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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
236/371

誤算

 ゴブリンの王が治める西域の安定は薄氷の上に成り立っている。そのこと自体は王も認識しており、だからこそ南方の安定と同時に東のゲルミオン王国への侵攻路確保の為、クシャイン教徒と事を構えたのだ。

 故に本来なら直ぐに西域へ戻り、その安定に心を砕かねばならない。

 だが、ここへ来て無視出来ない情報が集まって来ていた。

 端を発したのは、赤の王の鮮烈なファティナ攻略である。僅か2000の兵力を以て、六倍の敵を撃破。更に城塞都市ファティナの攻略である。

 ゴブリンの王をして無視出来ない勢力だと認めざるを得ないばかりでなく、その影響が間接的にゴブリンの王の傘下に加わった小領主達にも及んでいた。

「調略か」

 眉間に寄る皺の深さを自覚しつつも、王はそれをどうすることも出来なかった。

 調略の手が伸びているのは赤の王からではない。赤の王の勝利に影響を受けた他の勢力からであった。すなわちエルレーン王国、クシャイン教徒、そして砂漠第一の交易都市プエナ。更にクシャイン教徒側は再軍備を整えているとの報せもある。“ゴブリンに占領された哀れな辺境”に続々と調略の手は伸びてきていた。辺境の自治は基本的に領主達に任せている。今は未だクシャイン教徒を撃破した記憶が新しい為に領主達はゴブリン側に靡いているが、ゴブリンの王が西域へ戻った後も同じであるとは限らない。

 力無き者は強者に靡く事によって生き残る道を探る。それはゴブリンも人間も変わらなかった。 少なくとも、当初の目標である早期の解決から西域へ引き上げるという思惑は断念せざるを得なかったのである。

「相手が調略を仕掛けて来るなら、それを利用してやれば良い」

 悩む王に助言をするのはギ・ザー・ザークエンド。ドルイドを纏める呪術師(シャーマン)級ゴブリンであり、ゴブリンの王の腹心である。

 また、妖精族の長老ファルオン・ガスティアから権謀の書を託された寵児でもある。

「ふむ」

 その言葉を受けてゴブリンの王は考え込む。調略を仕掛けて来ている者達の詳細を、ゴブリンの王は殆ど知らなかった。

 どんな理由で、何の為に、何故辺境を求めるのか? 或いは敵の弱点や国民性や王族・貴族達。

 南方辺境だけを考えていた己の視野の狭さを反省し、王は腹心に向き直る。

「先ずは情報が欲しい。ザウローシュに命じて自由都市群の各都市を探れ」

「奴らには領主達を監視させているが」

誇り高き血脈(レオンハート)の人員全てではあるまい。お前の心配も分かるが、信じて任せることも必要だろう」

 ギ・ザーの言葉に苦笑し、王は人間の協力者を使うと決断する。

 人間を全面的に信用する訳にはいかないが、人間を探るには人間が最も相応しいとゴブリンの王は考えたのだ。

 手持ちの戦力で諜報に使えそうなのが彼らだけという事情もある。後手に回ることを覚悟しつつ、王は事態に対処する為に辺境領域に留まる選択を取るしかなかった。

シュメアから届いたギ・バーに関する文と合わせて、ゴブリンの王は西都がある北の空を睨むように見つめた。


◇◆◆


 赤の王のファティナ攻略はエルレーン王国上層部に亀裂を生むことになった。反赤の王派閥とでも言うべきそれは、貴族、武官、官僚、近衛兵など身分に関係なく形成され、数の上では親赤の王勢力を圧倒していた。

「面倒くせえ奴らだ」

 セーレを中心として設立した諜報部隊“王の耳”から報告を聞いたブランディカは不機嫌に鼻を慣らすと、視線を己が右腕とも言うべきカーリオンに向ける。

「まぁ、少し勝ち過ぎましたね。それと盟主の例の発言が発端かと」

 肩を竦める王佐の才は、ふて腐れる盟主に苦笑する。

「たまーに調子に乗ると、これだからなぁ」

 天を仰いで酒を呷るブランディカ。一息に飲み干してから、口の端を歪めて獰猛な笑みを作る。

「……で、どうするよ? ここらでいっちょ、簒奪でも独立でもやってみるか?」

 この人なら本当にこのまま国を立ち上げてしまいそうだと内心で苦笑しながら、カーリオンは首を振る。

「エルレーン王国の旗は未だ使えます。折角貰ったファティナ公爵の地位を利用しない手はないですからね」

 成程と首を捻ると、ブランディカは自信に満ちた顔で宣言する。

「任せるぜ。カーリオン」

「お任せを。我が王」

 カーリオンは微笑を浮かべてブランディカの前から退出すると、自身の執務室に向かう。

「……ふぅ」

 椅子に腰掛け深く息を吐くと、部屋の空気が揺れる僅かな気配を感じて視線を向ける。

 そこには不機嫌そうな顔をしたセーレの姿があった。

「エルレーン王国は、独自に戦を始めるようだぞ」

「将は?」

「ゴーダル・ガスダル」

「知らない名前ですね」

「貴族の領袖だ。王の親戚で、会議で王を突き上げたらしい」

 外戚と言うのですけどね、と内心で訂正しながら報告を聞く。ゴーダル・ガスダルは娘を国王の妃とすることに成功した将軍だった。

 高名なカナッシュとは違い、その地位を娘を差し出すことによって手に入れた男。

「ふむ……傭兵にばかり勝利を奪われ、自身の地位を危ぶみ始めたというところでしょうか?」

 全ての報告を聞き終わったカーリオンは、小さく唸った。

 王佐の才と呼ばれる軍師は、暫くの沈黙の後に徐に口を開く。

「良い機会です。エルレーン王国への工作を強めてみましょう」

「……私はお前ら人間のことは分からないが、敵はこのままだと負けるのではないか?」

「敵とは誰のことでしょう? 王国首脳部? クシャイン教徒? それとも東部で蠢動する自由への飛翔(エルクス)の残党でしょうか? 或いは魔物?」

「おい、私は言葉遊びをするつもりはないぞ」

「ええ、ご安心を。ここまでの全ては、未だ僕の予想の範囲を超えてはいませんよ」

 カーリオンは、暗く熱に浮かされたような視線を一瞬だけ窓の外に向ける。

「……国盗りの第二幕といきましょうか」

 カーリオンは細く息を吐き出すと、軽く咳き込んだ。


◆◇◆


 人間の領域へと踏み出したゴブリンの王の拠点である西域。そこから駆けて来たパラドゥアの伝令は、予想外の事態をゴブリンの王へ伝えていた。

「人間の襲撃?」

「御意」

 遠く北を見やり、ゴブリンの王は熱くなりそうな頭を振って考えを整理する。

 ゲルミオン王国の攻撃か、或いは冒険者と呼ばれる者達の来襲。または占領した人間の村々の反乱。それら全ての可能性と、及ぼす影響の大きさ。瞬時に頭の中を駆け巡る最悪の予想に、思わず伝令に詰め寄る。

「詳しく話せ。敵の規模は?」

「不明です。現在、ギ・バー・ハガル殿が対処されております」

 その伝令はギ・バーの出したものだった。人喰い蛇のギ・バーは戦いにおいては優秀だが、人間に対する憎悪は未だ胸の内で燻っているようだった。

「ギ・ガーはどうした? シュメアは? ヨーシュは!?」

「御許し下さい。可及的速やかに王にご報告申し上げろとギ・バー殿に言われ、駆けてきました」

「……つまり、一切は不明ということか」

 黙って首を垂れるパラドゥアの伝令兵を下がらせると、ゴブリンの王は西域のある方角を見つめた。時間という壁が、ゴブリンの王の前に立ち塞がっていたのだ。

「軍を返す他なし、か……?」

 西域を失ってしまえば、ゴブリンの軍勢は南方地域で孤立する。攻城兵器と呼べるものを殆ど持っておらず、攻城戦が出来ない自分達が南方で拠点もなく孤立するというのは、首を真綿で絞められ、徐々に窒息していくのと同義だった。

 執務の関係で傍に居たギ・ザーとフェルビーが、顔を顰めながら発言する。

「一度、人間の意見を聞いた方がいいんじゃないか?」

 気に食わないがな、と付け加えるフェルビー。無言のギ・ザー・ザークエンドも、それを肯定しているようだった。

「よし、そうしよう。ただし、順番はザウローシュからだ」

 事態を伝えにフェルビーが退席し、王は腕を組む。眉間に寄った深い皺が、普段は見せない苦悩の色を物語っていた。

 王国の版図が巨大になればなる程、王の目が届きにくくなる。それは事前に分かっていたことだ。その為に自分一人だけでなく高位のゴブリン達に指揮権を与え、領地として版図の一部を任せるという方法を選んでいたのだが、ここに来て王は現行の制度の問題点に直面していた。

 例えばギ・バーの報告を例に挙げれば、情報伝達の精度と速度の問題。そして任せた版図の中での他種族との協調だった。

 速度に関しては、パラドゥアの騎獣兵や翼在る者(ハルピュレア)を使って向上に努めている。本拠地付近から見えるようにしてある狼煙の合図も、未だ制圧しきれていない南方には設置されていないので、ある程度は仕方がない。

 精度に関しては、敵の規模やこちらの被害、それらへの対処方法などの情報。王が欲しているものを察するというのは、ノーブル級ゴブリンでもかなり難しい。それを遂行する為には自身が王の立場で考え、それを元に情報を伝えねばならない。

 或いは群れを率いていた経験のあるゴブリンなら可能なのかもしれないが、今第一線で活躍しているゴブリンを除けば、殆どのゴブリン達は自身の群れを持った経験がないのだ。これから更に人間の領域へと入っていく中で、群れを率いたゴブリンの希少性と有用性は益々上がっていくことだろう。

 殆ど補充の効かない彼らを、どこまで失わずに戦で活用出来るか? それがゴブリンの軍勢を強化していく上での命題となりそうだった。

「頭の痛い問題ばかりだな」

 そして、それに関連する形でゴブリンの王の軍勢が多種多様な種族の連合軍であるという事情が持ち上がってくる。

 ギ・ガー・ラークスならばシュメアやヨーシュと協力し、情報を送って来れたのではないか?

 或いはそんな暇すらもなかったのかもしれないが、王はどうしてもギ・ガーとギ・バーを比較してしまう。

「一律にノーブル級以上に領地を任せるというのは、考え直した方が良いのかもしれんな……」

「ギ・バーの報告に不満な点でもあるのか?」

「まぁ、少しな」

「ならばギ・バーを罰すれば良い。悩む必要などないだろう?」

 単純明快なギ・ザーの言葉に、王は苦笑する。

「俺が決めていなかったことをギ・バーに求めるのは酷だろう?」

「罪があれば罰する。それだけだ」

「罪、ではないな。俺がギ・バーに、過剰に期待をしていたに過ぎない」

「王の期待に背くのは充分に罪だ。決まりきったことを言うな」

 厳しいなと再度苦笑した王だったが、ギ・バーに罰を与えるつもりはなかった。

「決まりきった、か……。それならば、いっそ定型化してしまうのも一つの手ではあるな」

 伝えるべき情報を予め定型化してしまい、誰が報告するにしても同じ情報が入ってくるようにする。所謂マニュアルというやつだ。

 それを考える王はゴブリンとしては優秀過ぎる発想の持ち主だったが、その優秀さを理解出来るものはゴブリンの中にはいなかった。ゴブリン達は王の偉大さのみを知っている。

「考えが纏まったなら何よりだ」

 ギ・ザーは王の眉間に浮かぶ苦悩の色が消えたのを喜び、王は腹心の素朴な感情にくすぐったさを覚えつつ頷いた。

「そうだな。だが、先ずは目の前の事態の対処をせねばならん」

 ザウローシュを呼んだ王はその意見を聞く一方、小領主達を呼ぶ為の使者にフェルビーを任命する。ゴブリンを使者に出すよりは穏当だろうとの判断だ。

「王よ。今動かれるのは、あまり得策ではないと思われます」

 言葉を選んだザウローシュの物言いに、ゴブリンの王は片眉のみを跳ね上げた。

「理由を聞こう」

 初めて出会った時とはあまりに違うその仕草に、思わず笑みが漏れた。そんな王の様子を余裕の表れと勘違いしたザウローシュは、硬い口調のまま言葉を続ける。

「今、南方の辺境諸侯は揺らいでいます。我が血盟の力を持ってしても、その全てを抑えきれる訳ではありません」

 考え込む王に、畳み掛けるようにザウローシュは言葉を続ける。

「はっきり申し上げますが、軍勢全てが引き上げた場合、南方諸侯の離反も覚悟して頂きたい」

「そして、その時には誇り高き血族(レオンハート)も我らの味方ではいられないということか?」

 僅かに俯くザウローシュに剣呑な視線を注ぐゴブリンの王。そのゴブリンの王よりも更に剣呑な気配を漂わせたギ・ザーは、ザウローシュを見つめる。

 元々人間に対して王程に寛容ではないギ・ザーは、裏切りという言葉に過剰に反応した。

「……その可能性は否定出来ません。我らは何より生き残りを優先させねばなりませんので」

 レオンハートの副盟主の言葉に、ゴブリンの王は頷く。王がその口元に苦笑を浮かべたのを確認したギ・ザーは、手を出すのを控える。だが剣呑な視線はそのままに、ザウローシュを睨み付けた。

 レオンハートを取り巻く状況は、ゴブリンの王と接触した当時と微妙に異なっている。

 南方諸侯の信頼を得たレオンハートは、各方面からも勧誘の手が伸びている。要塞都市ファティナを失ったクシャイン教徒は言うに及ばず、エルレーン王国上層部や交易国家プエナからも。

 破格と言って良い条件を示す彼らに、レオンハートの内部では意見が割れていた。ゴブリン側と繋がっているのは、ゴブリン達とレオンハートしか知らないのだ。

「お前達の立場は良く分かった。だが、我らも西域を失うことは出来ない。理解は出来るな?」

「無論、理解しているつもりです」

「では、下がって良い。これから小領主達からも話を聞かねばならんからな」

 ザウローシュを下がらせると、ギ・ザーが視線で王にザウローシュの裁可を問う。

「裏切るつもりなら、態々自らの立場を明らかにはしないだろう。敵と通じているのなら我らの首を差し出すぐらいのことはする男だからな」

「だが……」

「裏切る可能性ばかりを言い立てても仕方あるまい。利用するぐらいのつもりで居なければな」

「ふむ……」

 ギ・ザーは納得しかねると言う風に考え込むが、最終的には王の裁可を優先させる。

 その後、ゴブリンの王は小領主達との会談を終えたが、最終的な結論は翌日に持ち越すことにした。考えなければならないことが多過ぎるのだ。

 それらを一旦整理する時間を、ゴブリンの王は欲していた。

 だが、時の神(ジュラナ)は時に残酷なまでにその速度を早めるものだった。

「失礼します。重大な案件です!」

 小領主達との会談を終えたゴブリンの王とギ・ザーの下に、ザウローシュが飛び込んでくる。

「何だ!? 今、貴様の立ち入りを許しては居ないぞ!?」

 ギ・ザーの叱責にも負けず、ザウローシュは押し殺した声でその情報を言い放った。

「エルレーン王国が、クシャイン教徒の本拠地クルディティアンに攻め込みました!」

 その報告に、ゴブリンの王は目を剥く。

 エルレーン王国が巨大化すれば、その影響力は小領主達にまで及ぶ。

 この瞬間、ゴブリンの王は西域に戻るのを断念するしかなかった。

「やってくれる」

 迫る危機を感じ、ゴブリンの王は獰猛な笑みを浮かべた。



次回更新は29日です。

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