蒼鳥騎士団
辺境領域より魔物の一掃を命じられた蒼鳥騎士団の騎士団長アイザスと副団長アレンの二人は、共に23歳という若者である。
平民出身ながら剣才を認められ出世してきたアレンと、公明正大で人を惹きつける魅力を持ったアイザス。彼ら二人は仲の良い親友でもあった。
「我が姫の頼みとは言え、魔物の討伐とはな」
「愚痴るな。辺境領域の解放はエルレーン王国と約束した事項だ。手は抜けんだろう。それに煩い大臣連中も黙らせることも出来る」
副団長アレンの愚痴に、騎士団長アイザスが応える。
如何に才能豊かでも年若い彼らが相応の地位に就いているのは、先のエルレーン王国との合同でのクシャイン教徒攻めがあったからである。あの戦に反女王派閥とも言うべき者達を駆り出し、ほぼ全滅させてしまったのだ。その際に辣腕を振るったのがアイザスである。
戦士としての腕ならばアレンが上だが、部隊を率いる指揮官としてはアイザスの方が優れていると専らの評判だった。
「砂漠を抜ければ辺境領域だ。魔物どもは夜目が効く。充分注意せねばな」
「団長命令として徹底させよう」
「何だ? また俺が憎まれ役か」
「伝える俺も憎まれるんだ。そう言うな」
からりと笑うアレンに釣られて、アイザスも笑う。
砂漠は火の神の胴体が天上に輝く時間帯は鎧など着ていられない程の暑さだが、夜になればその気温は一気に下がる。凍えぬ為には毛布などの防寒具に包まって休むのが正しい選択だ。しかし彼らは敢えて昼間に休憩を取り、夕方から夜間にかけての移動を基本としていた。
「厳しい命令は兵の生命を守る為だ。仕方ないさ」
「まぁ、後ろから刺されない程度に恨まれようか」
二人は笑いながら、今後の進軍計画について話し合う。
「さて、笑ってばかりもいられないな。ゴブリンが主力となっているらしいが、敵の勢力は未だ分からないことが多すぎる。妖精族が居るなら、亜人も居るかもしれん」
「相手の情報を得るのは大事だが、慎重過ぎるのも考えものだ。基本的に砂馬の機動力を活かしての一撃離脱。これさえ守っておけば問題はないと思うがな」
慎重に策を練るのがアイザスで、積極論を唱えるのがアレンだった。ゴブリン達に攻城兵器の類はなく、それ故に城に籠ることもない。辺境領域で城壁を備えた都市はシラーク領しかないのだ。ラズエル領を守る為には、どうしても南へ進軍してくる必要がある。
「兵力はこちらが優っている筈だからな。間諜からの連絡でもそれは間違いない」
「なら……」
「いや、ゴブリンの体力を過小評価するべきではないな。奴らは2日3日平気で地を駆けるとも言うし」
「冗談だろう?」
「だといいんだがな」
難しい顔で考え込むアイザスに、アレンは眉を顰めた。
「嫌な感じだな」
敵軍は未確認な情報が多い。聖騎士ゴーウェン・ラニードを打ち破った実績を重く見るべきかもしれない。
「ああ、全くだ。戦場が近くなるに連れてこんな気分になるのは初めてだ」
「愛する姫の下に今すぐ帰りたいって?」
アレンの揶揄いの言葉に、アイザスは片頬だけを歪めて応じる。
「そうだな。心労などで体調を崩して無ければ良いが」
「……聞いてるこっちが恥ずかしいぜ」
鼻を鳴らすアレンの言葉に、アイザスは苦笑する。
「お前が振ったんだろうに」
「取り敢えず、いつもより多めに斥候を出しておこう」
副団長アレンの進言に、アイザスは頷くことで返答とした。
◆◇◆
夜の闇の中をギ・ジー・アルシルが疾駆する。手足となる暗殺部隊を率いるギ・ジーは、短剣を手にしただけの軽装で草原地域を南へ向かっていた。
ノーブル級となって向上した視力や嗅覚や体力。その全てを探索と暗殺に特化させたギ・ジーの隠行は、並のゴブリンの比ではない。
一騎の騎影を見つけると、草原に身を伏せて長くその様子を窺う。
恐らくは敵の斥候だと当たりをつけたギ・ジーの勘の示す通り、代わる代わるに少数で北側へと通り過ぎる騎馬兵。
灰色の体躯に斑模様が特徴的な砂馬に跨り、軽装の騎兵達が周囲の偵察の為に辺りを巡回していた。
その間断の無さにギ・ジーは危機感を覚えた。嘗てゴーウェン・ラニードの陣営地に見たような、何とも言えない不快感。敵の整然とした行動にギ・ジーは目を細める。
辺りに潜む手下達は上手く敵の位置を把握出来ただろうか? 脳裏でそんなことを考えながら、ギ・ジーは息を潜める。下手に動こうものなら、直ぐに発見されてしまいそうだったからだ。前に戦ったクシャイン教徒とは違う。
連中は雑然とした様子で、肌を刺すような緊張感は全く無かった。
だが、今度の敵はどうだ。
肌がチリチリと焦れるような、何とも言えない緊張感がある。
「嫌な感じだ」
誰ともなく呟いたギ・ジーの耳に騎馬兵達の怒声と騎馬の嘶く声が聴こえた。僅かに頭を上げて様子を窺う。どうやら手下のゴブリンが見つかってしまったようだった。
追い回すのは騎馬兵が3騎。
手にしているのは細い槍だが、腰には曲刀を差している。充分に脅威だった。
「ぐ、ぬ……」
助けには行けない。そう判断したギ・ジーは、手下のゴブリンが殺されるのを敢えて看取る。討ち取られる様子を一瞬たりとも見逃すまいと目に焼き付け、ギ・ジーは堪えた。
ゴブリンを殺した騎馬兵は踵を返すと、後方に走る。
戦果の報告だろうか? ギ・ジーが視線を転じた先には、大規模な騎馬隊の姿があった。
「見つけたぞ」
重く呟いたギ・ジーはすぐさま踵を返す。地面に這いつくばり、草の根をかき分けて、方向を確かめながら王の元へと戻る。
「見つけたぞ、敵め!」
無残に殺された手下の姿が脳裏に過る。折れんばかりに歯を噛み締め、手下達に指示を出すと、ギ・ジーは北へと戻った。
◆◇◆
断続的に入ってくる敵の位置情報を受け取り、ゴブリンの王は全軍を集結させていた。敵の主力の位置さえ掴めてしまえば、後はタイミングを見計らって奇襲を掛けるのみである。
勇猛なるガイドガのラーシュカ、狂い獅子ギ・ズー・ルオ、パラドゥアのハールーなど突破力のある部隊を前面に布陣させ、ギ・ヂー・ユーブの軍やギ・ギー・オルドの魔獣軍などは後方へ配置する。相手は騎馬部隊を中心とするほぼ同数の軍勢である。最後尾にはガンラ氏族と妖精族、更にはギ・ザー・ザークエンド率いるドルイド部隊を配置する。
敵を崩すには最初の一撃で決定的な損害を与え、立て直す間も無く壊滅してしまうのが良いとゴブリンの王は考えた。
「先陣を任せるラーシュカ、ギ・ズー、ハールーらは、俺の指示に従い敵の主力を一気に叩け」
「応!」
「はっ!」
「御意」
ゴブリンの王は三匹の返事を確認し、更に指示を出す。
「ギ・ヂー、ギ・ギーは先陣の開けた穴を押し広げ、敵陣を深く斬り裂け!」
「我君のご下知の通りに!」
「後方部隊は側面からの攻撃に注意しつつ、逃げ散る敵を撃破せよ」
「任せろ」
「ふん、また後方援護か」
それぞれに頷くゴブリン達と妖精族を率いて、ゴブリンの王は夕刻頃に出発する。敵は夜間に移動し、多くの斥候を放っていると報告を受けていた。
確かにそれなら、ゴブリン側の奇襲を事前に潰す事が出来るかもしれない。
「ギ・ジー・アルシル!」
ゴブリンの王は暗殺のギ・ジーを呼び寄せると、敵の斥候を潰せと命令を出す。
「闇の中の戦いで、我らに勝る者はあるか?」
「我らこそ闇の眷属でございます。王よ!」
王はギ・ジーの言葉に満足し、先陣に先立ってギ・ジーの暗殺部隊を先行させる。
ゴブリンの王率いる軍勢は、ギ・グー・ベルベナの軍勢を待つこと無く、ラズエル郊外へ出陣していった。
◆◇◆
両軍が激突したのは、ラズエル郊外の草原地帯である。砂漠から概ね1日北上した地域は背の高い草に覆われた草原地帯であった。ラズエル領主は固い地盤と多くない雨の量に苦心し、この辺りの開発を半ば諦めて放置していた。
小さな魔獣や動物が多く生息し、その息遣いは野鳥の鳴き声や唸り声となって草原に響いていた。だが、ことその日に限っては静寂が草原一帯を覆っていた。
音を忍ばせているとはいえ、ゴブリンの軍勢の接近を知った小さな魔獣はいち早く逃げ出し、それは動物達も同じだった。空には雲一つなく、夜の神の時間は未だ始まったばかり。星々と共に赤い姉妹月が煌々と輝いている。
両軍の激突は静かな形で始まった。
「斥候が帰ってこない?」
蒼鳥騎士団長アイザスの疑問に、アレンが頷く。
「北側に派遣した斥候3騎が戻らない。これは……」
「魔獣にやられた、という可能性は?」
「ウチの精鋭が? 冗談だろう?」
「だろうな。ということは、やはり」
「応!」
二人は一瞬だけ目線を合わせると、互いの共通認識を確認し合う。
「ゴブリン共はどう出るかな?」
「闇に紛れての奇襲。それも、なるべく一撃で決めたいだろうから包囲を敷く」
アイザスの問いに、アレンが答える。
「その理由は勘か?」
「勿論!」
野性の笑みを浮かべるアレンに、アイザスは苦笑交じりに首を振る。
「相手が普通の魔物ならそれで正解だろうが、恐らく一点突破でこちらの戦力を一息に無効化するだろうな」
「団長の言葉だ。信じよう」
先程の自分の言葉を簡単に翻すアレン。アイザスは片頬だけを上げて、蒼鳥騎士団団長として命令を下す。
「副団長アレン。5コ小隊を率いて迂回し、敵の側面からの強襲を命じる!」
「命令、しかと承った!」
言葉少なく命令を受け取ると、彼らは互いに剣を鳴らして騎士の礼を交わす。
「死ぬなよ。相棒!」
「武運を!」
戦意溢れるアレンの声に、アイザスも応じる。
麾下の小隊長を呼び集めると、アイザスは斥候が消息を絶った地域に向けて全速前進を命じる。
「我ら、悠久なる熱砂の大地に生きる者!」
激を発するアイザスに倣って、小隊長達も唱和する。
「その名は高く、蒼穹まで我らが武を響かせん!」
アイザスが腰の聖剣を引き抜く。磨き抜かれた刀身は、闇の女神の翼の中でも眩く輝く。
「前進ッ! ゴブリンどもを蹴散らせ!」
アイザスの号令と共に砂馬が馬蹄を響かせて走り出す。草原地域では一般的な馬に最高速度で劣るものの、充分に騎馬としての運用は可能だった。
通常の物よりもやや細いが、幾分か長い槍の穂先を揃えて先頭を進む小隊長達が闇へ向かって騎馬を駆けさせる。いくら闇に慣れているからといって、月々と星々の明かりだけでは充分な光源とは言えない。普通なら速度を落として慎重に進軍するところだが、彼らは精鋭の名に恥じない巧みな騎乗の技で全く速度を落とさずに草原を駆け抜ける。
故に先頭集団が闇の間から降り注ぐ矢を躱し得たのは僥倖だった。風切音と共に飛来する矢の数々は先頭を走る集団の直ぐ後ろ、第二集団を形成する騎馬隊に降り注ぎ、馬の嘶きと人間の悲鳴が上がる。
それでも先頭は止まらない。
それどころか矢の放つ先に敵が居るとばかりに勢いを加速させる。松明を持った先頭の騎兵がそれを見つけた時、彼は叫んだ。
「見つけたぞ、ゴブリン──」
「グルゥウゥオオォアアァ!」
闇を震わせる咆哮。先頭を走っていた騎兵の生命は直ちに失われた。巨躯のゴブリンの振るう棍棒が、彼らを馬ごと叩き潰したのだ。勇猛なるガイドガの族長ラーシュカの振るう棍棒は、この日の為に新調されたものだった。
彼が使い易いように柄の部分は木製だが、打撃部が鉄で補強され、より一層凶悪な威力を生み出す代物となっていた。相当な重量を誇る筈のそれをラーシュカは両手に持ち、二本の棍棒を軽々と縦横無尽に振るう。
「我こそは暴威の体現者なり! 続け、者共!」
率いられるガイドガ氏族も、族長の奮戦に意気を上げる。それに負けまいと、荒削りながらも先頭を争うギ・ズー・ルオの姿もある。
「氏族にでかい顔をさせるな!」
ギの集落出身で先陣を任されているギ・ズーとしては、氏族のゴブリンに負ける訳にはいかなかった。突き出す槍が騎兵の腹を貫くが、勢いのままに突撃してくる騎馬に押され、槍が手から離れる。
「グルァアオオオアア!」
怒れる狂い獅子の拳が、勢いを殺さず突進してくる騎馬の頭を殴り飛ばす。魔獣といえども所詮は馬である。悲鳴を上げて倒れる騎馬の下敷きになる兵士を無視し、ギ・ズーは次なる獲物を狙う。
怒りに我を忘れて戦うギ・ズーの横を一騎の黒虎が駆け抜ける。もう一人、先陣を任されたパラドゥア氏族の族長ハールーである。西域での戦いの際に人間の騎馬隊との一戦を経験しているハールーは、冷静な判断で騎馬隊の最も外側に目をつけた。
「削り取るぞ!」
合図と共に槍を構えると、すり抜けざまに相手の騎兵を倒していく。闇夜の中ではっきり物が見えているゴブリンと、光源があるとはいえ夜目の効かない人間。騎馬兵からすれば闇から突然現れるゴブリンが、目にも留まらぬ速さで仲間を叩き落としていくように感じられた。
宛らラーシュカとギ・ズーという2つの岩に当って流れる水のように、蒼鳥騎士団はその突撃を分断されていった。更にハールーによって後方に回り込まれる危険すらある。
これはアイザスにとって完全に予想外だったが、闇の中ではっきり物が見えるというのは彼が考えていた以上に大きな差だった。相手が見える距離から心の準備をして待ち構えているのと、至近距離でいきなり会敵するのとでは、対処の仕方が全く違ってくることを彼は知らなかったのだ。
だが、蒼鳥騎士団とて一国中で精鋭と呼ばれる猛者達である。いくらラーシュカとギ・ズーが驚異的な戦闘力を持つゴブリンだと言っても、二匹で全てを受け止められる訳もない。彼らの横をすり抜けて騎馬隊が後続部隊に槍を突き立てる。
上がるゴブリン達の悲鳴。高速で移動する騎馬兵が相手では、攻撃を加える前に長い槍を突き立てられ負傷してしまう。蒼鳥騎士団の半ばまでがゴブリン側と交戦を終えてすり抜けた頃、ギ・ギーが魔獣を左右に向けてけしかけた。
「突撃させろ! 全魔獣を解き放て!」
大角駝鳥に跨ったギ・ギーの指示の下、獣士達は未だ走り抜けている途中の騎馬兵に向かって魔獣を解き放った。騎馬兵の振るった曲刀が針狐を切り裂くが、同時に襲いかかった三角猪の角が砂馬に命中し悲痛な嗎と共に横倒しになる。竜亀の強烈な尾の一撃で足を砕かれる砂馬。動きの鈍い竜亀に槍を突き立てる騎馬兵。四つ手猿が騎馬に跨ったままの人間に襲いかかり、見えず猿の体を細長い槍が深々と貫く。
それでも蒼鳥騎士団の足は止まらない。魔獣の襲撃で混乱の広がる部分を迂回するように騎馬を進ませ、後方へと抜けていく。
「突けェ!」
そこへギ・ヂー・ユーブの指揮する軍が長槍を突き出す。大盾で身を固めた隙間から突き出される長槍が、魔獣の襲撃を受けて混乱し足の止まった騎馬兵に次々と突き刺さる。何本もの槍で体を貫かれた騎馬兵の嗎が夜の闇に響き、それに負けぬ怒号が飛び交う。
ギ・ザー率いるドルイド部隊の魔法が飛び、落馬した騎馬兵に魔獣が群がる。ガンラの弓兵が駆け抜けていく騎馬兵に向かって水平に矢を射かける。後方へ回り込み再び突進してくる敵に向かって、フェルビー率いる妖精族の魔法が命中する。
一気に突入してきた蒼鳥騎士団の勢いは凄まじい。だが、それにも況してゴブリン側の勢いも凄まじかった。喧嘩で言えば全力での殴り合いである。
被害が少ない方がおかしいと思えるような真正面からの突撃は、たった一度のすれ違いで双方共にかなりの被害を出していた。
そんな中、ゴブリンの王は敵の指揮官を探し当てる。光り輝く長剣を振りかざした青年の姿を確認すると黒炎揺らめく大剣を引き抜き、すれ違いざまに叩き付けるような斬撃を繰り出す。
「グルゥウゥォオオァアアア!」
天地を震わせる咆哮と共に斬り付けた一撃は呆気無く弾かれた。驚愕するゴブリンの王は歯を食い縛って敵の長剣の一撃を受ける。己の大剣が防がれたことに加えて、受けた長剣のあまりの重さはゴブリンの王の予想の遥か上だった。
「駆け抜けよ!」
指揮を取りながら振るわれる一撃の重さ。驚愕から立ち直ったゴブリンの王は既に後方へ去った指揮官の姿を僅かに目で追う。一瞬だけ、その後を追う選択肢が頭を擡げるが、直後にギ・ヂーの悲鳴に似た声が聞こえた。
「我が君、側方から敵影!!」
舌打ち混じりに、ギ・ジーへ命令を飛ばす。
「半円の陣を作れ! 敵を寄せ付けるなっ!」
別働隊の存在に舌打ちしたゴブリンの王だったが、幸いにも敵が迫ってきたのがギ・ヂーの軍の箇所だった。対応を取らせ、ラーシュカとギ・ズーに反転を命じようとし──。
「突っ込めッ!!」
ギ・ヂーの作る針鼠状の半円陣に向けて、更に勢いを加速させた敵の別働隊が突っ込んでくるのが目に入る。敵の正気を疑ったゴブリンの王だったが、即座にその考えが間違いだったと目の前の光景によって思い知らされる。
先頭を切って突っ込んだ若者が長剣を振るうと、強烈な風が巻き起こり針鼠状の長槍が崩れる。目を疑う光景だが、有り得ぬことではない。その乱れた隙を突くように、別働隊がギ・ヂーの陣を割って突入してくる。
このままでは側面から食い破られ、前方と後方に分断される。
脳裏に過った最悪の予想を覆すべく、声を出そうとして──。
「おまかせをッ!」
先陣を任されたパラドゥア氏族のハールーの声が王の言葉を遮った。ハールー自身、先頭となってギ・ヂーの陣を食い破ろうとしている別働隊に逆に突撃を仕掛ける。
「我が槍先の誉れとなれ!!」
突き出す槍が敵の胴体を貫く。そのまま蹴落とした敵を一顧だにせず、パラドゥア氏族が彼の後に続いて別働隊の足を止める。
「態勢を立て直せ! 我が君の前で無様を晒すな!」
ギ・ヂーの冷静な采配で、分断されつつあった半円陣も形を取り戻す。舌打ちしつつ去って行く別働隊の若者。僅かに気を取られていたゴブリンの王は後方に回った敵に思い至り、先陣を務めるガイドガとギ・ズーに反転を命じた。
「後ろから来るぞ! 反転せよ!」
王の命令に従ってラーシュカとギ・ズーが弧を描いて反転し、行き掛けの駄賃とばかりにハールーの突撃を受けて混乱する別働隊を追い散らす。ハールーが突撃を仕掛けて後方へと戻る際、更に反転してきた敵陣に向けて突撃を敢行する。
時間を稼ぐと同時に敵の所在を明らかにする行為だが、いかんせん多勢に無勢である。多くの兵を失って離れていく様を、ゴブリンの王は大軍を反転させながら歯噛みして見守った。
「無駄にはせんぞ!」
狙うべき大将の位置を確認したゴブリンの王は、フェルビーとギ・ザーを前線に呼び寄せる。
「敵の将を討ち取る」
今まで一言も発せずゴブリンの王の傍に侍っていたギ・ゴーが、曲刀を抜いて視線を向ける。細かな打ち合わせなどする時間はなかった。既に敵の騎馬兵が再び突撃の体制を整えつつある。
ゴブリンの王はフランベルジュを左手に持ち替えると、右手で黒緋斑の大剣を引き抜く。
「時を逃すな!」
それだけ言って、敵の突撃に合わせるべく味方の指揮を執る。敵が突撃を開始してからでは不利だ。突撃の為の助走距離を稼がせない為に、ゴブリンの王は全軍に突撃の号令を下す。
「突撃だッ!! 奴らの首を引き千切れ!」
掲げたフランベルジュから黒の炎が吹き出る。ゴブリンの王の激に応えるように、ラーシュカとギ・ズーが全身に負った怪我を物ともせずに走り出す。
「グルゥウゥウオオオアオアア!!」
最前線を走る2匹の背をゴブリンの王の咆哮が押す。走り出した2匹の背を追いかけるように、配下のゴブリン達も一斉に駆け出す。地響きを立ててゴブリン達が突撃を開始した。半円陣を作っていたギ・ヂーも見事にそれを組み直し、突撃の陣形を組む。
走りながら2匹を中心とした鏃型の陣形を再編すると、ゴブリンの軍勢は走り出した騎馬兵に向かって突撃した。再び殺陣の嵐が2つの勢力の間に吹き荒れる。
ラーシュカの棍棒が騎馬兵を肉塊に変え、全身に血を浴びたギ・ズーの拳が突き出された槍を掻い潜って敵の脳髄を粉砕する。ズー・ヴェドの戦斧が砂馬の首を刎ね飛ばし、ギ・ドー・ブルガの風魔法が敵を切り裂く。
前回より勢いを失ってはいるものの、それでも精鋭の名に恥じぬ蒼鳥騎士団の槍先がゴブリンの体を貫き地面に縫い付ける。ドルイドの唱える魔法を掻い潜り、斬り付けたゴブリンの首を飛ばす。魔獣を砂馬の馬蹄に掛け、突き出される長槍を掴み取り大盾に隠れるゴブリンを串刺しにする。
酸鼻を極める光景。だが、ゴブリンの王は怒髪天を突くが如き内心を圧し殺し、戦場を見つめていた。
狙いは敵将の首のみ。配下のゴブリンが無残に殺されていく様子も、敵が死んでいく様子も、ゴブリンの王はただ黙って見送った。
ギ・ヂー・ユーブの軍の長槍が勢いの弱まった敵に向けて突き出される。血を吸う鋼鉄の魔獣を連想させる針鼠の陣形を組み、ゴブリンの強靭な足腰を駆使して一気に彼我の距離を詰める。咄嗟に避けようとした敵騎馬隊が身動き出来ずに串刺しにされていく。馬も人も無関係に突き殺す針鼠が、人馬をそのままに更に前進。敵を更に圧迫しようとしたところで、猛烈な敵の勢いに一気に蹴散らされる。
光輝く剣を持った一騎の騎馬武者。
ぎりりと音が鳴りそうな程に腕を振りかぶったゴブリンの王が、右手に持ったツヴァイハンダーを全力を以って投擲。
「往けィ!」
ゴブリンキングの全筋力を載せた大剣が、回転しながらアイザスに向かう。
「その程度ッ!」
手に握るは聖剣グラディオン。愛する姫より受け渡された王家が保持する必勝を約束する剣。回転する大剣を弾いて除けると同時に、襲い来る正確無比な矢。二矢が描く軌道は己と愛馬。
「済まぬ」
手綱を引いて竿立たせると、その矢を2つとも防いでみる。転がり落ちるように下馬し、アイザスは瞬時にゴブリンの王を敵の首魁と断定する。あれを討ち取れば勝てると踏んだのは、奇しくもゴブリンの王と同じ判断。だが、次に迫り来るのは巨大な風の塊。触れれば全身を引き裂かれ、立ち上がることすら叶わないであろう巨大な一撃。
「負けぬ!」
その一撃を聖剣を両手で振るうことによって断ち切ると同時に、地を蹴る。
正確無比な矢の一撃と切り裂くような風の魔法。更には群がるゴブリン達を薙ぎ払い、アイザスは前に進む。その様子は正に一騎当千。無人の野を行くが如く、立ち塞がるものを容赦なく斬り捨てて進む。
「覚悟ッ!」
神の加護を受けたその身に満身の力を込めて跳躍しようとし、背後に僅かな気配を感じたアイザスは視線を向ける。そこに居たのはギ・ジー・アルシル。部下を殺されても抑えた激情を憤怒に変えて、アイザスの足首を短剣で切り裂いていた。
激痛に顔を歪めるも、アイザスは止まらない。
目の前には敵の首魁であるゴブリンの王。ここで退けば、今までの犠牲全てが無駄になる。その思いを胸にアイザスは前に出る。
「うぉぉおおお!」
裂帛の気合いと共に振り下ろす聖剣。
ゴブリンの王はフランベルジュを両手で握り締め、自らも相手を打ち砕かんと渾身の一撃を繰り出す。
「グルウウゥゥオオオオアアア!」
激突する聖剣と大剣。お互いの咆哮が響く。顔を歪ませて聖剣を受け止めるゴブリンの王の姿に、アイザスは一瞬だけ勝利を確信し──。
「ぐ!?」
突如感じる脇腹の激痛。突き刺さる曲刀と、見たこともないゴブリンの姿。直後に凄まじい嘔吐感。
「ぶ、ハッ!?」
体の内側から逆流する血液が堪え切れずに口から噴き出る。全身の力が抜けるのを感じた。
「アイザァァアス!!」
親友の悲鳴が聞こえると同時に意識が途絶え、アイザスはアレンに抱えられ戦場を離脱した。
◆◇◆
その日の激闘により蒼鳥騎士団は3000の兵の内、騎士団長アイザスを含む2000の精鋭を失う大損害を被ることとなった。副団長アレンも負傷し、交易国家プエナの戦力は著しく低下することになる。
だが、勝利を収めたゴブリンの軍勢も1300の損害を出し、兵力は1100にまで低下する。
更に悪いことに、直後に来襲した赤の王率いるエルレーン王国軍1万五千により勝利の凱歌を上げることも出来ず、辺境領域へ撤退せざるを得なかった。
如何にゴブリンの王が強靭であろうと、連戦で消耗した状態で10倍近い戦力差をひっくり返すなどという芸当は不可能だったのである。