人食い虎Ⅰ
【種族】ゴブリン
【レベル】37
【階級】キング・統べる者
【保有スキル】《混沌の子鬼の支配者》《叛逆の魂》《天地を喰らう咆哮》《剣技A−》《覇道の主》《王者の魂》《王者の心得Ⅲ》《神々の眷属》《王は死線で踊る》《一つ目蛇の魔眼》《魔力操作》《猛る覇者の魂》《三度の詠唱》《直感》《冥府の女神の祝福》
【加護】冥府の女神
【属性】闇、死
【従属魔】ハイ・コボルト《ハス》(Lv77)灰色狼(Lv20)灰色狼(Lv20)オークキング《ブイ》(Lv82)
【状態】《一つ目蛇の祝福》《双頭の蛇の守護》
「人食い虎を倒してほしい?」
然り、と頷くニケーアの言葉の表情を窺うが瞳の揺れは少なく、動揺もしていない。事実を語っていると考えていいのか?
「言葉通りの虎ではありません。人食い虎というのは、私達の中の隠語とでも申しましょうか」
何故態々そんなことを、と考えてセレナから聞いた話を思い出す。亜人は穢れたものを他の動物に例えるのだそうだ。つまり、人食い虎と言うのも彼らからしたら穢れた何らかの生き物ということになる。
「良かろう」
言い切る俺に、後ろからギ・ザーが小言を言う。
「良いのか? 安請け合いをしてしまって」
「構わん。どうせ一度はこちらの力を見せておくに越したことはないのだ」
こと武力に物を言わせるこの展開は悪くない。正直、深淵の砦の地下で獲れる魚だけを交易品とするのはやはり心許ない。ここは武力を見せつけ、言い方は悪いが傭兵的な位置づけで取引をするのが都合が良いだろう。
「ありがとうございます」
ふうっ、と止めていた息を吐き出したニケーアは、挑むように俺の眼を見返す。
「人食い虎と言うのは通称です。本来の名前はグルフィア」
語り出すニケーアの様子に後ろに控えていた護衛の二人が息を呑むのが分かる。これは信じてみても良さそうな情報だ。
「人馬族の若き有力者でした。ですが暫く前に集落の殺戮に遭い、彼は正気を失いました」
「何故、蜘蛛足族のお前が人馬族のことをそこまで知っている?」
息を呑む様子に眼を細める。一瞬だけニケーアはセレナに視線を動かし、再び俺を見る。
「……我々は元々同じ鉱石の末同士でも交流自体がありませんでした。ですが、少し前からその流れを覆そうという動きがあったのです」
亜人の共同体が一つに纏まろうとしている。これは貴重な情報だった。もし俺がここに来るのがもう少し遅ければ、或いは共同体が発足し亜人の国が出来ていた可能性もある。
何故ニケーアが一瞬だけセレナを見たのか? 理由を思い浮かべて、口元に僅かだが笑みを浮かべた。恐らく亜人が小さな集落しか作らないと知っているセレナを前に、嘘がつけないと思ったのだろう。だとすればセレナを連れてきて正解だった。
「その試金石として、グルフィアを始めとする未来ある若者を共同の集落に住まわせる、という話があったのです。そして……」
「その集落が壊滅した」
俯き頷くニケーアの様子に、嘘は無いのだろうと確信する。シュメアの話と合わせて考えるに、それをやったのはあの細剣使いだ。元はシュメアの飼い主でもあったあの男がセレナの力を使って壊滅させた集落がその共同体だったのだろう。
決して感謝はしないが、思わぬところで余波が出ているものだ。
「そして息も絶え絶えに生き残った彼──グルフィアは、同じ鉱石の末の肉を喰らいました」
ひっ、と小さく悲鳴を上げるのはセレナ。その彼女を抱き抱えるシュメアが視界の端に映る。
「力を得る代償に彼は理性を失い、今では同じ鉱石の末の血の味を忘れられず、森を徘徊しているということです」
言い終えると、唇を噛み締めるニケーア。
「一つ確認したい。その共同体とやらは人食い虎を放置したままなのか?」
「……共同体は、今殆ど機能していません。主だった賛同者がいずれもその集落に参加していたために、進める者も居ない状態です」
成程。現状は俺にとって決して悪くはない。何より、未だ亜人達が結束しきっていないというのは彼らを支配下に入れるにしろ、攻めるにしろ重要な要素だ。
「良かろう。だが、その前に契約をしてもらいたい」
「と、言いますと?」
「人食い虎の首を落とした暁には我らと交易を行い、こちらの配下を集落に招いてもらう」
「……良いでしょう。見事人食い虎を倒した暁には、我ら蜘蛛足人は約束を違えぬことを誓いましょう」
彼らの集落に俺の配下を送り込むという条件を咄嗟に附け加えたのは、万が一のための布石だ。西への足がかりにこの集落を利用できるならそれに越したことはない。
まして蜘蛛足人が裏切った場合のことも考えておかねばならない。
ニケーアは誓いを口にしたが、それだけで蜘蛛足人全員が俺達の存在を受け入れるとは思えない。ましてや人間に妖精族など、雑多な面子が揃っているのだ。どれに反発を覚えるのかは未だ未知数。まぁ今のところ人間に良い感情を抱いていないのは分かるが。
「では、早速情報を貰おうか」
頷くニケーアから情報を聞き、俺達はそれを頼りに森の中を進んでいった。
◇◆◇
道々、俺は亜人の血について考えていた。セレナが暴走したのも亜人の血を無理矢理飲まされたからだという。ならば特定の種族にとって亜人の血液というのは力を引き上げる効果があるということだろうか。
「シュメア。人間達の間で亜人の血について何か噂はあるか?」
「へ? いやぁ、全然聞かないね。ジェネの野郎だって、あれは人が嫌がるのを趣味にしてやがるクソ男ってだけだったし……」
ジェネ、というのが細剣使いの名前か。
恐らくそいつが無理矢理セレナに亜人の血を飲ませた。顔を青くしているセレナに視線を向ける。俺のする質問の意図を察したのだろう。セレナは意を決したように口を開く。
「妖精族には言い伝えとして、亜人の血液には少しなら興奮剤としての効能があると聞いたことがあります。昔はそれが元で人間達に迫害されたとも……」
シュメアの腕をぎゅっと握りながらの言葉に、俺は頷く。
「王は亜人の血をお望みですか?」
「いや、ニケーアの言っていた亜人食いのことだ」
暗殺のギ・ジーの質問に答える。
「俺達の役に立つ、と?」
呪術師ギ・ザーの言葉に前を見たまま返事をした。
「一つは、そうだな。或いは我らにとっても何らかの力を呼び起こすかもしれん」
「ふむ、ニケーア殿の話と相まって実に興味深い話ではあった。で、もう一つは?」
鋭い視線で先を促すギ・ザーに苦笑しながら口を開く。
「その亜人食いの強さの問題だな。理性を失い亜人の全力を発揮できるようになったのか。或いは全く別の力を得たのか。そこを考えていた」
前者なら特に問題はない。狂い獅子ギ・ズーに近い理性のタガを外して戦うタイプということだ。だが後者ということなら、その力は未知数ということになる。或いは口にしてしまってもいいかもしれないが……折角出来そうな同盟者だ。ゴブリン達に彼らをそういう眼で見させるのはどうなのだろう。
俺の振った話が悪かったか。別の話題を振り直そうと周囲を見渡す。
「……彼らの血が貴方に更なる力を齎すなら、貴方は彼らを殺すのですか?」
怯えたようなセレナの声に、内心で舌打ちをする。
「いや、折角出来そうな友好的な部族だ。出来れば彼らと無駄に争いを起こすことはしたくない」
ほっと息をつくセレナ。だが俺は釘を刺しておくことにした。
「ただし、だ。俺達を裏切る亜人や、敵対する者に対しては俺は容赦をするつもりはない。そいつらの血が有用であるのなら、奪うこともあるかもしれん」
「そんな……」
「セレナ、覚えておけ。我らは決して森の中で強者ではない。だが、俺は今のまま人間達に良い様にやられる未来など、断固として拒否する。俺が混沌の子鬼の王である限り、何者にも屈することはない。その過程で障害となるなら、亜人も魔獣も、そして妖精族も全力を持って排除する」
今まで甘い面だけを見せてきた所為か、セレナがショックを受けたような蒼い顔で俯く。
「……ああ、別に人間族が嫌いなわけではないぞ。そう睨むなシュメア」
「別に睨んじゃいないよ旦那。まぁ、ゴブリンらしくないなと思っただけさ」
ふん、と鼻を鳴らしてセレナを撫でるシュメア。確かに、ゴブリンらしくはないだろうがな。
「王、後ろから追随してくる者がありますが、如何しましょう」
暗殺のギ・ジーの報告に思考を一時中段させられる。セレナを確認すれば、蒼い顔をしつつも頷いて耳を澄ましてくれる。
「……蜘蛛足人、みたいです。こちらを追って来ているみたいですが」
困惑の混じった視線で俺を見るセレナ。俺だって何でも知っているわけではないのだがな。
「裏切り。若しくは監視といった所だな」
ギ・ザーの言葉に俺も同意だった。
「許せヌ、追い散ラしまスか?」
獰猛なる腕のギ・バーの言葉に、俺は少しだけ考えて首を振る。
「いや、情報が欲しいな。捕捉するとしよう」
暗殺のギ・ジー、獰猛なる腕のギ・バーに罠を張るように指示を出すと、セレナの耳に頼って先を急ぐ。ギ・ズーらと途中で別れ、俺達は素知らぬ顔でそのまま道を進む。
継続的にセレナに蜘蛛足人の動向を探らせながらなので、進む速度はゆっくりとなる。ある一定以上の距離には近寄ってこない蜘蛛足人。
徐々に罠を設置した位置に近づいてくる。
「……罠にかかったみたいです。悲鳴が」
「よし!」
内心で首を傾げながら全力で来た道を引き返す。付いて来れないセレナやシュメアはギ・ザーに任せ、俺は走った。
俺達の位置を捕捉出来ていたとしか思えない動きだ。だが、それにしては何故無警戒に罠にかかった?
まぁ、直ぐに分かるか。
◆◆◇
「……貴様ら何のつもりだ!?」
「それはこちらの台詞だ。何故我らを追って来た」
怒髪天を突かんばかりに怒りを露わにする蜘蛛足人と、冷酷な視線で表情が消えているギ・ジーが言い争いをしている。ギ・バーとその3匹一組達は、落とし穴に落ちた亜人に武器を突きつけている。
どちらも男の蜘蛛足人。
「知れたことだ。貴様らが人間と通じ、我らの集落を密告しないか監視する為だ!」
「つまり契約を交わした我らを、貴様らは信用できぬと言いたいわけか」
俺の言葉と無言の威圧感に、彼らは一瞬だけ言葉に詰まるが、更に言葉を重ねる。
「ゴブリン風情の何を信じろと!? 貴様らは森の害獣だ!」
俺達を貶めればその分だけ、今の状況に陥っている自分自身を貶めることになると気が付かないらしい。やはり亜人も単純なのか……?
そんなどうでもいいことを考えつつ、追いついてきたギ・ザーにも今の話を聞かせる。
「王よ。先程の話、今試してみてもいいのではないか?」
人間に近い顔に凶悪な笑みを浮かべて、罠に嵌った亜人を見るギ・ザー。どこのマッドサイエンティストだお前は。
だか確かに、頑として口を割りそうにない亜人の様子から俺もそれを全く考えなかったと言えば嘘になるが……。腰に差した四本の長剣の内の一本に手をかける。
俺の気配を察してか、セレナが泣きそうな顔で、他のゴブリンがどこか期待をするような眼で俺を見る。
がさり、と木を掻き分ける音に俺は視線を向ける。
「お待ちを!」
走り込んできたのはニケーア。それに従う二人の亜人。
「ゴブリンの王よ、どうかお待ちを!」
剣に手をかけていた俺に、必死の形相でニケーアが近寄る。それを止めようとするギ・ザーを手で制してニケーアに声をかけた。
「何用だ? 今、我らは裏切りに正当な罰を与える所だ」
多少誇張気味だが、脅す分には問題ないだろう。
「非礼は承知です。ですが、どうかお待ちください」
頭を地面に擦り付けんばかりに下げる勢いのニケーアに、俺は剣を納める。
「分かった。とりあえず話だけは聞こう」
視線で合図をすると、ギ・バー達は武器を仕舞う。ただし補足した蜘蛛足人の二人は穴の中から出さない。
「ありがとうございます、ゴブリンの王よ。そしてこの度の失態の責任は全て私にあります。どうぞ、罰を下すなら私に」
「族長……」
「ニケーア様」
後ろから付いて来た二人の蜘蛛足人も、罠に落ちた二人も揃って言葉を失い、ニケーアを見守る。彼女は集落の者から慕われているようだ。ならば悪戯に彼女を傷つけても始まらないか。或いは、ニケーアを人質として利用出来るならそれもいいかもしれない。
集落の中心として動いている彼女を抑えることが出来れば、亜人を配下に組み込むことも容易となるかもしれない。
「で、今回のことは一体どういうことだ。説明してもらおう」
黙って考えている俺の言葉を、ギ・ザーが代弁する。
ふむ、良いぞ。亜人達には汚らわしいものを口に出さないという特徴がある。つまり俺が態々口を開くまでもないという風を装えば、力関係を無言の内に示すことが出来るし、彼らにそれだけ今俺が怒っているということをアピールすることが出来るかもしれない。
そして顔もいい。悪役宛らの凶悪な表情に、不機嫌を張り付けたように眉間には皺が寄っている。ギ・ザーは役者だな。いや、もしかすると亜人の血を飲む機会を逸して、本当に不機嫌なだけなのかもしれないが。
「……この者達は、単結晶の若輩者。私の説明が至らぬばかりに、貴方様達を追ってここまで来てしまったのです。他意はありません。どうか……」
単結晶……前後の言葉と合わせて考えれば、成長過程の一つなのだろうが、よく分からない。俺の疑問をそのままに、事態は思わぬ方向から動いた。
卑屈なまでに頭を下げたままの族長に、穴に落ちた一人が口を滑らす。
「族長、何もそこまでしなくても……」
瞬間、今まで聞いたことのない怒りの声が、ニケーアの口から迸った。
「貴様らが汚したのは鉱石の末としての誇りだ! 私はこの方々と契約を結び、誓約を交わした! つい先ほど交わした誓約を守れないなど、我らが一族の沽券に関わる! 貴様らは誇りあるアラーネアの恥を晒したのだぞ!」
俺の威圧の咆哮に匹敵しそうな声量と、圧力。びりびりと空気が震える怒りの声に、誰もが言葉を失った。