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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
238/371

西域騒擾

 ゴブリンの王から西域の守りを任されたギ・バー・ハガルは不意の奇襲を受け、思わぬ苦戦の中にいた。侵入してきた冒険者達を一度は退けたものの、何人もの冒険者に襲い掛かられ傷を負ってしまったのだ。その為に追撃もままならず、歯噛みして彼らが逃げ出すのを見ていることしか出来なかった。

 ギ・バーは、ゴブリンの王が認める勇猛で優秀な戦闘能力を持つゴブリンだ。両手で別々の武器を操るその姿は、格上のギ・グー・ベルベナにも通ずる所がある。

 配下のゴブリン達を統率する能力も、決して他のノーブル級ゴブリンに劣るものではない。ただ一点、人間への憎悪に端を発した多種族への非協力的な態度のみが王の不興を買っていた。

 大陸の覇権を握る人間族は圧倒的多数を占める。それと折り合いを付けないということは、どちらかが完全に屈服するまでの地獄のような殲滅戦になる。ゴブリンの王はそれを回避せねばならないと思っていたし、事実その為の手段として人間に対して寛容な姿勢を示しているのだ。

 だが、同時にゴブリンの王には世界を制覇するという野望がある。その為に、優秀な戦闘力を持つギ・バーを切り捨てる訳にはいかなかった。また、更なる成長がギ・バーを憎しみから解き放つのをゴブリンを率いる種族の王としても期待していた。

 傷を負ったギ・バーは、手当の時間も惜しいとばかりに王に人間の襲撃を報せると、自らその捜索に乗り出した。

「許せぬ! 人間如きに、この俺が!!」

 燃え立つような憎悪で顔を歪めるギ・バーの凶相は支配する集落の者達に不安を与え、シュメアの育てる子供らは出会っただけで泣き出してしまう始末だった。その泣き声が更にギ・バーを苛立たせる。

 ギ・バーにしてみれば同じ人間がゴブリンに敵対しているのに、支配下に入っただけの集落の人間達を信用するなど、出来る訳がなかった。いつ牙を向いてくるのか? 沸騰しそうな頭でそればかり考える。

「その時には、必ず皆殺しにしてくれる」

 必死に自制心を奮い立たせ、なるべく目の端に入れないようにして冒険者達を探す。奴らが逃げていったのは北の方角だった。自らの率いるゴブリン達と共に、手分けしてその行方を追う。

「奴らを殺せ!」

 一言そう命じるギ・バーは、その捜索の途中でシュメアと剣闘士奴隷達を発見する。人数は凡そ30人程だが、戦い慣れているという点では、ゴブリン達に勝るとも劣らない者達だった。

「貴様ら、何をしておるか!」

 怒りに駆られるギ・バーは、彼らが冒険者に合流するつもりなのかと勘ぐってしまう。

「何ってことはないだろう? あんたが怪我したって聞いたから、あたしらが手伝ってやろうってんじゃないか」

 腰に手を当てて胸を張るのはシュメアだった。ヨーシュから借り受けた剣闘士奴隷を率いて見回りをしていたのだ。睨み合う両者は互いに一歩も引かず、一触即発かと思われた。

「なぁにをしてんのよ? 遊んでるなら、私達は帰るわよ?」

 一人と一匹が向き合っている所に上空から声をかけたのは、翼在る者(ハルピュレア)の一番翼ユーシカ。西都に訪れていた所を、シュメアの懇願で捜索に加わっていたのだ。

「貴様っ、人間などに与するかっ!」

「まぁ、貴方には理解できないかもしれないけど、王様ならきっとこうするでしょうね」

 怒りと共に吠えるギ・バーに、ユーシカは淡々と返答する。歯を噛み締めて怒りを堪えるギ・バーに、シュメアは後ろで無造作に束ねた髪を掻き毟ると、溜息を付きながら提案する。

「取り敢えず無事で良かったよ。こっちで見つけたら連絡するから、そのつもりで頼むよ」

「ふん!」

 踵を返すギ・バーに、ユーシカとシュメアは視線を交わし合う。

「王様の人選が間違ってたんじゃないの?」

「ゴブリンだって色々いるってことでしょ。王様みたいなのが例外なんだと思うよ」

「そう言われれば、そうね」

 頷くユーシカに、シュメアが更に続ける。

「まぁ、あっちの方がゴブリンらしいんだよね」

 互いの常識が大分ズレてきている事に、二人は苦笑した。


◆◇◆


 ゲルミオン王国側から冒険者が入り込んだという報せは、既に西域全体を守るギ・ガー・ラークスの下にも届いていた。王から後背の地を任されるということは、その信頼の厚さと実力の高さを認められたということでもある。

「狙われたのはギ・バー殿と見ていいのか?」

 西都を守る蜘蛛脚人(アラーネア)のニケーアは腕を組んでギ・ガーに確認する。彼女は王から西都の都市の防衛を任されており、少ないながらも部下と共に西都に常駐している。王に協力する亜人の中でも、中心的な人物であった。

「それを判断するのは些か早計かと。これが囮という可能性もないわけではないでしょう?」

 西域の行政面を取り仕切るのは風の妖精族(シルフ)であるフェイであった。長寿と魔法の巧みさでは人間を大きく上回る彼らだったが、人間の勢力に押されて先頃まで森の奥地に住み暮らしていた。ゴブリンの王の覇権を影で支える功労者である。

 その彼の言葉にも一定の理解を示し、人間の代表格であるヨーシュは首を捻った。

「目的もそうなんですが、取り敢えず対応策を取らないと。姉さんが剣闘士達を率いて追っていますが、少し不安ですね。ギ・バー殿とは連絡が取れないんでしょうか?」

 シュメアの弟であり、王の所有物である人間の奴隷を運用する立場にある彼の地位は、西都で最も高い。姉の気紛れからゴブリンの勢力に加わることになった彼は、ギ・ゴーとの旅を通じて、今では本気でゴブリンと人間の共生の道を探っている。

「ギ・バーへの襲撃が囮だった場合、危険なのは東部だな」

 ギ・ガー・ラークスは、それぞれに西域を代表する者達の意見を聞きつつも、迷うこと無く言い切った。

「そう多くの兵は割けない、ということですか」

 ヨーシュはギ・ガーの言葉を聞いて考え込む。

「西都自体を狙うという可能性は低そうだな。だが、族長達には警戒を促しておいた方が良いだろう」

 ニケーアの言葉に、それぞれが頷く。

我ら(シルフ)とハルピュレアの中から耳と目に優れた者を選抜しましょう。それ以外の者は通常通りの警戒態勢とすれば宜しいかと」

 フェイの言葉に、ギ・ガーは頷く。

「だが、混乱は早期に収めねばならん。我らが王に要らぬ心配をかけてしまうなど寄せて頂いた信頼に悖る行為。それは避けねば」

 南方は遠く、今頃ゴブリンの王は人間を統治しようと躍起になっている筈である。

「俺自身も出る。王の御心を騒がせる輩を駆逐してくれる」

 ギ・ガー・ラークスはそう言うと、会議を打ち切る。西都に逗留している妖精族と翼在る者の中から何人かを同行させると、彼は東へ向かう。

 暗黒の森から出てきたばかりの若手のゴブリン達を率い、彼は騎獣に跨って西都を後にした。


◆◇◆


 ゴブリン達の追跡隊とゲルミオン王国側から侵入した冒険者らが激突したのは、北部の集落の一つである。追い詰められた冒険者達は集落の占拠を試み村長の家を占領したのだ。

 対するゴブリン側は、彼らの足取りを追ったシュメア達剣闘士組が先に現場に到着する。冒険者達は各個バラバラに逃げることによって彼らの追跡を躱そうとしたのだが、それが返って彼我の戦力差を大きくしてしまうという結果を産んでしまった。

 長い逃亡で神経を擦り減らされる中で、冒険者達に最早戦略を練るような理性的な行動は不可能だった。後先を考えず村長の家を占拠すると、中に居た村長とその息子を斬り殺して、食料を強奪した。

 追ってきた剣闘士達が、思わず目を背けたくなるような所業に手に染めたのだ。

「無駄な抵抗はやめろ!」

 盾に守られながら村長宅に立て籠る冒険者に呼びかけるシュメアだったが、投げ出されたのは死んだ村長の幼い息子の亡骸だった。

 無残に斬り殺されたその息子の遺体に、冒険者は更に矢を放つことで応える。

 近付いたら殺すという、明確な返答を返したつもりの冒険者達。だが、彼らはシュメアの性格を理解していなかった。

 砕けんばかりに歯を噛み締めると、担いでいた短槍が唸りを上げて振り下ろされる。

「子供を殺しやがって!」

 普段温厚と言っても良い彼女の怒りに火を点けてしまったことを知らない冒険者達は、すぐさまその行為を後悔することになった。

「油と火。後は矢だ!」

 冒険者達の凶行に、最早中に居るのは敵のみと判断したシュメアが火矢を用意させる。怯える村人に向き直ると、彼女は宣言した。

「補償は必ず私がする!」

 西域の北側の集落の村人達は、ゴブリンと度々交渉する彼女の姿を見ている。その為か、彼女に対する信頼は否が応でも高まっていた。

「あの姐さんが言うなら、間違いなかんべ!」

 頷き合う村人達が積極的に彼女の必要とする物を用意すると、直ぐに断罪の火矢は村長宅に放たれ、紅蓮の炎となって辺りを照らす。

 中から慌てて出てきた冒険者達を、彼女と剣闘士達は容赦無く討ち果たす。所詮数が違う。冒険者一人に対して、剣闘士3人がかりで戦えば危なげなく彼らを討ち取ることは可能だった。

 冒険者を討ち取ると、彼女は亡くなった村長と息子の為に自ら墓を立てて手厚く葬った。彼女の村人達から寄せられる信頼は益々高まり、この騒動は終わったかと思われたのだが、問題はギ・バーの方に起こっていた。

 急を伝えるハルピュレアが彼女の下に降りてきたのは、大半の冒険者を討ち取った直ぐのことであった。


◆◇◆


 侵入した冒険者の首領格であるベルタザルは森林内に潜み、獲物を狙っていた。10人で侵入した冒険者達だったが、彼と彼に従う二人の冒険者以外はバラバラに動き、自滅の道を辿っていた。

 ベルタザルが目星をつけたのは一匹のゴブリン。

 ノーブル級と称される青いゴブリンである。豪槍のベルタザルと呼ばれはしても、それは往年の二つ名である。自身がそう呼ばれた時から、実力も大分落ちていると実感せざるを得ない。だが、その代わりに裏の世界での経験と人を使うことを覚えていた。

 目の前で逃げる冒険者に狙いをつけたゴブリンが止めを刺すのを見ても顔色一つ変えず、じっと機会を伺っている。

 青いゴブリンが率いているのは10匹にも満たないゴブリン達だった。レア級と呼ばれる赤いゴブリンは存在せず、緑色のノーマル級ゴブリンばかりである。

 狙いを定めた獲物が強力な他は、脅威と呼べるような者は存在しない。

「俺があの青いのをやる。分前は等分してやるから、お前達は他のゴブリン共を抑えてくれ」

 ベルタザルと共に行くことを選んだ二人の冒険者は頷くと、得物を取り出して最後の確認をする。一人は弓矢。一人は長剣を引き抜き、暗い目で獲物のゴブリンを見ていた。

「……行くぞ!」

 冒険者を殺し、踵を返そうとするゴブリンに向かって一気に駆け出すのと、背後から援護の矢がノーマル級のゴブリンに突き刺さるのとは同時だった。

「何だっ!?」

 ギ・バーの驚愕の声に、ベルタザルは短槍の一撃を以って応える。

 間一髪、それを避けたギ・バー。だが、ベルタザルの攻撃は止まらない。

「ぬん!」

 突き、叩き、薙ぎ払う。槍の長所たるその技巧を遺憾なく発揮したベルタザルの攻撃は、ギ・バーをして自身を守るのに手一杯とさせてしまう。掠めた十字の槍先がギ・バーを絡める為に引き戻される。それを慌てて回避。

 地面を転がるところを狙って叩き斬るように槍が降って来る。

「くっ、人間め!?」

 何とか立ち上がるギ・バーの足元を狙い、ベルタザルが引っ掛けるように十字槍を振るう。ギ・バーは慌てて手にした長剣で槍を防ぐが、勢いに負けて擦り傷を負う。

 そのまま接近戦へと持ち込もうと突進したギ・バーを避けて、ベルタザルは槍を引き戻すと石突きでその顔を打ち据え、体を入れ替えると同時に足の腱を狙って槍先を振るう。

「ぐっ!?」

 くぐもった悲鳴と共に強かに打ち据えられた顔を歪めるギ・バー。だが、その耳に槍の振るわれる轟音が聞こえ、悪寒が背筋を走る。前転するかのように体を投げ出すギ・バーの背中を掠めた槍先が、青い血を飛び散らせて空を切る。

 皮一枚を切ったのみだったが、“豪槍”の二つ名に相応しい強力な一撃がギ・バーの体を鞠のごとく地面を転がす。立ち上がろうとするギ・バーに追撃をかけるベルタザルだったが、ギ・バーは手にした長剣を投げるという奇襲で応じ、僅かに隙を作ることに成功する。

 その隙に取り出した斧を手にベルタザルの間合いの内側へ入り込み、一気に勝負を決めようとするギ・バー。間合いは至近、短い十字槍を手にしたベルタザルは防ぎに回るが、穂先を外側に向けた中途半端な形。

 ギ・バーには勝機が見えたように思えた。

 力のままに頭上から振り下ろされる斧。人間では考えられない力を込められた斧が軋み唸りを上げる。槍の柄ごと真っ二つにする勢いで振り下ろされた斧は、地面に突き刺さっていた。

「な、にぃ!?」

 怒りの視線で視線を動かせば、十字槍の穂先がギ・バーの首筋にぴたりと寄せられている。

「貴様、俺の斧をいなしたのかッ!?」

 振り下ろされた斧の一撃を横から十字槍の穂先を当てることによって力を外側に逃し、軌道を変える。言ってしまえば簡単だが、それを成し得る技量と度胸は、目の前の男が真の実力者であることを証明していた。

 一方のベルタザルは、己の成した技に彼自身でさえ僅かに呆然としていた。それは過去の栄光の一部を彼に追憶させると共に、忌まわしい記憶をも同時に思い出させていたからだ。

「……所詮、過去の夢か」

 自嘲に口元を歪ませると、ギ・バーの生命を絶とうと短槍を振り上げる。その背後に迫る足音と殺気に、振り返ると同時に振るった十字槍が一匹のゴブリンの首を薙ぐ。

「ギ!?」

 悲鳴すら最後まで上げることなく命を絶たれたゴブリン。その姿に舌打ちすると、一緒に戦っていた筈の冒険者の姿を探し求めるが、既に物言わぬ亡骸へと成り果てていた。

「役に立たないな」

 だが、元々たった一人でこの計画を思い立ったのだ。協力者など、居れば居たで役に立つかもしれないという程度でしかない。ノーマル級ゴブリンの生命を奪う間に距離を取ったギ・バーを見据えると、槍を再度構え直す。直突きを主体とした彼の構えは、十字になった穂先と相まって攻撃範囲は嫌が応でも広くなる。

「大人しくすれば、楽に死ねるぞ」

「人間が、この俺に指図をするな!」

 斧を構えたギ・バーは気迫を纏って前に出る。人間相手に逃げるなど、彼の矜恃が許さなかった。鉄と鉄がぶつかり合い、互いに荒い息を吐き出す。体力に勝るギ・バーと技量に勝るベルタザルの戦いは、まさしく激闘と言って良いものだった。

 ノーブル級ともなれば、体格的には一般的な人間と大差ない。それどころか、王の統治の元で充実した食生活を送っているギ・ズー以降の高位のゴブリン達は大柄な人間よりも更に一回り大きい。元々の種族の持つ地力が違うのだから、真正面から戦えば人間の膂力で対抗するのは難しいだろう。

 ベルタザルは後ろ暗い仕事に手を染めてから、技量の鍛錬を怠っていた。人はその精神が健全であればこそ前に進む意志が生まれるのだ。技量で勝る筈のベルタザルがギ・バーを圧倒出来ないのは、日頃の練度の差が原因であった。

 過去の遺産で戦っているベルタザルだったが、その技量は並の冒険者の遥か上をいく。嘗てガランドと並んで豪槍の二つ名で持て囃された男の槍捌きは、戦の叩き上げで身につけたギ・バーの技量など及びもつかない程だった。

 ギ・バーは自身の体力が人間に勝ることを確信しながらも、相手の技量には到底敵わないことを本能で感じていた。故に彼は何とか敵の油断を誘おうと、考えつく限りの戦術を試みる。

 土を手にとっての目潰しに始まり、石を拾っての投擲、森の中に入り枝を拾っての即席の二刀流。だが、その何れもベルタザルの間合いを崩すことはなく、徐々に手詰まりになってきていた。

 投げた土も石も、ベルタザルが十字槍を一回転させることで全て払いのけられてしまう。それどころか、その隙を突いて間合いを詰められ命の危機を味わう羽目になった。

 何も通用しない。絶望が徐々にギ・バーの胸の内を侵蝕し、平原から森の中へと戦場を移す頃には酷く疲れ果てていた。一方のベルタザルにしても同様で、鍛錬の不足に加えて人間よりも体力に勝るゴブリンという相手に長期戦を繰り広げた結果、激しく体力を消耗していた。

 日は既に西に傾き、斜陽が辺りを朱に染めていく。

「観念しろ。貴様がいくら逃げようとも、俺には勝てん」

 断言するベルタザル。その言葉に、疲労したギ・バーの双眸が炎を湛えた。

「逃げるだと!? この俺が人間相手に!」

 怒りのあまり、握った斧の柄を震わせて歯噛みする。僅かに間合いを詰めるギ・バーに、ベルタザルは己の勝利を確信した。

 交錯は一瞬。

 突進し振るわれた斧をベルタザルの槍が弾き飛ばし、殴りかかるギ・バーの胸を深々と十字槍が切り裂いた。だが、ギ・バーも勇猛さで王に認められたゴブリンである。傷を負いながらも敵に殴りかかる速度は些かも衰えない。

 いつしか相手も体力的には苦しいと思い込んでいたベルタザルの虚を突く一撃は、彼を大きく弾き飛ばした。地面を転がり、苦悶の声を上げるベルタザルだったが、致命傷を受けたわけではない。すぐさま立ち上がって周囲を見渡せば、倒れ伏すギ・バーの姿が目に入る。

「……勝った。これで……」

 痛む体を引き摺り、ギ・バーに止めを刺そうとしたベルタザルの耳に、奇っ怪な鳥の鳴き声と頭上から枝を折る音が同時に聞こえた。

「何だっ!?」

 頭上から降って来る巨大な何かを咄嗟に避けようと距離を取ると、ずしんと音を立てて、それは目の前に立ちはだかる。

「っ~~! 痛ぁ」

 そこには木々の枝で全身を擦り傷だらけにしたシュメアの姿があった。体中に葉と枝をつけ、手には短槍だけを持ったその姿は満身創痍に近い。だが、空から人が降って来る異常事態に一瞬だけとはいえ、ベルタザルの思考は完全に停止していた。

 その隙にギ・バーの無事を確かめると、シュメアはベルタザルに向き直る。

「アンタ、冒険者だね?」

 突然現れた人間の槍使いにベルタザルの混乱は極致に達するが、表面上だけは冷静を装って、彼もまた槍を構える。

「そこをどけ! 人間を殺す気はないっ!」

 目の前に立ち塞がるなら敵でしかないと思考を麻痺させ、ベルタザルは槍を握る手に力を込めた。

「お生憎様。こちとら、子供を殺すような外道を許しちゃおけないんだよ!」

 短槍が唸りを上げる程の勢いで一回転し、体に纏わり付く枝を払い落とすと、シュメアは敢然と前に出た。

 鋼と鋼のぶつかり合う音に、ギ・バーは意識を取り戻した。

「くっ……」

 胸を深く切り裂かれた。その傷は人間より回復力に勝るゴブリンといえども重傷である。下手に動けば命に係ると感じて、生きている自分に首を傾げた。

「ぬ……」

 再びの鋼の音に、先程までの記憶を取り戻す。

 そう、確か人間の冒険者と戦っていた筈。そこまで考えて、闇を苦にしないゴブリンの視界に戦うシュメアとベルタザルの姿が見えた。

「何故……」

 ギ・バーは唸った。見ればシュメアは傷だらけで槍を振るっている。ベルタザルが敵なのは間違いないが、そうだとすればあの傷は自分を守る為に負ったのではないか?

 そんなことがあっていいものか。

 自分が憎悪を向けてきた相手が、自分を守ろうとしているなど、そんなことが。

「あって……良い筈がない!」

 痛みを無視して立ち上がる。己だけが空回りしている。人間とは憎むべき敵の筈だ。その憎むべき敵が自身を命を懸けて守ろうとしている。そんなことが、許せる筈もない!

「グルウウオオアア!」

 挙げる咆哮で痛みを打ち消すと、ギ・バーは手放していた斧を拾って振りかぶると、猛然とベルタザルに向かって駆け出す。

 舌打ちして、シュメアとの戦いを中断せねばならなかったベルタザルは間合いを取ると同時に、森を抜け出ようと背を向ける。

 怒りに任せてそれを追うギ・バー。シュメアの呼びかけも遠く、ギ・バーは憎むべき人間を追う。

「ああ、もう!」

 自棄になりつつ、ギ・バーの後を追うシュメア。痛む体を引き摺りながら頭上にいる筈のハルピュレア達に口笛で合図する。彼女が頭上から降りてきたのは、ハルピュレア達の協力あってのものだった。

 森を抜け出た場所で再び死闘を演じるギ・バーとベルタザル。

 二人の間に割り込んで、シュメアはギ・バーに話しかける。

「無茶するんじゃないよ! 死にたいのかい!?」

「黙れ、黙れ、黙れ! 人間が!!」

 話を聞くつもりのないギ・バーに、再びベルタザルの槍が襲い来る。冷静さを欠いたギ・バーでは槍の一撃を躱すことはできず、自身の斧を受け流され石突きによる強烈な痛打を見舞われる。

「言わんこっちゃない!」

 更に迫るベルタザルの槍を、身を挺してシュメアが防ぐ。

 ベルタザルの十字槍がシュメアの肩を貫き、鮮血が飛び散る。

「……死ね!」

 僅かに呼吸を整えたベルタザルが槍を振りかぶる。シュメアは血塗れになりながらもそれを防ごうと槍を頭上に翳した。ギ・バーは己の常識を覆すその光景に、絶叫する。

「やめろ!」

 ギ・バーが吠える。

「──がっ!?」

 だが、運命の死神が首筋に大鎌をかけたのはベルタザルだった。その胸元からは槍の穂先が生え、振りかぶったままの態勢で口から血を吐き出す。

 胸と口から流れ出る血と生命。残る力を総動員して後ろを振り向いたベルタザルが見たのは、騎獣に跨った片腕のゴブリン。そこで力を使い果たしたベルタザルは、槍を振りかぶったまま地面に倒れ伏した。

「リー、ザ……」

 最愛の娘の名。それがベルタザルの最期の言葉となった。

「シュメアさんっ!」

 飛び込んできたのは妖精族の娘セレナ。ギ・ガーと共に、西域に侵入した冒険者を探していたのだ。

 傷だらけのシュメアを受け止めると、静かに涙を流しながら治癒を促進する魔法を唱える。ギ・バーにも同じ魔法が掛けられ、温かなものがギ・バーの胸を満たしていく。

「皆に感謝せねばな。ギ・バー・ハガル」

 黒虎に跨ったギ・ガー・ラークスが、騎獣の上からギ・バーに声を掛ける。

「……俺は」

 それ以上言葉を紡げないギ・バーの様子に目を細めると、遅れて来たヨーシュ達にシュメアを引き渡した。


◆◇◆


 ギ・ガー・ラークスの投槍によりベルタザルは討ち取られ、西域の騒動には一応の決着がついた。ギ・バーとシュメアは重症を負い、ガランドの狙い通りゴブリン達の西域での戦力は低下した。

 だが当初のガランドの思惑を外れ、ゴブリン達は砦に押し寄せることはなかった。戦果を伝えた冒険者も深手を負っており、砦に辿り着くと間もなく死亡した。

 ガランドはアシュタール王に出兵を請うも、アシュタール王は頑として首を縦に振らず、西域とゲルミオン王国との間で戦端が開かれることはなかったのである。

 西域騒動の直ぐ後、王から派遣されたギ・ザー・ザークエンドが西域に到着し、事件の一部始終を確認すると伝令で王に事件の顛末を伝え、自らは新兵を受け取る為に暗黒の森へと向かった。

 この事件の顛末は噂好きなハルピュレア達から西域全土へと伝わり、人間を憎むゴブリンらと西域で暮らす人間達との間に融和の空気が生まれる切っ掛けとなった。

 結果的に西域の安定を支える一端となった事件は、ゴブリンの王の南方遠征に大きな追い風となって吹いたのである。


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