妖精族の姫
【種族】ゴブリン
【レベル】53
【階級】キング・統べる者
【保有スキル】《混沌の子鬼の支配者》《叛逆の魂》《天地を喰らう咆哮》《剣技A−》《覇道の主》《王者の魂》《王者の心得Ⅲ》《神々の眷属》《王は死線で踊る》《一つ目蛇の魔眼》《魔力操作》《猛る覇者の魂》《三度の詠唱》《戦人の直感》《冥府の女神の祝福》《導かれし者》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv77)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv1)オークキング《ブイ》(Lv82)
【状態】《一つ目蛇の祝福》《双頭の蛇の守護》
◇◆◇
闇に紛れて人間の砦に侵入した暗殺のギ・ジー・アルシルは、砦の内壁とその内側で耕されている畑を見て目を見張った。以前ギの集落で捕らえていたマチスが作っていた畑を大規模にしたものだという認識まではできたが、その重大さにまでは気が付かなかった。
ただ、理解はできなくても、これは重大な危機だということは分かる。壁の内側に木々はなく、人間の為の土地に改良されているのだ。
王が人間との再戦を誓ってからほんの40日と少し。たったそれだけの期間でここまで土地を改めてしまえるのか……。人間の力の大きさにギ・ジーは驚愕を隠しきれなかった。
「やはり……」
王の定めた約定の時まで待っていることはできない。今すぐにでも人間の力を削いでおく必要がある。地面に這いつくばり、人間の様子を窺う。だが、本当にそれでいいのか。迷いはそのままに、鎧を纏った人間の足音が聞こえた。
ギ・ジーは短剣を握り締めて、気配を殺す。
「……そこにいるのは、誰だ?」
身を潜めたままのギ・ジーに向かって誰何の声が掛かる。迷っている暇はない。このまま逃げれば、折角侵入した意味がない。
せめて一太刀。
一撃のもとに切り倒して、離脱する。
音もなく飛び出すギ・ジーに、誰何を掛けた方も剣で応ずる。短剣と長剣が、火花を散らしてぶつかり合う。
「何者だ!?」
誰何の声が更に厳しさを増す。暗闇に乗じての奇襲が通用しない。じわり、とギ・ジーの背中に冷たい汗が流れる。
「賊が侵入したぞ!」
集まってくる人間の気配に、これ以上の戦闘は断念する。
無念だが撤退するべきだ。もしここで人間に倒されることがあれば、それこそ王の意志に背くことになる。敵に背を向け、暗闇を走り出すギ・ジーの横を、矢が通り過ぎて地面に突き刺さる。
だが、石壁はもうすぐそこ。手をかけて上り、一息に飛び越える。
石壁の上から空堀を飛び越えるように跳躍。
その時ギ・ジーの背中に、衝撃と共に矢が突き立った。だが、それを苦にしている暇はない。
絡れる脚を引き摺りながら、ギ・ジーは森へと逃げ帰るしかなかった。
◆◆◇
夜が明ける前にゴブリンの野営している地域まで戻るべく歩いていると、視線を感じて立ち止まる。だがそこに人の姿はなく、木陰に気配が漂うのみ。
刺客か?
だが、それにしては殺意が弱い気がする。丁度体を動かしたいと思っていたところだ。気配の濃い方向に進む。
「何者か?」
腰に差した長剣を抜き放ちながら、その距離を徐々に詰めると──。木々の間から不意に飛来する矢──!
「くっ!?」
矢の軌道から体をずらすと同時、矢の飛んできた方向に一歩踏み出し、剣を振るう。邪魔な枝を切り払い視界を確保しようとする俺に、続いて撃ち込まれる第2第3の矢。いくら暗闇に耐性のある目とはいえども、木々の葉の影から突如として現れる矢に対応するのは難しい。
その場で足を止めて、矢を叩き落とすのが精いっぱいだ。
それを叩き落とすと、移動する気配に合わせて大樹の繁る森の中へと分け入る。俺に遠距離での攻撃手段がない以上、接近戦で片を着けねばならない。近づかねば勝負にならないというハンデを負いながら、開いた距離を縮めていく。
「──っ!」
小さい。
だが森の中では、その気配と俺との間に無数の木々が乱立している状態だ。闇雲に射っても、決して当たることはないのだが──。
俺の剣が火花を散らして矢を弾く。今は顔は見えないが、徐々に距離を詰めている感じはある。振り向きながら一瞬で弓に矢を番え放つその技術は、間違いなく妖精族のものだ。
「──風よ!」
僅かに聞こえた詠唱の声が終わらぬうちに、強烈な風が吹き付けてくる。上方に吹き上がる小柄な体を確認する。
逃げるつもりか!?
「──我が命は砂塵の如く!」
飛び上がると同時に背中で魔素を爆発させ、一気に加速させる。
届く!
下段から振りぬこうとして、こちらを確認しようと向いた視線が俺とぶつかる。無言の悲鳴に歪むその顔に、剣ではなく腕を伸ばした。
妖精族の小柄な首根っこを摑まえ、着地しようと前を見ると目の前には巨大な大樹。
「ぬっ!?」
不味い! 一瞬後には大樹に激突してしまう未来が幻視される。
「包め守り風よ!」
左手の娘が詠唱すると風が娘と俺を包み込み、目の前の大樹との衝突を避け地面へと運んでくれる。
「さて、言い訳はあるのか? 娘」
「……その前にお礼を聞きたいものだわ」
どこかで見覚えがあると思えば、昨日シューレの屋敷で見た彼の娘だ。名前は確か──。
地面に放り投げるように娘を離すと、剣を突き付けながら質問する。昨日の騒々しさから一転して、無風の湖畔のごとき静かさを保つ目の前の娘。或いはこちらが本性なのか。
「成程、確かに命を救われた。だがその前に命を狙ってきたのはお前だろう?」
「別に命を狙ったわけではないですが!」
頬を膨らませ、唇を尖らせて抗議する娘。
「あなたの実力が見たかったので──」
その言葉を剣を肌に押し込むことでやめさせる。
「──そのような戯言が通用する筈がないだろう?」
もう少し力を籠めれば、彼女の絹のように滑らかな肌が破れ、血が噴き出すことだろう。実力を知りたいというのは対等以上の者が言える台詞だ。身の程知らずにも、何の決定権もない小娘が口にしていい言葉ではない。
その思い上がりは、俺とゴブリン達。そして妖精族の為にもならないだろう。
今なら、誰の目もなく殺せる。
「本気で言ってらっしゃるのね」
俺の視線に込められる殺気に気が付いたのか、娘は俺の瞳を見返す。
「当然だ。我らには余裕などという贅沢なものはない。こうしている内に本拠地には人間どもの手が迫り、俺の目的が遠のく。そんな状況で貴様らの遊びに付き合えという方が無茶だと思うが?」
口元には内心から湧き出る嗜虐の笑み。いや、自嘲か。
こんなところで遊んでいる場合ではないのだが、目の前の妖精族の娘を殺すのに躊躇を覚える自分自身に笑うしかない。見た目がいくら美しかろうと、敵であるなら殺すべきだ。
美しいものに対する恐怖は根源的なものがある。或いはアルテーシアを前にして感じる、あの恐怖に似ているのかもしれない。
俺が俺を保てなくなる程のアルテーシアの美貌。それに比べれば劣るが、目の前の娘は十分に美しいと言える範疇に入る。
「……分かりました。謝罪いたします。ゴブリンの王」
「足りぬな。俺が聞きたいのは謝罪に加えて、更には俺の命を狙った見返りに何を差し出せるのかということだ」
目の前の娘が溜息をつく。
「……聞いてはいましたけど、酷い強欲ですね」
「我らは何も持たぬ。故に欲するのだ」
暫くの間瞼を伏せて考え込んでいた娘の視線が、再び俺を射る。
「では、私自身でどうでしょう?」
「……俺の聞き間違いか?」
眉を顰める俺に、娘は青緑色の視線を逸らさず向ける。嘘をついているようには見えない。
「失礼な。一応私も考えての結論です。父上と貴方はもうすぐ同盟を締結なさるでしょう?」
妖精族の娘の言葉に俺は頷く。
「で、あればその信頼をより強固にするための証が必要になる。言葉ではなく行動で示した方がより確実なのは言うまでもありません。妖精族はゴブリンを裏切らず、ゴブリンは妖精族の利益になる」
同盟締結の為の婚姻か。人間でいうところの政略結婚というやつなのだろうが。
確かに、遥か昔から繰り返されてきた手だろう。だが、それだけに確実性があるということだ。
問題があるとすれば、これがこの娘本人の言葉なのかどうかということだ。
「シューレにそう吹き込まれたか。我らを操り易くする為に人柱になれと」
敢えて挑発してみる。昨日話した感じからすれば娘を溺愛しているように見えたが、演技だったという可能性もある。
「風の妖精族の風そよぐ森の一族は、そこまで窮してはおりません!」
静かな中にも激昂がある。
では、本心からだと?
「確かに私は小娘です。賢人会議にも参加できませんし、諸国の情報も存じ上げません。ですが、我が故郷を思う心は誰にも負けるつもりはありません」
俺を睨む視線に怯えはない。いや、多少はあるのだろうが、それを上回る気持ちで覆い隠している。中々できることではないだろう。
「……ふむ。謝罪としては受け取ろう。だがお前を貰うのは断りたいものだな」
レシアの不満たっぷりの顔が頭に浮かんで、俺は苦笑した。
「ご、傲慢なゴブリンですね! 本来ならゴブリンが妖精族を娶るなど有り得ない話ですのに!」
まぁ、そうだろうな。妖精族のことを考えれば、彼らが俺達との婚儀を認めるなど有り得ない。
「まぁ良かろう。だが、二度とこんな遊びは御免だ。他の者達にもよく言い含めておいてほしいものだな」
そう言って剣をしまう。しかし未だ座ったままの妖精族の娘に首を傾げる。
「どうした、帰らないのか」
「……腰が、抜けました」
顔を赤らめて屈辱を噛み殺したその顔は中々優越感を感じさせてくれるが、面倒なことに変わりはない。溜息をつくと、娘の体を抱き上げる。
「……屈辱、です」
涙を堪える娘に、少し説教臭いことを言わせてもらおう。これから同盟を組む相手だ。精々下手は打たないでほしい。
「恐怖に立ち向かうのは決して無様なことではない。理由は褒められたものではないが、お前は堂々と俺と交渉したのだ。先ずは強者から生き残ったことを誇るべきだな」
「ゴブリンに、慰められるなんて……」
まぁ、担がれたその格好では羞恥心も何もあったものではなかろうがな。
「ですが……ありがとうございます」
「殊勝なことだ。それは美点だぞ」
シュナリアは素直に頷いた。
◆◆◇
「それで……万事仕度は整っているのだな?」
暗い部屋で蠢く人影。
「連絡はとってある。同志にも連絡済みだ」
「ならば連絡があり次第……」
不穏な会話に一応の区切りがつき、彼らは再び闇の中へ入っていった。
数日後、風の妖精族の支配地域全域に、風そよぐ森と風鳴りの森の連名によるゴブリンとの同盟が発表された。
それは事情を知らない森の民にとって心根を震撼させるほどの出来事だった。
「血迷ったのか、英明の誉れ高いフォルニがっ!?」
「よりによってゴブリン? 100歩譲って、亜人なら分かるが……ファルオン・ガスティアは耄碌したのか!?」
非難と混乱が、悲鳴となって森の民の間を駆け巡る。
「馬鹿な! 何を考えているのだ、シューレ! ファルオン!」
肥えた体を揺らして、机を叩くフェニト・静かの森。居並ぶ家臣達は首を竦めて主の怒りが通り過ぎるのを待つばかりだった。
「誰か何か言ったらどうだ!? えぇ? どういうことだ!?」
頭に血の昇ったフェニトの言葉に、皆一様に下を向く。
「役に立たん者共だ! 賢人会議を招集する! フェニト・シンフォルアの名に懸けて、ゴブリンに加担するなど許さん! 我らは高貴なる妖精族ぞ!」
「で、では早速、他の森に使者を出します」
怯えた声で応えると、目端の利くものが足速に退出していく。
「フェニト! どういうこと? フォルニがゴブリンと手を組むとは……」
出て行く使者と入れ違いに入ってきたのはフェニトの従姉であるプエル。
「どうもこうもありませんよ! 聞いた通りです、奴ら……シューレ・フォルニは血迷った! ならば高貴なる者として誅罰を加えねばなりますまい!」
「そんな、勝てるの?」
プエルの耳にも、シューレ・フォルニの優秀さは聞こえていた。
「勝てる? 勝てるのかとお聞きになるのですか従姉上!? はっ! 馬鹿も休み休み言ってください。負ける道理がありますか? ゴブリンなどと手を組んだ者が、このフェニト・シンフォルアに勝てる筈がないでしょう!?」
そんなわけはない。とプエルは考える。妖精族同士が戦うなら、それは戦だ。
大規模な戦は妖精族とて殆ど経験が無い筈。確かに実戦経験のない者同士が戦えば運次第でこちらにも勝ち目はあるだろう。
だが、報せではシューレがゴブリンと手を組んだという。人間の町で暮らしていたプエルには聖騎士ジェネが戦死したのが暗黒の森……つまり妖精族の住処から東へ行った地帯だというのが気になった。
悪い予想ばかりが脳裏を巡る。
「……分かりました」
唇を噛み締めたプエルは、怒りを撒き散らすフェニトの部屋を後にした。彼女は今、フェニトの戦士団に所属している。
「できることをしなければ……」
旧知の妖精族を訪ね、何人かの心ある者達に声をかけねばならない。
「セレナ……無事でいて」
暗い予想を振り切り、歩む妖精族の女の顔は、戦士のそれになっていた。
──人間との再戦まであと320日。