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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
227/371

朽ちぬ刃

 ゴブリンの王の尖兵たる古獣士ギ・ギー・オルド、狂い獅子ギ・ズー・ルオ、暗殺のギ・ジー・アルシルらは、南への侵攻を開始してから1日に一度は会合を持つようにしていた。

 彼らは現在進軍を停止し、周囲を探るという王命を実行している。

「今日も、特に人間側から討って出てくるということは無いのですね」

 不満そうにギ・ズーが口を滑らせる。

「不満そうだな」

 ギ・ギーは魔獣が取ってきてくれた肉を頬張る。

「王の命令に不満があると?」

 ギ・ジーは鋭い視線でギ・ズーを睨む。

「いえ、そんなことは。ただ、この辺りは人間の集落も少なく……」

「おお、それなら魔獣の世話を──」

「偵察も人手はいくらあっても──」

 目を輝かせる先達の2匹に、ギ・ズーは唸り声を上げた。

 これは王からの命令であった。

 ギ・ギーからは魔獣達の健康状態と食料事情、ギ・ズーからは人間の集落の様子、ギ・ジーからはこれから進む先の地形など、三匹が持ち寄る情報を報告し合う。

 ゴブリン達の健脚を持ってすれば、南にあるクシャイン教徒らの占拠する北部自由都市群へは8日もあれば到着する。彼らは王の命令を受けて、周辺の情報を探ると共に故意に進軍を遅らせていた。

 領域と言っても明確に国境線が引かれているわけではなく、国境を形成する集落に巡察の兵士が回っている程度だった。

 ゲルミオン王国西域は未だ辺境の域を出ない。確かに西都は人口1万を誇り、西方領主ゴーウェンの名の下に統治が行き届いていたが、それでもその力の及ぶ範囲は西都から植民都市の周辺が限度だった。

 同じように北部自由都市群において、ゲルミオン王国西域と境を接する地域は中小の領主達の治める地域である。開拓団を率いて田畑を開墾しそこに住み着いたり、隣接する村落からの居住者を指揮して貴族が住み着いたり、権力争いに敗れた貴族が支援者を連れて住み着く等、理由は様々だが概して旨味の少ない辺境を領地とするのは力の無い者達だった。

 無論、開拓団を率いたりするのだからリーダーシップはある。或いは強力な後援者が居るか。そのどちらでもいいが、彼ら開拓地の領主は領民との距離が近い。大規模な開拓団とはいっても、300人程度。その人数なら、毎日顔を合わせれば嫌でもその為人は知れてくる。

 従う領民達と毎日顔を合わせれば当然情が生まれる。好き嫌いはあるだろうが、それでも毎日寝食を共にするのだ。大貴族のように過酷な仕打ちを領民に課すというのは小領主の中には少なかった。

 また領民達も、領主となるべき者の資質を常に見極めているという事情もある。あまりに酷い領主なら別の者をリーダーにするという風潮は、開拓団の中で自然に醸成されていくものなのだ。

 領主は領民の為に心を砕き、領民は領主の為に力を合わせる。概ね辺境の小領地の気風というのはそのようなものである。

 辺境の小領主達は2代や3代に渡って力を蓄え、徐々に中規模の貴族となっていくのだ。当然その過程で従う集落を増やし、辺境の他の小領主達を傘下に加えていくのだが、実力を付ける前に没落する者達も決して少なくはない。

 辺境とは、それ程に厳しい土地柄なのだ。

 他の領主との戦や、盗賊の跋扈、農作物の収穫の不調。どれかが思わしくなくても力を付けるには足りない。そして最も警戒しなければならないのが魔獣の襲来だった。

 辺境の領主達が最も心を配るのは、その初期においての魔獣の討伐と農作物の作付けである。

 人間同士の争いは二の次というのが彼らの実情であり、国境を接する西方領主ゴーウェンもそのことは充分に承知していた。故に彼らを下手に刺激せず、西域においては北側に村落を集中させていた。

 その支配を西へ伸ばしていたゴーウェンは暗黒の森で得られる恵みを利用して、更なる実力を付けてから南への攻略を成せば良いと画策していたのだ。

 そのことを言動ではなく行動で示したゴーウェンは、その意図をアシュタールに誤解され一時不和になったこともあったが、ゴブリンの脅威が増してからはその不和も解消された。

 その十余年に渡るゴーウェンの方針もあり、自由都市群の辺境小領主達は自然災害と魔獣に対処しつつ実力を伸ばすことが出来ていた。

 未だ人望や実力が確かな第一世代の小領主達が現役であり、その指導の下で育った後継者達も概ね優秀な部類の人材が多い。

 ゴブリンの王も、そこまで見通していた訳ではなかったが、経験を通じて得た知識として暗黒の森のような未開の地を開拓する人間に無能な者は居ないだろうという予想は出来た。

 先の戦を鑑みれば、まさしくゴーウェン・ラニードという老練な強敵がそれであり、南へ目を向ければ自由都市群という巨大な国々がある。当然暗黒の森に隣接するそれらは、彼らから見れば辺境ということになる。

 ここまで考えたゴブリンの王は、南への侵攻に慎重にならざるを得なかった。恐れるのは第2のゴーウェン・ラニードの存在である。戦士としては強敵の出現は望むべくもないところだが、ゴブリンを率い戦を仕掛ける統治者としては、これほど困難な相手も居ない。

 しかしながら、ゴブリンの王をして南への進路を決意させたのはクシャイン教徒の存在である。教皇ベネム・ネムシュとの邂逅は、ゴブリンの王に南への活路を見出させるに至っていた。

 人間の同盟者たる誇り高き血族(レオンハート)を通じて齎された情報、南北に割れた自由都市群とネムシュの言う聖戦の発動による混乱。その影響がどの程度辺境へ波及するかは未知数だが、決して悪い方には転がらないとゴブリンの王は判断した。

 東に聳えるゲルミオン王国は西域との境に小さな砦を短期間に幾つも構築し、その防備を固めているそうだ。ゴブリンの総力を結集すれば落とすことは不可能ではないが、砦群を落としたとして一体どこで手打ちとするのかが問題となってくる。

 ゴブリンの総勢は2000程。同盟者たる亜人や妖精族を加えて、その数だ。新しい同盟者たる誇り高き血族(レオンハート)の戦闘要員1000を加えたとしても3000の兵力でしか無い。

 先の西域での戦を考えるに、3000でゲルミオン王国を制圧するのは不可能だとゴブリンの王は判断せざるを得なかった。

 故にゴブリンの王が目をつけたのは、南の自由都市群。その辺境地域を攻略し、味方を増やした後にゲルミオン王国の攻略を成す。

 そこまでの戦略を描いたゴブリンの王は、更にその方法を考えねばならなかった。ただ闇雲にゴブリンの兵力を使い、それらの地域を蹂躙するだけでは人間は従わないだろう。出来得るなら、向こうからこちらに縋ってくるのが望ましい。

 では、それには何が必要か。

 先ず偏見の除去、ゴブリンよりも凶悪な敵の存在、そして威を示すことだ。

 最も難しいのは偏見の除去だ。ゴブリンの王は残りの2つを先に片付けようと考える。威を示すのは比較的難易度が低い。

 戦だ。

 しかも辺境の小領主達との戦ではない。その凶悪な敵に対しての戦で、ゴブリンの実力を彼らに示してやれば良い。

 ゴブリンよりも凶悪な敵の存在。これは今、丁度良い者達が自由都市群北部で幅を利かせている。彼らには踏み台になって貰う必要があるだろう。彼らとの戦を通じて、辺境領主達に威を示すことが可能だと考える。

 そして最後に残った偏見の除去。これが一番難しい。だが、これなくして辺境の小領主達がゴブリン側に靡くことなどありはしない。

 戦のように一度に解決する手段が無いのであれば、段階を踏んでそれらを解消していくしかない。人間を無駄に殺さず彼らの領域まで送り届けたり、無理な税制を課して領民を苦しめたりしないのも、全てこの為の布石と言って良い。

 その為の重要な役割を担うのが誇り高き血族(レオンハート)。亜人も妖精族も受け入れるこの血盟(クラン)が重要な役割を担う。

 もし彼らが居なければ、妖精族のフェルビーに同様の役割を担わせようとしていたのだが、丁度良い手駒が手に入ったのだから使わぬ手はない。

 果たして、危機に対して差し伸べられた手を人間達は払い除けられるだろうか。その手を差し出した者が、どのような意図で彼らを助けたのだとしても縋ってしまうのが人間の性というものだ。

 ゴブリンの王の長い手が、辺境の小領主達に向けて伸ばされようとしていた。


挿絵(By みてみん)


◆◇◆


 血盟(クラン)赤の王(レッドキング)には、一人の魔術師(ウィザード)がいる。名をグレイブ・ニール。付与魔術師(エンチャンター)として名を馳せた老魔術師である。

 元々鍛冶屋の次男として生まれた彼は14歳にして己の才能を自覚し、以来40年間その才を一心に磨いてきた。

 彼が使う付与の魔術とは、防具や剣にそれぞれ属性を与えることが出来るという物だった。例えば槍に雷の属性を付与すれば、その槍は攻撃した際に敵を感電させる効果を持つことになる。炎の属性を持った剣ならば、切った箇所を焼くことが出来る。

 武器ばかりではなく、彼は防具への魔法の付与も手掛けていた。

 風の属性を与えた鎧は羽のように軽くなり、鉄の属性を与えたブーツは強度が飛躍的に上がるという具合だ。

「おい、サーディン! 行軍が速過ぎるわっ! もうちょっと老人を労われ!」

「何言ってんだ、爺さん! さっきは老人扱いするなって怒鳴ってたじゃねえか!」

「融通の効かぬ男じゃのぅ!」

「屁理屈ばかりの爺さんだぜ!」

 やや性格に難はあるものの、長年に渡り幾つもの血盟を渡り歩いたその人脈の広さと腕の確かさは赤の王随一と言っていい。

「まぁまぁ、二人共喧嘩しないでください。これから交渉事に行くのに雰囲気が悪いままじゃ、相手に舐められますよ?」

 カーリオンの言葉に、筋骨隆々の戦士であるサーディンが口を挟む。

「ああ、それだ! 態々交渉なんてする必要あんのか? 飛燕の血盟だっけ? 確かに名の知れた所だがよ」

「これだから、脳みそに筋肉しか詰まっていない輩は困る!」

「なにおぅ!?」

 訝しげに老魔法使いを睨むサーディン。

「飛燕を舐めていると痛い目に遭うぞ。奴らはまさに飛燕のごとく世界を渡り歩いている。自由への飛翔(エルクス)のように本拠地を狙い撃つという訳にはいかん。それに、世界各地を回るに相応しい実力者も揃えとるしな」

 一番敵に回したくない血盟じゃわい。そう言ってカーリオンに釘を刺すグレイブ。

「大丈夫ですよ。敵対しないことを目的に交渉するんですから」

「……だと良いがの」

「えらく悲観的じゃねえか、爺さん」

 揶揄うようなサーディンの声音に、グレイブはむかっ腹が立ったのか手に持った杖を振り上げてサーディンを追う。だがそこは前衛で敵を防ぎ止める戦士のサーディンと、後衛を任されるグレイブの体力の差が如実に出た。

「どうしたどうした!? 足に来てるぜ爺さん!」

「このっ……若造、がっ!」

 息も絶え絶えにサーディンを追うが、とても追いつけそうにない。

 彼らが向かうのはエルレーン王国から南にあるサプニールという中規模の都市。自由都市群の建国にも関わった交易国家プエナとの丁度中間にある。

「おお! お久しぶりですな、ワイアード殿」

 グレイブの声に、巨躯の男は笑みを浮かべて頭を下げた。

「いや、こちらこそご無沙汰して申し訳ない。グレイブ老師もお元気そうで」

 金剛力のワイアードは、シュシュヌ教国での活動の後自由都市群へと足を伸ばしていた。一つには血盟の要求。もう一つには彼自身が興味を唆られる赤の王のことがあった為だ。

「盟主アークスからも、宜しくとの言葉を預かっております」

「それはそれは。儂などには勿体無いことじゃ」

 ワイアードの先導で商館に入ると、彼らは一様に目を見開く。

「ワイアード殿、こちらは……」

「ああ、馴染みの商館でな。案ずることはない。信頼出来る場所だ」

 商館とは、普通有力な商人達が利用する場所だった。それを個人で使えるのだから、ワイアードの影響力と信用の高さが伺える。

「流石ワイアード殿」

 グレイブの苦笑に、ワイアードは人の良さそうな笑みで答えた。

 冒険者ギルドだけでなく、商人ギルドにまで飛燕の血盟の力は及んでいる。そのことをまざまざと見せつけられ、カーリオンを始めとする赤の王の面々は少なからず畏怖を覚える。だが、誰一人それを表情に出すような者はいなかった。

 早速交渉を始める。時間は誰にとっても有限であった。

「相互の不可侵協定ですか?」

 ワイアードは聞き慣れない言葉に首を傾げる。

「そうです。我が赤の王は飛燕との傘下組織まで含めた同盟を望んでいます。その第一歩ですね」

 丁寧な言葉遣いで話を切り出すのはカーリオン。赤の王の外交は、一手に彼が引き受けていた。

「ふむ……」

 考え込むワイアードに、カーリオンは言葉を重ねる。

「何分我らは南の地域に進出してきたばかり。有力な飛燕との余計な摩擦は避けたいのです」

 一見すると下手に出ているように聞こえるが、自由への飛翔(エルクス)の一件がある為に、恫喝のようにも聞こえる。

「良いでしょう。盟主には私の方から申し上げておきます」

 二つ返事で返すワイアードに、赤の王の面々は驚く。これ程容易に交渉が纏まるとは思っていなかった為だ。

「ですが、条件が一つ」

「……何でしょう?」

「なに、そう固くならずに聞いて頂きたい。相互理解も兼ねて、互いの人材の交流を促進すべきかと思うのだが、受け入れてもらえるだろうか?」

 ワイアードの提案に、グレイブとサーディンの二人がカーリオンを見る。常と変わらぬ微笑でカーリオンは頷いてみせた。

「勿論。名だたる飛燕の血盟の方々とご一緒出来るとは望外の喜びです」

「そう煽てても何も出はせぬよ」

 豪快に笑うワイアードに、カーリオンは微笑を返した。

 商館を後にした3人は、先程のワイアードの提案について歩きながら話し合う。

「良かったのか、王佐の才殿?」

「受けるしか無いと僕は思いましたけどね」

 この交渉で最も大事なのは飛燕との友好関係を取り結んでおくこと。力を持つ血盟と友誼を結んでおくことで、赤の王に付随する野蛮な印象を変えようという戦略だった。数多くの血盟を傘下に置くには、それなりに必要なことだ。

 誰しも、好き好んで評判の悪い血盟に身を寄せようとは思わない。

「自由への飛翔との戦いで僕らは力を示しました。後はグレイブ殿の人脈とサーディン殿の確かな戦線手腕、盟主の人望があれば赤の王は軌道に乗ると思います」

「じゃあ、何で飛燕なんかと」

 サーディンが不機嫌そうに口を尖らせる。

「力を伸ばす際に余計な摩擦は避けるべきだと思います。力は必要な時に必要な分だけ使えば良い。そうは思いませんか?」

「そりゃ、そうかもしれねえけどよ」

「それに考えようによっては、これは飛燕の血盟の内情を探る良い機会です」

「……ま、そうとも取れるがのぅ」

 グレイブとサーディンは互いに首を傾げる。

「爺さん、あのワイアードっておっさんはどの程度遣えるんだ?」

「性格は、一言で言えば剛毅。防御だけを考えるなら、腕前はシュンライ殿を封じられるであろうな」

「あの人の良さそうなおっさんがぁ?」

 同じ赤の王にいる黒髪の剣士の腕前を知るサーディンは、疑わしげに話を聞く。

「今でこそ穏やかじゃが、昔は戦場の鬼じゃった。右手に青銀鉄の斧槍(コンゴウ)、左手に魔鋼鉄の盾(フドウ)を持って暴れる姿は、お前なんぞがその場にいたら漏らしておったろうな」

 昔を懐かしむように言ってから、付け加えるようにグレイブは口を開く。

「まぁ最近では、どちらも封印して己を高めることに終始していると聞く。性格も年齢と共に落ち着いてきたんじゃろう」

「……だといいですね」

 その日、飛燕と赤の王は相互不可侵の協定を結び、南方及び東方での利益の配分を約束し合った。また人材交流を約し、互いに3人ずつの交換留学生を送り合うことになる。

 この協定によって赤の王は南方地域での地盤を固め、飛燕の血盟は新進気鋭の血盟との全面対決を避けるという結果を生む。中規模の血盟の雄同士の協定で、どちらが多くの利益を手にしたのかは未だ分からなかった。


◆◇◆


 豪槍のベルタザルを中心とした賞金稼ぎ達は、その進路を砦から大きく北に取っていた。

「ゴブリンが人間を支配下に置いているなら、俺達はそれを利用する」

 どいつもこいつも脛に傷のある者達ばかりの集団で中心となったのは、やはり実力の確かなベルタザルだった。

「こんなおっさんで大丈夫なのかよ?」

 だが、当然それに不満を持つ者も出てくる。特に才能豊かだが、欲望に流され易い若者などはその典型だ。

 不満の声を上げたのは未だ若い剣士だった。

「不満なら単独で動け。俺達は別に仲間でも何でもないんだ」

 刺すようなベルタザルの視線に、若い剣士はいきり立つ。

 いきなり剣を抜くとベルタザルに突き付け、挑発を繰り返す。

「てめえに従う理由もねえしな」

「……」

 ベルタザルも短槍を持って立ち上がると、二人の周囲で囃し立てる声が上がる。

 睨み合う二人の対峙は一瞬だった。

「……困ったおっさんだ」

 若い剣士が表情を緩めて溜息をついたかと思えば、だらりと垂れ下がっていた長剣が突然ベルタザルの首を狙って振るわれた。

「──死ねェ!」

 悪鬼の如く顔を歪ませた若者の剣筋は鋭く、磨けば光る才能を伺わせた。

 ベルタザルは瞬時に身を屈めると、斬りかかってくる剣士の長剣を難なく躱す。屈むと同時に槍の石突きで剣士の顎を突き上げ上体を無理矢理反らさせる。

「ぐ、ふっ!?」

 剣士の口から血が噴き出る。だが、ベルタザルの攻撃は止まらない。敵の顎を突き上げた短槍を一回転、今度は柄の部分で脛を痛打する。

 悲鳴を上げてのたうち回る剣士の腕に石突きで一撃を加え、怒りを滲ませた剣士の視線を冷然と受け流して蹴り飛ばす。

 鳩尾に直撃したベルタザルの蹴り。吐瀉物を吐きながら踠く若い剣士にゆっくりと近付いていく。誰もが冷水を浴びせかけられたように無言になる中、更に剣士の顔を蹴る。

 囃し立てていた者達でさえ、そのあまりの手際の良さと人を人とも思わぬ暴力に静まり返り、後はベルタザルが剣士を蹴る音だけが響く。

 鼻が折れ、口の中が切れ、血塗れになって動かなくなる剣士。そこまでして、やっとベルタザルは周りの者達に向き直る。

「他に、不満がある者は居るか?」

 名乗り出なかった時点で、彼らの中での格付けは済んでいた。

 その時点でベルタザルがリーダーとなって賞金稼ぎ達を率い、西都に乗り込むことが決定していた。


◆◇◆


 プエル・シンフォルアは土の妖精族(ノーム)の戦士ベルク・アルセンに同行し、小国家群南部の国フェニスへと辿り着いていた。

 巻き込むのは心苦しいと言うプエルに、駆け出しの冒険者シュレイとゼノビアの信徒ルーは強硬にベルクについて行くべきだと主張してやまない。彼ら二人にしてみれば、追手を追い払った心強い味方であるベルクと一緒に居た方が安全であるとのことだった。

「契約してくれましたよねっ!?」

「それは、同胞を助けるところまでと──」

「でも、このままだとプエルさんは、また危機に陥りますよね!?」

「それはそうだが……」

 驚いた事にプエルと別れた後、二人は冒険者ギルドに駆け込み、護衛をしてくれそうな人物を探していたというのだ。だが、彼らが持っていた金銭は少ない。それに相手があの“ウェブルスの短剣”では誰もが恐れを為して引き受けようとしなかった。

 そこに現れたのがベルクだった。南部の砂漠から出てきたばかりのベルクは、一言で言えば世間知らずだった。人間の世界の事情に疎い彼だったが、同胞を助ける為という言葉に惹かれ依頼を引き受けてしまったのだ。

 二人に根負けしたのはプエルではなく、ベルクの方だった。

 取り敢えず自身の所属する血盟の盟主に話だけでもしてみようという事になったのだ。プエルが大人しく彼らに従っていたのは、彼女自身先程の戦いで疲労していたのと、一人で血盟に挑むことの無謀さを痛感させられた直後だったという事情もある。

「……あぁ、一つ注意しておくことがある」

 そして彼らがやってきたのが小国家フェニス。妖精族を保護する国として有名な国だった。その国に足を踏み入れてから妙にそわそわとしたベルクだったが、意を決したように同行者3人に向かって口を開く。

「……盟主は非常に気難しい。その上簡単に暴力に訴える。典型的なまでに野蛮な人物だ。説明は全て俺がするから、お前達は後ろに居た方がいい」

 その説明に、同行者3人は顔を見合わせる。

「その、大丈夫なのでしょうか?」

 3人を代表して口を開いたのはプエルだったが、多分大丈夫だというベルクの答えに心底不安になる。

 大通りを抜け、狭い裏路地を抜ける。寂れた酒場を見上げると、ベルクは宿名を確認して中に入っていく。

「……天国亭」

 もの凄く不安を掻き立てられる店名に、ルーは泣きそうになりながら隣のシュレイを見る。

「どうしよう、シュレイぃ」

「い、行くしか無いだろう!」

 中に入った3人が目にしたのは、テーブルに足を乗せて鼾をかく露出の多い服の黒髪の女と、それに近寄っていくベルクの姿だった。

 その、あまりにもあられもない姿に、健全な男子たるシュレイは思わず黒髪の女を凝視してしまう。

 太ももまで見えるスリットの入った長いスカートに、足の指先に引っかかっているのはガニカと呼ばれる革のサンダル。豊かな胸周りだけを覆った服は、下着なのではないかと思う程だった。前の開いたチュニックは、彼女の蜂蜜色の肌を隠すのに全く役に立っていない。

「……シュレイぃ」

 隣から注がれる冷たい視線にシュレイは己を取り戻し、些か焦った声でプエルに話を振る。

「あれが盟主さんなのかな? 女の人みたいだけど」

 そうこうしている内にベルクが女の肩を揺する。涎を拭いて目を覚ました女はベルクの顔を見ると、眉間に皺を寄せて椅子に座り直す。

 シュレイから見て非常に整った顔立ちを歪ませてベルクの話を聞く女盟主の様子は、女傑という言葉を思い起こさずにはいられなかった。

 そうして一通りの話が終わったのだろう。

 女盟主は徐に立ち上がると、いきなりベルクの胸倉を掴み、あろうことか思い切り頭突きを食らわせた。

「ぐお!?」

 苦痛の声を漏らすベルクが、その場にしゃがみ込む。

「このボケがっ! 金にもならねえ仕事引き受けやがってェぇ!!」

 響いた怒声は酒場を揺るがせ、傍から見ている3人の心臓をも縮み上がってしまうかのようだった。吊り上がった瞳は獲物を求める肉食獣のように鋭く、容貌が整っているからこそ余計に凄みがある。

「てめぇ! ウチの財政状況分かってんのか!? 金がねえから、こんなフェニスくんだりまで来てんだぞ!」

「そ、それは盟主が……」

「あァ!? あたしの所為だってのか!」

 捲し立てる女盟主の声に、段々とベルクの声が小さくなっていく。一通り悪態を吐き終えた女盟主の獲物を狙うような視線が、入り口で固まる3人に注がれる。

「ひっ!?」

 思わず悲鳴を上げたルーを誰が責められるだろう。

 こっちへ来いと指先で招かれてしまっては、最早逃げることは叶うまい。

 恐る恐る女盟主に近寄ると、恐怖の主は椅子に腰掛け、右足を乱暴にテーブルの上に乗せる。

「で、いくら持ってんだい?」

 苛立ちを隠そうともせず、カウンターに向かって酒出せ! と怒鳴る恐怖の主。

「え、えっと……」

 思わず視線を逸らすシュレイとルー。彼らにして見れば、有り金を置いていけと言われたに等しい。

「依頼を引き受けて頂けるということで宜しいのでしょうか?」

 フードを深く被ったままだったプエルが、そのフードを取りながら質問をする。

「あン? ああ、それなら──」

「──盟主!」

 言いかけた女盟主の言葉を遮るように店の扉が勢い良く開かれ、ガラの悪い男達が10人程ぞろぞろと入ってくる。

 舌打ちしてそちらを確認すると、女盟主は眉間に寄せた皺の谷間を一層険しくして口の端を歪めた。

「今お話中だよ、クソったれ。人が話をしているところでは静かにしましょうって習わなかったのかい?」

「……おい、獲物はどいつだ?」

 女盟主を無視して標的を探す頭と思しき人物。プエルを確認するや否や、全員が武器を抜く。

「……おい、ベルク。あたしの剣寄越せ」

 女盟主の口元が笑みに歪む。怒りに見開いた瞳孔に、口元に浮かべる笑みは類稀なる凶相。ベルクは頭突きを受けた場所を摩りながら、妙に刀身の細い曲刀を投げ渡す。女盟主はベルクに背を向けたまま自分の得物を受け取ると、腰だめに構えて細く息を吐き出す。

 構えを取る女盟主の獲物を弄ぶ肉食獣のように歪んだ口元から、艶かしい赤い舌が彼女の唇を舐める。

「女、邪魔するなら容赦はせんぞ」

 女盟主に浴びせられる警告は、彼女の怒りを助長させるものでしかなかった。

「来いよォ、三下ァ。細切れにしてやるぜェ」

 暗殺者の警告を、長い黒髪が逆立つような低い声で嘲笑う。

「……やれ!」

 号令の下、一斉に女盟主に襲い掛かる追っ手。シュレイやルーが対峙したのとは違う本物の暗殺者の一糸乱れぬ動きに、女盟主は身を低くしてそのまま突っ込む。

 息をする間に三閃。鞘に入れた状態から曲刀が閃く。ほぼ同時に迫っていた筈の暗殺者が、一太刀を以って三者三様に斬り捨てられていた。

 驚く暗殺者に付け込んで、更に女盟主が一歩前に出る。更に三閃。白刃の煌めきが走る度、声もなく暗殺者の数が減る。

「ハッ」

 整った顔立ち故に一層歪んで見える笑み。それが更に捻れる。床と言わず、壁と言わず、剣閃の軌道をなぞるように血飛沫が店内を濡らす。

 見慣れぬ剣術。だが振るう度に長い黒髪が舞い、煌めく白刃の一瞬の軌道が宙空に血飛沫と共に円を描くその姿は、剣舞の如き美しく完成された姿であった。シュレイがその女盟主の剣術に見惚れている間に、暗殺者は残り一人となっていた。

「貴様っ!? 何者だ!」

「あァ? 相手が誰かも知らねェで喧嘩売ってきたのか。屑だな」

 曲刀についた血糊を振い落とすと、白刃を再び鞘に落とし込む。腰だめに構えて凶悪に笑うと、女盟主は暗殺者に向かって言い放つ。

「さァ、さっさと死にやがれ。てめえを殺したのは、赫月のヴィネ様だ。冥府の女神(アルテーシア)様に宜しく伝えといてくれ!」

「貴様っ、狂刃の──」

 言い終わらぬ内にヴィネの剣が暗殺者の腹から胸までを切り裂き、一瞬にして生命を断ち切る。

「ふん、雑魚が」

 吐き捨てると白刃を仕舞い、つかつかとプエル達の前まで戻ってくる。

「さて、話の続きをしようじゃねえか」

 頬に先程殺した相手の返り血をつけて舌舐めずりするヴィネは、まさしく悪魔の如く笑っていた。


ヴィネさん書くのは楽しいですね。でもなぜか彼女を書いていると、ゴブリン達が行儀良く見える不思議。

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