地下世界
ゴブリンの王の強化された視力を持ってしても、その闇は見渡せない。深淵の砦に戻ったゴブリンの王は、居住区を抜けて神殿区域へと足を進めていた。
双頭の蛇の守る門を抜け、松明を掲げる。
薄っすらと浮かび上がるのは岩盤が剥き出しの通路。炎が揺れる度に右腕の真の黒が煩わしそうに疼き、左腕の宝珠が明滅する。まるで無粋な物を持ち込むなと非難しているように思えたゴブリンの王は、苦笑して呟く。
「不満があるのなら、代案を出せ」
不機嫌そうな気配を放つ二匹の蛇達を無視し、ゴブリンの王は闇の中を更に進む。
氏族や幹部級のゴブリン達は深淵の砦の深部へと向かう王を揃って心配した。新参者のプエルの言葉では亜人は説得出来てもゴブリンは説得出来なかったが、意外にもそれを後押ししたのはクザンだった。
冥府の女神の加護を受けると同時に双頭の蛇の巫女でもあったクザンが、危険は無いと言い切った。医療の知識と技術で王国を支える彼女は、ほぼ全てのゴブリン達から尊敬を集めていた。
特に近衛のゴブリン達は、彼女に生命を救われた者も多い。
王が偉大なのは勿論だが、クザンは命の恩人である。彼らはそう言って憚らない。そんな彼女からの助言に、王を心配するゴブリン達は納得せざるを得なかった。
ゴブリンの王は戦場に臨むのと同じ装いで地下へと降りていく。腰には黒緋斑の大剣。背には黒炎揺らめく大剣を担ぎ、防具は動き易さを重視した革鎧と緋斑大熊の外套である。
何日掛かるか分からない為、日持ちのする携帯食を必要最低限持参したゴブリンの王は、自身の足音を聞きながら闇の中を進む。ゴブリンとして生を受けてから闇に恐怖を感じることはなくなった。或いは、それこそが人でない者の特権なのかもしれない。
そこに何が潜んでいるのか分からないが故に人は闇を恐れる。だが、この深部の闇は優しく包み込まれるような安心感があった。
“母の腕に抱かれているようだ”と考えて、ゴブリンの王は失笑する。
莫迦莫迦しい。まるで子供の戯言だ。王たる者の考えではない。
「俺にも、人の心が残っているのか」
地下へと進んでいる筈なのに、空気が生暖かい。ゴブリンの特性故か、或いはこの地下が特別なのか? 寒暖の差は全く気にならない。
化け物の王。
そう在れと望んで、自身はゴブリンを率い他種族を従えてきた筈だ。
そして……。
「レシア」
レシア・フェル・ジール。あの娘を救い、世界を己が物として名を刻まねばならない。彼女を救う為に世界が敵に回るのなら、寧ろ好都合ですらあった。
どこまでも深く濃い闇は、音を吸い取るようだった。
体感では半日程歩いただろうか。食糧を齧りながら休み無く歩いた為に、時間の経過が曖昧だった。霧の中を歩いているような、あやふやな感覚。炎に照らされて目に映る洞窟の壁は、どこまで行っても同じように見える。
だが、それでも王は足を前に出す。
そうせねばならない。
向かう先には冥府がある。確信に支えられてゴブリンの王は歩く。
もう一歩、また一歩。
遥かな行程を歩むように、一心に前に進む。
「……何だ?」
松明のそれではない、炎とは違う別種の明かりが前方に見える。
出口とは考えなかった。そこに向かって足を進めるゴブリンの王は、段々と強くなる明かりに松明を地面に置く。
自然と息を整える。これから強敵と打ち合うかのように、我知らず体が平静さを求めていた。
その隧道を抜けたゴブリンの王は、思わず目を見開いた。
「これはっ……」
頭上から降り注ぐ光。明かりに照らされたその区画は広大な空間だった。60メートルはあると思われる天井部。奥行きは500メートル程にもなるだろうか。乱立する石柱に阻まれその奥は見えない。その石壁は荒々しくはあるものの、自然では有り得ない程に削られ整えられていた。
鍾乳洞のように地面から天井へと巨大な石柱が幾つも立ち並び、その一つ一つに人の物とは思えない像が彫られている。そのどれもが傷だらけの盾と鋭く研ぎ澄まされた剣を捧げ持っていた。
「まるで……」
巨人と言いかけて、ゴブリンの王はレシアから聞いた神話を思い出す。
“古き神々は新しき神々に感謝し、それぞれの領域に戻って不可侵を定めた後、争いを止めて密やかに暮らすことを望んだ。
彼らの生み出した命もまた同じ。
妖精は神秘の水を友とする森の中へ。
草原を住処としていた亜人は各地の平原と深い森の中に住居を定めた。
高く聳え立つ山脈には竜達が。
地下深くには巨人達が住居を定めた”
「これが、巨人だとでも言うのか」
星渡りの神々から生み出された巨人は、神々の争いの後、地上から姿を消して地下に居住しているという話を聞いたことがある。ギ・ズーの出会った知恵なき巨人は別種になるのだろうか?
よくよく見ると、その巨人の像達には頭と思しき部分に宝石のように輝く4つの目が並んでいる。手に取って見ることは叶わないだろうが、事実宝石なのだろう。人間とは似て非なるその容貌。腕が3つや4つの者、鱗のようなものを全身に生やした像も有る。姿形は違えども、その全てが大鬼と比較しても3倍はある巨体だった。
正に見上げんばかりの巨人の像である。
その荘厳な光景に感嘆しながら石柱の間を歩いて行く。何者が作ったにせよ、この巨大な建造物を作った者には敬意を払わねばならないと王は思った。一つ一つの巨像がまるで生きているかと思う程に精巧なのだ。ゴブリンの王は、今までこれ程に精巧な巨人の像を見たことがなかった。
石柱の間を抜けようとしたところで、ゴブリンの王の視界にチラリと光るものが映る。視線を移せば、それは頭上の巨人の像の目の中で輝く宝石だった。
ゴブリンの王は立ち止まり、その巨人を見上げる。気になったのは、その宝石が妙に煌きを放っていることだった。一定方向から光を浴びている筈であるのに、煌めきがゴブリンの王の視界に映り込む。
「……どういうことだ?」
宝石自体が発光しているかのような不可解な現象に、ゴブリンの王は疑問の声を上げて腰の黒緋斑の大剣に手をかける。
『……何者、だ?』
まるで地の底から響いてくるような声がゴブリンの王の鼓膜を揺らす。目の前の巨人の像が僅かに揺れ、石柱が軋む音を立てる。
『小さき、もの、人ですら、ないもの、獣ですら、ないもの』
宝石が幾度も煌めく。まるでそれが何かの符号か視線のように感じられたのは、ゴブリンの王の錯覚ではないだろう。
『この先に、行っては、ならぬ』
石像が喋っている。流石のゴブリンの王も動揺を隠せなかったが、徐々に落ち着きを取り戻していった。周囲を見渡せば石柱全てに巨人の像が彫ってある。これが全て巨人だとすれば、この区画にはどれだけの数の巨人がいるのだろうか? ゴブリンの王は身震いした。
独特の区切りで喋る巨人像。ゴブリンの王は、それを真っ直ぐ見上げる。
「俺は、この先に用がある!」
見上げんばかりの巨人に向かって、ゴブリンの王は胸を張って宣言する。
『この先は、冥府……。暗く、広く、死者のいる、場所……行っては、ならぬ』
「その主に呼ばれたのだ!」
『冥府の主、主……。おぉ、おおお! 憎き、冥府の女神! 気高き、勇気の女神! 哀れな、復讐の女神!』
泣くように歌うように、巨人は言葉を紡ぐ。
『冥府へ、赴くものは、死者のみ』
巨人が石柱から僅かに動き、頭をゴブリンの王に向ける。
『死者、ではない者が、赴けば、その者は、死者となる』
「生憎と、死を賭してでもやらねばならぬことがある」
既にゴブリンの王の双肩には数えきれない生命が積み上げられている。それを率いる者が、生命を惜しんで彼らの上に立てるだろうか?
決然と言い切り、ゴブリンの王は更に奥へと向かう。自身よりも遥かに小さな背を見送った巨人は、再び僅かに身動ぎした。
『憎き、冥府の女神よ……。我らは、眠る。いつか、お前達が、冥府へ、入りきるまで』
それきり巨人は沈黙し、石柱の間は再び静寂が支配した。
巨人の間を抜けた先には、再び暗闇の支配する隧道が広がっていた。だが、その暗がりには巨人の間に至るまでの道程のような深さも濃さもなかった。
そうして再び闇を抜けると、ゴブリンの王の前には朽ちた巨大な武具の残骸があった。まるで戦場跡のように無数に散らばるそれらは、巨人達に相応しい大きさを備えていた。刃の欠けた巨大な剣や、材料すら分からない歪んで使いものにならなくなった盾。或いは先の欠けた槍の穂先など。
それらの残骸群を抜けた先で、ゴブリンの王は目的地が近いことを確信する。
ゴブリンの王の視界に映るのは巨大な扉。若しくは門と表現した方が良いのかもしれない。頭上を見上げても暗闇に閉ざされて天井が見えない程の大きさ。これが冥府の門だと言われても納得出来る威容を誇り、それは存在していた。
ゴブリンの王の確信を深めることになったのは、扉の前に塒を巻いて居座る大蛇の姿を認めた為だった。その門に比べれば小さいが、充分に巨大な蛇である。鶏冠のように背に沿って伸びる逆立った鱗は、鬣のようですらあった。褐色の斑紋と黒褐色の縦縞。その体には、いたるところに古傷がある。
『……何者だ』
閉じていた目を見開く大蛇。その言葉自体が重力を持っているかの如く、ゴブリンの王の肩に伸し掛かった。
「冥府の主に用がある!」
堂々と言い切るゴブリンの王に、大蛇は目を細める。
『愚かな巨人どもの走狗、という訳でもないようだが……』
ゆっくりと頭を擡げる動作だけで、軽い突風が巻き起こる。
『……真の黒と双頭の蛇までいるのか』
大蛇が口を開いて笑う。口腔には岩をも噛み砕く鋭い牙が、びっしりと生えていた。
『時が、来たのか?』
問い掛ける声は、ゴブリンの王を無視して内なるヴェリドの言葉を引き出す。
『否、友よ。我らは主の命により罷り越した。この者に祝福を授けて貰いたい』
土喰らう大蛇は、観察するような視線でゴブリンの王を見る。ゴブリンの王は怪訝な面持ちで右腕に宿るヴェリドを見つめたが、それ以上の反応はなく、再び大蛇を見上げた。
暫く経って、ゴブリンの王を眺めていた大蛇の口の端が吊り上がる。その表情はどこか人間臭い。
『……良かろう。ヴェリドが入れ込み、ベディヴィアが後を託す程の者だ。異存は無い。未だ小さき混沌を率いる者よ』
土喰らう大蛇が正面からゴブリンの王を覗き込む。その瞳の色は深い青。まるで深海を思わせるような蛇の眼が、ゴブリンの王を見つめる。
『汝、力を望むか。それが死に至るものだとしても』
神の問い掛けにも似たその言葉に、ゴブリンの王は頷く。
「……望む」
冥府の女神の誘いはこういうことだったのだ。ゴブリンの王は納得し、死に至る力を望んだ。
『ならば汝は我らが力をもって、我らが望みを叶えよ』
「お前達の望みとは?」
『この世界に、再び勝利と栄光の女神の歌を響かせよ!』
「良いだろう。神々すらも振り向かせる勝利を約束しよう!」
ゴブリンの王の言葉に満足そうに頷くと、土喰らう大蛇は咆哮を上げる。それは地下全体を震わせる鬨の声だった。瞬間、土喰らう大蛇は自身の体を噛み破り、ゴブリンの王に己の血を振り掛ける。
じゅうじゅうと煙を上げる体を見回したゴブリンの王は、自身に新たな力が宿ったことを本能で理解する。
『気が向けば、そこにある巨人共の財物から好きな物を持っていけ』
大蛇が塒を巻いていた場所には、煌めくばかりの宝物が小さな山を作っていた。ゴブリンの王では持ち運ぶことが不可能な物が多かったが、その中から一本の剣を選び出す。
『巨人の守護剣か。非力なお前達には丁度良いだろう』
「約束は守る。待っていろ」
『言うではないか。さあ、貴様がここに来るには未だ早い。走るのだ! 疾く地上へ戻れ!』
ゴブリンの王は、今しがた来た道を辿り、地上へと帰って行く。
『汝、願わくば、世界の亀裂とならん』
ゴブリンの王が去った後、土喰らう大蛇の前に、石柱から抜け出した巨人達が武装した姿で現れる。
『私が傷付いたのを察知して眠りから覚めたか。煩わしき呪いだ』
『我ら、復讐の、剣となり、祖先の、仇を、討たん!』
地下深く、神話に語られる戦いが繰り広げられていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
階級が上昇。
【種族】ゴブリン
【レベル】1
【階級】インペリアル・大帝
【保有スキル】《混沌の子鬼達の覇者》《叛逆の魂》《天地を喰らう咆哮》《剣技A−》《覇王の征く道》《王者の魂》《王者の心得Ⅲ》《神々の眷属》《覇王の誓約》《一つ目蛇の魔眼》《魔流操作》《猛る覇者の魂》《三度の詠唱》《戦人の直感》《導かれし者》《混沌を呼ぶ王》《封印された戦神の恩寵》《冥府の女神の聖寵》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ルーク・コボルト(ハス)(Lv56)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv42)オークキング(ブイ)(Lv96)
【状態】《一つ目蛇の祝福》《双頭の蛇の守護》《土喰らう大蛇の祝福》
【スキル】《混沌の子鬼達の覇者》種族ゴブリンに対して魅了効果(大)。支配下のゴブリンの能力上昇(大)。信奉者以外は、死後に魅了効果解除。
【スキル】《覇王の征く道》統率可能な個体数極めて増大。ゴブリン以外の種族に対して魅了効果(中)。直接率いるゴブリンに対して絶対命令権。
【スキル】《覇王の誓約》不可避の傷と引き換えに冥府の魔素を引き出す。筋力・機敏性・魔力・防御力が増強(極大)。不可避の傷は、あらゆる治癒を受け付けない。
【スキル】《冥府の女神の聖寵》冥府の女神の加護を受けた者に対して魅了効果(大)。光属性を持つ者から嫌悪(中)。闇属性を持つ者に対して魅了効果(中)。
【状態】《土喰らう大蛇の祝福》他の祝福、守護、恩寵の力を増強する。
【状態】《一つ目蛇の祝福》体力回復(中→大)。魔素の操作が容易になる。
【状態】《双頭の蛇の守護》深淵の砦で戦う限り、体力回復(大→極大)。暗黒の森で戦う限り、体力回復(中→大)。支配するゴブリンの成長率上昇(小→中)。
【スキル】《封印された戦神の恩寵》軍の先頭を駆けることにより、防御力、腕力、魔素上昇(中→大)。戦場を見渡す勘が精度を増す。
【アイテム】巨人の守護剣 古の巨人が戦に用いた短剣。だが、他種族にとっては大剣である。
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なんとか更新。
次回更新は16日予定