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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
262/371

知略に生きて

 プエナの王都でブランディカは戴冠を迎えていた。

 それはエルレーン、プエナ、トートウキ、ファティナなどの南部を代表する諸都市を領土とした巨大国家の誕生を意味していた。

 ブランディカの戴冠は、即ちプエナの女王ラクシャとの婚姻を意味する。反対派の長老院を武力で黙らせた彼は、女王ラクシャの震える手で王冠を授けさせ彼女の夫君として国家を統治するという形式を取った。

 彼の血盟を代表するサーディンやグレイブやセーレなども式典に居並び、各血盟の盟主達もプエナの王都に集まって式を祝福した。連合血盟赤の王の長たるブランディカの立身出世は、その連合に参加する彼らの栄達をも意味しているのだ。

 喝采の中で王位を得たブランディカ。だが、その玉座を最も喜ぶ筈だった友の姿はない。カーリオンは病状の悪化の為に欠席せざるを得ず、少しだけブランディカは視線を伏せた。

 形式的な式典が終われば、後は無礼講となる。貴族や官僚達には顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、ブランディカは己の流儀を変えるつもりはなかった。式典に呼ばれた全員に酒を配り、一血盟の盟主だった時と変わらず酒盛りを始めたのだ。

 古くからブランディカの下で知勇を奮い、彼と共に幾多の戦場を駆け抜けて来た幹部達からすれば人生最良の時間だった。国王となったブランディカ自ら酒を注いで回る気遣いを見せ、出席した有力者を慌てさせたりもしたが式典は成功の内に終わった。

 国名を始まりの王国(アティベル)とした新しき国家の誕生は、ゲルミオン王国とシュシュヌ教国の両大国に衝撃と共に受け取られた。

 特にシュシュヌ教国は、僅か1年あまりの間に南に強大な国が突如成立したという事実を重く受け止め、使者の名目を借りた偵察がアティベルへと訪れていた。

 使者が送った書簡によれば、国王ブランディカの武は兵士千人に匹敵し、部下と胸襟を開いて談笑をする様子は一国の王というよりも血盟の盟主そのままの姿であったという。性格は勇猛にして頭脳明晰、国王としては大陸で1、2を争う器の持ち主だろうとも言い添えられていた。

 使者の報告に驚いたのは、シュシュヌ教国の上層部だった。

 南に勇猛なる王が突如現れ、しかも強大な武力を保持している。その男が元冒険者でありシュシュヌでも活動していたことを知った彼らは、情報収集を行いつつもシュシュヌ教国としての方針を決めねばならなかった。

 人は知らぬからこそ、それを恐れる。

 未知に対して攻撃的になるか、或いは逃れようとするか。シュシュヌ教国の反応は前者だった。これには激化する赤の王(レッドキング)赫月(レッドムーン)の争いにも原因がある。

 ブランディカ始めとする各幹部達が南で活躍する間、東では湾曲刀の剣士シュンライが狂刃ヴィネと血で血を洗う熾烈な争いを繰り広げていた。町中で、時には魔窟の中で、或いは国を跨いですら。出会った傍から殺し合う事態にまで発展した二つの血盟の抗争はギルドをして頭を抱える問題であり、シュシュヌ教国側も情報を集める内に自然と耳に入ってきたのだ。

 否、自然と耳に入るように在る者が仕組んだ。

 ギルドは国の保護下にある。その立場を過去の経緯から認めさせたと言うべきかもしれないが、優秀な人材は国に推薦されることもあり、国からの依頼を受けて冒険者が魔窟の探索や魔獣の駆除を行う場合もある。

 言わば持ちつ持たれつ。過去がどうであれ、今やシュシュヌ教国とギルドとは一蓮托生の間柄だった。ギルドの庇護者であるシュシュヌ教国としては、ギルドから流れ込む資金は無視できないものになっていた。

 ──人の庭を荒らしつつ、強大な軍事力を保有した国が誕生した。

 シュシュヌ教国側としては赤の王率いるアティベルの誕生をそのように捉えた。折しも、“串刺し女公”、“戦姫”と渾名を取ったクラウディア・カルディーナの後継者を決める時期であった為、その後継者候補達が声を大にして積極策を唱えたのも大きい。彼らの多くは次代の将軍職を狙う軍人達であり、その背後には国内での影響力を増そうとする貴族達の思惑があった。

 シュシュヌ教国の国王ミルバロ・マーニュも、周囲の声に流されるままに首を縦に振った。

「奴らの目的は明らかだ! 力をつけ、何れは我が国に侵略するつもりである!」

 そういった候補者達の声を無視することが国王には難しかったし、住民達からの不満の声も大きかった。

 ──力には力を!

 当時としては至極一般的な考え方であり、軍事力の無い国の主張など大国の都合の前にいとも簡単に覆されるのが世の常だった。シュシュヌ教国は紛うことなき大国である。大陸中央に覇を唱える強大な国家であり、東に乱立する小国家群に介入することも多々ある。その為、軽率なまでの腰の軽さでアティベルへと圧力を掛けることにしたのだ。

 戦姫の薫陶篤い魔導騎兵団(マナガード)や王家直属の弓騎兵団(アーチナイト)までは投入されなかったものの、常備軍の一つである槍騎兵団(ランスナイツ)が動員されることとなり、その動きはシュンライからブランディカに伝わるところとなった。

「ほぅ、やるってか」

 玉座にあって報告を聞いたブランディカは獰猛な笑みを浮かべると、すぐさま老付与術師グレイブを中心に兵力6000を東に派遣。赤の王直属の幹部を派遣することにより、アティベルの意志を示す。両軍が国境を挟んで対峙するに至って、両国の緊張感は極度に高まっていた。そこにブランディカの身辺を更に騒がせる事態が引き起こされる。

 迷宮都市トートウキの反抗である。

 事の発端は迷宮内でのいざこざだった。迷宮の一部を占拠していた赤の王配下の冒険者が、他の血盟の獲物を横取りしてしまったのが原因である。この時、トートウキには赤の王に屈した血盟と見向きもされなかった零細血盟が3対7の割合で存在していた。

 その諍いは坂道を転げ落ちるように加速していき、赤の王派と反赤の王派の衝突にまで発展していくことになる。トートウキを抑えていた赤の王派血盟の主要な人物が、ブランディカの戴冠に伴ってトートウキを離れていたのも原因の一つだった。

 事態を収拾出来る力を持った人物の不在により、その火種は乾いた大地に広がるように燃え上がった。

 赤の王に見向きもされなかった血盟諸派を纏め上げたのは、表向きは前々から反赤の王を掲げて燻っていた小血盟だったが、その影で各血盟の仲を取り持ち、勝利の可能性を説き、熱弁を振るった一人の少女がいた。彼女はソフィアとだけ名乗り、莫大な資金をばら撒いて実力も成り立ちも様々な血盟諸派を一つに纏め上げた。その手際の良さは、最早芸術の域ですらあった。

 それに対して、ブランディカは戴冠式に呼んでいた各血盟の盟主達を帰還させると共にサーディンを長として、その鎮圧に当たらせることにした。

「こうも都合良く事が起きるってこたぁ……、シュシュヌの串刺しババアの差金か?」

 シュシュヌ教国の動きに端を発したであろうトートウキの反抗に、ブランディカは舌打ちしつつも事態の沈静化を図る。戦姫クラウディアが老齢を理由に引退寸前という情報を得ていた為に、シュシュヌ教国側からの調略に防諜が甘くなっていたと判断してのことだ。

 この時点で、ブランディカは未だ誰の謀略によって窮地に追い詰められているのか正確に分かっていなかった。シュシュヌ教国、長老院、自由への飛翔、そして単発の反乱の重なり。全ての可能性を考慮に入れつつ対処をせねばならなかった。

 だが、対応に追われるブランディカの元に更に事態を悪化させる報告が届く。

「長老共の残党だと?」

 プエナの長老の残党を名乗る者達が街を一つ占拠したというのだ。悲鳴のような報告をする官僚を下がらせ、ブランディカは凄みのある笑みを浮かべた。

「この時期に、これだけのことが一度に起きるか……裏で糸を引いてる奴がいるらしいな」

 情報伝達の速度が早過ぎるのだ。各地の反乱が誰かの企図したものでないなら、その情報が他の地域に伝わり燻っていた火種に火が付くまでもっと時間が掛かってしかるべきだ。だが事態は、まるで測ったかのように一斉に燃え上がっている。

 反赤の王を掲げる者にとって、都合が良過ぎる。

 であるならば、誰かがこれを企図して時期を合わせたと考えるべきだ。

 ブランディカの敵は多い。

 今まで打ち砕いてきた敵や新たに組み敷いた者達。その数を数え上げれば、両手の指どころか足の指を合わせても足りない位にはなるだろう。

 では、誰が? その段階になって一つの事実に目を向ける。一貫して赤の王に反抗している自由への飛翔(エルクス)の旗が、未だに北に棚引いているということに。

「……エルクス。トゥーリ・ノキアの亡霊か」

 大国の領土を有することになったブランディカだったが、その地盤は未だ固まってはいない。その弱点を突き、これだけ大掛かりな謀略を仕掛けられる相手となれば、少なくとも木っ端の血盟や朦朧した長老達などである筈がない。

 可能性があるならシュシュヌ教国の戦姫クラウディアだが、長老達に手を伸ばす時間があったとは思えない。

 つまり、嘗て東部で先駆け争いを演じたエルクスが再び己の前に立ち塞がっているのだ。ブランディカは動物的な勘の良さでそれを確信した。

「誘ってやがるのか?」

 挑発されているという事実に、ブランディカの胸の奥が沸き立つ。或いは巨大な魔物に立ち向かうときのように、或いは鉄腕の騎士率いる王国軍と戦った時のように。これだけの大国の主となっても尚、救いがたい病巣のように彼の心を蝕むのは焼けるような強敵との邂逅だった。

 南方という大舞台に自らの絵図を描くその手腕。エルクスとは戦火を交えているのだから、決してブランディカの実力を知らない訳ではない筈だ。

 それでも尚、ブランディカを北に誘引するエルクスの旗を掲げる者は、勝算があると踏んでいるのだ。

 ブランディカはそれを感じたからこそ、自身が兵馬を率いて出陣する。

「全力を絞り出してこいよ? トゥーリ・ノキアの亡霊!」

 無二の友たるカーリオンを失いかけているからなのか、焼くような戦いの中に自身を置くことを選んだのかもしれない。ブランディカは自身の心の動きを誤魔化すようにプエナから出陣を命じる。

 兵力2万。

 各地に兵を派遣し、防衛の為の兵力を残して尚、ゴブリン達との兵力差は約4倍である。その兵力差は、そのまま国力の差と言って差し支えなかった。

 アティベル国王ブランディカの親征が、北へ向けて発せられた。


◆◇◆


「いけない……我が主」 

 病床の中、ブランディカが出陣したという報告を聞いたカーリオンはそう呟いた。元から細かった体は既に骨と皮だけになり、肌の色は透き通るように白くなっている。

 それでもセーレに頼んでの情報の収集だけはしてもらっていたが、頻発する反乱の火とブランディカの出陣の報に、カーリオンは強く瞼を瞑った。

 ブランディカを最もよく知るからこそ、ブランディカがどのような思いで出陣したのかをカーリオンは察する。

 燃え立つような炎の心情を胸に宿さねば、血塗られた玉座に座るのは難しいのだろう。ブランディカは元々権謀の人ではない。勇を好み、武を以って己の実力で世界に対峙する雄々しい男だ。強敵として立ち塞がる者と対峙せねば、玉座の重みが自身の人格を押し潰すと無意識に分かってしまったのかもしれない。

「僕が、変えてしまったのか……」

 カーリオンは自嘲気味に口の端を歪める。王佐の才が聞いて呆れると。

 己の主に至高の玉座を。

 聞こえは良いが、ブランディカは本当にそれを望んでいたのかと自問する。或いは、それはカーリオン自身の独り善がりで、ブランディカは血盟の主で満足していたのではないだろうか?

「往くのか」

 病床のカーリオンを見舞ったセーレが、視線を伏せる。

「主の為にあるのが軍師というものです。それに、死ぬなら戦場で果ててこそ本懐というものでしょう?」

「お前は……いや、良い」

 カーリオンは苦笑すると、セーレに東へ向かうように指示する。

「グレイブさんには時間を第一に、講和を結ぶように伝えてください。サーディンには、トートウキなど放棄して構わないので全力で王の下に駆けつけるようにと」

 頷くセーレに、カーリオンは微笑む。

「今回の首謀者は王の見立て通り、恐らくエルクスの生き残りでしょう。ですが……それだけではない。王を殺すだけの算段が付いているからこそ、エルクスは戦いを挑んできたのだと思います。ゲルミオン王国に使者を……」

 枯れ木のような震える手で寝台から立ち上がると、衣服を着替える。

「はは、これは馬に乗るのも一苦労だ」

 ふらつき、崩れ落ちそうになるカーリオンの肩をセーレが支えた。

「指示はそれで最後か?」

「……貴方は……体を労ってください」

「……お前は最低だな」

「自覚、しています」

 病床から離れたカーリオンが久しぶりに仰ぐ空は、残酷な程にどこまでも蒼穹が広がっていた。


◆◇◆


 夜の闇と朝の霧の2つの要素を使ってプエル・シンフォルアは雑軍6000を翻弄する。彼女の手元にいるのは、僅か500にも満たない亜人達である。他の人間達の部隊は霧野原の砦(メルギオン)の完成を急がせている。雑軍の中に紛れ込ませた間諜から得られる情報によって、敵の動きは彼女に筒抜けであった。

 だがそれでも、十倍以上の戦力を向こうに回して立ち回らねばならないのは相応の疲労と緊張を彼女に強いていた。彼女が僅かでも判断を誤れば、その瞬間に彼女と彼女に率いられる部隊は戦場の露と消えるのだ。

 シラークの街を拠点として、彼女とティアノス率いる人馬族達は強行偵察を繰り返していた。彼女達が出陣するのは決まって夜間である。目の下に特殊な薬草を塗って暗闇を見通すことが出来るようになった亜人達を率いて、プエルとティアノス達は出陣する。

 雑軍が寝泊まりするのは辺境領域の各街だが、シラークの街以外には城壁が存在しない。本来ならシラークの街に拠点を作りたいところだったが、プエルの妨害に悩まされて自ら優位な拠点を捨てざるを得なかったのだ。

「プエル様。街が見えてきました」

「篝火の近くに人影はありますか?」

「お待ちを」

 ティアノスは膝を折って礼をすると、斥候を派遣して備に情報を仕入れる。最も妖精族に忠誠の厚いダイゾスが前族長を務めていただけあって、人馬族は妖精族の下す命令に従順だった。

 斥候の持ち帰った情報に、プエルは瞬時に判断を下す。

「斉射を三連。篝火を狙って射撃。私の弓に続いてお願いします。然る後、出てくる敵に波状射を仕掛け、撤退します」

「了解」

 淡々とした言葉に、ティアノスは自然と頭を垂れて肯定の返事をする。

 ぎりりと引き絞られる弦の音が、僅かに夜の闇を揺らす。プエルの持つ弓は冒険者時代からの愛用の品である。その弓に矢筒から引き抜いた矢を番え、遠く敵の陣営地目掛けて引き絞る。

 一瞬の静寂。空気を切り裂く一矢が夜空を駆け、続く無数の矢がその後を追うようにして放たれる。暫くすると、プエルの耳に敵の陣営地からの悲鳴と怒声が聞こえてくる。

 一拍の間を置いて、プエルは更に矢を番えると夜空に向けて射る。

 丁度天幕から出てきた兵士達にそれが命中し、悲鳴が増大していく。

「撤退します」

 もう少し射掛ければ人間達に甚大な被害が与えられる。ティアノスはそう考えていたが、プエルの指示通りに撤退する。

 人間達に被害を与えられたとしても、奴らから確実に逃げきれるとは限らない。人馬族の本領は移動しながらの攻撃であるが、被害を限りなく減らしながら撤退し、尚且つ敵に痛打を加えるというのは望み過ぎだろう。嫌がらせ程度が関の山だ。

 態勢を整えた雑軍が、反撃の為に移動してきた時には既にプエル達の姿はなく、暗闇の中から三度矢の雨が降り注ぐ有り様である。

 一方的に攻撃されるというのは、死の恐怖と共に精神に非常に大きな苦痛を与える。それを何度も繰り返すことにより、プエルは雑軍を精神的に追い込んでいった。メルギオンの砦は間も無く完成し、シラークの街の改修さえも始めようとしていた頃。

 プエルは、アティベルの国王となったブランディカが戦場に到着したという報せを受けた。


◆◇◆


「今度ばかりは、プエルも分が悪いかもしれん」

 妖精族の住み暮らす暗黒の森の深部。妖精族の森を統べるシューレと向き合い、収集した情報と精査していたのは老ファルオンだった。

「……そちらのキングは、良く動く」

 二人は戦遊戯(チェス)の盤を挟んで向き合っており、遠目から見れば娯楽に興じているようにも見える。だが、その実彼らは手に入れた情報と今後の展望を互いに並べていた。

「シューレ。大族長として、妖精族の未来を背負う者として、お前は時に非情な決断を下さねばならん」

 ファルオンの持つ歩兵(ポーン)が、王を守るように動く。

「……背信を仄めかしているように聞こえますな。未だ我らの陣営が負けた訳でもありますまいに」

 シューレの陣営地から女王(クイーン)の駒が、押し込まれた戦局を逆転しようと前線に踊り出る。

「負けた後では遅い。負けない為に、常に手を打つことこそ肝要である」

 盤上の端から歩兵が女王を取り囲むように布陣し、シューレの陣営地から一歩も引こうとしない。

「そうすることで、我らは長い年月を生きてきた」

 老ファルオンの眉間に刻まれた皺は、長年の苦労の積み重ねが刻まれているかのように深い。生き残ることは、彼らにとって至上命題であった。寿命が長いということは、それだけ他の種族の興亡を見る機会が多いということだ。

「信義こそ、我らの歩むべき道です」

「滅びれば、信義など何の役にも立たん」

 シューレの歩兵が、女王を助けるべく前に出る。

「……激情は判断を鈍らせる。まだまだ青いな、シューレ」

 間髪入れず、老ファルオンの騎士(ナイト)が歩兵を刈り取り、同時に女王の首に手を掛ける。

「プエルは優秀な子です。決して簡単には負けないでしょう」

 騎士の動いた間隙に女王がその身を滑り込ませ、相手の王に刃を突きつけた。

「その通りだ。簡単には負けん。故に取引が出来る」

 ファルオンの王が女王から逃げるように動き、同時にシューレの陣営地にまで侵入してくる。長引く戦に、戦士を温存している妖精族の価値は高まるだろう。

 或いは、今の妖精族の大族長という地位以上をシューレは望めるのでは無いかと暗に問いかける。

「ふむ……。王には王をか。これはしてやられた」

 無言で駒を動かしたシューレに、老ファルオンは苦笑する。

「戦と遊戯は違います。我らの思惑だけでは世界は動かない」

「成長したな。何れは王を動かす男に成れるだろう」

 皺の刻まれた顔をくしゃりと歪ませて、ファルオンは笑う。

「過分なお言葉です。先生」

「……では、可愛い弟子の為に一つ知恵を授けようか」

 姿勢を正すシューレに、ファルオンは一つの事実を知らせる。

「シュシュヌ教国と妖精族、正確にはガスティアの森には繋がりがある。儂の弟が取り持った縁よ。そこからの情報だが、火と水の同胞に動きがある」

 頷くシューレに、ファルオンは続けた。

「クラウディア女公が動いた。老いて尚、お転婆の気質は治らんらしい。困ったものだ……。プエルに伝えて、戦の貸しにすると良い」

「ありがとうございます」

 頭を上げたシューレは、思いついたように怜悧な表情を崩す。

「プエルと幼少の頃に戦ったことがあるのですが、彼女の戦術は中々見応えがありました。連鎖する罠、とでもいうのでしょうか? 一度流れを持っていかれると、とても勝ち目はなかったですね」

 愛おしげに女王の駒を撫でるシューレに、ファルオンは目を細める。

「成程。一度手合わせ願いたいものだ」

 頷くシューレが視線を窓の外に向ければ、温かな日差しの中で小鳥が囀っていた。


◆◇◆


シュシュヌ教国の戦姫、串刺し女公クラウディアが動いたという情報は日に夜を継いでプエルの下に届けられていた。彼女は、自身の策が成功したことを確信する。これで赤の王率いる全軍が、ゴブリン側に向かってくる事態は避けられる。

 少なくともプエルはそう読んだ。

 戦姫クラウディアは放置するには大き過ぎる名前だ。喰い千切られる覚悟をして手を差し出しても、下手をすれば首まで刈られる。シュシュヌ教国に隣接する小国では、彼女は魔女か鬼神のように恐れられていた。

 雑軍を森の中に引き込んで撃退した後、プエルは軍をシラークに向けた。時刻は朝方である。辺り一帯を霧が覆い、姿を隠すには最適だった。

 シラークの街にはザウローシュ率いる人間の部隊が入り込み、城壁の補修や資材を持ち込んでの攻城兵器の作成などに取り組んでいた。城壁の周りを堀で囲み、その外側には落とし穴などの単純な罠を幾重にも仕掛ける。

 運び込まれる矢の束は倉庫に入りきらない程。油や枯れ木、食糧に水。凡そ攻城戦で必要な物資全てを大量に運び入れたレオンハートは、昼夜を問わず準備を推し進めていた。

 プエルは人馬族達を休ませると、彼女自身は休む間もなくシラークの街の改修の進捗状況をザウローシュに確認し、新たに指示を出す。次いで届いた情報の分析と、翌日の行動の為の偵察の報告を受ける。

 二人いても未だ足りないと思われる程、彼女に伸し掛かる仕事の量は多い。

「ブランディカが、出て来ている」

 深夜まで掛かった偵察の報告を聞くと、彼女は一人領主の館で地図を見下ろした。目の下に隈を作りながらも、薄っすらと口元に笑みを浮かべる。整っているが故に恐ろしいその表情は、幸いな事に誰にも見られることはなかった。

 詳細に書き込まれた地図の中、ブランディカの率いる部隊の先発隊が既に到着している地点は判明している。

 戦場は彼女の手の中にあった。

 これならゴブリンの王の到着を待たずブランディカを討ち取ることも可能だ。だが、熱に浮かされた気持ちとは裏腹に、脳裡の内にある冷たい計算は、そんなことは有り得ないと囁くのだ。

 少しでも休む為、彼女は目を閉じる。

 瞼の裏に映るのは、烈火の如き戦場の有り様だった。

 僅かばかりの休憩を取ったプエルが、その日の深夜に再び出撃する。毎夜、攻撃されていることを知ったブランディカなら、当然何らかの処置を講じてくる筈だ。

 勇猛なる人の王。

 勇猛であるが故に、自身が雌雄を決する為に戦場に出てきたブランディカ。

 彼女の策通りに動いたブランディカ。

 なればこそ読み切れる。そう判断した彼女は、人馬族とレオンハートの騎馬隊の一部と共に出陣する。総勢700の亜人と人の混成軍は、復讐者に率いられて夜を往く。

 遠くラズエルの街の篝火が見える地点で、彼女は全軍を停止させた。

 人馬族の族長ティアノスは、虫の声と魔獣の遠吠えのみが聞こえる夜の闇の中、いつもよりも随分遠い位置で停止する彼女の判断を訝しく思いながらも、音を殺しながら周囲を警戒する。

「ラズエルの街に近付いたなら、私の合図で一斉に反転。左の林の中にいる敵を鏖殺して帰還します」

 耳を澄まし、目を眇めて見ても、ティアノスには敵の気配を感じることが出来ない。

「了解」

 だが、妖精族の軍師ならばそれが可能なのかとティアノスは黙って頷いた。全員にそれを徹底させると、そこから500歩程ラズエルの街に前進する。その時、突如プエルは反転を命じる。

 全軍が反転した直後、周囲に沸き立つ人の気配がティアノスにも分かった。

「何と! まさか本当に?」

 驚愕しながらも走る速度を緩める訳にはいかない。ティアノスは先頭に立つと、林の中にいるであろう敵に向かって行く全軍を鼓舞した。

「続け!」

 弓を手にしたティアノスに人馬族の勇士が続く。

 移動しながらの攻撃は人馬族の本領だった。走りながら矢を番え、2矢までを放った時、敵の姿を森の中に確認する。

 更に1矢放つと、ティアノスは弓を仕舞って槍に持ち変えた。

「駆け抜けよ!」

 茂みを飛び越え、人影に向かって槍を振るうと同時に、止めを確認する間もなく林の中をひた走る。上がる人影の悲鳴を無視して、前方の敵を葬る。只管走って林を抜けると、右へと緩やかに迂回し全軍を纏め、脱落者を確認する。

「このまま撤退します」

 追い付いてきたプエルの言葉に頷くと、彼らはシラークの街に帰還を果たした。


◆◇◆


 ブランディカは舌打ちと共に軍議の席で北部方面の状況を確認していた。シラークは西域へ進出する為の喉元と言って良い位置にある。ここを中継地点として、西域或いはクルディティアンへと道は続いているのだ。

 大軍を要するブランディカに、ここを落とさぬ選択肢はない。

「まぁ、烏合の衆には手に負えん相手だわな」

 毎夜攻撃を仕掛けてくる敵に、雑軍はすっかり参ってしまっていた。まるで掌の上で弄ばれているような錯覚すら覚える敵の手腕に、プエル達のことを亡霊と呼んで恐れている者さえ居る。

 その弱気を一掃すべく、昨夜はブランディカ自ら軍を率いて罠を張ったのだが、それでも尚相手に上を行かれた。突如としてブランディカが潜む林の中に強襲を掛けて来たあの勘の良さは只者ではない。

 死体を確認すれば、亜人や人間だった。

 決して姿なき亡霊などではない。ただ指揮する者の手腕が恐ろしい程に冴えているだけなのだ。

「随分と、やってくれるじゃねえか」

 戦場でこそ輝くその手腕。まるでカーリオンのようだと感じたブランディカは、一瞬だけ躊躇する。この人材を此方側に引き抜けはしないだろうかと。

「奇襲奇策に付き合う必要はない!」

 ブランディカの思考を引き戻したのは、傘下の盟主の言葉だった。

 数の利を最大限に活かして進撃すればいいという主張に、少なくない数の盟主達が賛成している。ブランディカは大きくなった国を維持する為の人材を広く求めていた。

 連合傘下の盟主達もそれを敏感に感じ取り、功績を立てれば更なる栄誉栄達が約束されると、今回の遠征に大いに乗り気だったのだ。

 兵数には充分な余裕がある。傘下の盟主達に任せて相手の実力を測り、また盟主達に功績を立てる機会を与えてやるのも良いかもしれない。

 ブランディカはそう判断を下すと、麾下の血盟に命じて先発軍を編成させる。2万5000もの大軍を率いることになったブランディカは、先発として3000の兵力を編成し先行させた。

 士気の高い傘下の盟主達とは対照的に、雑軍の士気はどん底まで落ちていた。彼らを後方に下げ、士気を回復させると共に辺境領域を維持させるべく、ブランディカは態勢を整えようとした。

 だが、その二日後に悲鳴混じりの伝令から先発軍の敗北を告げられたブランディカは驚愕に目を見開くこととなった。更にそれと連動するかのように、旧プエナの一都市が離反したとの報告が入る。

 巨大な国を短期間で作った為に、どうしても緩くなる都市間の繋がりの脆さを的確に突かれてしまったのだ。

「嫌がらせとしては一流だな」

 ブランディカは敗北した先発隊を収容すると積極策を唱えた一人を罰し、他の者達の罪は問わなかった。同時に蒼鳥騎士団(ブルーナイツ)の団長であるアレンを旧プエナ地域の治安維持に当たらせるべく、兵力2000と共に送り出した。

「我慢か。全く、嫌になるぜ」

 戦には流れというものがある。人の感知し得るものから感知し得ないものまで原因は様々だが、その流れが悪い時には何をやっても裏目に出てしまうものだ。

「悪い流れですな」

 軍議の席でブランディカの真意を言い当てたのは客将ワイアードだった。

「ここは一つ、慎重策でいきましょう」

 少しずつラズエルからシラークへ陣営地を移動させる。昼夜に部隊を分け、周囲を警戒する為の焚き火を湯水のように使って夜を昼に変えながら、2万を超える大軍が徐々に移動していく。勿論、新しい陣営地は堀と柵を設けて下草を切り取った万全の状態だ。

 例えるなら肉食獣が獲物に飛び掛かる前にじりじりと距離を図るような不穏な空気。そんな行動を2万を超える大軍がするものだから、プエル達の感じる圧力は相当なものだった。

 プエル達が迂闊に襲撃を仕掛けられない日が続き、徐々に雑軍の士気も戻ってきた所で、彼らはやっとシラークの街を視界に治めることになる。

 だが、そのシラークを目にしたワイアードは、思わず唸り声を上げてしまった。

「これは、また……」

 時間がない中で作り上げたにしては、町の防衛体勢は堅牢そのものであった。遠目にも判る城壁の上に積み重ねられた丸太や機械大弓。街を囲むように幾重にも張り巡らされた柵は、それだけで統一的な進軍を阻むだろう。

 敵の指揮官の非凡な才と、来るなら来いという意志の強さを感じさせる様相だった。

「力攻めは下策だな」

 軍議の席で進言するワイアードに、ブランディカは難しい顔をしていた。此処まで来る為に、予想以上に時間を掛けてしまった。2万以上の大軍を養う為の食糧の備蓄に、不安が生じてきていたのだ。

「失礼致します、陛下!」

 迷うブランディカに、興奮した様子の伝令兵が報告する。

「軍師カーリオン殿が、援軍を率いて到着なされました!」

 軍議に参加していた者は一様に喜色を浮かべたが、ブランディカだけが無表情の中に驚愕を浮かべていた。痛みを和らげる薬の副作用で、カーリオンは既に動ける状態ではない筈なのだ。

「カーリオンが……」

「はいっ!」

「会うぞ! 馬を引け!」

 取るものも取らず、ブランディカは少数の供だけを連れてカーリオンの元に向かう。

「カーリオンっ!」

 馬にすら乗れないカーリオンは馬車に乗っていた。その横を並走するセーレが、ブランディカに気付いて全軍を止めさせる。

 カーリオンはセーレの手を借りて苦労して馬車から降りると、歩み寄るブランディカに膝を突いて礼をする。

「我が、主……。最後の、お勤めに参りました」

「カーリオン、お前……」

 そう言ったきり、ブランディカは奥歯が砕ける程歯を食い縛って言葉を飲み込む。顔を上げたカーリオンの瞳に映る硬い意志を感じたからだ。

 どうしたら友に最後の望みを叶えさせてやれるかと考えて、ブランディカはそれ以上の言葉を飲み込んだ。何故来た。体調は。無理をするな。死ぬな。言いたいことを全て飲み下して、ブランディカは王として王佐の才の望む言葉をかけた。

「──許す。我が全軍を以って、敵を撃て!」

「有難き幸せ。我が知謀の前に破れぬ敵は無く、落ちぬ城はございません」

 ブランディカは、カーリオンの死を前にして腹を括った。

 友が死ぬのは自らの責任である。報いる為には、この手で千年王国を築いてやらねばならない。

 例え誰が立ち塞がろうとも。

 南方の覇者の座を賭けた、知略に生きる者達の最後の戦いが幕を上げた。



予定より早く仕上がったので更新します。

次回更新は、13日予定。

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