策動
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ゲルミオン王国を守護する聖騎士の中で、南を担当するのは両断の騎士シーヴァラと隻眼の騎士ジゼである。彼ら二人は共同して南から迫るクシャイン教徒を退け、更には難民の受け入れを行っていた。
「難民の受け入れもやっと一段落着いたけど、この書類の山をどうしよう? ジゼ、僕はお腹が痛いから病欠ということで──」
「──無論、承知している。貴公が口ではそう言いつつ、しっかりと仕事をする男であることは拙者先刻承知である」
「それは良いんだけど、刃を喉首に突き付けながら喋るというのはどうだろう? 一歩間違えば死んでしまうよ」
「何の何の。シーヴァラ殿なら、この程度避けるのに不自由はないであろう。ほれ、このように!」
喉に突き付けられていた刃がシーヴァラの喉を貫くべく突き出されるが、間一髪回避が間に合った。背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、シーヴァラは口を開く。
「……何か不機嫌になるようなことがあったのかな?」
「何の何の。拙者は仕事に個人の感情を持ち込まぬ主義。拙者が難民受け入れの書類整理に汲々としている中、勝利の宴と称して兵士達と騒いだり、拙者が目を掛けていた従士を引き抜いて行ったり、折角の一騎打ちの機会を横から掻っ攫われたり、果ては拙者が気になっていた花屋のチェン殿と親しく口を利いておったり……。拙者ちっとも気にしておらん」
心当たりの多過ぎるジゼの言葉に、シーヴァラの目は泳ぐ。
「さあ、シーヴァラ殿」
差し出される剣先に、シーヴァラは気圧された。
ジゼは今年30の半ばを迎えた男盛りである。気力は充実し、二つ名ともなった片方の眼には髑髏の意匠を施した眼帯をしている。ゴーウェンには及ばないものの、歴戦と言って差し障りないその戦歴を物語るように幾つもの傷跡を残す顔は、今これ以上ない程に笑顔である。
東方由来の曲刀を使い、その体躯は並みの兵士よりも頭一つ分高い。気の良いおじさんと見間違えそうなその笑顔は、明らかに顔の筋肉だけで笑っているものだった。
対するもう一人の南方の将であるシーヴァラは今年29を迎える若手の聖騎士である。ジェネには及ばないものの、王国の小貴族の家に生まれた彼は食べていく為に軍に身を置いた。美男と評される整った顔立ちに、王国では人気のある金色の長髪。
その大らかな性格も相まって、聖騎士の中でも女性人気は1、2を争う。
“妻と娘を持つ夫達の天敵” “夫婦仲を裂く両断の騎士”などという不名誉な綽名と共に、王都を始め赴任先の各都市で浮名を流す伊達男である。
「分かった、分かったから! 物騒な物はしまって欲しいな。ちゃんと仕事はするから。それと花屋のノーアには未だ手を出していないから無罪だよ!?」
「うぬ!? 拙者とて名前で呼んだことがないというのに!」
ジゼの細められた目の奥から、怒りの炎がチロリと燃える。
「わ、わ!?」
再び突き出される曲刀の切っ先を、シーヴァラは必死に避けた。
「ぬぅ……。やはり睡眠不足であるな。剣筋が鈍っておる」
「そ、そのようだね。睡眠不足は実力の発揮の大敵だよ」
昨夜もぐっすりと眠ったシーヴァラは、笑顔のまま向けられたジゼの視線の冷たさに身震いする。
「では、拙者は三日ぶりの睡眠を取らせて頂く。間違いなく仕事は完遂されよ。シーヴァラ殿」
「勿論さ」
「そのようなことはないと愚考するが、万が一拙者が起きた時、仕事が一向に進んでいない場合は……」
いつの間にか鞘の中に収められていたジゼの曲刀がゆらりと抜かれる。部屋に入る日差しを反射して妖しく煌めく曲刀の輝きがジゼの顔を照らす。
まさに生ける悪鬼そのものの表情で笑うジゼの姿がそこにあった。
ゆらりと、幽鬼さながらの歩調で部屋を出て行くジゼの姿にシーヴァラは溜息をついた。
「真面目過ぎるんだよなぁ。どうにも」
それはそれとして、目の前に積み重なった仕事を何とかせねばならない。
「僕って不幸体質だなぁ……っと」
腑抜けたような顔をして1枚、2枚と書類を片付けていく。そして5枚目に差し掛かった時、一瞬にしてシーヴァラの顔色が変わった。
「援軍要請……ゴーウェン殿から?」
書類を読み進め、その内容に愕然とする。
「今、何日だ!?」
椅子から立ち上がると、普段とは別人に思える凛とした声を張り上げて部下を呼ぶ。
「ジゼ殿を起こして来い! それから軍の小隊長以上を緊急招集! 巡察以外の兵士については旅装を整え、兵舎にて待機だ!」
慌ただしく駆け去る部下に舌打ちして、シーヴァラは再び机に向かう。
「ここから西に向かうとして通る経路は……村落に触れを出させねばな。防備はどうする?」
「シーヴァラ殿……」
「ジゼ殿、これを!」
冥府の底から這い出てきた悪鬼の如き表情を作っていたジゼは、聖騎士の顔をしたシーヴァラの態度に、不承不承ながら書類を受け取りその内容を確認する。
「ゴーウェン殿からの援軍要請……? とはいえ、この日取りは」
「恐らく敵襲時の混乱に紛れて」
「何たること!」
一瞬にして眠気が吹き飛んだジゼは、シーヴァラと今後の動きについて話し合った。
三日後、シーヴァラを筆頭とした西方救援軍400が南から出発した。
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「ええい、くそ! 急げ、急げ!」
暗黒の森の中を疾走するゴブリンの一団がある。
「オヤジ! いくら何でもこの速度じゃ!」
「王との約束の刻限に遅れてしまうとは、俺は馬鹿だ!」
先頭を走るゴブリンは使い込まれた槍を縦横に振るって、目の前に迫る枝を掻き分け疾走する。その速度は、パラドゥアゴブリンの使役する黒虎をも驚愕させる程だ。
彼の後ろを息を切らせて追うゴブリン達も、手にした得物は使い込まれたものばかり。オヤジと呼ばれた先頭のゴブリンよりも一回り大きなゴブリンが、斧を振るって藪を蹴散らす。
「テメェら! オヤジに遅れるたぁどういう了見だ!? さっさと走れ!」
後ろを振り向き、未だ遅れ気味に走るレア級・ノーマル級のゴブリン達を叱咤する。
ぎゃあ、ぎゃあと騒がしい声を出して、それぞれ先頭で走るゴブリンを追う。
「ぬ!?」
「オヤジ、前から魔獣だ! 3匹居やがる!」
殆ど同時に前方の魔獣に気が付いた先頭のゴブリンと後ろのゴブリン。
「すり抜けながら始末する! このギ・ズー・ルオの邪魔をするなら容赦せん! 続け、ヴェド!」
目の前に迫る四つ手猿を視界に入れながら、尚も走る速度は緩めない。四つの腕を持ち、集団で獲物を襲う凶悪な魔獣である。
ギ・ズーはその間合いの中に一切の躊躇なく飛び込んだ。枝を掻き分けていた槍を手元に引き寄せ、3匹が構える中へ飛び込む。
四つ手猿の方も2匹は木の上へ飛び乗り、1匹は地上で迎え撃つ態勢を取る。飛び上がれば頭上から2匹が襲い掛かってくる。だが、上の2匹に注意を取られれば下の1匹の攻撃を避けられない。
更に四つ手猿は道具をも使う。荒く削った木の槍を木の上の2匹が構え、地上の1匹は地面に落ちていた石を拾い、ギ・ズーに向かって投げ付けたのだ。
投げ付けられた石を首を捻る動作だけで躱すと、ギ・ズーは地上の一匹に向かって走る。
「ギギャァァアアァ!」
威嚇の声を上げる四つ手猿が腕力にものを言わせて腕を振り上げる。間合いを測り、振り払うような攻撃。だが枝々を暴風のように薙ぎ払う一撃はギ・ズーに掠りもしなかった。
薙ぎ払う腕の上を、ギ・ズーが跳躍。
地上にいる四つ手猿の頭を踏み台にして、降りてくる木の上の2匹に狙いを定める。
「グルウゥオオアァアア!」
降りてくる1匹の胴体に向かって手元に引き寄せていた槍を突き出す。荒く削っただけの木の槍とギ・ズーの使い込まれた鉄槍が交差し、ギ・ズーの鉄槍が四つ手猿の胴体に吸い込まれるようにして突き刺さった。
更にそこから、もう一匹の四つ手猿に向かって胴体に刺さったままの槍を力任せに振るう。腕力だけで振るわれた槍だったが、貫いた四つ手猿の体ごと落ちてくる猿を巻き込んで態勢を崩させることに成功する。
「ええい、時間が惜しい!」
地上に降り立ち槍を引き抜くと、敵を振り返りもせずギ・ズーはそのまま駆け抜ける。
「退けや、貴様ら!」
直後、重量ある足音を響かせてズー・ヴェドが走ってくる。踏み台にされて茫然としていた四つ手猿の脳天をその戦斧で叩き割り、更に態勢を崩していた四つ手猿に鋭い一撃を加えて、ギ・ズーの後を追う。
更にその後ろから追ってきたゴブリンらが、思い思いに四つ手猿に一撃を加えて離脱してく。
彼らが全員通り過ぎた後には、ぼろ布のようになった屍だけが残っていた。
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植民都市を守るユアンは、このところのゴブリンの襲撃に悩まされていた。初日こそ昼間に攻めてきたゴブリン達だったが、植民都市の壁を登るのが容易でないと分かると、その蠢動を夜間に切り替えたからだ。
夜を見通す事の出来ない人間の眼では、どうしても夜間は不利となる。虎の子の機械大弓でさえも、当たらなければ意味はないのだ。
城壁を挟んで濠を埋めつつあるゴブリン達。無論ユアン達防御側も手を拱いているわけではない。昼の間に城壁の外に篝火を設置し、夜間になればそれを灯し、光源を確保。それを潰しにやってくるゴブリン達を狙い撃ってはみたが、やはり来ると分かっている攻撃では成果は芳しくない。
それに加えて夜間の遠吠えも問題だった。
魔獣の遠吠えは家畜を不安にさせる。城壁の中に居る時でさえ、間断なく聞こえてくる魔獣の吠え声に家畜達が神経質になっているとの報告も上がっていた。
家畜は労働力として、植民都市になくてはならないものだ。
このところ昼夜逆転の生活を強いられているユアンは、充血した目を閉じて眉間を揉んだ。
「隊長! 油の準備、整いました」
「良し! ゴブリン達に目にもの見せてやろう」
夜の闇が見えないというのなら、見えるようにしてやれば良い。幾ら夜の神の懐が深いとはいえ、火の神の力は何よりも強い。
夜間、ざわりと森が蠢いたのを見計らって、ユアンは火と油、そして弓を用意させた。城壁の上に陣取ると、闇の女神の翼に隠れたゴブリンらの様子が薄らと視認できる。
「油、付けぃ!」
ユアンの後ろに整列した弓隊が、鏃に油を付ける。鏃の後ろによく燃える木材を巻きつけただけの簡単なものだ。
「火、付け!」
弓隊の全面を、篝火を持った1名が走る。下向きに構えた鏃に火が次々と灯っていった。
「構え……放て!」
夜の闇を切り裂く火矢が曲線を描いて降り注ぐ。地面に着弾した火矢は、鏃の後ろの木材に火が燃え移り松明の代わりとなってその周囲を照らす。露わになるゴブリンとオーク達の姿に、ユアンは口の端を歪めて笑った。
そして弓隊はその曲線を確認すると、今度は普通の矢を番えて夜の空に矢を放つ。
露わになったゴブリン達へ一斉に攻撃を仕掛けたのだ。
「機械大弓、照準良し!」
その声に、ユアンは間髪入れずに発射を命ずる。
「撃て!」
限界まで引き絞られた弦から巨大な矢がゴブリン達を射抜こうと放たれ、オークの頭上に掲げた楯を貫いて悲鳴を上げさせる。
攻略を諦めたのか、退いていくゴブリン達をユアンは腕を組んで見送った。
「負けるわけにはいかん。ゴーウェン様が来られるまではな!」
歓声を上げる兵士達に振り向いて、声を張り上げる。
「良くやった! 今宵は我らの勝利だ!」
植民都市側の士気は依然高い。
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雲に隠れた姉妹月を見上げて、ラ・ギルミ・フィシガは苦い顔をして腕を組んだ。ここ数日成功していた作戦が失敗に終わった為だ。
「流石に対処してきたね」
オークの王であるブイの言葉に、ギルミは黙って頷く。
「やはり人間との知恵比べでは、奴らに分があるか?」
城壁の上に篝火が焚かれ、小さく見えるのは恐らく敵の指揮官であろう。その影を見つめながら、ギルミはブイに問い掛けた。
「力攻めというのも一つの方法だけれど……」
「王はそれを望まれていないだろう。こちらはあくまで陽動」
「そうだよね。それなら……」
「だが、負けっぱなしというのは性に合わないのではないか?」
心の奥を覗かれたような気がして、ブイは視線を伏せる。
「濠は大体埋まっているのだったな」
「うん、そうだけど」
森から一番近い濠を埋め立て、通行可能としたのが昨日だ。流石に今日の昼間には多少取り除かれていたが、ゴブリンらの襲撃を恐れてか人間側も本腰を入れての除去作業には至っていない。多少歩き辛いかもしれないが、今のままなら渡れないこともない筈だ。
「一度、指揮官達を全員集めてもらおうか」
ギルミはある決意を持って視線をブイへ戻す。
「あの外壁を攻め落とす」
瞳に強い意志を宿したギルミは、ブイの肩を叩いて森の奥へ消えた。