西都争奪戦Ⅰ
一度は包囲を解いたラ・ギルミ・フィシガ率いるゴブリン別働隊だったが、再度植民都市を攻めるよう王からの命令を受け、その意思を固めていた。
ハルピュレアを通じての伝言に、王が相当に情報伝達の速度を重視していることが伺える。
問いたいこともあったが、ギルミは何も言わず、ゴブリン、オーク、亜人達に攻撃を命じた。夜間を待っての強襲を行うと決めたのだ。
「あの、何の説明も無いままでは……」
オークキングのブイが不満を口にするも、ギルミはただ首を振った。
「ならば、王命に逆らうのか?」
「いえ、それは」
俯くブイに、ギルミは聳える城壁を見上げた。
「やるしかないのだ。我らこそが、誰よりも王を信じて」
「……そう、なんでしょうか」
未だ戸惑いを隠せないブイに、ギルミは視線だけ向けるが何も言わなかった。優秀であるが故に、ただ黙って王に従うことに不満が残るのだろう。それはブイもギルミも共通する所だった。
だがギルミは、自身の背負ったモノを自覚している為、敢えて口を閉ざした。
「ギルミ殿、先陣は我らに任せてもらえないか?」
話し合うブイとギルミに声を掛けたのは、蜘蛛足人のニケーアだった。
「それは構わんが……」
本当にいいのかと問い掛ける視線に、ニケーアは肩を竦めて答えた。
「誰かが先陣を切らねばならん。我が一族は貴方達の王にこの戦の命運を賭けたのだ。ならば、愚直に従うのが我らの流儀」
「感謝する」
頭を下げるギルミに、ニケーアは首を振る。
「それに、これは好機でもある。我らの揺るがぬ信頼を示すのに、これ以上の機会はあるまい」
腕を組み堂々とした態度を取るニケーア。その視線は強くギルミとブイにも問い掛けていた。王を信じるのなら、行動で示さねばならないと。
「……その通りだな」
ギルミの言葉に、ブイも頷く。
ガンラ氏族の命運を背負う英雄ギルミ。同じく勢力が衰微した後、生き残りの道を探るオークを率いるブイ。それぞれに抱える事情はあれど、ゴブリンの王を必要としていることには違いはない。
それはニケーアにしても同様だった。
人間の勢力を打ち払わねば、彼らに未来はない。個人の感情を論じている場合ではないのだ。
「準備が整い次第、総攻撃を掛ける。先陣はニケーア殿に頼む」
その夜、ギルミ率いるゴブリン別働隊は植民都市を落とすことに成功する。主力を引き抜かれた植民都市では、最早ゴブリンと亜人の連合軍に抗する力はなかった。
◇◇◆
ハルピュレアの伝令による植民都市陥落の報せを待つまでもなく、ゴブリンの王は本隊を率いて東へ向かっていた。
ギ・ザーによる植民都市を落とす策を信じたゴブリンの王は、植民都市は落ちたものと考えて軍を進めた為だ。
途中村々を通過する際には、足の速い牙、人馬の両一族を使い、包囲してから占領するという念の入れようだった。
東に軍を進めながらも、南と西の情勢を探るのにも余念がない。植民都市から出てくるであろう軍を討つ為と、南から来るであろう援軍の様子を探る為である。
軍を動かして1日が過ぎようとする頃、東に派遣していた暗殺のギ・ジー・アルシルが帰還を果たす。西都の情勢を探るという重大な任務を確実にやり遂げ、王に成果を持ち帰ったのだ。
「人間の都市で一番大きなものは、低い城壁があるばかりです」
強襲すれば、これを落とすのは容易であるとギ・ジー自身は判断していたが、それは口に出さない。王に余計なことを言い、その判断を曇らすことを恐れた為だ。
事実だけを淡々と告げるギ・ジーは、最後に南から大勢の人間が西都に入ったことを告げた。
「南からの援軍か……」
良くやったと声を掛ける王に一礼して、ギ・ジーは立ち去る。
「あまり時間は掛けられんな」
各個撃破するしかないとゴブリンの王は判断し、偵察に更に力を入れるようゴブリン達とハルピュレア達に命じる。本隊を更に東へ前進させ、人間との決戦の為に備えさえる。
「ギ・グーは避難している筈だが」
唯一気がかりなのは、負傷兵と共に別行動を取っているギ・グーだった。動けない者達の治療が終わり次第、西へ向かう手筈になっている。人間が向かう経路には入らない筈だが、戦場では何が起きるか分からない。
植民都市に籠っていた人間の勢力は決して大きくはないだろうが、負傷者を抱えたままのギ・グーでは些か分が悪いだろう。
だが、今更東へ向かって合流させるとなれば、それだけで西都を攻撃するのに時間が掛かってしまう。無事でいることを信じるしかないと考えて、王は視線を東へ向ける。
西都まで、最早1日半の距離にまで迫っていた。
◇◇◆
「ギ・ゴーどノ」
雪鬼の少女ユースティアが、剣神ギ・ゴー・アマツキを拙い言葉遣いで呼び止める。
「む?」
振り返れば、後ろに続く雪鬼達との距離が大分離れている。
「すマぬが、速度ヲ落とシテ、ほしイ」
彼女は己の無力を恥じ入るように、申し訳なさそうに提案する。
「ギ・ゴーさん。急ぎ過ぎだと思いますよ」
息を弾ませて追い付いたヨーシュの言葉に、ギ・ゴーはバツが悪そうに頷いた。
「済まぬ。気が急いていたようだ」
ギ・ゴーは先を急いでいた。散々北方軍を振り回した後、一族は雪深い山脈の奥地へ避難していた。そしてヨーシュとユースティアと雪鬼の一族の中から選抜された精鋭30名を伴って南へ向かっていたのだ。
北方軍相手の遊撃戦は一定の成果を収めたと言って良い。少なくとも雪鬼の一族が、ある程度余裕を持って冬を越えられる程度の蓄えは確保出来た。
その戦術の立案をしたのはヨーシュであったが、彼が思い描いていた以上の成果を上げられたのはユースティアの指揮が巧みだったのと、彼女を崇拝する雪鬼達が命令に忠実に従った為だった。
ガランドがゴーウェンの救援に間に合わなかったのも、彼女らの奮闘の成果と言って良い。思うように物資が集まらず、その対応に苦慮していたのだ。
ガランドが北方を出発するのと前後して、ギ・ゴー達も活動を終了して南下を始めていた。丁度北方軍がリィリィの指揮下へと入り、雪鬼の遊撃に対処し始めた為だ。
リィリィの指揮する北方軍は、堅実な手段で彼らの遊撃戦を防ごうとしていた。
村々の防壁をより強固なものとし、巡回する兵士の数を増やす。
更に北方軍の駐屯している北都から、村々に兵士を派遣した。村落の護衛を兼ねた派兵は、遊撃戦を封じる手としては堅実だった。
その対処の手堅さは、遊撃戦の提案者であるヨーシュが苦笑してしまう程だった。幾ら雪鬼達が機動力に優れ個々人が強くとも、彼らは未だ若い。これから雪鬼の一族の将来を背負わねばならない彼らに、無理をさせるのは村の長老達も反対だった。
遊撃戦の限界とガランドの出征。それらが相まって、ギ・ガーの南下が実現した。平原で生きる人間と比べて、山脈を駆け巡る雪鬼の一族は実に健脚である。
それでも僅か30名。ガランドや居残りの北方軍に見つかっては一溜まりもない。従って、その移動経路は慎重の上に慎重を重ねられた。
結果、導き出された経路は以前ギ・ゴー達が雪の神の山脈へ向かった山道だった。それを全力で南下している。選ばれた30名の中にはユグラシルの山脈から出たことのない者も含まれていた為、最初こそ物珍しそうに周囲を見回していたが、段々とその余裕が無くなっていく。
デューク級となったギ・ゴーの脚力に付いていけなくなっていたからだ。
荒い息を吐き出す少年少女達だったが、誰一人泣き言を言わずユースティアの為に力を振り絞る。数こそ少ないが、強力な一団が南を目指して走っていた。
◇◇◆
負傷し意識を失ったゴーウェンを迎えた西都の狂騒は、筆舌に尽くしがたい。
特に領主軍の動揺は、絶対的な指揮官とその副官の不在によって混迷を極めていた。ある者は徹底抗戦を叫び、またある者はゴーウェンの身柄だけでも退避させるべく脱出路の確保に血道を上げる。
騎兵隊長であったコルセオが生きていたなら、或いはこの混乱は無かったかもしれない。
一人一人は有能な小部隊の指揮官ではあっても、全員を纏められるだけの実力と器量を兼ね備えた、軍の中核となるべき人物の不在が西方軍を混乱の坩堝に叩き落としていた。
ゴーウェンが不在の領主軍の動揺は、すぐさま西都で暮らす領民にも伝わった。さりとて彼らに取れる選択肢はそう多くない。
裕福な商人は荷を纏めて別の都市に逃れようとしたが、徹底抗戦を叫ぶ兵士によってその移動を止められる等、都市全体に混乱が波及し始めていた。
結局、その混乱は南から援軍として駆け付けたシーヴァラ率いる南方軍の到着まで続いたのだった。
その渦中に植民都市と西都との間に狼煙が上がったとしても、誰もが混乱のためだろうと気にも留めなかった。
「王都への危急を知らせる使者は出したのだろうな?」
未だ意識の戻らないゴーウェンに変わり、両断の騎士シーヴァラが西方軍の指揮を執る。そのシーヴァラの質問に、ゴーウェン旗下の幕僚達は揃って顔を俯かせた。
その後、早急に王都、南都、北都に使者が送られゴブリンによる脅威が既に抜き差しならぬものになっていることが漸く周知される。
だが、王都のアシュタール王がその事実を知り、兵を整えた時、ゴブリンの王は既に西都を目前に収めていたのだった。
北方軍を破り、進路を南西に取ったゴブリンの王は植民都市から1日程の距離でユアン率いる植民都市軍を破った。ガイドガ氏族を率いるラーシュカや先頃進化を果たしたギ・バーなどの奮闘により植民都市軍を打ち破り、その軍勢を西都に追い払う。
逃げる人間の兵士達を追い、ゴブリンの王は着実に軍を西都へと進めていた。
ゴブリンの王率いるゴブリン勢800。対する人間の勢力は相次ぐ兵の逃亡により、その数は800を切っていた。西都に迫るゴブリンの軍勢を見て、シーヴァラは尖塔の上で唸った。
「随分統率が取れているな」
革鎧を身に付け、手にする槍の長さも均一なゴブリン軍の先頭は粛々と進んでいる。ゴブリンの王の軍勢で先頭を任されたのは、ギ・ヂー・ユーブ率いる軍だった。
その一糸乱れぬ整然とした行軍に、シーヴァラは自身の常識が音を立てて崩れていくのを感じずにはいられなかった。
「……人間よりも、強い兵士共か」
暫くその行軍を見守っていたシーヴァラだったが、その中に一際目立つ黒いゴブリンを発見すると、目を細める。
「あれが、群れの頭」
金色の髪を掻き上げると、苦笑する。
「魔物狩りはガランドの得意分野の筈なんだけどなぁ……。これはもしかして、貧乏籤を引いたのは僕かな?」
ぼやくと同時に、口元には苦い笑み。南で書類の山に埋もれるジゼを、ほんの少しだけ羨ましいと思ってしまう。
「……だがゴーウェン殿が指揮を取れない今、誰かがあの魔物を止めねば西都は一溜まりもない」
西都の民の中で避難することが出来たのは、有力な商人達だけだった。シーヴァラ到着後、混乱の収まった西都からいち早く脱出し王都へ向けて逃げ出していた。
職も蓄えもなく、西都の地を離れては生きていくことさえ覚束ない者達は、そう簡単に西都を捨てることができなかったのだ。
それ故に、シーヴァラは難しい判断を下さざるを得ない。
不利だと分かっていても、打って出る以外に選択肢はない。西都の城壁は低く、敵を防ぐなどということは不可能だった。
彼が民を守る聖騎士である限り、自国の者達を守る義務がある。
「皆を集めよ。軍議だ」
ゴーウェン配下の中隊長、植民都市の守備隊長ユアン、そして南方軍の将を集めて行われた軍議でシーヴァラの提示した作戦は、壁外での会戦であった。
「先ず僕が、南方軍のみを率いて外に展開。ゴブリン達の攻撃を受け止めている間に、西方軍はゴーウェン殿を脱出させよ」
普段通りの優男然としたシーヴァラから軽い口調で告げられた作戦は、彼の飄々とした態度とは全く逆の過酷なものだった。
それも、最も危険な役割を自らの南方軍のみでやると言い切ったシーヴァラに、西方軍の指揮官達は言葉を失う。
「そんな!? シーヴァラ殿を失っては、この先王国の守りに支障を来たします! ここは私が!」
名乗り出たのは、ゴブリンの姦計に嵌り植民都市を失ったユアンだった。
「魅力的な提案ではあるけれど、君ではあのゴブリン達には勝てないだろうね」
「しかし……!」
「まぁ、見てなよ。両断の騎士の本領発揮というところさ。というわけで、南方軍には厳しい任務になる。宜しく頼むよ」
「御意!」
胸を叩いて同意を示す南方軍の小隊長。
ゲルミオン王国にいる7人の聖騎士の内、兵士から人気があるのは統率に優れる歴戦のゴーウェン。
次いで、聖女を奪還した英雄ガランド。そして意外なことに両断の騎士シーヴァラだ。
ゴーウェンのように威厳がある訳でもなく、ガランドのように特別な功績がある訳でもない。それでも、シーヴァラは若い兵士達に人気があった。それは彼の自由な振る舞いが、広く共感を呼んでいたからである。
夫婦仲を裂く両断の騎士などと呼ばれはしても、それは悪意の無い綽名なのだ。彼は決して兵士に無意味な危険を冒させることはしなかった。親しみのある上官として、ゴーウェンやガランドとは違う人気を集めているのが彼だった。
その彼が、南方軍は厳しい任務になるという判断を下した。
「三段の縦横陣を取る。槍兵、騎馬兵、弓兵と魔法兵の順だ」
西都の周囲は凹凸の少ない耕作地域である。
未だ収穫を終えていない春麦の穂が、青々とした穂を実らせていた。
風は南から北へ。麦穂を渡る一陣の風が、西都を前にして対峙するゴブリン達と人間との間を吹き抜ける。
「……まぁ、やらないよりはマシか」
鎧に身を固めたシーヴァラの合図に合わせて、西都から狼煙が上げられる。
「間に合ってくれよ」
鉄製の兜を被り直すと、体格の良い騎馬に跨る。額にも一つ目がある三つ目馬という種類の魔獣だった。
「槍隊、構え!」
南方軍の穂先が、ゴブリン達を貫こうと陽光に反射して鈍い光を放つ。
「騎馬隊、突撃準備!」
ゴブリン達の陣形を見れば、こちらを囲い込むように左右の翼を広げている。目標である群れの頭はその中央。
「さて、南方軍の戦術を見せてあげよう! 槍兵、密集隊形!」
防御を固める槍兵達は、大盾の影に体を隠し、長槍を構える。
「先ずは防御だ! 槍隊、一歩前へ!」
こうしてゴブリンと人間による西都争奪戦は、シーヴァラの号令により開始された。
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