表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
235/371

服従か死か《地図あり》

 クルーゼル会戦を勝利で飾ったゴブリンの王は、ギ・ジー・アルシル率いる暗殺部隊を周囲の偵察に残すと主力の軍を西へと返す。殆ど損害らしい損害を出さなかったとは言え、たった2000のゴブリンでクシャイン教徒の領域を治めることは不可能だと判断した為だ。

 更なる飛躍の為に、先ずは着実に足元を固めねばならない。

 その思慮に基づき、小領主達との会合を開く。幸い、教皇であるベネム・ネムシュは今回の戦いで討ち取った。見事な道化ぶりを発揮してくれたお陰で、1万以上の人間勢力を打ち破ることが出来た。使い捨ての駒の役目としては上々である。

 ゴブリンの王は、この時点でクシャイン教徒の動員力を見誤っていたと言って良い。

 民全てが兵士に化ける可能性をゴブリンの王は考慮していなかった。5日という戦の準備期間はゴブリン側には充分でも人間には少な過ぎる。

 そして何より、あの非常に手強かった聖騎士ゴーウェン・ラニードでさえ、一万程の民を治める一地方の領主でしかないという先の戦。

 その全てが、ゴブリンの王の判断を狂わせる結果を生んだ。もしゴブリンの王が未来を見通す目を持っていたならば、この時点で是が非でもクシャイン教徒を全力で追い討っていただろう。

 結果的にクシャイン教徒側は負けはしたが、余力を残して撤退する。

 王は軍勢の主力を率いると、小さな村落に配下のゴブリン達を振り分けながら小領主達の待つシラークへと向かった。携帯用の保存食を口にし魔獣を狩りつつ進軍するゴブリンの軍勢が小領主達の待つシラーク領へ到着したのは、会戦から4日後の事だった。

 フェルビーの矢を以って会談の日取りを記し、もし不可能な場合はシラークの安全は保証しかねると脅し文句を入れて放つ。

 戻ってきた返答を読めば、会談に応ずると記されていた。

「ここまでは上々だな」

 便箋に記された文言を吟味して、ゴブリンの王は納得する。自身の仕掛けた謀略の行方や今後の戦略の再構築など、彼のするべきことは多い。1万にも及ぶ人間勢を打ち破ったとは言え、その全てを打ち倒した訳ではない。

 倒したのは精々一千にも満たない。他は逃げ出した後魔獣に襲われたか、どこかに逃げ込んだかのどれかだろう。ほぼ無傷で人間側を圧倒出来たこの戦で、ゴブリンの王の前に示された道筋は大きく分けて三通り。

 一つ目は西域に戻り、ゲルミオン王国側と雌雄を決する。

 ニつ目は、このままクシャイン教徒の領域を併呑する。

 三つ目は更に南下を企て、アシュナサン同盟を侵食する。

 ゴブリンの王は、小領主達との会談の前にゴブリン達の進むべき道を考えておかなければならないと、思考の海に更に深く沈む。

 一つ目は堅実ではある。がしかし、それでは本格的に西域からゲルミオン王国の首都に攻めこむ際の経路に窮することになる。西域と王都の間には砦群があり、その交通を遮っている為だ。その砦群が健在である限り、王都を攻める際に何処かしらで後背を突かれる恐れがある。

 西域を奪取する際に二度手間を掛けてしまった失態を、また繰り返す訳にはいかない。となれば、やはり南の領域を固め、ゲルミオン王国侵攻の為の経路を確保すべきという結論になる。

 ならば2つ目の案はどうかと考えるが、これも中々難しい。

 一口にクシャイン教徒の領土といっても、その領土は広大であり、ゴブリン達のみで治めるのは非常に困難である。人間側の協力が無い限り統治には鞭を用いるしかなくなるが、そんな悠長なことをしていてはゲルミオン王国へ攻め込むのがいつになるか分かったものではない。

 或いは西域と同じように妖精族の協力を仰いでもいいが、西域というゴブリンの本拠地から程近い位置的関係があるからこそ兵力の補給も容易であり、少ない兵数で人間達を支配することが出来ているのだ。だが、クシャイン教徒の領域は暗黒の森から遠く、妖精族やゴブリンの兵の補充は困難であると予想される。

 強大な2つの都市の兵力は決して侮って良いものではない。籠城などされた日には落とすのに何年掛かるか? 想像するだに恐ろしい。

 それに即決で勝負を決めるという当初の目的は達したのだ。あまり西域を留守にするのもどうかと思う。クシャイン教徒の領域の侵食は、ある程度で切り上げねばならない。

 だが、小領主達の支配する辺境領域はどうだろう。大都市から距離があり、クルディティアンからも距離がある為に中央の統治も及び難い土地。であればこそ彼らは守護者を必要とし、同時に彼ら自身が民の守護者たらんと自主自立の気風を養っているのではないか?

 3つ目は、落とし易い都市を落としながら進むという選択肢だった。

 だが、これは現在国を割る内戦を繰り広げている自由都市群の両方の勢力を敵に回すことを意味する。元々ゴブリンに対して良い印象を持っていないだろう人間達に、態々共通の敵の存在を声高に主張するような無意味な行為だ。いや、それどころか対ゴブリンを掲げて共同歩調を取ってくる可能性すらある。

 ゴブリンの王に失敗は許されなかった。同時に足踏みすることも許されない。

 ゴブリンの王は第2案を選択する。だが、それを完全なる形で実行するには今暫くの時間が必要だとも感じていた。つまり、クシャイン教徒側の領域を徐々に占領しつつ戦力の拡充を図るという戦略である。堅実性だけを考えるなら第1案であろう。西域だけを守れば、何十年か後には一大勢力となれるかもしれない。

 だが、それでは遅いのだ。今なら人間は油断している。魔物に知恵など無いと、戦術など駆使できないと人間達は思い込んでいる。だが、何十年か後にはこちらの情報は全て奴らに伝わっているだろう。建国するだけならいい。だが、ゴブリンの王の目的は、この世界の果てまでを手に入れることだ。

 そうなれば、小領主達への対処も自ずと決まってくる。

 要は彼らの役割が何なのかを明確にしてやれば良い。そしてそれをどういう風に活用するかだ。

「ゴブリンの王。人間達が現れたぞ」

 フェルビーの言葉に、思考の海から浮上する。

「ああ、そうだな」

 凝り固まった首を鳴らして立ち上がると、ゴブリンの王は小領主達と対面した。見ればその背後には偉大なる血族(レオンハート)の“ザクセン”の姿もある。

「さて、諸君。戦の趨勢は決した。我らゴブリンは回りくどい言葉を好まぬ。簡潔に言おう。我が覇権を認め、その傘下に入れ」

 初めて聞くゴブリンの王の言葉に、小領主達は戸惑いと恐怖を綯い交ぜにした視線を交わす。流暢な言葉と淀みなく紡がれる明確な意志。彼らの知るゴブリンとは一線を画したそのあり方に、領主達は酷く混乱する。

「その覇権とは?」

 勇気を振り絞ったシラーク領主が代表して口を開く。

「我が望みはこの世界。我が覇権の下で、平穏を約束しよう」

「つまり、貴方は直接我らに危害を加えるつもりはないと?」

 グエナ領主の言葉に頷きを返し、ゴブリンの王は再び口を開く。

「お前達人間がどうなのかは知らぬが、我らは弱き者を虐げるつもりはない。我が覇権の下でなら、亜人も妖精族も人間も公平に扱おう」

 小領主達は互いに視線を交わし合う。取り敢えずの安全は保証すると言っているようだが、この魔物の言葉が本当に信頼に値するのか。

「信頼に値するかどうか、疑問に思っている顔をしているな」

「そ、そのようなことはありませんが」

 シラーク領主は慌てたように表情を取り繕い、首を振る。

「失礼ですが、ゴブリンの王。彼らは不安なのです」

 偉大なる血脈の副盟主ザウローシュの言葉に、ゴブリンの王は拳を顎に当てて考え込む。

「ほぅ?」

「申し遅れました。私は偉大なる血脈の副盟主ザウローシュ。彼らに雇われた者です」

「ザウローシュ、か」

 ゴブリンの王は意味有りげな視線をザウローシュに送るが、当の本人は素知らぬ顔で芝居を続ける。

「我が血盟は信義を旨とします。彼らの不安が取り除かれるまでの間、我が血盟が彼らと共にあることをお許し願いたい」

 丁寧に礼をするザウローシュ。

「融和を実現する為には時間が必要だということか。良かろう。ただし半年だ。それ以上は許さぬ」

「……ご配慮ありがたく」

 そうしてゴブリンの王と小領主達の会合は終わり、辺境領域はゴブリンの王の覇権を認めた。それと共に魔物、妖精族、亜人、人間の地位はゴブリンの王の覇権が及ぶ限りにおいて保証されることとなった。

 ゴブリンの軍勢はクシャイン教徒の領域を侵食する為その多くを彼の地に残し、偉大なる血脈の冒険者達と共に辺境領域の守護に従事することになった。

 小領主達は自身の保護する民に情勢の変化を告げ、安全の保証を約束する。それが可能だったのは彼らと民との結び付きが強かった為である。これが他の大領主などであればゴブリンの覇権など認めず、不安と猜疑に支配され暴動が起きてもおかしくはなかった。

 今まで血と汗を流して民を守ってきた小領主達の集める信頼は非常に高かった。それが故に民は大人しく従ったのだ。

 そのことをザウローシュから聞いたゴブリンの王は、西域と同じ扱いを辺境でも適用すると決める。つまり租税の割合、戦士を供出した場合などだ。ただし、領主達については地位を保証し、ゴブリン側に付く利点を充分に噛み締めさせることが必要だと王は考えていた。

 飴の政策があるのなら、鞭の政策も必要だった。

 逃亡を企てる者は決して許さず、森林地帯を削ることも禁止した。これは税の軽くなった者達が開拓に力を入れ、何れは暗黒の森まで削り始めることを懸念した為だ。平原地域の開拓は許すが、森林地帯にまで手を伸ばすことは禁止したゴブリンの王の命令により、辺境地域の開拓は南西部と河川沿いに向かって伸びていくことになる。


◆◇◆

挿絵(By みてみん)

◆◇◆


 ゴブリンの王は辺境地域を手に入れると、地図の提出と人口の正確な報告を求めた。この後の戦を有利に展開していく為には周囲の地形を熟知せねばならない。以前、妖精族の重鎮たる老ファルオンから貰った世界地図では大雑把過ぎてあまり適していなかったので、この地域の詳細な地図が必要だった。人口の正確な報告は、逃亡の防止と課す税の多寡を決める重要な資料だ。

 どちらも為政者として決して欠かすことの出来ない要素だったが、ゴブリンの王の下でそれらの政務に当たる人材までは育成が間に合っていなかった。支配下に入った小領主を使えば良かったのかもしれないが、支配下に入って間もない領主達にそこまでの権限を与えては、配下のゴブリン達や妖精族との間に余計な摩擦を招くのではないかと懸念した結果だった。

「ううむ……面倒な」

「気が合うな、ゴブリン。俺も全く同感だ」

 ゴブリンの王の補佐として、ギ・ザー・ザークエンドと妖精族の戦士長フェルビーは苦悶の声を上げながら書類仕事をしなければならなかった。森林内の一角を切り崩し、切り株を机代わりとして三人は執務を取る。領主達の力量を認めていたゴブリンの王は、無理に町にゴブリンを駐留させることはせず一旦森林内で仮の陣地を敷くと、そこに野営する。

 ギ・ザーは領主達から上がってくる報告書の難しい表現に四苦八苦し、フェルビーに至っては文字を読める者が少ないという台所事情を反映して無理矢理引っ張ってこられたので、既に目が死んでいた。

「口を動かさないで手を動かしたらどうだ?」

 ゴブリンの王の指摘に、彼らは渋々従う。尊敬すべき主君が黙々と仕事をこなす中、自分達だけが我儘を言う訳にはいかない。

「うぬぬ……神の守護するクルディティアンの……偉大なる貴族、古くはジクムーアに、連なる傍系の、シーグラム家の加護を持って、土地の所有を……ええい、力のある者から保有を許されましたでいいではないか!」

 癇癪を起こすギ・ザーの隣では、顔を顰めたフェルビーが戸籍の数字の間違いを正している。

「128と、35が3つと……48が2つに、27がなくなって……えっと……いくつだよ、おい!」

 書類に向かって罵声を浴びせるフェルビーは今にも剣を抜いて、面倒な書類を斬り捨ててしまいそうだった。

 騒がしい彼らの中でゴブリンの王は黙々と仕事をこなし、一つの書類に目を留める。

「ふむ」

 珍しく手を止めた王に、ギ・ザーとフェルビーは視線を向ける。

「王よ、どうかしたのか?」

 ギ・ザーの言葉に、フェルビーも問うような視線を向ける。

「ラズエル領主からの報告だがな。クシャイン教徒第2の都市ファティナが落ちたとのことだ」

「……南部の熱砂の神(アシュナサン)同盟が動き出したってことか」

 フェルビーの推測に、ゴブリンの王は頷く。

「詳細は分からぬ。だが、赤の王と名乗る者達が活躍しているらしい」

「前に聞いた名だ。一度ザウローシュという人間に確認した方がいいな」

 ギ・ザーの言葉にゴブリンの王も同意して頷く。冒険者の血盟のことは同業者に聞いたほうがいいだろう。偉大なる血脈からの情報は何れも詳細なものが多いが、収集から到達までに時間が掛かっていることも事実だ。彼らの主力は未だに東部に存在している為、どうしても情報の伝達が遅くなってしまう。

 辺境地域に在中しているのは戦闘員で200程度。他の戦闘員や組織を構成する非戦闘員達は未だに東部で生活を営んでいる。辺境地域が力をつけて生活の基盤が出来上がってから移住する計画だとザウローシュに聞いたから、時間が掛かるのは致し方ないことなのかもしれない。

「今度は嘆願書か。町への駐留をどうにかしてほしい、か」

 ゴブリンの王は考え込む。

「それは駄目だろう? 当然駄目だ。公平性が保てなくなってしまう」

「だが、南の情報をある程度集める為に、町にゴブリンがいては不都合だというのも分からなくはない」

 西域の村々ではゴブリンが村に駐留するのが半ば当然となっている。村人の治安維持と逃亡防止を兼ねた措置だが、ゴブリンの王はそれを南の辺境でも試みようとしていた。

 情報が齎されるのは人から人への経由に寄る。翼在る者(ハルピュレア)達による空からの偵察も考えたが、彼女達には天敵が多い。森からあまり離れられない種族なのだ。

「ザウローシュに一度考えを聞いてみるか」

「人間のか?」

 不満顔をするギ・ザーに、王は苦笑しつつ考えを口にする。

「ザウローシュは既にこちら側に味方しているからな。最早人間側には戻れないだろう」

「それは、一度でも戦場でこちらに味方をしてから判断した方がいいと思うが……」

 ギ・ザーの言葉に王は苦笑を深くする。

「それでは諜報が難しくなる。それが分からんお前ではないだろう?」

「うむ、それは確かに……」

 小領主達の治める辺境の統治が上手くいっているのは、偏にザウローシュの働きが大きい。当然そのことはギ・ザーも承知している。だが、根本的に人間を信頼しきれないギ・ザーにとって、人間に頼り過ぎるのはどうも面白く無いのだ。

「少し休憩だな」

 首を鳴らし、王は息を吐き出す。

「賛成だ。王様」

 気の抜けたフェルビーの声。軽く肩を回して、背伸びをする。

「それはいいが……うむ、あれは?」

 ギ・ザーが何かを言いかけ、視線を転じる。その先には一騎のパラドゥアゴブリンが駆けて来ていた。

「伝令か」

 全速力で駆けているのだろう。その必死な姿を見て、ゴブリンの王の胸に嫌な予感が騒めいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ