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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
225/371

ゴブリンの王の長い腕

 ゴブリンの王が西方領主ゴーウェン・ラニードを打ち破り西都を占拠したのがトゥラの月である。その翌月ラビトの月にゴブリンの王は誇り高き血族との同盟を結ぶことを決めた。

 かの血盟の使者2名がその成果を盟主に伝え動き出したのが、翌月のドラゴの月であった。

 誇り高き血族は妖精族と亜人を差別なく雇用することで知られる血盟である。流石に魔物と呼ばれる者を雇用したりはしないが、その連絡役には亜人が当てられることになった。

 南へ進路を向けたゴブリンの王の軍勢だが、その滑り出しは順調と言って良い。ギ・ギー・オルド率いる魔獣軍の余波は自由都市群の小都市を圧迫し、領主達は悲鳴を上げてクシャイン教徒の上層部に嘆願を出す始末だった。

 何しろその数が多い。

 魔獣軍が僅かに移動するだけで周辺の魔獣がそれを察知して動き出すのだ。縄張りを侵されて殺気立つ魔獣が、人間の領域に耐え間なく襲撃を掛けてくるに等しい。

 ドラゴの月は初夏の頃合いである。普段なら田畑に瑞々しい緑が満ちている筈だったが、魔獣によって食い荒らされる作物に、農民達からは悲鳴が上がる。

 それを守るべき領主達も、度重なる魔獣の襲撃に疲労と浪費を重ねていくしかなかった。

 自由都市群の北西にある村落バージェでも、それは起こっていた。

「魔獣だ! また襲ってきたぞ!」

 畑に出ていた男の悲鳴で、村が喧騒に包まれる。

「領主様に連絡を! 女子供は家の中へ! 男は武器を持って門に集まれ!」

 壮年の村長の主導で村中が動き出す。

「村長、ソニアが居ない!」

 小さな村である。全員が顔見知りと言っていい。そうであるからこそ、誰が居ないのかは直ぐ分かる。ソニアという少女は、両親の手伝いで畑に出ていた筈だ。

「ソニアっ! どこだ!?」

 彼女の知り合い達が声を張り上げるが、村の中には戻っていない。

「あそこだっ!」

 見つけたのは狩人をしている村人の一人。指差す先には、三角猪(トリプルボーア)に追われる少女の姿。

「ソニア、急げっ!」

 声を張り上げる村人達だったが、その速度はあまりに違い過ぎる。狩人の弓も距離が離れ過ぎている為に、牽制すら出来そうにない。

 あわや追い付かれると思われた少女を救ったのは、放たれた一本の矢。

 魔獣の足を貫き、一撃で少女を救ってみせた射手は、昨日から村に逗留していた旅人だった。

「ガルウィン!」

「応!」

 駆け出したのは長柄の戦斧を肩に担いだ戦士。皮鎧を身に着けた男は、あっという間に少女に駆け寄ると、その背に彼女を庇う。

 立ち上がる魔獣と対峙して、少女を助けようというのだ。

 三角猪の突進を身を捻って躱すと同時に、前足に一撃を叩き込む。怒声とも悲鳴ともつかない絶叫を上げる魔獣の背に、空に曲線を描いた矢が突き刺さった。

「良い援護だ! フェース!」

 両方の前足に傷を負いながらも、怒りに任せて突進してくる三角猪。その突進を冷静に見切って、ガルウィンと呼ばれた戦士は猪の首に戦斧を叩き込む。

 盛大に血を吹き出して倒れる魔獣。一瞬の後、村から爆発したような歓声が響いた。


◆◇◆


 魔獣の襲撃を退けてから間もなく、連絡を受けた領主軍が到着する。だが、討伐すべき対象が既に打ち倒されていたことに彼らは驚く。

 通常、領主は自身の手持ちの兵力が減るのを極端に嫌う。故に魔物の討伐といえども、万全の備えと確実に勝利出来る戦力を整えて救援に駆けつけてくる。

 対して冒険者は、恐らく勝てるだろうという予測の上に戦いを展開する。常在戦場と言えば聞こえは良いが、とりあえず戦いを始めてみて無理なら逃げるという選択肢もあるのだ。

 それが身軽な冒険者と、領地を守らねばならない領主軍の速度の差となって現れた。

 両者は魔獣という脅威に対しては、持ちつ持たれつなのだ。

「我が領民を守ってくれたこと、礼を言う。名を教えてもらいたい」

 故に実利を重んじる領主ならば、冒険者という戦力を確保しておきたいと考えるのは当然の結論。小さな領地しか持たない領主であれば、高名な冒険者を自らの領地に留めて置くだけで相応の防衛能力を期待できる。

「私はフェース。こちらは……」

「ガルウィンだ」

 堂々と胸を張る彼らに、領主が頷く。

 領主は領地を守ってくれた礼をしたいと、領主の邸宅に招きたい旨を彼らに伝え、二人の冒険者は当然のようにそれを受ける。

 このようなやりとりは実際にかなり一般的だった。特に辺境と呼ばれる場所では魔獣や魔物、そして亜人などの人間を脅かす存在は事欠かない。

「ほう、あの誇り高き血族(レオンハート)の……」

 夜になり領主の邸宅で行われた晩餐で、領主は彼らが東部に根を張る巨大な血盟の一員だと知ることになる。

「傭兵稼業というからには、もっと荒々しい者達を想像していたが」

 妖精族と人間の混血であるフェースが、その整った顔に苦笑を貼り付け、領主の感想に首を振る。

「最近は我らも西方から南方へ事業を展開しています。それに伴って傭兵というよりは、冒険者として振る舞うことが多いですね」

 一心不乱に食い物を口に詰め込むガルウィンを無視して、フェースが答える。

「成程。……それでここにはいつまで滞在されるおつもりか? ご覧のとおり、ここ最近頻繁に魔獣の襲撃があるのでな。貴方方のような信頼出来る冒険者が居てくれれば、領主としても心強いのだが」

 本題を切り出す領主に、フェースは未だに食事に夢中なガルウィンの脇を突いて咳払いをする。

「あ、ああ……。飯も美味いし、どれだけ居ても良いが」

 惚けたことを言うガルウィンに内心で溜息をつきつつ、フェースが再び咳払いし口を開く。

「私達も慈善事業ではありません」

 一度断りの挨拶を入れると、領主は目に見えて落胆する。実際問題、武器も防具も使えば摩耗し破損もする。己の命を守るそれらの物品に金を掛けられない者は長生き出来ない。そして修理には当然金が掛かる

 領主もそれは分かっている。だから落胆したのだ。巨大な血盟ならば、或いは何かの間違いで助けてはくれないだろうかと。

 整った顔に微笑を浮かべ、フェースは尚も言う。

「ですが、この地の窮状は旅の途中で目にしています。出来れば私達も力を貸したい」

「そう言ってもらえるのは助かるが……」

 苦慮するのは領地の財政状況。クシャイン教への布施がある為、財政に殆ど余裕はない。領地を守れるだけの冒険者を雇い入れるには、借財を重ねねばならないだろう。

 破綻の見える道筋に敢えて突っ込む程、領主は無謀でも自棄にもなっていない。東方での誇り高き血族の窮状を知らない領主は、交渉において後手に回らざるを得なかった。

 一度の幸運として彼らを見送ろうと心を決めかけた領主に、フェースの声が掛かる。

「ですので、宿と食事、後は月に銀貨3枚で手を打ちませんか?」

「……何と!? 本当にそのような額で?」

 領主が驚いたのも無理はない。彼らのような優秀な戦力ならば、クシャイン教の本拠地クルティディアンに行けば銀貨どころか金貨で雇ってもらえても不思議ではないのだ。

 今の領主の財産でも何とか払える金額を提示されたことで、領主は涙を流さんばかりに感動しフェースの手を取る。

「……貴方方は、間違いなく我らの救世主だ」

「いえ、困っている人に手を差し伸べるのは、我らの盟主の意向でもありますので」

 微笑むフェースに、領主は感動を露わにしながら頷いた。

 当然、美味い話には裏がある。

 銀貨3枚では、武器の修繕費にも足りないのだ。誇り高き血族が、それを敢えて引き受けて魔獣の余波の激しい地域に人員を送り込んだのには相応の理由があった。

 このようなやりとりが魔獣の被害に苦しむ小領主の治める領域の至る所で発生し、誇り高き血族は望まれるだけの戦力を、ゴブリン勢力とクシャイン勢力の狭間に送り込んでいた。

 それはまるで乾いた砂地に水を染み込ませるようだった。月も変わる頃には、 誇り高き血族(レオンハート)は各領主と領民との間に着々と良好な関係を築いていった。

 ゴブリンの王の長い腕がクシャイン教徒達に伸びているのを知っているのは、ごく少数であった。


◆◇◆


 ゴブリンの本拠地たる深淵の砦では、片腕のギ・ベーらを始めとする近衛らが、新たに生まれた幼生ゴブリンに戦い方を指導していた。

 人間との戦が始まって三ヶ月。西都を占拠し、南へ目を向け始めたゴブリンの王の元には、着実に新たな兵力が届けられていた。

 西都を拠点として平原を侵略し始めたゴブリンの王には、いくら兵力があっても足りない。ギの集落を母体としたゴブリン達、4氏族、更には南方のゴブリンら。三ヶ月で500近い補充兵を得たゴブリンの王は、西域に済む人間達に対しての施策に乗り出していた。

 農耕を覚えたとは言っても、彼らが作れるのは赤果実の実程度である。主食として食っていくには、とても足りない。何れはゴブリンのみで農耕をするとしても、今の段階ではそれは難しいと考えたゴブリンの王の判断で、人間主導での農作を各地で開始している。

 元々食性が違う人間とゴブリンだったが、小麦を使ったパンを抵抗なく食べられたというギ・ゴー・アマツキの進言もあり、土地を耕すゴブリンの姿が各地で見られていた。

 屯田兵制度という名前こそ出さなかったが、伏して時を待つゴブリンの王は無駄に兵を遊ばさせておくつもりはなかった。

 糧食はいくらあっても良い。

 ゴブリンの主食たる肉を得る為の狩りは必須だったが、総勢2000近いゴブリン達を食わせていくには、それだけでは足りなくなってきているのを王は危惧していた。

 生態系というものを崩せば思わぬしっぺ返しを喰らう。一つの種族を絶滅に追い込むなど、ゴブリンの王には考えもつかないことだった。

 そのことを知識として知っている王だからこそ狩りから農耕へと、徐々に糧食の供給先を変えていこうとしていた。

 だがゴブリン達を鍛える為に、狩りは無くてはならないものだ。

 三匹一体の訓練や命を懸けた成人の試練を経て、初めて戦士として認められる。その行程をゴブリンの王は認めていた。

 畑を耕すゴブリンと人間の調停役に任じられたのは辺境の村々を回っているシュメアだった。今は西都に残った浮浪児達の面倒を見ながら、村から村への調停と嘆願の聴き取り等で各地を回っている。

 実際、彼女に寄せられる不満や面倒などは直ぐに王の元へと届けられることになってる。シュメアの元には15歳未満の子供達が100人近く集められ、空いた時間にシュメア直々の槍の訓練をさせていた。

 植民都市から接収した糧食は、2000の兵が半年養える程の量を有していた。この糧食があったからこそ、人間の今年一年の税を免除するという措置が取れたのだ。

 忙しさに悲鳴を上げながらも、案外楽しそうに彼女は子供達の面倒を見ていた。

 一方、西都を落とした際に捕らえられた奴隷を任されたヨーシュは、困難な仕事に頭を掻き毟っていた。

 奴隷と一口に言っても国によって扱いは違うし、奴隷の中でも剣闘士などの武力を売りとする者に始まり、計算に明るい者、主の世話をする者や性奴まで、幅広い用途が存在する。

 多種多様な“商品”を任されたヨーシュは、その扱いに困り果てていた。西都でゴブリンの王の支配下に入った人間700名の内、子供が100名程度で奴隷が400名程度。その他に老人や罪人、脱走者などが居た。

 数だけでシュメアの4倍。そして一人一人に何が出来るのかを面接するだけで10日も掛かってしまった。更にそれらの運用ともなれば、想像を絶する雑多な業務が彼の上に振りかかる。

 彼の孤軍奮闘の理由は、ゴブリンには何も期待できず、妖精族も、その知識と長寿で統治には向いているかもしれないが、実際に人を動かす実務作業になるとどうしても種族の違いによる弊害が出てしまう為に誰にも頼れなかったのが大きい。

 青息吐息で1日中駆け回るヨーシュは、悲鳴を上げる時間すら惜しんで奴隷達を運用する。

 戦奴隷として連れて来られた30名程をゴブリンの中でも人間の戦士に理解があると思われるギ・ゴーに預け、文字を書ける者や計算が出来る者は妖精族の補助をさせるべく、各村々へと派遣する。

 主の身の回りの世話が得意な者には西都に残っている老人達の世話をさせると共に、農地拡大の為に村へも派遣する。

 偶々村で出会ったシュメアが、その窶れ具合に驚いたというのだから、ヨーシュの大変さが分かるというものだった。

 だが、それも何とか形になり、ゴブリンの王国は徐々に国としての体裁を整えつつあった。


◆◇◆


 血盟(クラン)赤の王(レッドキング)が主に活動するエルレーン王国は、国土のそれぞれ半分が農耕地帯と砂漠地帯に別れている。

 南部の砂漠地帯にはオアシスを中心に幾つかの都市や小さな町があり、砂漠を渡る隊商達が商売を展開する場となっていた。

 無論、その砂漠にも魔獣魔物の類が存在する。

 隊商を襲うそれらを護衛するのも、冒険者としての赤の王の収入源の一つだった。

 隊商達が使う経路から西へ2日程の距離に、赤の王は傘下にある血盟を率いて魔物の討伐へ来ていた。

「足元から出てくる蟻どもは探索者(レンジャー)に探知させろ!」

 指揮を執るのは筋骨隆々とした戦士。

 その指示に従って、各血盟から寄り集まった参加者達が砂漠地帯に展開していく。

共同戦線(パーティー)は、中々順調のようですね」

 砂漠地帯には似合わない青白い顔をしたカーリオンの言葉に、ブランディカは頷く。

「誰かが徹夜で人選まで練ってくれたようだからな」

「まぁ、それはそれとして……」

「何だ? おい、照れるなよ」

 豪快に笑うブランディカに、カーリオンは困ったように頬を掻いた。

 連合血盟である赤の王(レッドキング)は、その傘下にある多種多様な血盟を交えての人材交流と、経験を積ませる為に大規模な狩りを行うことがある。

 ブランディカ自らが率いることもあれば、今回のように赤の王の幹部の誰かが率いることもある。

「突出し過ぎるなよ! 徐々に押し込んでいけば良いからな!」

 筋骨隆々とした戦士の指示に、前線を構成する幾つかのパーティーが了解の合図を送ってくる。

「サーディンも乗り気だし……いっちょ俺も」

「ダメですよ。それじゃサーディンが可哀想でしょう」

 ウキウキと前線に行きたがるブランディカに、カーリオンが釘を刺す。

「いや、ちょっとだけ」

「ダメです」

「ほんの、ちょっと」

「ダメです!」

「先っぽだけだから!」

「ダメったらダメです! そんなことより、将軍や盟主(おきゃくさん)方の相手があるでしょう?」

 隣に控えるセーレの冷たい視線にも気付かずブランディカは懇願するが、カーリオンは一顧だにせず視線を後方へ向ける。

 流されるようにブランディカも後ろを振り返ると、視界に入ったのはエルレーン王国の有力な将軍であるカナッシュと、傘下にある血盟の盟主達の姿だった。

「あ~あ、まぁ、仕方ねぇか」

 どこか拗ねた子供のように口を尖らせると、彼らに向かって歩き出す。

「……いつか尋ねてみようと思っていたのだが」

 セーレは、主を見送るカーリオンに声を掛ける。

「はい?」

「何故、貴方はあの男を支えるんだ?」

「私が支えたいから。……それじゃあ、いけませんか?」

 微笑を浮かべたカーリオンは、指揮を取るサーディンの方に視線を向ける。

 蟻人(キラーアント)の巣を見つけたとの報告に、この狩りの成功を確信したカーリオンはセーレに少し休むことを伝え、天幕の中に入っていった。

「ふん……!」

 鼻を鳴らすセーレは、晴れ渡る蒼穹と広がる砂漠の大地を見つめる。

 砂漠の風が土の妖精族(ノーム)の女戦士たるセーレの頬を撫で、駆け抜けていった。



次回更新は11月1日予定。

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