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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
249/371

回天の一撃

 ゴブリンの王が一気に北の戦に雪崩れ込んだのは、決して無謀や無知からではなかった。出来る限りの情報収集と手元の戦力を見比べた結果、強襲をするしか無いという結論に達したのだ。

 クシャイン教徒とファティナから出陣した1万5千の軍勢は、包囲を維持したまま半ば膠着状態に陥っている。包囲しているファティナ勢はクルディティアン側とゴブリン側に向けて同じ程度の防御陣を作り上げ、こちらの接近を警戒している。そして何よりゴブリンの王の判断を苦いものにさせたのは、後方からエルレーン王国軍が接近中だという報告だった。

 その数1万5千。

 率いるのは大公ブランディカを筆頭に、王国最後の重鎮カナッシュ、飛燕の血盟からの客将ワイアード、謹慎を解かれ復讐に燃えるサーディン。文字通り赤の王の全力を注ぎ込んだ編成だった。しかも、それを態と喧伝しているが如く隠すつもりがない。

 その情報を手に入れた時点で、ゴブリンの王はこの戦の勝ち目が非常に薄いことを直感していた。相手は3万を越える大軍である。今、ゴブリンの王の手元には4000を少し越える程度の兵力しか無い。相手は人間の中でも抜群の武勇を誇る赤の王直属の戦力である。

 真面にぶつかれば、先ず間違いなく殲滅される。

 では、ここで後退すればどうなるか?

 ここで退けば、クシャイン教徒を降伏に追い込んだ赤の王はそのまま辺境領域に雪崩れ込んでくるだろう。1万5千とは言え、その戦力を辺境領域に向けられれば勝ち目は今よりも更に薄くなる。

 ならば、戦うしかない。

 この時点でゴブリンの王は、赤の王の狙いがクルディティアンだと考えていた。同時に、この戦はクシャイン教徒を生き残らせる為のものであることも理解していた。

 ならば直接赤の王とぶつかり合う必要はない。

 ファティナ勢を強襲し、包囲を敷けない程度に追い込んだ後に撤退する。

 方針を立てたゴブリンの王はその為の準備に入る。強固な陣地を構築しているファティナ勢力だが、今ならクシャイン教徒とゴブリン達で挟み撃ちが出来るということだ。如何に1万5千の兵力が強固な包囲を敷いていたとしても、往時は30万もの人口を養っていた聖都クルディティアンを包囲しているのだ。

 必ず防備の薄い箇所は存在する。

 案の定、北側の包囲が甘かった。甘いと言っても他の陣営地に比べればという程度ではあるのだが、ゴブリン側を警戒するあまり、北側に対する防備が甘くなったのだろうとゴブリンの王は判断する。

 そして、その程度のことは包囲されているクシャイン教徒の教皇ミラも分かっている筈だとゴブリンの王は判断せざるを得なかった。戦の前のほんの少しの時間では必要な情報全てを集めることは不可能だった。ゴブリンと同盟を組む判断をした新たな教皇の器量に賭けるしか無い。

「夜の闇に紛れて進軍する。北側の包囲を破るぞ!」

 ゴブリンの王の下知に彼らは頷き、得物を構えて走る。折良く天に煌く姉月(エルヴィー)妹月(ナヴィー)には雲がかかり、重く垂れこめた雲が天を覆っている。

「夜こそ我らの時間! ギ・ジー、ギ・グー。その力、存分に奮え!」

「はっ!」

「御意!」

 ゴブリンの王に命ぜられるまま、先陣として敵の罠地帯をすり抜ける。驚異的とも言って良い罠の回避は、この2匹が斥候と罠の扱いにおいてゴブリンの中で最も卓越しているからに他ならない。

 夜の闇の中でも物が見えるゴブリン達にとって、落とし穴のような慣れ親しんだ罠は殆ど無意味であった。ギ・ジーとギ・グー、それぞれが先頭となって一列で敵の陣営地に近付いていくゴブリン達。夜の闇に紛れたその奇襲は、ギ・ジーが陣営地の柵に手をかけるまで気付かれることはなかった。

 巡回の兵士の首をギ・ジーが掻き切る。最後の力を振り絞った兵士が敵襲の声を上げたことで事態はやっと公になったが、その時には既にゴブリン達は陣営地の中に入り込んでいた。

「抵抗する者は殺せ!」

 ギ・グー・ベルベナの命令を受けた配下のゴブリン達は勇躍し、人間に襲いかかる。夜の神(ヤ・ジャンス)に支配された闇の女神(ウェルドナ)の翼の中、死闘が幕を上げた。


◆◇◆


 カーリオンは真夜中の物音で目覚めた。

「……」

 背中に張り付くような悪寒。肌に張り付く空気の重さに、思わず闇に目を凝らす。

「戦の気配、だけど」

 カーリオンの予想では、後2日はゴブリンが来ることはない。監視線は万全の筈だった。ゴブリンは同盟を結びつつも独自に南方で戦を仕掛けた。ゴブリンらしからぬ頭の使いようだが、事実あの魔物の群れを率いている者には智慧があるのだろう。

 ベッドから降りようとして、あまりの床の冷たさに驚く。

「カーリオンッ!」

 服を着替えたところで部屋に飛び込んでくるセーレの声。

「敵襲ですか?」

「ゴブリンだ! 奴ら、お前の予想より遥かに早くやって来たぞ」

 話す内に冷静になってきたのか、最後には声の調子を落としたセーレ。カーリオンはその様子に頷くと、指揮を執るべく彼女に護衛を頼む。

「ゴブリンが、やってくれますね。……いや、ゴブリンという括りで見誤ってはいけないな」

 歩きながら各方面からの報告を受けるカーリオンは、それと同時に指示を下す。

「北側3区までは放棄して構いません。4区に防衛線を構築し、時間を稼いでください。指揮はグレッタ殿に任せます」

 ゴブリン側の侵略は凄まじく、既に北側の3つの区画が占領されているとのことだった。カーリオンは、あまりに長大な陣営地を24の区画に分けていた。北側から1として最終的に北側に戻る24区画。その3つがあまりにも呆気無く落ちたことで、ゴブリンの脅威の度合いを一つ上げたのだ。

「反撃は彼らの姿を確認してからで構いません。人数はこちらの方が多いのですから、防御壁を使ってください。本陣の護りはセーレ率いる一隊のみで結構。カサドラ殿の隊も4区の援軍に」

 高い物見櫓に登ると、篝火で照らされた4区を遠目に確認する。

「人の戦の常識を覆すゴブリンか……。ですが、僕もここで負けるつもりは無い! セーレさん、各方面に伝達を! 2日です。2日でこの戦に決着をつける」

 頷くセーレは、確認の為に口を開く。

「死守せよ、でいいんだな?」

「いいえ。必ず生き延びよと伝えてください」

「……分かった」

 闇に消えるセーレの気配が無くなると、カーリオンは咳き込んで苦笑する。

「小賢しいのが、見透かされてますかね」

 激しくなった咳に口元を抑える。

 震える手を見れば、真っ赤な血が手についていた。

「……ここが正念場だ。我が王の覇道の為、僕の志の為に、今少しだけ冥府へ誘なうのをお待ちください。アルテーシア様」

 己の死を感じ取り、軍師は不敵に笑った。


◆◇◆


 真夜中の奇襲から強襲に移ったゴブリン陣営に対して、カーリオン率いる赤の王は即座に防御を固めた。その反応の早さは流石に王佐の才カーリオンが自ら選んだ部隊なだけのことはある。だが、それにも増してゴブリン側の勢いが凄まじかった。

 ゴブリンの王、暴威の化身ラーシュカ、狂い竜ギ・ズー・ルオら突破力に優れるゴブリン達が陣営地の中を所狭しと暴れ回ったからだ。夜間から朝方にかけて行われたゴブリン側の一方的な奇襲は実に1000名もの死傷者を出し、今なお被害を与え続けている。ゴブリン側は数える程の犠牲者しか出さなかったのだから、この夜の奇襲の勝者はゴブリン側であると言っても良いだろう。

 ゴブリン達が奇襲を仕掛けてから半日。

 既に朝日が昇る時刻だが、分厚い雲が空を覆い尽くして今にも泣き出しそうだ。その頃になると激戦の様子はクシャイン教徒側からも見えるようになっていた。

 ここで聖女ミラは大胆な攻撃命令を下す。

「魔物の襲撃に合わせて、敵を撃破します」

 そう宣言した彼女は城内に最低限の兵力である3000を残すと、他の全てを攻撃に回したのだ。籠城をしている側とは思えない大胆な用兵策は、彼女の覚悟を内外に示す結果になった。

「急ぎこの包囲を崩さねば、赤の王がエルレーン王国側から援軍に駆け付けます! それでは負けてしまう!」

 彼女の認識は正しく、捕らえた兵士を尋問した結果得られた情報では後2日で援軍が来るとのことだ。それまでに包囲を突破して各個撃破しなければ、戦況は途端に苦しくなるだろう。

 聖女ミラの覚悟を感じ取ったクシャイン教徒達によって、戦線は一気に活性化する。

 北側から陣営地内を食い破るように進むゴブリン達の動きに呼応して、クシャイン教徒が陣営地へ攻めかかる。クルディティアンの守護塔の上には投石機(オナガー)が設置され、そこから石塊が敵の陣営地に投げ込まれる。

 柵を破壊し罠を押し潰し、防衛機能を奪っていく投石機の一斉射撃。それに続いて、数に勝るクシャイン教徒側が一斉に鬨の声を上げて攻め入ってくる。聖女ミラの激励を受けた彼らの士気は高く、残った罠に倒れる者や矢の雨に射掛けられる者を無視して、構わず突っ込んでいく。

 そのあまりの勢いに陣営地を守る者は敗戦を予感して顔を青くするが、そこから王佐の才の用兵術が神懸かった冴えを見せ始める。

「クシャイン教徒側には油と火を! ゴブリン側には近寄らず、弓での弾幕を!」

 押し寄せるクシャイン教徒側に向かって大量の油を惜しげも無く流した赤の王側は、足が滑って身動きの取れなくなったクシャイン教徒に向かって火矢を放つ。

「や、やめろおおぉぉ!?」

 断末魔の悲鳴を残して火達磨になるクシャイン教徒達。

「グレッタ殿戦死! ゴブリンが止まりません!」

 悲鳴を上げる伝令の兵士に、更にカーリオンは命令を下す。

「南に展開させている兵力を北側に回します! 伝令兵! 騎兵部隊を出してゴブリンの後方を強襲! 指揮はカイオネル殿!」

 加熱していく戦場にあって、カーリオンは口元に笑みすら浮かべて戦況を分析していた。ゴブリン側の突進力が落ちないのは狭い陣営地の中で戦っているからだ。限定された戦場である陣営地の中では戦える面積が限られている。ゴブリン達は、その狭い空間を利用して攻撃と回復を両立させているのだ。

 新手を次々と繰り出して、疲労した者達を後ろに下げる。中心である巨躯のゴブリンは別にしても、その周囲で突進力を支えるゴブリン達はそうやって疲れを癒しているのだろう。

 ならば休息しているゴブリン達を叩けば良い。

「数の優位というものは、そう簡単には覆らない。況してや、君達が戦っているのは王佐の才だ」

 先陣で大剣を振るうゴブリンの王に、カーリオンは小さく呟いた。

「弓兵は曲射! 目標は敵後方。魔法部隊は、敵の左翼に攻撃を集中! 騎馬隊の突撃に合わせて攻撃の不均衡を作り出せっ!」

 ゴブリンの猛攻を必死に防ぐ槍隊の後ろで、弓兵が弓を引き絞る。曇天の空に向かって放たれた矢の群れは雨となって、ゴブリン達の後方へ降り注ぐ。僅かに後ろを振り返ったゴブリンの王。突進力が弱まったところへ、魔法部隊の一斉射撃が放たれる。

 狭い陣営地の中暴れ狂う火炎の弾丸が、迫り来るゴブリンの左翼に命中。悲鳴を上げてのたうつゴブリン達。僅かだが左翼の攻撃が遅れ出す。創り出された不均衡に現場の指揮官が迅速に反応する。突出した右翼を側面から叩くことによってゴブリンを血祭りに上げると、再び針鼠のように防御を固める。

 それを二度繰り返すことによって、カーリオンは戦場に一定のリズムを創り出す。突出すればやられると思わせれば自然と出足も鈍くなる。正面から迫るゴブリンの猛威を退けつつ、曲射による後方撹乱。更に負傷したゴブリンが後方に下がる中、迂回した騎馬隊が襲い掛かる。

 舌打ちしつつ、ゴブリンの王は後方に展開する騎馬隊へ兵力を割く。右翼のラ・ギルミ・フィシガの部隊を後方に下げると、騎馬隊の対処へと回す。

 だが、それをこそカーリオンは待っていた。薄くなった敵の前線に向けて魔法部隊と弓部隊の射撃を、ここぞとばかりに注ぎ込む。齎される衝撃は、ゴブリンの王をして二の足を踏む程の壮絶な威力。敵の攻撃が鈍った時点で、カーリオンは一気に前線を後退させて4区画を捨てる。

「捨てるのか?」

「ええ、そろそろクシャイン教徒達が立ち直ってきますので」

 セーレの質問にカーリオンは苦笑して頷く。その言葉を待っていたかのように4区画に投石機から放たれた岩石が着弾。あわやゴブリン側を押し潰してしまいそうになりながら続いた攻撃は、一時的に双方の交戦を止める。

 夜半から攻撃し続けたゴブリンの王は、疲労の極みにあるゴブリン達に休憩を命じる。被害はそれ程大きくはないが、駆け通しからの攻撃は流石にゴブリン達の体力を奪っていた。交代で休憩を取らせようとするゴブリンの王だったが、後方の騎馬隊がそれを許さない。

 数の優位を最大限活かすとして、間断のない攻撃によって疲労を誘うカーリオンの方針を忠実に守る騎馬隊の奮戦は眼を見張るものがあった。夕方から夜半にかけて攻撃を仕掛けた彼らのお陰でゴブリン達は満足に休憩を取ることが出来ず、忌々しいながらも対応に追われねばならなかった。

 だがそれも、夜の神(ヤ・ジャンス)の時刻になるまでだった。引き続き攻撃しようとした騎馬隊に向けてラ・ギルミ・フィシガ率いるガンラの弓隊の矢が降り注ぐ。どこへ逃げても追ってくる矢の雨に、騎馬隊は遥か遠くまで後退せねばならなかった。

 疲弊していたゴブリン達だったが、ゴブリンの王は交代で休息を取らせつつ攻撃を続行させた。闇の女神(ヴェルドナ)の翼はゴブリン達の味方である。松明を焚いた通路ではあっても、その闇の向こうからいきなり現れるゴブリンの攻撃に人間達の対処は遅れる。

 後ろから追いかけてきている筈の赤の王は、3日の距離を開けて迫っていた。最後にザウローシュからの連絡があってから随分経つ。どの程度敵が距離を縮めてきているのか分からない中、一時とて無駄には出来なかった。

「ギ・ゴー・アマツキ、ギ・グー・ベルベナ! 俺と共に敵陣を突き崩すぞ!」

 焦る内心を押し殺し、ゴブリンの王が再び攻める。

 照らされる松明の向こうに、カーリオンはその姿を認める。

「……流石に魔物という訳ですか」

 報告を受けるのとほぼ同時、押し寄せる濁流の如きゴブリンの突撃が再び開始される。闇の向こう側から現れては兵士の首を刎ねるゴブリンの剣士。常に他のゴブリンと連携を取りつつ確実に止めを刺す長剣と斧を持ったゴブリン。そして大剣を振り回し、鎧を着けた人間を枯れ葉か何かのように吹き飛ばす漆黒のゴブリン。

 夜の闇は人間の恐怖を倍増させる。それを良く分かっているゴブリン側は、突出と後退を上手く組み合わせて戦う。設置された松明を消して自分達の姿を闇の中に隠すと、突如強烈な攻撃を仕掛けてくるのだ。

「弩の用意をお願いします。それと、ミガル殿をこちらへ」

 伝令に伝えると、セーレが驚いたように僅かに目を見開く。

「あれを使うのか?」

 シュシュヌ教国で最近開発された機械じかけの弓。未だ新しい技術であるそれを、カーリオンは大胆にも大枚を叩いて買い取っていた。

「武器は使う為にある。そうでしょう?」

「装填はどうする?」

 弩の弱点は弓に較べて非常に重く、装填に時間が掛かること。そして飛距離が短いことが挙げられる。

「ミガル百人将、参りました!」

 夜でも変わらぬ溌剌とした声を挙げる若い小隊長に、カーリオンは三段撃ちを教えると戦線に送り込む。

「確かにそれなら、矢が続く限り打ち続けられるが……」

「夜の間は恐怖が倍加します。これに打ち勝つには相手に接近を許さないこと。こちらが攻撃し続けていると兵士達に思わせねばなりません」

 対クシャイン教徒用に用意していた切り札を、カーリオンは惜しげも無く使う。

 神懸った用兵術を見せるカーリオンと言えども、ゴブリンの王率いる魔物の突撃を凌ぐのは容易ではなかった。投入された弩の部隊は当初こそ絶大な効果を上げる。

 ゴブリンの王といえど初めて見る兵器には対応し切れず、一旦の後退を余儀なくされた。だが、ゴブリンの王はすぐさま対抗策を取る。殺した人間の兵士の屍を盾にして、弩兵の中に突っ込んで行ったのだ。いくら三段撃ちで間断のない射撃が出来たとしても、鎧を着た人間の分厚い肉を貫通する程の威力はない。接近したゴブリンの王は盾にした屍を投げ捨てると、草を刈るように弩兵を殺していく。

 弩の弾幕が弱まった瞬間、ギ・ゴー・アマツキらが王に続く。特にギ・ゴーは薄くなった弩の弾幕を全て避けて接近してくるのだから、兵士達は恐怖に竦み上がった。

 その光景を見たカーリオンは驚愕する。あまりにも対処が早いからだ。まるで最初から知っていたかのような対応速度。だが、そんな筈はないと思い直す。

「……何とも素晴らしいですね。ゴブリンというのは」

「相手を褒めてどうする」

「可能なら、王の臣下として共に戦ってほしいくらいですね」

「人間と魔物は相いれない。敵対しているなら、言わずもがなだろう」

「ですが、彼らは人と協力しています。相容れないというのは、或いは僕達の勝手な思い込みなのかもしれませんよ?」

「それは……」

 黙り込むセーレに、カーリオンは苦笑を浮かべて謝罪する。

「すみません。少し興奮していたようです。意地の悪い質問でした」

 夜半にかけてゴブリン側は更なる強襲を仕掛けるが、9区画までを占領するに留まる。ここにきてゴブリン側の死傷者が少しずつ増えてきていた。だが、それにも増して赤の王側の損害は3000を超える程になっている。

 これはクシャイン教徒側がゴブリン側との連携を意識し始めたことによるものだった。如何にカーリオンの用兵術が冴え渡ろうと死傷者を無くすことは出来なかったし、徐々にではあるが兵士達の疲労も溜まってきていた。


◆◇◆


 押されてはいるが、それでも大きく敗走はせず赤の王は陣営地の中を南側へ下がっていく。ここまで来るのに4000近い被害を出しつつも、クシャイン教徒とゴブリン側に決定的な殲滅の機会を与えなかったのはカーリオンの用兵術の成せる技だった。

 朝陽が登ると同時に、クシャイン教徒側は更なる攻勢をかける。

 聖女ミラ直々に前線に出るという非常に危険な賭けに出たのだ。有力者達はそれを押し止めようとしたがミラの決意は固く、開戦して二日目の朝にミラは出撃した。聖女の名を冠した彼女の登場に、クシャイン教徒の士気は最高潮に達する。

「聖女様が我らの戦いを御覧になっているぞ! 醜態を晒すな!」

 司令官から飛ばされた檄を皮切りに、南側に築かれた敵の陣営地へのクシャイン教徒の猛攻が始まった。東から南へ攻撃を続けるゴブリン側とクルディティアンから南へまっすぐ突き進むクシャイン教徒。即席の連携ではあったが、彼らの猛攻は凄まじかった。

 今日で決着をつけなければ後がないミラとゴブリンの王の苛烈な攻撃は、容赦なく赤の王の陣営を削っていく。ミラを頂点に戴くことによって縦横無尽に指揮権を揮えるようになったヴィランが、疲労の見え始めた赤の王側に矢の雨を降らせる。それを維持しながら歩兵の長槍隊を前進させると、槍同士の激しい攻防が始まった。

「騎馬隊! 敵が来るぞ! 迎え撃て!」

 今までの経験から、カーリオンが次に打つであろう手を予想して騎馬隊を展開。予想通りに出てきた騎馬隊を倍する兵力で迎え撃つと、追撃を命じる。相手の機動力を封じてしまえば俄然有利になる。後方を心配せずに戦えるのなら前にだけ集中できる。そう考えたヴィランは追撃を命じた。

「騎馬隊が追撃を受けていますっ!」

 悲鳴のような伝令を聞くと、カーリオンは騎馬隊を南西の陣営地に向かわせるよう指示する。

「南西は戦力も薄く!」

「大丈夫です。僕を信じてください」

 抗弁しようとする伝令に、二日間の激務で窶れた顔に微笑みを浮かべて言い切る。思わず息を呑んだ伝令を有無を言わさず送り出した。

「クシャイン教徒側の指揮官はヴィラン・ド・ズールでしたか。年若いのに、実に優秀です」

 その指揮手腕の的確さと粘り強さに、カーリオンは素直に称賛の念を抱いた。

「だが、まだまだ詰めが甘い」

 カーリオンの言葉通り、赤の王の騎馬隊を追撃していたクシャイン教徒の軍勢が突如として崩れる。

「熱くなって周りを見渡せないのは、二流です」

 向けられた言葉は、最早物言わぬ屍に過ぎない騎馬隊の指揮官には届かなかった。南東の陣営地に設置されていた罠が展開地域を絞り、陣営地の中に居る兵士が矢を射かけたのだ。逃げ場のない騎馬隊は瞬く間に数を減らされ、撤退せざるを得なかった。

「10区画、抜かれますっ!」

 悲鳴のような報告に、カーリオンは視線を騎馬隊からゴブリン側へ移す。

「やはり強力ですね」

「どうする? これ以上下がるのは拙いぞ」

「12区画まで下がります。11区画に防護柵の用意を」

 ここを抜かれれば包囲の半ばが崩壊する。赤の王はそこまで追い詰められていた。

 その様子を、ミラとヴィランが見逃す筈がない。貪欲に勝利を求める教皇と、その下で知勇を奮う伸び盛りの若者である。

「ここが勝負です、総攻撃を!」

 ミラの号令に、クシャイン教徒達が死に物狂いで陣営地へ攻撃を仕掛ける。降り注ぐ矢の雨に盾を翳し、無数にある落とし穴を飛び越え、柵の間から繰り出される槍を切り払って彼らは怒号を挙げる。

 戦は終局を迎えようとしていた。

 固く陣営地に引き篭もる赤の王に対して、二つの流れとなって内と外から攻撃が加えられている。長細い陣営地の端へ端へと追い詰められていく赤の王。損害は既に5000を超え、残っている兵士も疲労の極みにあると言って良い。

「勝てるわ」

 小さく消えてしまいそうな言葉に、彼女自身頭の中が熱くなる。

 読み合いに勝った。出し抜いてやった。勝負時を見極め、相手の策を見抜いてやった。頭に浮かぶ数々の自画自賛を噛み締めながら、ミラは緩みそうになる頬を引き締めるのに大変だった。

「援軍は未だ来ない。そしてゴブリン側とこちらの勢い……勝てるっ!」

 地面を強く踏みしめて、一歩前に出る。

 ──僕を越えるには、未だ足りない。

 聞こえる筈のない、敵の軍師の幻聴が聞こえた気がした。

「……え?」

 全軍前進を指示しようとしたミラの視界に、北側から濛々たる土煙を上げる一群の騎馬隊が見える。

「嘘……」

 呆然と呟くミラの視界に入るのは、盾と槍を組み合わせた紋章旗。そして、その隣に並ぶのは風に剣の意匠を模した紋章旗。

「両断の聖騎士と、嵐の聖騎士かっ!?」

 ミラから視線を転じたヴィランが、百万言の憎悪を込めてその名を呟く。

「姫様、撤退の準備を! 姫様!」

 敗北感に打ちひしがれたミラには、ヴィランの声も届かない。そんな状態でも、彼女の優れた頭脳は一瞬の内にカーリオンの描いた図を理解してしまう。赤の王とゲルミオン王国との同盟。それによって齎される援軍と、主力になるであろう聖戦で土地を追われた民。

 聖戦のツケ。それが周り回って、こんなところでミラの足を泥沼に引き摺り込もうとしていた。

 終わりだ。ミラはそう思ってしまったし、事実敗北は目の前に迫って来ている。

「お許しをっ!」

 そんな中、反応の無いミラをヴィランが抱えて親衛隊に彼女を託す。

「撤退だ! ここは僕が食い止めるッ!」

 親衛隊がクルディティアンに入る頃には、両軍の衝突が始まっていた。


◆◇◆


 ゲルミオン王国参戦により、クルディティアンを巡る攻防は決着する。

 嵐の騎士ガランドと両断の騎士シーヴァラの率いたゲルミオン王国軍は、ミラの予想通り軍の中核に先の聖戦により流れ込んだ難民を据えていた。槍だけを持たせた兵力とはいえ、圧倒的な数の兵力はゴブリン側とクシャイン教徒側にとって致命的なものになる。

 7人いる聖騎士の内2人を投入する力技で、アシュタール王は南方領域の戦乱に介入。赤の王との内密な談合で、クルディティアン陥落の暁には、その領有を約束させた。

 最悪のタイミングで横合いから殴りつけられたクシャイン教徒とゴブリン達は撤退を決意。クシャイン教徒側はゲルミオン王国側と闘いながら城内へ撤退。先の見えない籠城戦へと突入することになる。

 ゴブリン側は赤の王の追撃を受けつつ、辺境領域を目指すこととなった。

次回更新は19日

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[気になる点] 「王佐の才」は「君主をよく補佐出来る優れた才能」の事です。 「優れた軍略の才能」の事ではありません。
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