美姫は流血を欲す
クシャイン教徒の本拠地である聖都クルディティアンの教皇の間。穏やかな表情で会議を見守る、聖女ミラ。有力者達の話を聞きながらも、その脳裡では今後の対策を練っていた。それというのも性懲りも無く、またもファティナからエルレーン王国軍が出陣したとの報告が入ってきた為だ。
その数1万5千。
本気でクルディティアンを落とそうとするなら不足しているが、包囲を敷くだけなら充分な数の兵を連れての進軍。内部の間諜狩りも概ね終わりかけていたところに齎された情報は、ミラの機嫌を加速度的に悪くしていた。
悪いことに北のゲルミオン王国の蠢動は止まず、西側のゴブリンは未だ勢力を保持しつつクシャイン教徒の隙を窺っている。周囲に敵しかいない状況で、果たして長期の籠城戦など可能なのだろうかとミラは頭を悩ませていた。
明敏な彼女の頭脳は、結論を出しつつある。
だが、屈辱を抜きにしてもそれが受け入れられないのは信頼する臣下への冒涜だからだ。誰が好き好んで、自国の方が弱いなどと判断出来るだろう。
今回、ファティナから出陣しているエルレーン王国軍は攻城兵器をこれ見よがしに並べ、如何にもクルディティアンを攻略するように見せかけている。果たしてその気配は本物なのだろうかと、ミラは疑っていた。
エルレーン王国の内部に巣食う赤の王の間諜は優秀だった。クルディティアン内部の間者は把握している限りほぼ全て排除したというのに、毛程の動揺も見せず赤の王の内情を探らせない。
前回の出し抜かれた戦を思えば、やはり狙いはクルディティアンではなく辺境領域かプエナ領だろう。だが、それを判断する為の根拠が彼女には無い。疑い出せば切りがない中、彼女は答えを出さずに沈黙を守る。そんな彼女に目もくれず、クシャイン教徒の有力者達は唾を飛ばしながら議論を交わし合う。
彼らが盛んに議論しているのはエルレーン王国と戦うか否か。戦うなら、籠城するのか打って出るのか? 戦わないなら、どこで妥協を見出すのか? なるべく自らの利益を損ねない形で、何とか穏便に事態を済まそうとする一派と、これを機に影響力を増したい一派。前者が司教や枢機卿達で、後者が軍部である。例外として枢機卿であっても軍部との繋がりが強い者は後者の一派にいたりする。
結論を見ない彼らの議論は、ミラの一言で休憩を挟むことになる。
圧倒的な民の支持と、それを背景にした軍の支持を集める教皇であり聖女でもある彼女は、休憩の為に入った寝室で枕を手に取ると、思い切りベッドに叩き付けた。
「不毛過ぎる……! ああ、もう嫌! こんなことをしている暇なんてないのに!」
扉の向こう側から控えめなノックの音が聞こえ、入ってもよろしいでしょうかと伺うヴィラン・ド・ズールの声。ミラは貴婦人の声音を出して入室の許可を出す。
部屋に入るなり無造作にベッドの上に投げ捨てられた枕を見たヴィランは、思わず溜息を付きそうになる。それを見て取ったミラは扉を閉めさせると、背中からベッドに倒れ込んだ。
「もう、やってられないわ……。あの老害ども、串刺しにして街道に並べてやろうかしら」
「姫様。どこで仕入れた話か知りませんが、品位が問われますので……」
「シュシュヌ教国の戦姫のお話よ。素敵よねー、是非お姉様って呼びたいわ」
「先方のご迷惑になりかねませんので、ご自重頂けると幸いです」
「……ヴィル、何気にキツイ事言うわね」
「主君の薫陶の賜物です」
ふんと鼻を鳴らして立ち上がると、ミラは扉の前から動かないヴィランの元へ歩いて行く。ミラの足音が近づくにつれてヴィランの背には冷たい汗が浮かび、目の前まで来た頃には視線すら泳いでいた。女性が苦手な彼は、必死に自制心を保つ。
「……ねえ、ヴィル。勝てると思う?」
その少女の細い声に、ヴィランは精一杯の優しさを以って応える。
「最善の努力を尽くします」
「お父様が何か言って来たんでしょう?」
「……陛下は、いつも姫様を心配しておいでです。疲れたら帰っておいで、と……」
「馬鹿」
俯く少女に視線を合わせることが出来ず、ヴィランは直立不動を保った。
「……私の号令で何万という人が死ぬ。分かっていた筈なのに、無様よね」
握り締めた少女の拳が震える。
「姫様はお優しくていらっしゃる。その優しさだけで信徒は救われます。信じる道をお進みください」
「私が虐殺を命じたら、貴方は従う?」
「……我が主は貴方様だけです。私の忠誠の全てを捧げ、命を果たします」
「ありがとう……。ちょっとだけ、弱い私を許しなさい」
背の高いヴィランの胸に寄り掛かったミラは、たっぷりと二呼吸分そうした後、弱々しい思いを切り捨てるように颯爽と部屋を後にする。
「ヴィラン・ド・ズール。勅命である。兵を率いて教皇の間の外を固めなさい」
「……はっ!」
その日、クルディティアン内部で権力を巡る争いが起きた。教皇の命令に服従しなかった枢機卿及び司教4名が財産没収の上、家族諸共刑死するという事件が起きた。クシャイン教徒の有力者達は震え上がり、至高の座で優雅に微笑む教皇を恐怖の眼差しと共に見上げることになる。
“聖女”の名と共に“流血の女皇”の二つ名で呼ばれることになるミラは、この時生まれたと言って良い。教皇の間で惨殺された3名の枢機卿達の遺体を前に震え上がる有力者達に向かって、彼女は口を開く。
「辺境領域を統べる魔物に使者を。同盟を打診せよ」
「な、なにを馬鹿な!」
敬虔なクシャイン教徒の司教が、泡を食って立ち上がる。
「奴らは前教皇の仇ですぞ!」
「では、聞こう。エルレーン王国かゲルミオン王国、或いはプエナと対等な同盟が結べるか否か?」
群雄割拠と言っていい今の状況でクシャイン教徒側が生き残るには、かなり危険な橋を渡らねばならない。同盟を結ぶとして、聖戦により双方の亀裂が決定的なエルレーン王国とプエナ。何十年も争い続け、恨みが骨髄まで染み渡っているゲルミオン王国。そのどちらも、余程のことがなければ同盟締結など不可能だった。
残る辺境領域のゴブリンの勢力に対しては前教皇を殺された恨みはあれど、未だクシャイン教徒側から仕掛けたことは無い。前教皇の横死にさえ目を瞑れば結べぬことはないのだ。更にミラの脳裡にあったのは、ゴブリンとは思えない程公明正大な統治状況だった。
辺境領主達が上手く立ち回っているのなら、それはそれで好都合。彼らに出来て自分に出来ない筈はない。もし、万が一ゴブリンがそのような統治を心がけているのなら、それはもう彼女の知識の中にあるゴブリンではない。
同盟を結ぶに値する何者かとして、認識を改めれば良いだけである。
「そんなものは必要ない! 神に守られた我らが軍が負ける筈がない!」
彼女の思考に雑音が混ざり込む。その不愉快な大声と根拠の無い盲信に顔を引き攣らせそうになり、彼女は必死に口元を笑みの形に保ちながら呟く。
「……それ故にベネムの小父様は死に、民に膨大な被害を出したのです」
「民など、いくらでも──」
言葉の途中で彼女は手を挙げる。武装したヴィラン率いる兵士が激昂する司教を取り押さえる。視線で裁可を問うヴィランに、彼女は頷く。
「殺せ」
兵士達はヴィランの命令に忠実に従い、瞬く間に4つめの屍が出来上がる。
「な、何故こんなことを!? 御乱心召されたか!?」
悲鳴を挙げる将軍に、ミラは冷徹な視線を向ける。
「いいえ。狂気に身を委ねる程、可憐でも純情でもないの。問うわ、将軍。我が民の中に、伝え聞く聖騎士の武勇に並ぶ者は居る?」
「そ、それは……」
「重ねて問うわ。赤の王の盟主ブランディカなる者は、僅か2000の兵でファティナを陥落させたわ。それに並ぶ武勇を持つ者は、我が民の中に居る?」
将軍の視線は、無言の内にヴィランに注がれる。
「……猊下もご存知のヴィラン・ド・ズール。彼の者が我が民の中で最も武勇に優れたる者かと」
苦々しく口を動かす将軍に、ミラは微笑む。
「正直であることは美徳よ、将軍。では、ヴィラン・ド・ズールに問う。己が武勇で、聖騎士や赤の王の猛者達に並ぶことは出来る?」
「恐れ多くもお答え申し上げます。今の私の力では彼らに及ぶのは不可能です」
「だが、だからといって、彼らが死ぬ理由には」
「黙れッ!」
普段は静かなヴィランの一喝に、その場に居た全員が瞠目する。
「貴様らがエルレーン王国に攻められた時、その命を賭けて救って下さったのはどなただ!?」
懐から書類を取り出すと、投げ捨てるように屍の上にばら撒く。
「この者らは恩義を忘れ、猊下をその座から引きずり降ろそうと目論んでいた犬にすら劣る畜生共だ!」
将軍は恐る恐るそれを拾い上げる。死者の血で汚れた謀反を約束する誓詞に、今斬り殺された4名の名が確かに記してある。
「では、本当に?」
目を瞬かせて斬り殺された4名を見る将軍に、ミラは頷きだけを返す。
「何という恐れ多いことを……」
将軍の呟きは、そこに居並ぶ有力者と兵士達の共通する認識だった。
「今は屈辱に耐え、魔物の力を利用する時です。民が生きる為に私の命に従ってください」
先程までの冷厳な声音から優しい声音にすり替えたミラの発言で、その場は収まる。殺された者達が裏切り者だったという“事実”と、剣を向けるヴィランへの恐怖。そして惨劇の後も変わらないミラの美しい微笑みに、彼らは完全に籠絡されていた。
半日後、クルディティアンから一騎の早馬が辺境領域へ向けて走っていった。
◆◇◆
交易国家プエナは、女王の下に諮問会議である長老院がある。地域に根を張る古老や交易で財を成した商人に、魔物を駆逐する武人。形は違えど、プエナという国に根を張る権力者達の利益調整機関である。
そこに一つの提案が持ち込まれていた。
ラクシャ・エル・プエナとブランディカ・ルァル・ファティナの婚姻である。御年19になる女王ラクシャと武勇の誉れ高い大公ブランディカの婚姻は、赤の王という武力を取り込もうとするプエナと、逆にプエナを組み敷こうとする赤の王の綱引きの様相を呈していた。
「赤の王と手を組むなんて、碌な事にならない! エルレーン王国の王族を見ろ!」
声を張り上げて婚姻反対を訴えるのは、女王の幼馴染で蒼鳥騎士団の副団長アレンである。赤の王を雇って戦を任せていたエルレーン王国は、敗亡の一歩手前といったところだ。王であるユグノーは政務に手を出せず、お飾りとして玉座に座っていることで生命を保障されている。
「そうは言うがな? 既に北からの脅威は迫りつつある。ゴブリンが4000近く、クシャイン教徒はその5倍は下るまい。勝ち目があると思うか? 今の、半壊した蒼鳥騎士団で」
アレンの熱弁を、冷めた目で聞いていた長老の一人が反論する。
「だからこそ騎士団の再建は急務でしょう! 未だ我らには聖剣がある! 悲観するには早い筈だ!」
女王派の一人が口を挟むが、続く反論は相当に手厳しいものだった。
「だが、聖剣の担い手であるアイザス団長は死んだ。聖剣が新たな主を見つけるまで1年は掛かる。それでは間に合わん。……返す返すも惜しいことだ。何故、団長が死んだのだ」
重々しい声と共に、アレンに非難が集まる。
「赤の王と同盟を結び、これを我が国の武力として取り込む。力を引き抜かれたエルレーン王国は、クシャイン教徒共やゴブリン共の餌食だろうが……」
「我が身には変えられぬ。当然のことだ」
アレンは内心で舌打ちした。この内の何人が赤の王から利益を受け取って婚姻賛成に回っているのか。それを考えるだけで汚物をなすりつけられたような不快感に襲われる。叶うなら、そのような者達は今直ぐ斬り捨ててしまいたかった。
『姫を頼む……』
今際の際にアイザスの残した言葉がアレンの自制心を取り戻させ、煮え滾る胸中を抑え込む。
彼自身、それが出来ないのは骨身に染みて良く知っている。
長老院の支持なくして国を保つのは難しい。気持ちだけでは、国という巨大なものを纏め上げることなど不可能なのだ。
だからこそアレンは再び言葉を尽くす。剣なき戦場で戦い続ける。
「赤の王を過大評価し過ぎだろう! 奴らとて、ゴブリンどもに敗北を喫している! これ以上傭兵に頼るよりも早急に蒼鳥騎士団を再建すべきだ!」
長老院が、何故蒼鳥騎士団の再建にこれ程消極的なのか? アレン達の影響力の増大も懸念事項ではある。だが、何よりも大きな問題として、砂馬の養成に非常に金が掛かるという、只その一点が問題なのだ。砂漠に適応した速度と持久力を持つこの魔獣には、一つだけ欠点がある。砂馬は生きた魔獣しか喰わないのだ。
生きている魔獣を捕らえる事自体、かなりの困難を伴う。況してや、砂漠の中では言わずもがなだ。長老衆にしてみれば、たった一度の戦で代えの利かない聖剣の担い手と高価な砂馬の両方を、いとも容易く失ったように思えるのだ。軍事力とは威圧の為にこそ使われるべきであるというのが、彼らの考えだった。
事実、蒼鳥騎士団が健在の間は、その武威だけで近隣に睨みを効かせる事も出来ていた。しかし蒼鳥騎士団が半壊した今、砂漠に跋扈する盗賊などが武威の失墜を見越して派手に暴れ出しているのだ。これらの対処に更に金がかかる。そこへ来て、若いアレンの反抗的な態度である。
長老院に名を連ねる者達からすれば、面白い筈がない。
その辺りの機微は、今は亡きアイザスの方がアレンよりも一枚も二枚も上手だった。相手を立てることを良く心得ていたアイザスは、この国の政治の駆け引きを熟知していた。だからこそ、表立った支持者こそ少なくとも女王の伴侶として申し分ないと評価されていたのだ。
しかし、アイザスは死んだ。後を継ぐのは若く情熱的だが、政治とは無関係に生きてきた武人のアレンである。
美点と欠点は表裏一体。情熱的なアレンに政治というものは合わなかったが、己の主張を曲げない信念がある。
己の身を顧みず国を想うその心根は、長老達を疎ましく思っている若者達を中心に熱狂的な支持者を集めていた。それがまた長老達には面白く無いのだが、そんなことをアレンが理解できる筈もなかった。嘗てない国難に喘ぐプエナの不幸は、若い軍事の中心人物を補佐し、且つ長老達と武人達の仲を取り持つことの出来る人材が居なかったことである。
長老達は、アレンを抑えることが可能なのが女王ラクシャだけという状況にも危機感を覚えていた。ここで蒼鳥騎士団の再建を許せば、なし崩し的に財産の全てを国の為に差し出せと言われかねない。それ程の危機感を彼らは抱いていた。
結局、その日の会議は結論を見ること無く終わりを迎える。
アイザスさえ生きていれば。それだけがアレンと長老達を含む全ての者達の共通する思いだった。
次回更新は15日