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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
254/371

ギ・バー・ハガル

「ギ・ズー、右翼から後退せよ! ギ・グー、前進だ!」

 ゴブリンの王の指揮の下、ゴブリン達は戦いながらの後退に成功している。圧倒的な物量を持ちながら、それを小出しでしか振るえないプエナ側の弱点を突く形で戦を展開するゴブリンの王。だが、やはり後退しながらでは敵に与える被害も少なくなってしまう。

 プエナの後衛には癒やし手(ヒーラー)が常駐しており、負傷兵はすぐさまそこに運ばれて回復してしまうのだ。普段から魔物や魔獣を相手に戦っている冒険者が主体の軍である為、負傷に慣れているというのも大きい。

 これが初めて戦場に来た農民兵であったり、碌に戦場に出たこともない新兵などであったりするならば別だろうが、生憎とゴブリン達の前に立ち塞がっているのは、常に死と隣り合わせで生きている冒険者達だった。傭兵稼業に蛮族退治、対人に関しても彼ら程に血に濡れている存在も稀である。

 大きな血盟になれば、それだけ腕の良い癒し手が在籍し、多数の命を救うことが出来る。故にゴブリン達に向かってくる人数は少しも減らない。常には恐れをなして引き始めても良い筈の頃合いに、彼らは怯むどころか敢然と立ち向かってくるのだ。

 ゴブリンの王は内心の焦りを表に出さないように、咆哮を上げて大剣を振るい続ける。

 このままでは戦を継続したまま先に逃した辺境領域の民達に追いついてしまうのではないか? 戦の最前線に立ち続けているゴブリンの王には、後方の状況が正確に読み取れなかった。目の前には油断ならない冒険者達。豪剣を以って叩き伏せているように見えても、徐々に疲労は溜まっていく

 だが、ゴブリンの王無しでは前線は一気に消耗させられ、撤退も儘ならなくなる。幾らデューク級やノーブル級のゴブリンが各部隊を指揮しているといっても、全軍を統率出来るのは王だけなのだ。言い換えれば、ゴブリンの群れを軍として動かしているのは王の存在以外にない。王が戦線を抜けた途端、ゴブリン達の軍勢は複数の群れとなり冒険者の血盟に押し潰されるだろう。

 王は内心の焦りを一端心の隅に追いやり、目の前の敵に向かって大剣を振るうことにのみ集中する。中天に太陽が昇った時刻から始まった戦も、今や西日が差すまでになっていた。夜は魔物の時間である。仕掛けるなら、なるべく有利な状況で仕掛けねばならない。ゴブリンの王はそう考えていた。


◆◇◆


 プエナ陣営の中心たるアレンの下には目を覆うばかりの被害の報告と、それに劣らぬ戦果として徐々にゴブリン陣営を追い詰めている手応えが伝わってきていた。

 ゴブリンの前線を崩せてはいないが、それでも徐々にゴブリン達は後退している。アレンはそれを自軍の力が勝っているからだと読んでいた。まさかゴブリンが辺境領域の民を庇っているなどと思いもしなかったろうし、その情報があったとしても信じなかっただろう。

 勝負を決めるなら蒼鳥騎士団を率いて出陣し、アイザスの敵を討つべきだ。アレンを筆頭とした蒼鳥騎士団の誰もがそう思っていた。

 だが、時刻は間もなく闇の女神(ウェルドナ)が翼を広げる夜の神(ヤ・ジャンス)の時刻である。ここまで順調に押しているが故に勝負時が難しい。一つの躓きが今までの犠牲を無駄にする。だからこそ、アレンは判断に迷う。

 夜の危険を冒してゴブリンを攻めるか、万全を期して翌日に持ち越すか。だが、攻め時を誤ればゴブリン達が回復してしまう恐れがある。或いは逃走を図るかもしれない。その考えが脳裡を離れず、アレンは隙を窺いながら戦線を見つめていた。

 そんなアレンの下に、一騎の伝令が飛び込んでくる。

「エルレーン王国から援軍! 騎馬6000!」

 どよめく蒼鳥騎士団の団員達と冒険者達。勝算が見えてきたことで冒険者達の士気は上がり、団員達は仇を討ちそびれることを恐れて騒めく。アレンは独り、ここで赤の王がゴブリンを打ち破った場合、己の敬愛する女王にどんな影響を及ぼすかを考えた。

 元々単独で勝負を決せねば意味が無い戦いなのだ。赤の王に手柄を奪われるぐらいなら蒼鳥騎士団を突撃させるべきかと思考しながら、前線で戦うゴブリンと冒険者達を見守る。

「奴らの到着時刻は!?」

「1刻かと!」

 薄闇の中を猛進する赤の王の姿が、アレンの脳裏を過る。

「両翼を広げてゴブリンを包囲するぞ」

「では!?」

 副官の問いかけにアレンは大きく頷いた。

「全面攻勢を掛ける! 四半刻で準備だ! 蒼鳥騎士団は右に迂回しつつ敵の後方を撹乱! 折角食らいついた獲物だ! エルレーン王国にくれてやる必要はないぞ!」

 気勢を上げるプエナ陣営は、ゴブリン達と闘いながら鳥が翼を広げたような陣形を取り始めた。


◆◇◆


 一進一退の攻防を続けるプエナとゴブリンの王の軍勢。それを尻目に、赤の王の前衛部隊長サーディン率いる騎馬隊がゴブリン側へ迫っていた。

「斥候の報告は!?」

 馬上で怒鳴るサーディンへ、気心の知れた冒険者が怒鳴り返す。

「西に半日くらい行ったところに、プエナの宿営地だ!」

「ってことは、居やがるな! 速度を上げるぞ!」

 サーディンは馬の腹を軽く蹴ると、行軍の速度を更に上げる。

「付いてこれない奴は後から続け! プエナとゴブリンどもを挟み撃ちにする! 騎馬隊遅れるなよ!」

 サーディンが直接率いる戦力は、冒険者とラズエルでの敗戦を生き延びた直属の兵士達約5000。更に老付与術師グレイブから貸し与えられた魔導騎兵(マナガード)を1000騎。万全といっても過言ではないその戦力に、グレイブの懸けた期待の大きさが伺える。

「方角は北西!」

 抜き放った剣を北西方向に向けると、手綱でもって馬の方向を変えてやる。

「ゴブリン共の首を挙げるぞ!」

 常よりも気勢の充実したサーディンに、自然と部隊の士気も高まる。

「一番槍には褒賞を出す! 我らが盟主ブランディカに、俺が直接掛け合ってやるぞ!」

 抜いた剣を頭上で振り回すと、サーディンは自身が先頭となって駆け出す。その後ろに、冒険者と兵士達が歓声を上げながら続いていった。

 一刻後、既に闇の女神の翼は周囲の地形を隠している。前方から戦の喚声が聞こえてくるとサーディンは声を張り上げる。ここまでの間に兵士の半数が脱落したが、サーディンにしてみればそんなものは問題ではなかった。

「マナガードは俺の合図で炎弾を撃て! 一斉射撃、3回だ!」

 目を細めて薄闇の向こうを窺う。

「今だ! 空に向かって一発目ェ!」

 騎馬を扱う魔法使い達が、上空に向けて一斉に炎弾を打ち上げる。千人の大半が炎弾を打ち上げるのだ。炎は一瞬周囲を照らし、戦の惨状と状況を露わにする。

 サーディンは両翼を広げつつあるプエナの軍勢を見つけると、全軍を左に迂回させる。

「プエナの鈍間共に獲物を頂くと伝えてこい!」

 近くに居た兵士に怒鳴ると、了解の言葉も聞かずに騎馬隊を迂回させるべく左に舵を切る。

「続けェ!」

 炎に照らされた長剣の輝きに、全軍が続いた。

「二発目! 同じく撃て!」

 プエナ陣営をすり抜けたところで更に一発打ち上げさせる。戦うゴブリンと冒険者の姿に、サーディンの口の端が釣り上がる。盗賊染みた凶悪な笑みを浮かべると、握る長剣に力が籠る。

「最後の射撃をした後、てめえらは離脱だ! 分かってるな!?」

 頷く部隊の副官を即座に視界から追い出し、目に狂気の光を浮かべる。

「三発目、ゴブリン共に叩きこめぇ!!」

 700もの炎弾がゴブリンの軍勢の側面に叩き付けられ、炎の壁となったそれを目掛けてサーディンは突撃を命じる。

「突っ込めぇ!!」

 土煙を上げてサーディン率いる騎馬隊2000は突撃を開始した。

「ウォオオオォォォオオオ!」

 怒涛の勢いを以って突撃を開始した赤の王の騎馬隊に、ゴブリン側はギ・ヂー・ユーブの(レギオル)が反応する。炎弾を叩き付けられた時点で大盾を構えさせて被害を最小限にすると、突撃してくる騎馬隊に向かって長槍を突き出させていた。

「来るぞ! 押し出せ!」

 ギ・ヂーの号令の下に、大盾を置き捨て長槍を両手で握って騎馬隊に向かって走るゴブリン達。

「グルウゥォアア!」

 怒号と怒号がぶつかり合い、空気さえも震える中で馬がはじけ飛び、ゴブリンの手足が宙を舞う。

「怯むな! 押し返せ!」

 戦鬼ギ・ヂー・ユーブの檄にゴブリン達は良く応えた。だが、如何せん数が違い過ぎる。ギ・ヂー率いる軍の人数は、相次ぐ戦闘で300にまで減少していた。多勢に無勢。如何ともし難い数の差に一瞬だけ敵を押し返すと、ギ・ヂーはすぐさま後退の指示を出す。

 相手の鋭気を挫くことに重点を置いた攻撃は見事に功を奏し、騎馬隊の足が鈍る。その隙に王が采配を振るう。

「ギ・グー、後退しつつ前線を崩すな! ラーシュカ、左へ向かうぞ! 我に続け!」

 王の下知によりラーシュカ率いるガイドガ氏族が騎馬隊の正面に立つと、王自身も左に迫る騎馬隊へ直属の兵を向ける。剣王ギ・ゴー・アマツキ共々2つの槍の穂先となって敵陣を抉り穿ち、その後ろからガイドガ氏族の猛攻が傷跡を広げる。

 一時的に敵の攻勢を鈍らせたゴブリンの王は、2正面の戦いには耐え切れないと判断。最早一刻の猶予もない。撤退を決意すると、全正面で一気に攻勢を命じる。

「ギ・ズー! ギ・ヂー! 全面攻勢の後、撤退せよ! 敵をこの場に縫い付けるのだ!」

「王の命令だ! 奮起せよ!」

 最も消耗の激しいギ・グーの部隊が先頭となって冒険者を薙ぎ払う。レア級のゴブリン達も、各々がギ・グー配下の兵らしく連携して敵を撃退。血塗れた斧を敵に叩き付けると、敵の攻勢が弱まったと判断したギ・グーは即座に反転する。

 その背を守るべく、ギ・ズーとギ・ヂーがバラバラに追ってくる血盟を両側から挟み撃ちにし、更に後退していく。最後尾を王自ら護り、ゴブリン側は闇の向こうへ消えた。

「未だだ! 未だ終わらせんぜ!」

 ゴブリンの返り血を全身に浴びたサーディンが、馬上で唾を吐く。

「後続の部隊に伝達! 休む暇はねえぞ! 追撃戦だ!」

 徐々に到着しつつある後続の部隊は、到着した順に編成をして戦場に投入していく予定だった。だが、ゴブリン側が撤退するなら話は別だ。勝ち戦の匂いを嗅ぎとったサーディンの本能が、今直ぐに追撃すべきだと訴えている。

「プエナの鈍亀どもにゴブリンを追撃すると伝えてやれ! 目標は炎弾で示してやるとな!」

 近くに居た冒険者を使いに出すと、サーディンは到着した部隊を率いてすぐさま北上を開始する。グレイブから託された魔導騎兵を散開させて、闇夜を照らしながらの追撃戦へと移った。


◆◇◆


 負傷者を抱えての撤退戦は困難を極めた。敵の騎馬隊の足は速く、ゴブリン勢は如何に体力に優れようとも徒歩である。森林の中なら兎も角、その速度の差は平原では圧倒的に不利だった。斥候と思われるマナガードがゴブリン側を発見する度に炎弾が夜空に打ち上げられる。

 それを目掛けて殺到する敵の騎馬隊の対処に、ゴブリンの王と言えど損害を避けることは出来なかった。戦いながら下がり、一定の距離を開けたところで部隊を再編しつつ撤退を継続する。幸い時刻は夜である。少し距離を離せば、ゴブリン側の正確な位置は人間側には分からなくなった

 だが、最短で北上する予定は大幅に狂わされてしまう。理由はゴブリン側の退路を断つべく動いていた蒼鳥騎士団である。騎士団長アレンの指揮の下、西域へと向かう最短ルートに諜報の網が張られており、そこにゴブリン側が引っかかってしまったのだ。

 蒼鳥騎士団と赤の王の騎馬戦力からの同時追撃。

 結果として、それが守るべき本隊に敵を呼び寄せる事態を招いてしまった。

 ゴブリン側を追撃するプエナの蒼鳥騎士団は、半壊したとはいえ国の最精鋭を自他共に認められた部隊である。国の威信をかけた部隊に弱卒など存在せず、ゴブリン側の居所を探り当てると、すぐさま襲い掛かって来たのだ。

 先頭に立つのは前団長アイザスの敵討ちを誓う団長アレン。全軍の司令官が先頭に立つ禁じ手を敢えて選ぶアレンの姿勢は、蒼鳥騎士団の士気をこれ以上無く高めた。

 だが、アレンはそれだけでゴブリンと雌雄を決しようとは思わなかった。此方には、未だ冒険者率いる雑軍が居る。常にゴブリン側の居所を掴むことを第一に、決戦を避けつつ相手の兵力を削ることを再優先にする。

 砂馬の類稀な機動力を駆使して一撃離脱を繰り返すアレンの手腕は、雑軍という部隊を指揮することにより着実に上がっていた。蒼鳥騎士団に付き纏われる形で退路の変更を余儀なくされたゴブリン側だったが、赤の王側はそれに気付かず、更に北上を続ける。その結果、人間達の疲労を考えて宿営地を作っていたゴブリン側の本隊と衝突してしまった。

 ゴブリン側の指揮を執るのは魔術師(ウィザード)級ゴブリンのギ・ザー・ザークエンドである。騎獣兵を操るパラドゥアゴブリンや、忍び寄る刃のギ・ジー・アルシルらに周囲の警戒を任せていたギ・ザーは、敵の接近を知るとすぐさま北上を開始する。

「王に伝令を! ハールー殿、頼むぞ!」

 ゴブリンの中で最も機動力に優れるパラドゥアゴブリンに伝令を頼むと、ギ・ギーが魔獣を後方に放つ。

「時間を稼げ! 王が到着するまで保てばいい!」

 同時にギ・ジーの暗殺部隊に先導を頼むと、ギ・バー・ハガルとザウローシュに人間達を守らせ、北に走らせる。

「俺達は足止めだ!」

 ギ・ザーの判断を仰ぐ間もなく、フェルビー率いる妖精族はギ・ギー・オルドの魔獣軍を突破しようとする騎馬隊に矢を射かける。

 舌打ちしつつも、ギ・ザーは己の手勢であるドルイド部隊をギ・ドー・ブルガに任せると、戦に打って出る。厳しい戦いになりそうだと、ギ・ザーは王の身を案じた。

 一方、ゴブリン側の本隊に当たった追撃部隊のサーディンは、思わぬ魔獣軍の登場に熱くなっていた頭が冷えるのを感じた。

「何で奴らは軍を2つに分ける?」

 先程の戦闘で魔獣が居ないのは確認済みである。兵力は一箇所に集めて使った方が良い。軍事学の知識など無くとも、経験でそれを知っているサーディンは援軍の可能性に思い至る。

「つまりこいつらは、さっきの奴らの援軍ってことか?」

 サーディンは一度ゴブリンの軍勢と戦っているが、だからといってゴブリンの軍勢全てを把握しきれる訳もない。炎弾を打ち上げさせて周囲を照らせば、先の戦で見た妖精族の姿もある。

「いや、別々の経路を辿って逃げようとしていた……とか?」

 普段なら先頭を切って突撃を繰り返すサーディンの長考に、周囲の冒険者や兵士達は首を傾げる。顔を顰めて普段使わない頭を酷使するサーディン。

「くそっ、分からん! カーリオンなら直ぐに答えが出せるだろうに!」

 カーリオンを助けると言っておきながら、この体たらく。友の背中さえ見えない不甲斐なさにサーディンは苛立ち、敵陣を睨む。

「大将、俺達はどうしたら?」

 遠慮がちに聞いてくる兵士の言葉も耳に入らず、サーディンは炎弾に照らされた戦場を見る。

「……奴ら、勢いが無いような……?」

 呟くように漏れたサーディンの言葉は、自分自身の思考を固めるもの。

 ──奴らは逃げている!

 知恵の女神の閃きがサーディンの脳裡を走り抜ける。戦場の更に北側に視線を移すと、その口元が盗賊染みた凶悪な笑みで歪む。

「軍を2つに分けるぞ!」

 4000まで増加した部隊を目の前の敵と交戦する部隊と北方へ追撃する部隊に分ける。自身は北へ向かう軍の指揮を執って追撃を続行する。冒険者の知識では、ゴブリンは群れのリーダーが生き残るのを最優先にする魔物であるという認識だった。手下を盾にするなど序の口でさえある。

 その常識に従ったサーディンは、北側に先程戦った巨躯のゴブリンがいると読んだ。目の前の魔獣は援軍に来たゴブリンが時間を稼ぐ為に放ったものだ。魔導騎兵を魔獣の駆除に振り分けると、2000もの騎馬兵を率いて戦場を迂回。

 動物的な勘で北にいる部隊を捕捉し、闇の女神(ウェルドナ)の翼の中で突撃を命じた。もう少しで夜が明ける。1日の内で最も暗くなる時間帯だが、猛るサーディンの速度を緩める理由にはならなかった。

 動く影に槍を突き立て、長剣を振るう。相手が魔獣だろうが魔物だろうが、それが例え人だろうが、サーディンには全く関係なかった。

 敵は殺すものだ。敵に味方する者も敵でしかない。

「皆殺しだ! ゴブリンの首を獲れェ!」

 意気の上がる赤の王側の攻撃は、まだ始まったばかりだった。


◆◇◆


 後方から猛烈な勢いで迫る赤の王側にラ・ギルミ・フィシガが気付いたのは、その接近をかなり近くまで許してからだった。ギ・ザーの率いる部隊を後方に残し、最低限の護衛で人間達を西域まで送り届けねばならなかった為に、警戒が薄くなっていたのだ。

 本来なら警戒に当たるべきハールー率いるパラドゥアゴブリンは、王に伝令を伝える為に各個に分散して走り回っている。ギ・ジー・アルシルの率いる部隊も魔獣の駆逐と前方の警戒で手一杯だった。

「人間達を先に逃がせ!」

 誇り高き血族(レオンハート)の副盟主ザウローシュに護衛を任せ、ギ・バー・ハガルと共に後方に移動する。弓を得意とするガンラ氏族は接近されてしまえば勝ち目はない。故にギ・バーの部隊と共に防御に当たる。

 だが、敵との交戦に意気を上げるゴブリン側をすり抜け、敵の騎馬隊は守るべき人間達に襲い掛かった。サーディンとしては暗闇で視界が効かず、敵が密集している場所を狙ったのだが、それが辺境領域の民達の居る場所だった。一度離された騎馬隊との距離は容易には縮まらず、ゴブリン達は長い列の後方が蹂躙されるのを見送るしかなかった。

「おのれっ! 良くも!」

 ギ・バー・ハガルは片手に投擲斧と長剣を持つと、ギルミの静止も聞かず敵の騎馬隊へ向かっていく。彼に従う部下も同時に赤の王の騎馬隊へ全速力で駆け出す。

「ゴブリンじゃねえだと!?」

 間近に迫ってから己が手にかけたのが只の人間だったことに驚くサーディンだったが、騎馬隊の勢いは止めようがない。

「奴らを防ぎ止める! 王の名の下に、奴らを殺せ!」

 一度の突撃で民を蹂躙し、再度の突撃の為に旋回する騎馬隊の先頭へギ・バーの投擲斧が投げ付けられる。先頭を駆けていた騎馬兵に命中し、倒れる馬が旋回途中だった部隊に混乱を齎す。

「突っ込むぞ!」

 その混乱を助長すべく、ギ・バーは勇猛果敢に騎馬隊の中へ踊り込む。縦横無尽に長剣を振るい、長剣が折れたなら敵から槍を奪って振り回す。

「ゴブリンだ! 人間の首なんぞ獲っても、端金にもならねえぞ!」

 サーディンの言葉で騎馬隊の目標がギ・バーの部隊に集中する。獰猛なる腕のギ・バーが奮戦し敵を抑えている間に、辺境の民は戦場を離脱する。

 ギルミ率いるガンラの矢が敵の頭上から降り注ぎ撤退を促すが、ギ・バーは尚も戦い続けた。今自分達が撤退すれば、再びこの騎馬隊は追ってくるだろう。そして護衛をしている限り、被害は人間達にも及ぶ。

「ギ・バー殿、撤退だ!」

 悲鳴のようなギルミの言葉を、ギ・バーは無視する。

「グルウゥォアア!」

 渾身の力を振り絞り、馬を串刺しにして騎兵ごと投げ飛ばす。

「行きたくば行け! 俺は残って敵を食い止める!」

 ギ・バーの決意を感じ取ったギルミは、深く頷いて踵を返す。ギ・バーの部隊を包囲しようとする敵に三斉射を加えて人間の護衛に戻る。

 少数となったギ・バーの部隊は、夜の闇を完全に味方に着けた。戦場を所狭しと暴れ回り、出会う傍から敵騎兵に襲い掛かる。サーディン率いる騎馬兵は、数が多い故に軽快に動き回るギ・バーを捉え損ねていた。包囲しようとすると、必ず包囲の薄い部分を狙ってギ・バーが突撃してくるのだ。

 恩賞を全面に出したサーディンの言葉も悪かった。誰も彼も恩賞目当てでギ・バーに襲い掛かるものだから、連携も何もあったものではない。目の前に大金が山と積まれているとなれば、誰彼構わず押し除けてしまうものだった。

 ギ・バーが突撃すること4度。その度に包囲を破られていたサーディンだったが、暗闇の中から敵の一団が更に出現するに至って、怒りに顔を歪める。

「てめえら、一体どういうことだ!? 敵はたかだが200やそこらだぞ!」

 怒り狂うサーディンだが、援軍に来た敵の一団を見て、更に目付きが鋭くなる。

「……見覚えのある野郎だ。俺が直々に手を下すッ!」

「ギ・バー殿!」

 僅かな手勢を率いて残ると決断したギ・バーを救いに来たのは、偉大なる指揮者(ロードコンダクター)ザウローシュ。鎌槍を縦横に振るい、敵の騎士を馬上から叩き落とすと、脇目も振らずゴブリン達の退路を確保する。

「退路を確保! 少しだけ持ちこたえてくれ!」

 率いてきた部隊に言い残すと、単身槍を振るいながらギ・バーの隣まで来る。

「ギ・バー殿! 撤退を!」

「要らん世話だ! 俺は俺の役目を果たす!」

 向かってくる敵を葬り、その場から一歩も動かない意志を示すギ・バーにザウローシュは戸惑う。

「見ろ。俺はもう走れん」

 今まで返り血だとばかり思っていたギ・バーの血濡れた足には深々と槍で突き刺された傷があり、痙攣していた。思わずギ・バーの横顔を見たザウローシュだったが、無言で敵を睨むギ・バーに掛ける言葉もなく顔を歪ませる。

「……お前は人間だが、良き友だった」

 王に南方へ派遣された短い間だけだったが、ザウローシュとギ・バーは轡を並べて戦った戦友であった。今まで加護の力に影響されて人間を憎むことしか出来なかったギ・バーに、変化を齎す切っ掛けをくれたシュメア。そして戦場で生命を助け合ったザウローシュ。

 二人の人間を通じて己の考えを改めたギ・バーは、直ぐ傍に迫る己の死を見つめる。

「惜しむらくは、もう共に戦う時間が残されていないことだ」

 激しい戦闘を繰り広げている中、場違いな程穏やかな声でギ・バーは語る。

「友よ、役目を果たせ。ここはギ・バー・ハガルが引き受ける!」

 繰り出された槍を弾き飛ばし、突き出された腕を切り飛ばしてギ・バーが吠える。

「……ご武運を!」

 踵を返すザウローシュを僅かに振り返って見送ると、ギ・バーは獰猛に笑って敵を葬る。

「さあ、我が首欲しくば掛かって来い人間共! 一人残らず叩っ斬ってやる!」

 左右から迫り来る長剣を槍を振り回して二つとも弾き飛ばし、呆然とする人間の頭に長剣を振り下ろす。動かぬ足を無理矢理前に出し、喉首を刺し貫いて首を刎ねる。ギ・バーに従うゴブリン達も己の死地を悟ったのか、獅子奮迅の活躍を見せる。

 僅か100にまで減った満身創痍のゴブリン達に、包囲を敷いている筈の赤の王側の方が圧倒されつつあった。

「どきやがれ、腑抜けども!」

 怒りの声と共に乱入したのは、全身に返り血を浴びたサーディンだった。

「よォ、ゴブリン……! また会ったな」

 ぎらつく瞳に獰猛さを纏わせたサーディンは、触れれば切れる刃物のようだった。

「……三度目だな、人間! だが丁度良い。冥府への道行きの伴をせよ!」

「ふかしやがるぜ!」

 勢い良く駆け出したサーディンの一撃がギ・バーの腕を抉る。だが、ギ・バーは傷を物ともせずに長剣を振り上げ、振り下ろされるサーディンの長剣の一撃に打ち合わせる。

 サーディンがギ・バーを抑えることによって、包囲を敷く赤の王陣営はゴブリン側の殲滅へと移った。ギ・バーに従い戦い抜いてきたゴブリン達が、一匹一匹と傷付き倒れていく。

「グルゥォオオオオアア!」

「ウオォゥゥオオオアア!」

 全身全霊を懸けて戦うサーディンとギ・バー。気迫が交差し、怒声と悲鳴、そして鳴り響く剣戟の音が闘争の楽曲となって戦場に響く。ゴブリンと人間が死力を尽くして奏でるそれは、やがて打ち合う剣戟の音だけになっていた。

 火花が散り、鉄同士がぶつかり合って潰れる音がする。ギ・バーの片腕をサーディンが切り落とし、サーディンの足を深々とギ・バーの剣が切り裂く。だが、どちらも決して退こうとはしなかった。

 燃え盛る炎のような一人と一匹の戦いは、遂に決着の時を迎える。ギ・バーの体に深々とサーディンの剣が突き刺さり、精も根も尽き果てたギ・バーが膝をついたのだ。

「ゴブリン風情が、中々粘ったじゃねえか……」

「王と、友の為に、俺は負けん!」

 最後の力を振り絞ったギ・バーが長剣を突き出す。だが、サーディンは冷静に長剣を躱し、ギ・バーの肩から胸に強烈な一撃を叩き込んだ。

「友、よ、王を……た、のむ」

 鎖骨から心臓に至る致命傷は、吹き出る血潮と共にギ・バーから全身の力を奪う。

 獰猛なる腕のギ・バー・ハガルは、激しき闘争の果てにその命脈を閉じた。

「友に、王だと……? ゴブリンが、俺達と同じようなことを言い残しやがって。馬鹿野郎」

 己の斬り捨てた巨躯のゴブリンを見下ろすサーディンは、暫くその場に留まっていた。倒したゴブリンの首を取ろうとする部下を無言で殴りつけると、最後にギ・バーが握っていた長剣を亡骸の前に突き立てる。

「……敵を追うぞ」

 踵を返すサーディンの下にブランディカから撤退の命令が届いたのは、その直ぐ後だった。

 

だっ、だ、だれも、朝6時に更新するなんて言ってないんだからねっ! 

……ええ、ごめんなさい。次回はいつもの時間に更新できるよう頑張ります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最高の回でした。 もちろん今までも面白かったのですが、初期の頃から悩ませていたゴブリンたちの狂化による今後人間を統治する上での不安要素は読者として気がかりでした。 作中でも何度か王の悩みの種…
感想一覧
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