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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
群雄時代
224/371

躍動

 翼在る者(ハルピュレア)の族長ユーシカの提案で始まった亜人の集落を結ぶ交易路の整備は、ゴブリンの王の助力もあって約1年の期間をもって完成しようとしていた。

 一定距離毎に旅の宿と言われる宿泊施設を置き、食料と武器を備蓄させている。周辺の警備はゴブリンが請け負い、基本的に誰でも利用が出来る施設となっていた。

 この交易路の整備によって、ゴブリンの力は亜人の各集落にまで及ぶこととなった。ゴブリンの王の危惧した亜人の反乱防止という役割は充分に果たせる。ゴブリン達の本拠地“深淵の砦”から最も近い蜘蛛脚人(アラーネア)の集落までは、僅か3日程で到達出来てしまう。

 蜘蛛脚人の集落から最も遠い人馬族(ケンタウロス)の集落でも、深淵の砦から7日程だ。以前なら考えられない速度である。

 だが同時に、亜人達もその交易路の恩恵を受けることになる。それは医療の充実と食糧難の解消である。亜人は概ね狩猟の民であり、狙うのは魔獣と呼ばれる危険極まりない獲物。その獲物を取らねば一人前と認められないが、当然その際怪我を負うことも少なくない。

 今までは集落毎に異なった治療方法と薬草を用いた処方をするだけだったが、交易路の整備による交易品の増大で治療に使う薬草が大幅に増えたのだ。

 広大な暗黒の森に点在する亜人の集落では、その地域にしかないような薬草も存在していた。或いは、その亜人の集落の知識において使える薬草の種類には限りがあった。

 交流によるそれらの解消は、交易路を整備したユーシカの悲願とする所だった。

 亜人は狩猟の民である。その日獲物が獲れるかどうかという不安定な供給に依存する彼らの食糧事情は、常に族長達の悩みの種だった。それらを解決する為に各集落を結び、余剰食料を回すことを思いついたのだ。

 ユーシカが商人としても族長としても優秀だったのは、共同体と各集落の利益を考えつつ、自分達の利益も手放さなかったことだ。誰もが得をするという形で事業を成功させるというのは中々出来ることではない。

 各集落を繋げば、交易品を運ぶのは自分達翼在る者の役割となる。或いは土鱗(ダルタピエ)の一族かもしれないが、意図せず市場の拡大という概念を持ち込んだ彼女の才覚をゴブリンの王は高く評価していた。

 後方地域の充実は、ゴブリンの王の覇道に決して欠かせないものだった。

 そのユーシカは、西都の攻防戦が一段落した後にゴブリンの王の要請で人間の都市に参集されていた。白い翼を畳み席に付けば、周りには妖精族やゴブリンの中でも知性的なドルイドの姿がある。

 領主の謁見の間であった部屋に椅子を並べただけの簡素な会議室に王が入ってくる。相変わらずの威厳に、ユーシカは内心で首を竦めた。

 ──まったく、もう少し扱い易ければ良いのだけど。

 彼女の視線の先にいる有能過ぎる他種族の指導者は、保護を与えてくれると同時に楽をさせてくれない存在だった。

 妖精族の中には、大恩あるフォルニのフェイも居る。目を細めて周囲を観察すれば、呼び集められたのは何れも今ゴブリンの王が参集できる範囲で最も高位の者達だった。

 嫌な予感がして溜息が出そうになったユーシカだが、開口一番ゴブリンの王が言い放った言葉に思わず眩暈を覚える。

「税制を作ろうと思う」

 ユーシカは、先日会った土鱗の族長ファンファンの言葉を思い出していた。

 “あの王様は本当は馬鹿なのかもしれない。無理とか無茶とかの区別がついてないとファンファンは思うのだ”

 内心だけで同意したユーシカは、会議の成り行きを見守る。

 ゴブリンの王が途方も無い馬鹿であろうと、人間との戦いを始めてしまった今となっては最早後戻りなど出来る筈もない。

「お前達には、その税制の詳細を考えてもらう」

 沈黙。彼女には、それが些か重く感じた。

 ──丸投げじゃないの。

 口から飛び出そうになった言葉を飲み込んで、辛抱強く続きを待つ。

「人間を支配する為の、という解釈で宜しいのですかな?」

 最初に言葉を発したのはフォルニのフェイだった。流石頼りになると内心で喝采を送りながら、ユーシカは推移を見守る。

「そうだな。なるべく簡易に、負担にならない程度の税を課そうと思っている」

 人間を支配するのなら重い税を課せば良い筈だ。何を考えているのだろうと彼女は首を捻る。一族をあげての商人という立場であり、利益の何たるかを心得ているユーシカでさえ、人間憎しの感情とは無縁では居られない。

 彼女達にとってゴブリンに協力したこの戦は、自分達の土地を取り戻す熱狂的国土回復戦争(レコンキスタ)である。何れ亜人だけの国を作る為の前準備と言ってもいい。

 その過程で人間がどれだけ死のうと、何ら痛痒を覚えることなどない。

 思わず眉を顰めてしまう。

「不満のある者も居るようだが、後背地の安定は次なる躍動への第一歩だ。例え人間といえども、俺の支配を受け入れるなら、迎え入れてやるつもりだ」

 人間を自分達の国に受け入れる。その前提で税制を組めと言っているらしい。

 あれ程酷い戦いをした人間を国に受け入れるというゴブリンの王の言葉に、参加者達からは少なからず動揺の声が上がる。

 その騒めきの中、ゴブリンの中からでさえ、王に意見する者がある。

「またギ・バー辺りが騒ぎそうだな」

「不満か? ギ・ザー」

 王の問いに苦笑して、ギ・ザーは首を振る。

「王の決定だ。我らゴブリンの中で異を唱える者が現れたなら、俺が掣肘しよう。……だが、不満が無いかと言われれば嘘になる」

 異は唱えないと言いつつ、はっきりと物を言うものだとユーシカは視線を向ける。

「搾り取れるだけ搾り取るならまだしも、負担にならない程度とは?」

 最もだと頷く者が多い。ユーシカも内心頷くものがある。

「人間の数は、あまりに多い。この中には人間10人を相手にして勝ちを収めるものも多いだろう。だが、その数が100となり、1000となればどうだ? たった一人で立ち向かい勝利を収められるという自信のある者は少ないのではないか?」

 ゴブリンの王の指摘に、会議に参加していた者が黙り込む。

「それに、俺は人間を支配するとは言ったが、決して人間を優遇するつもりはないぞ」

 ゴブリンの王の自信に満ちた表情を見て、ユーシカは何か考えがあるのかと首を傾げる。果たしてそんなに上手くいくだろうか。人間は恐ろしい敵であり、隙を見せれば今回の勝利とて、直ぐにでも水泡に帰すのではないだろうか。

 その思いが彼女の心を占める。

「……王の言葉を信じるとして、国家としての体制を整えるなら、やはり税は必要だろう」

 今まで沈黙を守っていたフォルニのフェイが口を開く。

「ただ、どのようなものにするかが問題だ」

 全て奪ってしまえという乱暴な意見は流石に出なかった。ゴブリン達の中からですら出ないのだから、今回集められた者の質が伺える。

「奴らは農作物を作る。それぞれ収穫期があるのだから、その時に集めて納めさせればいいのではないか?」

「不足ね。人間にも商人はいる筈。彼らに対する税も考えないと」

 思わずユーシカは声を出す。

 平原に進出している部下から、荷を幌馬車に積んで移動する人間の姿を確認している。それが話しに聞く行商人というものなのだとユーシカは知識で知っていた。

 彼らは何も生み出さないが、それでは税が掛からないということになってしまう。

 様々に意見を出し合うが、中々これというものが出ない。

「人間の意見を聞いてみるのも、一つの手だな」

 ギ・ザーと呼ばれたゴブリンの言葉に、辺りが水を打ったように静かになる。

「人間を支配する為の税制を人間に聞くのか?」

 参加者の一人から疑問の声が上がるが、ギ・ザーというゴブリンは意に介した風もなく言い切る。

「人間は明確に支配する者と支配される者に分かれている。我らの及びもつかない様々な方法で、彼らは同じ人間を支配しているのだ」

 本当だろうかとユーシカは首を傾げる。

「負担が苦しければ人間は反抗する。故に軽い税制を敷き、人間達の間に我らの為に働く者を作り出すのが王の狙いであると。そういうことですか」

 フェイの視線がゴブリンの王に向かう。まんざらでもないような顔を見せて、ゴブリンの王は頷く。

 それから王の客人であるシュメアとヨーシュという人間が呼ばれ、税制についてあれこれ質問し、再び会議は活気づく。

 その会議は3日程続き、結局農民はその収穫物の3割を差し出すこと。更に、戦士として賦役に参加する者はその税を1割にするなどの処置が考案された。

 商人に対しても、西域に残っていた者達には亜人やゴブリンの護衛を付けることが義務付けられ、彼らの食い扶持を税の代わりに提供させることとした。


◆◇◆


 ゴブリンの王が南進を決意してから、今まで東に向いていた圧力は大いに弱まった。暗殺のギ・ジー・アルシル率いる部隊は最低限の監視だけを残して南へ向かう。ゴブリンの王の進行の尖兵とも言うべき彼らが南へ動くということは、その後に引き続く主力も南へ向かうということだ。

 魔獣軍を率いるギ・ギー・オルド、武闘派のゴブリンを率いるギ・ズー・ルオらノーブル級の指揮官達を筆頭に、西都争奪戦で比較的負傷の少なかった者は南へ侵略の矛先を向けていた。

 特にギ・ギー・オルドの率いる魔獣軍の進軍は凄まじい。レア級であるギ・ブーを副官として南へ軍を進める。

 率いるのは獣士中心でゴブリンの数は少ないが、彼らの率いる魔獣の数が尋常ではなかった。多数の魔獣が移動するとなれば、当然それだけの食料が必要になる。それをギ・ギーは現地での調達に決めていた。

 つまり、現地の魔獣を食料にしつつ南へ進軍したのだ。現地の魔獣達からすれば、たまったものではない。森の中で住処を追われた魔獣が大半とはいえ、平原で生きる魔獣とは隔絶した力の差がある。

 それが津波のような大群となって襲い掛かってくるのだ。

 少しでも知恵のある魔獣はすぐさま逃走にかかる。普段は踏み込まない人間の領域だろうが、他の魔獣の縄張りだろうが、逃げた魔獣達は分け入っていくしかなかった。

 大角駝鳥(トリプルヘッド)の背に乗るギ・ギーは、後ろに続く自分の軍勢を見て満足そうに頷く。思えば、王から直接自身の集落を作っても良いと許可を貰ったのはギ・ギーが初めてだった。

 獣士を中心に集めた集落であり、北方から連れ帰ったゴブリン達と本拠地で生まれた者の中から獣士の才能が認められた者で形成される。魔獣を使役する為の軍勢。

 ギ・ギーが中心となったゴブリンの進撃は、自由都市群北部の魔獣の活性化を引き起こす。普段は人間を見ても襲ってこない大人しい魔獣が、人を積極的に襲い出す形になって現れた。

 悲鳴を上げたのは、大きな都市国家の支配下にある小さな村落だ。

 大都市に比べて防衛能力が低いそれらの村落は、自衛の為に武器を揃えてはいるが押し寄せてくる魔獣を討伐するのは厳しいと言わざるを得ない。況して、次から次へと押し寄せる魔獣は軒並み凶暴化しており、冒険者や騎士などの実力者でなければ対処が難しい状況だ。

 普段なら治安維持部隊として存在する都市国家の戦士団が魔獣を駆逐するのだが、今彼らは北と南への侵攻の準備で忙しい。

 小型の魔獣に作物を食い荒らされ、大型の魔獣は家を破壊する程の被害を齎す。だが、どれだけ魔獣が暴れても碌に守ってもくれない領主達に、民衆の不満は高まっていった。

 領主達にしても民衆の反乱も怖いが、それ以上にクシャイン教徒の上層部を敵に回す方がより怖かった。教皇ベネム・ネムシュその人が聖戦と言った宗教の名を借りた戦争の惨状は、彼らの頭に恐怖と共に焼き付いている。

 彼らがその気になれば、領主も領民も纏めて殺戮の対象になったとしても不思議ではない。同じクシャイン教徒でも、その全てが教皇のように狂信的に教えを信じているわけではないのだ。

 領民を治める手段としてクシャインの教えを都合良く解釈し、クシャイン教徒を名乗っている領主もかなりの数存在する。

 そんな領主達にとって、クシャイン教は何よりも恐るべき存在だった。


◆◇◆


 血盟(クラン)誇り高き血族(レオンハート)の使者二人は、到着から3日後に再びゴブリンの王と対面する。大牙の一族タウロパと、自称“ザクセン”だ。

 元は領主の館の謁見の間であった部屋に通された二人は、玉座に座るゴブリンの王の姿を認める。他には誰も姿を現していない。

「契約を結ぼうと考えている」

 ゴブリンの王の言葉を聞いて、二人は内心安堵する。

 ──どうやらここで殺されることはなさそうだ。

 彼ら二人の無言の視線のやりとりに、ゴブリンの王は敢えて何も言及せず、条件について細部を詰めねばならんと語る。

「……細部、と言うと?」

 ザクセンが表向きの軽薄な表情のまま問うと、ゴブリンの王は猫がネズミを甚振るような邪悪な笑みを浮かべた。

「必要だろう? お前達の受け取る金の量も、その任務も、他に誰が決めるというのだ」

 契約金のことは未だ分かる。頭の回るゴブリンの王だ。

 だが、任務と聞いてタウロパは疑問に首を傾げ、ザクセンは嫌な予感に背に冷たいものを感じる。

「我らが出来る事は、戦の手伝い程度しかないが」

「そう、その手伝い方というものがある」

 タウロパの言葉に、ゴブリンの王は先程と変わらない笑みを浮かべる。

「……何をせよというのだ?」

「クシャイン教徒を内部から突き崩す。奴らの味方の振りをして、内応出来る者を作り出せ」

 人間を裏切れ。その言葉に、二人は少なからず衝撃を受けた。

「それは……傭兵の信義に悖る行為だ」

 軽薄さを繕う余裕も無く、ザクセンは反論する。

「お前達は何か勘違いをしているのではないか? 人間の陣営を離れ、こちらに与すると言った時点で、奴らからすればお前達は既に裏切り者だ」

 事実を淡々と突き付けるゴブリンの王の言葉は、ザクセンにしてみれば分かっていて目を背けていたことだった。

「だが……」

「勿論、お前達に覚悟が無いのなら、この話は無しだ」

 人間同士の戦ではない。種族の存亡を賭けた戦いに妥協は存在しないとゴブリンの王は明言しているのだ。その為に使えるものは何でも使う。

 お前達の参加しようとしている戦いは、そのような戦いなのだと、敢えてゴブリンの王は彼らに示した。

 それが平原から危険を冒して此処まで来た勇敢なる使者達への、ゴブリンの王の精一杯の誠意だった。

 タウロパはゴブリンの王の真意に気付かず、怒りの篭った視線でゴブリンの王とザクセンを見る。何も言わないザクセンに、タウロパはゴブリンの王に向き直り拒絶の言葉を告げようとする。

「我らは傭兵として──」

「──構わないッ! この話受けるッ!」

 タウロパの言葉を遮り、ザクセンが堂々たる声で返事を返した。

 驚愕に目を見開くタウロパを余所に、ザクセンはゴブリンの王を見つめる。既に軽薄な仮面などかなぐり捨てて、誇り高き血族を率いる副盟主としての顔でザクセンは返事をした。

 先程までの笑みを消し去り、凶悪な顔でゴブリンの王はザクセンを見つめる。血のように赤いゴブリンの王の瞳が、目の前の人間を射抜く。

「……良かろう。お前達を信じよう」

 ゴブリンの王は玉座から立ち上がると、二人に近付く。

 喰われる! 咄嗟にタウロパがそう思ってしまう程獰猛な笑みを浮かべ、ゴブリンの王が宣言する。

「望みは遠慮なく言え! これより、お前達を同盟者として扱う!」

「ありがたく受けさせて頂く」

 思わず萎縮してしまったタウロパは自身を恥じた。同時に、その時でさえ堂々と言い切る副盟主の胆力に感心せざるを得なかった。


◆◇◆


 プエル・シンフォルアはフードを深く被ったまま酒場から出て大通りを歩く。今日で4件目の情報収集は空振りに終わった。駆け出し冒険者(ルーキー)のシュレイと癒やしの女神(ゼノビア)の信徒ルーと別れて、彼女は情報を集めるべく懐かしい街の雑踏の中を歩いた。

 だが、一様に自由への飛翔(エルクス)のことになると饒舌な酔っぱらいまでもが口を閉ざすのだ。嫌でも“敵”の巨大さを感じてしまい、プエルは一人歯噛みした。

 だから彼女は大通りを歩く中、盲目の内に磨かれた感覚に引っかかるものがあった時、咄嗟に大通りから外れて裏路地へと足を向ける。

 見つけ出せないのなら誘い出せば良い。

 彼女は自分自身を餌として、敵を誘き出そうと考えた。

 彼女を追尾するその気配は複数ある。裏路地から裏路地を通り、貧民窟(スラム)に辿り着いても、未だ後ろの気配は離れない。

 プエルにとっては勝手知ったる土地だ。冒険者という野蛮な職業では、街中での諍いも良くあった。その為に街中の地理は熟知していると言って良い。

 だからプエルは、態と相手が自分を襲いやすい場所に誘導していった。

 スラムの行き止まり。元は広場だった場所に辿り着くと、彼女は足を止める。手には短剣を忍ばせ、周囲の気配を探る。

「おいおい、こんなところを一人で歩いてちゃ危ないぜ」

 軽薄な声は前から1人。

「そうそう。……特にこんな時間じゃあ、悪ぃお兄さんが一杯いるからなァ」

 後ろから足音が2つ。

 そして息を殺してはいるが、右の廃墟の壁の影に一つ。

 プエルが沈黙を守っていると、その反応が気に入らなかったのだろう。前に居た一人が大声を上げて、棒のような物で地面を叩く音が聞こえる。

「ちっ……旦那の命令だから仕方ねえが、さっさと死んでくれや」

 前と後ろの足音を確認しつつ、プエルは距離を測る。

 地面を踏む足の音からして、前後の敵は武術の心得があるとは思えない。となれば、敵は右の廃墟に潜む一人とプエルは判断して、短剣を見えるように出す。

「おやおや、そんなもん出しちゃって」

 口元に嘲笑を浮かべ、手にした棍棒を弄ぶ。

「そら――!?」

 振りかぶった棍棒を振り下ろそうとした瞬間、プエルの身体が僅かにずれる。

 その直後、振り下ろした棍棒が地面を叩き、砂埃が上がる。

「くっ――このっ!?」

 痺れる腕を無視してプエルの影を追おうとした男の喉元に、プエルの短剣が突き付けられていた。

「悪いことは言いません。貴方達を焚き付けた者の名を言って、すぐさまここを去りなさい」

 温度を感じさせない声で恫喝すると、彼女は突きつけた短剣を僅かに動かし、肌を薄く斬る。

「ひっ!?」

 後退る敵から距離を離さないように、足を前に進める。距離を詰めた瞬間、後ろからの足音に注意を向ける。

「おらァ!」

「死ねぇ!」

 背後からの足音が2つ。得物を振りかぶる音を感じて、プエルは突きつけていた短剣を僅かに動かし身を翻す。敵の武器の軌道から逃れたプエル。その身代わりとなった男の悲鳴が響く。

 舌打ちをする背後の敵に、プエルは一歩踏み込むと同時に、短剣で腕を狙った。

 プエルは未だに盲目のままである。にも関わらず、彼女の卓越した聴力は音を聞くだけで、瞼の裏に像を結べるだけの力があった。

 背後から聞こえた飛来する矢の音に、プエルは素早く身を屈める。

「かっ!?」

 背後からプエルに襲い掛かった一人の悲鳴に、プエルは矢を放ったであろう敵の元へ滑るように走り出す。

 慌てて立ち上がる音を聞き、彼女は敵の居所を特定すると持っていた短剣を投擲する。

 逃げる敵の背に吸い込まれるように刺さる短剣。くぐもった声を上げて倒れる敵の音を聞き取ったプエルは、腕を切りつけた敵のところに戻ると同じ質問をした。

「さあ、貴方達が旦那と呼ぶ者の情報を教えなさい」

 再び短剣を手にしたプエルに、男は震える声で白状した。

「……ウェブルスの短剣」

 静かに呟くプエルの胸の内に、復讐の炎が燃え広がっていた。


◆◇◆


 黒髪の長身の剣士が振るう刃は、その男の身の丈程もある巨大な剣だった。それは主に砂漠の民が使うとされる湾刀である。その名の通り、湾曲した刀身が特徴的な剣だが、黒髪の剣士が使っているモノは常識では考えられない程に大きい。

 曲刀より更に反りが深い湾刀を使う剣士は、目の前で軽くステップを踏む軽装の剣士を視界に収めていた。

 肌を露出させた軽装の剣士が使うのは双剣と呼ばれる二刀一対の剣である。軽さと切れ味を追求した双剣の遣い手は、迷宮都市トートウキで有名な血盟(クラン)の一員である。

 場所はエルレーン王国と迷宮都市トートウキの中間にある小さな集落。そこで血盟(クラン)赤の王(レッドキング)とその血盟は、血盟の存続を賭けた試合を行なっていた。

 双方の盟主が選んだ1名の代表による試合は、周囲をその構成員達で囲まれ白熱の度を増していた。

「──シッ!」

 軽くステップを踏み、リズムを取っていた双剣士の体がぶれて消える。少なくとも、周囲の者達にはそう見えた。

 直後、黒髪の剣士が何もない空間に湾刀を振るう。

 鋼と鋼がぶつかり合う音が響き、吹き飛ばされる双剣士が轍をつけて地面を滑る。だがそれでも態勢だけは崩さなかった。双剣士は、流石に一つの血盟を背負って立つだけの技量があった。

 衝撃を足から逃し、いつでも反撃に移れるだけの備えをしていたのだ。

「ぐ!?」

 だが、それを上回る脅威の踏み込みで、黒髪の剣士が背負うように構えた湾刀を振るう。

 一流の技量を誇る双剣士を更に上回る超人的な身体能力。だが、双剣士にも意地がある。ここで彼が負ければ、文字通り彼の家族であり家である血盟は目の前の男達によって潰されてしまうのだ。

 長年その血盟と共に己を磨いてきた双剣士は、最後まで抗うべく、双剣を振り下ろされる湾刀に合わせ、更に自身の体を後ろに流す。

 完全に逃げる姿勢になるが仕方ない。後方への跳躍と併せて動いた双剣士は、そこで再び驚愕する。

 跳んだ筈の体が前に引き戻されていく。まるで空間自体が、彼を黒髪の剣士の前に差し出すように。

 振り上げた双剣で真正面から湾刀を受けてしまい、軽さと切れ味を追求した双剣は無残に砕け散る。

 死を覚悟した双剣士の首筋に、湾刀が突き付けられていた。

「……俺達の負けでいい」

 悔しげに唇を噛み締める双剣士側の盟主に、赤の王の盟主ブランディカは豪快に笑った。

「シュンライ! 見事だったぞ!」

 膝をつく双剣士に一瞥をくれると、黒髪の剣士は湾刀を担ぎ直す。

「良い勝負だった。また、やろう」

 相手の返事を待たず、シュンライと呼ばれた黒髪の剣士は盟主の元に戻る。その先ではブランディカが相手側の盟主の肩を抱き、何事か話し合っている。恐らく赤の王の傘下になることを条件に、血盟の存続を許すという話し合いだろう。

 黒髪を総髪にして肩で切り添え、口元を長い布で隠したシュンライは、楽しそうに野望(ユメ)を語っているだろう盟主を見て、目を細める。

「お疲れ様でした」

 盟主の元に向かう彼に声を掛けたのは、学者風の青年カーリオン。

「疲れる程の相手でもなかったが」

 相手に掛けた言葉との落差に、カーリオンは苦笑する。

「あれで、トートウキで五指に入る血盟の剣士なんですがね」

「これなら、未だ自由への飛翔(エルクス)の方が骨があったな」

 意味ありげに視線を向けるシュンライに、カーリオンは悪戯っぽく笑う。

「そうそう大きな血盟と抗争はしないですよ」

「なら、予定外に期待している。王佐の才」

 背を向けるシュンライ。

「参ったなァ。……あぁ、そうだ!」

 頭を掻くカーリオンが、笑みを浮かべた顔とは裏腹に酷く冷たい目をしてシュンライに再度声を掛ける。

「エルクスの生き残りが見つかるかもしれません。ウェルブスの短剣が情報を寄越しました」

「ほう? ……それは、興味深いな」

 口元を覆う薄手の布の隙間から見えた彼の顔は、肉食獣のような獰猛さを伴って笑っていた。



次回更新は……10月29日。

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