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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
237/371

クルディティアン攻防戦

1月23日誤字脱字修正

 クシャイン教徒の本拠地にして、今は亡き教皇ベネム・ネムシュの故郷クルディティアンは未曾有の混乱に陥っていた。

 “クルーゼルの悪夢”と呼ばれる敗戦と、“ファティナ失陥”の報である。有力な将軍や武人らを数多く失ったのみならず、教皇の横死という事態は正に悪夢としか言い様がなかった。続くファティナ失陥でも敵軍の数倍もの将兵を動員したにも関わらず散々に討ち負かされ、城塞都市まで攻略されてしまった。

 大き過ぎる痛手に追い討ちを掛けるようにエルレーン王国からの宣戦布告。近衛隊長ゴーダル・ガスタルの名前で届いた降伏勧告に至って、その混乱は極致に達した。

「勧告を受諾すべきだ! 今のままでは勝てぬ!」

「馬鹿な!? 戦いもせず、奴らに勝利をくれてやるというのか!」

 各枢機卿の間でさえ意見が別れ、教皇ベネム・ネムシュ亡き後のクシャイン教徒達の混乱は、内部分裂による争いに発展するかと思われた。

 だが、そこで彼らに一つの希望が差す。

 バーネン王国からの使者が彼らの下に訪れたのだ。クルディティアンが都市国家として成立したのは、つい先年のことである。教皇ベネム・ネムシュの登場と共に発せられた“聖戦”により、バーネン王国の一都市から国家という組織へと成り上がったのだ。

 言わば旧主からの使者が、彼らが縋るべき一縷の光明を携えてやって来たのだ。

「姫巫女様がお言葉を携えていらっしゃった!」

 クシャイン教とは、元々聖人と讃えられたクシャインを神格化した教えであった。バーネン王国の地方領主だったクシャインが軍を率いて飛竜を討ち破り、その地に平穏を齎したという伝説が元になっている。

 その血は傍系ではあっても受け継がれてゆき、クシャイン教徒の勢いが強くなると同時にバーネン王家にまで及んでいた。つまり、“クシャインの血を受け継ぐ者”は現に存在しているのだ。

 ベネム・ネムシュは巧妙に彼らを利用し、バーネン王国と誼を通じつつ教皇の座に昇り詰めた。この立ち回りの上手さが、彼がただの狂信者でなく冷静な観察眼を持つ智慧者でもあったことの証だった。

 尊き血筋に敬意を。だが信仰は我らの手に。ベネムが教皇の地位に就いた際に、クシャインの血筋に対してそう宣言した。

 尊重はしても其れ等の争いに巻き込まれることを良しとしなかったベネムは、バーネン王国の血筋に連なる者達に教団の実権を渡そうとはしなかった。

 聖戦を行う上でクシャインの系譜を巻き込むまいとした英断だったのか、或いは自己の権力欲の為に態と遠ざけたのか? それは彼が死んだ今となっては永遠に分からないままだが、その判断のお陰でクシャインの血筋は保たれていた。

 即ち、バーネン国王の一人娘ミラ・ヴィ・バーネンの来訪である。

 御年16になるその少女は、己の血筋と女としての魅力を充分に理解していた。高貴なる血筋に、美しい(かんばせ)。たったそれだけで大半の民が跪き、ありがたがることも彼女は経験則で知っていた。

 己自身の価値というものを弁えた彼女は、それを最大限活用する。

 何かと娘には甘い父親を籠絡し、クルディティアンへの使者に立ったのだ。それと同時に、前もってクルディティアンの民に自身の来訪を報せたのである。

 結果、彼女が来訪したその瞬間からクルディティアンは頭を垂れることになる。

 混乱する枢機卿達には成す術もなかった。勿論、助けを求める民は言うまでもない。新たなる教皇を選出する選議会(コンクラーベ)において彼女が言い放った一言は、敬虔な教徒達に心の拠り所を与えたのである。

 曰く、始祖クシャインの血は民と共にある。

 それは彼女自身が戦の前線に立つという宣言に他ならない。無論、父親である国王の預かり知らぬことである。

 だが、それを知らない枢機卿と民は彼女の言葉に熱狂した。

 満場一致で教皇の地位に就き、更には彼女を聖女と認定して志願者からなる3万の軍をあっという間に組織してしまった。全てを輝かしい劇場の一幕のように終えてしまった聖女ミラは自分の為に割り当てられた一室に戻ると、お目付け役の少年に悪戯猫のように微笑んだ。

「首尾は上々ね。さて、後は戦だけど?」

「姫様、御許し下さい。僕にはそのような才は……」

 ミラは怯える少年の両頬を抓り、獰猛な肉食獣を思わせる微笑で彼に迫る。

「出来ないとは言わせないわよ。出来ない時は、私が憎きエルレーン王国の痴れ者どもに組み敷かれるのだから。それとも貴方はそれをお望み?」

「そ、そんなことはありませんが」

 少年の両頬から手を放し、ある種扇情的な聖女の衣装の裾を持ち上げる。年頃の娘の磨き上げられたような瑞々しい肌。眩しい程に白い乙女の足に、少年は狼狽える。

「ひ、姫様!」

 悲鳴を上げる少年を無視して、ミラは笑顔を作る。

「ヴィル……ヴィラン・ド・ズール!」

 名前を呼ばれた少年は、直後に背中に鉄の棒を差し込まれたかのように直立不動の態勢となって返事をする。

「ふふん、私が欲しいなら全ての敵を討滅しなさい。私の体は勝利者にのみ与えられる」

 僅かに震える幼き主君の指先を目端に捉え、少年は跪き首を垂れる。

「我が忠誠にかけまして!」

 クルディティアン郊外にて行われた会戦において、エルレーン王国側は大敗を喫することとなる。聖女ミラの信望とヴィラン・ド・ズールの知謀に支えられたクシャイン教徒は先の2回の戦を跳ね返す勢いで、2万にも及ぶエルレーン王国軍を撃破。

 当初の大方の予想を覆し、クシャイン教徒はその勢いを取り戻していった。


◆◇◆


 クシャイン教徒側の勝利によって、南方の情勢はより一層の混迷を極めていた。

 ゴブリン側にしてみれば、西域に不安を抱えたまま南方のアシュナサン同盟と東方のクシャイン教徒と境を接し、西域では更にゲルミオン王国と境を接する。

 一方、エルレーン王国に侵蝕の手を伸ばす血盟赤の王(レッドキング)は、東方での影響力を低下させつつもエルレーン王国内の反対派を軒並み排除することに成功した。境を接するのはクシャイン教徒とアシュナサン同盟。そしてゲルミオン王国。何れも潜在的な敵国には違いないが、現状アシュナサン同盟とは一応の共同歩調の体制を取っている。

 クシャイン教徒側からすれば、北に控えるのは長年の敵国ゲルミオン王国。西には魔物の群れ。東と北には不倶戴天のアシュナサン同盟。どの勢力も同盟を結ぶには難しく、信用ならないものばかりだ。

 これまでの状況を整理したゴブリンの王は、地図を眺めて思わず唸った。どの勢力も巨大で強力な国であり同盟である。数々の容易ならざる敵と相対する現状で、今西域へ戻れば南方諸侯はあっという間にゴブリンの王の手から離れて行くのが予想できた。

 それは今まで苦労して築いてきた人間の手駒の消失と、これからの展望の喪失である。ゴブリンの王としては是が非でも南方諸侯を味方につけ、この危機を乗り切らねばならなかった。

 後手に回った諜報を充実させつつ、西域の安定化を推し進めなければならない。ゴブリンの王は決断すると、ギ・ザーを呼ぶ。

「ギ・ザーよ。俺の代理として、一度西域へ戻ってくれ」

「ふむ……。構わんが、大丈夫か?」

「何、フェルビーを扱き使うまでだ」

「成程な」

 ゴブリンの王の腹心たるギ・ザーは苦笑を浮かべ、哀れな妖精族の戦士長に僅かばかりの憐憫を感じた。冗談を言う余裕があるのなら大丈夫だろうと安心し、ギ・ザーは王の命令に従う。

「率いる兵は直属の者を連れて行け。片付ける時間が早ければ早い程、助かる」

「ふむ。暗黒の森で生まれた若手共も戻って来る時に引き連れてこよう。その程度の余裕はある筈だからな」

「頼むぞ」

「任せろ、王よ!」

 頷いたギ・ザーは、自身の直属の兵であるドルイド部隊を率いて西域へ向かう。

「さて、これからが大変だが」

 ザウローシュから南方の情報を得つつ、こちらの影響力を拡大せねばならない。少なくとも、小領主達が離反など考えもしない程に。

 では、それをどうやって達成するかという段になって、ゴブリンの王は地図を広げながら、どの勢力と戦うのかを考えた。

 小領主達との話し合いで、彼らと誼を通じる村々の大まかな範囲を知ることが出来ている。その外側に圧力を掛けることにより支配地域を拡大させる。南方諸侯を絶対防衛圏と仮定するなら、その外縁に緩衝地域を設けることによって本当に守りたい部分に手を出させない。

 ゴブリンの王が考える範囲防衛ともいうべき作戦。その本質はゴブリン側の軍勢を巨大に見せかけて此方側に手を出させないのと、小領主達の裏切りを防ぐという2つの目的がある。

 勿論、欠点もある。

 防衛の範囲を広げれば、それに伴って必要な戦力も増加する。ゴブリンの王の手元には、ギ・ザーが抜けた為に2200程の兵力しか残っていないのだ。

 たったこれだけの戦力で範囲防衛を行うのは非常に難しい。一箇所に留まるのは論外だし、常に移動を続けるとなれば疲労も上乗せされていく。

「だが、守ってばかりは居られぬ」

 強く頭を振って不安を打ち消すと、ゴブリンの王は決断した。

 成功率は決して高くはないが、混沌としている今の状況で小領主達の地域へ手を出す旨味を被害が上回ると教えてやれば、手を出しては来ないだろうとゴブリンの王は考えた。

 何よりも握った筈の主導権を混沌の渦の中で奪い返されることをゴブリンの王は恐れたのだ。

「進撃!」

 ゴブリンの王は、常に動き続けなければならない状況と蓄積される疲労の問題を軍を2つに分けることで解決を計った。2200の兵を更に2つに分け、1100をラ・ギルミ・フィシガに率いさせると小領主達の治める南方を抜け、更に東側に軍を進める。

 魔獣軍を率いるギ・ギー・オルド、戦鬼ギ・ヂー・ユーブ、族長ハールー率いるパラドゥアゴブリン。比較的率いるに易しい者達を使って、威を示す為にクシャイン教徒側の村々に向かう。

 少ない兵力を“水増し”する為に平原の魔獣達を追い立てる。それによって実情よりも多くの兵力があると勘違いさせると同時に、魔獣の被害を抑えようと慌てて出てきた敵軍を迎え討つという考えだった。

 1000の兵を与えられたガンラの英雄ギルミは、極力兵力を減らさぬように戦わねばならないという難しい課題を与えられていた。はっきり言って無茶だとギルミは感じていた。

 そんなことが出来るなら、誰も苦労などしないというのに。

 先の戦で他者に相談することの大切さを学んでいたギルミは、一人で悩んでいても仕方ないと割り切って指揮官級のゴブリン達を招集する。今度もブイのような知恵者がいるといいのだがと淡い期待を抱きながら、ノーブル級以上のゴブリンに相談を持ちかけてみる。

「要は、我らさえ無事なら良いのだろう?」

 要領の良いギ・ギーが、ギルミの相談を受けて一つ提案をした。

「魔獣を先行させ、その後ろから矢を射れば良い。敵が来たなら逃げるのだ」

「それでは堂々たる戦にならない。パラドゥアの槍先は、栄誉なき戦いには鈍ってしまう」

 不満そうに口を尖らせるのは、族長として戦に参加しているハールー。武勇を重んじるパラドゥアゴブリンは、そのような消極的なものを戦いとは呼ばなかった。

「魔獣が減るのは平気なのですか? 魔獣とて無限に居るわけでもありますまい」

 軍を統括するギ・ヂーも、眉を顰めて質問する。

「まぁ、何とでもなるだろう。その辺りから集めて来れば良い」

 あっけらかんとしたギ・ギーに、ギ・ヂーは溜息をつく。

「補充の目処も立っていないのですよ? それでは我が君のお考えに背くのでは?」

 活発にそれぞれの意見を交わし合うゴブリン達を、意外なものを見る目でギルミは眺めていた。せめて一人ぐらいは真面な提案を出して欲しいと願いつつ相談を持ちかけたのだが、彼らは予想外に話し合いに積極的だった。

 これは南方侵攻の際、王がギ・ギー達に必ず日に一度は話し合えと厳命したことに端を発するのだが、ギルミにはそこまで分かる筈もない。

 意外と何とかなるかもしれないと、ギルミは当初の不安が頭から逃げ去っているのを感じていた。

 朧げながらもゴブリン達の中に戦術という概念が目覚め始めたのは、この頃からである。

 味方の被害を最小限にして敵を討ち破る。

 今までは王が考え、王の下で戦っていればそれで良かった彼らにも、活動範囲の広がりと共に其れ等の考えが浸透して来ていた。

「堂々たるぶつかり合いだけでは、王の御意志に背く」

 彼らの共通認識の下、行動方針が決められていく。

「だが、敵を討ち破る為には危険を冒さねばならない」

 相反する命題を遂行する為に、彼らは自らの脳髄を振り絞って考えた。

「では、敵を少しずつ倒していこう」

 作戦の概要はパラドゥアゴブリンによる陽動と、包囲による敵の殲滅である。言ってしまえば簡単なことだが、その実行はかなり難しい。何故なら戦場では常に予定外が発生するのだから。

 試行錯誤し、悪戦苦闘しつつ、何とか彼らの作戦が実を結んだのは王が交代の刻限を定めた10日後になってからだった。

 作戦を決め、実行し、失敗を繰り返す。

 敵が誘いに乗ってこなかったり、追い立てた魔獣が弓矢による攻撃で村の前で止まってしまい近寄れなかったりなど、失敗の理由は多々あるが、それらは確実にゴブリン達の血肉になっていた。

 緩衝地帯を作るべく、クシャイン教徒側の村々を守備する部隊をやっとの思いで倒せたのが王が交代の刻限と定めた10日後だったのだ。

 ギルミから成果を聞いたゴブリンの王は殊の外喜んだ。自分が手を出さずとも、ゴブリン達は独立した軍を任せられるだけの力量を付けつつある。配下のゴブリン達を支配するのとは違う、敵を討ち破る為の策を練る将としての能力を身に付けつつあるゴブリン達の成長を純粋に喜んだのだ。

 直々にギルミ、ギ・ギー、ギ・ヂー、ハールーらに労いの言葉を掛けると盛大に宴会を開き、彼らの勝利を祝うのだった。

 

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