戦場までの距離は
交易国家プエナは、一つの話題で持ち切りだった。
赤の王の盟主である大公ブランディカとラクシャ・エル・プエナの婚姻である。この提案自体は以前にプエナの意思決定機関“長老院”に持ち込まれ未だに審議中だったが、人の口に戸は立てられないということらしい。
「婚約者のアイザス殿が亡くなって、未だ間もないというのに……」
「いや、だが北の情勢は不穏だろう? 赤の王という血盟は迷宮都市トートウキに居る冒険者血盟全部より規模が大きいらしいし、軍備の増強を図るなら悪くないんじゃないか?」
「だからって、女王様の気持ちはどうなるのよ!?」
露天商の集まる市場で、女達の集まるオアシスの近くで、或いは家々の中で。至る所でその話題は繰り返された。女王ラクシャは国民に人気のある為政者である。その気品と楚々とした美しさは砂漠に咲く花に例えられ、聖女ミラには及ばないまでも、ある程度の求心力を持っていた。
その婚姻に対して批判的な意見ばかりではないのは、ブランディカ率いる血盟赤の王の影響力の大きさから来るものだった。赤の王の軍師カーリオンが倒れてしまってからはブランディカ自身が政策などを決め、その力を徐々に交易国家の中枢に伸ばしつつある。
ブランディカがプエナを掌中に収める為に、いち早く着手したのは経済の支配である。
砂漠を渡る隊商の護衛や魔物の死骸から取れる資源、交易品の輸送に至るまで、徐々に赤の王の影響力を増していく。交易国家プエナは、その名の通り交易によって税収の殆どを賄っている。国策として自国の商人達に支援という形で資金を提供し、利益を挙げさせるのだ。その上げた利益の中の何割かを国が徴収することでプエナの国家財政は保たれていた。
砂漠を渡る隊商の護衛は主に冒険者血盟が担ってきた。今日まで、プエナは複数の血盟を互いに競わせることで一つの血盟の力が強くならないよう、配慮と調整を加えながら上手く彼らの力を御してきたのだが、赤の王はそんなプエナの思惑を一蹴してしまう。
護衛に赤の王の息のかかった血盟を積極的に登用させると同時に、他の血盟を締め出したのだ。赤の王に膝を屈するなら連合に取り込み、断固として抵抗するなら実力行使も厭わなかった。
それが可能だったのは蒼鳥騎士団の力が落ちていた事と、赤の王に支配されたエルレーン王国及びファティナの存在が大きい。ファティナの穀倉地帯は南方でも有数の食糧の供給地点だった。それを赤の王が握ることにより、プエナに流れる食糧を一時的に止めさせたのだ。
勿論直ぐに解除したが、脅しとしては充分だった。
人は食わねば生きていけない。故に、食糧とその流通を他者に握られることは命を握られるのと同義だった。そしてもう一つが、エルレーン王国の存在である。本来、ここまで無茶をすれば当然どこかしらから反発がある筈だ。特に冒険者ギルドは所属する冒険者に仕事を斡旋することでその存在を成り立たせている以上、各国のギルドを通じて行われる仕事を故意に妨害すれば、最悪の場合ギルドに対しての反乱と捉えられてしまう。
だからこそ、ブランディカはエルレーン王国を通じて邪魔な血盟の排除を命じた。エルレーン王国の公爵という地位を使って、ギルドに排除すべき血盟を名指しで訴えたのだ。国の権威というものを利用して邪魔な血盟を排除しつつ、地盤を固める時間を稼ぐ。
「かなり反発が高まっているようじゃな」
赤の王の幹部である老付与術師グレイブの言葉に、玉座に腰掛けたブランディカは不敵に笑う。
「火のない所に煙は立たねえ。誰かが火をつけない限りな」
「トートウキの血盟も、殆どが傘下に加わっておるしのう」
迷宮都市での収益は、冒険者と血盟の貴重な収入源だ。迷宮で採れた貴重な財物は交易品となって各国に運ばれ、高値で取引される。そして今現在、実力のある血盟の殆どが赤の王の傘下に組み入れられ、巨大に膨れ上がったその勢力は迷宮の一部を占拠することすら可能な程だった。
「さて、経済は概ね牛耳った。可能ならばもう一手打ちたいところじゃの」
カーリオンに強制的な休暇を命じたブランディカは、赤の王の幹部の中から新たにグレイブを外交担当に命じると、プエナとの折衝に当たらせていた。
「人手はエルレーン王国側から引き抜けば良い」
一国の運営を任されたブランディカは、手始めに大鉈を振るう。官僚の長を強制的に退任させ、綱紀の粛清の為に収賄の罪を犯した者を見せしめに処刑する。文官達を震え上がらせると同時に、王弟の反乱時に不穏な動きをした貴族を一斉に排除したのだ。
その資産を没収して国庫の補填としたことで、エルレーン王国の財政は持ち直しの兆しを見せ始める。穀倉地帯であるファティナの税収も合わせて、最小限の犠牲で最大限の成果を上げる軍事上の至上命題を、ブランディカは国家経営にも応用したのだ。
軍事力を簡潔に言い表すならば、数は力である。だが、同時に質も維持せねばならない。しかし、数が多くなければ必然的に質は下がる。
数と質の均衡を取りながら徐々に兵数を増やすのが王道であるが、ブランディカは己の求心力に絶対の自信を持っていた。その為に外の血盟から人を引き抜き、或いは血盟ごと己の傘下に組み込むことで、質の面を補強しつつ数を増やすという離れ技を同時にやり遂げていた。
元々あったエルレーン王国軍は都市の内部の治安維持部隊に限定し、外征に関しては赤の王に戦力を集中させた。
「……足元を揺さぶられはせぬか?」
「人形が踊るなら、糸の行き着く先は傀儡師だ」
「成程。それをプエナ側に突きつけてみようかのう」
「傀儡師が寝返るなら、それでも構わんぞ」
「考慮してみよう」
一国を動かす官僚達は、質の高低はあれども能力に秀でている者達が多い。農民が文字すら読めない中で、読み書きは勿論簡単な計算もこなす。それだけで立派に特殊な技能として成り立つのだ。
エルレーン王国を肥やしにして、赤の王は更なる巨大化を図る。
退出するグレイブを見送ったブランディカは、砂漠からの風が吹き付ける窓を開けた。
獅子の鬣にも似た赤い髪を風に靡かせ、目を細める。
「さァ、待ってろよカーリオン。もう少しだ」
口元に獰猛な笑みを浮かべ、ブランディカは更なる力を得ようとしていた。
◆◇◆
ゲルミオン王国の聖騎士“両断”の騎士シーヴァラが囲む聖都クルディティアンの内部では、籠城を始めてから2ヶ月が経とうとしていた。食糧は節約しつつも、未だ充分に余裕がある。高い城壁に囲まれた攻城兵器も未だ健在。信仰という名の絆で団結する住民らにも戦意は充分にあった。その気になればそのまま兵力となる住民は、未だにクシャインの教えを信じ、聖女ミラに信頼を寄せていた。
聖都クルディティアンを囲むシーヴァラもそれを見越し、力押しでの攻城戦を早々に断念する。内々にではあるが、クルディティアン陥落の暁には彼がこの領土を治めることがアシュタール王より聞かされている。無駄な流血を嫌う彼にしてみれば、部下達の思惑は兎も角、素直に開城してくれるなら悪戯にクシャイン教徒を迫害するつもりはなかった。
「若っ! 機械大弓の準備が出来てございます」
領地から連れてきた傅役の老人の言葉に苦笑しつつ、シーヴァラは頷く。
「よし。だが、少し待ってくれ」
「はぁ?」
シーヴァラはそう言うと、弓を片手に城壁の間近にまで単騎ヒッパリオンで駆けていく。
「わ、若っ! 危険ですぞ!」
慌てて追いかける傅役の老人が見ている前で、シーヴァラは声を張り上げた。
「聖女様にこの文をお渡ししろ! 我が名はシーヴァラ・バンディエ!」
3人張りの剛弓を引き絞ると、城壁の上に向けて鏑矢を射る。風を切って音を鳴らす矢が石造りの城壁に突き刺される。
「シーヴァラ!? 敵の総大将だぞ!?」
「本物か!?」
城壁を守る兵士達も、シーヴァラの姿を一目見ようと城壁の上から身を乗り出す。
「何をしとるか馬鹿者! とにかく撃て!」
矢が刺さったのは城壁の上の指揮官の間近。混乱しつつも指揮官はシーヴァラに向かって射撃の号令を下す。間も無く城壁の上から雨のように矢が振り注ぐが、シーヴァラは悠然と踵を返して自軍の陣営地に戻っていった。
「若っ! 無茶をされるものではありません!」
説教を聞き流すシーヴァラだったが、ふと思いついた傅役の老人はシーヴァラに問いかけた。
「して、あの矢にはどのような文言を書いたのです?」
老人の目の良さに苦笑しながら、シーヴァラは答える。
「聖女様への降伏勧告かな」
「おお! 流石に若も成長なさったか……! 儂はてっきり遊び半分かと」
「まさか! 僕だって少しは真面目に考えているさ」
「お父上様がご覧になったらさぞや、さぞや……! では、今すぐ機械大弓の発射の合図を!」
感涙から一転、傅役の老人は血気盛んに攻めようと具申する。
「それなんだけど、もう暫く待とう」
欠伸混じりに攻撃の延期をするシーヴァラは、傅役の老人の小言を聞きながら草原を渡る風を感じていた。
シーヴァラが射た矢に括り付けてあった文を発見したのは、間近にいた城壁の指揮官である。石の壁に突き立つ威力の矢に恐れを抱きながら文を手に取ると、一時的に城壁の指揮を副官に任せ、ミラの元へ向かう。
聖女様へ、というシーヴァラの言葉に素直に従ったわけではないだろうが、城壁の指揮官は文をそのまま聖女ミラの元へ持っていった。
軍議の最中ではあったが、ミラはその報告を許可する。
「敵の将より、矢文が射込まれてございます!」
「ありがとう」
ミラに謁見する機会を得て意気揚々と現場に戻る城壁の指揮官とは裏腹に、その文面を見たミラはくすりと笑う。軍議の席に同席していた将軍達は怪訝な顔をしてミラを見守るが、手紙を手渡されたヴィラン・ド・ズールは無表情を一瞬だけ歪めて、直ぐ隣りの将軍にそれを手渡す。
「麗しきミラ・ヴィ・バーネン殿……? な、何だこれは!? 恋文ではないかっ!」
紙面を机に叩き付けると、老齢の将軍は鬼のような顔で怒りを露わにする。
「随分と面白い方のようね? 敵の将は」
満更でもないように笑うミラの言葉に、将軍らは怒気を孕む低い唸り声を上げる。歳を重ねた将軍にとってミラは尊敬すべき教皇であり、愛すべき聖女であり、目に入れても痛くない年頃の娘のような存在だった。
翌日、返事を貰おうと再び単騎で城壁に近付いたシーヴァラに昨日よりも尚一層密度を増した矢の雨が襲い掛かり、それに入り混じるようにして怒声と悪罵が降り注いだのは言うまでもないだろう。
「若! 随分と敵は戦意が高いようですな!」
「おかしいなぁ……? 降伏勧告が効き過ぎたのかな?」
「強き敵は己を高めてくれる得難いものです! さあ、攻撃の号令を!」
クルディティアンは未だ本格的なぶつかり合いにはならず、互いに手探りで落とし所を探っている状態だった。
◆◇◆
深淵の砦深部から戻ったゴブリンの王の姿を見たゴブリン達は、一様に安堵の吐息と畏敬の念に打たれてその場に膝をついた。ゴブリンの王からすればほんの数日程度だと思っていたが、実際には2ヶ月もの時間が流れていた。
その場に居並ぶのはナイト級ゴブリンであるギ・ガー・ラークス、パラドゥア氏族のハールー、ノーブル級に進化を遂げた片腕のギ・ベー、剣王ギ・ゴー・アマツキらであった。
「王、よくぞご無事で」
膝をつくギ・ガー・ラークスは闇の中から現れた王に頭を垂れた。今の王は、まるで深淵の砦の闇が凝固して生まれ落ちたような凄まじい存在感を放っていた。
体格はやや大きくなっただろうか。額から生えている天に反逆するような一本角と両脇の雄々しい二本の角が、キング級の時と較べてより太くなっている。皮膚はゴブリンというよりは魔獣に近い。短く黒い体毛に覆われ、口元は蛇のように突き出ている。
鋭く覗く牙は鋸のように生え揃い、特に犬歯は禍々しく大きい。体を鎧う筋肉は大きさ自体は変わらないものの、その密度は以前とは比較にならない程に増している。凝縮された筋肉がはちきれんばかりに内側からその存在を主張しているのだ。
頭部から背中を伝い、尾の先端まで鶏冠のような黒く長い体毛が生え揃い、力強く踏み出される足先には地面を掴む強靭な爪がある。
久しぶりの陽光に細めた瞳の色は血よりも赤い深紅であり、両腕にはそれぞれ変わらぬ神々の眷属たる証が宿っている。腰から首に巻き付く体毛の色が変化しており、まるで体に巻き付く蛇のような黄金色の模様となっているのが目を引く。
顎下から伸びる黒の体毛は髭のようであり、ゴブリンの王の威厳を増していた。背中から伸びる尾からは頭を下げるゴブリン達に不変の力強さを与え、王の声は彼らの魂を震わせる。
「うむ、変わりないか?」
重々しく頷く王の前に、妖精族の戦士が姿を現す。戦塵も落とさぬまま伝言へと走ってきたのだろう。青銀鉄製の鎧には、至る所に戦傷が残る。
「プエルから伝言を預かって来ている」
フェルビーはそれでも口元に野性的な笑みを浮かべて、軍師の言葉を伝える。
「植民都市にて待つ、とのことだ」
大きく頷いたゴブリンの王は、ギ・ガーを始めとして出迎えたゴブリン達に号令を下す。ギ・ガーの後ろに控えるのはレア級のゴブリン達。ゴブリンの王には、それがプエルの秘策である魔窟の攻略による成果だと分かった。
「よくぞ我が前に並んだ! 精鋭達よ、反撃の時は来た! 共に勝利の栄光を謳おうぞ!」
ゴブリンの王の宣言に、ギ・ガー・ラークスを始めとするゴブリン達は武器を掲げて咆哮を上げた。
◆◇◆
植民都市に到着したゴブリンの王達を出迎えたのは、軍師プエルとその後ろに控える魔獣軍のギ・ギー・オルドを筆頭とした獣士達だった。
「ご無事の生還、何よりです」
相変わらずの氷のように冷たい表情で祝辞を述べるプエルに、王は鷹揚に頷いた。
「こちらに控えるのが、ギ・ギー殿が捕獲してきた魔獣です」
簡単な説明の後、ギ・ギー率いる獣士達が前に出る。
「王に相応しい魔獣を捉えました。肉喰らう恐馬です」
ギ・ギーが胸を張って手綱を引いてきた魔獣の姿に、ゴブリンの王は驚きに目を見開いた。
王の身長よりも頭2つ分は高い馬体。どっしりとした四肢は力強く地面に起立している。蹄を覆うようにその部分にだけ赤い体毛が伸び、他は茶色い。通常の馬と最も違うのは長い首の先にある頭だ。一つの目玉と、大きく裂けた口元から覗くのは鋸のような歯である。
ともすれば、手綱すら食い千切ってしまいそうに首を激しく振っている。油断すれば喰らい付いてきそうな迫力がある。
「ギ・ギーよ……。この魔獣は、乗れるのか?」
思わず王は問いかけたが、ギ・ギーは再度胸を張って答えた。
「他の者では駄目でしたが、王ならば必ず」
つまり、誰も乗れなかったのだと王は諒解した。
「期限は一ヶ月になります。それまでに乗りこなしてください」
平然と言い切るプエルは、他のゴブリン達も見渡して宣言した。ゴブリンの王以下、ノーブル級以上のゴブリンへは肉喰らう恐馬が割り当てられ、他のゴブリンへは三つ目の悍馬が割り当てられる。
その中でも一際巨大な1頭を目の前に出されたゴブリンの王は、低い唸り声を上げてしまった。
「私は前線へ戻らねばなりません」
逡巡する王にプエルが言葉を掛ける。
「人間達が攻めてきているのか?」
「西域方面と南方双方に動きがあります。ですが、私がいる限り敗北は有り得ません」
プエルは颯爽と踵を返すと、王の前を辞去する。
残されたゴブリンの王以下400のゴブリン達は、それぞれに悪戦苦闘しながら騎乗の訓練に励んでいった。
作者は代休をとったぞJOJOおおおおおお!!
はい、そんなわけで突然ですが更新です。
次の更新は16日予定です。