ピアナ丘陵の戦いⅡ
ギ・グー・ベルべナの長剣が左から、同じく右からは斧がゴーウェン・ラニードを襲う。だが、余裕を持って長剣を受け流すと、体を沈めて斧の一撃も躱す。足のバネを利用して低く跳躍。
踏み込むと同時に突き出される長剣を、ギ・グーが何とか避ける。目の前をゴーウェンの長剣の切っ先が通り抜け、瞬時に引き戻される。
「ぬん!」
恐れを感じて退くわけにはいかない。ギ・グーはすぐさま自らの長剣と斧を引き戻して更なる攻撃を加える。しかし、余裕を持ってゴーウェンはその攻撃をいなし続ける。
唯一ゴブリン側が押していた中央の戦線で、ゴーウェンとギ・グーは熾烈な一騎打ちを演じていた。いや、熾烈な一騎打ちを強いられていたのはギ・グーであって、ゴーウェン自体はそれ程追い込まれているわけではない。
あくまで冷静にギ・グーの攻撃を避け、対処しているに過ぎない。決して無理をせず、相手の隙を突くという構えに徹しているゴーウェンを切り崩すのは至難の業と言えた。
ゴーウェンがこのような戦術を取るのは、彼我の状況による。
彼にしてみれば、この中央さえ凌げば勝利は直ぐそこにあるのだ。左右の戦線では最初こそゴブリンの勢いに押されていたが、今は完全な膠着状態を作り出すことに成功している。
丘の中腹では、補給部隊を使っての魔獣達の殲滅がもうすぐ完了する。
ゴブリン側の背後では、騎馬隊と戦車部隊による包囲がほぼ完成しつつある。
丘の頂上付近には敗走するゴブリンを追い討つべく温存していた魔法部隊と弓兵を待機させ、万全の態勢と言って良い。
ここでゴーウェンが唯一警戒しなければならない戦力であるデューク級ゴブリンを抑え込めば、ゴブリンらの体力は尽きて、このピアナ丘陵に屍を晒すのは火を見るよりも明らかだった。
焦っているのはギ・グーだった。
後ろには突撃を繰り返す騎馬隊。これを何とかしたいのに、目の前には無視することを許されない強敵の存在。背を向けた途端、こちらに襲い掛かって来るであろうことは醸し出す剣呑な雰囲気で分かる。
中央を攻めていたゴブリン達も、ギ・グーが抑え込まれていることによって徐々に勢いを無くし始めている。
左右の戦線に関しては言わずもがなだ。丘の上から走り降りて、それから戦いっぱなしである。消耗は激しく、勢いを期待するのは難しい。
部隊を動かして戦局を打開したいのだが、目の前の聖騎士はその指示を出す余裕を与えてくれない。ギ・グーが口を開こうとする度、その攻撃は苛烈さを増す。
じりじりと胸の奥を焼かれる焦燥に、ギ・グーはじっと耐えた。
ギ・グー率いるゴブリン側の先陣が辛うじて崩れないのは、先頭でギ・グーが戦っていることと、後ろからは王率いる本隊が迫ってきているという認識があるからだ。
レア級以上のゴブリン達は、声を枯らしてノーマル達を叱咤する。
「もウスぐ王の軍勢が来ル! ソの時ニ無様な姿を晒すナ!」
小部隊の指揮官を兼ねるレア級ゴブリン達の叱咤の声に、ノーマルゴブリン達が残り少ない体力を振り絞って攻勢に出る。
それが分かっているからこそ、ギ・グーは焦っていた。
己がここで聖騎士を倒せば、流れは一挙に逆転する。
双肩に掛かる重圧と、目の前に居る難敵の強さに焦りは加速するが、それを表には出さず、ギ・グーは再び剣を振るった。
◆◆◇
ゴブリンの王はギ・グーが発見し捕えた人員の尋問を終えると、すぐさま全軍でギ・グーの後を追わせる。経路については翼有る者に一任している為それほど心配ではないが、捕虜から得た情報に看過できないものが混じっていたのだ。
敵の兵力の総数である。その数凡そ1700。
誇張無しで考えた場合、ギ・グーと真正面からぶつかれば即座に敗北してしまう程の歴然たる差がある。
そうでなくとも、これから戦いを継続していかなくてはならない中で、歴戦のゴブリン達をこんな所で失うのは惜しい。
「間に合わせねばならんな。これからは迅雷の速度で進むぞ! 付いてこれない者は後から追い付けばいい!」
ゴブリン達の出せる最高速度を命じると、自身もパラドゥアの騎獣兵、人馬族、牙の一族に交じって先頭を走る。
「最後尾はギ・ガーに任せる!」
言い置くと全力を持って地面を蹴る。纏った緋斑大熊のマントが風に靡くが、そんなものを気にしている余裕はない。目の前には波打つような大地。空に一人のハルピュレアの姿を認めると、勢いを殺さないまま一気に加速した。
「我が君に遅れるな! 進軍!」
ギ・ヂー・ユーブの声に合わせて、槍を担いだゴブリン達が小走りに進む。
「我らの平原を取り戻せ!」
牙の族長ミドの怒声に、亜人達が声を揃える。
波打つような丘陵地帯を進み、ハルピュレアから敵と味方の位置を確認する。
「パラドゥア、人馬、牙の部隊はギ・グーを救え!」
先頭を走るそれぞれの部隊を展開させて、敵の騎馬隊を追い払うべく突進を敢行する指示を出す。
ゴブリンの王は後続の部隊を掌握し、追い付いてきたギ・ヂー、ギ・ザーの部隊と共に丘の上に陣取る弓兵達に狙いを定めると突撃の合図をした。
「進めッ!」
ゴブリンの王は腰から黒緋斑の大剣を抜き放つと、丘の上に陣取る敵に向かって突撃した。
◆◇◆
「ゴ、ゴブリンです! 西から新手が!」
悲鳴に近い報告を、ゴーウェンはギ・グーを抑えながら聞いた。
「後少しという所で!」
舌打ちすると、新たな指示を出さねばならないと目の前のゴブリンの攻撃をいなす。目の前の敵の殲滅に全力を尽くしている為、後方には弓部隊と魔法部隊しか配置していない。
接近戦になれば、どちらも一気に蹴散らされる恐れがある。彼らが蹴散らされれば、ゴーウェン達は挟撃に晒される危険がある。味方が一気に瓦解するのは避けねばならなかった。
だとすれば、一部を割いて防御に回さねばならない。或いは部隊の配置を変え、仕切り直すか。
一部を割けば、目の前の敵に更に時間を掛けることになる。
それは愚策とゴーウェンは判断する。ならば転進するしかない。
脳裏に周辺の地図を描き、最適な戦場を探す。
東への進路は目の前のデューク級ゴブリンが塞いでいる形だ。西への進路は新手がいる。と、なれば南北どちらかに進路を取らねばならない。
北には聳え立つ雪の神の山脈に続く林が至る所にある。大軍を展開させるのには不向きだ。南には、西側と南側を結ぶ道路とピエーナ平原がある。
「南への転進が妥当か」
「勝負の最中に考え事か!」
怒声と共に振り下ろされるギ・グーの長剣を力任せに弾く。今までにない反応にギ・グーは一瞬戸惑うが、更に懐に踏み込んでくるゴーウェンに向かって斧を振るう。
「死ねい!」
「甘いわ、ひよっこが!」
歴戦の騎士はギ・グーの斧を潜り抜け、足を狙った一撃を加える。あまりに近い距離に逃げることもままならず、ギ・グーは両足を切り裂かれ、膝をつく。
だが来たるべき追撃は、西から上がった咆哮によって遮られた。
「グルゥウゥゥォオオアアァアアァ!」
まるで天地を食らい尽くすような、圧倒的な咆哮。その聞き覚えのある声に、ゴーウェンは顔を顰めた。
「奴か!」
脳裏に浮かぶのは黒く巨大なゴブリンの姿。燃える黒き炎を操る冥府の鬼。
もはや目の前のゴブリンに構っている余裕などなかった。背後から迫ってきているのが先の王級のゴブリンなら、即座に指示を出して部隊を転進させねば危険だと判断する。
「騎馬隊と戦車隊にゴブリンを掻き回せと指示を出せ! 歩兵、後列から順に転進するぞ!」
ギ・グーに背を向けて、伝令に向かって叫ぶ。
「弓兵隊と魔法部隊は南へ転進しつつ、牽制射撃だ!」
「おのれぇ!」
向かって来ようとするギ・グーを鉄靴で蹴り飛ばし、ゴーウェンはゴブリン軍が半壊している左翼から南へ下げる。
如何にゴブリン軍が半壊しているからと言っても、遅滞無く後退することは前進よりも遥かに難しい。
だが、ゴーウェンはその難事を完璧なまでの統率によって、やってのけた。
弓兵隊の援護射撃の下にギ・グーの部隊の攻撃の勢いを殺し、そこに左翼右翼中央のそれぞれの戦線で一気に攻勢に転ずる。
甲羅に籠る亀のように防御を固めていた人間側からの思わぬ反撃に、ゴブリン達は慌てふためいてしまう。それを尻目に、一気に部隊を後退させたのだ。
左翼、右翼、中央の順に南へ進路を取らせると、戦車隊と騎馬隊に後方の撹乱を命じる。
追撃しようとしたゴブリンに丘陵地帯を駆け回る騎馬兵達の槍が襲い掛かり、容易に追撃を許さない。
また、新たに出現したゴブリン側に対しても温存していた魔法部隊の力を持って弾幕を張ると、補給部隊と共に一気に後退させる。
そのあまりに見事な後退に、ゴブリンの王を始め、ギ・ヂー達も追撃を断念する他なかった。
◆◆◇
ゴーウェン指揮下の殆どの部隊が順調に後退していたが、一部では衝突も起こっていた。最後尾でゴブリン軍を撹乱していた騎馬隊とパラドゥア騎獣兵の間には散発的にだが、激しい戦闘が起こっていたのだ。
「このまま敵を逃がしてなるものか! せめて同朋の仇を取らん!」
若きパラドゥアの族長ハールーの指揮の下、鉄脚の100騎を率いて人間の騎馬隊に勝負を挑む。
「ゴブリン風情が、西方騎馬隊の脚力について来れるか!」
若き小隊長も血気盛んである。今まで散々蹴散らしていたゴブリンなど恐るるに足らずと言わんばかりに。馬首を返して迎え撃つ。
「我が槍の誉れとなれ、人間!」
「すり抜けながら叩き落としてやれッ!」
ハールーと小隊長が先頭を切ってぶつかり合う。すれ違いざまに互いに一撃を加えると、彼らに従っていた騎馬兵達も同様にすれ違う。
互いに円を描くように旋回運動をすると、再び槍と突撃槍がぶつかり合う。
「チッ、埒が明かん! ゴブリンなどに!」
歯噛みする小隊長に、古参兵がゴーウェンからの指示を伝える。
「撤退か……! おのれッ!」
三度目の激突を前に、騎馬隊は南へ進路を取る。
「人間の騎馬隊……やるではないか」
戦場の興奮に身を包みながら、ハールーはギ・グーの下へ戻る。これ以上の追撃は無意味と判断しての撤収だ。
こうしてゴブリン対人間のピアナ丘陵での戦いは幕を閉じることになった。
ゴブリン側の被害100。人間側の被害50。
殆ど完全に包囲された状態から人間に被害を与えているゴブリン側も凄まじいが、この戦でギ・グーは重傷を負い、彼の率いる南方出身のゴブリン達は5匹に1匹が死傷者として数えられることになる。
優劣を決めるとするなら、人間側の勝利と言うべき戦いであった。