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ゴブリンの王国  作者: 春野隠者
楽園は遠く
186/371

別れの祝宴

【種族】ゴブリン

【レベル】72

【階級】キング・統べる者

【保有スキル】《混沌の子鬼の支配者》《叛逆の魂》《天地を喰らう咆哮》《剣技A−》《覇道の主》《王者の魂》《王者の心得Ⅲ》《神々の眷属》《王は死線で踊る》《一つ目蛇の魔眼》《魔力操作》《猛る覇者の魂》《三度の詠唱》《戦人の直感》《冥府の女神の祝福》《導かれし者》

【加護】冥府の女神(アルテーシア)

【属性】闇、死

【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv77)灰色狼ガストラ(Lv20)灰色狼シンシア(Lv36)オークキング《ブイ》(Lv82)

【状態】《一つ目蛇の祝福》《双頭の蛇の守護》






 北方戦線、或いは北部辺境区域と呼ばれる雪の神(ユグラシル)の山脈一帯は、ゲルミオン王国で最も厳しい戦場の一つだった。白い絶望を齎す長き冬と、僅かばかりに緑を彩る短い夏。そんな地域に派遣されるのは総じて荒くれ者が多かった。

 始祖である魔剣士ゲルミオンの建国以来、徐々に支配地域を広げてきたゲルミオン王国は、ほんの50年程前に雪の神(ユグラシル)の山脈へと手を伸ばすまでになっていた。

 辺境部族である雪鬼(ユグシバ)と呼ばれる蛮族は、鬼神と見紛うばかりの剣技の遣い手が多く存在し、軍事国家を自称するゲルミオン王国に少なからず被害を与えていた。

 だが、一人の英雄が現れてからその状況は一変する。

 雷雲を束ねるとされる青雷の大剣を携えた、冒険者ガランド・リフェニン。辺境の開拓村を巡る戦いにおいて、敵の酋長4人を尽く切り捨てた功績により聖騎士にまで昇り詰めた英傑である。

 聖騎士となった彼の指揮下、並の指揮官では従わせることも出来なかった荒くれ者達を見事に統率し、雪鬼達との戦いを優位に進めていくことになる。

 彼が北方に就任して僅か4年。

 それまでの劣勢を跳ね除け、北部辺境区域の戦いは、雪鬼達を後一歩のところまで追い詰めていた。

 その英雄は、自身の執務室で王都からの使者の言葉に盛大に眉を顰めていた。

「森への遠足だけじゃ飽き足らず、お別れ会にも参加しろと? 国王陛下は余程この辺境の戦いを終わらせたくないらしいな」

 皮肉気に口元を歪めた聖騎士ガランドに、使者は尚も言い募る。

「こう言っては何ですが、それでも国王の命にございます」

「ちっ!」

 盛大に舌打ちするガランドに、使者は顔色を変えずに首を垂れる。

「分かったよ。んで、俺の後任には誰が派遣されて来るんだ?」

「いえ。北部戦線は現状維持……雪が雪鬼らの行動を縛る故に、ガランド殿が暫く任を離れても大事ないとのご判断です」

「よぉ~く、分かってるじゃねぇか。国王陛下はよぉ」

 獣が唸るような低い声で、怒りを噛み殺すガランド。

 確かに、ガランドが就任してからの4年で雪鬼達の主力は粗方壊滅している筈だ。剣を尊ぶ蛮族として威勢を誇っていた彼らも、青雷の大剣とガランドの前に成す術もなく敗れ去って行った。

 冬の間は彼らも活動が鈍り、大規模な侵攻などは考えられない。

 確かにガランドが任を離れても問題はないのだ。そこまで見透かされていることに苛立ちを感じる。

「では、ガランド殿。定期報告と合わせてのご祝宴の件、確かにお伝えいたしました」

 一礼して踵を返す使者を見送ると、ガランドは不機嫌そうに舌打ちした。

 命令とあらば行かねばならない。

「不愉快極まりないが、あの聖女の面をまた拝むとするか」

 ガランドは今後の指示の為に、部下を呼ぶ。

「何で、てめぇが来るんだ?」

 苛立たしげに舌打ちするガランドの目の前には、緋色の髪を束ねた軽鎧の女騎士。手にした剣は王家所有の空を斬る者(ヴァシナンテ)。巷に名高い緋色の乙女の登場に、ガランドは怒鳴りたいのを堪えて問い糺す。

「副官殿は何やら使者殿に呼ばれていた。代役を頼まれたのだ」

 聖騎士とは名ばかりで、未だその実力を認められていないリィリィ・オルレーア。彼女は聖騎士見習いとして各戦線を回っていた。南へ向かった彼女は再び北へ戻ってきていた。

「ちっ、まぁいい。俺は報告の為に王都に出向く。それだけだが……あぁ、そういえば、お前はあの聖女様とは知り合いだったな」

「レシア様が何か?」

 ガランドの砕けた乱暴な物言いにも、リィリィは大分慣れた。最近では、その言動に物怖じせずに言い返せるまでになっていた。一方のガランドも、魔剣を使いこなすリィリィの実力を気に入り、度々戦場を共にしていた。

 言葉にこそ出さないが、その実力を認めつつあったのだ。

「今度、象牙の塔に帰るらしいな。ったく、そんなことで俺の戦を邪魔しやがって!」

 苛立ち紛れに舌打ちする。

「では、言伝を頼む」

「あん? 妙にあっさりしてやがるな。泣いて連れて行ってくれと頼むかと思ったが」

「そのことはレシア様からの手紙で聞いている。今の私は民の為に剣を取る騎士だ。もうこれ以上泣く子供を増やさせはしない」

「ふん、立派な心掛けだな」

 リィリィに必要なことを伝えると、ガランドは王都へ向けて旅立って行った。


◆◆◇


 洞窟の小人(コロ・トクゥ)達からの報告で、俺は深淵の砦からさして離れていない洞窟に来ていた。

「こんなところに洞窟が開いているとはな」

 やはり隅々まで自分で見て回るわけにはいかないから、地図の作成などは大いに人手をかけて行わねばならないだろう。

 彼らに俺が命じたのは鉱石の採掘。或いはその可能性のある地域の発見と探索だった。

「これをご覧ください」

 差し出されたのは、黒々とした石だった。俺の目にはただの石くれにしか見えないが……。

「これは良質な黒鉄です。これが鉄の──ひいては武器の原料となるのです」

 成程。自分達の使っている武器の元々の素材を見るというのは、妙な感慨を覚えるものだ。様々な工程が加わり、鉄製の武器や防具になっていくのだろう。

「それで、この洞窟がそうなのか?」

「はい。どの程度の量があるかは未知数ですが」

 彼らの協力で鉄の武具を支給できたとしても、何れ武具は消耗する。俺の鋼鉄の大剣も丈夫さが取り柄だったが、最後は壊れてしまった。今使っている武器にしても、使い終われば鍛工の小人(コロ・ドワフル)達に整備をしてもらっている。

 武器は消耗品と割り切ってはいるが、それらの安定した供給は戦をしていく中で必要不可欠になってくるだろう。

「調べられるか?」

「お時間を頂ければ」

「では、頼もう。……加えて、もう一つ頼みがある。人馬族の者と、我らゴブリンにもその工程を見せてやってくれないか」

 小人達が顔を見合わせるが、意を決したように頷くと了承の返事をくれた。

 ゴブリン、小人、亜人の3種族間の技術交流を促進させる為には、ある程度俺の方から頼む必要があるだろう。少なくともゴブリンの技術は最底辺だ。彼らから学ぶことが一番多いのは俺達なのだから。

 黒い影が俺の頭上を横切る。地面に落ちたその影の大きさに、思わず頭上を振り仰げば、翼有る者(ハルピュレア)の一番翼ユーシカが丁度降りてくるところだった。

「砦の方を確認したら、こちらだとお伺いしたので」

 器用に翼を折り曲げて一礼するユーシカに、俺は頷いて要件を促す。商魂逞しい彼女が用事もないのに俺の元に来る筈がないからだ。

「流石、お話が早い。実は妖精族から言伝を頼まれまして」

 大恩あるフォルニの妖精族に頼まれれば、亜人としては断り辛いのだろう。最優先で届けに来たという言伝は、学校の開設を知らせる物だった。

「ふむ」

 その報告を吟味すべく腕を組んで考える俺に、ユーシカは俺が迷っていると感じたのか学校の利点を話し出す。

「ゴブリンの王には馴染みがないかもしれませんが、学校とは知識を学ぶ場です。各種族の優秀な者達を集めて教育を施し、それを持ち帰り、己の種族の為に活かすのです」

 そう、学校とは確かそういうものだった筈だ。

「今回、妖精族からは広く優秀な者を集めるとのことでしたので、ゴブリンからも我ら鉱石の末からも区別なく入学させることが可能でしょう」

 確かに、ゴブリンでは学校の開設など夢のまた夢であることは事実だ。先日から教えている経済の観念についても、やはり分かっていないものが多い。

 取り敢えず優秀な者を選抜して、かの学校に送り込み、官僚としての素質を見極めるのも一つの手段ではあるのだろう。ゴブリンが官僚に向かないのであれば人間を取り込んでも構わないし、妖精族や亜人を使っても構わない。

 だが、余計な知識は俺の統率に亀裂を生む危険性を孕んでいるのではないか?

 自分が万能などと自惚れるつもりはない。失敗もするし、間違いもあるだろう。余計な知識を得て、そこに付け込むようなゴブリンが内部から王国を食い荒らそうとするのではないか?

 いや、何を弱気になっている。

 王たる者が、そのような弱気で一体何に対して胸を張るのだ。

 俺の惰弱な心でゴブリンの未来を閉ざして、どうして王が名乗れるのだ。

 俺は王だ。誰に対しても恥じることも臆することもなく、王と名乗らねばならん。

 王は守護者。王は導く者。王とは誇りの形であらねばならない。

 ゴブリン達が我が王と胸を張って言えるような存在に、俺はならねばならん。

「……良いだろう。妖精族の提案を受ける。近日中に見繕って妖精族の集落へ送り届けるよう仕度させよう。鉱石の末はどうする?」

「そうですね。我らも受けることになるでしょう。尊敬すべき妖精族の学校ともなれば、一族の者が諸手を上げて賛成しそうです」

 一種のステータスとしての価値があるのだろう。

 苦笑するユーシカに、俺は頷いた。

「それでは」

 浮力を得て空に舞うユーシカを見送って、俺は不安そうにしている小人に向き直る。

「お前達からも若くて優秀な者を2名程、妖精族の学校に送れるよう手配しよう」

 目を見開く小人達が、互いに顔を見合わせて騒つく。

「宜しいのですか?」

「俺はゴブリンでお前達の集落を破った支配者だが、なるべく公平でありたいとは思っている。種族を理由に優秀な者を埋没させるなど、これからの未来にとっての損失だ」

 引き続き鉱脈の探索を頼むと、俺は小人達に背を向ける。

 そう、優秀な者を埋没させておく余裕などありはしないのだ。

 決めてはみたが、進まぬ食糧の自給と統治機構に必要な官僚の育成。時間はあるようで殆どない。

 焦りと苛立ちを抑え付け、俺は深淵の砦へ戻った。


◆◆◇


 ゲルミオン王国の王都では、レシアが象牙の塔に帰還するとの触れがアシュタール王の承認もあって早々に流布されていた。

 露店を構える商人や、街中で労働に勤しむ市民達。はては武官や神官達までもがその話を知っていた。当然、貧民区(スラム)で一日の糊口を凌いでいるミール・ドラの耳にもその話は聞こえて来ていた。

 彼女が養う少年少女達は10人を数える。以前は窃盗などに手を染めていたが、レシアが森へ向かう前に立ち寄ってからは、心を入れ替えて真っ当な職を探すようになっていた。

 その中でも最も稼いでいるのが、“魔術殺し”の二つ名で知られるミール。

 冒険者などという危険な職業に就いていることはレシアには黙っていたが、少年少女達の間ではちょっとした英雄だった。

 一日の仕事を終え、クタクタに疲れ果てて帰ってきた子供達は、普段なら直ぐにでも食事を摂って就寝する所を、冒険者の仕事を終えて帰ってきたミールを引っ張り、無理矢理囲んでいた。

「レシアお姉ちゃん……帰っちゃうって聞いたけど」

 沈む声に、彼らの気持ちはありありと現れていた。

「レシア様が決めたことなんだ。仕方ないだろう?」

 ミールが説得に回るが、心外そうな顔をして彼女の言葉を否定する。

「そうじゃなくて、僕達にも何かできないかなって。ミール姉ちゃんなら冒険者の伝手とかでさ」

「無理に決まってるだろ。冒険者っていったって端っこの方なんだ」

 そうは言うものの、彼女自身このままレシアと別れることに蟠りがある。

「……で、どうしようって?」

 溜息をついて尋ねるミールに、意を決したように小さな髪留めを差し出す。

「俺達で贈り物を用意したんだ。これをレシア姉さんに渡して欲しい」

 露店で購入したであろうそれは、光る貝殻を加工して作られた一目で安物と分かる代物だった。

「レシア様は国の偉い人から沢山贈り物を貰ってるんだよ」

 やれやれと溜息をつく。

「それに冒険者としての私に依頼するなら、報酬の用意が必要」

 孤児院出身の者達に対して、世間の風当たりは非常に冷たい。それはミールが身を以て体験したことだった。今から甘い顔ばかりを見せて、出来ることと出来ないことの区別が付けられなくなってしまっては彼女達自身の為にならない。そう考えて、敢えて厳しい態度を取った。

「……ミィの大事な、お友達だけど。あげる」

 差し出されたのは、薄汚れた熊のぬいぐるみ。小さな頃から大事にしていたそれを差し出す彼女の心境は如何ばかりだろう。目には涙を浮かべ、今にも泣きだしそうなミィーナをミールが見つめていると、他の子供達も彼女を取り囲んで、それぞれ大事にしているものを差し出して必死に懇願する。

 改めて深い溜息を吐くと、涙目の少年の頭を乱暴に撫でて、髪留めを受け取る。

「……まぁ、何とかしてみる」

 椅子から立ち上がると、ミールは彼らに早く寝ることを約束させて孤児院を出る。

 彼女自身も不安ではあった。果たしてレシアがこれを受け取ってくれるかどうか。だが、用意してくれた子供たちの為にもミールはレシアに逢う必要がある。

「冒険者の伝手ね」

 冒険者達の間では無口で通している為に、親しい知り合いというのは少ない。何人かの顔を思い浮かべるが、一番有力なワイアード達は違う地方へ移ってしまっている為に期待できない。

 レシアは事実上軟禁されているので、城に侵入せねばならない。

「ばれたら、最悪極刑じゃないか……」

 舌打ちしつつも、胸の奥から力が湧き上がってくるようだった。

「あの子達の願い、叶えなきゃね」

 夜の街をミールは風を切って走り出した。


◆◆◇


 巨大な舞踏会場には国中の有力者が集っていた。

 有力商人、神官、貴族、官僚、武人、そして王族。国の権力を手中に収める彼らの前に並べられるのは、贅を凝らした料理の数々。一本当たりの値段が庶民の月収にも匹敵する芳醇な葡萄酒。宮廷お抱えの楽士は緩やかな演奏で会場に花を添える。

 王主催の宴に出席を許された彼らは、その身分を代表すると言っても良い者達だ。一様に華美を競い合い、情報交換に勤しむ。宮廷というものがそれほど発展していない中、各々の代表者達は宴の席を利用して、己の利益と他者の弱みを探り合う。

 華やかな雰囲気とは裏腹に、腐肉を漁り合うような静かな戦場だった。

 と、その淀んだ空気の中に一陣の風が吹く。

「国王陛下、並びに聖女レシア・フェル・ジール殿!」

 侍従が声を張り上げる。会場に国王の臨席が知らされ、拍手と響めきをもって迎えられる。僅かに眉を顰めた他には、常の無表情を保つレシアが国王と並んで席に着く。

「構わぬ。宴を楽しむが良い」

 尊厳王の一声に、楽士らが演奏を再開する。同時に宴が再開され、大貴族から次々と国王に挨拶をすると、その次にレシアに挨拶をするという流れが出来ていた。

 アシュタール王とレシアに一通りの挨拶も終えない内に、再び侍従の声が響く。

「聖騎士ガランド・リフェニン殿!」

 再び響めく参加者達。古今の英雄に匹敵すると称される英雄ガランドの登場に、顔には笑顔を、腹には思惑を秘め、彼らは拍手を送る。

 ガランドは表情を変えないまま彼らの間をすり抜け、王の前に立つと跪いて報告をする。

「北方戦線より、ただ今戻りました。アシュタール国王陛下」

「大儀である。酒肴の用意は整っておる故、其方も存分に楽しめ」

「……お言葉に甘えます」

 貴族でさえも見惚れる程悠然と踵を返すと、王の前から立ち退き、レシアの前に来る。

「お久しぶりです聖女様。お元気そうで何より」

「ええ、ガランド様も」

 一言、言葉を交わし合っただけで彼らは離れ、レシアとガランドには、その知遇を得ようとする者達が再び群がっていた。

 挨拶も一通り終え、休憩を取ろうと席を立った所に、いつかの商人が待ち構えていた。貴族なら王主催の宴であるから自重をするだろう。

 また、王都に根を張る老舗の商人達なら体面を気にして、やはり自重をする。だが、その商人は最近隣国から移り住んできた新参の成り上がり商人だった。

 レシアの無表情にもめげず、彼女を引き留め話しかけ続ける。一言二言返事をするだけのレシアだったが、唯ひたすらに話を続ける目の前の男の無遠慮さに流石に苛立ちが募ってきた。

 また、話をしている間中、レシアを品定めするような商人の視線にも耐えねばならなかった。いい加減、怒鳴り散らそうかと思っていたレシアだったが、そこへ割って入ってきたのは、あろうことかガランドだった。

「済まんが、少し聖女殿を借りても宜しいかな?」

 にこやかに割って入ってきたガランドを、胡散臭い者でも見るかのように目を細めるレシア。だが、視線を向けられた商人はそれどころではなかった。ガランドの目は笑っていない。底冷えのするような威圧感を放っている。

 まるで強大な魔獣を相手にしているようなその威圧に、商人は全身から脂汗が吹き出すのを感じた。

「え、えぇ……もち、もちろん!」

 裏返る声を気に留める余裕もなく商人は退散し、ガランドはレシアに手を差し伸べる。

「お手を、聖女様」

 僅かに周囲の視線を確認すると、殆ど全ての視線が彼女らに集中している。内心の葛藤を押し殺して、彼女はガランドの手を握る。

「今日は武器を持っていないのですね」

 せめてもの反撃に嫌味を投げかけるが、ガランドは口の端を歪ませ僅かに笑っただけだった。

 騒めく周囲を敢えて無視して、二人は会場の外へ出る。

 人の目が無くなった途端に、ガランドの手を払うレシア。

「何のつもりです?」

「おいおい、他人の親切ってやつを無下に払うことはないんじゃねえか?」

 先程の猫を被っていたような態度をあっさり捨てるガランドに、レシアは目を細める。

「……まぁいいさ。俺はリィリィの言伝を伝える用事があっただけだからな」

「リィリィさんの? どういうこと?」

 レシアの無表情に罅が入るのを見たガランドは、にやりと笑う。それを察したレシアが、眉を顰めて努めて無表情を取り繕う。

「大したことじゃねえ。貴方の騎士で居られた時間は、私の人生で最も幸福な時間でした、とさ」

 辛辣な言葉を投げかけられるかと警戒したレシアの予想を裏切り、ガランドが伝えたのはリィリィの本当の言葉のような気がした。

「……そう、ですか」

 肩を落とすレシアに、ガランドの方が拍子抜けする。

「何だ? てっきり嘘をつくなとか言われると思ったんだがな」

 レシアは首を振ると、悲しげに笑う。

「人の嘘ぐらいは見抜けると自負していますので。……では聖騎士殿、ご厚意に感謝します」

 立ち去るレシアの背を、ガランドは舌打ちして見送った。

 宴の席に戻ったガランドだったが、どうにも宴を楽しむ気分ではなくなっていた。

「……ふん、聖騎士殿か」

 適当に貴族の阿諛追従の言葉を聞き流すと、ガランドは一人席を立った。


 ──人間との再戦まで、あと164日



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