幕間◇北方万里、黄昏を抱く(前編)
【固体名】ギ・ゴー・アマツキ
【種族】ゴブリン
【レベル】2
【階級】デューク・流浪の剣士
【保有スキル】《剣技A-》《紫電の剣》《見切り》《気配察知》《洞察》《剣豪の証》《静寂の天地》《歴戦の戦士》
【加護】剣神
【属性】なし
【状態異常】《不殺の誓い》《剣神の侵蝕》
雪原を舞うが如く跳躍する雪鬼の攻撃に、ギ・ゴーは防戦一方となる。攻撃したくとも悪過ぎる足場が彼の行動を縛っていた。膝まで達する深い雪原は踏込む力を吸収し、跳躍の速度を鈍らせる。
これでは攻撃に転じることは難しかった。
「ギ・ゴーさん!」
ヨーシュにしても条件は同じ。深い積雪と敵の驚異的な身体能力の前にら楯を全面に出して防御の姿勢を取っていた。
「手を、出すなよ!」
だがギ・ゴーの表情は決して暗くない。寧ろ、これ以上ない程に歓喜の表情を浮かべながら雪上を跳ねる敵の動きを注視する。白い毛皮の外套を風に靡かせ雪煙を上げて疾駆する敵が、狙いをギ・ゴーに定める。
まるで大空を行く肉食鳥が獲物を狙うかのようにギ・ゴーの周囲を隙を伺うように走ると、一気に加速。上がる雪煙を裂いて、身の丈程もある曲刀がギ・ゴーを貫くべく突き出される。
対してギ・ゴーは、曲刀を一閃して足場の雪を跳ね除けた。
速度では追い付けない。
となれば、この場で迎え撃つのみと覚悟を決めたギ・ゴーは、襲い来る敵に刃を向ける。使い込まれた曲刀の鈍い輝きが、火の神の胴体の輝きを反射する。
「来い!」
腰を深く落とし、体を敵に向ける。向けていた刃を寝かせ、敵から曲刀を見せないように構えを取る。ギ・ゴーの発する全身を覆うような気迫にヨーシュは息を呑んだ。並みの魔獣や魔物ならギ・ゴーの気迫に恐れを為して突進を躊躇するところだ。
だが、ギ・ゴーに向かってくる雪鬼は減速するどころか寧ろ雄叫びを上げて加速した。
「ルゥォアアァァイ!!」
雪鬼独特の咆哮を上げ、ギ・ゴーの距離まであと10歩というところで曲刀を横一文字に振るう。上がる雪煙が再び雪鬼の姿を隠し、ギ・ゴーの姿を覆う。
「くっ!?」
雪は敵の味方だと判断したヨーシュは、慌ててギ・ゴーの傍に向かうべく足を動かす。雪原は敵の戦場。そこで戦うことの愚を今更ながらに思い知らされていた。
鬼の面を被り、雪上で無類の強さを誇る。故に彼らは雪鬼という名で呼ばれるのだ。
「甘かったか」
後悔と共に足を動かすヨーシュの視界に雪煙から飛び出す雪鬼の姿が映ったのは、激しく鳴り響いた剣戟の音の直ぐ後だった。
突進した勢いそのままに距離を取る雪鬼と、雪を払い除けた中に仁王立ちするギ・ゴー。健在な姿に安堵の溜息を漏らし、ヨーシュはギ・ゴーに呼び掛ける。
「ギ・ゴーさん! 退きましょう。分が悪過ぎる!」
現に、今も追撃すらままならないのだ。
「撤退だと? ヨーシュ、我らの旅の目的は今目の前にあるのだぞ!」
強き敵との邂逅を! 内なる剣神を抑え込み、再び王の眼前に立つ。
「ですが!」
この敵は強い。ヨーシュの上げる声に、ギ・ゴーは視線を敵に固定したまま首を振る。先程のすれ違いざまの剣戟で都合三度。あの敵は剣を振るった。あわよくば反撃をと考えていたギ・ゴーを嘲笑うかのように、振るわれた剣の速度と鋭さは遥かにギ・ゴーの予想を超えていた。辛うじて防ぎ得たのは二度まで。三度目の剣先はギ・ゴーの腕を掠めて今も血を流させている。
「何も言うな! これ以上の強敵、望むべくもない!」
流れた血を一顧だにせずギ・ゴーは歯を食い縛り、細く息を吐き出す。己の内に眠る剣神を使い熟す為、内心に意識を集中させたのだ。
力を込め過ぎずあくまで自然体を意識したギ・ゴーの姿勢は、気合を込めた先程よりも更に一回り大きくなっているような錯覚を覚えさせる。
止めるか、このまま戦わせるか。ヨーシュは判断に迷っていた。
確かに今まで見た中でギ・ゴーの戦意はこれ以上なく充実しているように見える。だが、それでも……。視線を雪鬼に向ければ、軽やかさはそのままに再び隙を伺うべく疾走を開始していた。
危険過ぎる!
まるで抜身の刃の切っ先を突き付けられているかのような、異常な圧迫感。ヨーシュとて剣闘士奴隷として幾人もの敵と切り結び、魔物や魔獣を斬り伏せてきたが、これ程の圧迫感を与える存在には出会ったことがなかった。
「覚悟を決めないといけないかもしれませんね」
最悪、ギ・ゴーに恨まれる結果になろうとも割って入る必要がある。楯の裏に備え付けてある短剣を引き抜くと、いつでも投擲できる準備を整えて距離を測る。
ここで死なせるわけにはいかない。そして自身も、こんなところで死ぬわけにはいかない。ギ・ゴーとヨーシュには戻るべき場所があるのだから。
内心でギ・ゴーに詫びて、雪鬼の出方を伺った。
ギ・ゴーの周りを旋回するが如く走っていた雪鬼が、僅かに視線をヨーシュに向ける。だが一瞬の後に、雪鬼はヨーシュを警戒するようにジグザグに走りながらギ・ゴーに迫り出す。
その雪鬼の行動にヨーシュは舌打ちしつつ、距離を詰めた。
唯でさえ俊敏な雪鬼が、狙いを逸らそうと動き回っているのだ。並大抵の腕で当てることは難しい。
一方のギ・ゴーは、迫る雪鬼を目を閉じているのかと思う程に目を細めて注視していた。極限にまで意識を研ぎ澄まし、敵が間合いに入るのを息をするのさえ忘れて待ち構えていた。
雪鬼の体が僅かに間合いに入った瞬間、今までの静寂を打ち破り烈火の如くギ・ゴーが吠える。
「グルウゥァアアアア!」
「ルゥゥァアアアイィ!」
対する雪鬼も裂帛の気迫をもってギ・ゴーに曲刀を打ち込む。
迸る気合と刃剣が雪原に火花を散らす。体に隠した状態から雪を割って繰り出されるギ・ゴーの剣を、それ以上の速度で雪鬼の剣がいなして頭上へと刃と力を逃す。同時に雪原を踏み締め、頭上へ翻った剣をギ・ゴーの頭頂へと叩き込む。
だが、ギ・ゴーも繰り出した剣を手元に引き寄せ、迫りくる一撃を受け止める。剣神の囁く声が見切りとなって敵の剣の軌道を教え、今まで積み上げてきた歴戦の手腕が剣神の要求する剣筋にギ・ゴーの体を対応させる。
防戦から再び攻勢へと繰り出されるギ・ゴーの一撃。防ぎ止め、勢いを失った敵の剣を無視して、逆手に曲刀を持ち替えると敵の首筋を狙って再び一閃。避けようのない軌道。意表を突く一撃の筈が、雪鬼は更に上をいく。
ギ・ゴーの繰り出した一撃を逸らすべく曲刀を引き戻す速度は、嘗てのゴーウェンすらも凌駕する程に速く鋭い。瞬時の間に身の丈程もある曲刀を引き戻すと喉を狙っていた一撃を弾き飛ばし、逆にギ・ゴーの喉を狙って腰だめに構えた一撃を繰り出す。
綱渡りにも似た攻防が幾度となく繰り返されていく。
切り結んだ回数は既に20を超える。双方共に至近の間合いで、足を止めての切り合いがこれ程の回数繰り返されるのをヨーシュは見たことがなかった。
お互いの動きが著しく近い為、ヨーシュの腕ではギ・ゴーに短剣を当ててしまう恐れもある。決定的な隙を作ってやりたいが、その隙さえも見いだせずにいた。
綱渡りに似た攻防が途切れたのは、雪鬼が距離を取った為だった。
己の全力を込めて白刃の下で命を晒すこと二十数回。互いに致命傷には至らぬものの、細かな傷は無数にある。荒い息をつくギ・ゴーと雪鬼。吐く息は白い煙となって風吹く雪原に消える。
ヨーシュは激しく上下する雪鬼の肩を見て、好機の到来を悟る。
「許してくださいよ。ギ・ゴーさん!」
小さく詫びて、ヨーシュは手にした短剣を雪鬼に向かって投擲した。楯を地面に投げ捨て、両手で構えたその数5本。
「ヨーシュ!」
ギ・ゴーから咎める声が届くも、ヨーシュの行動を阻止するものではない。激しく体を震わせる雪鬼は予想外の方向からの攻撃に、その場から飛び退こうとして雪に足を取られる。
雪鬼から僅かに焦ったような気配を感じると、追撃にヨーシュは更に5本の短剣を投擲する。ギ・ゴーとの戦いで体力を消耗している今が好機。そう感じたヨーシュは一心不乱に短剣を投げる。
だが雪上の鬼も遠距離からの攻撃程度で命を落とす程、柔ではなかった。態勢を崩したのも一瞬、再び雪上を跳ねると、空中で迫りくる短剣を曲刀の一閃で切り払う。
ヨーシュから距離を取ろうと後方へ飛び退いた雪鬼は、地面に着地すると再び体を激しく震わせる。まるで何かに苦しんでいるかのような雪鬼に、更に追撃の短剣が降り注ぐ。曲刀を杖にして体を起こすと、再び一閃して迫る短剣を叩き落とすが、集中力が切れたのかその中の1本が雪鬼の足を掠め、出血を強いていた。
出血が更に雪鬼の体力を消耗させる。
更に5本の短剣を躱した所で、先程の動きは見る影もなく雪鬼は剣を杖に震える体を支えていた。
「貴方は危険過ぎる! ここで死ぬべきだ」
今度の一撃は避けられないと、両手に握った短剣を投擲するヨーシュ。
だが、今度こそ雪鬼を仕留められる筈だった短剣を弾き飛ばしたのは、あろうことかギ・ゴーだった。
「ギ・ゴーさん!? 何を!?」
「ヨーシュ、もういい!」
雪鬼を庇ったギ・ゴーはヨーシュの短剣を全て弾くことは出来ず、幾つかを体に突き立てたままヨーシュに向き合う。
「ぬっ……」
苦悶の声を押し殺し短剣を抜くと、それを雪原に投げ捨てる。
「庇うには危険過ぎる相手です!」
雪を掻き分けギ・ゴーに迫るヨーシュだったが、ギ・ゴーは何も言わず背後に視線を向ける。そこには意識を失って倒れ伏す雪鬼の姿。
「……雌を嬲り殺しにしたとあっては、王に合わせる顔がない」
「……え、は?」
鬼の面から覗いた顔は、うら若い女のものだった。
◆◆◇
半日前に吹雪をやり過ごした洞窟に雪鬼を抱えて戻ると、ギ・ゴーは渋るヨーシュに雪鬼の治療をさせる。自身は少しの間外に出たかと思うと、真っ白な毛の生えた大蜥蜴を一匹仕留めて来ていた。
不満そうなヨーシュに、ギ・ゴーは夕食の支度をしようと提案する。
「拘束はさせてもらいましたからね」
視線を雪鬼に向ければ怪我をした箇所にはしっかりと薬草と共に包帯が巻かれ、丁寧にも背負ってきた毛布や集めた材料で寝床まで作ってあった。怪我をしていない手を縄で括り、寒さ対策に毛布で体を覆っていた。
「優しいことだな」
眉を跳ね上げるギ・ゴーに、ヨーシュは鼻を鳴らして不機嫌を強調した。
「まぁ武器も取り上げましたし、最悪二人で挑めば大丈夫でしょう」
火を起こすと鍋に水を満たして、ギ・ゴーの手に持っている雪大蜥蜴を奪う。溜息をつきつつ、慣れた手つきで食事の準備をするヨーシュに、ギ・ゴーは僅かに片頬を上げて薄い笑みを浮かべた。
視線を転じれば雪鬼の女が使っていた曲刀が目に入る。女の細腕で使うには不相応な代物だった。次第に火の神の時間は終わりに近付き、黄昏を経て、夜の神の腕が辺りを包んでいた。
夜となれば、1匹と1人の日課である歌の練習の時間だった。それは横に雪鬼と呼ばれる強敵が寝ていても変わることはない。
古代の言葉で謳われるのは、故郷の歌。ヨーシュが一度歌って見せ、ギ・ゴーがそれを真似て声を出していく。間違った部分はヨーシュが指摘し、また最初から歌い出す。
夜は更けるが、今宵の闇の女神の翼は、双子姉妹の赤月が顔を出したことでその闇を弱めている。赤い月が雪原を染め、音を吸い込むような静寂で洞窟の中に響く。
「故郷の大地を、覚えーいるか。小さな空の風よ、この思いを連れて行っておおくれ」
ギ・ゴーの低い歌声に、ヨーシュは笑いながら間違いを訂正する。
「発音が少し違いますね。こうです……良いですか? 故郷の大地を、覚えているか。大空の風よ、この思いを連れて行っておくれ」
うむむと唸ってやり直すギ・ゴー。
僅かずつ矯正していくと、次第に聞けるものになっていく。満足そうに頷いてヨーシュは笑う。
「良いですね。もう暫く練習すれば、吟遊詩人になれるかもしれません」
「成程。ならばその時は、歌の師としてお前の名を出すとしよう」
「それはご勘弁を。石を投げられるのは避けたい」
軽口の応酬に、自然と空気が緩む。
「しかし、どうしたものでしょうね」
奥で眠る雪鬼に視線を向ければ、ギ・ゴーは顎を摩って考え込む。
「まさか噂に名高い雪鬼が雌だとは思わなかった。強い雄を倒してこそと思っていたのだが……」
「彼女に集落の場所を案内してもらう……というのは現実的じゃないでしょうね。僕らを見て、いきなり襲い掛かってくるような好戦的な人達ですから」
溜息をつくヨーシュに、首を捻るギ・ゴー。正直な所、ヨーシュはそれ程雪鬼の女を殺すことに躊躇いを覚えている訳ではなかった。剣闘士奴隷だった時は、相手が女だろうと容赦なく斬って来たのだ。特に女だからと言って躊躇を覚える理由がない。
問題はギ・ゴーが既にその気を無くしてしまっていることだろう。ゴブリンである彼にとって、雌は須く弱く守るべき者である。ナーサ姫のような例外もいるにはいるが、常識として刃を向ける相手ではない。
──いっそ拷問でもして、強引に口を割らせるか。
物騒な思考を巡らせるヨーシュの視線の先には、仮面を取り去った女の寝顔がある。
「ん?」
僅かにその寝顔に違和感を感じたヨーシュが近付こうとした瞬間、ぱちりと目を見開いた女と目が合った。
「ラーバイヤール!? グェルノイーア!」
北方の言葉で叫ぶと、女は体を起こそうとして自身の手元を見る。拘束されたその手に焦りの表情を浮かべ、毛布を跳ね除けると一気に立ち上がろうとし、ぐらりと揺れて咳き込むとその場に片膝をつく。
「風邪……というわけではなさそうですね。何かの病でしょうか」
楯を構えるヨーシュは鋭い視線を咳をする女に向け、僅かに視線をギ・ゴーに向ける。叩きのめしましょうかと視線を向けた先、ギ・ゴーは一瞬だけ眉を顰めて立ち上がると、無造作に女に近付いていく。
「ギ・ゴーさん危ないですよ! 噛み付かれるかも!」
「心配いらんだろう」
咳を無理矢理抑え、唸り声を上げる女の目の前に来るとギ・ゴーは彼女を見下ろす。雪の上を走っていた時は気が付かなかったが、こうして見るとギ・ゴーと雪鬼との身長の差は頭2つ分もある。女の頭がギ・ゴーの首辺りまでしかないのだ。
手を差し出したギ・ゴーを女が身を屈めてすり抜けようとし、再び湧き上がってきた咳にその動きを止める。難なく女を捕まえたギ・ゴーは、暴れては咳き込む女を即席の寝台に放り投げると無理矢理毛布を被せる。
「動くな。命を縮めるぞ」
それだけ言うと入口へ向かって歩き、ヨーシュの隣に座る。
「戦っているときも感じたが、あの雌は病んでいる。惜しいことだ。だがそうでもなければ、今頃俺は首を断ち切られていただろう」
しばらく警戒するようにヨーシュとギ・ゴーを見ていた女だったが、やがて意識を失ったようだった。静かになった女に毛布を掛け直すと、ギ・ゴーはヨーシュに向き直る。
「あの娘の病を治せるか?」
「僕は医師でも薬師でもないのですが……」
治してどうするのかとはヨーシュは聞かなかった。こと、人間関係には随分とお人好しなギ・ゴーのことだ。どうせ逃がしてしまうのだろう。
ヨーシュとしても、こんな娘が近くに居てはおちおち眠るのも難しい。さっさと逃がして、僅かばかりの安眠を手に入れたいものだ。
「手持ちの薬草を見せてもらえますか?」
ヨーシュは差し出される薬草を受け取って、使えそうなものを選別し始めた。
◆◆◇
何種類かの薬草を選り分けて磨り潰す。ギ・ゴーから手渡された薬草に月見草を混ぜ合わせ、湯で溶く。
「まぁ、こんなものですかね」
以前に旅の薬師から教えてもらった薬草の組み合わせに、僅かに月見草を入れる。
「体調を整えるものと、後は……」
寝ている雪鬼の口に薬を流し込む。無意識に薬を飲み込む雪鬼に、ヨーシュは安堵したように息を吐き出す。
「治りそうか?」
「未だ分かりません。まぁ、安静にさせて栄養のあるものを食べさせるのが一番では?」
当たり障りのない答えだと思いながらも、ヨーシュは雪鬼の元を離れる。
「成程……」
ギ・ゴーは暫く考えると、剣を取って外へ出る。
「狩りをしてくる」
「お気を付けて」
頷くとギ・ゴーは雪原の中へ消える。暫くして戻ってきたギ・ゴーの手には、肉食鳥が握られていた。
「これで良いのか?」
「充分でしょう」
肉食鳥を手早く捌いて内臓を取り出すと、雪を溶かした水で綺麗に洗い流す。鉄の串に刺し、火で炙る。
表面に僅かに焦げ目がついたところで切り分け、皿に盛りつけて煎じた薬草と一緒に雪鬼の近くに置く。
「まぁ、腹が空けば食べるでしょう。なるべくなら、温かい内に食べた方が良いのでしょうが」
ヨーシュはくすりと笑って、雪鬼の傍から離れる。
「さて、こちらも食事にしましょう」
頷くギ・ゴーとヨーシュも食事を摂る。夜になると外に出て日課の歌の練習をし、戻ってくれば皿に盛られていた食事は綺麗に無くなっていた。それに苦笑して皿を引っ込める。そうして6日程が過ぎたある日、寝床から起きた雪鬼が立ち上がっていた。
「おや、体調はもう良いので?」
「……ショクジ、カンシャ」
拙い言葉と共に真っ直ぐギ・ゴーとヨーシュを見つめる雪鬼の女に、1匹と一人は顔を見合わせた。
「言葉が分かるのですか」
「ミナミ、コトバ、スコし」
銀色の長い髪を後ろで一つに纏めた雪鬼の女が、頭を下げる。
「タノミ、アル」
「頼み、ですか?」
ゆっくりと女の言葉を繰り返すヨーシュに、雪鬼の女は頷く。
「クスリ、ホシい。イチゾク、スクウ」
「一族を救う薬……?」
再びギ・ゴーとヨーシュは顔を見合わせる。
「そんなものを作れるのか」
感心したようなギ・ゴーの言葉に、ヨーシュは正直に首を振る。
「いやいや、まさか。僕が使ったのはどこにでもある薬草で……」
言いかけて、ふとギ・ゴーから手渡された月見草を思い出す。そういえば普段は入れないあの草も、ついでに入れたのだった。
「これが? あんな、ほんの一摘み程度で?」
未だに青々と瑞々しい月見草にヨーシュは視線を落とし、眉を顰める。
「タノム! ソレ、イチゾク、スクウ!」
地面に頭を擦り付けるようにして、必死に言葉を紡ぐ雪鬼の女。
「どうしましょう?」
「渡せば良い。俺には病など寄り付かぬ」
「ふむ」
考え込むヨーシュは、薬草の入った袋を女に差し出す。
「残念ながら、今あるのはこれだけです。一族というのが何人居るのか分かりませんが、恐らく量が足りないでしょう」
敢えて言葉が不自由な女の為にゆっくりと話すヨーシュ。言葉の意味を理解して絶望に染まっていく女の顔。
「ですから、私とギ・ゴーさんが貴方の集落へ行きましょう。そこで薬を作る。それでどうです?」
絶望に染まっていた女の顔がくしゃりと歪み、目尻から涙が溢れる。
「あり、ガとウ」
精一杯の拙い言葉で感謝を伝える女に、ヨーシュは苦笑した。
「やれやれ。お人好しが移ったかな?」
頭を掻くと、ギ・ゴーに向き直る。
「と、いうことで良いですかね?」
「無論だ」
頷くギ・ゴーに、ヨーシュは再度苦笑した。