召還の刻
【種族】ゴブリン
【レベル】72
【階級】キング・統べる者
【保有スキル】《混沌の子鬼の支配者》《叛逆の魂》《天地を喰らう咆哮》《剣技A−》《覇道の主》《王者の魂》《王者の心得Ⅲ》《神々の眷属》《王は死線で踊る》《一つ目蛇の魔眼》《魔力操作》《猛る覇者の魂》《三度の詠唱》《戦人の直感》《冥府の女神の祝福》《導かれし者》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv77)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv36)オークキング《ブイ》(Lv82)
【状態】《一つ目蛇の祝福》《双頭の蛇の守護》
「では、これを……」
白い衣服に身を包んだ長身の使者の差し出した書類に目を通すと、アシュタール王は頷いて、宰相にそれを渡す。
「これが回復水薬という物の調合書ですか」
興味深げに眺める老齢の宰相に、使者は頷いて口を開く。未だ若い男だ。締まりのない笑みを顔に張り付けた長身痩躯の男だったが、その瞳だけは少しも笑っていなかった。
「象牙の塔の所蔵する知恵の一つとお考えください。この調合書があれば、いくらでもご所望のものが作れましょう」
「人の傷を立ち所に癒せるとか……」
宰相の言葉に、眼を細めて返答する。
「それは誇張に過ぎますな。これは人の持つ回復力を大幅に強めるだけのもの。魔法の類ではございません。傷の癒しをご所望なら、巷にいる魔法使い達に頼めば宜しいでしょう。最近では国に高額で召し抱えられる者もいると聞きます」
その細められた視線がアシュタールを射抜く。だが、尊厳王と呼ばれる王はその視線に全く動じることなく、口元を歪めて僅かに笑う。
「それは興味深い。是非とも我が国でも採用しよう。なぁ、宰相」
「……まったくもって、その通りですな。国王陛下」
狸どもめ。内心そう毒づいて使者は本題を切り出す。笑顔は全く崩さないままで。
「さて、レシア様のご帰還の時期ですが、一か月後ということで宜しいですかな」
「ああ、構わんとも。聖女殿のお陰で、この王都にも明るい兆しが見えた。象牙の塔の力には感謝している」
「いえいえ、これも国王陛下の御人徳の賜物でしょう」
丁寧に一礼すると、使者はそのまま執務室を立ち去って行った。
「ふん……小賢しい狗め。こちらの思惑はお見通しというわけか」
「中々侮れませんな。官僚への影響力のみならず、諜報にも優れているようです。ですが陛下、本当に聖女様を手放しても宜しいので?」
眉を顰める宰相に、アシュタールは椅子の肘掛けに寄りかかりながら不機嫌に頷いた。
「仕方あるまい。手札は切れるときに切らねば意味がない。そうであろう? ちょうど良い、ガランドも定期報告の為に王都に来る筈であったな? 最後に祝宴といこうではないか」
宰相は一礼すると、僅かに笑う。
「商家や貴族達に招待状を贈りましょう。聖女様には最後まで役割を演じて貰わねばなりませんな」
「そのように計らえ」
宰相は退出し、アシュタールは一人になる。
象牙の塔へのレシアの帰還。のらりくらりと使者をあしらっていたが、やっと彼らから譲歩を引き出した。アシュタールの目には唯の小娘にしか見えないあの少女に、どれ程の価値があるのか。
象牙の塔には、どうあっても彼女を確保したい思惑があるらしい。
「まぁ、どちらでもいい」
こちらの目的を果たせれば……。使者の差し出した回復水薬の調合書。これで戦場へ投入できる兵士の数が格段に増える。回復を司る魔法使い達と合わせて、国王直轄軍の大きな戦力となるだろう。
「貴族らの力を削ぎ、王の権威を高めねば……。ゲルミオン王家は、強く在らねばならん」
扉の叩かれる硬質な音が執務室に響き渡る。
「国王陛下、イシュタールでございます。お目通りお許し頂けますか?」
「構わぬ。入れ」
入ってきたのは堂々とした体躯を持つ青年だった。アシュタールを若くして、体格を立派にすれば彼のようになるかもしれない。
「お祖父様!」
近衛兵が扉を閉めるのももどかしいとばかりに、イシュタールは駆け寄る。
「レシア様を、いえ。聖女様を象牙の塔に帰されるとか?」
その勢いに苦笑を張りつかせ、アシュタールは孫を見る。まだまだ青いが、彼が期待をする唯一の王孫である。
王国の次代を担うべき血統の確かさを感じながら厳しい顔を作ると、イシュタールに向き直る。
「元々そういう予定であったろう。彼女は一時的にこの城に留まっているだけだ。象牙の塔の正式な使者が帰還を要求すれば、抗えるものではない」
「それは、そうなのかもしれませんが……」
「イシュタール。お前が、聖女様を憎からず想っているのは知っている」
「ば、馬鹿な!? 私は、何も。そんな、ことは……」
尻窄みに声の小さくなるイシュタールに、アシュタールは相好を崩す。
「お前は優しいな、イシュタール。だが、お前の優しさは万人に平等に与えられねばならん。唯一人を愛してしまえば、それは王家の責務に反するのではないかね?」
愛しても溺れず、憎くとも道を違えず。ゲルミオン王家の初代から伝わる格言だった。
「20日後に別れの祝宴を催す。その時に、別れの挨拶をせよ」
「……はい、お祖父様」
入ってきたとは正反対に、力無く肩を落として彼は退出して行った。
「国の内外の禍根は断たねばな」
孫に安定した王権を譲り渡す。その為にも西の森に巣食うゴブリンどもを早期に片づけねばならなかった。
◆◆◇
「魚鱗人達が暴れている?」
暗殺のギ・ジー・アルシルが育てている諜報部隊。その中の1匹が、俺に辿々しい言葉で報告をした。湖周辺から北に至る川でリザードマン達が暴れ、ゴブリンが被害にあったということだった。
「王、是非とも討伐を」
意気込むナイト級ゴブリンのギ・ガー・ラークスを手で制して、俺は黙考する。そいつらをこちらの戦力に出来ないだろうか。川縁に住む魔物だが、知性がないわけではない。上手くすれば、人間の戦力を低下させるのに役に立ってくれるのではないだろうか。
「討伐の前に、説得を試みてみるのも良いだろう。長尾のタニタを呼んでくれ」
亜人の里に使者を走らせ、到着するまでは被害地域への立ち入りを禁ずる旨の布告を出す。説得が不可能であれば、それから討伐を試みても良い筈だ。
次にクザンから報告があった。
地下に張り巡らされていた通路の探索の進捗状況についてだ。
結論から言えば、どこまで続いているのか分からないということだった。その報告に眉を顰めながら話を聞く。危険な敵となるような生き物はいないらしいのだが、延々と続く地下通路には終わりが見えない。横に伸びる地下通路と、深くなっていく深層の探索。これを両立するにはもっと人手が必要だと。
申し訳なさそうに小さくなっているクザンの様子を見て溜息をつく。彼女がそう言うなら、そうなのだろう。
クザンの語る伝承では、ここが冥府の世界への入り口だとか、冥府の女神が封印されているだとか、そのような曖昧なことしか分からなかった。
肩を落とすクザンに、ならば表層の探索を優先させるように指示を出す。
「畏まりました。王様!」
浅い階層から探索を始めたのは、単純に他の入り口があるかどうかを探る為だ。或いは、人間側の世界へ通じる道があるかもしれん。森から単純に打って出るのも良いが、それだけに道筋を絞るべきではない。人間の常識に俺達が合わせてやる必要などないのだからな。
しかし、どうにも肩が凝るな。
集落の見回りと命じた者からの報告、そして決裁。それらの繰り返しの日々に、少しずつ鬱憤が溜まってきている。やはり、ゴブリンなら体を動かしたいものだ。
少しギ・ガーとギ・ヂーの訓練をしている場所を覗いてみるか。
玉座から立ち上がり、大剣を持ってノーマルゴブリン達の訓練場となっている広場へ向かう。
「これは、我が君」
「王、よくぞいらっしゃいました」
生まれたばかりのゴブリンを戦士にする為に、ギ・ガーは幼生達の訓練をし、ギ・ヂーは戦士を兵士とする為に集団戦を叩き込んでいるところだった。
三匹一体から始まり、それを複数合わせた隊、隊を複数合わせて軍、という風に名前を付けて訓練していた。
主にレア級ゴブリンが隊を率い、それをノーブル級ゴブリンが軍として纏めるという形だった。
これはプエルの助言からギ・ヂーが考えたもので、戦いの中で迅速に部隊を動かす為に必要なものだそうだ。
「ふむ、どうせなら各隊に名前を付けてやればどうだ。愛着が湧くだろう?」
「名前ですか?」
きょとんとしたようなギ・ガーの言葉に、俺は頷く。
「例えばユーブの軍と言うように」
「成程……では早速。我が君、お願いします」
なに、俺か……!?
俺が戸惑っていると、疑問の目を向けるギ・ヂー。確かに名前でもと言ったのは俺だが……。
「うむ、やはり名前は他の者達が戻ってからが良いだろう」
「……そうですか。では、そのようにしましょう」
若干残念そうなギ・ヂーの様子に、内心汗をかく。俺に何を期待しているのだ。楽しくも充実した日々。目的に向かって少しずつでも進んでいる手応えに満足して眠りにつく。
『見■、た……■ぁ、──見……』
忘れた筈の、歓喜の声が耳にこびり付く。俺にとっては憎悪の的でしかないそれが。
既に忘れて久しい筈の、人間の記憶。僅かに浮かび上がっては消えていく。いや、俺は本当に人間だったのか?
本当は生まれてきた時からゴブリンで、何かの弾みで、こんな記憶ともいえない程度の曖昧な知識が入り込んでいるだけなのではないか?
俺は、本当に──。
──闇の中、目を開ける。
「ぐ、……」
そこは見慣れた筈の、深淵の砦の暗くて見通しの効かない天井があるだけだ。手にかいたじっとりと湿った汗を払って、頭を振る。
「俺は、王。化け物の王たるべき者……」
それ以外ではない。その筈なのだ。
◆◆◇
「お久しぶりです。レシア様」
その聞き覚えのある声に、レシアはガストラを腕に抱いたまま振り向いた。
「え……ロリカ殿? 何故、ここに?」
象牙の塔での知己が、何故こんなところにいるのか。疑問に思いつつも無表情を崩さないレシアに、ロリカと呼ばれた長身痩躯の男は丁寧に一礼する。
「白の長老の気紛れで、貴方を連れ戻しに」
「……言葉が過ぎるのでは?」
表情を悟られないように眉を顰めるが、ロリカは気の抜けたような笑顔を張り付けたまま目の奥だけは笑わず、更に言葉を続ける。
「おや、満足いく答えではありませんでしたか。相変わらず、貴方の感性は分かり辛い」
まるで実験動物を観察するような無機質な視線。だが、笑顔を張り付けているだけに余計不気味に映る。
「気紛れというのは冗談ですが……貴女を連れ戻しに、というのは本当です。レシア様、象牙の塔にお戻りください。皆心配されております」
「……私の刻印が心配なのでしょう?」
「おや? おやおや、以前よりも随分と分かり易くなりましたねぇ。そんな稚拙な答えを発するようになるとは少々失望……そして嬉しくもあります。ですが、それではいけない。貴女はもっともっと、複雑でなければ……」
呟くと、ロリカは音も立てずにレシアの前に立つ。レシアの腕に自然と力が込もる。主人の緊張を悟ってガストラが唸り声を上げるが、ロリカは意に介した風もなくレシアの瞳を間近から覗き込む。
「あのガランドとかいう蛮人が貴女をお変えになった? それとも、この田舎の王都に何か心惹かれる人でも?」
長身のロリカが威圧するように彼女を上から覗き込む。細めていた視線を見開き、顔には見間違う筈のない歓喜の表情。どちらかと言えば整っている方だと思われるロリカの顔に見え隠れするのは、狂気の色。
人の心の内を暴かずにはいられない欲望の色が、ロリカの表情を狂気に染める。
「貴方の勘違いでしょう?」
澄まして答えるレシアを暫く見つめていたロリカだったが、その瞳に動揺がないことを確かめると、首を捻って元の気の抜けたような表情に戻る。
「ふむ。おかしいですね……このような場所に閉じ込められ、話し相手も居ないままに日々を過ごすと、会話の質も落ちてしまうものなのか」
見通す者ロリカ・ラールメラ。象牙の塔に所属する研究の徒である。
「……それで、召還の日は?」
「一か月後ということになっています。それまでのご辛抱、どうぞお気持ちを落とさぬよう」
「分かっています」
突き放すような言い方に不気味に微笑むと、ロリカは退出する。
ガストラを抱く腕に力を込める。
「私が、変わった……」
主人を心配するようにガストラが細く鳴く。
「もし、それが本当なら……」
運命に抗う者を直ぐ傍で見ていたからだろう。姿は化け物なのに、その志は恐らく誰よりも高い。神々すらも恐れないその意志。
運命を信じる者にとって、それに抗うというのは本当に恐ろしいことだった。自分の取る行動の一つ一つが実は仕組まれたことなのではないか。
神々の意志は全てを見通し、生まれた時から死ぬ時までの道順は既に決定されているのではないか。そしてそうすることが正しい行動なのだと。
馬車を追いかけてきてくれた王様の手を取れなかったのは、自分の臆病さ故だ。
それは、それは……運命などではない!
『神が道を決めるというのなら、抗うことこそ人の意志』
ずっとそれを考えていた。ロリカが現れたことで、やっと踏ん切りがついた。
「戻ろう。象牙の塔へ」
──人間との再戦まで、あと192日。