ピエーナ平原の激突Ⅰ
一戦を終えたゴブリン達は怪我の治療と休息を取っていた。だが、その中でも動き続ける者達がいる。ギ・ジー・アルシル率いる暗殺部隊がそれだ。
斥候と偵察が主な任務である彼らにとって、戦の終わりは新しい戦の始まりと言っても過言ではない。
ハルピュレアは夜目が効かない。昼間の偵察と案内は彼女らに任せるとして、夜は彼らの時間だった。
南へと移動したゴーウェン率いる西方領主軍の足取りを追って、彼らは広い平原に展開している。周辺の地理を調べ上げ、敵の様子を探るのがゴブリンの王から言い渡された彼らの使命だ。
ゴーウェン率いる西方領主軍は戦の疲れも見せず、粛々と野営準備を進め、隙のない陣地を構築して夜を過ごす。
丘陵地帯を抜け、平野部へと進んだ西方領主軍はそこに陣地を構える。周囲の草を刈り取り、濠と柵を作る。交代での見張りを置き、休息へ入っていた。
しかし、戦に慣れない新兵が殆どのゴーウェンの部隊は昼間の興奮をそのままに、語り合わねば気が済まないとでも言うように天幕の中で自分の手柄を吹聴する。
だがそれも、闇の女神の翼が辺りを包み込む頃には寝静まっていた。
ギ・グーが攻めるのに苦労すると判断した陣地だったが、ギ・ジー・アルシルもまた、この陣地を厄介だと思っていた。何せ周囲の背の高い草を刈り取られてしまっている。
いくら闇夜に紛れているとはいえ、巡回の兵士は明かりを持っているのだ。地面を這って近付くにしても、草が有るのと無いのとでは全く違う。
「忌々しい……」
小さく呟くと周囲の偵察を終え、ゴブリンの王の下へ帰還しようとして、ふと蠢く影が視界に入る。
前を横切る影は、ゴブリンにしては細い。
闇の中、注意深くその影を見る。どうやらギ・ジーに気付いていないようで、すぐさま立ち上がると草を掻き分けながら丘陵地帯へと向かって行く。
「……」
無言のまま、その影の後ろを尾ける。黒い衣装に身を包んだそれは、人間のようであった。
人間ならば容赦することはない。
ギ・ジーは短剣を抜くと、星々の光で相手に気付かれないように、得物を背に回して影に迫る。
交差は一瞬。
「……ぐッ」
後ろから襲い掛かられた人影はギ・ジーの一撃で首を断ち切られ、僅かに声を上げてその場に崩れ落ちる。その人影が完全に息絶えたのを確認して、ギ・ジーは衣装を剥ぐ。
暫くその衣装と人間を見比べていたギ・ジーだったが、目ぼしい物が何もないのを確認すると、今度こそ王の居る丘陵地帯へ向かった。
◆◇◆
火の神の時間は過ぎ去り、夜の神の時間がもうすぐやってくる。西日が差す城壁の上にはゴブリンの襲撃を警戒して、指揮官であるユアンを始めとした守備隊がいた。
魔獣の遠吠えが外壁の外から聞こえる。しかもその数は日を重ねる毎に増えており、外堀を挟んで聞こえる魔獣の遠吠えは今や10や20では効かないだろう。更にその魔獣の遠吠えが聞こえて来るのが、段々と暗黒の森側から離れた場所へ移動しつつあるということだ。
暗黒の森と向かい合う西側の濠は、ゴブリンらの工作により半ば埋め立てられつつある。だが、他の濠に関しては未だ健在だ。
攻めて来るなら正面からだという予想はあるが、それが絶対というわけではない。
今までは正面から攻めて来ていたが、魔獣の遠吠えの事も含めて、決して無理な攻めをしないゴブリン側の対応にユアンは言い知れぬ不安を感じていた。今植民都市には500の兵士と100名の冒険者が戦力として数えられている。
だが、広大な植民都市の外壁を僅か600の兵力で守るなど実質的に不可能だ。
ではどうするか?
無論、全てを完璧に守れない以上、重点を置いて守るしかない。それが今までは西側の城壁だったのだが……。
「魔獣が南へ移動して来ている」
ユアンは西側の城壁の上に陣取りながら思考を巡らせる。
「陽動か、或いは攻勢の為の移動。どちらとも取れるが……」
森から攻めてくる以上、西側の城壁が最も近い。城門があるのは西側と東側の二か所のみだ。攻めて来るなら、どちらかということになる。
少なくとも人間相手の戦争なら、そう考えて良い。
だがそれも、昨晩の攻防で考えを改めねばならなくなった。亜人の存在だ。蜘蛛脚の亜人が夜の闇に紛れて、殆ど垂直に聳える外壁を苦も無く登ってこようとしていたのだ。
寸でのところで矢を射かけて撃退したが、あのような特異な力を持つ者達がいる以上、決して南と北側の防御を疎かにするわけにはいかない。
だが、外堀を埋め立てられているのは西側のみ。
この事実は大きい。
それに何より、この植民都市は西方領主ゴーウェンの助けが来るまで維持出来ればいいのだ。
「西側の守備を今まで通り重点配備とする。他の方角は巡回に留めよ!」
間もなく夜が来る。
魔物達の時間がやってくる。
弱気になろうとする自分の心を叱咤すると、ユアンは守備兵達に声を掛けた。
「今宵も奴らを撃退し、勝利を謳おうぞ!」
「応!」
未だ植民都市に陥落の気配は無い。
◆◆◇
平原に野営陣地を構えたゴーウェンは、昨晩放った諜報用の兵士が屍で発見されたのを知らされて舌打ちした。付近には争った形跡もないことから、気付く間もなく魔物に殺されたと見るべきだ
「まさか、諜報にまで手を伸ばしているとはな……」
ゴーウェンの育てた貴重な諜報の兵士だったが、今更悔やんでも仕方がない。
「……軍を動かす。騎馬隊を斥候として四周に出せ」
「ですが、領主様。ここは一旦西都へ戻るのも手では?」
中隊長の言葉に、ゴーウェンは首を横に振る。
「いや、それは出来ない。奴らとはここで決着をつける!」
西都に戻り態勢を立て直すという選択肢を、ゴーウェンは敢えて捨てた。
第1に食料の問題があった為。
第2に、ゴブリン側がゴーウェンの予想を超えて植民都市を素通りするという行動に出た為だ。
その為、ゴーウェンはゴブリンの王とその軍勢との対決を平原で強いられることになってしまった。本来なら植民都市を攻めて疲弊しているゴブリンを掃討するのが理想であった筈が、ゴブリン側が軍を二つに分け平原に進出するという行動に出た為、当初の計画を大幅に見直さなければならなくなった。
この状況で平原まで進出したゴブリンの群れを討たねば、西都を直接狙われる危険がある。更には、西都周辺の村々がゴブリンの手に堕ちることも考えられる。
そうなれば、農家の二男三男を徴兵して訓練を施した兵士を主体とするゴーウェン軍の士気は、壊滅的なまでに下がるだろう。
ゴブリン側の行動によって、領民を治める領主として、または軍を率いる聖騎士・将軍として、ゴーウェンは二重の意味で戦場を限定されてしまったのだ。
「奴らの位置を特定次第、ゴブリンどもを挑発する! 戦車隊の準備を急げ!」
各部隊の中隊長と小隊長に命じると、自身は歩兵を率いて平原に布陣する。
「ここがゴブリンどもとの決戦の場所と心得よ! 奴らをここで倒さねば、西方は奴らの狩場となるであろう!」
威風に打たれる各級指揮官達を部隊に戻し、ゴーウェンは斥候の情報を待った。
斥候からの情報が上がってきたのは半刻後だった。
「敵は丘陵地帯を抜け、こちらに進軍中!」
腰に吊るした長剣を抜き放ち、ゴーウェンは全軍に号令を掛ける。
「全軍、縦深陣を取りながら前進!」
◆◆◇
王に率いられたゴブリン達は初戦の敗北など無かったかのように士気高く、ゴーウェン軍に向かって夜も明けぬ内から行動を開始していた。
ギ・グーら幹部級のゴブリンに率いられる時でも、ゴブリン達の士気は決して低くはないが、王自らが率いる時、ゴブリンの士気は嫌が応でも高まる。
亜人、妖精族も含めて総勢1500。彼らが夜を過ごしたのは丘陵地帯である。
平野部から見れば、その軍勢を展開できる地積は少なく、出来ても地形に遮られ指揮をするのは困難であった。夜の内に戻ったギ・ジーの報告に王は決断を下し、夜も明けぬ内から移動を開始したのだ。
翼有る者を使い、西方領主軍の位置を的確に確認し、それに向かって一直線に進む様子は獲物を見つけた巨大な肉食獣を彷彿とさせた。
丘陵地帯を抜け平野部へ入ると、王は軍を停止させ同時に陣形を組んだ。
この先に人間の軍がいる。
それが分かったからこそ、王は一度各デューク・ノーブル級ゴブリン達を集めていた。
「中央にギ・ヂーの軍。その左右にガイドガ氏族とギ・グーの軍とする。最左翼には人馬と牙の鉱石の末の部隊を配置。最右翼にはパラドゥア氏族を」
簡単な略図を書いて説明をする王に、種族の別なく見入る。
「妖精族、ギ・ザーのドルイド部隊、ギ・ガーの部隊、そして俺直轄の部隊はギ・ヂーの後方に付く。最後尾には、ギ・ジーの部隊とハルピュレアだ」
「真正面からぶつかるということですな、我が君」
王の示した陣形を見ながら、ギ・ヂー・ユーブが確認する。
「そうだ。我らが磨いた力、今ここで人間達に通用せぬようなら、この先の覇道は無い!」
その言葉に、亜人・妖精族との戦いに参加した者達は身の引き締まる思いだった。
血を流して得た教訓。修羅場を潜り抜け得た力。
決して人間に負けるものではないと、今ここで証明せよとゴブリンの王は言ったのだ。
「王のご命令とあらば、如何なる敵も打ち破ってみせましょう」
ギ・ガーがその場にいる全員を代表して宣言すると、王は立ち上がり黒緋斑の大剣を地面に描いた略図に突き立てた。
「さあ、我らの覇道を始めるぞ!」
咆哮を以って解散の合図とし、彼らは己の指揮する部隊へ戻って行った。
1刻の後、ゴブリン軍は陣形を整え平野部へ進出していった。
◆◆◇
「ゴブリンが見えたぞ!」
騒ぐ兵士の声に、騎馬に乗ったゴーウェンは目を細めて平原の彼方を見据えた。
草原に沸き立つ土煙。鳴り響く地響き。肌に感じる空気でさえも、温度が上がったかのように感じる。
「来たか、魔物どもめ。しかも堂々と!」
近づくにつれて明らかになる、ゴブリン達の陣形。
縦深陣を取ったゴーウェンと対するように、ゴブリン軍もまた縦深陣を取っていた。
「……下手な小細工は無用、か」
ゴブリン達が己の力を信じるのと同様、ゴーウェンもまた人間の力というものを信じていた。昨日の今日で兵士の士気は高く、更に戦車隊や騎馬隊の力を発揮しやすい平原での戦い。
地形を利用した戦いなら、人間側に有利という計算もある。
「貴様らがそのつもりなら、その野望打ち砕いてくれよう」
その行動一つ一つに、ゴブリン側の意図が透けて見えるようだった。
人間族を超える。その意図を感じられたからこそ、ゴーウェンは真っ向勝負に出た。
聖騎士としての誇りが、ゴーウェンを突き動かす。
「ここで退けば我らに未来はない! 我らの家族にも未来はない! 自身と家族を守る為、死力を尽くせ!」
『応っ!!』
歩兵を率いるゴーウェンの檄に、歩兵達の意気は高まる。
「前衛軍、前進!」
ゴーウェンは数の多い歩兵を2段に構えていた。
前衛軍、後衛軍。
横一列となった彼らが軍の主力となって、ゴブリン側に当たる。ゴブリン側と異なるのは、それがゴーウェン指揮下で完全に統率された部隊だということだ。
ゴブリン側が氏族や特色のある部隊を並べて、横一列の縦深陣を取ったのとは対照的だった。
故に、指揮をするゴーウェン側からは敵の力を測る目安にもなる。
ゴーウェンの号令に従って歩兵500が前に出る。
対するゴブリン側も、陣を組んだまま前進速度を緩めようとはしなかった。
「奴らに我らの力を示すのだ! 我が君の御前で無様な姿を晒すな!」
ゴブリン側で中心となったのはギ・ヂー率いる中央の部隊だった。
槍兵を中心とし、統一された装備で身を固めたギ・ヂーの部隊にはレア級ゴブリンが数多く位置されていた。
「人間、どモに、血の復讐ヲ!」
“獰猛なる腕”のギ・バー、“神域を侵す者”ギ・アー、“遠征者”ギ・イー。未だノーブルに達していないゴブリンは戦鬼ギ・ヂー・ユーブの指揮下に入っていた。
中でも最も士気が高かったのは、人食い蛇のスキルを持ったギ・バー、そして“傷モノ達”の中にいる片腕のギ・ブーである。
ギ・グーらを第1世代のゴブリンとしたとき、第3世代と言っていい彼らは、直接人間の侵攻を受けた世代だった。聖騎士や冒険者達の襲撃を受け、刻み込まれた恐怖と憎悪。
真の黒の加護を受けた彼らは、人間に対する憎悪が死への恐怖よりも勝っている。ゴブリンの中で絶対者たる王の言葉さえ、時に耳に入らないかのように目の前の敵に向かって行こうとしていた。
「減速、しないようだな」
前衛軍を進ませつつ、ゴーウェンはゴブリン軍の様子を観察する。
人間同士の戦いなら軍がぶつかり合う前に一度減速して隊列を整え、呼吸を合わせるのが定石である。
「……ふむ。焦っているのか? それとも、歯止めが効かないのか」
一見士気高く見えるゴブリンの陣営にもゴーウェンが知らない弱点があるのかもしれないと見越し、次なる命令を下す。
「前衛軍、停止して防御陣形!! 後衛軍、前進し槍衾を構えよ!!」
未だ前衛軍とゴブリン側の距離は1キロメートル以上ある。この距離なら魔法も届かないし、弓も遠い。そう判断したゴーウェンは、歩兵全軍に防御陣形を取らせる。
相手が無理に押してくるようなら、その勢いと真正面から当たるのは愚策。
その判断から、ゴーウェンは当初守勢に回ることを決断した。
勢いの衰えないゴブリンの軍勢は速度を緩めるどころか、益々加速して向かって来る。咆哮を上げるたびに興奮が高まっていくのか、部隊ごとの隊列などお構いなしに人間の部隊目掛けて走る。
「衝撃に備えよ! 最初の衝撃さえ耐えれば、後は勝てるぞ!」
ゴブリンの軍勢のバラバラな動きに、ゴーウェンは声を張り上げた。
「弓隊、魔法隊、射撃用意!」
少しでも激突の衝撃を減らす為、援護射撃をさせるべく後方に控える部隊に指示を出す。
衝突まで残り200メートルを切った所で、ゴーウェンは射撃の合図を送る。
「撃て!」
弓から放たれた矢は、曲線を描いてゴブリンの軍勢に降り注ぐ。同時に、控えていた魔法部隊から炎弾や岩弾がゴブリンの先頭へと向かって降り注ぐ。
「何っ!?」
驚愕の声を上げたのは、指示を下したゴーウェンだった。
『天恵の風よ!』
風の妖精族の唱える風の防壁に矢の軌道は逸らされ、魔法はその力を失っていく。
「ゴブリンの影に隠れて、妖精族か!」
ゴブリン側の情報を殆ど得られなかったゴーウェンの誤算。ゴブリンの王が率いた軍勢の中にゴブリン以外の者が混じっているという事実が、ゴーウェンの指揮を僅かに狂わせる。
しかも、亜人ではなく妖精族である。
土煙を上げて迫る牙や人馬ならまだ分かる。人間の世界において、殆どの国で迫害の対象である彼らなら、人間憎しの感情でゴブリンと手を組むこともあるだろう。
だが、エルフとなれば話は別だ。
人間と対等とはいかないまでも、長い寿命を持ち魔法の扱いに長けたエルフは人間社会に溶け込みつつある。冒険者などの実力本位の世界では、既に受け入れられつつある種族なのだ。
それがゴブリンと共に人間に牙を剥いている事実。
「おのれっ!」
罵声一つでその事実を受け止めると、ゴーウェンは自軍の陣形に目を落とす。
目の前に圧倒的迫力で迫るゴブリン達を前にして陣形の再編に手間取っていた西方領主軍だったが、ようやくその再編を終えた所だった。
「来るなら来い! 平原での戦術を教えてやろう!」
針鼠のように密集隊形を取った、ゴーウェン指揮下の歩兵軍。
「騎馬隊、前進! 敵の獣乗りを蹴散らし、奴らを半包囲せよ!」
同時に、後方にいた騎馬隊にも出撃を命じる。
「出番だぞ! 奴らの血でこの大地を染めてやろう!」
若き小隊長は騎馬隊を率いて加速して行く。目指すは、ハールー率いるパラドゥア氏族だった。
「全軍に、突撃を命令するぞ」
黒緋斑の大剣を肩に担いで走る王の言葉に、ギ・ザーが敢えて問う。
「戦列が乱れているようだが?」
「構わぬ。奴らに俺達との力の差を見せつけてやろう」
「ならば良い……。ギ・ドー! ドルイド達に攻撃の準備をさせろ! 本体の突撃と同時に放つぞ!」
にやりと笑うと、ギ・ザーはドルイド達の指揮に戻る。
ゴブリンの王は胸いっぱいに空気を吸い込み、己の内で燃え上がる気焔そのままに前を見据える。
「全軍、突撃ッ!!」
王の咆哮に応え、ゴブリンの王の軍勢全てが狂乱の如く吼えた。
次回更新は20日予定