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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
229/371

思惑

「なぁんだ、金持ってるなら先にそう言えよなァ」

 豪快に笑うヴィネを先頭に、プエル達一行は小国フェニスの南にある廃村に向かっていた。プエルがヴィネに差し出したのは、小さな屋敷を一件建てることが出来る程の大量の金貨。悪魔と見紛う笑みを浮かべていたヴィネはそれを見た途端、悪戯猫のような愛嬌のある顔に変わる。

 あまりの態度の急変に土の妖精族(ノーム)の戦士ベルク・アルセンは溜息を付き、怯えていたシュレイとルーは、その豹変ぶりに唖然とするしかなかった。

 血盟(クラン)赫月(レッドムーン)の協力を得たプエル達は、僅か7日という期間で自由への飛翔(エルクス)の残党が立て籠っている場所があるという情報を仕入れることが出来た。

 すぐさまそこへ連れて行ってほしいと言うプエルの懇願に、ヴィネは邪悪な笑みを張り付かせて頷く。

「だがよ、そいつらが今も生きてるって保証は無いぜ?」

 情報は既に10日以上も前のものだった。それだけの期間があれば、ウェブルスの短剣に追い詰められて壊滅していても不思議ではない。

「だとしても、是非お願いします」

 プエルの硬い意思に動かされ、ヴィネは承諾した。

 彼女らが向かう廃村までは馬車で5日程かかる。その間の暇つぶしというわけではないだろうが、シュレイとルーはプエルに自由への飛翔(エルクス)のことを聞きたがった。

 トゥーリ・ノキアの勇姿や、初めて出来た後輩のリュターニュ。

 苦しいことも多かったが、楽しいことも多かった。

 ヴィネは興味を示さず酒を飲んでいたし、ベルクはベルクで御者の真似事をせねばならなかった。

「あァ、そういえばアンタら無所属(はぐれもの)なのか。じゃあ、うちの血盟に……って何でそこでエルフのお嬢ちゃんの後ろに隠れるんだい?」

 とりあえず酒さえ飲ませておけば機嫌は良いと言うベルクの進言通り、ヴィネは今朝から飲みっぱなしである。酒の上での冗談か、或いは本気なのかと少年と少女は戦々恐々として身を寄せ合った。

「はン、まぁ所属しないって選択肢もあるけどね。一匹狼は肩身が狭いよ。なっ! ベルク!」

 御者台に座るベルクに声を掛けて、また酒を舐める。

「そうだな。血盟に所属し、依頼達成を重ねてギルドからの信用を得れば仕事の幅も広がる。仕事の種類が増えれば貰える情報も桁違いだ」

 酔っ払ったヴィネの扱いには慣れているのだろう。真面目に答えるベルクに、ヴィネは鼻を鳴らす。

「ベルクさんは何で赫月に入ったんですか?」

 シュレイの質問にベルクは僅かに顔を顰めたが、彼らからは背中しか見えていなかった為に、そこまでは分からなかった。

「俺の集落は南にある。嘗ては北にも居たらしいが、何代か前に南へ移ったとのことだ。砂の海で砂鯨を追うのが我らの生き方だ」

「話が長いよ!」

 野次るヴィネを無視し切れなくなったのか、ベルクは重い口を開く。

「その砂海で、そこに転がっている盟主と出会ったのだ。その後、集落で揉め事が起きて俺は渡り鳥(ロイオーン)となり、赫月へ加盟した。情報を求めて北へやって来たところで、お前達に捕まったという訳だ」

「じゃあ、あんまり、その、血盟赫月には長くないんですか?」

「ああ、全くな。ほんの一ヶ月程前に入ったばかりだ」

 妙に納得するシュレイとルーに、酔っ払った女が絡む。

「なぁにぃ? ルーちゃんもウチに入りたくなったってェ?」

 いつの間にかルーの背後に忍び寄っていたヴィネが、背後から彼女を抱きすくめる。ワキワキと動く手がローブの上から少女の体を弄り、ルーは悲鳴を上げた。

「はッ、ぅ、や、やめてください!?」

「る、ルー!?」

「ん~、まだ未発達かぁ……。これじゃ好きな男の子も落とせないぞぉ。ここはお姉さんが一肌脱いでぇ……」

 暴れるルーを封じ込めるなど、百戦錬磨のヴィネには造作も無いことだった。

「ほ~らほら、ルーちゃんがウチに入れば、必然的にシュレイ君も入らざるを得ない訳でぇ」

「な、なんでそうなるんですか!?」

「あれぇ、入らないのかなァ……? それじゃ、ルーちゃんはあたしのものってことでぇ……」

 羞恥に頬を染めるルーに頬擦りすると、邪悪な笑みを浮かべてシュレイに笑いかける。

「や、いや、だ、だめー!?」

「……盟主。遊びが過ぎるぞ」

 見かねたベルクが声を上げる。

「私も、そう思います」

 ベルクとプエルに苦言を呈され、面白くなさそうにヴィネはルーを解放し、再び酒瓶を手に取る。

「まったく、ウチの勧誘の仕方に文句をつけるとは一体どういうことなんだろうねぇ? あ~あ、一石二鳥だと思ったのに」

 騒がしくも彼らは、南への廃村へ向かっていった。


◆◇◆


 自由都市群北西にある辺境領域。ギ・ギー率いる魔獣軍の余波から偉大なる血族(レオンハート)の浸透を許しているその区域では、一つの契機を迎えていた。

 小領主達が互いに会合を持ち、振り掛かる魔獣の対策に乗り出したのだ。

 その彼らの仲を取り持ったのは、他ならぬ偉大なる血族(レオンハート)から派遣されていた冒険者達であった。つまり冒険者達は、魔獣の対策という領地の危機に対して意見出来る程に領主達から信頼を置かれているのである。

 魔獣の襲来を受けてからレオンハートが浸透し始めて約二ヶ月程が経った頃だ。ガルウィンとフェースの二人組は、シラーク領の小領主の下に身を寄せていた。

 三つの村落と一つの街を統治するシラーク領主の館は最もゴブリン側に近く、それ故に魔獣の被害も甚大であった。度重なる魔獣の被害に、ついにシラーク領主は他の小領主達に提案という形で助けを求めることにした。

 勿論ガルウィンとフェースの助言もあってのことだ。今や彼らはシラーク領の防衛にまで口を出せる程に領主と領民双方からの信頼が厚かった。

 小領主にとって他の領地の領主は強力な対抗者であると同時に、災難を共に超える為の仲間でもある。

「……ここに領主会堂(サンクトフォル)を開催出来たことを神に感謝する」

 シラーク領主の開会の挨拶に続いて、議題が話し合われる。

「今回の議題は、ご承知だと思うが魔獣の襲撃についてだ」

 開拓世代の領主達は脅威の度合いこそ違えど、その議題について真剣な話し合いの場を持つ事に誰も異論はなかった。例えばシラークの影に隠れるようにしてあるグエナ領主も、それは同様だった。

 一つの街が滅べば次は自分の番だという恐怖が、彼らの背を押す。

 だが、結局抜本的な解決策は生み出されない。当然だ。そんなものがあるのなら、最初から領主が自分達の力で実行している筈なのだから。

 問題を解決するには、その問題の重要な点を整理せねばならない。

「魔獣達が活性化した理由は探れないのか?」

「領主合同の騎士団の編成をしてみてはどうだ?」

「魔獣が入ってこれないような防壁の整備を!」

「結局は金になるのか……だが」

 会堂を主催したシラーク領主は溜息混じりに、そこから先の言葉を濁した。ゲルミオン王国の西方領主ゴーウェンとの争いが無い分、彼らは通常の領主達よりも潤っていていい筈だった。だがその彼らをして、凄腕冒険者の二名を雇うにも汲々とせねばならないのは偏にクシャイン教への布施の為であった。

 小領主の誰をしても、クシャイン教という大きな波に逆らう勇気を持たなかった。大都市を中心に広がった彼の教義は、広く自由都市群北部に根を張り巡らせている。

 問題点が出揃った時点で、シラーク領主は一旦の閉会を宣言する。昼間に移動し、夜間に始められた会議は参加者の体力と集中力を奪っていた。このまま会議を長引かせても良い案が出る筈もないと気を利かせた為だ。

 疲れた顔をした領主達は、それぞれに割り当てられた館の部屋へ向かう。

「如何でした?」

 護衛として領主に付いて来ていたフェースの言葉に、シラーク領主は力無く笑う。

「……成程。やはりどこの領主様も、金銭面が苦しいのは同じだと」

「残念ながら、潤沢に資金があるのなら態々辺境になど来はせぬからな」

 腕を組み、目を瞑って思考に耽るフェースは暫く悩んだ後、領主に切り出す。

「……一つ、お耳に入れたい情報が」

「何だね? この八方塞がりの状況を覆せるのなら、喜んで聞きたいものだが」

「実は、我が血盟の副盟主たる偉大なる指揮者(ロード・コンダクター)ザウローシュが、こちらに来ています」

 興味を惹かれた領主が、瞬きをして身を乗り出す。

「もしかしたら、彼なら何か良い案を示してくれるかもしれません」

「優秀なのかね?」

「盟主が幼いのもありますが、実質的に我が血盟を取り仕切る立場にある方です。心根も盟主を第一に立てる忠義の人。私個人は好漢と思っておりますが」

 冷静沈着な凄腕の冒険者であるフェースの実力をシラーク領主は高く買っている。

「君と比べて、どうなのかね?」

「私など話しにもならないでしょう。弓でなら辛うじて勝てるかもしれませんが、剣の腕や思慮の深さ、交友関係に至るまで、とても私では」

 苦笑して首を振るフェースの言葉に、領主は俄然ザウローシュという男に興味を持つ。

「それで、そのザウローシュ殿の要件とは?」

「さて、便箋では近々様子を見に来るというようなことを知らされたのみで、要件までは……」

 乗り出していた身を引いて、領主は腕を組む。

 溺れる者は藁をも掴む。巨大血盟の副盟主がこの時期に何の目的があるのかと領主は頭を捻るが、読み切れる程の情報を持ち合わせては居ない。ただ、目の前にいるフェースを領主自身は信頼している。

 無償働きに近いことを命懸けでやってくれている者を嫌いになれという方が無理がある。そして、その献身は領民を確実に守っている。

 その男が好漢と評するのだ。

 決して悪い人間ではないのだろうと領主は考える。

「お邪魔でないのなら是非お会いしたい。出来ればこの領主会堂(サンクトフォル)が開かれている間に」

「……鳥を飛ばしてみましょう。確実とは言えませんが、緊急の連絡手段です」

「ありがたい」

 ザウローシュが到着したのは、それから三日後だった。


◆◇◆


 西域争奪戦において負傷し、西都攻略に加われなかった“群狼”ギ・グー・ベルベナは、傷も癒えた今になってその悔しさに己が身を焦がしていた。

「俺は人間に膝を屈してしまった。許せぬ。何より、この俺自身がだ」

 南方ゴブリンを統括する彼は、ゴブリンの王を除けば最もゴブリンの中で巨大な勢力を誇る。強猛なるガイドガ氏族も、魔獣軍を率いるギ・ギー・オルドも、その規模と頭数ではギ・グーに及ばない。その実力を買われ、ギ・グーは先の戦で先陣の誉れを賜ったのだが、西方領主ゴーウェンの前に敗北を喫してしまった。

 王の期待に応えられなかったという、その事実だけでも恥ずべき失態であるというのに、よりにもよって人間への敗北である。自らの統率力と群れに自負を持つ彼にとっては屈辱以外の何物でもなかった。

「大兄、デも人間強かっタ!」

「強カった」

「そうソウ!」

 グー・ナガ、グー・ビグ、グー・タフの三兄弟が口を揃えてギ・グーを慰めるが、ギ・グー自身は少しも心が晴れなかった。

 何故自身は敗北したのか? 傷が癒える間考え抜いた彼は一つの結論に達する。即ち、数の力である。元々、圧倒的な大群で敵を駆逐していく戦術で南方を征したのだ。

 劣勢での戦いは数える程しかしていない。

 同数であれば人間に負けるなどありはしないとギ・グーは考える。

「我が領域を拡大する」

 だから突然ギ・グーがその言葉を放ったことに、三兄弟は目を見開いて驚いた。

「でモ、南砂漠……」

「砂、熱イ……」

「王様、怒ラなイ?」

 三者三様の感想を漏らす兄弟に、ギ・グーは大丈夫だと頷く。

「我らの故郷はあくまで森の中。南ではなく西側へ進めば良い。王には……使者を出さねばなるまい」

 妖精族と境を接するまで自身の勢力を拡大し、その領域に住まうゴブリンを新たな己の手勢として王の戦に参戦させる。

「敗北は一度で充分だ」

 ゴブリンの王の許しを得たギ・グー・ベルベナ率いる南方ゴブリンは、熱狂的な速度で暗黒の森南西部へと雪崩れ込むように群れを進めて行った。


◆◇◆


 ゴブリンの王は西方を占領して以来、西都を本拠地として多忙な政務をこなしている。とはいっても、ゴブリンの王はこの世界の文字が未だ殆ど読めない。現在、勉強してはいるものの、報告書を読める程には熟達していないのだ。

 故に、彼は身近に信頼出来る者を置いて報告された文章を読んでもらう。或いは直接報告をさせるという形を取っていた。

 王の傍にいるのは、フォルニから遣わされた妖精族のフェイ。そして妖精族の集落で短いながらも学問を修めたギ・ザー・ザークエンドである。

 ギ・グー・ベルベナからの領土拡大の願いや、血盟偉大なる血族(レオンハート)から齎される南方の調略状況、妖精族からは村々の統治状況、シュメアやヨーシュからは人間側からの不満など、彼が把握するべき情報は多い。

 西都を本拠地としているのには情報を集めやすいという理由の他に、前線に近いというのもある。ゴブリンの中で最高の戦力は誰かと問われれば、王であるというのはゴブリンの中で常識だった。

 であるのなら、最高戦力が緊張感漂う最前線の近くに居なくてどうするのかというのがゴブリンの王が西都を本拠地として政務を行う理由である。

 立体的な市街地を守る為に族長ニケーアを始めとした蜘蛛足人(アラーネア)の協力を仰ぎ、蜘蛛の糸を撚り合わせた複雑な陣地を作る。

 西都を中心として、東は“人喰い蛇”ギ・バー・ハガルに防御の要を任せる。人間の領域との間には八つからなる小さな砦群があり、双方の交通を遮断している。またギ・ギーの魔獣軍によって東には野生の魔獣区域が出来上がっていた。

 誰にでも容赦なく襲い掛かる魔獣から人間を守る為に配置したギ・バーの巡察隊だったが、今のところ問題は起こしていないようだった。

 南のギ・ギー・オルド、ギ・ジー・アルシル、ギ・ズー・ルオらは、進軍を遅らせて様子を窺わせている。レオンハートの進捗状況次第では南下の可能性もある。

 すぐさま動ける先遣隊としてならこの3匹で充分だろう。本隊として、ゴブリンの王自身と王の身辺を護衛するギ・ガー・ラークス、ギ・ドー・ブルガのドルイド部隊。或いは人間達の部隊も少しずつ投入すべきかもしれない。

 西側は亜人達と雪鬼達への解放区域として領域だけを決め、後は彼らに任せてある。暗黒の森と西都を繋ぐ街道の建設以外に彼らに課すものはない。元々亜人達は数も少なく、第一線で戦い続けるには不向きな種族だった。

 その能力の高さに反比例するように数が少ないのだ。故に彼らを戦で使うのなら間隔を置いて使わねばならない。少なくともゴブリンの王は彼らの実力を高く評価していた。その実力は集団戦においてまだまだ伸びるとも。

 残る北側には森林地帯が広がっている。ここは降伏した人間達の住まう区域だ。シュメアとヨーシュらが中心となって人間とゴブリンとの共存を図っている。こちらに関しては妖精族の統治による農耕の中心地であった。

 寒さに強い穀物を中心としたその農法をゴブリンにも習わせている。収穫が軌道に乗るまではもう少し掛かるだろうが、半年後には形になっているだろう。

 外の情報は常にレオンハートから仕入れているが、それにも限度がある。ゲルミオン王国で聖騎士ガランドが西方の担当となったのも有益な情報だ。両手剣でゴブリンの王と互角に戦う人間の男。あの男単体ならゴブリンの王だけでも抑え込めないことはないが、協力者等が居ればまた違う結果になるかもしれない。

 自由都市群の南側、熱砂の神(アシュナサン)の砂漠地域では赤の王という血盟が急速に勢力を拡大しているのだとか。クシャイン教徒と敵対しているとのことだから、上手く利用できれば人間同士の争いを助長させる一助になるかもしれない。

 現に赤の王の活躍で幾つかのクシャイン教徒寄りの都市が陥落し、南部側に寝返ったとも聞いている。

 だが、その勢いが急激過ぎるようなら小領主達の抱き込みに支障をきたす恐れもある。

 ゴブリンの王の調略の要は、ゴブリンの他に頼る者が居ないという状態にまで彼らを追い込むことなのだから。

 東西南北の状況を整理しながら次の報告を聞いたゴブリンの王は、思わず独り言を発していた。

「レシア……」

 聖女レシア・フェル・ジールが北方の小国オルフェンで傷ついた亜人を助け、それを身近に置いているという話だ。安堵と焦燥を感じながら、ゴブリンの王は暫く無言で天井を見つめた。


◆◇◆


 武官と文官は対立することが多い。それはエルレーン王国に限らず、ゲルミオン王国やシュシュヌ教国といった大国でも同じだ。

 武官達は、文官達を紙の上でしか人の命を扱わぬ血も涙もない連中だと非難し、逆に文官達は、武官達を金が天から降って来るとでも思っている脳みその入っていない木偶人形だと非難する。

 その根深い対立は時に国の存続すら危うくさせるが、それを抑え込むのが国王の役割だった。文官と武官は、言わば国を前に進める為の車輪である。それらを上手く調整し進む道を示すのが王の役割と言って良いだろう。

 しかるに、それが出来ない国は道から外れる。

 外れればどうなるか? 民は塗炭の苦しみを味わい、諸外国には付け込まれ、そうして……。

「如何に高名なカナッシュ殿といえども、こればかりは譲れぬ! この際だからはっきり申し上げるが、我が国の国庫にこれ以上の戦に耐える余裕はない!」

 その会議はエルレーン王国の中枢、王城の一室で行われていた。

 痩身の文官が激昂するように声を上げる。すると……。

「余裕がなくとも敵は攻めてくる! では、どうしろというのだ!? 部下にむざむざ死んでこいと命じるのか!」

 エルレーン王国にその人ありと言われた将軍カナッシュは、席を立って戦場に似つかわしい声を張り上げる。

「だが、無いものは無い!」

「それを何とかするのが貴公らの仕事だろう!」

「元はといえば、軍部が先の戦で敗戦などせねば!」

「貴様、それが命を懸けて国を守った者達に対する態度かッ!」

 売り言葉に買い言葉、互いの主張は平行線を辿り醜い言い争いが続く。

 重くなる空気と張り詰める緊張感の中、赤の王の盟主ブランディカは盛大に欠伸をしていた。後ろに控えるカーリオンは退屈そうな盟主にくすりと笑うと、その背を僅かに肘で突く。

「時間の無駄だな。帰るか?」

「そういうのはいけませんね。取り敢えず最後まで居ましょうよ」

 至極退屈そうなブランディカと面白い喜劇でも眺めているかのようなカーリオンに、文官は目を剥いた。自分を馬鹿にしているのかと思い、カナッシュに向けられていた口撃の先がブランディカ達に向かう。

「大体、傭兵など雇うから軍の予算が跳ね上がるのです! これでは軍の無能を示すのと同義でしょう! 何の為の軍なのか! 彼らのような金食い虫を飼っておけるのは一体誰のお陰だと──」

 文官がそこまで言いかけたところで、ブランディカが机を叩いた音が周囲に響く。大理石の机には罅が入り、それが蜘蛛の巣のように机全体に広がっていった。

「……俺達が気に入らんなら出て行っても構わんぜ? だがその前に、働いた分はきっちり払って貰わんとな」

 猛獣のような気配と鋭い視線。幾度も戦場を駆け抜けてきた戦士であり、赤の王という巨大な組織を率いる盟主としての貫禄を滲ませた恫喝に、文官は先程までの勢いを無くし顔を青くして言葉を失う。

「そ、それは……」

「おい、カーリオン。俺達が契約した際には、きっちりと王国の印璽入りの契約書が発行された筈だな?」

「ええ、間違いありません。手元に持参しています。必要なら確認しますか?」

 会議に参加している文武の官は皆下を向いて言葉を無くしている。結局のところ、赤の王に匹敵するだけの戦果を軍は上げることが出来なかったし、文官は彼らに払う報酬を用意出来なかった。

「……いや、必要ない」

 文武の官を代表して、エルレーンの将軍カナッシュが断る。

「恥を重ねることになるが、この通り頼む。赤の王の盟主ブランディカ。今暫く我らに力を貸してはくれまいか。今あなた方に抜けられれば、クシャイン教徒との戦線は持ち堪えられぬだろう」

 アシュナサン同盟は締結されたが纏め役を欠く同盟では、結局個別に兵力を派遣し範囲を決めて防御するという形に落ち着いてしまった。

「カナッシュ将軍。俺個人としては友人のあんたを助けたいと思ってる。だがな、俺も一つの組織を率いる人間だ。あんたの言葉を借りれば、部下に無駄に死ねと命じたくはねえんだよ」

 金が無ければ戦は出来ない。

「それは……」

 カナッシュは視線を文官に走らせるが、誰も彼も下を向いて答えようとはしない。舌打ちしたくなるのを抑えて、カナッシュは提案した。

「分かった。金は私の資産を切り崩してでも必ず……」

「盟主、それはあまりに無体ですよ」

 赤の王とエルレーン側に割って入ったのは、カーリオンだった。

「……ふむ。そうか?」

 会議を圧迫していた威が和らぎ、文武の官は安堵の息を吐く。

「ええ、今無いものを寄越せと言うのは流石に。それに軍の現状を鑑みれば……」

 エルレーン王国では、兵士に対する給料が払われていないというのが現状だった。既に国庫はギリギリの状態にまで切り詰めている。余裕が無いというのは本当なのだろう。

「ですので、一つ提案があります」

 ブランディカに目配せして、カーリオンは立ち上がり出席者全員を見つめる。ブランディカよりも遥かに華奢で威圧感のない青年。しかし文官武官の区別なく、皆がその提案に聞き入っていた。

「直轄都市サプニールの統治権と、盟主ブランディカに爵位を頂きたい」

「何だと!?」

「それは……」

 文武の官は絶句し、眉を顰めるだけのブランディカは腕を組んで席に座っている。カーリオンは微笑みすら浮かべて提案していた。

 エルレーン王国の支配階級を構成するのは頂点の国王と、ごくごく少数の宮廷貴族。そして文武の官と領地持ちの貴族がいる。

 領地持ちの貴族はその領地の大きさによって国王から爵位を貰う。代々の世襲である領地は、貴族達の力の源泉である。勿論王家にも直轄領というものが存在し、そこを基盤に彼らは政治を行うのだ。つまりエルレーン王国において、王家は大多数の貴族の中で最も多くの都市を持つ者に過ぎない。

 その内の一つを要求したカーリオンだったが、それは2つのことを文武の官に示していた。

 赤の王はエルレーン王家と対立するつもりは無いという意思表示と、今後もエルレーン王国の為に力を尽くすという決意だ。

 それに都市を経営するには、それなりの資格が必要だった。この国ではそれが爵位であり、そして爵位を貰って貴族になるということは、王家の力量を認め傘下に入るということに他ならない。

 サプニールは王国内で中規模の都市である。そこを領地とするのなら、かなり高位の爵位を与えねばならないだろう。

 文武の官はカーリオンの申し出を好意的に受け取った。少なくとも爵位を与えるのに金は要らないし、今すぐに金を払えという要求よりは現実的に都市を一つ切り売りしたほうが未だマシだと思えたからだ。長期的に見れば莫大な富を生み出す都市だろうと、短期的に見れば巨大な傭兵組織を賄うには足りなかった。

 そして何より、エルレーン王国にとって赤の王の戦力は、最早無くてはならない程に重要になっていた。

「前向きに、検討させて頂こう」

 文官の一人の声に、カーリオンは深く頷く。椅子に座る寸前、ブランディカと交わし合った視線と口元に浮かべた笑み。会議に参加した者達の中で、それに気付いた者は誰もいなかった。

 翌々日ブランディカの下に「赤の王盟主ブランディカを伯爵に叙し、サプニールの領有を許可する」という報せが届いた。



ここから3話程度は、プエルさん回。

次回更新は22日辺りになるはずです。

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