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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
243/371

揺れる天秤

 ゴブリンの王が陣を構えるシラーク領東では、奇妙な平穏が続いていた。

 互いに陣を構えるクシャイン教徒とゴブリン陣営。だが、そのどちらもが互いに攻める気を起こさず、相手の出方を伺いつつ陣営地を固める消極的な事態に陥っていた。

 ゴブリンの王率いるゴブリン側の事情は簡単である。攻めたくとも、その為の兵力がないのだ。如何にゴブリンの王とて、3万を超える軍勢を予想はしていなかった。

 誇り高き血族(レオンハート)の諜報員から齎された情報でその兵力差を知った時、流石のゴブリンの王も固く口元を引き結び、東を睨んだまま無言を貫いた。そして実際に敵陣と相対してみて、その表情は益々険しくなった。

 以前に対峙した時の緩んだような兵の気配は皆無であった。

 3万からなる大軍を規律によって正すのは相当に有能な将軍でなければ成し得ない。そういった理由で、攻めたくともその隙を見出だせずに防御を固めざるを得なかったのだ。

 ただ、諜報の網の目は広く拡大させていた。一つにはエルレーン王国の、正確には赤の王の動きが気になった為である。最近急速に勢力を伸ばしていた赤の王。ゴブリン側とクシャイン教徒側が睨み合っているこの状況を、ただ傍観している訳がないと考えたからだ。

 クシャン教徒と睨み合いながら、辺境領域の南に監視の目を張り巡らせる。同時に退却時の段取りを付けておかねばならなかった。

 無論、必勝の信念は大切である。

 だが、それだけで許されるのは一介の将までである。王として数多の種族の上に立つ者であるなら、勝利のみを考えてはいられなかった。ゴブリンの王は自身の力を過信していなかった。勝敗は兵家の常であり、不敗でも無敵でもいられないということを良く自覚していたのだ。

 例えばゲルミオン王国の聖騎士達や、つい先頃に死闘を演じた蒼鳥騎士団の団長。或いは冒険者の中にも腕利きと称される実力を持つ者達がいる。個人でさえそれなのに、軍を率いるとなれば尚の事である。

 王侯貴族や軍人のように特殊な訓練を受けた訳でも、特別な才能がある訳でもない。故に王たる者は常に自戒し、慎重に慎重を重ねて物事を進め、いざという時の退路の確保をも考えねばならない。

 無論、誰でも負けたくはないだろう。

 ゴブリンの王とて同族達の先頭に立ち、これまで戦い抜いてきた歴戦の猛者である。それ相応の激戦を潜り抜けてきた自負はあるし、生命の危険を感じたことも両手の指では足りない程ある。だが、それと退路を確保しておくことは全くの別問題だった。

 勝利を願う心。その思いを封じ込め、ゴブリンの王は退路の確保をギ・ザー・ザークエンドに命じる。

「分かった」

 ゴブリンの王の腹心たるギ・ザーは、王の苦悩を見て取って何も言わずに動いている。問題は辺境領域から西域への行程で敵がどこまで進出してくるのか、味方がどの程度態勢を整えて退却出来るのかだった。

 ゴブリンの王も対峙したままの状況で悪戯に兵を遊ばせてはいなかった。

 柵を設けただけの陣営地の前に全軍の半ばを布陣させると同時に、その後方では着実に陣営地を広げていったのだ。敵の目の前で工事をするというのは無謀な行為と言えなくもないが、ゴブリンの王は敢えてそれをやった。

 このまま対峙していても、何れ負けるというのが一つ。

 更に、これ程長期に対峙しているのに敵が攻めてこないというのがもう一つの理由だった。

 ザウローシュに命じてクシャイン教徒内部の様子を探らせてはいるが、彼らが対峙し続ける理由が見出だせない。ただ、少なくとも新たな教皇の思惑に沿った行動であるということは推測出来た。長期の対峙となってもクシャイン教徒側に動揺の気配が見られないからだ。

 損害を恐れているのか、それともこちらに調略の手を伸ばしているからなのか。理由は判然としないものの、クシャイン教徒側は長期戦を前提にしているとゴブリンの王は考えた。

「我が君、北側の堀が完成してございます。これで陣営地の周囲の殆ど囲むことが可能かと」

「よし、続いて柵を二重にせよ。奴らが攻めてきても容易に越えられないようにな」

「御意」

 ゴブリンの王とて、防衛戦は殆ど経験が無い。嘗てオーク相手にしたように落とし穴を掘り、柵を設置し、逆茂木を立て、堀を深くして底に剣山のように先を尖らせた木材を取り付けるなど、考えつく限りのことを実行させていた。

 ゴブリン勢とクシャイン教徒との対峙が10日に及ぼうかという時、ザウローシュから一報が入る。

 エルレーン王国動く!

 その報告に舌打ちしたい気持ちを抑えて、ゴブリンの王は軍を引くことを決意。

「使者を出すべきか?」

 そこで問題となるのが目の前のクシャイン教徒達だった。このクシャイン教徒の動きが南のエルレーン王国を操ったが故のものなのか、或いは同調したものなのか。はたまた逆か? まさか全く意図していなかったなどということはないだろうとゴブリンの王は考えたが、そのあたりの関係性が見えてこなかった。

 人間同士の戦なら、ここで停戦を求める使者を出すべきなのだろう。だが、こちらはゴブリンである。配下に妖精族がいるとしても、全体として見れば魔物の群れだ。

 そんな自分達に対して、人間があっさりと交渉のテーブルに着くのかという問題もある。以前のクシャイン教徒の軍のような狂信的な雰囲気は感じられないが、此方には教皇を有無を言わさず叩き斬っている“前科”があるのだ。

 使者として出した者が首だけで返って来るというのが予想出来るだけに、ゴブリンの王は頭を悩ませた。

「それならば、私が行きましょう」

 相談したザウローシュがあっさりと頷く。ゴブリンの王は思わず目を見開いた。

「確かに軍勢の主力はゴブリンですが、私の立場はシラーク領主達に雇われた護衛です。言わば占領された側になりますので、恐らく波風は立たないかと」

「だが、敵がそこまで推察するかは別だろう?」

 無理にでも行けと言わないのがゴブリンの王の美点でもあり欠点でもある。ザウローシュはそう考えて、再び口を開く。

「身内の恥を晒すようですが、クシャイン教徒側も赤の王も我等より余程大きな諜報組織を持っています。我らの立ち位置ぐらいは把握しているでしょう」

「……成程」

 唸るように考えるゴブリンの王に、ザウローシュは厳しく諫言する。

「敢えて申し上げますが、ゴブリンの王よ。失うのを恐れてはいけません。王たる者は、危険を承知で前に進まねばならない時があるのです。そうしてこそ臣下は貴方に畏敬の念を抱き、その命令に服することとなるでしょう」

 ゴブリンの王を思っての言葉に、王は暫く沈黙した。

 時に王たる者の決断を鈍らせる程の優しさがゴブリンの王の中にはある。それを見抜いたザウローシュの眼は確かなものだった。その優しさは個人としては美徳ではあるが、それが故に臣下が迷い、己の命を懸けられなくなると諭せるのも、人間と亜人の集団を率いる血盟の副盟主だからこそ言える言葉だった。

「……成程。一つ、教えられたな」

 自嘲混じりにゴブリンの王は呟き、真っ直ぐにザウローシュの目を見る。

「ザウローシュ」

「はい」

「この軍勢の為に、その命を賭けろ」

 はっきりと言い切るゴブリンの王に、ザウローシュは頭を垂れた。


◆◇◆


 クシャイン教徒側を実質的に取り仕切るヴィラン・ド・ズールは、ゴブリン側よりも随分早くエルレーン王国に動きがあるのを察知していた。それと前後して、ゴブリン側から使者であることを告げる白旗を持って出てきた者がいるとの情報を受け取る。

 彼は上官である軍の司令官に迷わず交渉を飲むよう進言し、軍を南に向けるべきだと主張した。

「だが、せっかくここまで押し込んでおいて惜しくはないか?」

 司令官も聖女ミラからヴィランの指示は最優先だと厳命されており、表立って反対はしない。何よりも、エルレーン王国を打ち破った先の戦での功績が物を言った。軍の有力者が先の戦で大幅に欠けてしまっているクシャイン教徒の軍では若手の台頭が著しく、その出世頭とも言うべき彼の発言力が大きいのもある。

 だが、それ故に反発もあるだろう。

 直属の上官である司令官は兎も角、ヴィランと同じ立場の参謀達は、ヴィランと教皇ミラの策に従っているだけでは功績を積む機会がない。

 有形無形の反発が司令官を動かしたのだと感じたヴィランは、その空気の中で静かに口を開く。

「確かに、このままゴブリン側を押し込めば恐らく勝利は我らのものです。ですが、この戦での最優先事項は周辺の諸都市を我が方へ取り込むこと。次いで、肥大化しつつあるエルレーン王国に牽制を加えること。この二つが主目的になります」

 一呼吸置き、再び言葉を紡ぐ。

「推測ですが、ゴブリン側はこちらの戦場を切り上げて南へ向かうことになるでしょう。我等は態勢を整えつつ、ゴブリン側とエルレーン王国側がぶつかるのを眺めていればいいのです」

「成程な。状況次第で参戦すれば良いと」

 頷く首脳部を見やりながら、ヴィランは全く別のことに頭を使う。

 戦場と想定されるのはどこで、そこまでには何日かかるのか? 荷物を運ぶ速度は? 必要な兵の数は? 武器や食糧はどれくらい必要なのか?

 沈着冷静にして粘り強いと評されるヴィラン・ド・ズールの戦術。実のところその手腕は、必要な物を必要な場所に必要なだけ投入する極めて堅実なものだった。

 ゴブリン側と赤の王に比べて、クシャイン教徒側が優っているのは物資と兵士の数である。個人の図抜けた才能ではなく、圧倒的な数の力での勝利を掴む。嘗てゴーウェン・ラニードが目指した英雄不要の戦術の後継者が、ゴブリン側もゲルミオン王国側も知り得ない内に着実に育っていた。


◆◇◆


 結果的に双方の思惑が絡み合い、ゴブリン側とクシャイン教徒側で停戦が結ばれる。ゴブリン側は軍を反転させ南方へと取って返す。人間側からすれば強行軍に近い速度のゴブリン勢だったが、彼らにしてみれば後方からの追撃を警戒しつつの後退であった。

 クシャイン教徒側は結ばれた協定通りに停戦を結んだが、それを最後まで順守するつもりはなかった。所詮乱世である。相手は人間ですらない魔物であり、条約違反だと騒ぎ立てる者の居ない約定を守らせるには力以外にない。クシャイン教徒側は自らの思惑に基づいて軍を南に移動し、ゆっくりとゴブリン勢を追っていった。

 ゴブリンの王に率いられた軍勢は追撃の手が無いと知ると、彼らの持つ最高速度で移動を開始する。付いて来れない妖精族は後から追い付かせろとフェルビーに言い渡し、ゴブリン達は迅雷の速度で平原地域を走り抜ける。

 日に夜を次いで人間なら5日かかる距離をたった2日で走り抜けたゴブリン達は、ラズエル領南に到着すると再び陣営地を作成する。ゴブリンの王はこの地でエルレーン王国側の動きを阻止すると決めていた。一戦せねば諸勢力の蠢動は止まず、攻略に着手出来ないと考えての事だった。

 ゴブリンの王は予定した戦場に到着すると、先ず敵の位置を知る為にギ・ジー・アルシル率いる暗殺部隊を解き放つ。王自身は陣地作成の為に残り、その指図をした。

「奴らが進軍してくるなら大人数で攻めてくる筈だ。地に潜み魔獣の足取りを追え」

 王から指令を受けたギ・ジー・アルシルが部下のゴブリン達に指示を出す。3匹1組(スリーマンセル)となったゴブリン達はそれぞれ別方向へと走り、草原に伏せて魔獣の気配を窺う。

「堀を深くし、柵を立てろ! 奴らを我等の故郷へ近付けるなッ!」

 ゴブリンの王は部下達に向かって指示を出す。

 近くの森から切り出した木を使って柵を作り、鋭利な爪と強靭な筋肉を使って石を退かして穴を掘る。ゴブリン達に土工具等はない。使える物は何でも使った。鉄製のヘルムで土を掘り返し、脱いだ鎧に木の棒を通してモッコの代わりにする。ゴブリンの王はただ只管に工事を急がせた。

 その甲斐あってか、ギ・ジー率いる暗殺部隊が敵の匂いを嗅ぎつけて戻ってきた時には、拙くはあれど何とか形になった陣営地が出来上がっていた。

「よし、ハールーはいるか!?」

 王はパラドゥア氏族の族長であるハールーを呼び寄せると、直々に命令を言い渡す。

「敵の騎兵に一当りし、この地に奴らを誘い込むのだ!」

「承知致しました」

 王直々の特命に、ハールーは勇躍して黒虎に乗ると氏族を率いて平原を駆けていく。

 ゴブリンの王は陣営地を更に強固にする為の指示を出し、ぐるりと周囲を見渡した。敵が攻めてきた際の配置も考えねばならなかった。時間は幾らあっても足りない。

「ゴブリンの王」

 周囲の地形を見渡していたゴブリンの王に、ザウローシュが声をかける。

「妖精族のフェルビー殿が到着されたようです」

「そうか」

「それと……」

 膝をつくザウローシュにゴブリンの王が眉を顰める。

「何の真似だ?」

「出来ますならば、従軍いたしたく」

「それは……」

 ゴブリンの王としては願ってもないことだった。だが、一体何故? 誇り高き血族(レオンハート)は生き残りをこそ第一に考えている筈だ。目下のところ、ゴブリン陣営は劣勢も良い所だ。

「ご判断に迷うのはごもっともですが……。このまま赤の王が南方を制した場合、我等は行く宛を失います」

 成程と一応頷いたゴブリンの王だったが、それでも疑念は晴れなかった。ここでゴブリンと共闘してしまえば諜報活動は難しくなるだろうし、最早人間の世界での活動は不可能となってしまう。

「……全て、承知の上だな?」

「はい」

「ならば何も言うまい。友として頼むとしよう。宜しく頼む」

「我らの全力を以って、ご期待に沿います」

 深く頭を垂れるザウローシュはゴブリンの王から離れると、領主達の護衛に就いていた血盟員達に連絡用の鳩を飛ばす。それにはクシャイン教徒にゴブリンと同盟を結んでいることが露見していること。更にはそれを取引材料に引き抜きを持ちかけられたことなどが記してあった。

 2日後、戦支度をして集まったレオンハートの血盟員達に向かってザウローシュは宣言する。

「皆、すまぬ。最早これまでだ。我が策は尽きた。我等の存亡は、この一戦にある! 東部にいる仲間達の命運が、お前達の双肩にかかっているのだ!」

 仲間が集まるまでの間、ザウローシュはゴブリンの王に報酬の話を持ちかけていた。勝っても負けても西域にてレオンハートを受け入れること。更には奴隷待遇ではなく、ゴブリンと同等の権利を認めること等を約束させた。

「我らが、信義の為に!」

 剣を抜いたザウローシュに従い、誇り高き血族(レオンハート)の面々は勇ましく吠えた。


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