ)、左手に魔鋼鉄の盾(フドウ)

「悪を滅する為、我、今一度鬼とならん!」

 その身に纏わせる威圧感は、緋斑大熊を連想させた。青銀鉄の斧槍が豪風を伴って振るわれるのと同時に、ワイアードのヒッパリオンが王のアンドリューアルクスに体ごとぶつかる。

 ワイアードの放った一撃は、芯に残るような重さがあった。

「だが、今の我を止める程ではないぞ!」

 ゴブリンの王が吠える。

 受け止めた一撃は、並みのゴブリンなら挽肉になろうかという程の威力。だが、ゴブリンの王は黒緋斑の大剣を片手で操ってその一撃を受け止めると、更に黒炎揺らぐ大剣をカナッシュの突き出した槍に合わせて弾く。

「むっ!」

 槍を繰り出したカナッシュは、思わず呻く。弾かれた槍先に伝わる威力が並外れていた。まるで巨人の一撃のような凄まじい力。相手は歴戦の猛者であるワイアードの一撃を受け止めながら、槍を弾いただけだというのにだ。

「小癪な!」

 自身の弱気を叱咤して、カナッシュも馬を進める。ゴブリンの王やワイアードに比べれば小柄な騎馬だが、一般的な馬の中では随分と大柄だ。その馬が体当たりをしても「推」は止まらない。三人と三頭は、ゴブリンの王を中央に並走しながら攻撃と防御を繰り返す。

 盾を捨てたカナッシュが馬を寄せて接近戦を挑む。秘術、秘技の限りを尽くし、ゴブリンの王に大剣を振る余裕を与えない連続攻撃を仕掛ける。反対方向からはワイアードの青銀鉄の斧槍(コンゴウ)が、ゴブリンの王の黒緋斑の大剣とぶつかり合って火花を散らす。

 一瞬が何倍にも引き伸ばされるような瞬間、ゴブリンの王は冷静にその攻撃の間隙を縫った。

 僅かに空いた隙間に「推」を捩じ込むようにして、ワイアードに寄せる。

「く!?」

 振るわれた斧槍の間合いの内側へ入り込むと、すかさず黒緋斑の大剣を叩き付ける。魔鋼鉄の盾(フドウ)によって防がれたが、王にはそれで充分だった。体勢を崩したワイアードを無視し、更に馬体を蹴ってカナッシュへと襲い掛かる。

 振るう二本の大剣が、唸りを上げてカナッシュの槍を弾き壮年の将軍の体に叩き付けられる。苦悶の声を残して落馬するカナッシュに一瞥をくれると、ワイアードにも連撃を叩き込む。

 十合と打ち合わずワイアードを馬上から叩き落とすと、進路を修正して再びブランディカを目指す。

「行かせぬ!」

 自身の杖に付与の魔術をかけて立ち塞がるグレイブに、王は剣を向ける。

「敵わぬと知りて、尚挑むか!」

 一撃が振るわれる度に姿勢は崩れ、グレイブの体は軋み、悲鳴を上げる。だが、それでも3合耐えた。その間に再び反転した彼の魔導騎兵と、ワイアードとカナッシュの仇を打つべく復讐に燃える3軍が王の騎馬隊を囲い込む。

 ブランディカまでの目標を図った王の後ろで、ギ・ベーが王に呼びかける。

「王よ、行ってください! 我らに勝利を!」

 背中でその声を聞いた王は、後ろを振り返らずに両腕の剣を掲げ左右に開く。

「我が軍に命ずる!」

 駆け抜ける速度はそのままに。

「蹴散らせッ!」

「グルウオオオオオオ!!」

 ギ・ベーと湖畔の淑女(シンシア)率いる騎馬隊が左右に反転。後続から追いすがる3軍に向けて突撃を開始する。

「死ね、魔物よ!」

 脇を狙うグレイブに、ゴブリンの王は賞賛と共に剣を振るう。

「覚悟は見事! だが、死ぬが良い!」

 老付与術師の体を両断した大剣が、地面すらも切り裂く。

「グルゥウオオオオオアアアアアア──!!」

 全ての敵を捻じ伏せ、駆けたゴブリンの王の眼前には、両刃の長柄斧(バルディッシュ)を構えたブランディカの姿があった。



次回更新は5月4日予定

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