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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
259/371

軍師たちの描く絵《地図あり》

 西域に集結したゲルミオン王国の軍勢は、王の裁可を待って軍を西に進めようとしていた。

 ゴブリン側から見れば、それは大国の侵攻以外の何物でもなかった。

 復讐の女神の加護を受けるプエル・シンフォルアの元には、その動きが逐一報告されている。自由への飛翔に残った者達を使い、網の目のような諜報網を東と南に構築している為だ。彼女は西都に居ながらにして、軍を率いる将の朝食までも把握していた。

 そのプエルをして、ゲルミオン王国の侵攻は予想外ではない。旧熱砂の神(アシュナサン)同盟地域では赤の王が怒涛の勢いでゴブリンを追い払い、クシャイン教徒は聖都クルディティアンを残して、ほぼ壊滅状態。彼らにしてみれば南部での軛が消えたことになる。

 東に聳える大国シュシュヌ教国とは緩い同盟関係にあるだろうし、今までの各国の動きを見る限り、ゲルミオン王国は赤の王とも密約を交わしている節があるのだ。更に北方では、蛮族の討伐が終了しているという報告もある。

 嵐の騎士ガランド・リフェニンに代わり、その地位についた聖騎士リィリィ・オルレーア。魔剣の一族の末裔であるという女傑は無能とは程遠いようだった。雪荒ぶ北方の大地にて赤い髪を靡かせて戦う乙女の人気は、王都でも上々のようだった。

 アシュタール王より聖騎士の証として与えられた魔剣空を切るもの(ヴァシナンテ)を操る彼女は、今や若手の聖騎士として燦然とその名をゲルミオン王国に刻みつつある。

 ゴブリンの王が西域を支配した際、かの王国は三方を敵に囲まれていた。だが、今やゲルミオン王国の敵は西域を支配するゴブリン達だけとなっている。

 一方でゴブリン達の状況は苦境にあると判断せざるを得ない。

 東方には強大な軍事力を誇るゲルミオン王国。更には南方にエルレーン王国と交易国家プエナ、迷宮都市トートウキ、旧クシャイン教徒の領土の一部までをも含めた強大な国家が誕生しようとしていた。

 その中心にいるのが、プエルの不倶戴天の敵である赤の王。

 砂漠地域を含むとはいえ領土にしてゲルミオン王国の2倍にも匹敵し、財力においてシュシュヌ教国に互する強大な国家である。

◆◇◆

挿絵(By みてみん)

◆◇◆

 盟主ブランディカ・ルァル・ファティナのカリスマ性を中心に、王佐の才と呼ばれる軍師カーリオン、老付与術師グレイブ、前衛隊長サーディン、剣舞士セーレ、湾曲剣のシュンライ。数多の血盟を従える連合血盟の主にして、エルレーン王国内でも確固とした地位を持つ。

 更に先日交易国家プエナはラクシャ女王とブランディカの婚約を発表し、プエナは赤の王と協力体制を取ることを明言。これ程までに急激に膨張した組織であるにも関わらず、周辺諸国は為す術もなく彼らの台頭を許してしまっている。偏にそれは赤の王の盟主たるブランディカの並外れた求心力にあるとプエルは判断していた。

 東部で赤の王は10年という歳月を掛けて基盤となる戦力を整えたのだろう。だが、それにしてもこの僅か1年程でシュシュヌ教国すら凌ぐ強大な国家を成り立たせるなど、事態を目の前にでもしない限り絵空事と笑ってしまう筈だ。例えそれが、自由都市群という諸国家を乗っ取る形だとしても空前絶後としか言いようがない。

 少なくともこれまでの歴史上、そのような例は存在しなかった。王佐の才の描いた王国の絵図は、流血と燦然と輝く栄光と共に地図上に描き出されているのだ。

「だからこそ、弱点が見えます」

 口元に酷薄な笑みを浮かべるプエルは、地図を前に更に思考を重ねる。赤の王は諜報に限りなく力を入れているらしく、プエルの構築した情報網でも探りを入れることはかなり難しかった。

 彼女が思考を辿るのは、ゲルミオン王国のアシュタール王である。

 南方に強大なカリスマが築いた新興国を抱えたゲルミオン国王はどう出るか? プエナのラクシャ女王の婚約の第一報が周辺諸国の動静に影響を与えるのは間違いない。

 密約を結んでいるから、安心して赤の王と正式な同盟を結ぶのだろうか? 或いは危機感を煽られるだろうか? その点に関して、プエルはほぼ間違いなく後者だと予想していた。南方で行われた数々の戦績は、聖騎士ガランドらによってアシュタール王の元に届いているだろう。

 アシュタール王はなまじ優秀であるが故に、赤の王が築きつつある国が並び立つ敵と味方を王佐の才が争わせ、漁夫の利を得ながら成長してきた国家だと気付く筈だ。そして自身の置かれた立場がゴブリンという仇敵を抱えた美味しい獲物として軍師の目に映っていると戦慄するのではないか?

 アシュタール王は、その生涯の戦績と功績を見比べると華々しさはないが一国の主としては堅実という言葉が最も当てはまる。それがアシュタール王の性格であるとプエルは読んでいた。

 ならば堅実なアシュタール王はどうするか?

 老齢を迎え、息子らには先立たれ、一粒種の孫を抱えるアシュタール王は、赤の王に膝を屈して和を請うだろうか?

 ──否だ。

 6代を数える王国の国主ともあろう者が、そう簡単に膝を屈する筈がない。少なくとも勢力の均衡を図ろうとするだろう。優秀で堅実な国王は己の兵力を温存しながら赤の王の戦力を削ろうとする筈だ。

 では、どうやって?

 目の前にいるではないか。西域を占領し、赤の王に南方から追い出された調度良い仇敵が。赤の王と共同して西域のゴブリンを討つ。これを名目にして赤の王とゴブリンらを衝突させ、両方の戦力を削ろうとするのではないか?

 赤の王がどう考えたかは分からないが、南方での軍の動きからして赤の王はその誘いに乗ったと見るべきだ。であるなら、討つべき敵は東のゲルミオン王国ではなく南の赤の王である。ゲルミオン王国側は赤の王とゴブリンが激突するなら、その様を高みの見物と決め込む。

 密集し遅々として進まないゲルミオン王国軍は斥候を四周に放ち、ゴブリン達を非常に警戒しているらしい。ゲルミオン王国側の砦群から半日の距離に陣取り、こちらに攻めてくる気配すらないのは彼女の予想を裏切るものではなかった。

 ゴブリンの王が地下深くで何を得たのか、彼女には分からない。

 しかしプエルの指示通り2ヶ月で戻り、1ヶ月を費やして騎馬を乗りこなそうと必死になっているのは理解している。ならば、彼女も誓約を果たさねばならない。

 地図のある部屋から出ると、彼女は西域を守る諸将を呼び集めて軍議を開いた。

「ゲルミオン王国軍を牽制します」

 居並ぶのは誇り高き血族(レオンハート)のザウローシュ、解放奴隷の戦士シュメアとヨーシュの姉弟、雪鬼の一族からユースティア。亜人からはウェア・ウォルフの一族のミド、長尾リザラットの一族の族長タニタ、甲羅パピルサグの一族のルージャー。 人馬ケンタウロスの一族のティアノス。最後に牛人ミノタウロスの一族のケロドトス。

 ゴブリンからは南方の支配者ギ・グー・ベルベナと戦鬼ギ・ヂー・ユーブのみが参加していた。フェルビーを始めとした妖精族の戦士も勿論参加している。

 プエルは簡単に状況を説明すると、それぞれに役割を振り分ける。

「随分自信があるみたいだけど、大丈夫なんだろうね?」

「剣士が剣に命を懸けるように、私は策に命を懸けます。貴方は命を賭けた勝負の最中に、武器を振るうことを躊躇いますか?」

 あまりの手際の良さにシュメアが目を丸くしていると、プエルはにこりともせずに答えた。

「降参だよ」

 苦笑して両手を上げるシュメアを横目に、プエルは更にこれからの動向を説明する。全員が動きを理解し、それぞれに散った後で、彼女は妖精族の戦士と共にゲルミオン王国軍の陣取る地域にまで前進した。

 彼女は遠く敵陣を見据える。

「さあ、塗り潰してあげます」

 復讐の女神に魅入られた神算鬼謀の軍師は、薄く笑った。


◆◇◆


 アシュタール王は、これが牽制だと理解しつつも、手を抜くつもりは毛頭無かった。ガランドとシーヴァラを派遣した南方の戦線ではクルディティアンを包囲している。人口30万と号する巨大な都市を攻め落とすとなれば、1年や2年の時間を掛けるのは攻城戦の常である。

 それだけの経済的余裕がゲルミオン王国にはあったし、豊かな南方を領域とするなら採算は取れる。予想外だったのは赤の王という連合血盟だ。

 ガランドから報告させた内容は恐るべきものだった。

 敵も味方も全てを巻き込んで、赤の王が成り上がる為の礎としか思っていないのではないかと疑う程の冷徹な策謀。

「若造め」

 王佐の才と呼ばれるカーリオンの卓越した先見性とブランディカの強大なカリスマに支えられた血盟を中心に、まるで渦を巻くように何もかもを巻き込んで壮大な絵を描こうとしている。エルレーン王国も、クシャイン教徒も、ゴブリンも。そして、あろうことかゲルミオン王国ですらも。

 それは国生みの神話である。

 嘗て偉大なる先人達が成し遂げた夢物語。

 物語に語られる英雄達。遠い昔に聞き及んだ彼らの活躍に、アシュタール王とて感動と憧憬を覚えたものだった。或いはアシュタールが今少し若く、王位などという重荷を背負っていなければ、胸を熱くしてその流れに身を投じたかもしれない。そんな類の話だ。

 だが、アシュタール王はゲルミオン王国の英邁なる主である。老いたりといえども、王たるその双肩には大陸西部の覇者たる自負と己の民に対する責任がある。膝を屈する訳にはいかなかった。

 赤の王の急激な膨張は、既存の国々にとっての共通の脅威である。

 シュシュヌ教国へは既に使者を発し、相互不可侵の盟約と同盟の締結を急いでいる。そして今ひとつ、交易国家プエナに対してもアシュタール王は使者を出していた。

 先日の婚約発表に託けて、使者に婚礼を祝う贈答品を持たせて発たせてある。赤の王にではなく交易国家プエナにである。謀略をもって敵の戦力を削ろうとするならば、敵の内に協力者が必要だった。プエナに必ず存在するであろう反赤の王勢力。それを焚きつける必要がある。

 ゲルミオン王国からの関係修復の使者であると同時に、暗に後ろ盾となるという意思を彼らに届けられればそれで良い。

 内乱など起こしてくれなくともいいのだ。

 敵は西域に存在する。ゴブリン達に戦いを挑んでくれさえすればいい。故に今回の西域への出陣自体も、極論すれば負けても良いのだ。被害さえ出さなければ問題ない。

 小競り合いを繰り返し、こちらが戦っている姿勢を強調するのも策謀の内である。

 親征などとしてしまえば、王の威信に傷が付く。その為に、今回の遠征軍は冒険者達を傭兵として雇い入れた上で編成している。

「我が生ある内は、決して負けはせぬ」

 老いたる瞳に厳冬の冷たさを宿し、アシュタール王は南を見ていた。


◆◇◆


 プエナの意思決定機関“長老院”は海千山千の化け物達の巣窟であると称される。己の利益を守る為に策謀の糸を巡らせ、己の親すら売るのを躊躇わないなどと囁かれる。

 彼らの思考形態を一言で現すならば、商人である。

 ──それが利益になるのなら、何であれ売ってしまえば良い。ただし、できるだけ高く。それが自分達の安全と更なる利益に繋がるのなら尚良し。

 その理論で言えば、彼らの最も高価な品はプエナという国家。次いで女王ラクシャであると言える。

「もはやどうにもなるまい。ここまで話が漏れてしまってはな」

 長老の一人がため息混じりに言うと、大勢は決する。

 ラクシャ女王とブランディカの婚姻の発表は、プエナの長老達にしても寝耳に水の話だった。だが、予想外は常に起こるものだ。

「では、条件をつけましょう」

 提案をしたのは外交に長けた長老の一人。

「ラクシャ女王陛下との婚儀、受けても良い。ただし、何か民を納得させるだけの実績を作ってもらいたいと」

 相手が求めている物を直ぐに売り渡しては商人としては三流である。買い手に交渉をし、どこまで値を吊り上げられるか。それが商人の腕の見せどころというものだ。

「例えばゴブリンの討伐。或いは迷宮都市の攻略などですかな」

 先のゴブリンの辺境領域の占領と蒼鳥騎士団との戦において、プエナの民は測り知れない衝撃を受けていた。騎士団の家族は勿論、誰もが魔物が大挙して押し寄せて来る悪夢にも似た想像を、嫌が応にも掻き立てられてしまったのだ。

 プエナの民は国の誇りである蒼鳥騎士団の大敗に打ちのめされてしまったと言い換えても良い。前団長アイザスが民の期待を一身に背負っていたが故に、跡を継いだアレンが不甲斐ないと嘆く声が日増しに強まってきているのも耳が痛い。

「民は蒼鳥騎士団に代わる新たな寄る辺を求めているいうことか」

 アレンが欠席しているのを見計らった発言に、長老院の場には失笑が漏れる。

「迷宮都市を攻略した暁には、その流通は我らに担わせてもらうということですな」

 迷宮都市には未だに攻略されてない迷宮が多数存在し、そこには貴金属のみならず古代の貴重な品々が眠っている。現に発掘されるものは、それが希少なものであればあるほど高値で売れるのだ。その流通経路を握れるなら、莫大な富がプエナに流れ込んでくることになる。

「だが、ブランディカ殿がそれを断ったなら?」

「それならそれで、やりようはある。衰えたとはいえ蒼鳥騎士団もあることだしの」

「……成程」

「しかし、アレン殿が納得するかね?」

「彼には暫く王都を離れてもらうことにする。ラクシャ女王陛下の頼みとあらば、否とは言うまいよ」

「ふむ」

 長老達の密やかな話し合いは終わり、ラクシャ女王とブランディカの婚姻が発表された。同時に条件も提示され、ブランディカは獰猛に笑ってゴブリンの討伐を選んだのだった。

 カーリオンは病室に指定された部屋で寝台にその身を横たえながら、ブランディカから直接その報告を聞いていた。

「いよいよですね」

「まぁな。随分と時間が掛かっちまったが……」

「いいえ、そんなことはありません」

 カーリオンが病に倒れてから、ブランディカは忙しい政務の間を縫って時折彼を見舞っている。無論カーリオンの体調が良い日に限られるが、日に日に痩せていくカーリオンの姿を気にした様子もなく、食べ物の話や戦の話、女の話などの世間話をして帰っていくのが常だった。

 だが、赤の王が名実共に南部の覇権に手を掛けたその日だけは、ブランディカは敢えて血腥い政務の話をした。それはカーリオンがその身を引き換えに描いてきた、至高の玉座に手が届いた瞬間だったからだ。

「……不安なのですか? 我が王」

「……冗談言うな。俺ぁ、王になる男だぜ」

 口元に笑みを浮かべるブランディカだったが、僅かに手が震えていた。

「心が踊ってるみてぇで落ち着かねぇんだ。漸く俺の国を持てる。餓鬼の頃からの夢だったんだ。その夢に、もう直ぐ手が届く。お前のお陰だ」

 暫く黙り込んだブランディカは、申し訳なさそうかに視線を逸らす。

「済まんな。そんなお前に報いるものが、何にもねえ」

「……いいえ、王よ。充分頂いています。良い夢を見させて頂きました」

 カーリオンの透明な微笑みに、ブランディカは態とらしく溜息をつく。

「敵わねえな」

「ご冗談を」

「……行って来るぜ。カーリオン」

「ご武運を。我が王」

 赤の王は軍をプエナに向けた。


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